田舎三昧の生活と意見

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■Contents■
01受け狙い?
   3リットルの過ち
02150年前
03引退
04箱物
05辞職
06大盛況
   タイムラグ
07アナログマ
08自由
09バトル
10移民3世
11仮面の下
12実籾
   パンデミック
13デジタル一眼
14かぼちゃ
15市長31歳
16新機軸
17党首討論
18新鮮野菜
19覗くのか見るのか
20最後の殺し屋
21夏至
22イメージギャップ
23夏日
24命日
25死
26賑やか
27隣の首長選
28新顔
29天麩羅
30印象


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6月30日(火曜日)
●印象
注目していたPENTAX K−7が店頭お目見えしたのが27日。
4日遅れでやっと実機に触れてきた。

直線を生かした切れ味のよい外観。
CANONのEOSkiss、パナソニックのLUMIX並みに小型で、
金属ボディなのでそれなりにずっしりくる。
本体が小さいので3型液晶モニターは背面の4分の3を占めている。
ライブビューは見やすい。
ファインダーを覗いてみる。
オートフォーカスは瞬時だ。
シャッター半押しでレンズが小気味よく回転しピントを合わせる。

完成度は高そうなのだが
カタログで見た「かっこよさ」があまり感じられない。

理由は明白だ。
各所に刻印されている文字のサイズが大きいうえ、
活字で言えば「太ゴシック」
白い文字が目立ってしょうがない。
機能ボタンのブルーが「なまっぽい」。
大型ディスプレイに表示される文字類も大きすぎてごちゃごちゃしている。

性能、顔の輪郭や造作はいいのだが、
化粧が下手なため「ダサねーちゃん」になってしまった。
交換レンズにも同じことが言えた。
精密機器としてのトータルバランスが悪い。
期待していたのに非常に残念。

ターゲットは「老眼鏡」世代だったのだろうか。

隣のコーナーのNikon、CANONは、さすがにそのあたりは上手だった。

6月29日(月曜日)

●天麩羅
トマト、キュウリ、ピーマン、ナスが収穫できる時期になった。
昨年までジャムを作っていたブルーベリーは、
毎朝そのまま食べたり、ヨーグルトのトッピングになっている。

夜は取れたて野菜の天麩羅。
下ごしらえ、揚げをサポートをした者として「作品」をカメラに収める。

今回の注目は「青じそ」。
そのパリパリ感が好きなのだが
外で食すそれは衣に片栗粉を使っていることが多く、
薄焼きせんべいのような食感になってしまう。
(高級天麩羅屋には最近行かないもので…)

葉のサイズを大中小に分ければ外食時は「小」。
心置きなく味わいたいと「大」の葉を庭から取ってきた。
サイズは「フライングタイガー」のハンバーグ並み。
パリパリ感は抜群だったが大味。
やはり「中」サイズのほうが旨いことがわかった。

※掻き揚げと比べて青ジソの大きさがお分かり?

中ぶりのナスも柔らかくて結構なお味。
掻き揚げも美味。
キュウリの酢もみ、ぬか漬けもなかなか。

今回のネタのうちタマネギとカボチャは買ってきたが
いずれは全ての野菜を自宅産でまかないたいものだ。

菜園のカボチャはただいま育成中。
7月が収穫期で、表皮に爪を立てめり込まなくなったときが収穫時とか。
関東地方の梅雨明け頃がその時かも知れない。

6月28日(日曜日)

●新顔
家人が珍しい植物を入手した。
「ハンカチの花」。
(ハンカチの木とは異なる)



正式名はコンロンカ(崑崙花)。
原産地は種子島〜台湾。
あちらでは庭木として栽培されるという。
白いハンカチのように見えるのは
「がく片」の1枚〜数枚が大きくなったもの。
本当の花は枝の先端の真ん中で群がって咲く。
9月頃までハンカチをつけるようだ。


※元気いっぱいのポインセチア

ハンカチの花は、葉が花のように見えるポインセチアと同じようなものか。
そういえば、昨年冬購入したポインセチアがまだ元気だ。
ここまできたからには冬迎えさせ「ひと花咲かせて」やりたい。

6月27日(土曜日)

●隣の首長選
7月21日告示、26日投開票。
お隣、杉戸町の首長選が1ヵ月後に迫った。
先日は石井女史が春日部市役所で出馬表明第1号。
昨日は古谷氏が表明。
お二方とも現職議員。
顔ぶれはまだまだと、風の噂に聞こえてくる。

石井氏は、春日部・宮代の合併反対の急先鋒だった。
この方が、再び杉戸町長の座を狙う。
ご自身のブログで前回の結果を「落選革命」と位置づけている。
いろいろ理由をつけておられるが、「あ〜ゆえば、じょ〜ゆ〜」ばりである。

自主独立路線を貫こうという方が、
なぜかつて反対先の春日部まで出向き記者会見するのか?
あちらには記者クラブがあるからなのだろう。
わざわざ、杉戸町までご足労かけては…という配慮なのか。
しかし、首長の座を目指そうとする方が記者におもねてどうするの、という感がある。
杉戸町役場で記者発表、というニュースを各社の春日部支局に流せばいいのに。
新聞社はバリューがあれば取材に駆けつける。

う〜む、言葉と思考と行動にギャップが感じられるな〜

6月26日(金曜日)

●賑やか
テレビ育ちの東国原、橋元氏が知事になってから、
知事の存在がにわかにクローズアップされた。
国家事業に対する地方自治体の負担金にかかわる問題を疑問視した
橋元氏の呼びかけで、地味な自治体の知事も波に乗ろうとしている。

そんな折、県民の圧倒的な支持を得ている東国原氏が、
自民党からの出馬要請に対し、
自分を次期総裁候補にすること、知事会の要求を自民党のマニフェストに反映させること、という
サプライズな条件をつきつけた。
屋台骨がぐらついている自民党の足元を見透かした物言いだ。
はじめは、「しゃれ」でしょと言っていた橋元知事も東国原氏の「本気」を嗅ぎ取った。

元芸人だけに東国原氏は話術と場を読むことにたけている。
宮崎県のセールスマンとして地鶏とマンゴーは知名度で全国区になった。
相変わらすテレビによく顔を出している。
彼の名前を知らない人はいないほどだ。
売り時のタイミングを知る彼は。今度は自身が商品になった。

地方分権と瀕死の自民党に再生の風穴をあける、という
今使えるホットキーワードを並べて、自民党に無理な要求をつきつけた。
これも計算のうち。
これで、無所属で出馬しても勝算ありとふんだか。
もともと、宮崎県知事に立候補表明したときは泡沫だった。
それが、変革を望む県民の支持を受け「大化け」したに過ぎない。

卑屈さと尊大さが同居する、芸人にありがちな彼の言動を見ていると、
伏魔殿のような政界を上手に泳いでいるように見えても
実は、それほどのタマでもないと思えてくる。

知事に次いで、今度は市長クラスが固まろうとしている。
個別より団体のほうが交渉には有利だからだろうが。
橋元氏の呼びかけで中田横浜市長が動いた。
あと一人、どこぞの町長も乗った。
石原都知事は、まとまるのはいいが、特定政党支援や新党結成には批判的。
石原氏は都議選に向けて、自民党全面支援を打ち出している。

まことに、幕末、明治維新のころもかくやかと…。

6月25日(木曜日)

●死
外見「白人歌手」マイケル・ジャクソンさんが心不全で他界した、50歳。
歌も踊りも抜群で一時代を作ったスーパー・スターだった。
スターにありがちな奇行の主でもあった彼は、生き急ぎ。

「チャーリーズ・エンジェル」でファラ・フォーセットさんがガンで逝った、62歳。
抜群のスタイルと長い髪が特徴だった。
アクションスターでデビュー、その後どんな映画に出たのかは知らない。
おそらく芸域を広めることはできなかったのsではないか。
いつの間にか、還暦を過ぎていた
長年付き合っていたライアン・オニールとの結婚が決まったばかり、無念の死。

戦後生まれのコピーライター、眞木準さんが急性心不全で亡くなった、60歳。
団塊の世代・糸井重里より若い団塊後期の人。
昭和30年代後半から広告制作界を牽引してきた
土屋耕一氏、西尾忠久氏など大御所はまだ健在。

6月24日(水曜日)

●命日
美空ひばりの20年目の命日とラジオが伝えていた。
光陰矢のごとし、とはまさにこのこと。

彼女の豪邸は恵比寿、代官山から渋谷に通じる旧山手通りから
少し入った坂の途中にあった。
立派な門としっかりとした塀でガードされていた。
当時、中目黒に事務所があったので、「ひばり御殿」の前を通って
南平台のプロダクションに打ち合わせに行くことがあった。
旧山手通りの秋は街路樹の落ち葉が舞い、通りに面したおしゃれなレストランと
よく調和し、ヨーロッパ的な雰囲気が気に入っていた。

あるとき、「御殿」の前に大勢の人だかり。
テレビ局のカメラクルーも入っていた。
「お嬢」の葬儀だった。

当時コンピュータ、ゲームソフトの広告、カタログを作っていたので
仕事は多忙を極め、横浜の自宅には帰らず事務所に泊り込むというありさま。
インターネットはまだなく、パソコン通信が始まった頃で、
雑誌に掲載されていた短い通信ソフトをBasicで打ち込み、
鈍足モデムで都内のBBS局を徘徊し、
夜中には、東横線中目黒の高架下にある飲み屋に出かけるという
はちゃめちゃな生活を送っていた。

中目黒駅の向こうに事務所を構えていた佐々木譲さんと再会したのもこの頃。
当時彼はコピーライターと小説家の二足の草鞋を履いていたが
いまでは、冒険小説、警察小説の第一人者だ。

「りんどう」というカウンターだけの小さな店は
初老のマスターが一人で店を切り盛りしていた。
終電で到着した渋谷、六本木方面の
お水のおねえさんたちが、しばし翼を休める店でもあった。
そんな具合だから、夜が更けるにしたがい店は活況を帯びてくる。
当時としても珍しかった流しのギターが入る。
確か「折れたた〜ばこの吸殻を〜〜」なんて歌がはやっておりましたね。
夏場は店を出ると、すでに明るかったなんてこともあった。
マスターはとうにリタイヤしているだろう。

青春時代はとうに過ぎていたが
無頼の日々に幕を降ろし更正の道を歩むことになったのは彼女の死から間もなくだった。
私の昭和も終わった。

6月23日(火曜日)

●夏日
天気予報どおり午後からぐんぐん気温が上がった。
湿度が高いのでじっとりとしたいやな暑さだった。
横浜港に面した神奈川区にしてこれだから、
内陸部のわが宮代町はいかばかりか…

PCを駆使した仕事を終え帰宅すると
湿度76%、室温29.1℃。
館林は34℃だったらしいからまだまし。

暮れなずむ田園の中に浮かぶレジーナを見たときは
なんとなくほっとした気分になりましたが…

6月22日(月曜日)

●イメージギャップ
パソコンの隣に置いて聴きっぱなし。
というのが最近のラジオとの付き合いだ。
昼間はほとんどTBS。
夕方から野球中継になるとNHKにする。
ところがシーズン中は民放もNHKも、
つまりすべての中波局がナイター中継というアホな状況になることがある。
そんなときはJ−Wave。
夜中はNHK。
火曜の夜中、松平定友アナウンサーの藤沢修平作品の朗読がいい。
彼は「平成の徳川無声」である。
老武士、青年武士、町人、娘、お内儀の声を巧みに使い分け
朗読というより一人芝居を行うる。
いま進行中の「橋物語」は江戸に生きる若い職人と幼馴染の娘の話。
持ち時間の15分を聞き終わることもあるが、それ以前に眠りに落ちてしまうこともある。



ところで、昼時に永六輔が番組を持っている。
彼の独断的な話っぷりをたしなめるのがTBSアナウンサーの外山惠理だ。
その喋りっぷりから下町出身ということはわかっていた。
声はがらがらだ。
これでアナウンサーと思わせるような単純なことを知らないことも多々あり。
そんなわけで、髪の短い色の浅黒い女性ではないかと思っていた。
どんな素性と容貌か、と調べてみたら…
私の想像とは真逆だった。
髪は長く目の大きい、色の白そうな人だった。
墨田区生まれ現在34歳。
慶応女子から慶応文学部に進んでいる。
実家はなんと、向島の老舗和菓子「言問団子」だそうだ。
台東区生まれの永六輔、同じく墨田区出身のラッキー池田など下町チームで
居心地のよさそうな番組作りを行っていた。


昼下がりに小島慶子のキラキラつ〜番組がある。
かなりきわどい話をずけずけ喋るアナだ。
春日部出身のビビる大木とかけあいを行っている。
既婚で子供もいるらしい。
彼女はしゃべりが快活なので髪の短いスポーツ系の女性かと想像していた。
調べてみたらほぼイメージどおり。
年齢は下ネタにも向かっていく恐いものなしの37歳。
身長172cm、学習院女子高から学習院法学部に進んだ。
麻生首相の後輩だ。
風貌は、元巨人の二岡とのスキャンダルを起こした、五反田モナに似ている。
このテのタイプは
一緒に飲んで、あっちの話こっちの話で大盛り上がりし、
もしや気があるのかと思わせ、
最終的には「じゃ〜さいなら〜〜」と風のように消えて行く、のだろうね。


ラジオつ〜のはイメージがいろいろ膨らむからおもしれ〜。

6月21日(日曜日)
●夏至
雨が降ったり止んだり。
雲が低く覆いかぶさり重苦しい。
梅雨の真っただ中だが、本日は夏至。
昼が一番長い。
明日から、米粒1つ分だけ日が短くなる…
いよいよ冬に向かう。

まぶしい光と砂浜のワイキキでも思い浮かべながら…
やはりこの時期、ハワイアン。
音楽で気分を変えるべくYoutubeへ。
ワイアンといえば、エセル中田のカイマナヒラ、小さな橋の下。
はたまた、アロハオエ、ハワイアン・ウェディングソングといった
昔懐かしい歌しか知らん。

ところが、近頃のハワイ・ソングは変わっていた。
昔の定番が、ローカル色を出したウクレレ、スチールギターの「民謡」なら、
今流れているのはギター、電子楽器を組み合わせた「POPS」だ。
レコジャには「コニシキ」もマッツアオな超肥満体。
EKOLUというらしいが、声が抜群にいい。
ちょいハスキーながらよくのび、なんとなく切なく聞こえる。
彼の歌数曲と他10数曲をダウンロード。

さらに、ヨーロッパサマーの定番(?)ChillOutミュージックも探す。
このジャンルは地中海に浮かぶ避暑地「イビサ島」が発祥の地。
大昔はイスラム圏だったので、ヨーロッパだけでなく、
中近東、アフリカ音楽の影響も受けている。
それらが、今風にアレンジされ流れるようなメロディになっている。

ワイアンよりチルアウトのほうが梅雨時には心地よい気分にさせてくれるだろう。

最終的にmp3データにして停滞プレーヤーに渡すのだが、
一連の作業は実に手間と時間がかかる。


6月20日(土曜日)
●最後の殺し屋

Last Hitmanというカナダ映画をBSやっていた。
タイトルに惹かれて1時間半見てしまった。
もちろん知った俳優は誰もいない。

年老いたビクター・マチュアといった風情の男優とその娘。
モノクロで始まるのだが、
娘の母親が亡くなったのだ。
車の後部座席には、日本のそれとは異なるしゃれた骨壷が置いてあった。
残された父と娘は信頼の絆で結ばれて生活してゆくのだ。

画面はカラーになり、成長した娘が
車から降りて建物に入った父親を待っていた。
彼女は自動車教習所の教官をやりながら父親の仕事を手伝っていた。

父親は、とある事務所に入る。
そこには背中を向けて仕事をやっている男がいた。
「ちょっと待っていてください」。
すると、彼はピストルを取り出しその男に撃ち込む。
何事もなかったように建物から出てくる。
娘は車のエンジンをふかして彼を待っていた。
そして、彼を乗せてこれまた何事もなかったように走り去る。

父親は殺し屋で、
娘は父の仕事のよき助手だった。

老境に達した彼は、娘の幸せな結婚を望んでいる。
なんせ、母親亡き後2人で肩寄せあって生きてきたのだ。

あるとき、依頼されたターゲットを仕損じる。
ビルの屋上から狙撃銃で狙うのだが、ターゲットがかすんで焦点が合わない。
銃をその場に置いたまま待たせた娘の車で逃げ帰る。
娘には失敗した理由を語らない。

娘に内緒で病院に行くと脳腫瘍が進行しており余命幾何もないことを悟る。

依頼人は別のヒットマンを雇い、暗殺に失敗した彼を殺しにかかる。
或る夜、その殺し屋が現れたが老練な彼は返り討ちにする。
キャリア10年のその男は胸に2発撃ち込まれていたが
防弾チョッキを着ていたので命は助かる。

老ヒットマンは命を助け、彼と取引をする。
彼とともに依頼人を探り彼を殺そう、というのだ。



屋上でターゲットに照準を合わせているというのに、
車で待つ娘とボーイフレンドのことで無線装置で話したりする。
禁煙は世界の潮流だというのにマルボロにジッポーで火をつける。
自分を殺しに来たヒットマンに離れたターゲットの照準の合わせ方を教える。
病院の女医さんに淡い心を抱く。

職業は殺し屋だが、風采の上がらない普通の男なのだ。

最後、彼は意外な死に方を選ぶのだが…

ハリウッド映画と違い画面は地味で制作費もかかっていない。
人間関係も複雑でもない。
やってることは残虐だが、ほのぼのとした映画なのだ。

2007年制作、劇場未公開。


6月19日(金曜日)
●覗くのか見るのか
オリンパスE−P1という
新しい機構のコンパクトカメラがデビューする。

もともとオリンパスはフォーサーズという
新機構の技術を開発し自社のデジタル一眼に搭載していた。
それを小型化したのがマイクロフォーサーズ。
パナソニックがマイクロフォーサーズを取り入れたデジタル一眼を発売した。
本家のオリンパスがコンパクトタイプに採用したというわけだ。

「ミラー跳ね上げ」装置や「ペンタプリズム」がないので
カメラ本体を小型・薄型化できるというのが最大の特徴。
コンパクトタイプでも、同じ規格の交換レンズが利用できるし、
マウンターを使えば、フォーサーズや35mm一眼レフ用ズイコーレンズが使えるという
オリンパスカメラファンの心をそそる仕組みになっている。

E−P1の構え方は、他のコンパクトタイプと同じだ。
ファインダーが外されているので被写体の確認は液晶モニターのみ。
少し長めの交換レンズを装着すれば、レンズに左手を添えるので
ホールディングは良好になる。
しかし、液晶を見ながら被写体を追わなくてはならないのでカメラを顔から少し離す。
すると、腕が開くのでシャッターを押す瞬間手ブレが発生。
最近のカメラはほとんど手ブレ防止機構がついているから、
以前に比べ改善されてはいるものの、光量不足の場所では不安が残る。
EP−1はフラッシュも省かれているのだ。

一眼レフとコンパクトタイプは、
獲物を狙うように撮るか、気軽にシャッターを押すかの違いだと思う。
昔、一眼レフからコンパクトに乗り換えたのは、「重い」「かさばる」だった。
カメラがデジタル化されてもこれらの動機は変わらない。

従って、E−P1は面白いカメラだが、
コンパクトタイプにズームレンズをつけて重くすることはない。
しかも、顔からカメラを離すという不安定な構え方。
風景やポートレートにはいいかもしれないが、スナップには向いていない。

昔のコンパクトカメラは、フィルムを内蔵するための厚さを必要とした。
それが、ホールディングのよさを生んでいた。
ところが、コンパクトデジタルは小型薄型化が進み、携帯にはいいが構えにくい。
操作ボタン類が右側にあるので、
シャッターを押そうとすると親指がボタンに触れ設定画面が表示されてしまうことがある。
このため、左手でカメラを固定し、右手親指は浮かし気味にして、
人差し指に神経を使うというスタイルに変わった。

重いデジタル一眼は、右側にホールド用のごついグリップがあるので、カメラの安定感は抜群。
多機能なので、親指には新しい役目が与えられる。
うれしいのは、フィルム時代からのシャッター音が再現されていることとタイムラグの短さだ。
撮れればいいというのではなく、メカを扱っているという気分にさせてくれる。

カメラをグィと顔に引き寄せ、ペンタプリズムを通して映し出される小世界に神経を集中させる。
ライブビューもあるがデジタル一眼レフには邪道である。
ローアングルが欲しければ匍匐前進スタイルになればいいし、
ハイアングルを狙うなら足場を探す。
足場がなければ両手を挙げて「目くら撮り」を何回か繰り返せばいい。

PENTAX K−7は先も書いたが「男っぽい」顔つきが気になる。
さらに、細かいことだが、モードダイヤルの真ん中にロックボタンが付いている。
カメラ好きを泣かせる。


6月18日(木曜日)
●新鮮野菜
ゴールデンウィーク少し前に植えた野菜たちが
わずかだが食卓に顔を出すようになった。

窓辺のポット育ちのキュウリが一番早く、すでに毎朝収穫。
いずれ緑のカーテンになり、窓を開けて必要な分だけとる、
というのが今年の目標だったが、窓より低い位置に実をつけるので
外から回り込まなくてはならない。

4株のナスは文字通り「ナス紺」の葉が茂り、各苗とも紺紫の花の群れとなっている。
Lサイズが欲しければスーパーで買えばいいので、我が家では早取り。
割烹料理のような上品な姿で食卓を飾る。

3株のピーマンは育成がゆっくりしているが、
盛夏には立派に枝をはり、例年10月末くらいまで実をつける。
まだ白い花の数は少ない。
小さな実はサラダ素材として生で食べても柔らかい。
今年はパプリカを2株植えたが、こちらは花もつけていない。

トマトは時間差で収穫できるよう、2本、また2本、合計15株の集団となった。
今年はモモタロウと(大粒の)ミニトマト。
発育のいいミニトマトはすでに前の杉に営巣したカラスの攻撃を受けた。
いま、カラスと人間が先を争って朝の収穫をしている。
早めにガードをしないと、本命のモモちゃんに被害が及ぶ。

このほか、青じそ、にら、ねぎがほんの少々。
かぼちゃは1つだけ順調に育っている。

5〜6年目のブルーベリーはもう食べごろ。
毎朝、新聞を取りに行くついでにそのまま口にしている。

近くに地元野菜の直売所があるが、
朝、必要なだけ収穫する新鮮さにはかなわないだろね。
これだから野菜作りはやめられない。


6月17日(水曜日)
●党首討論
第2回目の党首討論が開催された。
人気凋落の「ちょい悪おやじ」と万年青年の主張。
青年の直球勝負に比べ、ちょい悪は相変わらずはぐらかすような口調。

終了後、自民党、民主党幹部たちは、うちの方が「上出来」と自画自賛。

日本郵政の西山社長の首をすげかえるという青年発言に、
ガマ蛙・中川は「改革に逆行するようなもの」と。
自民党幹部が体制維持に汲々とする間抜けな発言。

不手際の多い経営不適格者をクビにしたから改革がストップするというものではあるまい。
政府に庇護されるぬるま湯体質の金融出身者よりましな経営者はぎょうさんおまっせ。


6月16日(火曜日)
●新機軸
デジタル一眼レフも草食系男子のようなデザインが蔓延する中、
野武士のようなPENTAX K−7が6月27日登場とアナウンスされた。
その告知がなされたのと同じ日
オリンパスが新しいコンパクトタイプのデジカメを発表。
以前から注目されていたマイクロ・フォーサーズ機。
レンズ交換ができるコンパクトデジカメだ。

フォーサーズ機構はオリンパスが提唱し現時点でパナソニックが賛同している。
パナは、さらに小型化したマイクロフォーサーズ機を先行投入した。
筐体をカラー化して、女性層の開拓を始めている。

Nikon、CANONは35mm一眼レフ以来の「ミラー跳ね上げ」機構を採用しているが
フォーサーズにはこれがない。このため「デジタル一眼レフ」ではなくデジタル一眼」と呼んでいる。

オリンパスが商品化した「E−P1]というコンパクトタイプは
外観はフィルムカメラを髣髴とさせるレトロなデザイン。
名機「オリンパスPen」で名を馳せたメーカーのデジタル時代の後継機種という位置づけのようだ。
オリンパスのズイコーレンズやパナの交換レンズが使える。
だが、ワイド系ならともかく望遠系を装着したらバランスが悪そうな気がする。


※久々にヒット商品になるか 正面は昔のテイストをまんま出している。が、レンジファインダーがない


※広角レンズ装着時はファインダーがつく。 望遠系ズームレンズに交換。これが画期的。


※開発時にアナウンスされたモックアップ。チープだ。(左)
 右は往年の話題作オリンパスPen F(右)と並んだEP−1

カメラ業界はデジタル化してから
コニカ、ミノルタ、CONTAX、京セラといったカメラメーカーが次々と姿を消した。
最近になってYashikaという懐かしい名前が静に復活したが…
パソコンメーカーの東芝、NEC、Appleなどは早々に撤退。
富士通はカメラに見向きもしない。三洋はOEM。
戦後、二眼レフで話題をさらったリコーは事務機器に転身したが高級コンパクト機で存在感を示している。

ミノルタの「α」を引き継いだSONYと
市場が安定してから後発参入し、のしあがってゆくのが常道の旧ナショナル。

専業メーカーと家電系がデジタルカメラ市場を牽引しているが、
開発競争は短期化し、かかる費用は膨大。
持ちこたえられる企業はおのずから限られてくる。


6月15日(月曜日)
●市長31歳
千葉市長選で31歳と言う日本で一番若い市長が誕生した。
NTTコミュニケーション社員から市議へ。
初当選2年目にして市長に転進。
とんとん拍子に地方政界の階段を駆け上った。

前市長が収賄事件で失職、今回の選挙となった。
立候補したのは3人。
自公推薦の前副市長林氏。民主推薦新人熊谷氏。無所属結城氏。
投票率は43.5%(前回37.2%)と相変わらず低かったが、
170,629 熊谷俊人氏
117,560 林孝二郎氏
30,933 結城房江氏
という結果になった。

さいたま市、名古屋市で民主党首長の誕生で自公は満を持して林氏を推薦したが、
不祥事を起こした前市長の「後継者」というイメージがぬぐい切れなかった、という。

千葉県は知事に「青春ひとすじ」の「若い」森田健作氏が就任。
今回、政令指定都市の千葉市に31歳「本当に若い」市長が誕生。

熊谷氏は、自分の親父のような幹部職員の上で行政を担当するわけだから、
すんなりゆけばいいが、抵抗に遭うことも想定される。
東国原知事のように議会で先制攻撃を仕掛けるのか、演説で終わるのか。
デビュー戦のインパクトでその後の展開も違ってくるだろう。
政治経験の少ない彼を支持したのは「変革」を望む多くの無党派層なのだから、
彼等の期待に応えなくては、単に「若さ」を武器にしたに過ぎないことになる。
立候補までの勢いより、
当選してからの「勢い持続」のほうがもっとエネルギーを要するものだから。



埼玉県東部では、加須市の市長選が行われ、
1市3町の合併を進める現職大橋氏が、
合併に慎重な前市議会議長の岩井道雄氏を破り再選された。
大橋氏は自公国民新推薦、岩井氏は無所属。
首都圏から奥まった地域は、いまだ保守勢力が幅を利かす。
もっとも、保守政権の国策に沿って合併推進という「革新」に取り組む首長だから、
バイメタルというかハイブリッドといおうか、
その柔軟な姿勢が評価されたのかもしれない。

7月は、お隣杉戸町で、10月はわが宮代町、春日部市の首長選。
はたして流れは…


6月14日(日曜日)
●かぼちゃ
狭い菜園につるが伸び過ぎ収拾がつかなくなるので
数年前から作るのをやめていた。
ことし、間違って1株購入してしまった。
トマトの脇に植えつけ、1株に3個なれば上出来という近所のプロの話を思い出し
2つ受粉に成功したので、これ以上伸びないよう先端を切った。
しかし、1個はその後しなびてしまった。
残った1個がすくすく育っている。
毎日見ているのだが、わずかながら大きくなっている。
この調子でいくとどこまで大きくなるのだろう。
発育しすぎると味が落ちそうなので、ちょっと心配。


6月13日(土曜日)
●デジタル一眼
携帯電話内蔵のカメラも日進月歩で1Mピクセル級も登場している。
とはいえ、きっちり写すならデジタルカメラということで、
バッグに携帯電話、デジタルプレーヤー、デジタルカメラを入れて歩く人は多い。

コンパクトデジタルの機能競争は行き着くところまできてしまった。
最近は小型・薄型化、水中機能付加、落下性能強化など画質以外のところで目新しさを出している。

先日、コスプレ帰りの女の子たちが、
コンパクトタイプの上をゆくデジタル一眼で自分たちの「晴れ姿」を撮影していたのに驚いた。

行楽地に行くと高価そうなデジタル一眼を胸にぶるさげた年金世代をよく見かける。
一眼レフは男性嗜好、と思っていたが
金もヒマもあるばあちゃんたちもデジタル一眼族だ。

さらに、最近は「鉄女」「歴女」といって、
これまた男性の趣味と思われていた「鉄道」「日本史」分野に若い女性が進出しているという。
彼女等もまた、デジタル一眼候補生になる。

カメラ業界は、コンパクトタイプ市場が飽和気味なので
コンパクトユーザーを一眼へ移行させようという戦略を打ち出している。

CANONはコンパクトタイプに、IXY、PowerShotという2ブランドがあるが、
以前からEOSKissという小型デジタル一眼があって、
独身女性ではなく家族写真撮りをするママ用というスタンスで発売していた。
その後、Panasonicが「一眼遊ばせ」と、フォーサーズ仕様の小型一眼を発売。
これまでボディカラーが「ブラック」一辺倒の「デジ一」市場にカラフル路線で参入した。

現在日本メーカーでデジタル一眼を発売しているのは、
CANON、Nikon、OLIMPUS、SONY、PENTAX、
Panasonic、SIGMA、Fujiだが、
カラーバリエーションを売りにしているのはPanaだけ。
あとは、女性の手になじむ「小型化」で対応している。

SONYはミノルタの技術を引き継いだ「α」で勝負する。
フォーサーズ仕様を提唱するOLIMPUSは、さらに小型化したマイクロフォーサーズで、
レンズ交換できるコンパクトカメラを開発して新しい市場形成を狙っている。
これが定着すれば面白いのだが、他メーカーで追従するのは今のところPanaだけ。
CANON、Nikonの2大ブランドが参入すれば活性化するのだろうが、
今のところそういうニュースは聞こえてこない。

目が離せないのがPENTAXだ。
HOYAとの合併でごたついていたが一件落着。
旭光学は2大ブランドに隠れているが、カメラ業界の名門である。
1952年日本初の一眼レフ「アサヒフレックス」を商品化したのがこの会社。
現在のようなファインダーではなく、2眼レフのように上から覗くタイプだった。

「アサペン」の旭光学はHOYA株式会社PENTAXイメージング事業部として存続している。
合併前からデジタル一眼を発売していた。
「小型高性能」が売りだったが、安っぽいつくりで興味がわかなかった。

目がNikon、CANONに向いている間にPENTAXが進化していた。
昨年、K20Dという機種が発売されてから、本気度がうかがえるようになってきた。
だが顔つき、ボタン配置など仔細に検討するとオリジナリティに欠け、
先行メーカーのいいところ取りのようで、まだ魅力に欠けていた。
ところが、今月下旬に発売予定のK−7は、雰囲気が変わっていた。


※K−7ラインがシャープ

※K-20D現行機種丸みが多い

一般的にデジタル一眼は角のとれたまるっこいデザインになっている。
PENTAXK−7は、そういう「甘さ」を排除した野武士のような仕上がり。
洗練されたラインながら銀塩35mmカメラのイメージも持たせている。
ボディにマグネシウム合金を使用し堅牢性も向上。
液晶モニターはバリアングルではないがライブビュー。
流行の動画もできる。
ショートズーム付のキット価格で15万以内という予想。
この剛性、性能を備えたNikon、CANON機は20万以上になるだろう。
発売は今月下旬という。
実機との対面が待ち遠しい。

6月12日(金曜日)
●実籾
確か京成の駅。
これを「みもみ」と読める人はそこに住む人と周辺地域の人だけだろう。
TBSラジオの番組に携帯電話ソフトバンクのコマソンを作った「さだまさし」がゲストで出演していた。
その歌の中に「実籾」の名が出てくる。
読めない地名と知名度のなさを嘆いていた住民は
降ってわいたような「事件」に欣喜雀躍。
「鷲宮」が漫画のおかげで一躍全国区の名前になったようなものだ。
しかし、鷲宮は「ら☆きすた」とかいうコアな層から広がっていったのに対し
「実籾」は携帯電話という万人向けのコマーシャルと、
年代を超えてファンのいる「さだ」の歌ということもあって、
全国津々浦々にその名は知れわたる。

「さだまさし」の曲だが、よく計算されており、
はじめは、なんでこういう歌詞なのと思ったし、コマーシャルベースの歌とは夢にも考えなかった。
最後は「犬になりたい」で終わる。
それが、CMで数々の賞をとった、ホワイト家のおと〜さんの「犬」だった。
最新CMは、超大型・犬のストラップのミニドラマ。
声の北大路欣也も、面白がって「犬」になっているのだろう。

●パンデミック
嵐のような新型インフルエンザ騒動だった。
風邪をひいているわけでもないのに、街中はマスク姿であふれ「熱」に浮かされていた。
最近は電車内、繁華街で見ることも少なくなった。

ところが、世界保健機関(WHO)は11日、
新型の豚インフルエンザの警戒レベルを現行のフェーズ5から、
世界的大流行(パンデミック)を意味する最高度のフェーズ6に上げることを宣言した。

これからが本番なのだ。
特に、冬を迎える南半球では要注意。

わが国では散発的に感染者の報道があるが、
一時期に比べれば報道熱は沈静化。

先ほど桝添大臣が、警戒はするが以前のような過剰防備体制はとらない旨をコメント。

帰宅時のうがい、手洗い励行、
体力維持のための栄養摂取、十分な睡眠
マスクメーカーには申し訳ないが普段どおりの生活をしていればいい。

マスヒステリー状態にならないことだ。

6月11日(木曜日)

●仮面の下
足利事件の冤罪に取り組んだ佐藤氏を「立派な」弁護士、と持ち上げたら
週刊新潮の広告見出しに「正義の弁護士に懲戒請求」という見出しが踊った。
出資法違反で告訴された会社から巨額の報酬を得ていた。
さらに、この半月の間に「暴行」「暴言」で2件の懲戒請求が申し立てられている、という。

時の人の仮面を剥ぐ、センセーショナルなタイトル。
週刊誌お得意のアプローチだが、
事実であれば、「片手にナイフ、もう一方の手に六法」をもち
非合法と合法を巧みに往き来するジキルとハイドのような人物像が浮かび上がる。

もっとも、こういう手合いは珍しいことではない。
弁護士つ〜のは、正義づらした悲しい商売なのだ。

6月10日(水曜日)

●移民3世
年寄りが増えるが子供は生まれない。
このままゆくと日本の労働力は外国人に依存するようになる。
ということはわかっていても、国の対応策は心もとない。

昨年、日本移民100年を迎えたブラジルだが、
その3〜4世が日本に出稼ぎに来ている。
ところが未曾有の不景気で多くが職を失った。
失望・落胆し帰国する人々もいたが
資金不足、日本で家を購入したなどの理由で残留組も多い。
こういう方々の子弟は日本の義務教育の枠外らしく、
教育費も底をつき学校を去ってゆくという。
当然、今もって家族は不安な日々を送っている。

100年前の1世は多くの困難に直面しながら大地に根をおろそうと血の汗を流し
貧困の中で子供たちには高度な教育を受けさせ
今ではブラジル国家の中枢で重職を担う人たちもいる。
もちろん、脱落した人たちも大勢いる。

彼らの子孫が希望を見出そうと日本にやってきた。
日本からすれば、逆移民1世のようだが、彼らは季節労働者扱いで移民ではない。
土地を開墾、耕作すればやがては未来が開けるという細い光が見出せた1世に比べ、
その子孫はいくら努力してもそんな保証はなにもない。

このまま日本の底辺に沈み込んだままだと、
子供たちは非行、犯罪の温床になりかねない。

日本政府は、日本人を受け入れてくれた
ブラジル政府の100前の「恩に報いる」べきときではないか。
「忘恩」ほどいやしい心根はない。

6月9日(火曜日)

●バトル
はたから見ていると、場外乱闘の様相を呈してきた。
西田敏行に似てきた「弟鳩」と、老醜をさらけ出し社長の椅子に固執するエリートの死闘である。

「かんぽの宿」の2足3文の叩き売りに怒り、
丸の内の中央郵便局の立替工事に噛み付き、
弟鳩は「日本郵政」を目の敵にしているように攻撃の手をゆるめない。
そんな中、身体障害者向けの安い郵便制度を悪用したことも発覚。
「弟鳩」は、まだこちらには言及していないが、
西川日本郵政社長が、社長の椅子に居座り続けようとすれば、こちらもも攻撃対象になるだろう。

小泉前首相時代の目玉、郵政民営化後のTOPに
小泉氏が三顧の礼を尽くして招いた方だから、そうやすやす首は切れない、のだそうだ。

西川善文氏は「最後のバンカー」と称される人物らしい。
住友銀行、三井住友銀行元頭取。三井住友フィナンシャルグループ元社長。
元全国銀行協会会長、第2代日本郵政公社総裁。初代日本郵政代表取締役社長。
ぬわ〜るほど、華麗すぎる経歴だ。

だがね、銀行は国の後ろ盾のある企業だから、トヨタ、パナソニック、SONYといった
民間企業の社長とは、ちょいわけが違う。
一般民間企業は生き残りをかけて人員整理、生産調整、賃金カットなど厳しい方針を打ち出すが、
銀行が大量人員整理を行ったという話は聞かない。

世間体をはばかってか給与体系は外部に公表されないが、
不景気だと言うのに、銀行関係者は相変わらず高級をキープしているのではあるまいか。
油断すれば山一證券のように姿を消す金融企業もあるが、
メガ・バンクになれば、経営が傾いても日本経済に及ぼす影響を考えて
国が手助けしてくれる。(アメリカもそうだった)。

そもそも銀行なんつ〜のは、他人のふんどしで商売をしているようなものだ。
預金者はひ〜こらしているつ〜のに、銀行は必要なときに貸してくれない。
中小企業はみんな泣かされておるよ。

こういう性格と体質の銀行のTOPが、民営化された企業にスライドしてきたからといって
新生巨大組織を上手にコントロールできるわけがない。

その結果、「かんぽの宿」の超安値売却という国民の神経を逆撫でするような蛮行、愚考を
しゃら〜〜っと行うことができる。
超エリートの西川老人に庶民感覚など理解できるわけがない。
役人感覚であり、体質なのだろう。

「最後のバンカー」と言われているのだから、
早々に引退してゴルフ三昧の生活を送るがよろし。
それで、グリーンに乗せる前の「最後のバンカー」を心行くまでお楽しみあれ。

6月8日(月曜日)

●自由
お鮨を食べました、カラオケやりました…
無期懲役が一転、自由の身になった菅谷さんの記事が連日写真入りで報道されている。
喋り方や表情から明るく親しみやすい人柄のように見える。

今日は秋葉原無差別殺人事件から1年。
その間に数多くの悲惨、陰惨事件が多発している。
17年前に4歳女児が誘拐・殺害された「足利事件」は完全に忘却のかなたに消えていた。
その犯人と目され千葉刑務所で無期懲役という絶望的な日々を送っていた
菅谷氏は、当時の決め手であったDNA鑑定の信頼性が、
現在とは比べ物にならないほど低かったこともあって、今回の刑執行停止という措置がとられた。

ところで、DNA鑑定に出されたのは菅谷さんの「体液」ということだが、
「体液」とは一体何を指すのか。
幼児の衣服や肌に残された毛髪や爪は体液ではないからね。
するて〜と、唾液、鼻水、血痕…
人のよさそうな菅谷さんからは想像したくないが「精液」だったのだろうか。
もし、彼が日頃から幼女趣味つ〜のがあって、周囲がその性向を認識していたら
限りなくクロという判断もあったろうが。

「誘拐・殺人事件」という報道だが、DNA鑑定は体液の種類によっては「いたずら目的の性犯罪」になる。
4歳の幼女に興味を示すという感覚はまるでわからないが、
昔なら、単純に「かわい〜〜〜い」ということでみも知らぬ人が頭をなでるという行為はあったろう。
最近、そんなことをしたらすぐ通報されてしまう。
それほど、世間は不信感、疑心暗鬼に満ちている。

菅谷さんは、逮捕された当日に「やりました」と言ったということだ。
警察の13時間にわたる過酷な取調べに「落ちた」。
拷問はないが暴力まがいの取調べはあったようだ。
テレビでは「肩をこずいたり、足を蹴飛ばされた」と言っていた。
しぶとい奴なら耐えられたかも知れない。

彼は性質をこう自己分析している。
「小さい頃から、人からものを言われると何も言えなくなってしまう。
相手の機嫌を損ねることが嫌い」
担当弁護士の佐藤氏は
「捜査官に納得してもらわないといけないと、迎合的に考える傾向がある」と観察する。

殺風景な取調室で刑事が入れ替わり立代わり当時の状況を詰問されたら
気弱な人は不安の極限状態に陥り、刑事の期待する「回答」を行ってしまうだろう。

素人が参加する裁判員制度は、被疑者をあらゆる面から観察し判断しなければならない。
人当たりがよく善人そうだから「シロ」というわけにはゆかないのだ。
殺人事件を担当することになったら責任重大だね。

17年間無実の罪で刑務所に入っていた菅谷さんに、国から補償金が入るが
その間の人生は帰ってこないし、現在は経済状況も逼迫している。
それが一番つらいところだろう。
菅谷氏は出所後、自由を満喫しているが、
その費用は弁護士が負担している。

これから菅谷さんはどのように暮らしてゆくのか、まだ未定だが、
できれば地元の足利市に戻りたいようだ。
彼の町は暖かく受け入れてくれるだろうか。
殺された幼女の親族もおなじ地域に住んでいるのだろう。
無罪となっても、真犯人は見つからないし、事件は時効となっている。

菅谷さんの弁護をした佐藤氏は、裁判費用1000万円以上を自腹を切っているという。
弁護士にもいろいろなタイプがいる。
依頼があれば瑣末な事案でもダボハゼのように食いつき小金をせしめようとする。
こういうセコイ奴は、佐藤氏の爪のアカでも煎じて飲むべし。

6月7日(日曜日)
●アナログマ
昭和28年に始まったテレビ放送だが、2011年7月24日に電波の発射方式が変わる。
従来の受像機では視聴できなくなるので、地デジ対応テレビに買い換えなくてはならない。
とはいうものの、簡単に変えない方もいる。
そういう方々にはアナログテレビに取り付ける低価格チューナーを発売している。
2年後に迫ったXデーに政府は新受像機の普及にやっきだが、予定したほど進展していない。

浸透させるため、テレビコマーシャルのキャラクターに草g君を起用していたが、
あの、深夜の泥酔全裸事件を引き起こし降板させられた。
代わって登場したのが「チデジカ」=「地デジ化」という鹿のキャラ。
人間はスキャンダルを引き起こす危険があるという判断だろう。

ダイハツの車も「シカ」のキャラを使い「カクカク・シカジカ」などと言っていた。
最近は、安易な「語呂合わせ」が流行っている。

ネットワーク上に「チデジカ」に対抗する「アナログマ」というキャラが登場し話題になっている。
地デジ移行に反対するわけではなく消えゆくものへの哀惜を、しゃれで表現した模様。
「2ちゃん」でおなじみ、ASCIIアートで作成されており、
巧みな「筆さばき(?)」で、それなりのインパクトはある。

6月5日(土曜日)

●大盛況
昼過ぎコミュニティセンター「進修館」脇を通って驚いた。
起伏のある芝生広場は異形の集団で埋め尽くされていた。
その数100名以上ではなかったか。

進修館はいつの頃からかコスプレ愛好家のメッカとなっていた。
彼らのコスチュームを引き立てるユニークな建物が評判を呼んでいる。
遮蔽物がないので、通行人から丸見えというのが少し気になるらしい。

土曜日の昼前は東武動物公園駅西口に向かう長い跨線橋を小型の旅行バックを引っ張って
会場に向かう若い女性の集団を見かけることが多い。
バッグの中にはお手製のコスチュームが詰め込まれているのだろうが、
彼女らのファッション自体も進んでおります。

夕方、東口のドトールで帰宅途中の4人の女の子がお茶を飲んでいた。
デジカメで撮影した姿をお互いに見せ合っていた。
2人が持っていたのが、デジタル一眼。
1人は大きさからNikonD60でズームレンズがついていた。
この年頃の女の子はコンパクトデジカメ派が多いのだが、
本格的な一眼で「艶姿」を収めようというのだから、恐れ入りました。

●タイムラグ
杉戸町の合併の是非を問う住民投票前、反対派の拠点は元パチンコ店だった。
合併反対の結果が出たあとビラは撤去され、再びガランとした空間に戻っていた。

が、今度は「町長をかえよう」という横幕が掲出されていた。
推進団体は「杉戸町をよくする会」。
次なる運動がプログラムされていたのだろうが、
肝心の町長は昨日辞表を提出していた。
先手を打たれた。

主流派となった反対派が振り上げたシュプレヒコールのこぶしは、
空しく宙に浮いたままという図である。

6月5日(金曜日)

●辞職
杉戸町長野口勝久氏が、杉戸町議会上原議長へ退職の申し出を行った。
いまだ入院加療中なので病院からなのだろう。
法定退職日は6月25日で、倉持福町長が職務を引き継ぐ。
選挙は7月下旬に行われる模様。

平成19年、春日部市との合併を公約に5期目を狙った前職を破り当選したが、
茨の道が待っていた。
当選後間もなく体調を崩し入院。
その間に合併の是非を問う住民投票実施が可決され、退院後町議選と同時に行われた。
結果は、合併×と出た。

隣りの宮代町では合併の是非を問う住民投票が実施され、
春日部方向の合併推進が過半数を占めたが、その後遅々として進展しなかった。
住民運動の高まりにより、推進請願が行われ議会通過した。
これを受け、宮代町長は杉戸・春日部に合併意思の表明を行った。

沈静化していた杉戸の合併推進住民運動に火がついたが、
住民、議会とも賛成・反対が紛糾し混乱。
当初、住民意向調査を行うとしていた野口町長は、混乱を収拾するため急遽、住民投票に切り替えた、
両派とも住民に対し宣伝戦を繰り広げ、5月に投票日を迎えたが、
結果は再び合併×という結果が出た。
野口町長は再び体調を崩し、入院中のベッドの上でこのニュースを聞いた。

合併反対派からは、町民・議会を混乱させたとしてリコールの声があがっていた。
退院して再び執務に耐えられるのか…
リコールで辞任に追い込まれるより、辞表を出すという選択をした。
就任2年間で2回も合併拒否をくらっては、自身のの公約は否定されたと同じこと。
すでに、公用車復活、副町長設置という公約違反を犯している。
しかも、健康状態は良好でなく2年に2回も入院。
必然的に導き出された結果なのだろう。



しかし、不思議なのは合併を公約に立候補した方を首長に選んだのに、
いざ前進させようとすると、よってたかってつぶしにかかる。
住民、議会の屈折した心理なのだろうか。
満身創痍で辞職する町長に同情を禁じ得ない。

辞職する野口氏のコメントが町のホームページに掲載されている。
その、最後は
「時代の変化の中、合併は今後も大きな課題であります。
将来は、魅力あるまちを実現できる若い人に夢を託したいと思います。」

しがらみに満ちた旧態然とした町政に逆戻りすることを危惧している。

7月杉戸町長選、8月衆院選、10月春日部市長選、宮代町長選…
梅雨入りと同時に埼玉県東部地区は熱を帯び始める。

6月4日(木曜日)

●箱物
7月2日は石原裕次郎の23回忌。
鉄壁の団結力を誇る石原プロモーション・軍団の面々が供養のための大イベントを企画している。
ぬわんと、国立競技場に菩提寺である鶴見総持寺のお寺の一部を再現する。
当日は総持寺から数多くのお坊さんに「出張」していただき読経を行う。
前回、鶴見で行った法要は大混雑、お寺や地域に迷惑をかけたので
今回の企画となったようだ。
さらに5万名に豪華記念品までプレゼントしちゃう。

裕次郎亡き後、渡哲也が軍団を率いる。
脇を固める館ひろし、神田正輝の中年組。
若手は裕次郎2世の呼び声高い徳重聡だが、ぱっとしない。
ほかにも何人かの「野郎共」がいるのだが名前も顔も知らない。
つまり4人の男衆で裕次郎の栄光を守っているのだ。

石原プロモーションの有名なテレビシリーズは「大都会」「西部警察」だが、
派手なアクション、カーチェイスといったハリウッドばりの
警察ものは最近ではすっかり流行らない。
予算の関係もあるのだろうが、犯人を地味に追い詰めてゆく刑事物、
科研のようなコアな部署を描くものなど、人間ドラマにウェイトが置かれている。

演技の素人っぽさを派手なアクションでカバーするのが得意な男の集団は
次第に出番が少なくなってきた。
渡はドラマ、神田は司会でやりくりしているが。

そんな彼等に親分裕次郎の存在はあまりにも大きい。

彼の名声を後ろ盾に、世間の耳目を再び集め一気に浮上しようと考えたのかどうか
わからんが、男集団らしいド派手なイベントを考えたものだ。
1日だけの供養という名のお祭りに掛かる費用は「億」の単位。

男っぽくて、いいとこのボンボンっぽくて、不良っぽくて、素人っぽくて
着る物、乗るもの派手派手だった。
60年代はそれがかっこよかった。
裕次郎カットと称するヘアスタイルを真似た芸能人、歌手も大勢いた。
晩年は「南神介(?)」に間違えられるくらい中年太り体形になってしまったゆ〜ちゃん。

そういう彼だから、あちらの世界から可愛い子分たちのやることを目を細めてみているのかな。
あるいは、無駄な「箱物」などに会社の貴重な金を使わず、
もっと違う側面からアプローチして欲しかったと思っているのかな。

ハードからソフトへ…の時代だというのに、
車と車をぶつけて炎上させるというハードだのみの演出が得意な集団だから、
彼等への需要が低迷するのだということに気がついていない。
自治体だって無用の箱物は批判されるつ〜のに。

6月3日(水曜日)
●引退
宮代町長が昨日の町議会で、「5期目を目指すことは考えていない」と述べ、事実上の引退を表明した。
在任16年といえば、私が当地に居を移す1年前。
山崎地区は不便な場所ゆえ、自然があまりあるほど残っていた。
現在の緑のトラスト地域あたりは夏になれば「ほたる」が飛び交い、蝉しぐれも半端ではなかった。
周囲には家も少なく別荘地のようで「宮代の奥座敷」との呼称もむべなるかな。
やがて、町側から「新しい村」構想への理解を求める集会が山崎集会所で開催された。
環境を保全しながら「農のある町づくり」を前進させようというのだ。
1本の道が開通し山崎は駅に出るのも比較的便利になった。
春先に土地の人たちがセリ摘みをする田圃が芝生広場や駐車場に変わった。
土砂が積み上げられ小山になった所は、その起伏を利用して野菜の産直販売所になった。
金網で仕切られていた池はオープンな憩いの場に変わった。
市民農園も整備され野菜作りに汗を流す人たちの姿も増えた。
援農グループが後継者のいない農地の代理耕作をするようになった。

駅から比較的近い場所に、純農村地帯という百間・須賀両村の原風景を残しながら
賑わいのある広大な空間が誕生したのだ。
安倍前首相の掲げた「美しい日本」精神に合致するということで国からも表彰された。

これらは端的に目に見える現町長の功績である。

だが、他市町村と同じく少子高齢化に歯止めがかからない。
5年前の1市3町合併では宮代町民の賛同が得られず流産。
本年になり住民意向調査の結果を受けて
春日部市・杉戸町に「合併を再考しませんか」と話を持ちかけたが
杉戸町の否決に遭い再び合併は失敗に終わった。

人口3万4000代、10年前と比べれば1000人減少している。
産業といえば農産物くらしか思い浮かばない小さな町は
これから自主運営の道を歩まなければならない。

出荷が順調な農家は潤ったのだろうが、彼等からの税収などたかが知れている。
昔は優良な納税層だった流入者たちも今は年金生活者で税収は期待ゼロ。
相変わらずの商工業不振。
明るい展望は見つからない。

「農のある町づくり」に力点を置いた結果、駅周辺の賑わいが大きく後退した。
西口商店はシャッターを閉じた店舗が増えるばかり。
夜の7時にはゴーストタウン状態。
飲み屋の赤提灯が辺境の地のノスタルジーを誘う。

10月25日には新しい町長が決まる。
豊かな自然ばかりではこの町は食ってゆけない。
何人立候補するか不明だが、彼等は従来通りの「公約」だけはやめていただきたい。
当選すれば、公約など日常業務の波間に沈んでゆく。
「マニフェスト」は一時期の流行のようで、国政には各党競って作成するが、
熱に浮かされた期間が過ぎれば、茶番のような国会討論で失笑を買うだけ。
日本語なら「政策綱領」だが、そんな言葉を使うのではなく、
「青年の誓い」ならぬ、「私の誓い」とでも言う内容を明記して欲しいものだ。
そして、当選の暁には役場の入口、各地区の集会所に掲出する。
さすれば、町民は町長の誓いが守られているかを常にチェックできる。

現町長は、合併に関し「私の思いを引き継いで実現してもらいたい。それが町にとってもいいのではないかと考えた」と述べたらしい。(これは新聞報道)

だが、相手あっての合併だ。
新町長には、何年先かわからないが、合併は機が熟するまで視野に入れず、
この町の未来展望のある運営に全力を投入していただきたいと願うばかり。

6月2日(火曜日)

●150年前
ペリーが黒船に乗って浦賀にやってきた翌年、再び日本の開港を求めて今度は一寒村に過ぎなかった横浜村に現われた。
ペリー側は宿場町だった神奈川(現在の東神奈川)上陸を希望したが、幕府はさまざまな理由をつけて小さな集落を指定したのだ。
結果、横浜で日米和親条約が結ばれ、徳川幕府は開国することになった。
4年後の1858年(安政5年)、米、蘭、露、英、仏と修好通商条約が結ばれ、翌年、横浜港が開港した。
このあたりは、佐々木譲さんの小説「黒船」に詳しい。

開港時の名残を残すのが「象の鼻地区」だ。
ペリー上陸地点は「開港資料館」前の広場あたり。

これを機に横浜は文明開化の地としておびただしい西欧文化が押し寄せた。
いま横浜は開港150年という節目を迎え、21世紀に向けてさらなる発展を遂げようとしている。
三菱重工跡地は「みなとみらい21」に姿を変え、新港埠頭界隈が整備されノスタルジックな「赤レンガ倉庫」が出現。
大桟橋も改修され豪華客船が停泊する観光名所になった。
荷役業務に使われていた「象の鼻」地区も整備が完了し、「ピア象の鼻」「象の鼻パーク」が本日グランドオープンした。

※象の鼻パークの一角に「ピア象の鼻」が誕生。
この日は、豪華クルーザーが終結していた。

きのう、きょうと開港記念イベントがこの界隈で開催されている。
MM21から山下公園までプロムナードが整備され美しい港湾都市を満喫できる。
14時頃は、空自のブルーインパルスが飛来し開港を祝った。
20時から臨港パークでレーザー花火大会。

※昼もいいが、夜景の美しさは絶品だ。

多くの観光船が打ち上げ場所を取り巻くように繰り出し、梅雨前のショーを楽しんだ。
臨港パーク前で打ち上げた花火を遊覧船に乗って撮影。
花火が終わったのが21時過ぎ。

※コンデジの感度を上げ手持ちで撮影。従ってこの程度の仕上がり。
 隣では若い兄ちゃんがデジ1で撮影していたが、フラッシュをたいて花火を撮るつ〜人も珍しい。

一斉にJR桜木町に人々が移動するのでホームにたどり着くまで30分以上。
いつもなら10分程度。
不夜城のような未来都市から2時間以上かけて闇の底に眠る小さな町に戻った。
あれは、幻だったか…


6月1日(月曜日)

●受け狙い
さいたま市市長選を制した民主党代表鳩山由紀夫氏が早速埼玉入りした。
熊谷、羽生、春日部、八潮で遊説したということだ。
新聞は、熊谷市で片手で田植え機のハンドルを握り、
もう一方の手で支援者に手を振る姿を写真入で掲載した。
だが、表情は死んでいる。
というよりは、車のハンドルとは勝手が違い緊張しているようだ。
視線は水田の向こうにいる人たちではなく、水田を見ている。

文京区音羽にある、じいちゃんの豪勢な音羽御殿育ちのぼんぼんに
一番似つかわしくないシチュエーションである。
最近、都会の子どもたちが田舎の田植え体験するのが流行りだが、それを思わせる。
小沢前代表が、銀座視察するのは似合わない。
それと同じである。

●3リットルの過ち
高千穂商科大の学生が、京王線永福町駅でとんでもない事件を引き起こした。
同じホームにいた女性の腕をつかんで線路に飛び込んだ。
2人とも命は助かったが女性が骨折した。
男は、渋谷で飲んだ後友達の家で再び飲んだ。
その量はビール、焼酎など3リットルだったという。
友達宅を出てからの意識がまるでなくなっていた。
なぜ、永福町にいたのか、なぜ線路に飛び込んだのか…
「周りの人がそう言うのなら、そうでしょう」と言っている。

学生も社会人も飲みすぎて意識を失う、ということは多々ある。

若い頃は尋常でない飲み方をしていた小生も
意識の空白つ〜のはよく経験していた。
ビールに始まり、日本酒、ウイスキーのチャンポンといのが常で、
今のように焼酎を飲むことはなかった。
どこをどう帰ったかわからないが、自宅の蒲団の中にいた…なんてことはよくあった。
だが、線路に飛び込もうと思ったことはない。
タクシー内でゲロ吐いて車内掃除をさせられたことはあったが。

小生の酒は大学時代のクラブのコンパに始まる。
それまで酒を飲んだことはなかったので、はじめは悪酔いの連続だった。
だが、社会に出れば飲む機会は増えるだろう。
酒の上での失敗は学生時代は許されても、
社会に出てから同じようなことをやったら致命傷。
大学生活は4年でおさらばだが、
就職したらことによったら定年までその組織で過ごさなくてはならない。
酒の失態の烙印を押されたら出世にも影響する。
学生時代にとことん訓練して余裕を持って社会に臨もう。
この予測は的中。
広告代理店はよく飲む組織だった。
飲まない連中もいたが、小生は飲むグループの一員になった。
退社後、会社近くのいつもの店で、先輩からいろいろな情報を得、学ぶことができた。
わずか3年でその会社を辞め
銀座1丁目から8丁目の会社に移籍した。
しかし相変わらず1丁目の店に顔を出し昔どおりに酒の付き合いは続いた。
8丁目から1丁目に移動しているうちに、
その間の2〜7丁目の裏通りの趣味のいい店を開拓することも忘れなかった。
お陰でなじみの店が増えてしまった。

すべて小さな店だったので、現在はほとんどの経営者はリタイヤ。
銀座はよその街になってしまった。

場数を踏んでも酔うときは酔う。
しかし、酔っ払いの理性というか、最悪の事態だけは避けてきた。
すれすれのことは、ないこともなかったが…

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