田舎三昧の生活と意見
  掲示板へどうぞ
=Contents=
1日定席に変化
  ドンロー教授の個展
2日春の主役登場
3日レジーナと桜
  宮代版権現堂もどき
  土筆発見
   野菜作り前哨戦
4日朝の地震
  4月の広報誌
  野菜づくりのバイブル
5日えのきどいちろう・さん
  熱気
  NHKアナの発音
6日深夜の朗読番組
7日鬼母
  ミミはおんぶと散歩好き
8日日が、のびた
  教師、続々逮捕
  庭の春
  日米青年の落差
  譲さん、懐かしい
9日季節の炊き込みご飯
10日国の選択は?
   竹も柳も風まかせ
11日情報交錯
   語るに落ちる
   政府の面目
   朗報、その後
   人質解放の報
   大模様替え
   デジタルデータの寿命
  珍しい写真
12日赤の壁
   大学教授の趣味
13日江里子さん出産
   大根、発芽
   イラクの人質
   麦畑
14日渡良瀬遊水地
   ミミの仕事
15日解放!
   予想通りの報道
   さわやかな朝
16日3人の今後
   イラクの混迷を
17日自己責任ということ
18日またまた新選組
   みやこわすれ咲く
   25年前のラジオ
19日平賀源内
  次々に初夏の準備
20日野草の天麩羅
   創刊雑誌2冊
21日午後の陽射し
   長野の奇才
   午後の陽射し
22日美しい夕暮れ
   Mac風Win
   元気の素
   もっこうばら咲く
   里山は生気に満ちて
23日水路に水が入る
   旅立ちの時
24日田に水入る
   ハイエナの如く
   銀座の老舗Bar
25日またまた新選組
   気味悪いSPY
   SPAM水際阻止
   藤
26日歌
   初夏の便り続々
27日春の嵐
   ネットワークの陥穽 
   蛙の棲家
28日怪しい雲行き
   ドジな大物
   反日分子
   サラリーマン川柳
   芹、ようこそ
29日天まで届け
30日ぞろぞろ年金未払い
   ミミ点滴
   あれから1ヶ月
   中村メイ子の声技


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■4月30日(金曜日)
●ぞろぞろ、年金未払い政治家
鳩山元民主党代表に続き、鴻池氏は自分のウェブサイトで表明。
偉いさんたちの国民年金に対する意識の低さが露呈されている。
素直に謝罪する奴もいれば、
「制度が複雑過ぎる」と、開き直るというか、他のせいにする往生際の悪いのもいる。
国民は、あんたがたが作ったルールに黙々と従っているというのに。
こんな連中が制度を作っているとは…
議員全員の状況を発表して欲しいですね。
●ミミ、点滴
昨日からミミの様子がおかしかった。
草を食べた後、もどす。犬も猫も胃袋の掃除をするためで普段ならどうってこともなかった。
しかし、昨日の吐瀉物は異常だった。
固形物はなく草と粘液。その中に血のようなものが混じっていた。
それから食欲不振。水も飲まない。
布団やリビングのカーペットで横になっていることが多かった。
彼女に異変が起きていることは確かだった。
今朝、トイレを見ても何も排泄していなかった。
食欲はまるでない。
擦り寄ってくることもない。顔を見て「ニャ〜」と鳴くこともない。
午後、かかりつけの動物病院に連れてゆく。
獣医さんは、状況を聞いた後、点滴をするので、午後7時頃迎えに来るようにとのこと。
マミのときのように、取り返しのつかない病気にかかっていなければよいが。
そればかり気になっていた。
少し早かったが6時半ころ迎えにゆく。
先生が血液検査の結果を説明してくれた。
血液中に何とか言う原虫がいたという。
体力が落ちたときに、それが活動をするというのだ。
現在のところそんなに深刻なものでないが
2〜3日様子を見て、食欲がなければ点滴を打ちに行けばよい。
家に戻ったマミは今朝よりは動くようになった。
リビングや私の仕事場を行ったり来たりしていたが、最後は私の膝の上に落ち着いた。
足に巻かれた点滴用のテープが気になるようだ。

点滴用テープを気にする写真を見る点滴用テープを巻いたミミ
●あれから1ヶ月
このWebのタイトルになっている写真とほぼ同じアングルの写真である。
桜は満開、柳は葉はまばらだった。
1ヶ月は植物の様相を大きく変える。
若々しい緑は大人のような濃いグリーンに変わり、生い茂っている。
これから夏に向かって緑はさらにたげだけしくなる。

●中村メイ子の超・艶声技
NHKの深夜便で彼女のラジオドラマをやっている。
今夜は関西が舞台の離婚して息子を失った婦人の物語。
空いた子供の部屋を下宿にしようかと思っている。
そこへ、とんでもないカップルが飛び込んでくる。

彼女は相当の歳になっているのだが、相変わらず声に艶があって歯切れがいい。
関西弁も上手い。
セリフとモノローグが交互にある。
セリフは関西弁、モノローグは標準語。
2階で初夜を過ごすことになったカップルの情景を思い浮かべ
初老の女が、自分の若い頃と比べて語るのだが
実に自然で巧みである。天才ですね。
原作は宮本輝の「夜桜」ということだった。

■4月29日(木曜日)
●天まで届け
昭和天皇の誕生日にして亡くなった義母の誕生日でもある。
義母は最期まで花が好きだった。
いま、わが家の庭は花盛り。
花屋で買って供えるより庭から摘んできて飾ったほうが喜ぶかな。

枝もたわわに、というのは果物向けの表現だが、今年の「もっこうばら」は「たわわ」である。
小さなアーチであるが、その下をくぐるとき花の重さも感じそうだ。

大きく開いた2輪のクレマチス。つぼみはまだまだある。

■4月28日(水曜日)
●怪しい雲行き
夕方、風が西に変わり肌に冷たく感じた。

西の空は明るいのだが頭上には、綿繰り棒にような雨雲が低く垂れ込めていた。
これが冷気の元凶か。
ジャンバーの衿を立てて、ジョンには悪いが、散歩を短時間で終わらせた。
●ドジな大物
またまた閣僚が国民年金を支払っていなかったことが発覚した。
福田官房長官、谷垣財務相、竹中経済財政・金融相、茂木沖縄・北方相の4閣僚。
さらに、民主党の菅代表も厚相在任中の10カ月間、未加入だった。(
「ルールが難しくて」と言い訳していた人もいたが、そういうルールを作って
国民に押し付けているのは、どなたさんでしょうか?
語るに落ちるとはこのこと。
若者に未加入者が多いというが、ふつーのお父さんたちは国の定めるところに従って
まじめに支払い続けていますよ。
議員たちの実態を調べ上げれば、もっと出てくるんではないでしょか。
彼らの年金は庶民と額が違うからね。
それに経済的優位者も多いでしょう。
だから、彼らにとって年金なんてどうでもいいのかも知れないね。
●反日分子
イラクで拘束された3人に対し、予算委員会で発言した柏村議員の「反日分子」が問題になっている。
この人、昔テレビの司会者で確か広島のほうで当選したんじゃなかったっけ。
久しぶりに見る氏は、いつの間にかでっぷりとし栄養が全身に行き届いている感じだ。
昔は細面で目がぎょろっとしていた、と思うのだが。
自衛隊派遣という国が決定した政策に公然と反対(これは、家族、支援団体の行動だが)、
国が渡航禁止勧告している国に出かけて、今回のような目にあった。
こうした、国の行いに反する行動をした人を、議員は「反日分子」よばわりをした。
朝のワイド番組に議員が登場し、コメンテーター、司会者から十字砲火を浴びた。
鳥越氏も、今回ばかりは舌鋒鋭く迫ったが、最後のほうは議員の発言を是認するような
トーンになってしまった。
だいたい「反日分子」とか「抗日分子」は
戦時中、大陸で占領国民に対して使った言葉ではなかったか?
これをイージーに同胞に使うのはいかがなものか。
また最近流行の「自己責任」だが、
「こうたり」氏は、バブル期の加熱した個人の株投資に対し使われた言葉だという。
だから、今回の拘束事件とは背景が違う、などと解説。
でもね、「自己責任」は「バブル期の株投資」批判で「発明」された言葉じゃないでしょ。
昔からあって、「民主主義社会における行動の規範」ではないの。
それが、最近の風潮は何か発生すると簡単に他へ責任転嫁するから、
「もっと自分の行動に責任をもて」という意味だと私は思いますがね。
日本は成熟しきっていない大人で形成される国ってところかな?
イタリア、アメリカの社会では個人が拘束されたからといって大騒ぎしないでしょ。
戦争そのものに反対したとしても。
北朝鮮に拉致された家族ならびに国民はもっと大騒ぎしてもいいのよ。
日本に不法侵入した北鮮人に無理矢理誘拐されたのだからね。
イラクで拘束された人たちの家族は、そのあたりがごっちゃになってしまったんですね。
●サラリーマン川柳
第一生命が募集するのだが、17回目の今年は2万3525句の応募があったという。
1位 『課長いる?』 返ったこたえは 『いりません!』
2位 『前向きで』 駐車場にも 励まされ
3位 やめるのか 息子よその職 俺にくれ
4位 妻の声 昔ときめき 今動悸(どうき)
6位 恋敵 譲れば良かった 今の妻
身につまされますな、ご同輩。
●芹、ようこそ
新しい村のあるあたりは、それまでは雑草が生い茂る小山だったり
畑だったり、湿地だった。
現在の広々とした駐車場の下は湿地で、今頃になると野芹が群生していた。
山崎地区へは入りにくい道路状況だったので
知る人ぞ知る野草摘みのスポットだったのね。
ところが、そういう場所がすべて姿を消してしまった。
でも、あるんですね湿地は。
つい先日も車で乗り付けたご婦人がせっせと芹を摘んでいた。
昔のスポットに比べれば、とても狭いのだが、柔らかそうな芹である。


■4月27日(火曜日)
●春の嵐
(ヘッセではないよ)
朝から雨雲だったが、雨は降らなかった。
午後から隣町へ出かけた。風が強まり梢はしなった。
若葉にも容赦なく吹き、折れた小枝が道に散乱していた。
時折強い雨が降った。
自宅に戻ったらカーポートの屋根の一部が吹き飛んでいた。
夕方のTVニュースでは関西の惨状を報道していた。
風は南。雨雲が北へ流れている。

●ネットワーク社会の陥穽
今度は日本信販からデータが外部に流れた。
何枚かのMOにバックアップしていたうちの1枚だそうである。
カードの暗証番号は記載されていたのか新聞からは読めなかったが
身に覚えのない請求書を送りつけられた会員からの
問い合わせで発覚した。Yahooの場合も同様だった。
結局、流れ出たデータは請求という形で顕在化する。
しかし、犯人の狙いはこれだけではないだろう。

カテナの通販サイトでeMACが2700円台で売りに出された。
通常なら10万前後する商品である。
消費者は敏感に反応した。
1人(或いは組織か)で万台のオーダーをしたものもあった。
結局、入力代行会社の入力ミスで、カテナ側はその値段で販売しないという声明を出した。
以前、日商岩井(だったかな)で。ゼロが1つ少ない15000円台で
Webサイトに出たことがあったが、社会的信用のダウンを恐れた会社はそのまま販売した。
今回のカテナの事件は、入力側もこの値段はおかしいと疑ってみるべきだったのだが、
「価格破壊」時代である。ことによったら「あり得る」かも知れない、とも考えたかも…
こういう常識はずれがまかり通る時代でもある。
万台オーダーした側は、訴訟を起こし和解金をせしめる魂胆だったのかもしれないしね。
●蛙の棲家
庭のアクセントに使っている木を移動した。
腐って空洞になっているところに雨蛙が潜んでいた。
とっくに冬眠からさめているので
ここをマイホームにしていたのかな。
間もなく、レジーナ前の田圃すべてに水が入る。
田植えが始まる前のわずかな間に
夜は蛙の大合唱が始まる。
室内からは聞こえないが、一歩外にでると非常に賑やかだ。
「月夜の田圃でコロロ、コロロコロコロ鳴く笛は…」
などという生易しいものではない。


■4月26日(月曜日)
●歌
日曜の夜中も、NHK深夜便
今、3時半。太田ひろみの「木綿のハンカチ」が流れている。
彼女は隣の春日部の寿司屋の娘だとか。
さっき、チャップリンの「ライムライト」が流れた。
昔からこの曲を聴くとなぜか切なくなる。
20代、30台、40代、50代、60代
ず〜っと聞いている曲だ。それに特別の思い出もない。
それぞれの年代のたびに切ないのだ。

おや、「森田こういち」とトップギャランの「「青春時代」が流れ始めた。
私の、昔の恋も終わってしまえば、この歌のとおり。
大学を卒業して、学生時代から付き合っていた人と、ある公園で別れを告げた。
同い年では先が見えない。同い年は男はガキよ。
贅沢好きな女を幸せにする自信なんてないもんね。
●初夏の便り、続々
この界隈ではそんなに広くない庭である。
移住して間もなく10年。
庭造りに終わりはないというが、わが家も同様。
庭師が入ることもなし、設計家に頼むわけでもなし。
連れ合いのイメージと私の力仕事で毎年姿を変える。
小さな初夏の植物たちが「今年もよろしく」と花をつけ始めた。
 

すずらん、クレマチス、紫蘭

■4月25日(日曜日)
●またまたまた新選組
路頭に迷いそうになった近藤とその一門が
会津藩に拾われる顛末だった。
インテリの山南が策を巡らしたおかげだった。
国許には嘘っぱちの苦しい便り。
だが、会津藩の庇護を受け、近藤たちは以後4年間活躍。
燃焼しきるわけだが、それがわかっているだけに見るほうもつらい。

芹沢鴨と女の出会いが描かれた。
女の素性もわかった。
しかし、彼女の住まいは壬生の屯所の目の前ではなかったんだよね。
史実は、芹沢鴨が衣服を頼んだが、代金を支払わない。
その取立てに来たのが、その女だった。
妾という立場の彼女だったが、
芹沢に「つけ」の請求に行った折、暴力で犯される。
女の性で、鴨に魅かれた彼女は、その後も壬生屯所へ入り浸る。
ある雨の夜。土方をはじめ近藤派一派に踏み込まれ
鴨と女はすっぽんぽんで寝ていたところを斬殺される。
同時に、新見錦など水戸脱藩の鴨一派が粛清されるのである。
この暗殺劇に近藤は加わっていなかった。
これは、土方の計算で、汚いことには近藤の手を染めさせない。
(まるで映画ゴッドファーザーね)
近藤を祭り上げるための方策であった。
浪士隊として京に上るときから歳三は、近藤を中心にした
強固な集団を作るという狙いがあった。
鴨一派の粛清はその幕開けだった。
歳三は、今なら参謀格。神輿の担ぎ手として、すばらしい能力を発揮した。
今のところ、慎吾君の勇はまことに頼りない。
しかし、男たちを惚れ込ませる魅力があったのだろう。
●気味悪い、SPYウェア
スパイウェアというのを聞いたことがあるだろうか?
インターネットでさまざまなWebサイトを巡回していると
いつの間にか自分のパソコンにスパイウェアが送り込まれ
その人のサイト閲覧の傾向を監視し、忍び込ませた組織に情報を送っているというのだ。

その昔、日本が敗戦したのにもかかわらず
フィリピンの山奥に残留し孤独な戦いを行っていた小野田寛雄さんがいた。
彼は陸軍中野学校二俣川分校(?)出身で残地諜者として
ゲリラ戦を展開していたのだ。
しかし、時は移り仲間も死亡し、戦うより生きることを優先しなくてはならなかった。
スパイウェアの存在を耳にしたとき、なぜか小野田さんのことを思ってしまった。

ルバング島で発見、救出。フィリピン政府に引き渡された小野田元少尉。
マルコス大統領、靴の好きなイメルダ夫人も健在。

ワクチンソフトをインストールしておけば
定期的にSPYウェアをチェックし削除してくれる。
SPYウェア駆除ソフトもある。
有名なのは米国製だが、パッチをあてれば日本語化される。

SPYウェアは別名AD(アド)ウェアと呼ばれる。
通販会社などが、消費者の閲覧傾向を分析し、
例えばショッピング、旅行などの頻度が高ければ、
その人にそういうDMをメールで送りつける。
インターネット常時接続環境であれば、電話料金を気にせず
Webサイトをゆっくり閲覧できるから、
そういう人の消費傾向をリサーチするという
インターネット広告のマーケティング活動なのだが
個人のメールアドレスが流出するという弊害がある。
海外のアダルトサイトを見ると必ずといっていいほど
スパイウェアが仕込まれるというから、ご用心だよおとうさん。
Spybot S&Dつーのが駆除ウェアですよ。
当然英語ですから日本語パッチをお忘れなく。
●SPAM、水際阻止
相変わらず海外からのSPAMメールが多い。
単なるDMならまだしも、ウイルス添付された危険ものまでやってくる。
OutlookExpressを起動するたびに
関係のないメールリストを見るのはうんざり。
そこで、フリーのメールチェッカーをダウンロードした。
幾つか試してみたのだが、機能はシンプルに限る。
で、Mail Deleterというソフトを使って水際で阻止することにした。

このソフトを起動して「チェック」
受信サーバーを見に行きリストを表示する。
必要なものを残し、あとは「削除」すると
プロバイダのサーバーから消してくれる。
そのあと、OEを起動すれば必要なメールのみを表示する。
メールチェックが1行程増えたのだが、精神衛生上好ましい。
●藤
「農の道」では山藤を見ることができる。
私が密かに名付けた雑木林「宮代樹海」の木に巻きついた山藤が
今年も淡い紫の花をつけている。
ズームレンズ付のカメラなら花に寄れるのだが
散歩用に愛用している小型デジカメで撮影しても花の存在はわからない。
代わりに「農の家」の敷地内にある山藤を撮影してみた。
結果は思ったほどではなかった。
 
藤を生垣にしている畑がある。
隣の杉戸町からやってくるKさんの野菜畑である。
私が越してきたときにはすでに畑をやっていた。
最近はお年を召してか姿を見ることは少なくなった。
あるじの居ない畑の藤が咲き誇っている。

■4月24日(土曜日)
相変わらず、NHKアナの発音
夜8時のラジオ。北鮮列車爆発のニュース報道のとき、
「列」を「者」と発音、同じ報道中にあと2つの発音間違いをした。
後ろにくるべきアクセントが前であった。中堅アナなんでしょ横山さん?
それともNHKは、若者アクセント「彼氏が枯死」方式に変えたの?
標準語の殿堂が大泣きしますがな。
●田に水入る
灌漑用水の水かさが増し、取り入れ口が開かれた。
田起こしが終わり乾燥した土がたっぷり水分を含み黒くなった。
水はさらに汲みこまれ土が水面下に沈む。
全ての田に水が入ると、いよいよ田植えが始まる。
最近は機械で行うから、作業もあっという間に終わってしまう。
  
4月22日の田                      4月24日夕方の田と逆さレジーナ
●ハイエナの如く
イラクで拘束された2つのグループが無事解放され帰国した。
拘束以後、マスコミ報道はヒートアップした。
後で拘束された30男の2人組みは精神的にタフで
帰国後テレビ取材に応じている。
先に拘束された3人組は精神的なダメージが大きく、自宅にこもった。
昨日のワイドショーでは、その後のニュースを扱っていたが
新聞は、拘束関係ニュースは皆無。
台風一過というか、獲物を食い尽くしたハイエナの群れが去ったというか
その変わり身の早さにただただ驚愕。
1拍遅れて、週刊文春・新潮が、その後の報道をおもしろおかしくやるんだね。

それより、国民年金を払っていなかった3人の閣僚がTVを面白くした。
厚顔無恥とはこのこと。彼らの政策とは茶番と見つけたり。
最近の閣僚は小物が多くなった。国を論じる前に自分の衿を正して欲しいね。
国民を馬鹿にするのもたいがいにしておくれでないかえ。
●銀座の老舗Bar
銀座の会社に勤務していた頃だから、だいぶ昔である。
毎晩よく飲み歩いていた。
その中で印象の深い店が何軒かある。
3丁目の「憩」、5丁目の「ルパン」、6丁目の「TARU」。
現在も健在なのは「ルパン」だけになってしまった。
「憩」はオーナーバーテンのOさんが年齢には勝てずリタイア。
「TARU」は老朽化したビルが取り壊されてしまった。
先日「ルパン」のある横丁の前を通ったが、シルクハットにメガネ姿の
特徴ある看板は往時のままであった。
この店は昭和3年創業の由緒あるBarであるが
戦後間もなくは文士が集まるBarということで知られていた。
集うのは、永井荷風、泉鏡花、菊地寛、直木三十五、坂口安吾、
太宰治、遠藤周作、開高健といった錚々たる面々であった。
ところが、野坂昭如を最後に常連作家は姿を消したということだ。
銀座が大衆化したからかな?
昭和40年代、ルパンへ降りる階段は、角が磨り減っていた。
だいぶ経ってから顔を出したときは改装されて、角のある階段だった。
多くの客が降りた、角の丸い階段のときは、
もしかしたら、この石段を太宰治も降りたのだろうか、と胸がわくわくしたものだった。
昔の面影を残して改装されたのだが、やはり何か違う。
やがて、私は赤坂の会社に移ったので足が遠のいた。
     
Oさんは歳でリタイア       ルパンは健在        TARUは老朽ビルが消滅
         
ルパンで泥酔する太宰(昭和21年撮影)   撮影はこの人、故林忠彦
昭和20年8月、日本が敗戦した年。それから1年、Barで飲んだくれる文士がいる。
日本は米軍が進駐しても何の抵抗もしなかった。今のイラクとだいぶ違う。
昨日まで軍部をよいしょしていた人、団体もくるっと転向。
国民性の違いといいましょうか、喉もと過ぎれば熱さを忘れる民族なのね。
太宰はこの写真が撮影された2年後、昭和23年に39歳で自殺。
林カメラマンは、ルパンのこの写真を撮影したが故に、写真家としての地位を築いた。

■4月23日(金曜日)
●水路に水
冬の間、枯れていた水路に水が入った。
間もなく、周囲の田にも水が張られ、田植えの時期を迎える。
この水路は生活雑排水が直接流れ込まないので
いつの日か「ほたる」の棲息する小川になる予定である。

●旅立ちの時を待つ
一昨日の強風で、風の通り道にあった綿毛は
首がもがれてごろごろころがっていた。
幸い、その災難を免れたたんぽぽは
まんまるの綿毛が、今にも飛んでゆきそうな気配だ。
これはほとんどが西洋たんぽぽなのだろう。
昨日の新聞では、在来種より繁殖力が旺盛なので
どんどん和種が駆逐されていると報じていた。


■4月22日(木曜日)
●美しい夕暮れ
日の落ちるのは早い。
東武動物公園の東口ゲートで見た太陽はまだ木々の上にあった。
約1分ほど自転車で走ったところがレジーナを見渡せる開けた場所だ。
太陽はかなり傾いていた。
家に到着したときは森の向こうに沈んで一気に周囲は暗くなっていた。
オレンジの大きな太陽は、薄く雲がかかっていたため
その輪郭をはっきり見ることができた。
反対側を見たが月はまだ昇っていなかった。
東西が広々見渡せるので
ときどき、「月は東に日は西に」という情景に出会うことがある。
その昔、蕪村もこういう風景を見たのだろうな、と思う。

●Mac風Windows
ディスプレイの下にMAC OS-X風のドックを表示させてみました。
ランチャーですが、ちょっと不思議な雰囲気です。
しかし、Winのデスクトップを使い慣れてしまうと、
下に表示させた場合、タスクバー2行分とられてしまいます。
うるさい感じがするし、アプリケーションの表示面積が狭くなるので
ディスプレイが大きくないと使いにくいかも知れません。

●元気の素
冬の間は根っこだけになっていた「にら」だが、
春の訪れとともに葉の成長が始まった。
「あしたば」と同じでくぐんぐん大きくなる。
野菜炒め、餃子の具、吸い物と利用範囲は広い。
写真からも推測できるが、市販のものと異なり
葉に厚みがあって、しかも柔らかい。
今シーズンになって2度、食卓を賑わしている。
この「にら」は種から育てたのだが1年目は成長が遅かった。
が、2年目からは春から晩秋まで収穫できる便利な野菜である。

●「もっこうばら」咲く
入り口のアーチとなっているバラが、今年もたくさん花をつけた。
ここまでになるには5〜6年かかっている。
昨年秋、かなり大胆に剪定したので、全体的にすっきりし、花の密度も濃くなった。
トゲのないバラなので、扱いやすい。香りはほとんどないが、小さくて愛らしい。

●里山は生気に満ちている
私の住む宮代町でも緑は減少しつつある。
人々が訪れることができるのは郷土資料館周辺と新しい村近辺のみである。
緑の面積では新しい村のある山崎地区が唯一である。
ここは、色とりどりの緑(変な表現だね)が楽しめる。
つまり、木によって若葉の色が微妙に違うのだ。
雨が夜に降り、昼は強い陽射しなので若葉はぐんぐん成長する。
定点観測すればよくわかる。

この雑木林の右奥が私の家であるが、木々の脇にある遊歩道を歩くと
木漏れ日が非常に美しい。

■4月21日(水曜日)
●午後の陽射し
昨日、本日と初夏を思わせる陽射しである。
日よけのパラソルが似合う時期になったんですね。
日が西に傾きかけたころ、庭先のベンチで過ごしました。
ラジオと灰皿、新聞をテーブルに置いて。
頭上を渡る風も爽やかで、一年を通じてもっとも過ごしやすいことを実感。
いつの間にかまどろんだらしい。
梢のざわめきで目を覚ました。
午後の紅茶が欲しいところでしたが、コーヒーでがまん。
なんとなく休日のような昼下がりではありました。

パラソルに西日の影が映っています。

頭上には葉も成長した白い花水木。空はあくまで高い。
●長野の奇才
連想ゲームではないが平賀源内のあと、佐久間象山が気になった。
同じ江戸時代だが象山のほうがずっと後輩。
両名とも天才の名を欲しいままにし、発明家でもあった。で、調べてみた。

平賀源内が生まれて83年後、松代藩(今の長野県)に佐久間象山が生を受けた。

時代は開国に揺れる江戸末期。

年少より天才の誉れの高かった象山は、江戸に出て佐藤一斎に朱子学を学ぶ。

天保10年、江戸神田阿玉池に象山書院塾を開いた。

天保13年、藩主真田幸貫が海防掛老中となると、象山を顧問として海外の事情を研究させた。

伊豆韮山代官江川坦庵(太郎左衛門)に西洋兵学を学び、

弘化元年、黒川良安を同居させて蘭学を学ぶ。その後オランダの百科辞書等によって

新しい知識を身につけ、嘉永3年深川藩邸で砲学の教授を始め、

勝海舟・吉田松陰・橋本左内・河井継之助ら、多くの有能な人材を門下に集めた。

嘉永6年、門人の松陰のアメリカ密航事件に連座して国元に蟄居を命ぜられ、

44歳から52歳までの働き盛りの丸8年間を松代でおくり、その間、蘭書等を読んで知識をひろめた。

文久2年蟄居を許され、元治元(1864)年、上洛中の14代将軍・徳川家茂の召命により上京、

公武合体・開国佐幕の策士として活躍した。7月11日、山階宮邸からの帰途のおり、

三条木屋町で因幡の前田伊右衛門、熊本藩の河上彦斎ら尊攘派の手により暗殺された。54歳。

この人のすごいところは、オランダ語の原書を翻訳しながら読めてしまうところ。

(天才の天才たる所以)

そこに書かれている難しい科学知識も理解できたらしい。

源内も発明家だったが、像山にもそんな側面があった。

元祖健康器具の「電気治療器」、生まれた場所が地震で有名な松代だから「地震予知機」、

自分の肖像写真も残っている「ダゲレオタイプのカメラ」など、純粋な発明ではないが、

海外の技術書から作成してしまうところは流石である。

NHKの「新選組」の初めのころ、石坂浩二演じる「佐久間象山」が、勝海舟と親しく話をする

シーンがあったが、勝は佐久間の塾の門人だったのね。

それだけではない。勝の妹が佐久間の後妻となっているから、勝にとり佐久間は義理の弟という

ことになる。

象山は天才にふさわしく奇行の人でもあった。妻妾同衾なども平気でやったらしい。

また、先妻の息子を勝の妹が新選組に入隊させるために、勝の口添えを得ている。

勝海舟は隠居した明治27〜8年、『氷川清話』で佐久間象山をこんなふうに評している。

「佐久間象山は、物知りだったよ。学問も博し、見識も多少もっていたよ。しかしどうもほら吹きで困るよ。

あんな男を実際の局にあたらせたらどうだろうか。…なんとも保証は出来ないのう。

顔つきからしてすでに一種奇妙なのに、平生どんすの羽織に古式模様の袴をはいて、

いかにもおれは天下の師だというように厳然とかまえこんで、元来勝ち気の強い男だから

漢学者が来ると洋学をもっておどしつけ、洋学者がくると漢学をもっておどしつけ、

ちょっと書生がたずねてきても、じきにしかりとばすというふうで、どうも始末にいけなかったよ。」

こんな人だから、斬殺された後、同情する人もほとんどなく、松代の佐久間家は不始末ゆえに取り潰された。

           
自分で作った写真機で撮影されたとされる写真     かなりリアルな油彩画
この風貌を勝が評しているわけだが、日本人離れした顔ですね。
どちらかと言えば、アラブ系。彼も源内と同じく顔が長い。

■4月20日(火曜日)穀雨
●野草の天麩羅
先日、渡良瀬遊水地のホームページを見ていたら、
そこに自生する野草を食べるというコーナーがあった。
ちょうど今頃は新芽を食すのにいい時期だ。
わが家の裏にもいくつかの野草が生えている。
「うど」の名は知っていたが、どれがそれだか??だった。
午前中の生徒さんと裏に行き、教えていただいた。
その「うど」と「たらの芽」を昼の食卓で味わうことにした。

はっぱが「うど」、芽が「たらの芽」。水道で洗い水分を切る。

天麩羅。となりでは「そば」をゆでる湯が沸騰している。

揚げたての野草。

そばつゆの中で泳がせたあと、ぱくっ。
うどは、くせがなくてなかなか。揚げたてなのでぱりぱり感がいい。
もっと早くから知っていればね〜〜。
木陰にはまだまだあるので、時折季節の贅沢を味わおう。
●創刊号2冊
古い雑誌をばっさばっさと(後ろ髪引かれる思いで)廃棄処分にした。
10年前頃、パソコン雑誌が創刊号ラッシュを迎えたことがあった。
本屋に行くと古参株の雑誌に混じって必ず創刊号が並んでいるのである。
これはいけそうだと思うものから、ひどい編集、レイアウトまで種々雑多。
その後短期間で姿を消すのもあれば、長寿雑誌もある。
最近、本屋が遠いので昔ほど頻繁に顔を出さなくなったが、
MOOK系は多いが雑誌の創刊は少ないようである。

孫さんのSoftBankから1993年に創刊された「MacUser」。
本家米国の翻訳記事もあったが、よき時代のMac信奉者による熱気で溢れていた。
この頃、PC−98とMacClassicを使っていた。
MacのOSは「漢字Talk」。使いやすさでは98を遥かにリードしていました。
MacのHyperCardは、今思っても優れたソフトだと思いますよ。
雑誌は残念ながらいつの間にか廃刊。

日経BP社から満を持して発刊されたビジネス向け雑誌。
BPは予約誌「日経パソコン」も出版しているが、PC21はビジネスマンにターゲットを絞った。
1996年の発刊。以来7年間購読している。流石に昔の雑誌は昔に捨てたが
資料になるので4年分は保存しております。

■4月19日(月曜日)
昨夜、イラクで拘束されていた3人が関空経由で羽田に戻った。
事の重大性を認識したらしい。
空港での記者会見には当事者たちは顔を見せず、
彼らの親兄弟たちが会見に臨んだということだ。
●突然、平賀源内
昨日4月18日は「発明の日」だった。
半5段の新聞広告で特許庁が出稿していた。
そこに江戸時代の発明家「平賀源内」の肖像画が掲載されていた。
見慣れた錦絵ではなく、写実的な油彩のようである。
平賀源内といえば「エレキテル」と「土用鰻」で有名だが、知っているのはその程度。
そこで、いつもの好奇心から調べてみた。
見慣れた彼の像
原画はかなり虫食いである。しかも目のあたりは線がぼんやりしていてどんな目つきかわかりにくい。
首の部分を書き直したものがこれ。
なるほど、これなら顔つきがよくわかる。しかし、当時の特性として写実的ではないね。
次は、新聞に掲載されていたものの元絵。
実際はこういう顔をしていたのか、と思うが
この絵の元はやはり、上の錦絵なんだろうな。顔の向き、着こなし、懐にはさんだものなど
錦絵と同じ。きせるを持っていないだけ。
彼は若白髪で「しらが源内」と呼ばれていたそうだが、
その白髪は描かれていない。
天才にありがちな神経質そうな男性ね。
この絵は明治19年、中丸精十郎により描かれた。当然、彼は源内を見ていない。
いつも気になっていたのは、彼のヘアスタイルだ。
この頃の武士の髪型ととちょっと違う。
鳥のしっぽみたいな、後ろに伸びる細い髪は何の意味かな。
鬢付け油で固めて髷に固定していたのだろうか。
この髪を担当した床屋さんに聞いてみたいもんだ。
一風変わっているのは、時代の異端児らしい美意識なのかしらね。

1728〜1779 (享保13年〜安永8年)
本草学者。科学者。戯作者。讃岐国出身。25歳で長崎に遊学、大坂で医学・本草学を学んだ後、
1756年江戸に出た。中川淳庵、杉田玄白らと親交を持った。
翌年から日本初の物産会となる薬品会を催す。
源内焼き・火浣布・寒温計・エレキテル(摩擦起電器)を創作。
風来山人の名で戯作者としても活躍、浄瑠璃本、また洋画なども手がけ、
司馬江漢、太田南畝らに影響を与えた。
79年人を誤って殺傷し、獄死した。
浄瑠璃『神電知渡』、談義本『風流志道軒伝』のほか、『物類品隲』が有名。

というように、彼の関わったジャンルは広範である。
源内はエレキテル(摩擦起電器)を電気治療器として17台製造し、販売して儲けたそうだ。
高松藩士の子として生まれたが、藩命で長崎に学んだ後藩に戻らず江戸に出てしまったので
藩主の怒りを買い、仕官を許されなかった。浪人となった彼は、
多方面で活躍するも、世間から「ペテン師」のごとく思われ、鬱屈していたようだ。
この気持ちを著作に著したとも。
最期は精神を病んで獄死という。早すぎたマルチクリエィターとも言われている。
●次々に初夏の準備
 
いつの間にか春は行ってしまった。
庭はもう初夏の準備に忙しい。
アイリスが大きな花をつけ、無花果が小さな実をつけた。
苗屋さんに野菜の苗を電話で注文した。
トマト12、きゅうり8、なす4、ピーマン2、ししとう2である。
ゴールデンウィークに植え付け作業が待っている。

■4月18日(日曜日)
●またまたまた新選組
清河八郎の策略により、浪士隊は江戸に戻ることになる。
近藤一門と芹沢一派が京に残ることになった。
今回はあまり進展がなかった。が、
鈴木京花演じるお妾さんと芹沢鴨との複線が描かれていた。
やがて、この2人は近藤一門により寝込みを襲われ全裸のまま惨殺されてしまう。
佐々木只三郎が、江戸に戻った清河を斬る、とその決意を語った。
さらに、オダギリ・ジョー演じる斉藤一が戻ってきた。
彼も新選組に加わることになる。
●みやこわすれ、咲く
「あずまぎく」、「のしゅんぎく」とも呼ばれる「みやこわすれ」が薄紫の花をつけた。
木陰で群生している地味な花であるが、これを好む人は多い。
わが家の「みやこわすれ」は、連れ合いの母親が大切にしていた花である。
丹精こめて育てているので次第に増えてきた。
もう10年以上も前に亡くなり、墓は名古屋、仏壇は横浜いあるのだが
生前の義母が眺めていたのと同じ花を、こうして眺めていると
なぜか義母の鼓動が伝わってくるような不思議な気持ちになる。

●昭和52年のラジオ
27年前のラジオが健在である。
製造年月が特定できたのはSONYのWebサイトで、
自社製品の歴史を紹介するページを見つけたから。
購入したのは上の子が小学校に入る時期。横浜・緑区の3DKのマンションに住んでいた頃だ。
当時は熱烈なSONYファンでオーディオ・コンポ、ラジオ、テレコ、テレビなど電子機器は
すべてSONYだった。
仕事もSONYのビデオ機器の広告制作に携わっていたが、
当時のポータブルビデオは高価すぎて手が出なかった。
コピーを書かなくてはいけないので、機材を借りてきて自宅で実際に操作した。
狭いダイニングで小学生の息子と幼稚園の娘が食事をしているシーンが残っているが、
ベータ方式なので、もう再生することはできない。
で、ラジオだが。長いこと引き出しで眠っていたのを虫干しを兼ねて電池を入れたら音が出た。
音がいいのである。以来、現役復帰を果たしている。
老いてますます元気なラジオ


SONYサイトで紹介されている当時の広告。

■4月17日(土曜日)
拘束され情報が皆無だった2人のジャーナリストが無事解放された。
また、アルジャジーラの速報で知ることになった。
同じく、法学者協会の動きがあった。
日本人救出にあたり、最大の功労のあった協会に対し
日本政府は謝意を述べていないと、不快感を表明しているという。
政府は別のチャネルで誘拐者と接触をはかろうとしていた矢先の解放だった。
純ちゃんは聖職者たちの影響力を軽視していたのだろうか?

先に開放された3人に対し、ドバイでの健康診断と、バクダッドからドバイへのチャーター便の
航空運賃の一部を支払うようにと、外務省は決定したらしい。
騒動の代価としては安すぎないかい?

さすがに、3人はイラクへは当分行かないそうだ。
●自己責任ということ
無事解放された3人に対して、何人かの閣僚、都知事が批判をしている。
キーワードは「自己責任」
危険地域への渡航は、国が安全レベルに応じて「禁止勧告」などの
情報を流しているが強制力はない。
従って海外旅行は旅行会社が勧告に従い、ツアー延期、中止を行っていたが
ジャーナリストは、それにひるんでいたら仕事にならないのでどんどん出かけてゆく。
フリーの映像ジャーナリストの団体が、
国が渡航禁止の強制力を強化しようとする動きに反対している。
もっとも、彼らのおかげで、リビングで海外のリアルな戦闘シーンを安心して視聴できるわけだが。
今回の3人の拘束から解放まで、アルジャジーラの情報で知らされた。
これは、武装勢力がこの中東のテレビ局を戦略的に利用したということだ。
自分の息子や娘が覆面をした凶暴そうな男たちに囲まれ
火器や刃物で脅かされているシーンを目の当たりにしたら動転してしまう。
何とか無事で生還してほしいという気持ちは痛いほどわかる。
その必死の願いが、自衛隊の撤退という国の方針に反する発言になってあらわれた。
つまり、敵の思う壺であった。

戦場に出かけたカメラマンはベトナム戦争以来かなりの数にのぼる。
ベトナムで射殺された沢田教一さん、
「地雷を踏んだらさようなら」のカンボジアで亡くなった一ノ瀬泰造さん
悲劇的な最期を迎えた人もおります。
スペイン内乱で弾丸に当たりまさに倒れんする戦士の写真を撮り、その後
インドシナで地雷を踏んで死亡したロバート・キャパ以来
戦場カメラマンは、単に報道というだけでなく男の何かを刺激するものなのだろう。
同じカメラを使って花や、風景、ファッション、ヌードを撮るのとは違ったロマンがあるのかな?
昔の戦場カメラマンは活動の所在さえ明らかにされることはなかった。
戦闘行為が行われている傍らで危険を覚悟の上で歴史に残る写真を撮影していたのだ。
軍も作戦行動中だから所在を明らかにできなのだろう。
今回の事件は、民間人を拘束し武装グループが自分たちの目的を達成するために
マスコミを利用して恐怖の映像を世界中にばらまいたということだ。
それに敏感に反応したのは日本だけのようだ。
アルジャジーラの女性担当が「日本から1000通ものEメールが届いた」と言っていた。
同じく同胞が拘束されているイタリア、アメリカなどからは1通も来なかったそうだ。
イタリア人は高級をもらっている傭兵。アメリカ人は同じく高級危険手当付のドライバー。
彼らの仕事の性質がわかっているから、国民は静観しているのだろう。
さらに戦闘地域に派兵している国だから、捕まったのは運が悪いということだろう。
まるで自国に関係のない戦争だが、危険に対する覚悟ができているんだよね。
結果としてアルジャジーラの番組では、日本からのメールを分析し、
拘束された日本人のプロフィールなどを紹介したので、
他の国より、拘束された日本人番組の露出頻度が多くなったらしい。
それが、イラク国民の世論を形成し、武装勢力の「人情」にも影響を及ぼしたという。
平行して行われたイスラム法学者協会の説得もあって解放につながったという見解だ。

昔は、カメラマンとして戦場に送り出した家族は諦観していた。
当然、本心は無事な帰国を望んでいるのだろうが、
男の仕事として選んだのだから、危険があってもじたばたしない、という覚悟である。
仮に戦死したとしても人前では涙を見せない気丈な母親の姿が
見る人をして悲しみを増幅させたものだ。
ところが、今回は関係者全員「発狂寸前」の大騒ぎである。
北鮮に拉致された人たちとはまるで次元が違うのだが、
「国がなんとかしろ」というのである。
こういう姿を見ると、昔の親はすごかったと思わざるを得ない。
日本の騒ぎは権利ばかりを主張する未成熟な大人たちが右往左往しているようだった。
「命の尊さを最優先しろ」と言われれば、その通りである。
そいう正論をおしかざしてくれば、
対応がもたついていた日本国政府は薄情であるという印象を国民に与える。
でも、待てよ。危険を承知で出かけた人たちである。
3人は相談して結論を出した。(日本を出発する前に危険なことは認識していた)
「無事到着できればラッキー、
捕まったら、ことによったら殺されるかもしれないけど、まいっか、出たとこ勝負さ」
という甘い考えがあったんだろうね。
1人は18歳の未成年だが、あとの2人は30過ぎの大人。
現地の状況を詳しく把握して、出発の日を遅らせるという判断はできなかったのか。
「いけいけどんどん」では困るのである。
危険な地域だからこそ、冷静な判断が必要なのだ。
自分の選んだ仕事が死と隣り合わせなら、
それだけ用心深い行動が要求されるのは言うまでもない。
だから、本人たちも、群れてわめいた人たちも仕事の本質を理解していないということになる。
再び言う。
甘い判断で拘束されたが、持ち物は無事だった。
そのとき撮影した写真をスクープ映像として週刊朝日に掲載し
一躍、時の人となっても、謙虚な姿勢でいなさいよ。
できれば、写真は発表して欲しくはないですね。
それが礼儀というものではないですか?
あ、それから。救出にかかった費用は国民の税金なのだから、
個人的な理由で危険地帯に出かけた彼らには、
やっぱり幾分か負担してもらわなくててはね。

■4月16日(金曜日)
●3人の今後
解放された3人は、アラブ首長国連邦のドバイから帰国の途につくそうだ。
早ければ明日午後には日本到着。
生きて帰れたことは慶賀にたえないが、
彼らの救出に国はどれだけお金を使ったのか?
もちろん税金だよね。
例えば、山岳遭難で捜索隊、ヘリコプターなどが出動して
救助された場合、遭難者に請求書が回ってくる。
死亡した場合は家族にいくのかな?
つい先ごろ、関西の大学のワンゲル部員が遭難したときがそうだった。
イラクの件では、
ボランティア、週刊朝日の契約カメラマン、劣化ウラン弾の取材…
入国していた目的はそれぞれ異なるが、不可抗力とはいえ国家に与えた損失は大きい。
危険地帯に足を踏み入れることは、悪天候なのに登山を強行するようなものだ。
いや、ボランティア崇高な行為だとする見解もあろうが、
それなら、イラクの武装勢力から安全を保証する証明書をとっておく
くらいの細心の配慮が必要ではないのか?
カメラマンの場合は週刊朝日に記事、写真の配信という経済活動を行っていた。
若者と女性には支援団体があった。
となると、国家は契約先、支援NGOに対し救出に要した金額を請求するのだろうか?

このところイラクばかりに目が向いて
北鮮拉致家族のことがかすんでいる。
被害者の方々のことを思うと、国家の遅々とした対応に腹立たしくなる。
●イラクの混迷をよそに
世界中の紛争地帯の皆さんには申し訳ないのだが
一見平和な日本は、1年でもっとも美しい季節を迎えつつある。
チラチラと燃えるような新緑の下を歩くと
その周辺では光合成が盛んに行われていて、
新鮮な酸素が供給されているのではないかと思うほどだ。
深呼吸をして、たばこで汚れきった肺に、できたての酸素を送り込んであげよう。
同じ新緑でも木によって緑の色相が異なる。
それが微妙な濃淡を作り、この時期の風景を際立たせるのだ。
この町は緑が多いから、どこを歩いても飽きることがない。
散歩は舗装道路をほとんど歩かないから、
脚への負担も軽いだろう。
来月で13歳になる老犬ジョンだが、
さらに、都会の汚れた空気を吸わないのでいたって健康。

紅白の花水木が咲きそろった。おめでたい配色。
さらに家の外壁は、風水的に金運向けカラー。
条件は揃っているのだが、石川啄木ではないが「じっと手を見る」。

裏の雑木林からわが家を見る。

冬枯れの木立も、やっと生き返った。
これが町有地なら藪もきちんと手入れされて、別荘地的景観になるのだろうが
個人の土地だからブッシュである。
原生林のようだが、これはこれで風情があるか。
わが家に隣接しているのだが、蛇が出そうでまだ踏み入れたことはない。
ここに鶉のファミリーが生息している。

■4月15日(木曜日)
●解放!だが、彼らの喜びは伝わらない。
日本時間午後8時40分頃、イラクのアルジャジーラは
拘束されていた3人の日本人の解放を速報で伝えた。
間もなく、聖職者協会に保護された3人の映像が流れた。
みなさん、やつれた様子もなかった。
郡山さんは盛んに機材をさわっていたが、
デジタルカメラの映像をチェックしていたのだ。

解放された直後の映像からは
自由になった喜び、感動はほとんど伝わらない。
高遠さんは、始終口を動かしていた。飴をなめているようだった。
極度の緊張が続いたので、まだ感情が戻らないからなのだろうか?
聖職者協会の人が解放の喜びを表すために抱擁をしようとしたが
今井さんは最初椅子から立ち上がろうとしなかったし、
抱擁したときも涙を流すわけでもなし、放心状態のようだった。
郡山氏は、話をしている聖職者の脇で、取材カメラに顔を向けるでもなし
一心にデジカメの画像チェックをする始末。
周囲には無関心といった感じなのだ。
事件発生以来、日本、海外ともに大騒ぎをしていたのに
この3人の態度には違和感を感じてしまった。

これから、郡山氏の決死の映像が週刊朝日を飾るのだろう。
無事生還できたことで、2週間後位の週刊朝日は販売部数を伸ばすことになる。
このあと、彼らはイラク日本大使館へ移動し、ヨルダンかクエート経由で帰国するのだろう。
週末から来週にかけて、マスコミは騒がしくなる。
よかった!が、2人のジャーナリストが拘束されてしまった。
一難去ってまた一難だ。



●予想通りの報道
週刊新潮と文春の発売日ですね。
予想していたとおり拉致された3人の記事がトップを飾る。
彼らは私人だから、書かれ放題。
あまり触れてもらいたくないことまで、白日にさらされる。
読者が望むものを報道する。報道の自由という大義名分のもとに
プライバシーなどずたずただ。
高遠さんは、TVで報道された実家の豪華な家。
すっげ〜金持ちの娘だったのね。
親はなにやっているんだろう?と国民は興味を持ち始める。
そんな折、タイミングよく「新潮」がタイトルをつけた。
「12歳で煙草、15歳で大麻」
ふむふむ、そんな娘がどうしてまた私費でイラクの子供たちの支援を?
興味はますますふくれあがっていく。
目つきの鋭い少年は、なかなかクールボーイだが、
両親が共産党だったのね。
で、早熟の感のある子だが、どんな教育をしたのかしらね?
カメラマンは自衛官出身でバツ1だったのか?
その彼がなぜまた危険な戦場カメラマンになったのかね。
1発当たれば一躍時の人だもんね。そんな野望があったのかな?
などと外野の「覗き見」的興味はますます広がっていく。


 
今週号の見出しは「新潮」に軍配であります。
より具体的で、さらなる興味をそそられる。
週刊誌の特性だから仕方ないが、これでもかの「あおり」見出し。
これで傷ついた「私人」はゴマンという。

文春は植草教授の恥ずかしい性癖についての見出しも大きめに扱っていた。
手鏡は持っていたがスカートの中は覗いていないと犯行を否認しているようだ。
しかし、初犯ではないというではないの。
常習だから横浜駅から鉄道警察隊に尾行されていたんでしょ。
で、品川駅で現行犯逮捕。
この期に及んで悪あがき。見苦しい。素直に認めて社会から指弾を受けたまえ。

日本人ジャーナリスト2名が拘束されたというニュースが飛び込んできた。
また、拘束されていた4人のイタリア人のうち1人が殺害されたとも。
彼らは高級で雇われた警護員らしい。
イタリアの家族は「コソボ」で仕事をしていると思っていたそうだ。
軍とは関係ないのだが、ベルルスコーニ首相の強硬な態度への報復らしい。
日本でも、純ちゃんが安全なところで吠えまくっていると
民間人でも危ないよ、というメッセージかもしれない。
しかし、国は人の1人や2人死んでもやむなし。
自衛隊の撤退はないというのが本音だろう。
(これだけは口が裂けても言えないことだが)

事件を起こしているのは「武装勢力」という表現だが、
彼らは「ゲリラ」とどう違うの?
イラクの聖職者協会とやらの説得もおぼつかない。
日本人拘束は、政治的な色彩を持たせながら、実は身代金目当ての誘拐という説もある。
とにかく、危険で、不鮮明なことが多すぎる。
ニュース解説者の多くも困惑気味。歯切れの悪いコメントが目立つようになった。
●さわやかな朝
季節風の中を衿を立てて歩いた頃が嘘のようである。
犬の散歩のたびに、草木に新しい発見がある。
これからゴールデンウィークに向かって
朝の時間はそんな楽しみにあふれている。

わが家の花水木に赤い花がついた。
この木は越してきた年に植えたもので屋根より高く成長した。
いつになく花の数が多い。道行く人の目も楽しませてくれるだろう。
隣に白い花水木。2本の木に花が満開になると、なかなかの眺めになります。

犬も歩けば「だいこんの花」に当たる…それほどいたる所で見かける花だが
わが家の近所の「木の下だいこん花」のボリュームは圧巻。
でも昔に比べると少し減少しているような気がする。
この花の正式名はなんというのだろう。
畑の大根の花とは、もちろん違います。

新緑がずば抜けて美しい。
ここは環境保護区なので立ち入ることはできない。
まるで別荘地の一角のような木立である。

■4月14日(水曜日)
●渡良瀬遊水地
午後、突然時間が空いたので急遽、広大な水辺に行くことを思いついた。
天気は怪しかったが、かえってピーカンよりもいいだろう。
昨年、栃木県佐野市のアウトレットモールへ行ったとき
帰りに道に迷って北川辺町に出てしまった。
そこで渡良瀬遊水地を「発見」した。あれから1年になる。
偶然の出来事であり、しかも帰り道。すっかりルートを忘れていた。
インターネットから遊水地の地図を探しプリントアウト。
旧4号から栗橋へ出たのはいいが、また迷ってしまった。
土手に出たので、車を止め登ってみたが巨大な水辺は見えない。
農家で聞いたら、まるで違うという。私が見たのは利根川だった。
そこはは大利根町だった。
橋を渡り、北川辺町へ入る。なんとなく見覚えがあった。
そのうち群馬県に入る。「柳生」だった。しばらく行くと「板倉町」。
また土手に出た。そこが目的地「渡良瀬遊水地」の北エントランスだった。
雨がぱらついてきた。

曇天のウィークデイということもあり、駐車場には1〜2台の車しかいない。
空と湖の色が同じなので、面白みのない写真になるだろうと思いながらシャッターを切る。
持参した食事をして、中央エントランスに移動。
ここは谷中湖を仕切る大きな橋がかかっている。
釣り人が3人、糸を垂れていた。雨がやや強くなってきた。

近々再チャレンジしようということで帰途につく。
もっと簡単に来られるルートはないかと探しながら帰ったのでまた道に迷う。
結局、行きと同じ道に戻り、なんとなく割り切れない気分でわが家に到着。
1度つまづくと、何度も同じような間違いをしてしまうということを再確認した午後であった。
●ミミの仕事

新聞を読んでいるとその上に横になる。
パソコンの電源を入れるとディスプレイの上にのり
尻尾を画面に垂らし、ときにワイパーのように左右に振る。
人間からすれば邪魔でしょうがないのだが、
ミミは大真面目である。
コミュニケーションをとりたがっているのかな?

■4月13日(火曜日)
●江里子さん女児出産
パリで6日無事出産したそうですね。
私の後輩である母親はついにおばあちゃんね。
江里子さんには妹と弟がおります。
妹さんのほうが先に結婚しているので、あるいはすでに「グラン・マ」だったのかもね。

妹さんも姉に似て美人でおます。
2人とも背がすらっとしていて顔が小さい。同じ生まれるなら美人だよな〜。
でも、そうじゃないのがいるから美人とわかる。
世の中美人ばかりだったら、そうじゃないほうが珍重されるかもね。
昨年、江里子さんが、初のエッセイ「ERIKOロワイヤル」を上梓した。
私、彼女のサイン入りを持っております。
出版記念で本屋の店頭に並んだのではありません。
上の写真の会合のとき、母娘で参加され、ホテルの喫茶ルームで
話していたときに購入したものね。
   
●大根、発芽
1週間ほど前に播種をした大根が小さな目を出した。
通常、3粒ほどまとめて播いて間引きするというやりかた。
小さい頃は、どれも同じようだが発育するにつれて差が出てくる。
何か人間にもそういうことってあるようで…


●イラクの人質
情報が錯綜しております。
解放はいつになるのだろうか?
姿の見えない犯人からの要求も変化してきた。
昨日の朝刊は休刊だったが、拘束を伝える「号外」が郵便受けに入っていた。
都内の盛り場で配られることはよくあるのだが、
休刊日に自宅に号外が届くつ〜のが、なんかおかしい。
●麦畑
私の住む界隈は稲が多いのだが、散歩の途中で麦畑を見つけた。
そんな大きな畑ではないのだが。
麦は両サイドにアンテナみたいな角をにょきっと立てた造形的に楽しい形をしております。
子供の頃、成熟した麦は「チューインガム」だった。
いく粒か口に含んでくちゃくちゃやっていると、粘り気が出てきた。
当時は進駐軍の兵隊がリグレーを噛んでいたが
私たちは、それを真似したもんだ。昭和23〜4年の頃だったかな。

高校の頃、俳句をやっていた。
「学灯」という文芸誌に投稿していた。選者は水原秋桜子だった。
あるとき、入選したら俳句の会から句会へのお誘いがあった。
そのときの季題のひとつが「麦秋」だった。
字面は「秋」だが、夏の季語ですね。
短歌コーナーには若き日の寺山修二が投稿していましたっけ。

麦畑といえば、
「イフ ア バディ ミート ア バディ カミン スルー ザ ライ」である。
演歌「麦畑」つ〜のもあったよね。
青春の書、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も有名だけど。
彼のライ麦畑は、子供のフィールドですがね。
麦畑というのは、大人の男女をしてみょ〜〜な気分にさせる場所なんですかね?
昔の農村部は都会と違って楽しみは少なかったからね。
田吾作とおみよが人気のない麦畑で野良仕事をしております。
雑草をとっているんですが、おみよのふくよかな「おいど」が目の前に…
田吾作は、みょ〜な気分になってしまい、そのまま麦畑に倒れこむ…
田吾作は空の青さがまぶしかった。
おみよは、畑のだんご虫に見つめられているような気がした。
ん?どんなポーズ?
麦畑はお〜らかですね。ね、そうでしょ植草センセ?


■4月12日(月曜日)
●大学院教授のスカート覗き。或いは「教授の密かな愉しみ」
経済評論家にして早大大学院教授、ワイドショーでもおなじみの
植草一秀君(43歳)が、JR品川駅のエスカレータで
前にいた女子高生のスカートの中を手鏡で覗いているところを
現行犯逮捕されちゃった。彼は常習でマークされていたらしいぜ。
とのとき、彼の脳裏をよぎったものは…
営々と築いてきた社会的地位の崩壊と家族のことだろうね。
よっぱらって喧嘩したというのなら、
「あらあらとんだ武勇伝」でTVを降ろされるくらいで済んだのだろうが
破廉恥罪で捕まるほど恥ずかしいことはない。
万引きもかっこ悪いですよ。お金はあるんだから。
小学校の頃、「スカートめくり」という遊びをしっかりやっていれば
それがどんなに空しく恥ずかしいことか、わかるのだろうが
こういう人は勉強ばっかで、そんなことやったら
教育ママに怒られるから、空想のまま終わらせていたんだろうな。
それにしても悲しい犯罪だよな。

最近の女子高生のスカートは超ミニだからな〜。
だけど、その下がすぐパンツじゃないでしよ?
昔で言えば毛糸のパンツに相当するものを着用してるんじゃないの。
ノーパンならともかく、そんなもの覗いて何が面白いのかね。
医者と先生と坊主は助平と昔から言うが、ご愁傷様。
ところで、植草(助)教授が逮捕されたのは8日ということだが、
イラクで3名が拘束されたのと同じ日ではないかいな。
前途ある青年たちがとんでもない目にあっているというのに、罰当たりめ!
●赤の壁
養老さんの「ばかの壁」ではありませんよ。
生垣に使われる「あかめ」の成長が盛んである。
名前の通り若葉の色があずき色である。
よく刈り込んで頭をそろえるのだが、これは伸ばし放題。
こんな大きくしてしまった「あかめ」は近所にはない。
「赤の壁」になっている。
これにはわけがある。
わが家の北西に植えた「あかめ」は生垣というより防風のためであった。
屋敷林は常緑樹を植える。だが大木になるには時間がかかる。
「あかめ」は成長が早い。しかし枝が細いので強風には、しなってしまう。
風の勢いを多少そぐ程度の役割でしかないだろう。
隣に病院ができたので、風の流れも変わってきた。
そろそろきちんと刈り込まなくてはいけないのかも知れない。

小松菜の「菜の花」が元気いっぱい。

■4月11日(日曜日)
●またまたまた新選組
京都に到着した勇たちは、壬生の八木邸に草鞋を脱ぐ。
当主・源之丞が伊東四朗、女房、姑が喜劇人。
NHKの「お江戸でござる」みたいになっちゃった。
喜劇出身のシナリオライター故でしょうか?

策士・清河八郎の金魚の糞みたいな「山岡鉄太郎」だが、幕臣で浪士隊幹部の彼が
清河の陰謀を知りながら、反対もしない。
「露見したら2人とも腹を切らなきゃ」と、びびってはいたけれど。
江戸城無血開城の影の立役者であり、維新後は、かつての幕臣ながら
明治天皇の教育係まで勤めた山岡鉄太郎(鉄舟)だが、
新選組誕生の頃はまるで精彩を欠いております。
清河八郎とは、北辰一刀流の同門で、以前から親交があった。
このため、本来なら将軍警護をしなくてはいけない集団を
寝返らせて「尊皇攘夷」の徒にしようとする策略にも反対しなかったのか?
若い頃の彼は、自分の立場をわきまえない意志薄弱の人とお見受けした。
そこへゆくと、佐々木只三郎は男気があっていいですね。
江戸に戻った清河八郎を、佐々木が斬殺するからね。
考えてみりゃ、殺伐とした時代だね。すぐ殺しちゃうんだから。
  
若き日の鉄太郎と、子爵まで登りつめた晩年の鉄舟。
アンパンの銀座・木村屋に掲げてある揮毫は彼のものだ。
また、街道一の大親分、清水次郎長との交流も知られております。
●情報交錯
新聞によると、外務省、警視庁、防衛庁、首相官邸それぞれ独自に情報収集を行っているらしい。
当然、首相を中心に関係省庁が1本化され事に当たっているのかと思ったら
そうじゃなかったの?
ここにも縄張り意識が働いているのかね?
万一有事勃発したらどうなるんでしょうか。
●語るに落ちる?
11日19時現在、人質はまだ解放されていない。
その後の情報では、身代金目的ではないかとの観測も流れている。
もし、事実だとしたら民族主義の名をかたった卑劣な犯罪である。
その卑怯な連中と日本が条件の交渉に入るというわけだ。
もうひとつ、人質たちは犯人の手から宗教指導者に渡っているというのだ。
そうなると、指導者と日本政府が「金」はいくらで解放するか、と交渉する。
どちらにしても、「金、金」である。
そういえば、支援活動に行った自衛隊のキャンプ地の地代について
族長たちは法外な金額を要求してきた。
交渉で額は下がったものの、相場からすれば非常に高い金額だった。
復興援助に行っているのだから、キャンプ地は無償提供というのなら
イラク人の心の広さを感じるが、
逆にふっかけるというのだから、さもしい民族根性と思ってしまう。
世界のイメージは金満国日本だから仕方がないのだろうが
その金の出所は国民の税金だからな〜〜。
●政府、面目まるつぶれ
人質釈放の情報はアルジャジーラを通じて放送された。
従って、政府の記者会見を待つこともなく、日本のマスコミは報道できた。
今回の事件で純ちゃんの政府は完全にコケにされた。
純ちゃんとその仲間はリーダシップと実行力のなさを全世界に知らしめた。
ゲリラグループは日本政府の信用を失墜させることには成功しましたね。
●朗報、その後
テレビ、ラジオとも、人質解放について解説をはじめた。
事後のことをあれこれ言うのは易い。
鳥越さんも元気である。
この人、陥落後のイラクに飛びフセインの隠れていた穴を取材していたが
行動と事実の伝達は優れているかも知れないが
分析と解説では切れ味が悪いということが判明した。
拘束後の解説番組では推測ばかりに始終し
政府の対応の遅速を指摘した人はいなかったように思う。
今回、政府の根回しがあったのか?
あったとしたら、どの程度のものなのか?
それが解明されないと、政府はカヤの外のまま
問題は解決の方向に向かったといえる。
純ちゃんは、超後方安全地帯(日本)で指揮をとっていたに過ぎない。
戦国時代の武将なら、卑怯者。家臣、民からの信頼は得られない。
●人質解放の報
拘束したグループが声明を出した。
人質を24時間以内に解放されるというニュースがあった。
その理由
・3人がイラクのために行動していることが判明
・家族の悲痛な声に心を動かされた
・スンニ派指導者の説得
などなど。
首相の声明は傲慢である。
日本国民は自衛隊の撤退の運動を継続して展開してほしい
というもの。
残念ながら、国がもたついている間に、事は進展してしまった。
アンマンに対策室を設置して、外務副大臣が到着した。
その映像によると、部屋の入り口に、対策室の名前を大書した前で会見した。
その大書は警視庁でよくやるようなものである。
あんなもん海外では不要なんだから、もっと迅速にやれよ!
という矢先のできごとだった。
●大模様替え
かれこれ1週間になるだろうか。
全室、引越し以来の模様替えをおこなっております。
そんなに大きな家ではないのだが、
9年間に溜め込んだ種々雑多な品物を処分しながらだから
予想以上に時間がかかります。
引越し以来、開けたことのないダンボールを開いてみると
ミステリーや戦争物の本が眠っていた。
つい懐かしくてパラパラとページをめくってしまう。
こんなことだからいくら時間があっても遅々として進まない。
家人の冷たい視線を背に受けながら作業はまだ続く。
●デジタルデータの寿命
先日は5.25インチディスクを全て処分。
MS−DOS時代の大量の3.5インチディスクが棚の奥に冬眠していた。
これもすべて廃棄処分。
PC−98時代の遺物だが、最近のパソコンのFDDは
DOS/V仕様で3モードではなく2モードだからテキストファイルといえども読み込めない。
こう考えると、いまCD−Rに記録しておいても10年後はどうなるかわからない
ということがわかる。必要なものはプリントアウトしておくほかない。
●珍しい写真
掃除をしていると往々にして何かを発見する。
今回は6年前の写真が出てきた。
銀座3丁目の十字屋に出かけたときのもの。

ウクレレを弾くのは関口宏氏。学生時代はバンドをやっていたとかで
ボーカル、ウクレレともなかなかのものでした。

演奏後に記念パチリ。私の名前は*口宏。
関口氏とは1字違いなのだ。
私の本家は関口だから、もし祖父が養子に出なかったら
同姓同名になっちゃうところだった。
なお、氏は大学の1年後輩にあたる。
隣の女性は中村江里子ちゃんのママです。
学生時代は美人でしたよ。
絵里ちゃん、もうすぐママになる模様。
すると彼女はおばあちゃんね。今頃パリにいってるのかな?

■4月10日(土曜日)
●国の選択は?
拘束された3人の対応に政府はおおわらわだ。
解放の条件は3日以内に自衛隊を撤退させることだが純ちゃんは、「NO」と言った。
拘束された人たちの家族は、「撤退をも視野に入れて救出を…」と訴えている。
当然マスコミはこの事件でもちきりだが、進展はないので同じ映像を流すしかない。
北朝鮮問題、メジャーリーグはかすんでしまっている。
行動する首相なら、イラクに飛んでいくのだろうが、
彼にはそんな気持ちはさらさらなさそうだ。
外務大臣も安全な場所から「毅然とした態度を」と
北鮮のときと同じせりふを、オウムのように繰り返すだけ。
外務省の役人が情報収集に行っても問題解決にはならないね。
昔「よど号」ハイジャックのとき、人質の身代わりになって名をあげた代議士
「男・山下新次郎」がいたが、
今回そんなことをしたら、本当に殺されかねないので、誰も手をあげないだろうな。
だが、日本の政府は救出をアメリカまかせにするばかりでなく、
犯人と国際社会に訴える行動を迅速に起こさないといかんね。
そこで、ですね私思うに
政治家の「鈴木宗雄」さんを、イラクに派遣しアルジャジーラに出演していただき
犯人グループに訴えるつ〜〜のはいかがですかね。
彼は冷や飯食っているが(やったことを思えば当然ですが)熱血の人である。
へんに、おりこうさんぶったクールな人よりも(官房長官みたいなね)
野人の風格がある「むねお」さんが適役だと思うのだが。
もし、そういう任を受けたら彼は命がけで臨むと思うのだが。
ニュースが入ってきた。イタリア人4人、アメリカ人2人が拘束されたらしい。
民間人だとすると、両国政府の対応が見ものだ。日本に比べてどうなのだろうね。

イタリアのベルルスコーニ首相がイラクのイタリア軍を電撃訪問しました。
以前、英国のブレア首相、米国ブッシュ大統領も電撃訪問しておりますね。
主要国で行ってないのは、わが国の純ちゃんだけね。
拘束された人たちの家族との面会も断ったらしい。
他人まかせの冷血の人なんかな、やっぱり。
●竹も柳も風まかせ
わが家から自転車で5分くらいのところの風景が変わった。
道ができ、かなりの木が伐採されたので見通しがよくなった。
やがては住宅地になるのかな?
そこには2本の柳と小さな竹林がある。先はすこ〜〜んと開けている。
天気がよくても風が冷たく強い日がある。
若い葉が気持ちよさそうに揺れていた。


■4月9日(金曜日)

イラクに滞在していた若者3人が拘束され、生命の危険にさらされている。
どのように対応していくのか。小泉内閣は正念場を迎えた。
政府の本音は「ほら見たことか。危険地帯で民間人がうろうろしてほしくないな」だろうね。
●季節の炊き込みご飯
深川丼は「あさり」。わが家は「しじみ」と油揚げ、人参を入れた。
むきみではなくしじみの缶詰を購入。
缶詰の汁にみりん、醤油を加えだし汁として使うといい味が出るとか。
やや硬めに炊き上がった炊き込みを食しながら、
しじみと、いや、しみじみと春を感じた。


■4月8日(木曜日)
●日が、のびた
6時、ジョンの散歩。彼も来月で13歳に突入する。老犬だがきわめて健康。
夕日が宮代樹海の向こうに沈もうとしている。
1人・1匹の影が長い。平和な光景だ。

昨日は年に1度の狂犬病の注射のため保健センターに出かけた。
白衣の人たちを見て彼の記憶がよみがえった。
腰を落として前進を嫌ったが、抱きかかえて尻にプスッ。
●教師、続々逮捕
このところ教師の過度な副業でパクられる事件が目立つ。
結婚式場の司会を8年にわたり続けて2000万円以上稼いだ先公。
本業が教師だから話術は確か。結婚式場に登録しており後進の指導までやっていた。
この人、自己の新たな才能を発見したわけだから、
教師などという身分保証の枠から飛び出し、司会業として独立したらよろし。
次に、DVD猥褻図画をオークションで販売していた40過ぎの高校教師。
この人、ぬわんと、わが町宮代百間に住んでおります。
痴漢同様、破廉恥罪で捕まるというのが恥ずかしい。
家族はもっと恥ずかしい。年頃の娘がいたなら、もっともっと恥ずかしい。
教師の副業は厳しく規制されている。
わかっていながら、見つからなければいいや、という安易な発想。
職業倫理観が欠如しておりますな。
「でも・しか先生」のなれの果てということでございましょうか。
●庭の春
マイク真木風に「寂しかった僕の庭に花が咲いた〜〜」
プラムの白い花があっという間に散ったあと、
水仙、チューリップ、ムスカリ、アネモネなどが次々と花をつけている。
「もっこうバラ」も小さな蕾をいっぱいつけて開くタイミングを狙っている。
花水木も葉が出始めた。これからますます庭が色とりどりになってくる。

小松菜の菜の花畑。3〜4匹のモンシロチョウがやってきて優雅に舞っている。
 
チューリップは夜になると花を閉じて休んでいる。
 
花の数がますます増えたアネモネと、雑草みたいに出てきたムスカリ。
●日米青年の落差
昨夕刊紙。一面を飾ったのがイラクで戦う米兵の写真。米で開幕戦大活躍の松井稼。
「戦争と平和」がこれほど如実に表現された紙面はないだろう。

サダム・フセイン統治下のイラクではスンニ派が主流でシーア派は虐げられていた。
本来味方につけなくてはいけないシーア派の民兵と交戦しているのだ。
しかも戦死者もふくれあがっている。
かつて、ソマリアに派兵したとき、作戦のまずさから撤退したことがあったが、
(このときの状況は映画「ブラックホーク・ダウン」に詳しい)
イラクではどんどん深みにはまっているようだ。
外国で生死をかけて戦う米青年がいる。
一方、彼らの母国では日本からやってきた青年が、初打席の初球をホームランという
球団初の快挙をやってのけた。
彼も野球生命をかけて闘っているのだが、平和的な闘いだ。
この落差を複雑な思いで見ましたね。
●譲さん、懐かしい
同じく、昨読売夕刊読書欄から。
新潮社から「天下城」という、安土城の城作りに挑んだ男の物語が発売された。
著者は、「佐々木譲」さん。彼の顔写真も掲載されていた。

いつの間にか「おつむ」が薄くなり、いいおじさんになっていましたね。
もう20年以上になりますか。
小説家になる前、コピーライターだった彼と短期間だったが赤坂溜池の広告会社で机を並べていた。
自宅では小説を書いていたらしく、そのとき既にOASYSの親指シフトワープロ専用機を使っていた。
その頃、彼が「鉄騎兵飛んだ」で、どこかの新人賞を受賞した小説家であることを知らなかった。
話し方が物静かで、シャイな感じの青年だった。
あるカーオディオの会社の仕事を一緒にやっていたとき、
キーワード探しをしていた。そのとき彼が「アクセス」という言葉を提案した。
今でこそこなれたワードだが、当時はほとんど使われることがなかった。
そういう言葉を知っていた彼を、何者かと思ったものだ。
しばらくして、その会社を辞めた私は、赤坂の東急エージェンシーに席を置いた。
3年後にそこを辞めてフリーにjなった。
そして中目黒の駅から3分のビルの3階に事務所をもった。
打ち合わせのため、中目黒のホームに立っていると、譲さんと偶然再会した。
彼は私の事務所と反対側のところに住んでいた。会社は辞めて小説1本にしたらしい。
首に鞭打ちのギブスを巻いていた。
オートバイ事故を起こしたといっていた。
一度彼は私の事務所を訪れ一緒にビールを飲んだことがあった。
こちらが話しかけないと話さないという、シャイな感じは変わっていなかった。
それからの彼の活躍はすごかった。
小説がNHKのドラマ化される。日本推理作家協会賞、山本周五郎賞、新田次郎賞を受賞した。
彼の生み出す歴史小説、太平洋戦争物はことごとく読んでいる。
もと、本田技研に勤務していた彼らしくメカに対する描写は精緻をきわめている。
男心をそそる小説を次々に世に問うている。
今、都内に家をもち仕事場を北海道にすえている。
彼のWebサイト「譲アーカイブス」は、最近Blogページが加わった。
訪れる人にていねいに返事を書いている。誠実な彼の人柄が伝わるサイトだ。
わたしも時たまアクセスするが、最近都内でオフ会が開かれたようだ。
熱烈な氏のフアンが集まったらしい。
Blogは北海道の話題で盛り上がっている。入る隙はなさそうだ。
彼の著作を読むたびに、若い頃のことが思い出される。

■4月7日(水曜日)
●鬼母
とんでもないニュースが飛び込んできた。
関東からは、塾に行きたがらない子供を絞め殺した母親。
関西からは、息子に傷をつけた母親。新聞、ラジオでは「下腹部」といっていた。
こういう表現のときは「性器」であることは明白。
息子の「息子」を切り取った「親子・阿部定事件」かと思っていた。
ところが、テレビのワイドショーが伝えるところでは「次男の陰嚢」を切りとっちゃったらしい。
自分自身も幼児のとき性的虐待を受けていた、と供述しているとか。
最近は抵抗できない幼児に親からの魔の手が伸びるという事件が頻発している。

鬼子母神は「きしじん」と読んでいたが「きしじん」というのが正しいそうだ。
安産や育児の神であるが、もともとは幼児を食う悪女であった。
あるとき、仏に自分の末子を隠されて親の心を知り、仏教に帰依したという。
わが子への犯罪でムショから出てきたとき、変わってくれればいいのだが。

わが子への犯罪が多発する。なぜか?
親自身が子供であり自分のことで精一杯。母性欠如、育児への自覚ができていない。
気に入らないと人形を壊すように、我が子に危害を加える。
精神は子供のくせに体は成熟してるもんだから、子供の作り方だけは早く覚えてしまうんだよな。
子供ができなくて悩んでいる夫婦も多いというのにね。
快楽先行型の夫婦にはなぜか、犬や猫みたいに多産・安産。
さらに、核家族化による育児ノイローゼ。そして最近は男も女も簡単にキレる。
ノイローゼとプッツンが同時に現れ発作的に事件を起こしてしまう。
それと、「できちゃった婚」で簡単に結ばれ、別れる。また次の相手と簡単に結ばれる。
お互いの連れ子が疎ましく虐待を加えるケースも多い。
「命」というものが非常に軽視されている。こういう若い親は情緒も不安定である。

学校は「子供の心の発育」までは面倒見切れなくて「しつけ」は家でやってくれ、という時代だ。
共働きの家庭はどうするの?
親の留守の間に家に閉じこもる子供、盛り場に入り浸る子供など
どっちにころんでもろくなことにはならんよね。
昔は地域の子供たちで遊んだものだ。
そういう中で協調、思いやりなどを自然に学んだものだが
最近は面倒見のいい「がき大将」がいないからな〜。
どちらを向いてもお先真っ暗。
社会を昭和30年代に「リセット」できるならいいんだがね。
●ミミはおんぶと散歩が好き
わが家の猫は籠の鳥。彼女の世界は家の中だけ。
最近、おんぶをねだるようになった。
(これも芸のひとつかな?)

新聞を読んでいると後ろに回り背中に貼りつくように乗ってくる。
ちゃんと前足を背中にあてて、まるで人間の子供のようである。
「その姿で、間違っても外へ出ないように」と言われている。
…ついに、気がふれたかと思われるからだそうだ。
1日1回の散歩はミミの日課である。庭と裏の雑木を見るだけなのだが、
普段は抱かれるのが嫌いなミミだが、
この時ばかりは静かに、目の前に広がる大きな世界を興味深く眺めている。


■4月6日(火曜日)
●深夜の朗読番組
TBS・23時45分、講談社提供の朗読番組がある。
今週は北原愛子の「花冷え」。時代物。
紺屋職人と親方の姪っ子は幼馴染だった。
子供の頃は一緒にいることが多かったが、意識する年頃になって
次第に疎遠になっていく。
その二人の成人になってからの心の交流を描いている。
しっとりとした世界を、女性アナが男声・女声を使い分けながら朗読している。
だがね、あらかじめ下読みをしているのだろうね?
だったら、「細かな(こかな)」と発音すべきところを「独楽かな(まかな)」と
言っちゃうんだろうね。
彼女も、今風の、前にアクセントを置いている。
堀江みかさんあなたです。

■4月5日(月曜日)
●「えのきどいちろう」さん
TBSラジオ・22時からのニュース解説番組。
そこで、水商売風アナ長嶺さんと、かけあいでトークしているのが
「えのきどいちろう」さんだった。
彼の名前は聞いたことがあるが、浅学にしてどんなお方か存じ上げない。
今日起こったニュースをわかりやすく解説しているのだが、
その中で「ごんがいに…」という言葉を2度使った。
??
「言外」ではないのかね。
「言語道断」では「言」を「ごん」と読むが、「言外」は「げん・がい」だよな。
得々とニュース解説をしているだけに「ごん」という発音が耳に残って仕方なかったよ。
最近、おかしいアクセント、言い回しが気になる。歳なんかな?
☆「えのきど」さんはこういう人だった。

コラムニスト。1959年8月13日生。45歳。秋田県出身。中央大学経済学部卒。
大学時代に同じ仲間と創刊した『中大パンチ』の原稿が当時、
『宝島』の若手編集者だった関川誠氏の目にとまり、
商業誌デビュー。そのままずるずると現在に至る。

●熱気
韓国製TVドラマ「冬のソナタ」のペ・ヨンジュン人気がすさまじいという。
来日時に出迎えた女性が5000人。ベッカムを凌ぐそうだ。
私はこのドラマを見たことはないが、ペ君は「ヨン様」と呼ばれているらしいね。
あの、韓国人離れした風貌といつもスマイルというのがいいのかな?
ん?誰かに似ている。日本のタレントにおりましたよ。
松尾貴史ね。シニカルなトークの彼もヘアスタイルとフレームを変えれば
限りなく「ペ様」に近付くと思うのだが。
  
      ペ様               マツ様
●緑、ちらちら
昨日の雨をいっぱいに吸収して今朝の木々は精気に満ちている。
ついこの前まで落葉の雑木林は寒々しかったが
いつの間にか緑の衣をまといつつある。
毎日少しづつ成長していくわけだから
今月の終わりごろには、それは美しい若葉で覆われる。
ご用心。この時期になると植物のエネルギーに
人間の精気が吸い取られるという。
だから季節はいいのに、体調の不調を訴える人も増える。

●「ぼけ」の木に「ぼけ」の花咲く
何の不思議はなけれど…である。
家の北西側に移植したボケがひっそりと白い花をつけていた。
よそのお宅では、垣根越しにたくましく成長したボケが
華やかな赤い花をつけているが、わが家のそれは実に「はかなげ」である。
このボケ、十数年前は盆栽であった。
まだ独身だった私が、連れ合いの母親にプレゼントしたもの。
それは遥か遡ること30数年前のことだ。
銀座8丁目の千疋屋で購入した。当時にしては高価でしたね。
大層大事にしてくれていた義母もとうにこの世を去った。
不思議な縁で東京、横浜、埼玉と移り住んだボケを
もう少し大切に扱ってあげないとね。

●NHKアナの発音がおかしい
イラクでスペイン軍がデモ隊に発砲した事件のニュースのとき。
同時爆破テロ」と発音すべきところを「童子爆破テロ」という発音になっていた。
「彼氏」が「枯死」と同様、アクセントが前にくるアレである。
読み上げていたアナはベテランである。
「星」アナウンサー、あなたです。
NHKはだいぶ前から発音がおかしいアナが増えている。
しかも深夜放送のベテランに多いというのが嘆かわしい。
NHKといえば、日本語の発音では国民のお手本となるべき存在であった。
それが、今様の若者と同じ発音していていいのかね。
「星」は、人名のときは「し」だが、夜空に光るのは「ほ」である。
星アナウンサーは自分の名前は正確に発音していた。
なぜなら、人名は前にアクセントがあり、今様の発音だからね。

■4月4日(日曜日)
●またまたまた新選組
芹沢鴨の乱暴狼藉の巻でしたね。これは本庄宿で実際にあったこと。
当時の旅籠で現在まで営業しているところはないだろうが、
子孫のお宅の蔵の中で、浪士隊の宿割帳が眠っていたら面白いでしょうね。
宿の手配の不手際で鴨にへそを曲げられた勇が
誠心誠意謝罪をすることで、隊の幹部連中に強い印象を残すことになる。
また、歳三は勇が途方にくれていた宿の手配をそつなくこなし、
今後の新選組の組織運営の片鱗をのぞかせた。
また、これからどうなるかわからない浪士隊の中で、確実地位を築くべく
やさしいだけの勇をリーダーとして祭り上げるための画策をめぐらす。
後に新選組No2として采配をふるう土方の片鱗がここにも。
歳三の写真は現存する。
ドラマで歳三を演じている俳優さんはのっぺり型であるが
実際の歳三は細面でもっと彫りの深い美男である。
来週は、いよいよ上洛。策士清河八郎の言動で一波乱ある。
●朝の地震
8時頃はまだ床の中にいた。
地震!縦揺れがなかったので、そのまま布団にもぐったまま
成り行きを見守ることにした。
NHKの地震速報で茨城が震源地と報じた。
春日部市は震度4だったそうだ。
横浜に比べこの界隈は安心かと思っていたが、実はそうではないらしい。
久喜市には活断層がある。
以前、連れ合いが犬の散歩で畑中にさしかかったとき、地震があったらしい。
畑の土が海の波のようにうねったそうだ。
もちろん初めての体験で腰が抜けるほど驚いたという。
●4月の広報誌
 
宮代町広報誌・今月号の表紙は仏道の桜だった。
たまたま昨日このあたりへ自転車で行った。
姫宮落川の下流に位置する場所だが、ここの桜も年代を感じさせる。
「宮代桜MAP」でも作れば、この町がいかに見所が多いかわかる。
川のほとりに咲く桜は情緒がある。
しかし、今のままでは外部から客は呼べないだろうな〜〜。
肝心の川が汚染しているのだ。
下水が普及していない町なので、生活雑排水が流れ込んでいて、
水が「ばばっちい」のである。
水辺に降りようものなら、悪臭が鼻をつきそうなのね。
これが「春の小川はさらさらゆくよ」というような清い川なら
この水辺に茣蓙を敷いてお花見をしたくなるのだがね。
●野菜作りのバイブル
初めて野菜を作ったのは、横浜にいたときだ。
猫の額のような花壇にピーマン、ナスを植えた。
反町の「サカタのタネ」」や六角橋で苗を買った。
幸い出来栄えがよかったので、翌年も作るようになった。
平成4年発行の「野菜づくり」はそのとき購入した。
当地に越してきたのは平成6年。
以来、この本を見て植える時期、植え方、肥料などを学んでいる。
近くの畑ではプロが野菜を作っているので、
もちろん、大いに参考にさせていただいている。




■4月3日(土曜日)
●レジーナと桜
東武動物公園の目玉乗物「木製ジェットコースター・レジーナ」も
春休みを迎えて大車輪の活躍。
朝から晩まで黄色い悲鳴がわが家まで飛び込んでくる。

散り始めた花吹雪の下を中年のご夫婦が散歩をしていた。

別のアングルから見たレジーナと桜。綿飴のような雲も春を告げている。

手前は市民農園。まだ野菜作りは始まっていない。
明日が晴れたら土を耕しに来る人も増えるのではないかな。でも雨で寒いらしい。
●宮代版・権現堂もどき
お隣、幸手市・権現堂の桜は菜の花との対比が美しく、ここ何年かのうちに
全国区の名所になってしまった。
この時期、都内はもちろんかなり遠方からも観桜客が訪れるという。
駐車場確保にも苦労するので、最近は出かけません。
宮代商工会脇も木は若いがみごとな花をつけている。

ピンクの家と菜の花、それと桜。春の景色ですね。
●土筆発見
いつもの所に芽を出す土筆が今年は見当たらなかった。
水路の改修工事を行い土が固められてしまったので全滅のようだった。
人のあまり通らない「ほくほく」の土でないと、土筆の頭は出てこないようだ。
犬の散歩コースを変えてみた。
犬は新しいテリトリーだからおしっこをかけまくる。
私は下を向いて目を凝らす。
ついに発見した!意外に近いところにあった。
いままで畦道しか探さなかったのだが、資材置き場の斜面にあった。
もっと早く見つければ、そんなことはなかったのだろうが
周囲はスギナ、ヨモギでおおわれ、トウのたった土筆が数本。
来年は、顔を出したばかりの土筆を写真に収めよう。

●野菜作り前哨戦
近くの畑ではお百姓さんたちが畑を耕し始めた。
プロの動きを見て私もそのようにすることにしている。
「新しい村」の直売所で「ねぎ」の苗を購入。300円でおつり。安い。
細い、小さい子供のねぎだが、みじん切りにしてそばつゆに
浮かした姿を思い浮かべている。

庭で越冬した熊はまだ厚着のまま。
お花畑に迷い込んで平和なひとときを過ごしている。

4月版のタイトルで使っている風景を別のアングルでとらえた。
相変わらず柳の緑が美しい。
光線量が微妙に違うので雲の写真は難しい。
パノラマにするとあらが目立ってしまう。


■4月2日(金曜日)
●春の主役登場
暖かい日が続いたと思うと急に寒くなったり、春の気候は気まぐれだ。
しかし、植物たちは目覚めるときを知っている。
昨年秋の枝の剪定がよかったのか、
枝いっぱいに白い花をつけたプラムが、さっさと散ってしまった。
今度は、隣のネクタリンがピンクの花をつけた。
なんとも春らしい風情の花である。
でもなかなか結実しない。花から花へ飛び回る蜂が少なくなったからだとか。
このため、絵筆で人工授粉をしてあげなければならない。
チューリップも茎を伸ばし蕾が少しふくらんできた。
これからが楽しみである。




■4月1日(木曜日)
昨日は、銀座へ出て、午前2時頃帰還。
久々の体力勝負。しゃべって、飲んで歌って…さすがに疲れた。
ということで、昨日のできごと。
●定席に変化
例年「成人の日」にサントリーが飲酒解禁「祝成人」広告を出向していた。
ここは、名手・山口瞳の定席であった。
サントリー文化の担い手・推進者であった氏の筆によるエッセイは秀逸だった。
後任の書き手はつらいところだったろう。
山口氏を超えるような文章を書かなくてはいけない、というプレッシャーもあったろう。
しかし、あまり面白い広告は出来なかった。
今年の成人の日は中止したようだった。
4月1日は新社会人のスタート日である。
サントリーの全7段の広告が掲載された。新人へのエールである。

「誇り高き0(ゼロ)であれ」と題した伊集院静氏のエッセイであった。
「スタート時点ではだれもがO(ゼロ)」とかなんとかいうものであったが
これまた山口瞳氏の含蓄ある文から比べれば、まだまだ、であった。
誰が執筆しても山口氏と比べられちゃうんだから、つらいところだよね。
●ドンロー教授の個展
これは昨日のできごとです。
銀座線銀座(今日からG**表示)から裏通りを歩く。
古いビルはいつの間にか駐車場になっていたり、
銀座第一ホテルの建物がなくなっていたり。
私の知る古い銀座がどんどん様変わりしていく。
銀座8丁目のギャラリー「せいほう」へ出向く。
小・中学校の同級生である綿引道郎(ドンロー教授)と子息の合同個展が開催されている。
父と息子とその子供。彼の家は3代芸術家である。
父は木彫、子は「鍛金」(塑像)、息子は「メゾチント」(銅板)とジャンルは少し異なる。
ドンロー氏は広島芸術大学の教授であるからして「ドンロー教授」なのである。
「親子で個展か…、いいね」
 


秋に上野で開催される二科展の作品は大きいが今回の作品は比較的小さい。
わが家にも飾れそうなのだが、お値段が…

左はご子息・周一郎君の犬をモチーフにしたメゾチント。
右のブースが父親ドンロー教授の鍛金今回の目玉は「若き日のダンテ」。
なお、その他の作品は「6年4組の部屋」で公開予定ね。

作品を見終えた後、近くの中華料理店「信華」で軽く食事。
この店は昔は角にあったのだが、いつの間にか引っ込んでビルの地下に移動していた。
20代後半はこの近くの広告代理店に勤務していたので何度か利用していた。
中学校の同級生で、大学時代にライカM2で落語家の写真を撮っていた
赤塚君はこの店が贔屓で、頻繁に出入りしていた。
そのことを女将に話したところ、彼のことをよく憶えていて、
ひとしきり、その話題で盛り上がった。

信華で記念パチリ。教授、息子、おれ。

「夜のぎんざ〜〜は、なない〜ろネオン」なんて歌があったよな。
10時近くの7丁目は人の姿も少なく、ネオンだけが空しく光っていた。
渋谷、新宿、池袋、六本木などは若い連中でごったがえしているんだろうね。
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