田舎三昧の生活と意見
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1日梅
  エネミーライン
  NHK試験放送開始
  またまた新選組
2日シンレッドライン
3日胡散臭さ、ぞろそろ
  北は怖いが南もね
  桜田門外の変
4日小山と家康と和菓子
5日 宋美齢
  たそがれ清兵衛
6日陶器祭り
  初の女性週刊誌
7日またまた新選組
  やり得の代償
8日インパール作戦
9日近衛兵
10日春、急ぎ足
   金子みすゞ忌
11日犯人の少年が成人に
12日庁舎工事始まる
   確定申告
13日新選組の萌芽
14日松の廊下・刃傷
15日またまた新選組
16日ロビンソン百貨店も春
   ミミの春
   わが家の菜の花
   菜の花畑
17日山崎桜
   雑誌が消える
   文春、出版差し止め
   町がだんだん寂しくなる
18日どっこい灯っている
   また道路工事が始まる
   柳青める
   汚れた川
19日痛烈なパロディ
   カメラ発明記念日
20日和田勉セクハラ
   まさかの雪
   再び「うどん市」
   地下鉄サリン事件
21日さよなら、チョーさん
   またまた新選組
   再び、松五郎
   ヒヤシンス目を覚ます
   やっぱり新選組
22日時代劇、受難
   繁殖力旺盛西洋タンポポ
23日我が心石に匪ず
   ユニクロ、野菜から撤退
   ソニー神話、崩壊
24日蝉しぐれ、再放送
25日サービス業の質
   元気なチョ〜さん
   文春の反撃
   蝉しぐれ5夜
   電気記念日
26日蝉しぐれ、終わる
   同級生の個展
   またまた小言
27日おしん、終わる
   地下鉄の駅表示
   奥の細道
28日桜は、まだかいな
   シーボルト
29日またまたまた新選組
   麗人
30日桜づくし
   花壇は続くよどこまでも
31日春の歌


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■3月31日(水曜日)
早いもので3月も今日でおしまい。いつの間にか春になってしまった。
昨夕から降り始めた雨は夜中になっても止まない。
風が吹き、雨脚はさらに強くなったようだ。
●春の詩
なんといってもこれだろう。
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
作者はロバート・ブラウニング。(1812-89)  イギリス・ロンドン生れ
上田敏の『海潮音』にある「春の朝」は、この詩を翻訳したもの。
また、
「花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ」
この句も有名。井伏鱒二が中国晩唐の詩人「干武陵(うぶりょう)」の
「勧酒」を訳したもの。名訳とされている。
この句は最後の2行で、先に2行ある。
「この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ」
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
という、別れの前に酒を酌み交わしている情景なのね。

■3月30日(火曜日)
●桜づくし
午前中は晴れていたが、午後から雨が降ると天気予報。
咲き誇っている桜に無情の雨である。
12時に家を出て、雨が降らないうちに近所の桜を撮影してきた。
予報は当たった。4時過ぎから雨が降り出した。
撮影時は花曇というほど風流ではない。
空は雨を呼ぶ雲におおわれ、桜花の色がいまいちはっきりしなかった。

笠原小学校前は満開だった。昼時なのに誰も人の姿はない。

東武動物公園入り口脇を行くと、姫宮落川沿いに桜並木が続く。
日曜日にMi−netのDさんと出会ったあたりである。
ここも人の姿がない。土手で野草を摘んでいたご婦人がいた。
聞いてみたら「からし菜」ということだった。
湯がいて塩漬けにするといいという。漬物好きにはたまらんそうだ。

川に大きくせり出している木もある。はるか向こうに日工大の建物が見える。

桜並木の最後の桜は少し離れた所にある。
私は密かに「孤高の桜」名付けている。
枝振りが堂々として、一番好きな木である。

農家の庭先の桜も咲き誇っていた。
いいですね、こういう木のあるお宅は。

私が小学生の頃は、江戸川土手の桜がすごかった。
ちょうど柴又帝釈天の裏にある川甚の脇を通って江戸川に出る。
そこから金町浄水場先の金町小学校(私の母校ね)あたりまで
桜並木が続いていた。
花見時になると大勢人が出てむしろを敷き
飲めや歌えのドンちゃん騒ぎが至る所で繰り広げられていた。
その頃、神楽坂はん子の「あなたにもらった帯止めの…」トンコ節が流行っていた。
私ども悪がきグループは、そのまわりをうろうろして小銭を拾ったりしたもんだ。
昭和25〜6年の話ですけど。
その後、江戸川堤の桜の木はすべて切り倒されてしまった。
堤防の護岸機能を低下させるとかで。
今、味気ない風景が広がっております。

桜を撮影した後、道すがらで東武動物公園のフェンスに沿って1周することになる。
裏手に、羊小屋がある。
子羊を従えたファミリーがいた。顔の黒いのは雄だろうか。
フェンスに近付いたら、警戒して寄ってきた。
(羊たちの沈黙…)

●花壇は続くよどこまでも

先日、こんなところにまだこんなことやってる、と紹介した、新しい村の花壇。
ものすごい量だ。30個以上ありますね。
以前は竹製の花壇だったが金をかけております。
売れて売れて笑いが止まらない「森の市場」だから
このくらいの投資は安いもんだ…ということかしら。
この花壇もいつまでも無事じゃないだろうな。
狭い道だから、いつものように自動車がすれ違いざまに飛び込む。
2〜3個はふっとばすだろうね〜〜。
壊れたら補修するか、新しいものを設置する。
この前も書いたが、波に崩れた砂山を再び作るようなもんだ。
何度も繰り返すんだろうね。
この道は道幅に比べ広すぎるのだから、右側の歩道ぎりぎりに
低いコンクリートの車止めを作れば問題解決なのに、
どうして花にこだわるのだろうね?
こういう環境だから花が一番ふさわしいとでも思っているのかな。
初めは芝生、次に竹製の花壇、その次鉄のピンを立ててロープを張る、
そして今度は合成樹脂製の花壇。
試行錯誤は続くよ、い〜つまでも〜。

■3月29日(月曜日)
●またまたまた「新選組」昨夜放映ね
浪士隊募集に小石川伝通院に集まった面々は350名以上だったという。
当初、幕府側は50名も集まればよい、と思っていたらしい。
予想外の展開に、幕府の浪士取締役・松平上野介は手当ての算段もつかず
突然辞任、自宅に引きこもってしまう。(往年のロックシンガー藤木孝が演じる)
ドラマでは佐々木只三郎が、鵜殿鳩翁に頼み込んで役についてもらっている。
当初幕府は参加した浪士1人に50両支給する予定だったが、
人数が増えたので10両に値下げをした。
このことを浪士に伝えたのが鵜殿鳩翁だ。
浪士隊のメンバー割り振りが決まった。
一門を率いて参加した勇は無役であった。
清河八郎は勇への認識がまるでなかった。
ドラマでは、山南敬助が清河に一考を申し込むが聞き入れられない。
業を煮やした土方歳三が捨助から50両を騙し取り、
その金を清河に渡し、勇を宿所割の役につける。

画面は左から山南、勇、歳三。
無役とわかり歳三が勇に詰め寄っている。山南が清河に掛け合ってくる、と言っている。
山南はやがて新選組を脱走し大津あたりまで逃げたところを、
沖田総司に追いつかれ隊に戻されて切腹させられる。

文久3年(1863)2月4日、小石川伝通院に集まった浪士は
2月8日に中仙道を京に向け出発する。
3日後武州本庄宿(埼玉県本庄市)で事件が起こる。
(これは次回放映)
勇は手違いで芹沢鴨とその一派の宿を手配していなかった。
元来、すね者の鴨に勇は卑屈なほど平身低頭して謝ったという。
しかし、芹沢はへそを曲げて、激昂した。
勇は飛び回って宿を確保したが、
その間に芹沢一派は町中から戸板、障子をかき集めそれに火をつけたという。
飛び火して火事になりかけた。
飛んできた役人が火を消そうとするが、鉄扇で追い払い手のつけようがなかったとか。
やがて、鴨一派は近藤一門に粛清される。

間もなく大津到着というとき、
近藤一門の井上源三郎と芹沢鴨がささいなことで喧嘩をはじめた。
お互いに一歩も引かなかったが、そこに沖田総司が割って入った。
総司は剣は抜かず棒切れで鴨と相対した。
鴨はその剣筋のよさがわかり、引き下がったという。
ドラマでは中間のように腰が低く、人のよさそうな源さんなのだが…
井上源三郎の子孫が実像を伝えるために、日野の自宅の一部を資料館にしたそうだ。
●麗人
美しい人をこのように言ったが最近はとんと聞かない。
「男装の麗人」と言えば「ターキー」こと水の江滝子。
ロス殺人疑惑・三浦君の叔母さんね。(実子という説もある。顔がよく似てる)
「女装の麗人」と言えば「三輪明弘」か。
インターネットで「麗人」を検索すると、ファッションヘルス、女装クラブのサイトが多い。

NHKラジオの深夜放送「ラジオ深夜便」をときどき聞いている。
1時間タイマーにしているのだが切れる前にだいたい眠りに落ちている。
昔の歌謡曲が流れるとつい聞き込んでしまうが、
翌朝には何を聞いたか忘れている。
が、昨夜の「麗人の歌」のことは覚えていた。
戦後間もなく封切られた「麗人」という映画の主題歌だそうだ。
その歌詞が面白い。メモしたわけではないからうろ覚えである。
「*****綺麗な薔薇には棘がある
****な男にや****がある
知らないうちが華なのよ、知ってしまえばそれまでよ」
女性アナの解説では、「麗人の歌」は何人もの歌手が歌っている。
今夜は「*****子さんの***」と言っていた。
さらに作詞はサトーハチロー。麗人の元本は佐藤紅録、つまりハチローの父親という
ことだった。
小さな音量で聞いていたので、どこまで正確か定かではない。

翌日調べてみた。
「麗人」という映画は、大正時代の柳原白蓮をモデルにしているという。
オリジナルシナリオか、紅録の本を元にしているのかはわからなかった。
主題歌「麗人の歌」も霧島昇、河原喜久恵 、曽我直子が歌っている。
昨夜聞いたと思う河原の場合はタイトルが「麗人の唄」だった。
霧島昇の歌は古賀メロディーになっていて作詞西条八十、作曲 古賀政男である。
ハチロー作詞は誰が曲をつけたか不明。
これらの曲を収めたCDがあるらしいが、歌詞は紹介されていなかった。
西条版とサトー版では詞がどのように違うのか興味あるところだが、
歌詞まで探すことはできなかった。
映画「麗人」のモデルになった柳原白蓮。和歌と激しい恋に生きた人らしい。
  
若い頃は大正時代、やや齢を重ねたのは昭和時代かな?歳いったほうが理知的ね。
映画では「原節子」が演じております。

■3月28日(日曜日)
●桜は、まだかいな?

都内では桜開花情報が賑やかだ。
ここ、宮代も桜の本数はかなりありますよ。
早い夕刻、天気は上々なので犬の散歩がてら
地元の人しか通らない場所にある桜を見に出かけた。
4分咲きという木もあったが、2分というのもあり、
宮代の見頃は来週の半ばではないだろうか。
折った桜の枝を手にしたおばちゃんとすれ違った。
人が少ないからってよ〜〜やるよ。

川の向こうに知り合いがいた。
宮代インターネット研究会の仲間、Dさんも桜探索にきていたようだ。
彼女は学園台に住んでいるので川の向こう側。
私は山崎住まいなのでこちらら側。
お互いにデジカメに収めた。
私の小型デジカメは望遠機能がない。広角レンズだけ。
人物は小さくなってしまったが、手前の川が映りこんでいるのでいい雰囲気である。
彼女のホームページにも今日の写真を掲載してくれないかな?
↑掲載していただきました m(_ _)m
●シーボルト
昨日、シーボルトの5代目にあたる方がすい臓がんで亡くなった。77歳であった。
Webニュースでは朝毎読のうち読だけが報じていた。
その人の名は米山彰(よねやまあきら)さんと言い、埼玉県嵐山町にお住まいであった。
シーボルトと「おたきさん」そして、「オランダお稲」まではよく聞くが
そのあとの代については聞いたことがなかった。
喪主は長女のサンチェス・聖子さん、とあった。
また、混血があったのですね。
長女というから、まだ兄弟姉妹がいるのだろう。
幕末の長崎にあって、日本に医学・博物学などの影響を与えた方の子孫が
脈々と血をつないでいたことに、新鮮な驚きを覚えた。

  「いね」父「シーボルト」と
稲はシーボルトと楠本お滝の子。文政10年(1827)、長崎生まれ。
「滝」はオランダ人を相手にしていた遊女であった。
シーボルトは滝と結婚し、大層愛したという。
文政11年(1828)帰国の際、国禁の日本地図を入手したことが発覚し、
国外追放された(シーボルト事件)。
愛娘おイネのゆく末を、涙ながらに弟子の敬作に託した。
稲が14歳の時愛媛県卯の町に訪れ、二宮敬作から医学を学び、
日本初の女性蘭方医となる。
のちに宮内庁御用掛の産科医としても活躍した。

シーボルトはオランダ商館長ドンケル・クルチウスの願い出により
国外追放を解かれ、安政6年(1859年)オランダ貿易会社の顧問の肩書きで
長男アレキサンダーを連れて再び日本を訪れる。
この時、シーボルトは63歳になっていた。
長崎に着いたシーボルトは、滝やいね、そしてかつての門弟達と再会し、旧交を暖めた。
滝はシーボルトが日本を離れた後再婚して子供も出来たが、
その子供は亡くなっていました。
別れた時に魔だ2歳だったいねは門弟達に育てられ、
医学の手ほどきを受けて長崎で産科医として開業していた。
シーボルトはいねのためにわざわざ外科道具を持参している。
1862年(文久2)日本を去り翌年ドイツに帰る。ミュンヘンで死去する。
長男アレキサンダー・次男ハインリヒも来日し外交・文化などに功績を残した。

■3月27日(土曜日)
●「おしん」終わる
ついに最後まで見てしまった。
昨夜は、「スーパーたのくら」の落日かと思えたが
最終回は「浩太」の仲介で、過剰投資をした17号店舗の売却が決まり
不渡りを出さずに済んだ。
これで規模は縮小したが、なんとか持ちこたえることができた、
めでたしめでたし…であった。
予期せぬ展開であったが、ほっとした。
最後は「おしん」と「浩太」が、海を見ながら長かった人生を振り返る。
そこへ、犬が飛び出してきた。
飼い主は「奈良岡朋子」だった。
ナレーションの彼女が最後の数秒顔をだした。
老夫婦と間違い「いつまでもお幸せに」なんていいながら通り過ぎた。
田中裕子はあまり好みの女優ではなかったが、
おしんの演技だけはよかったと思う。
それが、音羽信子に代わりミスキャストのように思えたが
結局しっかり見てしまった。
彼女も昔から好みではないんだよな。
浩太はふけメークでも、声に張りが合って違和感。
20年前はまるで興味のないドラマであったが
こういう人情・根性物を夢中で見るようになっては…
●地下鉄の駅表示が変わった
ん?日本語・ローマ字に加えアルファベットと数字が付け加えられた。

これは「日比谷線」だから「H」。19は、中目黒から数えた駅数かな?
地下鉄の表示が国際的になったのね。
外人に路線を教えるのも以前より容易になったのだろうが
路線図がないと手が、じゃなかった、口がでない。
いずれ、中国語、韓国語も付け加えられるとか。
日本における外国人犯罪の多い国の言葉をね。
●奥の細道
松尾芭蕉が曽良同道で奥州への旅に出たのが、
1689年(元禄2)の今日。46歳のときだった。
「月日は百代の過客にして行かふ年も又 旅人也」で始まる「奥の細道」を
学んだのはいつの頃かな?中学高学年?高校1年?
千住の橋で詠んだという「行春や鳥啼魚の目は泪 」はあまりにも有名。
北千住の、旧日光街道沿いには縁の碑や建物があるという。
草加で初めての宿をとる。草加市にも史跡がある。
3日目の宿は、栃木県間々田。
私の住む界隈に、こんな優れた見所がありながらまだ一度も訪れたことがない。
北千住は駅ビルまで、草加は下車したこともない。
もったいな〜〜い。今度、見に行こうっと。

■3月26日(金曜日)
●「蝉しぐれ」終わっちゃった。
文四郎役・内野さんの殺陣は今夜も迫力がありました。
失脚した家老は国払いになった(切腹ではなかった)
義母思いの嫁「せつ」と仲睦まじく暮らしていたが、あるとき
敗れた家老が文四郎へ刺客を放ったという噂が入った。
彼は友人のいる道場へ顔を出した。
そこには、御前試合で文四郎に敗れた男がいた。
道場で手合わせを所望され、文四郎は敗れる。
刺客は彼だと確信する文四郎。
雨の宵、ついに彼は刺客に襲われる。
覆面をした敵はなかなかの手だれであったが
文四郎の剣は刺客に一太刀浴びせ顔が現れる。
それは先日訪れた道場の師範代だった。彼は秘剣「村雨」で敵を倒す。
(このときの殺陣はぜっぴんだったですね〜)
20年の時が流れ、彼は村回りの奉行になり、切腹した父親の名前を継いでいた。
出先の村の宿舎で、一通の手紙を受け取る。
「ふく」からだった。
この近くに来ている。仏門に入る前に一度お目にかかりたい、というものだった。
彼女が城に戻る期限は手紙を受け取ったその日だった。
馬を駆って海岸を走る文四郎。
主君の側室「おふくさま」と、襟をただして面会する文四郎だったが、
彼女は「文四郎殿」ではなく、昔のように「文四郎さん」と呼んだ。
過ぎ去った日々の気持ちを確かめ合う二人だった。
彼を呼び出したのは、この世に思いを残すことなく尼になりたいという願いからだった。
指の傷を見せ、幼い頃蛇にかまれた折、
文四郎が口で血を吸い出してくれたことを思い出させる。
抱かれることを望んでいる切ない目であった。
主君の側室ということで襟を正していた文四郎だったが、
理性の糸が、ぷつんと切れた。
籠に乗り城に帰る「ふく」を2階の丸窓から見送る文四郎。
それぞれの、また新しい生活が始まる。
お互いが男女として意識し合ったのも、別れを告げたのも、
同じように蝉がうるさいほど鳴いていた夏の日だった。
な〜〜んか、長々とストーリーを説明しちゃったな〜〜。
緊迫感ある斬り合いあり、親友とのほのぼのとした交流あり、
幸せな結婚生活があり、終生胸に秘めた恋の思いあり…
大人の観賞に十分耐えうるドラマではありました。
やっぱり、時代劇はNHKだよね〜。
来週から「御宿かわせみ」のニューバージョンということだ。
私、「おんじゅく」と呼んでおりましたが「おんやど」なのね。
てっきり、房総の田舎宿の話だと思っておりました。
山周、藤周など本格ドラマのほうがいいのにね。
半村良の小粋な時代ものでもいいよ。
●同級生の個展

3月29日から、小・中学校の同級生の個展が
銀座8丁目「ギャラリーせいほう」で開催される。
彼の父親も彫刻家だった。
大昔、遊びに行ったことがあったが、大きな欅の木がある家だったような気がした。
その後、芸大に進み大学院を出た彼は、彫刻家としてデビューした。
鉄を溶かして像を作るという難しい技術を必要とする彫刻の第一人者だそうだ。
いま、広島芸術大学の教授として単身赴任している。
その彼から、個展の通知が届いた。
今回は、彼の名前の隣にもう一人。
同姓異名、つまり子息との共同展なのだ。
我々もそんな時代を迎えてしまった。
久しぶりに顔を出し、旧交を温めようかと…
彼の作品は、春日部東口LAOXの前にも展示してある。
●またまた小言
お〜っと、また見つけちゃったい!
町中のすっとこどっこいをね。
新しい村の脇に開通した新しい道。
(何でもかんでも「新しい」だね)
車道が狭いわりには歩道が広すぎる。
車がすれ違うとき、歩道側に寄れないように、
また路上駐車できないように
鉄のピンを立てそこにロープを張っていた。
これが、自転車で通行する人間には大変危険であった。
対向車が来たとき歩道に退避しようとすると
ロープにひっかかっちまうのさ。
ところが先日、そのピンを外していた。
新しい村の管理をする人たちも、やっと通行人のことがわかったのね、と思った。
が、「な、な、なんじゃこりゃぁ〜〜〜〜〜」
昨夕散歩で通ったら、プラスチック製の花壇がびっしり並んでいるではないか。
ピンを外したのはこのためだった。
「新しい恐怖」の始まりだな、これは。
結局、自分たちのことしか考えていない。
3セクがやっている「新しい村」だが、、役人的発想でしかないことが判明。
うん・ざり。

雨が降ると、育苗施設への道は、
穴ぼこだらけになる。
新しい村のイベント開催時は、この穴に砂利をまいて
ローラーで踏み固めるだけ。毎年同じことをやっている。
森の市場の前だけを舗装するだけでなく、
こっちもお願いしたいですね。
そのまま放置しておき、砂利まきで終わらせていては
特定業者への仕事づくりと勘ぐられてもしかたないやね。

■3月25日(木曜日)
●蝉しぐれ、あしたでおしまい。
幼馴染で、相思相愛だった文四郎とふく。
しかし、「ふく」は江戸表の藩邸に召抱えられていたとき殿様の「お手つき」となり
文四郎はどうすることもできない。
お家騒動に巻き込まれた文四郎は、窮地の「ふく」と殿の子を救い出す。
文四郎にとって、正義の家老の家に2人を届ける危険な道中だが、
それは、長い間封印していた「ふく」と2人になれる時間だった。
わずかな逢瀬で、心をぶつける「ふく」。切ないシーンだった。
やがて正式に側室となった「ふく」は城住まいになり
文四郎は、完全に手の届かない人になったことを知る。
そして、彼は嫁を迎えることにした。
韓国ドラマ「冬のソナタ」の純愛が評判というが、
「蝉しぐれ」の2人は、文四郎が40歳、ふくが38歳になったときも惹かれあっていた。
純愛とはこのようなものですよ。
「冬のソナタ」なんて青いですね(見たことないけど)
明日が最終回だが、殿様の逝去により「ふく」は出家しなくてはならない。
もう、髪を切ってその準備はできている。
20年の年月を経たそんなある日、2人は出会い、回想するドラマなのだ。
悪家老の家で斬り合いをするシーンがあったが、
文四郎の表情に別人かと思えるほどの凄みがあり、非凡な俳優であることを感じさせた。

●サービス業のサービスの質
埼玉りそな銀行宮代支店・中年女子行員の接客態度に大変不愉快な思いをした。
言葉遣いが悪く、態度も横柄。
13時頃だったので、彼女の昼飯時間なのか時計ばかり気にして
あげくのはては、客をそのままにして姿を消してしまった。
怒り心頭に達し、別の係員を呼んだ。
その女の名前を聞いたが、絶対に教えない。
後から対応した行員は平身低頭だったが
その女の態度の悪さ、接客中に黙って姿を消したという職場放棄。
許されるものではない。
本店に投書しようと思いサイトに入ったがそういうシステムはなかった。
こういう銀行は、絶対に「苦情窓口」を作るべきなのだが
投書が多くなるのを恐れてか、メール対応もしていない狡猾さ。
近々中に支店長に直談判かな?
直接行っても会えないだろうから、しかるべきルートを使って行くしかないか…
けたくそ、むなくそ悪い女子行員だったよ。

同じようなことが「宮代郵便局」についてもいえる。
窓口の女のうちの1人だ。
以前、SAL便というので海外に小包を送ったことがあった。
私は、それしか知らなかったのだが、もっと安く送ることができる方法があった。
郵便局員は、その道のプロである。
みすみす高い方法を選ぶ人がいたら、助言をしてくれる。
それがプロというものではないのかね。
後日、郵便局に行ったときそのことを言ったら
対応した女子職員は、何を勘違いしたのか、ぶすっとした表情で
切手代を自分のポケットマネーから弁償するというのだ!!
返せと言っているのではないのだよ、きみね。
サービス業のプロ意識について語ろうというのだよ。
カウンター内で切手売ったり、送金業務するだけじゃないでしょ?

埼玉りそな銀行宮代支店の女子行員といい宮代郵便局の女子職員といい
なんで、こう態度が硬質なんだろうね。
銀行屋、郵便屋はエリートだと思ってるんだろうかね?
銀行は他人の金を預かり運用して商売している。
郵便局は郵便業務もあるが、同じように郵貯集金業務もありますね。
どっちも他人のフンドシで商売しているということが、
完全に頭から抜けております。
どちらもサービス業だよな。
だったら、言葉遣い、態度にもっと気を配りなさいよ。

田舎の金融機関や郵便局は競争のない独占だから態度が横柄になる。
も少し職員教育をしっかりやらんとね、時代に取り残されるよ。
(歳なのか、最近は「小言幸兵衛」になってるな)
●元気なチョ〜さん
寒の戻りはあるけれど、着実に暖かくなっている。
例年のことだが、古いものを整理する。
雑誌だが、つい見ながらなので時間がかかる。家人から厭味を言われつつ。
4年前のパソコン雑誌に、昨日、告別式が行われたチョ〜さんの元気な姿があった。
明日のことはわからないのだから、まして4年後のことはチョ〜さんも予見できない。

●文春の反撃
田中真紀子子女の離婚問題報道で出版差し止めになってから1週間。
文春が総力特集を組んだ。
先週号の売り上げはかなりのものだったという。
マスコミが取り上げる。発禁本は見たい。
文春にとっては痛し痒しだったが、結局売れに売れた。
今週号は「表現の自由」について。
公人、私人の線引きはかなりむずかしい。
私人だって、事件を引き起こせば、マスコミによりぼろぼろにされる。
しかし、親に力のある政治家がいない多くの庶民は泣き寝入りだ。
やはり、今回の迅速な判決は特殊な例である。
私は肝心の記事を読んでいないのだが
「なんでこの程度の記事で」という感想を漏らした有識者がいた。

●「蝉しぐれ」5夜。
平幹二郎演じる悪家老の術中にはまるかとみえた
牧文四郎だったが、友人の加勢を受け、
藩主の側室となった幼馴染とその子供を助けに行く。
平の演技はさすがですね。目と顔の筋肉で凄みのある役作りをしている。
あと2回で終了だが、大団円が見えているので
はらはらしながらも、安心できるのは、精神衛生上よろしい。
●電気記念日
日本電気協会が1927(昭和2)年9月に制定。
結構古い記念日なのね。
故事来歴は
1878(明治11)年、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が
虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、
式場に50個のアーク灯が点灯されました。日本で初めて灯った電灯だった。

■3月24日(水曜日)
●「おしん」もあと3日で最終回
20年前の朝の番組は見なかったのだが
再放送になって、事情が許す限りブラウン管の前に座っている。
80を越えた「おしん」だが、髪は年齢相応でも若くて肌に張りのあること。
音羽信子のしゃべりも80超にしては伝法でなめらか。
「スーパーたのくら」存亡の危機を迎えている。
次男坊を演じる、(あら、名前を度忘れしてしもた)彼は、大根だよな。
ぶっきらぼ〜だけで済む、軍人役がぴったりね。
●「ちょ〜さん」告別式
青山斎場で故いかりや長介氏の告別式が営まれた。
昨日の通夜には3500人、
告別式には一般ファンだけで2500人が訪れたという。
最盛期には50%を超す視聴率を誇った国民的超人気番組「8時だよ全員集合」
演ずるはドリフターズ。そのリーダーとして茶の間の人気者だった。
私の子供たちもその番組を見て大きくなった。
近年は演技者として、味のある存在だった。
それだけに交友範囲は広く、一様に突然の死を悲しんでいた。
ウッドベースを弾く遺影は、キリンビールのコマーシャルの折、撮影されたものだが
スタートはミュージシャンだった彼の最後にふさわしい。
腹に響く音、外は涙雨。
グッバイ・チョー!
●「蝉しぐれ」再放送
(番宣ポスターより)
昨年8月22日、NHK金曜時代劇で放映された
藤沢周平原作の「蝉しぐれ」が再放送されている。
実は初回の1回目を見ていた。
夏のある日、青年武士と高貴な婦人が室内で会い、昔を回想している。
ドラマの展開がまどろこしい。時代恋愛物かと思い、2回目以降は見なかった。
ところが、先週偶然再放送を見た。2回目だった。
しかもウィークデイの連夜で放映していたのだ。
昨夜は7話中の4話だったかな?
主人公が御前試合に勝って道場主から秘剣「村雨」の技を伝授される。

(7夜にわたり秘剣「村雨」を伝授される文四郎。剣技というより舞いのようであったという)
話の流れがわかってきた。
養父の切腹とそれにまつわる、藩を真っ二つにしたお家騒動。
手の届かないところへいってしまった幼馴染への愛。
親友と呼べる2人の男たち。
純愛と友情と権力抗争」が濃密に詰まった、良質な時代劇だったのだ。

(藩主の側室となった最愛の「お福」と20年ぶりに再会する40歳の文四郎。
38歳の彼女は、藩主の死により間もなく出家する。これが最後の逢瀬となるのだ)

(政治家の妻となる水野真紀が、福を演じている。幸せ太り?)

いいですね〜〜。すばらしいですね〜〜。泣かせますね〜〜〜。
今夜21時15分が待ち遠しい。
主人公の牧文四郎を演じる「内野聖陽」という俳優さんは
初めてお目にかかりましたが、剣が強く誠実な役を好演しております。
優れた時代劇俳優はNHKから生まれそうね。
小説は昭和61年7月から1年間「山形新聞」夕刊に連載された。
舞台は架空の「海坂藩」だ。

浅田次郎の「壬生義士伝」は津軽藩出身の新選組隊士の物語。
映画は見なかったけど、
2002年1月2日(水)、テレビ東京にてドラマ版(10時間にわたる長編!)を
しっかり見ました。主演は、SAMURAIの渡辺謙が吉村寛一郎を演じていました。
新選組という荒くれ集団に身を投じた男の、友情と家族愛の物語。
国許の幼馴染、内藤剛志演じる大野次郎右衛門との友情がすばらしかった。
これも胸に詰まるものがありました。
あ、そうそう。何がいいたかったか。
昨日も書きましたが、台詞をお国言葉でやったらどうなんだろう?
「蝉しぐれ」は山形弁、「壬生義士伝」は津軽弁ね。
ドラマは全て標準語でしたが、お国言葉のほうがリアリティあるよな〜〜。
でも、無理だろう。何いってるのか、大方の人にはわからんもんね。
盛り上がるシーンも喜劇になってしまうだろう。

■3月23日(火曜日)
●わが心石に匪ず(わがこころいしにあらず)
小説家にして中国文学者「高橋和巳」の作品に「わが心石にあらず」がある。
私の読書傾向にまるで縁のない方であるが、題名だけは記憶に引っかかっていた。
ちょっと間違って使いがちなので、この言葉の由来を調べてみた
  
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●ユニクロ、生鮮野菜から撤退。

ウェアと野菜。イメージマッチングしない商品を扱っていたが、
結局会員が予想通り集まらなかった。
そちらの失敗が本業に影響しなければいいのだが。
ユニクロ愛用者を「ユニクローゼ」というらしい。
白金・奥さんの「シロガネーゼ」に比べ、何とも生活感あふれたネーミング。
私も何年か前「フリース」を買ったが、同じようなものを着ている人が多くて困った。
「ユニクローン」ですね。
●ソニー神話、崩壊
SONYといえばあこがれのブランドだった。
昔は携帯ラジオ、テレビ、ビデオデッキ、ポータブルオーディオなど
常に革新的な製品を発表して物欲を刺激されたものだ。
モニターのようなテレビ「プロフィール」の発売広告、
ポータブルビデオデッキ発売広告などに携わった者としては
大幅なリストラ策を打ち出したSONYを思うと隔世の感を禁じえない。
デジタル時代の到来とともに、一度MSXパソコンで撤退したが
再参入してVAIOで成功、デジカメでも健闘している。
しかし、市場の大きい液晶テレビで、肝心の液晶の開発で遅れをとった。
それに、ウォークマンのような、ユニークでSONYらしいと思える製品もあまりない。

そんな状況下、2006年までに国内7000人のリストラ策を打ち出したところ、
2003年度で5000千人もの人が応じるという。
定年を迎える人も含んだ数字というが、リストラ費用は1750億円。
2005年度までの3年間のリストラ費用として3350億円を見込んでいる。
これだけ使っても、次期には利益が見込めるんですと。
以前は憧れの企業のトップだったSONYも、こう簡単に「逃げ出す」人が現れては形無し。
沈没する船からは、真っ先にねずみが逃げ出すといわれるが、
そんなことになって欲しくはありませんね。

■3月22日(月曜日)
●時代劇、受難
朝日新聞によると、民放から時代劇が姿を消すという。
フジテレビは春の番組改正から。日テレは休止宣言。
レギュラー時代劇はTBSの「水戸黄門」とテレビ朝日の「銭形平次」だけになる。
時代劇のファン層が中高年以上とアップし、視聴率順位は、
若者をテーマにしたドラマに押されている。
「若者の支持率が低く、視聴率に結びつかない時代劇より
新たな分野」として日本テレビも、バラエティーに転向している、ということだ。
さらに時代劇を演じられるタレントも減少しているとか。

歴史好きとしては由々しき状況である。
民放は視聴率重視の若者迎合体質がよくあらわれていますね。
しかし、ですよ。中高年以上のシルバーマーケットの購買力を馬鹿にしちゃ〜いかんよ。
その証拠に、若者には無縁の「入れ歯洗浄剤」「高齢者用おむつ」「介護用ベッド」
「頻尿改善薬」「インポ改善薬」などのコマーシャルがが茶の間に飛び込んでくるじゃないのさ。
こういう商品が提供する番組が、若者向けバラエティーではうまくないんじゃないの?
NHKの「新選組!」不調とは裏腹に、本屋には「新選組」コーナーができている。
人気を支えているのは中高年なんだろうね。

それにしても、最近の若者は歴史が好きではないのかね。
これは、教育が悪いと思いますよ。
歴史教育をきちんとやらない国は、ろくでもない国ね。
民族主義高揚というような激しいものでなくても、
自分たちの先祖がどんなふうに生きてきたかを教育する務めがあるよな、学校では。
がっこの先生が、教科書通りに教えていては、歴史好きの子供は育たない。
エピソードを交えて面白い授業をやってごらんよ。
ま、これは先生の質、実力にもよるのだが。
郷土史家を招いて講義してもいいのだろうな。
日本史は面白いですよ。
大化の改新、源氏と平家、鎌倉幕府、室町幕府、戦国時代、安土桃山、江戸幕府。
元禄文化、明治維新、日清日露戦争、太平洋戦争などなどなど。
時代の節目には実に面白いドラマがありますよ。
世界史も同様ね。
こういう、基本教育がしっかり行われていれば、
時代劇不振などということにならずに済んだものを。

水戸黄門と銭形平次は勧善懲悪の娯楽作品だが、
考証をしっかり行った実録物には人気があると思うが。
いま、たよりになるのはNHKだけ、といいうのもさみしい限り。
民放が作る時代劇ドラマとNHKのそれは、昔からちょっと温度差があったけどね。
●繁殖旺盛な西洋タンポポ

霜が降りるような寒い日でも黄色い花は元気である。
地面にへばりついて咲いているさまは、
春を知らせる福寿草のようにも見える。
花が咲き終わると綿帽子となって、種子は風に吹かれて飛んでゆく。
この界隈は季節風が強いので、どこまでも遠くへ足を伸ばしそこで花をさかせる。
1年中こんなことをやっているのだから、
在来種が駆逐されてしまうのも無理はない。

■3月21日(日曜日)
●さよなら、チョーさん。(といっても長嶋ではない)
いかりや長介氏ガンで死亡。また、ひとつの時代が終わった。
昔、SONYのオーディオ・ビデオの広告制作をやっていたとき、
宣伝部はSONY本社の中にあった。
御殿山の入口にあった本社へ行くには、品川か五反田から徒歩であった。
品川側から行くと、本社の手前にごく普通の10階建てほどのマンションがあった。
あるとき、誰かが言った。
ここに「いかりや長介がすんでいる」と。
「ドリフの全員集合」が全盛期で、人気絶頂にしては
地味なところに住んでいるな、と思ったものだ。
あれから、20数年。彼の訃報を伝えるニュースでは
赤レンガのエントランスの立派な家を映し出していた。
しかし、住むべき主はすでにない。合掌
●またまた新選組
勇の養母の素性が割れた。
今までなぜつらく当たってきたかが解き明かされた。
「あなたは私です」と養母は言う。
今までのわだかまりも解け、
勇は、はればれとした気分で上洛することができるのだ。
その後、京都で見廻組となる佐々木只三郎が、
清河八郎の野望を察知し、根回しに走る。
只三郎役の伊原剛志は、数いる俳優の中で時代劇の空気を感じさせる。
やがて、竜馬暗殺のシーンも出てくるのだろうね。

ところで、佐々木只三郎とは何者か?
1833(天保4)年、陸奥会津藩士佐々木泰通の三男として誕生。
父同様、会津藩に仕える。
1860(万延元)年に御家人であった縁戚の佐々木矢太夫の養子となり、幕府の直臣となる。
1863(文久3)年の浪士組結成の折に、その監視のために上洛するが、
その解散に伴って江戸に戻り、清河八郎を暗殺。
翌年、幕府見廻組隊長に就任して上洛、新選組とともに主に京での倒幕活動に対する
警戒の任務に当たる。
一橋家家臣原市之進らの暗殺。
1867(慶応3)年には近江屋で坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺に関与したとされる。
翌年1月の鳥羽伏見の戦いで負傷、和歌山に落ち延びるがそこで落命。
男らしい生涯である。

ドラマを見ていていつも思うのだが、
当時の侍は出身藩のお国言葉を使って会話していたのだろうか?
竜馬はどんなドラマでも土佐弁を使っている。
西郷隆盛も鹿児島弁ね。
大阪の侍と江戸の侍がそれぞれのお国言葉でやりとりしたら面白いのにね。
だいたい、当時の標準語でしゃべっておりますよ。
佐々木只三郎が御家人になったのは27歳のとき。
すぐに江戸弁が喋れたのかな?
会津なまりがでていたらいいのにね。
●再び、松五郎

4号線、杉戸・堤根にある回転寿司「松五郎」。
久しぶりに顔を出した。昼間来るのは初めてだった。
3時過ぎという中途半端な時間だったので客は2組だけ。
回転寿司は賑やかさが身上なのだが、なんとなく不思議な雰囲気。
ところが、カウンター内にはその静寂を吹き飛ばす元気な板さんがいた。
年の頃なら60をいくつか越えているか。
この店は「かっぱ寿司」と異なり、注文すれば目の前で握ってくれる。
地声が大きく、カウンターに置いていないねたを奥に頼むとき
「ど〜もすいませ〜〜ん」などと怒鳴っている。
彼のほうから喋りかけてきた。
寿司職人は40年やっているが、
一時期、林家三平に弟子入りしていたことがあったとか。
息子は十数店舗の寿司屋をやっている、
娘はコロンビアの歌手だとか、
自分はホームレスの世話をしているとか、
どこまでが本当なのか?という大風呂敷を広げた。
板さんの話が面白くて、笑いながら食べるというのも珍しい。
さらにこのおじさん、やたら気前がいい。、
甘エビ頼んだら、1貫プラス甘エビ1尾。うにを頼んだら、うには大山盛り。
中トロ頼むと、いまねたをきらしちゃったからお詫びにと「大トロ」が出てくる。
これサービスと、げそを小皿で出す。
いいのかな、ここまでやっちゃって。
でも、こちらはだいぶ得したけど。
●ヒヤシンス、目を覚ます

地植えのシクラメンが花をつけた。
その昔、狭い部屋で水栽培をしたことがあった。
沈丁花と同じく強烈な芳香をはなっていた。
春の宵、若者には刺激が強すぎるような感じですよね。
しかし、地植えのヒヤシンスからはそんな香りがしてこない。
なんでだろ〜〜なんでだろ?
●やっぱり「新選組」
青春時代劇「新選組」が低視聴率にあえいでいるようだ。
「やっぱりね」というのが素直な感想。
初回の視聴率は26.3%。(物珍しさも手伝ってね)
それが3月14日の放送分は15.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)になり、
初回と比べて10ポイント以上もダウンした。
この視聴率は週間視聴率ランキング30位でも圏外になっている。
藤沢周平の「蝉しぐれ」が再放送されている。
こういう重厚な時代劇を見てしまったら
新選組の「薄っぺら」な世界は「へ」みないなもんだ。
日本人は、「侍物」はしっかりした時代考証の
見応えのあるドラマを望んでいるのだよ。
原作が漫画の場合でも、テレビドラマになれば
きちんとした演出がされるよね。
誰もが知っている「新選組」を、ああも軽くしてはね。
視聴者のターゲットを若者に置いたのだろうね
脚本家の三谷幸喜さんは。
ネスカフェゴールドブレンドのCMで「お気楽」やってる場合じゃないでしょ。

■3月20日(土曜日)春分の日
●和田勉セクハラ
本日は夕刊休刊。Web版を見ていたら、とんでもないニュースがあった。
朝、毎、読3紙のうち扱っていたのは読売だけ。
それによると、NHK退職後勤務していた大学で
教え子の女子学生に就職指導をしていたときのことだ。
2002年11「月、所属ゼミで和田氏から講義を受けた後、
ホテルに連れ出され、服を脱ぐよう命じられるなど
わいせつな行為を強要されたとして、訴えを起こした。
読売の報道は少し違う

和田氏は2002年、東京都内の私立大学に講師として招かれ、
講義した後、学生との懇親会に出席。
その後、同行するよう誘われた女子大生は、
担当教授から一緒に行くよう言われたこともあり、和田氏とホテルのレストランに行った。

和田氏は女子大生に筆談を持ちかけ、「僕が言ったことに『うん』と言って」と促し、
「部屋でしゃべりたい」「うん」というやり取りを交わした。
女子大生がホテルの客室についていったところ、わいせつな行為をされた。
和田氏は、就職のことで相談があれば連絡するように言って別れたという。


深見敏正裁判長は「女性は当時大学生で、
和田氏は自分が就職を希望するマスコミに影響力があると考え、
心理的に抵抗できなかった。
それを和田氏は容易に認識できた」と不法行為を認めた。

その結果
元NHKディレクターで演出家の和田勉氏(73)にわいせつな行為を強要されたとして、
二十三歳の女性が和田氏に五百五十万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、
東京地裁は十九日、二百万円の支払いを命じた。
これが真実であれば、立場を利用した卑劣な行為である。
本人が認めれば、「魔がさした」というだろうな。
73歳、男・勉、おじんギャクキャラも晩節を汚すことになる。
いくつになっても男は男か?
(ばれちゃったのね。がははは)じゃすまされん。
つい、2〜3日前、埼玉県の78歳の老人が小学低学年の女の子の
「しじみちゃん」写真を撮影したとかで逮捕された。
最近のじいさんは色への探究心が旺盛だよな。
長年連れ添った「ばか貝」で我慢していりゃいいものを。

●まさかの雪

朝からいやな雲行きだったが、昼前からついに降ってきた。
しかも積もりそうなぼたん雪。
春を間近にこういうことはよくある。
おのおのがた、風邪をひかないように、ご注意召されい。
積もるかなと思った春の雪だが、午後には霙に変わり、3時頃には雨になった。
今日は、彼岸の中日だが、
「毎年よ彼岸の入りの寒いのは」
という正岡子規の句を思い浮かべた。
これは、彼のご母堂が思わず口について出た言葉を
そのまま句にしたということだ。

そういえば「白い思い出」という歌がある。
1 雪が降ってきた ほんの少しだけれど
  私の胸の中に つもりそうな雪だった
  幸をなくした 黒い心の中に
  冷たく寂しい 白い手がしのびよる
2. 雪がとけて来た ほんの少しだけれど
  私の胸の中に 残りそうな雪だった
  灰色雲が そうっと教えてくれた
  暖かい光りが すぐそこに来ていると

春先の雪というより初雪の情景だが
オリジナルを歌っていたのが「九里千春」だったんですね。
作詞作曲が「山崎唯」。亡くなった彼女の夫君。
コミカルソングが得意な夫婦だと思っていましたが
こういうしみじみとしたいい歌も作っていたんだ。
●再び「うどん市」

久しぶりに寄ってみた。「掻揚げ丼・うどん」定食。
どんぶりからはみ出すほどのジャンボ掻揚げ。
ボリュームたっぷりで680円也は安い。
味はいいのだが、食後胸焼けがして困った。
掻揚げが油を吸い込み過ぎていたのかな。
●地下鉄サリン事件
1995年の今日、痛ましい事件が発生した。
あっという間の9年だが、被害者遺族の方々には不毛の9年だろう。
ラジオから一報が流れたときは、テロが発生したのかと思った。
実行犯はオウムの信者だったが、無差別テロには違いない。
教団に捜査のメスが入ろうとするのを阻止するため
警察の目をそちらにそらすために行った。
多くの犠牲者が出て、今もその後遺症に悩ませれている人もいる。
首謀者は小菅のコンクリートの壁の中で、税金でのうのうと暮らしている。
先日、死刑の判決が出た。
国選弁護団は全て辞任したが、後任は控訴するらしい。
単なる欲ボケ、色ぼけのむさくるしい男。
そんな奴の無益な延命をして何になるのかね。。

■3月19日(金曜日)
●痛烈なパロディ
アメリカは大統領をこき下ろすのが得意だ。
最近は、アイコラ(アイドル・コラージュ)ならぬ、
プレコラ(プレジデントコラージュ)が盛んなようである。
ブッシュさんもいちいちかりかりしてたら身がもたない。
プレコラ その1
前副大統領ゴア氏といちゃつくブッシュ。ウワーッ、気持ちわり〜〜。
首のすげ替え写真は日本人の方が得意じゃないの?

プレコラ その2
これはたぶん9.11が発生したとき訪問していた小学校の写真ではないかな?
大統領が手にしてぎる本が逆さまな。下が正しい。

プレコラ その3
演習視察に行ったときの大統領。手にしている双眼鏡のキャップをはめたままだ。
下の左はクリントン前大統領。彼もまた同じことをやられた。

たぶん日本のどこかのサイトでも、純ちゃんの揚げ足取り写真が
あるのではないかな?
昔、元日立宣伝部のマッド・天野氏がブラックユーモアのコラージュを
やっていたが、最近はどうしてるんだろな?

●カメラ発明記念日
1839年(天保10年)、仏人ダゲールが写真機を発明した。
いわゆる「ダゲレオタイプ」と呼ばれるもので、長時間露光させるために
カメラの前に立って長い間同じ姿勢をしていなくてはならなかった。
このため、後ろから首を固定させる器具まであった。
しかし、人気は大変なものだったという。
表向きはポートレート、風景写真、静物などが撮影対象だったが、
男の考えることは、昔から変わらない。
発明されるやいなや女性の裸体が撮影されたという。
現代のビデオやデジタルカメラもひそかにそんな風に利用されているのだろうね。
ではわが国に写真機はいつごろ伝わったのか?
1848年(嘉永元年)にオランダ人によりもたらされたダゲレオタイプ(銀板写真)とされて
いるから、発明後9年後に渡来したことになる。
写真術の開祖と称される者は、西に上野彦馬、東に下岡蓮杖と言われている。
蓮杖は、安政3年米使ハリスの通訳ヒュースケンから写真術を学んだ。
(ヒュースケンはNHKの新選組にサッカー好きのカビラさんが扮していた役柄ね。
彼は後に惨殺される)
1861年(文久元年)横浜弁天通に写真館を開業し、
後に、東京浅草において多数の門下を養成し、日本における写真師の鼻祖となった。
横浜馬車道には、「日本写真の発祥地・写真師下岡蓮杖枝」と書かれた碑がある。


■3月18日(木曜日)
●どっこい灯っている
森の市場駐車場の街路灯に車がぶつかった。
くにゃりと曲がったままなのだが、
配線は無事らしく、夕方になると点灯する。
なぜかおかしく、わびしい光景だ。

●また道路工事が始まる
回覧がまわってきた。新しい村で道路工事が始まる。
どこかといえば、森の市場と向かいの芝生広場に挟まれた砂利道だ。

昨日は南西風が強かった。
砂利道でも減速しないで車が走るから、乾燥した道は砂埃がひどい。
犬の散歩時はマスクが欲しくなるほどだ。
新しい村は宮代の新しい顔だから、舗装されるのは結構だが、
上の写真でいうと、手前の砂利道も工事して欲しいね。
育苗施設に続くのだが、穴だらけのひどい道だ。

この町で元気のいい商売は土木・建築業みたいね。
道路をはじめ、水道、下水、土地改良、公共施設建築など
年がら年中どこかをほじくり返している。
(ほじくりかえすといえば、遺跡調査もあった。)
役場の入札状況を見ると、特定業者に偏らないよう
うまく仕事が分散されている。芸術的だ。
流通小売業はばたばた倒れているというのにさ。
なんかバランスが悪いよな。
●柳青める
「柳青める日」とくれば「つばめが銀座に飛ぶ日」となるわけだが。
ここ宮代町の東武動物公園・釣堀の柳も芽吹いてきた。

この「ちらちら」とした緑が、薄物のカーテンのようで実に目にやさしい。
ここは好きな風景のひとつである。
そこかしこが少しづつ目覚めているのに、まだ冬景色みたいな場所がある。

これは畑側から「新しい村・森の市場」を見たのだが、
土起こしが始まった田んぼ、冬枯れのままの芝生広場。
埼玉県緑のトラストに指定された雑木林も、冬のままの黒ずんだ葉のまま。
あと1ヶ月もすればがらっと様変わりをするのだが、今はまだ寒々しい。
●汚れた川
宮代町は桜が多い。
間もなく、大勢の人が見物にやってくる。
動物公園にきた家族連れも笠原小学校のユニークな建物と
その前の桜並木にしばし見とれる。

残念なのが、どぶ川化した姫宮落川である。
ヘドロが堆積して薄汚れているから、心無い人たちが
空き缶、弁当の残骸などを平気で捨ててゆく。
桜並木に不釣合いな小川である。
下水の普及率が低いので、ここにも生活雑排水が流れ込んでいる。
だから、きれいにさらったとしても、短期間で元に戻ってしまう。
昔見た、武蔵小杉の街中を流れる川を思い出す。
流れが速く、水がきれい。そこに両サイドにある桜の花が散っていた。
なかなか風情のある眺めであった。
親水公園になっているので、川のほとりまで降りることができた。
都会のオアシスである。
姫宮落川は下まで降りたら悪臭がしそうだ。
年がら年中道路工事ばかりやっていないで、こういうところまで目を向けてね。

■3月17日(水曜日)彼岸の入り
●山崎桜
東京、横浜の桜開花予報は明日だが、ここ山崎は満開である。
それはみごとなもの。その下には「だいこんのはな」が咲いた。
年々その数は減少しているようだ。

 
●雑誌が消える

日経BP社から出ている「日経ネットナビ」というインターネット情報誌が
この3月号を以って休刊と発表された。弟9巻第3号通巻96号で沈没である。
9年前といえば私がこの町へ移住した頃だ。
当時、パソコン通信はやっていてもインターネットはまだ4年先のこと。
この雑誌は日本のインターネット普及にかなり貢献していた。
私も百間新道の飯田書店に予約して毎号届けていただいていた。
一応、休刊となっているのだから復刊はあるのかな?
たぶん終刊だろうな。
●文春出版差し止め

本日発売の週刊文春が東京地裁から出版差し止め命令を受けた。
内容は以下のようなもの。
元外相、田中真紀子衆院議員の長女のプライバシーに関する記事を巡り、
長女が発行元の文芸春秋に出版禁止を求めた仮処分申し立てについて、
東京地裁は16日、記事を削除しなければ出版・販売してはならないとする決定をした。
ところが、文春側は77万部を発売予定で、決定文の送達を受けた
16日午後7時45分にはすでに74万部が取次店に出荷済みだった。
東京近郊を中心に発売予定だった残る3万部についてのみ、
販売差し止めの措置をとったという。
新聞も雑誌も地方から発送するから、東武動物公園のコンビにでは購入できる。
新聞には、でかでかと広告が出ている。

東京新聞だけが、左側の「わずか1年で離婚」以下を白ベタでつぶして広告掲載した。
それにしても、田中側がこの記事に目を通さなければ告訴できないのだが、
刷り上ったばかりの記事を誰がちくったのか?
告訴から決定まで、こんなにスピーディにできるのはどうして?
遅いので有名な裁判だが、これも田中元外務大臣というVIPの娘だから
母親の権威を利用したものと勘ぐられてても仕方あるまい。
役人はそういう力に弱いからな。
プライバシーの範囲だが、有名人の家族であればマスコミは飛びつくよね。
自分の子供を絶対にマスコミにさらさないタレントは大勢いる。
誘拐を恐れるということもあるだろうが、自分と家族は切り離している。
しかし、その子供が芸能界にデビューともなればマスコミを利用する。
微妙な線引きである。
ま、離婚なんて当節珍しくないから、そんな報道に負けずに逞しくなって欲しいね。
●町がだんだん寂しくなる

「当分の間休ませていただきます」の張り紙があったが、
突然店舗を壊してしまった。裏にあった自宅の影も形もなくなり
更地になってしまった。
「まもてい」が宮代から完全に姿を消してしまった。
経営が行き詰まったのだろうか?
私は月に1〜2回利用していたのだが、いつも食事だったから
上客ではなかったな。
「ミックスフライ定食」は味、料金共に宮代の名作として記憶に止めたい。

郵便局の斜前にあった「漫画屋敷」も姿を消した。
トモトモクラブの「100円ショップ」も撤退。
西口駅前通りの2階にあった美容室、暮らしのガイドの携帯電話ショップ、
田口ビルの1F東洋不動産も移転。
東口では、セキ薬局、飲み屋の「庄屋」…
宮代の商店は悲鳴を上げている。

町、商工会、町民が共同で出資し設立したまちづくり会社
株式会社ティエムオーみやしろ」が設立された。
今後は、このティエムオーみやしろを中心に、
住民、商工業者、行政が力を結集し、
宮代町の新しい中心市街地をつくり出して行くことになるのだそうだ。
これにより、店の消滅に歯止めをかけることができるのだろうか?
西口の再開発も含めて、新しい町が誕生するには時間がかかりそうだ。

■3月16日(火曜日)
●ロビンソン百貨店も春
店内はとっくに春である。

土屋耕一さんの昔の名コピーに「ペンキ塗りたて、春の色」というのがあったが、
ヤングコーナーはまさにそれ。
色とりどりの艶やかなお花畑のようである。
私は厚着で行ったのだが、客の少女たちは薄着。
販売員のお嬢さんなどは、初夏の服装ときたもんだ。
豊満な肉体と言えば聞こえがいい。わき腹の贅肉がGパンからはみ出している。
あれ、なんとかならんかね。

ところで、この界隈で唯一のデパートである「ロビンソン百貨店」だが、
こちらに来るまで馴染みのない名前だった。
現在、札幌、小田原、春日部の3店舗。昨年9月末で宇都宮店は閉店したそうだ。
アメリカ西海岸で展開するJWロビンソンデパートメントの日本一号店が春日部で、
17年前にイトーヨーカドーグループが業務提携を交わした事によって日本上陸したそうだ。
大宮でなく春日部を選んだというのが、イトーヨーカドーの先見の明か。
当時、東武沿線には地場資本の小規模な百貨店はあっても
都会の匂いを運ぶデパートはなかったのではないか?
それも、米国西海岸が本家というのがいい。内陸県に海の香りですよ。
春日部市民にとっても自慢のDept.ではないの。
宮代もこのままいけば、来年春には春日部市に組み込まれてしまうから
我々にとっても自慢のタネ?
ロビンソンに「オッシュマンズ」というあまり聞きなれないアウトドアショップがある。
ときどき新聞にチラシが折り込まれるが結構面白いものを扱っている。
この店もイトーヨーカドーグループだったのね。
マウンテンバイクはここで扱っていないのが残念だけど。

春日部店の脇のマンションで、東急エージェンシーの
イトーヨーカドー制作スタッフがチラシを作っていると
聞いたことがあったが、現在はどうなんだろう?
流通のチラシ制作というのはハードな仕事ですよ。
1週間単位で新聞折込、その間に特売ものが入ることがある。
その昔私は、渋谷・本店通りのビルで
東急百貨店の新聞広告を作っていたことがあるけど、
同じフロアに百貨店の宣伝部があって、常にコンタクトを取りながら作ってゆく。
新聞広告も催事告知は1週間単位だから結構忙しい。
でも、商品点数の多いチラシに比べればラクといえる。
現在はコンピュータでレイアウトしていくが、
昔はすべて鉛筆を使った手作業。デザイナーが大変だった。
私は東急エージェンシーのスタッフでコピーを書いていた。
東急百貨店も同じ東急グループ。
親戚どおしで仕事をやっていたことになる。
しかし、グループ内の序列があって、
トップは電鉄、次に不動産、百貨店、広告代理店となる。
つまり、士農工商ではないけれど、グループの中で広告代理店は一番下。
仕事中は対等でも、飲みに行くときなどは序列どおりになる。
そこで半年勤めたあと10年間のサラリーマン生活に終止符を打った。
そしてフリーのコピーライターとして出発をする。

伊藤雅俊氏が東京都足立区千住で、家業の洋品店を1958年(昭和33)に
株式組織の(株)ヨーカ堂にしたときがイトーヨーカドーのスタート。
「おしん」のドラマはスーパー「八百半」がモデルだという。
肝心の「八百半」はバブルの泡と消えてしまったが、
ヨーカドーは、本丸のスーパーもグループ会社もしっかり健闘。
セブンイレブン、デニーズジャパンもおなじみだ。
こうしてみると、ヨーカドーは米国資本の会社と提携するのが得意なようだ。
合理的な経営スタイルを日本の風土に合わせるのがうまいともいえる。
●ミミの春
「猫の恋」という季語があるけれど、暖かくなってくると
異性を求め合う猫ちゃんたちが夜遅くに獣の声を出してにぎやか。
でも、わが家のミミは不妊手術をしたので、
子孫を残そうという本能が残っていないんだろうね。
人間のエゴで可哀想なことをしたのだが
不幸な子猫を作らないためにも仕方がないのかな。
朝、ジョンの散歩が終わるとミミは玄関ドアまで来て自分の散歩の番を待っている。
抱っこして5分ほど外の空気を吸わせているのね。
前足を私の腕にちょんと置いて、人間の子供のように実に可愛い。
風が少し吹いて空気が流れると、顔を上げて鼻をひくひくさせて
そのにおいを確認しているみたい。
ときどき私の顔をみて、甘え声を出す。
家の中の小さな世界しか知らないミミにとって至福のときなんだろう。

だっこされて、東武動物公園のジェットコースターを眺めるミミ。

籠の鳥状態のミミ(これも彼女の宿命)
種子から育てたアボガドが元気に葉を広げている。
●わが家の菜の花

小松菜の花が咲いた。冬の間、みそ汁やお浸しにずいぶん使った。
根を残し、葉をだけを摘むとまた生えてくる。4回程そんなことをした。
大気が暖かくなると、こんどは自分の子孫を残す番である。
芯が徒長して、いつの間にか小さな黄色の花をつけた。
近所の畑で取り残した白菜、キャベツなども同じように芯が伸びて花をつける。
「菜の花」つまり、葉物(菜っ葉)が付ける花を「菜の花」だと思っていた。
ところが、「菜の花畑に入日薄れ」の菜の花は、
菜種油を作る「油菜」の花のことなんですってね。
菜種油の原料が「菜種」で精製したものを白絞油(シラシメユ)というとか。
菜種は夏の季語で、菜種梅雨は春の季語になっている。
小松菜の花。いわゆる、「とうがたった」状態。
「とう」とは「薹」のことで、スックと伸びたところの形が「塔に似ているところから」きているとも。
野菜などの花茎が伸びて硬くなり食べ頃を過ぎることですが、
「若々しい盛りの時期が過ぎる。年頃が過ぎる。」という意味もあります。
婚期を逸した女性の形容に使いますが、
最近は20代で結婚する女性が減少し、30、40は当たり前。
「婚期」のことを口にすれば、セクハラととられても仕方がない。
だいたい、女性に「食べごろ」とは失礼ですよね。
中学生だって「食べられちゃう」昨今なのだから。
いつが食べごろだかわからない。
でもね、SEXの形態からすれば
「女性が男性を食べる」つ〜〜のがイメージ的には合うんだけどな。
スティック状のアイスクリーム、清涼飲料、バナナなどを
女性が口にするコマーシャルがあるけど、
あれは、フロイト先生ならずとも代理SEXをイメージしているのがわかる。
広告制作者は先刻承知で作っているのであります。
●菜の花畑
この町には畑が多いのだが、「一面の菜の花」という畑にお目にかかったことがない。
あるいはどこかにあるのだろうが、まだ出会っていない。
自転車で須賀界隈を走っていたら、神社の入り口に小さな菜の花畑を見つけた。
日が傾きかけた頃で、民家の影になっていたが、
そこだけは明るく、新鮮な空気がただよっているように思えた。


笠原小学校の白木蓮も満開。どんどん春である。

桜の蕾はまだ固い。が、東京・横浜のの開花予報は18日。
まもなくここも一気に花咲くだろう。


■3月15日(月曜日)
●またまた、新選組
昨夜は、浪士隊に参加するメンバーの人選。
相変わらず、今様言葉のドラマでおかしいったらありゃしない、のだが。
面白いエピソードが披露されていて面白かった。

試衛館道場から浪士隊に加わる面々を人選する。
門人の多くは「家族がいる」とかの理由で脱落する。
試衛館に稽古に来ている連中は武士・浪人ばかりとは限らない。
「ヤットー」好きの町人にとって、将軍を警護して上洛するなど、
彼らの人生にとってどれほどの意味があったろうか?
結局、食客としてゴロゴロしていた連中が応募することになった。
当初、勇は沖田総司をメンバーから外していた。
道場主が不在になるのだから
師範代が守るのが当然だというのが表向きの理由。
しかし、勇は若い総司を、
死に急がせるような危険な仕事につかせたくなかった。
(勇の優しい心配り、やるもんですな)
勇一行は伝通院へ出向くが、前髪を落とした総司もついてきてしまう。

今でこそ、伝通院は立派な寺になっているが
ドラマでは狭そうな寺だった。
(境内には、「指圧の心は母心」で有名な
浪越徳次郎氏の親指を立てた手の像がありますね。)
昭和初期、童謡詩人北原白秋の弟子たちが出版していた
「チチノキ」という雑誌があるが、
そのメンバーたちも伝通院内の施設を使って会合をしている。

新選組の異端児「原田左之助」を、
その昔、タケシのハイスクール・ダンス天国(といったかな?)で
勝ち残ってテレビ界にデビューした山本太郎がやっております。
勇たちとの出会いも変わっていた。
破天荒だけど、なぜか憎めないというキャラ。
腹の傷が自慢のたねですが、
実際に切腹をしたときの名残だそうです。
(なぜ腹を切ることになったのか?
他愛もないことだった)

左之助の実像は?
伊予国松山藩の足軽の家に生まれる。後に松山藩を脱藩。
大阪で谷三十朗のもと種田宝蔵院流の槍を修行した。
その後、江戸へ来た左之助は近藤勇と知り合い、試衛館の食客となる。
槍の使い手ですね。短気であったともいわれている。
新選組を結成後、隊では十番隊長。副長助勤を勤めた。
芹沢鴨の粛正事件。桝屋喜右衛門の捕縛。
池田屋事件。三条大橋の制令墨塗り事件。
油小路の決闘など主な戦闘には常に最前線で活躍している。
慶応元年、菅原まさと結婚、長男・茂が誕生。

幕府が瓦解し新選組の後ろ盾が消え去った。
鳥羽伏見の戦の後には、左之助含む新選組は富士山艦で海路を江戸に撤退。
勇が結成した、甲陽鎮撫隊の甲府城攻めの際にも参戦。
その後、意見の相違により近藤勇と袂を分つ。
勇は流山で捕らえられ、板橋で処刑される。
左之助は永倉新八と行動を共にして、
芳賀宜道(旗本三百石、御書院番組を勤める)と靖兵隊を結成。
諸藩脱走者など約五十名、幕府援兵約五十名を加えた靖兵隊は、
丸の内和田倉門内の会津藩屋敷跡に駐留。
江戸城の開城が決定すると、その前日四月十日に会津へ向かって水戸街道を進んだ。
ところが左之助は、会津へ向かう途中の山崎宿で
突然隊から離れ、一人で江戸へ戻ってしまう。
江戸に着いた左之助は、上野の彰義隊に加わった。
五月十五日の上野戦争で敵の銃弾を受け重傷。二日後の慶応四年五月十七日、
本所神保山城守屋敷で亡くなった。左之助、享年二十九歳。
目鼻立ちの整った美男であったという。

■3月14日(日曜日)
☆我が家の結婚記念日(思えば遠くへきたもんだ)
☆ホワイトデー(関係ないね)
●松の廊下・刃傷
303年前(1701・元禄14)の今日、江戸城松の廊下で赤穂藩主・浅野長矩が
高家・吉良義央に刃傷。長矩は即日切腹。
赤穂事件(忠臣蔵)の発端となる。討ち入りは1702年12月14日午前4時頃。
実に準備に1年9ヶ月かかっていたのね。
連判状に名を連ねながら参加できなかった者多し。
そこには、さまざまな人間ドラマがあるわけですが、
四十七士の子孫は誇らしいですわな。

うちのバヤイは、祖父が養子に入ったため苗字が変わっておりますが、
生まれた家は杉戸にあります。
本家筋の話では、その昔、桶狭間の戦で織田信長に敗れた今川義元の家臣団で
落ちのびて杉戸にたどり着いたと聞いております。はい。

■3月13日(土曜日)
●新選組の萌芽
1863年(文久3)の今日、壬生浪士隊が
京都守護職・会津藩主の松平容保の配下に取立てられる。

江戸小石川・伝通院で清河八郎により浪士隊の募集が行われ
近藤勇以下試衛館の門人が入隊。
幕府の、京の治安維持部隊のはずだったが、
2月13日に上洛すると、清河が「この集まりは、朝廷の守衛とと攘夷遂行にあると宣言する。
驚いた幕府は、即刻清河と200名を越す浪士隊員を江戸に戻すが、
近藤勇、芹沢鴨ら24名は京にとどまった。
そして、141年前の今日、京都守護職・会津藩主の松平容保の配下に取立てられる。
8月に「新選組」に改称。
江戸に戻った清河は、依然として攘夷先鋒として府内で活動していたので、
4月13日、浪士取締役並出役佐々木只三郎によって暗殺された。

■3月12日(金曜日)
☆サイフの日(何をやるんでしょ〜ね)
●庁舎工事始まる
来年の合併を前に新庁舎の工事が始まった。
コミュニティセンター「進修館」前の広場が新しい場所になる。
グランドゴルフに使われていた年配者たちの憩いの広場もなくなってしまう。
今朝現場を通ったら、敷地の整理が行われていた。
立派なケヤキが何本も切り倒されておいた。
あれだけ大きくなるには長い年月がかかっていたはずなのに。
移動するにはお金がかかり過ぎるのだろうか?
今年の12月には新庁舎が完成するらしい。
宮代らしいユニークな建物になるのだろうな。

●確定申告
15日が締切。いよいよ尻に火がついた。
夜遅くまで伝票付けです。
毎年のことながら、ここまで来ないと走り出さない。
いかんです。

■3月11日(木曜日)
●犯人の少年が成人して出てきた
10日午後3時から東京・霞が関の法務省で会見が開かれた。
1997年5月、神戸市で起きた連続児童殺傷事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗」が
関東医療少年院(東京都府中市)を仮退院していた。
会見では更生状況などの説明が行われた。
当時15歳の少年も21歳になり、「加害者男性」という表現になった。
収監(入院だった)されてから6年5か月だが、これでも過去の少年事件で最長という。
もっともっと、ず〜〜っとず〜〜っと入っていて欲しかったね。
☆事件のあらまし
神戸市須磨区の市立多井畑小6年、土師淳君が
5月24日午後1時半頃から行方不明になっていた。
5月27日早朝、顔が切り刻まれた淳君の頭部が学校の校門で発見される。
戦慄的な事件だった。前夜現場から走り去った車を見たという情報が寄せられた。
この猟奇的な事件に誰もが大人の犯罪だと推測していた。
6月29日少年は任意同行に応じ、酒鬼薔薇聖斗が犯行を自供した。
警察は、学校周辺で異常な事件が頻発しており内偵を行っていた。
容疑者の中の1人に酒鬼薔薇聖斗もリストアップされていたのだ。
☆殺人の状況をこのように話した
「淳君の殺害では、首に指紋が残ることを恐れて手袋をしていた。当初、手で絞殺するつもりだったが被害者がなかなか死亡しなかったため、自分の運動靴のひもを使用。うつ伏せになる被害者の腰に馬乗りになり絞め上げるが死亡に至らず、顔や頭を蹴った。その後、ひものねじれを直して被害者をあお向けにし首を絞め、呼吸が停止。さらに、ひもの一端をフェンスに結び、もう片方を持って絞め続けた。被害者の心臓に耳をあてると心臓が停止していた。」
 
この顔が、どんな風に変貌して、町を歩いているのかと思うと背筋が凍る。
神戸新聞社に送りつけられた、血染めを思わせる手紙だ。
☆校門に置かれた首の口に挟まれていた手紙
さあ、ゲームの始まりです
ボクは殺しが愉快でたまらない
警察諸君、私を止めてみたまえ
人の死が見たくてしょうがない
私は殺しが愉快でたまらない
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇
☆偉いさんのコメント
<純ちゃん>
(退院について)
「複雑な気持ちです。被害者のご家族はやりきれないでしょうね。
しかし、少年の更生を考えると、こういう方法しかないのかなあと」
※殺され損ですね。これでは。親が浮かばれない。
 江戸時代の喧嘩両成敗、仇討ち制度がうらやましいぜ。
 でなきゃ、獄舎に一生つないでおいてほしいですね。
(仮退院を公表したことについて)
「よかったかどうかっていうのは分かりませんね。マスコミの皆さんが追跡して、
身元が分かったら。更生を考えると、どういう影響を与えるのか、心配ですね」
<福田官房長官>
(退院について)
「精神医療、矯正教育の成果が認められた。この(元)少年が今後、
きちんとした社会生活を送るよう期待するが、我々国民も彼を受け入れる度量、理解が必要だ」
(仮退院を公表したことについて)
「本人の社会復帰のためには社会の理解と協力が不可欠だ。
あわせて社会の不安も払拭しなければならないということを総合的に判断し、
仮退院に関する情報を限定的に公表した」
※ひょうたん坊主の官房長官は、まっこと官僚的なコメントだな。面白くもない。
 自分の家に置いて更生させてあげたら、かんぼーちょーかんどの?
 少年法のことをもっと真剣におやり。
 これからますます、危険な「とっちゃん小僧」が出てくるぜ。

■3月10日(水曜日)
☆砂糖の日/佐渡の日/水戸の日/ミントの日/さぼてんの日
☆陸軍記念日 
1906(明治39)年〜1945(昭和20)年
1905(明治38)年、日露戦争の陸の決戦・奉天会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領。翌年からこれを記念して「陸軍記念日」となった。
●春、急ぎ足
寒い日が続いたと思ったら、今日はぽかぽか陽気。
室内より屋外のほうがよほど暖かい。
農家の庭先の紅白の梅もいつの間にか満開。
雪柳も白い小さな花をつけはじめた。
庭の水仙も開花。チューリップも葉を出した。
笠原小学校前の桜の蕾もふくらんでいる。
「白木蓮」も花をつけ始めた。
この花木は町の木で、その昔、町が苗木を各家庭にプレゼントしたという。
そのため、町を歩くと古い家の庭にはこの木がある。

●金子みすゞ忌
彼女の童謡の世界は生命に対する慈愛の情に満ちている。
以前彼女の生涯をテーマにしたテレビドラマ
「明るいほうへ明るいほうへ」が放映され話題になった。

大正末期から昭和初期は童謡勃興の時代だった。
『赤い鳥』は北原白秋が、『金の船』は野口雨情が、『童話』は西条八十が、
それぞれ自作を発表しながら、投稿の選者をしていた。
当時、全国の投稿少年少女は自分の尊敬する詩人が選をしている雑誌に投稿していた。
実は、私の父もそうだった。(この話は別の機会に)
金子みすゞは1923年(大正12年)ころから投稿を始めた。
この年の9月号は、みすゞ作品特集号のようであった。
・雑誌『童話』に「お魚」「打出の小槌」、
『婦人倶楽部』に「芝居小屋」、『婦人画報』に「おとむらい」、
『金の星』に「八百屋のお鳩」を発表。
『金の星』を除く3誌は西条八十の選であった。
『童話』誌上で 西条八十に認められ、「若い童謡詩人の中の巨星」といわれ、
投稿詩人たちの憧れの星となる。以後昭和3年までに56編を発表する。
意中の人がありながら、意に反した結婚をしたのが不幸のはじまりだった。
童謡を作ることに無理解な夫に、師である西条八十との仲を疑われたりもした。
道楽者の夫から性病をうつされた彼女は、1930(昭和5)年の今日、服毒自殺を遂げる。
生命の尊さを謡いながら、自ら命を絶つ…
絶望的な結婚生活がそうさせたのか。享年26歳であった。

華やかな言葉をちりばめ耽美的な世界を構築するのが得意な
北原白秋の人気は絶大であった。
ところが、金子みすゞは西条八十が選者の雑誌に投稿していた。
その理由を彼女は語っている。
西洋の童謡、童話は時に残酷な展開があるが
白秋も同じような傾向があった。
留守番をしている少年が、金魚鉢の中の金魚を殺すという童謡があるのだ。
彼女は、それを読んで白秋を好きではなくなったようだ。
彼女の目はありとあらゆる生き物、はては土、石にまでも
仏教的な慈愛のまなざしを向けている。
1903年4月11日生の彼女は、昨年で生誕100年を迎えた。
公園の猫が足を切られたり、鳥の首にボウガンの矢が貫通している姿を見たら
天上界でさぞ嘆き悲しんでいることだろう。

■3月9日(火曜日)
☆サンキューの日(何をやるんでしょうね〜)
☆バービー人形誕生の日
 1959年(昭和34)の今日、ニューヨークで開催された国際おもちゃフェアで
 マテル社がバービー人形を発表。
 1999年(平成11)の40回目の誕生日には、ウォール街がバービー人形の
 テーマカラーであるピンク一色に染まったそうだ。
●近衛兵
1871年に設けた 薩摩・長州・土佐の兵1万人による天皇護衛の「親兵」が、
1872年(明治5)の今日、天皇護衛の親兵を「近衛兵」と改称した。
1891年(明治24)に近衛師団となる。
近衛とは「こんゑ」から転じたもので「ちかきまもり」の意。
大日本帝国陸軍の中でエリート集団だったが、
日本がポツダム宣言を受諾したした昭和20年8月14日、
敗戦を潔しとしない近衛師団の高級将校が決起、
昭和天皇・詔書の録音レコードを奪い玉音放送を阻止しようとしたが失敗。
椎崎中佐と畑中少佐は二重橋と坂下門の中間の松林に正座し、
畑中少佐は拳銃で額を撃ちぬき、
椎崎中佐は軍刀を腹部に突きさし、さらに拳銃で頭部を打ち抜いて自決した。
これが「宮城事件(<みやぎ>じゃないよ<きゅうじょう>ね」と呼ばれるもので、
映画「日本の一番長い日」は、この歴史的事件を扱っている。

旧近衛師団司令部庁舎。 煉瓦造2階建て、スレート葺 。
竣工 1910年(明治43年) 。所在地 東京都千代田区北の丸公園1-1
6年に及ぶ修理により1977年(昭和52)近代美術館別館としてオープン。
外観は当初の姿に復元されたが、内装はほとんど改装されている。

■3月8日(月曜日)
☆みつばちの日/みやげの日
 これまた語呂合わせですが、何をやるんでしょうね。
●インパール作戦
1944年(昭和19)の今日、悪名高き作戦が開始された。
これはビルマを手中に収めた日本軍が、インド北東部のインパールを包囲する作戦で、
7月4日の作戦停止までに日本軍10万人がほぼ全滅という最悪の事態となった。
私の母の弟もこの作戦で亡くなっている。

■3月7日(日曜日)
☆長島監督の1日も早い回復をお祈りいたします。
 航空会社はCF取りやめ。セキュリティ会社は継続。
 企業の判断基準がわかって面白い。
●またまた新選組
勇は30歳。
出自のおかげで講武所の師範の口は閉ざされた。
そんなところに清河八郎の浪士隊結成のニュースが飛び込んでくる。
失意の勇は新しい道を見つけた。
1863年(文久3)2月4日、勇は浪士隊募集の小石川伝通院へ道場の門人と出かける。
そして、1868年(慶応4)4月25日、板橋刑場の露と消えるまでの約5年間、
幕府側治安部隊のリーダーとして縦横無尽の働きをする。
勇の肖像写真は、かなりふけて見えるが若干35歳だったのね。

歳三は相変わらず女にうつつを抜かしている。
弄んだ相手の兄から制裁を受けたが抵抗しなかった。
彼の腕をもってすればねじふせることはできたのだろうが、
あえてそれをしないで、相手のなすがままであった。
彼もまた、自分の道を見つけかねていたのだ。
これから、浪士隊として上洛、反近藤の芹沢一派の粛清に加担し
勇の片腕として冷徹な面を見せ始めるだろう。
その変貌ぶりを見守ろう。
勇の養母、野際さんの演技がそろそろ鼻についてきた。

勝海舟と佐久間象山が顔を合わせる。
勝の江戸っ子ぶり、べらんめえ口調が伝わるが、軽い男に映った。
佐久間象山の後添えが勝海舟の妹だから、勝にとり象山は義理の弟。
象山は破廉恥で、妻妾同衾を平然とやる男だ。
彼の息子はやがて勝の肝入りで新選組に入隊することになる。
●やり得の代償
インフルエンザの蔓延で食肉業界は揺れに揺れている。
病気の鶏とわかっていながら出荷した業者のモラルの低さは言語道断だが、
雪印食品の牛肉の偽表示。最近では九州の食肉業者の偽表示が摘発された。
「ばれなければいい」という意識が食肉業界にはあるようだ。
その結果、雪印食品は消えた。
食品を扱う業界の中でも、肉関係は昔から程度の悪い連中が多いような感じがする。

警察も質の低下が目に余る。
ストーカー、わいせつ行為など破廉恥罪、酒酔い運転、ねこばばなど日常茶飯事。
犯罪を取り締まる側なのに「犯罪のデパート」。いや、「犯罪の商社」。
自分の職業をまるで認識していない。
最近、組織ぐるみの「裏金づくり」が発覚した。
証言するのは元警察署長。
告発は勇気ある行為のように見えるが、
わかっていながら手を染めたことに対し、義憤にかられたと言われても腑に落ちない。
自分がトップに在職したとき、おいしい汁にあずかり、
引退したら「悪いことだった」とは、なんか変じゃないの?
胡麻塩頭のひげのおさんよ!もっと早く気がついてよ。
税金だぜ。あんさんが使った金は。

政治家は、昔から厚顔無恥と相場は決まっているが、
居もしない秘書に給与を払ったとして、税金を騙し取った民主党のおっさん。
昔は悪を取り締まる役にあった男が。「お前も悪よの〜」だぜ。
記者のインタビューに対し、不遜な態度の「扁平河豚」野郎。
公安の職にあったとき、
自分のことを棚にあげて「開いた口がふさががらない」とはよく言った。
あんたはえらい!!
亭主が亭主なら、金の受け皿となっていた代議士の妻も
取材から逃げるばかり。
あの態度は、「わかっていながら、やりました」と言っているようなもんだ。
夫唱婦随の税金掠め取り。似たもの夫婦なんだな。

■3月6日(土曜日)
●陶器祭り
新しい村の芝生に大きなテントが出現した。
一昨日、新聞にチラシが入った。テントの正体がわかった。
「大陶器祭り」がそこで開催されるのである。
ワンの散歩の折、中をのぞくと早い時間にもかかわらず客が入っていた。
信楽の大型たぬきがいた。ちょっと欲しい気もした。
前の駐車場に大型トラックが何台かあった。
プレートは佐世保、長崎。
陶器市は九州のキャラバン。このトラックで全国を回っていたのだ。

●わが国初の女性週刊誌創刊
初の女性月刊誌は1906年(明治39)、実業之日本社から創刊された「婦人世界」だった。
それから遅れること51年、1957年(昭和32)の今日、
わが国初の女性週刊誌「週刊女性」が創刊された。
当初、河出書房から創刊されるが、河出書房の倒産により4号で休刊。
8月より主婦と生活社から復刊される。
ちなみに、世界初の女性週刊誌は1693年(元禄6年:将軍綱吉の時代!)
ロンドンで創刊された「ザ・レディース」ね。

私が初めて「週刊女性」と関わりをもったのは、昭和38年夏以降だった。
当時私は大学3年でマスコミを専攻していた。
そんな折、ゼミの教授が「週刊女性」のバイトの口を持ってきた。
なぜ、こういうことになったのか…
ゼミの教授と週女の編集長が「東大新聞研究所」の同期で
補助要員として学生を採用したかったらしく、教授のところに話がきたのだ。
面白そうな仕事だった。実習をかねて社会を見ることができる。
手を上げたのは同じゼミかの5〜6名。
採用は1〜2名なので、試験があった。
編集部は神田神保町の、古びた「研数学館」ビルにあった。
自由作文を書かされた。私は女性週刊誌なので、女性受けを狙って
「恋愛物」のショートストーリーを書いたような気がする。
合格したのは私と女性のM部だった。3年〜4年までバイトが続いた。
当初は内勤で資料整理や資料集め、
原稿の書き方、原稿用紙の使い方などを教わりながら
あまり大勢に影響のない囲み記事などを書いたような気がする。
そのうち「週刊女性特派記者」という肩書きの名刺をもって取材に出るようになった。
学生だからページを担当させてもらえるわけがない。
取材をして基礎データを集める「データ・マン」の仕事だった。
締切が近付くと、「アンカー・マン」が登場する。この仕事は花形である。
データ・マンが用意したものを元に本番原稿を作成するのだ。
3つ揃えのスーツで、ピース缶を脇に置き、両切りピースを口にくわえて原稿を書いている。
時折、紫煙が目に入るのか痛そうな表情をする。
キザだけど、かっこよかったな。
ときに、データ・マンが呼ばれ、状況の追加説明を求められる。
だから、データ・マンといえども、自分で原稿を書くことを想定しながら
きちんと構成を組み立てて取材をしなければならないわけね。
忙しく、楽しい仕事だった。週給というのもよかった。
バイトの相棒・M部は、そのまま主婦と生活社に就職した。
私も同じことができたのだが、広告への思い止み難く
昭和40年、読売広告社へ就職した。

■3月5日(金曜日)啓蟄
☆地中の虫が穴から出てくる。木々の幹に巻いたコモを外し、焼いて害虫退治。
 桜開花予報も出て、いよいよ春がそこまで。とはいうものの寒い日が続く。
 風邪など引かぬようにね。
☆珊瑚の日。語呂合わせだが、珊瑚が3月の誕生石というところから。
●たそがれ清兵衛
第76回アカデミー賞外国語作品賞にノミネートされてから
にわかに(と私は思っている)注目されたんですね。
2002年11月ロードショーだったが、もともと日本映画はほとんど見ないので
まるで関心はなかった。
NTVで21時から地上波テレビ初放送という触れ込みで放映。
真田の演技が光っているということだった。
山形県の架空の藩の幕末の出来事。藤沢周平の「原作も読んでいない。
ナレーションは岸恵子だとすぐわかった。
末娘の回顧録なのね。
妻の死から淡々とドラマは始まる。山形弁なので「おしん」の世界のようだ。
宮沢えりの「でがんす」言葉に混じって「京言葉」のような喋り口もある。
それが異質だったが、方言の考証もされているのだから、それでいいのでしょう。
清兵衛の職場は現代サラリーマンと同じ。
幕末の頃も、会社帰りに同僚と一杯、なんてことがあったのかな?
ご重役が小林稔侍であることがわかるまで時間がかかりましたね。
元クレージーキャッツの桜井センリがどの役なのかわからなかった。
最後に討たれた男は誰が演じていたのかわからない。
首から上のメイクが死人の形相で、ちょいやりすぎでないの。
小さな骨壷から死んだ娘の骨を食むという動作は、骨壷を手にしたときすぐ予想できた。

黙々と仕事をこなす実直な平サラリーマンが実は小太刀の使い手で
トップからの命令で生死を賭けた仕事をこなす。
朴訥な下級武士を演じた真田の所作は、さすがに様になっていた。
だが、淡々とストーリーが展開されるので、地味な映画であることは否めない。
アカデミーを取り逃がしたが、理由はそのあたりではないのかな?
それと、真田が住んでいる地域の家並みが新しすぎた。
もっとアンティークにして欲しかったですね。
でも、世界に紹介された映画なので興味深く見てしまいました。
●宋美齢
1897年(明治30)の今日誕生。
中国に君臨した宋財閥の三女にして、故・台湾総統蒋介石婦人。
姉の慶齢は中国革命の父・孫文の妻という中国の超エリート。
蒋介石氏が死亡した75年にニューヨーク郊外に移住。
2003年11月23日・自宅で死去。享年106歳!!

孫文亡き後、蒋介石は宋美齢にプロポーズするが断られる。
英雄色を好むの通り、蒋介石も故郷に残してきた妻の他に
政治の舞台に身を投じてから2人の女性とできていた。
再度の求婚が成功して、宋財閥を味方につけることになる。
宋家も身内を政界に送り込もうという思惑もあった。
その後、蒋介石は36年の西安事件で、部下の張学良に軟禁されるが
美齢は夫釈放のため自ら西安に乗り込み、
渋る蒋介石に共産党との協力を約束させている。この頃から猛女の片鱗をのぞかせる。
1943年(昭和18年)、美齢は夫と共に、
中国への軍事支援を 拡大させるため訪米。
ルーズベルトとの会見に臨む。2人は熱狂的歓迎で 迎えられることになった。
夫の通訳にすぎなかったはずの美齢が、
大舞台でまんまと自分を主人公に押し上げた瞬間であった。
これを機に、妻・美齢の力が夫を超えるものとなっていく・・・。
流暢な英語を武器に、中国へのアメリカ支援をとりつけることに成功。。
このため、日本の敗戦を早めることになったという
日本にとっては「にっくき女帝」なのね。


■3月4日(木曜日)
☆サッシの日・三線(さんしん)の日・ミシンの日
 どれも語呂合わせね。
☆ドジな純ちゃん
  国会答弁中、北朝鮮の指導者を「将軍様」と言ってしまった。
  「あんた、いつから北鮮人になったのよ!?」と失笑を買うしまつ。お粗末。
●小山(おやま)と家康と和菓子
国道4号線をひたすら下ると、桜金造のコマーシャルで有名な
「小山遊園地」の前を通過する。
この界隈が小山市。宇都宮に次ぐ栃木県第二の都市。
ここに家康ゆかりの場所があることを知った。
「小田原評定」ならぬ「小山評定」というのがあったそうだ。
慶長5年(1600)7月24日、徳川家康は、会津の上杉景勝を討つべく小山に到着。
このとき、石田三成が家康打倒の兵をあげたことを知り、
翌25日この地において軍議が開かれた。これが「小山評定」といわれている。
軍議は、3間4方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に、
本多忠勝、本多正信、井伊直政や福島正則、山内一豊、黒田長政、
浅野幸長、細川忠興、加藤嘉明、蜂須賀至鎮らの諸将が参集した。
福島正則が協力を誓い、これをきっかけに軍議は家康の期待どおりに決定したという。
同年9月25日、関ヶ原の戦いがおこなわれ、
東軍(徳川方)の勝利にむすびついた歴史上重要な評定だそうだ。

この評定にあやかった「陣内評定餅」という和菓子がある。
「小山評定」の陣内で出された食事という風情である。
販売は地元で創業元禄11年という老舗の「蛸屋」。
「陣内餅」はプラスチック容器に入り1つ1つていねいに包装されている。
「餅」といっても「ぎゅうひ」にきな粉がまぶしてあり、それに蜜をかけて食す。
小さな和菓子なので顔を近づけた。鼻息がきな粉にかかり舞い上がる。
それでむせてしまって小さな咳をする。きな粉がさらに吹き飛ぶ…
テーブルは黄色い粉が散乱してしまった。食べる気が失せた。
本来なら容器から皿に移して上品にいただくのだろう。
ネーミングは面白いのだが、もう少し食べやすくして欲しいな。


■3月3日(水曜日)雛祭
☆「耳の日」はわかるけど「金魚の日」「結納の日」つ〜のは、
何か故事来歴があるのだろうが、唐突ね。
●ウイルス警報
「ネットスカイ・イー」(W32/Netsky.e@MM)、「ベーグル・ジェイ」(W32/Bagle.j@MM)
メール添付ファイルから感染する[メール無断送信]ワーム
かかりやすさは「中」で、警戒が必要。
添付ファイル付きのメールとして送信され、宛先はほとんど海外からのもの。
添付ファイルの拡張子は「ネットスカイ・イー」は「.zip .txt .rtf .doc .htm .jpg .gif.exe .scr
.com .pif .bat .cmd」のいずれか。
拡張子が2個の場合もあります。「ベーグル・ジェイ」は「.exe .pif .zip」のいずれか。
<感染するとどうなる?>
パソコン内のアドレスを検索し、ウイルス付きのメールを無断送信。
バックグラウンドで送信されるため、気づきにくく自覚症状は特にない。
メールの添付ファイルをむやみに実行しない。
●胡散臭さ、ぞろぞろ
またぞろ、沖縄の自民党議員の学歴詐称。
愛知県の民主党議員の秘書名義借り。
議員も人の子、学歴のハクをつけたがったり、なりすましで国から金を掠め取ったり…
とはいうものの、国民の代表で政治をやっているのだから
も少しまともな感覚の人でなくてはならないのだが。
福岡の潤ちゃんの学歴詐称など、もう過去のこと。
本人もほっとしてるんだろうな。
ところで、横須賀の純ちゃんや阿部ちゃんの学歴問題は?
権力の中枢なので、もみ消されたのかな?

若村真由美の100トン旦那もワイドショーの血祭りに挙げられている。
離婚暦2回、金にシビア、親族と骨肉の争い…などなど。
それと、入籍報告の席上での
若村の喋りが「なによ、あんなにすかしちゃって」と評判悪い。
素の彼女を知る人にとっては、ちゃんちゃらおかしいの何者でもないそうだ。
さらに、彼女の男の作り方について。
「無名塾」出身の彼女は主宰者の仲代と、その後、テレビの仕事で知り合った萩原健一、
東大卒の医師、長唄の先生との不倫と恋多い女。
さらには、裁判中の渡辺謙とも。
これまでウワサになったのは芸能界の先輩や先生と呼ばれる人ばかり。
どうも、指導されるうちにできちゃうみたいだ、と夕刊紙で報じられている。
すると、今回の100トン和尚と人生の相談をやってるうちに…
週刊誌見出しによると、デ〜ブ僧侶と、謙さんとのどろどろ関係。
男と女、宗教とアカデミー賞。芸能記者は飛びつくはず。

若村真由美と、宮崎ますみ(?)という女優をよく間違えていた。
雰囲気が似ているのだ。
しかし、宮崎さんは結婚と同時に芸能界引退。現在、ハワイで子育て中とか。
最近テレビに出ていたが、髪を短くし、爽やかで意志の強そうな女性になっていた。
好ましいですね。
そこへいくと、誰と結婚しようがかまわないのだが、
あまりにもイメージの落差が大きく驚愕する。
胡散臭いデブが美人をものにして…という
「やっかみ半分、興味半分」報道になるいんだろうな。
それより、記者会見したときの、若村の下唇の皮膚の汚れが気になった。
傷ならファンデーションで隠すことができそうなものだが
2つのシミは皮膚病なのかな?
●北は怖いが、南もね
韓国国会は、2日の本会議で、日本統治時代の対日協力者を糾弾するための
「親日・反民族行為真相究明特別法案」を賛成多数で可決した、という。
朝鮮半島を植民地化した日本への「怨み」は現代韓国の人々の心の底に脈々と流れている。
この思いは末代まで引き継がれていくのだろうね。
敗戦後の補償で「その問題は解決済み」としている日本だが、
拉致問題を、「解決済み」とする北鮮に対する非難に似たようなものかな?

日本は「補償」という誠意を見せたが、
北鮮は「恫喝、物乞い」をするだけだから、同じ次元では語れないね。
(戦後間もない頃、国民のほとんどは貧しかった。<闇屋の成金は除く>)
同じクラスに1〜2人は極貧の子供がいて、だいたいそういう環境の男の子は
小学生のくせに、札付きのワルというのがお決まり。
ルールは無視する、たかり、おどしは当たり前。鼻つまみなのだ。
北鮮という国の行為に対し、そんなことを考えてしまったよ。

朝鮮半島の歴史は太古の時代から不幸なものだった。
昔習った日本史だが、2〜5世紀の朝鮮半島は高句麗、楽浪、馬韓、弁韓に始まり
百済、新羅、任那などの群雄割拠だった。
この頃、日本は邪馬台国から大和政権に移っていた。
百済からの要請で朝鮮半島へ倭国が出兵する西暦367年の頃だ。
369年には任那を領有し任那日本府が成立する。
以後、562年新羅に滅ぼされるまでの193年間、日本は海外領土を経営していたわけだ。

1910年日韓併合から1945年の太平洋戦争の敗戦まで、
朝鮮半島は日本の植民地となっていたわけだが、わずか35年間ですよ。
任那日本府は193年間だもんね。
昔から朝鮮半島は日本と縁が深かったわけだ。属国としてのね。
その後豊臣秀吉が2回朝鮮を攻めるが、野望は果たせなかったけど。

朝鮮人が(こういう表現はよくないらしいね。日韓併合のとき劣等国民としての
呼称を「朝鮮人」としたらしい。最近は韓国人だもんね。じゃ、北鮮はどうなるの?
相変わらず「北朝鮮」だ)

現代韓国人が、民族主義のスタートとするのが、日本では足利時代の1392年
高麗を破って祖国統一を図った「李氏朝鮮」になってからでしょ。
朝鮮国家の成立はこの時点ではないのだろうか?(彼の国の勉強不足ですいません)

抑圧の歴史が長いので、「怨」の語は特別な意味を持つのでしょうね。
「ひがみっぽい」「過剰意識」「ひねくれ」という言葉がちらちらする。
韓国の歴史のサイトを探すと、あるある。
「歪曲した歴史」が特筆されるらしい。
日本は、豊臣時代に朝鮮半島から工人を連れてきて陶磁器などの技術を学んだのだが
彼の国の記述は「技術を教えてあげた」など恩着せがましいのだそうだ。
また、武士道、剣道などのルーツは韓国であり、日本が模倣したそうだ。
このような、「何を根拠に」と思えるような明らかな間違いが数多くあるという。

最近、音楽や、アニメなどが緩和され、いいムードになってきたな、と思った矢先である。
植民地時代の親日派を今更弾劾して、両国を気まずくすることはないじゃないの!

「ユダヤ人」も抑圧民族。
ナチスドイツの虐殺に関わった連中を地獄の底まで追い詰めるという執念に燃えたのが
「ヴィーゼンタール」だ。(志半ばで亡くなったが)
ウィーンに置かれた機関は、彼の意志を受け継いで活動しているのだろうか?
アイヒマンは死刑にできたが、ボルマンやメンゲレは取り逃がした。
イスラエルの「モサド」も協力体制にあるが、
肝心のナチス残党が高齢でどんどん死亡している。
ユダヤ人の執念は朝鮮人に比べはるかに筋金入りだ。
なにしろキリストを裏切り追われてからだもんね。
国を持たなかった流浪の民の「怨」は、はるかに恐ろしい。
●「桜田門外の変」
1860年(万延1年)の今日ですね。2.26事件も前夜からの雪だった。
昔は3月といってもまだ寒く、雪がしばしば。
でも、一昨日は、都内で雪が降ったそうだし。
私が小学校を卒業した年の4月1日に雪が降った記憶があります。

■3月2日(火曜日)
●シンレッドライン
これもまた1999年に公開された戦争映画である。
(ビデオはアクションと戦争物しか借りません)
タイトル名は聞いたことがあったが、どんな内容かは知らなかった。
太平洋戦争で、日米激戦となったガダルカナル島が舞台の
一風変わった映画だった。
ノルマンディ上陸を扱った映画で、
上陸用舟艇で待機する歩兵は元気いっぱいの連中が多かったが
こちらは、恐怖でひきつる兵隊ばかり。
実際はこのようなものではなかったか。
また、丘の上の日本軍を攻撃する兵隊の中に
マッチョな風体なのだが胃痙攣を起こして動けなくなった奴がいた。
1発銃弾が当たればお終いなのだから、実際はこんなものだろう。
丘の攻防戦のシーンが長いのだが、
突然美しい自然の風景や、色鮮やかな鳥のカットが現れる。
また、ナレーションが詩を朗読しているように聞こえる。
ドンパチが多いアメリカ戦争映画にしては珍しい。
反戦気分高揚映画ね。

この映画はオーストラリアのケアンズで撮影したらしい。
日本兵はこの周辺に学ぶワーキングビザ所有の学生をエキストラとして雇ったという。
武器もリアルでなかなか熱演でした。
ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した作品ですが、
2時間45分という長編で、はじめのうちは何がいいたのかわからず
ちょっと眠くなってしまった。

戦場のピアニストで一躍有名になった、
エイドリアン・ブロディがほとんどせりふのない役で出ていた。
また、甘いマスクのジョージ・クルーニーが
最後のほうで後任の中隊長役、
ジョン・トラボルタが兵員輸送船の上級仕官で登場。
結構俳優には凝っておりました。

■3月1日(月曜日)
☆西武が土地売買でミソつけた。
 西武鉄道の本社って所沢だったんだ。
 イメージ戦略が上手で都会的な雰囲気なのにね。
 東武鉄道はダサイメージだけど、墨田区。
 営団地下鉄は上野(台東区)。京王、小田急は新宿かな?
 東急は渋谷。京成は?京急は?
☆謙さん残念、アカデミー賞逃す。
 ミスティク・リバーのティム・ロビンスが受賞。この映画の監督は
 クリント・イーストウッドでしょ。彼のほうに注目しちゃいますね。
☆1892年(明治25年)芥川龍之介誕生
☆2001年の今日、女性ニュースキャスター「久和ひとみ」さんが亡くなっています。
  これからの活躍が期待されていただけに無念の死でした。
●梅
薔薇科の植物って知ってましたか?
小雨にけむる梅の花。風情がありますね。
桜のように派手ではないけど、しっとりとした趣きがあります。
春を待つ人々の心に静かに訴えるような大人の雰囲気ね。
沈丁花のように周囲にきつい香を振りまくのではなく花に顔を寄せれば、ほのかに匂うというのがこれまたいい。

江戸時代の人情本に為永春水作の「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」がある。
美男子、丹次郎とその許婚(いいなずけ)お長、深川芸者米八の恋のもつれを
描いたもので、人情本様式を確立したといわれる作品である。
第1巻は1832年(天保3)に発刊された。
(この人情本は天保の改革で発禁、絶版。
作者は「手鎖の刑」に処せられ、その後病死する)

題名からして、艶っぽい。この中で梅の花が重要な役割を果たしている。
丹次郎と米八が密会する。、米八は縁側から手を伸ばして
梅の蕾を3つとり、それを口に含む。
なぜ?
芸者米八は、これから好きな男に抱かれるのだから、口臭があってはならない。
それゆえ、梅の蕾を口に含んで噛み砕き、
蕾の強い芳香で口中に香気を帯びさせる、という心憎いまでの気配りであった。
今ならさしずめ「お口クチュクチュ・モンナミン」だ。
昔の粋は床に梅花を撒き、枕の下にも置いたという。
今は芳香剤をシュッ。味気ないですな。
季節感はどんどん薄れるばかり。
●エネミーライン
2002年3月ロードショーの戦争映画を、またまた杉戸TSUTAYAで借りてきた。
舞台は先日借りてきた「非常戦闘区域」と同じ旧ユーゴー。
平和維持軍として参加したNATO軍の指揮下にある米海軍の物語だ。
セルビア人民軍の虐殺の現場を偵察機から撮影してしまったために
執拗に追われるジェット機パイロットの「はらはらどきどき」映画。
ミサイルに追われ逃げ回るジェット機のシーンが延々と続く。
これがなかなかスリリング。アメリカ製映画らしいの派手な場面でもある。
老いてますます元気なジーン・ハックマンが部下思いのいい役で、得してます。
と、途中まで見ていて、「あらら以前借りたことがある」
最近は結構こういうことが多い。でも映画は楽しめましたが。
●NHK試験放送開始
1925年(大正14)東京放送局(現NHK東京放送局)が、
田町駅付近の埋立地にあった東京高等工芸学校の
図書館
スタジオ施設として試験電波を発射。
ところが、逓信省の検査で設備の貧弱さから事業として不合格となってしまった。
3月1日放送開始のPRも行っていたことだし、
試験放送ということで、なんとか急場をしのいだ。
その後、不備な個所を改修し、合格と判定されたので、
3月22日午前9時30分、試験放送から仮放送に切り替えられた。
NHKはこの日を放送記念日としている。
大正14年7月12日、愛宕山に建設した施設から本放送を開始。
現在の放送博物館のあるところですね。
天下のNHKも、よちよち歩きの頃は、ころんですりむいていた。
●またまた新選組
昨日の出来事ね。もう「見る」ことが刷り込まれたようである。
演出家の独創的なドラマ展開を楽しむ気分ね。
さしたる出来事はなかったが、試衛館道場に食客が次第に増えてゆく。
この面々がやがて京都で新選組近藤派の主力となる。
その複線となっている。
食客が増えることにいい顔をしない勇の養母に対し
勇の妻に「食客というのは主に一旦事あらば体を張って守るものです」と言わせている。
やがて、一党を率いて新選組に合流する伊東甲子太郎も初登場。
彼の写真はないが肖像画によると白面の貴公子といった雰囲気。
新選組という荒くれ集団には不似合いなハンサムボーイである。
ドラマの中でもそれが表れていた。
勇が講武所で会った人物、佐々木只三郎。
なかなか大人の風格。彼はやがて、新選組誕生に1枚加わる。
さらに、幕府が編成した見廻組の一員となる。
竜馬を暗殺したと目される人物だ。
あ、それと歳三の見合いがありましたね。
結婚はしないといいつつ、
美人の相手と散策中、川のほとりで手をつけてしまったのかな?

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