Culture
■2004年1月9日
「犯罪の低年齢化」続き

不良女生徒のリーダーを「スケバン」と呼ぶが、昔は「硬派」のイメージがあった。
ところが、最近は「いじめ」と「脅迫」が複合して、弱い者が攻撃対象になっている。
しかも、「喧嘩」ではなく、「陰で糸引く」ずるがしこい行為が顕著だ。
今回の事件も、携帯電話代を稼ぐために、遊び友達に「援助交際」を強要したというのだ。
携帯電話依存症も大きな社会問題になっているが、
「援助交際」は「町角キャッシング」と同様、口当たりのいい言葉で事実を覆い隠している。
しかし、「売春行為」に他ならない。
金のために体をひさぐ。ギリシア時代から存在する最古の商売だが、
昔なら生活苦のために、泣く泣く苦界に身を沈める…という悲しい行為だった。
「貞操観念」「操をたてる」なんて死語だもんな。
例外はあるね。
ケッセルの小説「昼顔」。映画ではカトリーヌ・ドヌーブが「セブリ−ヌ」という美しい人妻を演じていた。
裕福だが、男を漁る。
また、渋谷でネパール人に殺害されたといわれる東京電力の女子社員。
慶大卒の彼女は夜の円山町界隈で男を漁っていた。
金には困らなくても「淫乱」な体質が、男なしではいられない。
(でも、売春って、なんで「春」なんだろう?)「春をひさぐ」ともいうが。
やっぱ春の季節のように「ここちよい」ものを売っているからかな〜〜(こんど調べておこっと)。
女性の年齢で「言い換える」つーのはどうかな。
25までが売春(ばいしゅん) -->売春嬢
35までが売夏(ばいか)    -->売夏婦
55までが売秋(ばいしゅう)  -->売秋婆
それ以上が売冬(ばいとう)  -->売冬媼
大阪ミナミの薄暗がりには、いるんですよ「売冬媼」が。
男は売根(ばいこん)ね。新宿2丁目御用達。
「売根夫(ばいこんふ)」…う〜〜ん、なんか力強い感じがするな〜。
いずれにせよ梅毒(今エイズね)には気をつけろよ。

今回の女子高生の事件であるが
買ったのは64歳の男であるという。
還暦をとうに過ぎた年金暮らしが、よ〜〜〜やってくれるわっ!!
高校生といえば、自分の孫に相当する年齢だろうに。
名奉行といわれる大岡越前守が
母親に「女はいくつまで性欲があるか」と尋ねたら、火鉢の中を掻き回した。
「ふんふん、灰になるまでね」と判断したというが
男は悲しいかな、気力があっても「いうこときかない」ってことがあら〜〜な。
でも、昔と違い食い物が変わってきたのかどうかわからんが、男も元気になった。
70過ぎの歌舞伎役者が子供を作ったもんね。
テレビで笑みを浮かべて報告しているシーンを見たが、
子供が成人するまで生きてはいられないだろうね。
新潟の女子監禁事件を起こした男は
老齢になって自分を作った父親を怨んでいたらしい。
社会通念から逸脱した行為は、ときに犯罪に走る子供を作ってしまう。
父兄の授業参観で父親が来ると「お爺ちゃん」が来たと思われ
長年恥ずかしい思いをしていたらしい。
快楽のあとの「悔恨」である。若い女体の「開墾」ではないから、間違いなく。
経済的にゆとりがあるからと、単純に若い女性と一緒になりたいと思っている方は
そこんとこよく考えておいてね。
最後に、
以前なら「売春」というが、最近は「買春(かいしゅん)」の言葉をよく目にする。
男と女の交渉時に
女が「ねえ、遊ばない?」と誘えば「売春」
男が「ねえ、遊ばないか?」と誘えば「買春」になるんだろうかね?
特に相手が未成年の場合は、成人男子の方に責任があるから「買春」なのかな?
そして男は「淫行罪」に問われる。
「いんこう」。響きの悪い言葉だよな。
「売春」も「買春」も本来なら「ばいしゅん」である。
これでは、責任の所在がはっきりしないから、「かいしゅん」と言っている。
上を訓読み、下を音読みするのを「湯桶読み(ゆとうよみ)」という。
じゃ、その逆は…「重箱読み(じゅうばこよみ)」ね。
(話が、どんどん蛇行したが、気にしないでね。酒場の馬鹿話と思ってちょ)
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■2004年1月6日
「昔に帰る」続き
政治、外交、経済などなど逼塞間がある。
効率一辺倒でやってきたものの何か空しい。
昭和30年代に「人間らしくやりたいな」というサントリーの広告があった。
イラストは柳原良平、コピーはかの山口瞳。
「トリス・ウイスキー」という大衆酒であったが、
その広告により「トリス文化」という言葉も生まれた。
こういう考えが出てくる背景は。
昭和25年に朝鮮戦争が勃発した。
日本は米軍の兵站基地として、いわゆる「朝鮮特需」にわいた。
太平洋戦争に負け、疲弊しきった日本だが、これにより経済復興の足ががりを見つけた。
それから10年。池田隼人内閣の時代には
「もはや戦後ではない」といわれるほど経済復興を遂げた。
いわゆる「神武景気」である。
右肩上がりの成長の牽引力となった国民は、働きに働いた。
そんなときであった「人間らしくやりたいな、トリスを飲んで」の広告が登場したのは。
現代も、まさに人間回帰の時代になったのではないだろうか?
言ってみれば「遊び」ね。
Playの遊びもあるけれど、ここでは車の」ハンドルの「遊び」。
スピードだけのレーシングカーのハンドルには遊びはないが、
普通の車にはある。心の「ゆとり」である。
スローライフもそのあらわれのひとつ。
昭和30年代といえば、携帯電話、インターネットなど、もちろんない。
不便であったが、人と人とのコミュニケーションは横溢していた。
もっと不便だった江戸時代も、人を真ん中に据えた生活を謳歌していた。
これなんですよ、これ。
企業では目の前にいる奴にメールを送る。
家庭では1階の親父が2階の子供に携帯メールを送る時代なんだからね、今は。
あ〜〜やだやだ。

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