田舎三昧の生活と意見
=Contents=
2004年1月
1日新年のご挨拶
  無惨也曙
  初散歩
  初詣、はしご
  純ちゃんの靖国神社参拝
2日テレビ三昧
  その後の「おりょう」
3日墓参
  一葉の里
4日うどん
  春、兆す
  波乱万丈「中曽根康弘」
5日野鳥
  日野市
6日昔に帰る
  年賀状
7日質草
  会釈
  パソコンが変わる
  毀誉褒貶
  おしん再開
  そのとき「新選組」
8日ハイテク
  満月
9日拉致問題
  犯罪の低年齢化
10日さよなら
   おしん、オート三輪に乗る
11日新選組、開始
   鶉、激突死
   主(ぬし)
12日成人式
   初サイクリング
13日成人式始末記
14日冬の星座
   航路変更
   季節風
15日寝る娘(こ)
16日薮入り
   青い炎
   芥川賞
17日アル・カポネ誕生
   冬の情景
18日新選組第2回
   視点
   今日が誕生日の人
   元気をもらった
   チャタレー裁判
19日ウイルス注意報
   イラク報道制限
   韓国で豚コレラ発生
   雪は霙に
   誕生日
   咸臨丸米国へ
20日昭和30年の「おしん」
   新市名決まる
   自衛隊のイラク入り
   銀座7〜8丁目界隈
21日電柱
   勝海舟没
22日燃える空
   道・州制
   消えたもの
23日東埼玉市
   どうした「まも亭」
24日結婚式
25日新選組3回目
   学歴詐称
26日あなたも裁判員
   歴史がそれを評価する
   ギラギラよりきらきら
27日古賀議員の進退
28日牛丼
29日拉致家族の子供の値段
   古賀氏の進退
30日新市名誕生の怪


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■1月31日
●15分
昨夜、日テレでロバート・デニーロの「15minute」が放映された。
加熱するTV報道を揶揄したような映画だった。
(画面が非常にきれいだったが、劇場用ではなくTV映画用だったのかな?)
主役のデニーロが殺害されてしまうのは意外だったが、
刑事とニュース・キャスターの馴れ合いで事件報道が作られてゆく。
日本でも視聴率至上主義の結果、自分の番組の数字を上げるために
金で視聴率を買ったプロデューサーが逮捕された。
彼は日テレというのも皮肉な話である。
各局のワイドショーや報道特番なども、より刺激的な映像を放映しようと
ときに「やらせ」を敢行する。
歳をとるにつれNHKを視聴するようになる、というが
時間をかけて取材した見ごたえのあるドキュメンタリー番組は
今やNHKでしか作製できないとのちゃう?
民放でもたまに放送されることもあるが、
バラエティ番組の作りのほうがうまいよね。
●都電
現在都内に残る路面電車は「都営荒川線」のみである。
この電車は専用敷地を走っていたために廃線を免れている。
一般道路にレールを敷いて走っていた「チンチン電車」は
モータリゼーションの普及と共に、
車の通行の邪魔になるので姿を消してしまった。
昭和40年、銀座1丁目の角に今もある広告代理店に就職した私は、
新橋に行くとき地下鉄ではなく会社の前に停留所のあった都電を使うことがあった。
道路の真ん中に一段高くなった石のホームがあり、
そこに立ってクリームイエローの都電を待つのだが
当時の銀座は交通量も多く、今考えると結構恐ろしいね。
ドライバーが少しでもハンドルを切りそこなえば、
都電のホームで待つ人々をなぎ倒してしまうことになるのだから。
高校時代は、学校の近くの寺島広小路が都電の終点になっていて
そこから須田町を通り神保町まで行くことができた。
向島百花園の前はトロリーバスも走っていた。
全て遥か昔の光景であるが、ものごとがまだゆったりと動いていた。
1895年(明28)の今日、京都で日本初の市電が走った。
東京は1903年(明36)とかなり遅れる。


■1月30日
●新市名決定の怪
宮代町会議員「加納」氏の「視点」102号は、新市名決定の内幕をレポートしていた。
タイトルは「やっぱり新市の名前は「春日部市」になった!」である。
「やっぱり」とつくからには、あらかじめレールが敷かれていたというふうにも読める。
投票方法は、22名の協議委員が、候補として絞り込まれた10案に
それぞれ、1点から10点までの点数をつけ、その最多得点候補に決定したそうだ。
「春日部」にだけ最高の10点をつけ、他の9案に0点をつけた協議委員が
22名中9名もいたという。(何という偏狭な郷土愛!!)
1市3町の合併にあたり、一般公募で6503件の候補案の応募があった。
(このあたりのことについては、昨年12月1日、6日に記述してある)
そして、一般公募から6案に絞込み、さらに従来の市町の4案を足して10案。
これを最終候補にして、協議委員の投票により決まった。
民主主義の原則にのっとり決めたように思えるが、
最終候補案になった6案が、これで、将来性ある市になれるのだろうかという
保守的でつまらない名前ばかりであった。
従来のしがらみから脱却し、新しく生まれる市に対して
これまでの市町名を候補案に加えるというのも解せない。
これでは応募した人たちに失礼ではないか。
流れは「春日部」に向くように巧妙に仕掛けられていたのだね。

古賀議員の学歴調査行脚と同じ「茶番」だよ!茶番!
(自分が卒業したかどうかもわからない馬鹿だもんな。
どんな馬鹿でも落第したかそうでないかわかるから馬鹿以下ね古賀君は。
よくもまあ国会に顔を出せたものと、その厚顔無恥にただ唖然))

宮代選出の協議委員が「現市・町名は候補案から除くべき」と発言したが
21対1で却下されたという。
協議委員は各市町から何名づつ選出されているか知らないが
「談合」が持たれたのではないかと勘ぐられても仕方あるまい。
杉戸、庄和選出は完全に春日部になびいちゃったのかね?
決定後の言葉に「春日部の知名度が高いから」つ〜のがあった。
高かろうが低かろうが関係ないのさ。なにしろ対等合併なのだから。
それぞれ郷土の歴史はあるし愛着もあるのだよ!
それを捨てて新しく生まれようとするのが今回の合併ではなかったのか。
なのに「知名度があるから」で押し切るのは合併への理解が足りないのではないの?

これまで石橋たたいて「春日部」になるように仕組んできた結果だが、
もう一度、住民にフィードバックして欲しいよ。
「本当に<春日部>でいいでしょうか?」と。
合併後の細かいルールは、専門の協議委員が決めるにしても
誰にでもわかる「新市名」は住民の総意にするくらい民主的であってもいいんじゃない?

勝ち誇った「春日部」住民が中心になってできた
「春日部市・宮代町・杉戸町・庄和町合併を考える住民が主役の会」というのがある。
「議員数が多すぎるので反対しょう」という印刷物を配布したが、
その前に「新市名をもう一度考え直そう」という印刷物も配布してよ。
その後なら、議員定数の件にも署名するからさ。


■1月29日
本日「肉の日」。で、どうしたらいいの?
●拉致家族の子供たちの値段
言語道断である。
子供一人につき「10億円」という条件を
日本と北鮮の間に蠢くブローカーが政府に持ちかけていた。
そういう事実を政府はなぜ国民に出し惜しみしていたんだろうね。
身代金を要求する誘拐犯の手口ではないか。
日本国内の刑法ではそういう卑劣な犯罪に対しては
厳罰をもって対処しているぜ。
それが、国家間になると、なぜこうも弱腰になるのかね。
そうでしょ、石原都知事殿。
国内は景気が悪いのに、国外に対しては景気良く金をばらまく。
しかし、「ならず者」「与太者」「悪党」「卑劣」国家には、まるでだめ。
国家主権を土足で踏みにじられても迅速・適切に対処できない。
首相、官房長官の答弁もなぜか「他人ごと」。
国民の精神衛生上よくないよ。
●古賀氏の離党と辞職勧告
民主党は学歴詐称疑惑の古賀氏に対し、
離党勧告はするが、議員辞職にはあまり積極的ではないという。
理由は、彼が辞めた後に山崎拓氏が這い上がってくるのを阻止するためという。
しかも、ここで彼を学歴詐称で辞職させると、
これまで学歴疑惑の黒い霧に包まれた人たちをも巻き込む「暴露合戦」に発展し
収拾がつかなくなる、という。
なんか寂しい話である。
日本の政治家のレベルの低さを垣間見たようである。
民主党では、これまで自己申告制だった学歴について
今後はそれを証明する書類を提出させることにするそうだが、
「え〜〜つ、いままでやっていなかったんだ」つ〜のが素朴な感想だ。
私は常々思っているのだが、
政治家の経歴にもある、経済学博士、医学博士など博士号について、
「どんな博論で博士号を取得したのかも記入して欲しい」ってこと。
これが明らかにされると、「え〜〜つ、そんなくだらん内容で!?」
ということも白日に晒されるのであるよ。


■1月28日
●牛丼
日本の最大輸入先米国のBSE牛発生により、
大好きな牛丼が次第に食べられなくなる。
日本生まれの「牛丼」は米国でも受け入れつつあって
「ビーフ・ボウル」という名前も市民権を得たかのようである。
米国からやってきた青年に
国際的な話題をしようと思って
「ドゥー・ユー・ノウ・ビーフ・ボゥル」と尋ねてみた。
彼は不思議そうな顔をした。
ことによったら西海岸では知られていても東部ではまだなのかな?
彼はシカーゴゥからやって来たのだ。
彼は、続けてしゃべった。
だぶん、こんなことを言ったのだと思う。
「そういうのを食べるテレビ番組があって、金髪の女性がチャレンジしているけど
見ていて気持ちのいいものではないね」
ふむふむ、日本でもおなじみの「大食い競争」なのか。
私もそれに応えて
「そうだよね、日本にもそういう番組があるけど、気分が悪くなる」
単語を並べて、というようなことを喋った。
しかし、どうもコミュニケーションがすれ違っているみたいなので
娘に聞いてみた。
彼は、私の話をどう受け止めたのか…と。
ベラベラと喋っていましたよ。
で、とんでもないことになっていたのである。
私は「bowl」と発音したつもりなのだが
彼には「ball」と聞こえた。
「ボール」じゃなくて「ボゥル」と発音したつもりだったのだが。
だから彼は「牛のキンタ*」と解釈したのだ。
日本人は中国人同様、いろんな部位を食うんだな、と思ったのだろう。
悪いことに、米国にはそういう「ゲテモノ」を食べる番組があったのだ。
皆さんも注意しましょうね。
「牛丼」のつもりが「牛のキンタ*」になってしまうんだよ。

牛丼とはどんなものかを説明しようとすると
「牛ばら肉と玉ネギ、シラタキなどをしょうゆ味で煮込み
それをご飯の上にかけたもの」
これを英語で言うのは非常に難しい。
そこで、「ご飯の上に牛肉を乗せた食べ物」と簡単に言おうとすると
間違いが起きやすい。
発音によっては、「シラミの上に牛のキンタ*を乗せた食べ物」ということになる。
日本人はすげ〜もん食ってる。

■1月27日
●古賀議員の進退
今朝会見を行った。
民主党離党。
議員報酬辞退。
会期終了後、ペパ大へ通い落とした単位を履修。卒業資格を得る。
というもの。
こういうテがあったのね。
あくまで議員は辞めない。
鈴木宗雄みたいに固執している。
潔くない。ヤボな田夫野人である。
地位に恋々とする見苦しい奴である。

「民主党という親から離れればいいんだろう。金はいらね〜よ。
落とした単位は長期休暇中にとってくるよ!」
と、言っているのである。
今選挙では、対抗馬に女性問題でミソつけた山崎拓だった。
学歴詐称しなくても、民主党の追い風で
有利な展開ができただろう。
疑惑がわいたから迷惑をかけた。
だから、離党すればいい、という問題ではない。
民主党から立候補したのだから、議員資格も同時に返上すべきだよ。
何、「勘違いしてるんだろうね。あいつは。
ま、単位が足りないのに「卒業」という勘違いするほどの人間だからな。
「勘違い」は超得意科目なんだよ。
こういう「勘違い」男に政治はまかせられないのだが、
本人は、当然気付いていない。
休暇中の単位取得であるが、
公報に載った時点で「ペパ大卒」であることを忘れたの?
正確に記載すれば「ペパ大中退・退学」でしょ。
議員資格を取ってから、辻褄合わせはよくないね。
だったら、「東大受験後、**年後卒業見込」とも書けるもんね。
こういう「あやふやな人間」を国会に送るべきではないのであ〜〜〜る。


■1月26日
●あなたも「裁判員」の可能性
外野席で野次馬的に意見を言うならともかく、
人を裁く側に立つなんて性に合わないね〜。
だいたい、そんな立派な人間じゃないよ。
と、言っても、国からある日突然「裁判員」に任命されちゃうかもしれないのだ。

政府は今、通常国会に「裁判員制度」の関連法案を提出する模様。
「裁判員制度」とは
「司法への国民参加」を実現するため、政府の司法制度改革審議会が
2001年6月の意見書で提言。02年3月に閣議決定された。

無作為にくじで選ばれた市民の「裁判員候補者」を対象に、
職業裁判官らが公平な裁判ができるかどうか質問、
その手続きを経て正式に裁判員が決まる。
裁判員は職業裁判官と一緒に刑事裁判の審理を進め、
有罪・無罪を判断。有罪の場合には量刑も決める。

対象は20歳以上の日本国民。警察官などは含まれない。
有罪の場合、懲役とか執行猶予などの量刑も決めるというのだから…
アメリカの陪審員制度は「有罪・無罪」までじゃなかった?
窃盗くらいならいいけど、人の命を殺めるような重犯罪にあたったら、当惑するよね。
そして、極刑を課すことになったら寝覚めが悪いや。
裁判官はそれが職業だし、経験積んでいるけど、
一般市民はドキドキしちゃうよ。
まして、それが暴力団関係だったりしたら、後難を恐れるわな。
それに20歳位の社会経験の少ない人間で、
判断能力もない奴だったら、どうなるの?
過去に犯罪を犯している人間の場合は?NG?
その人が罪を悔い改めて立派な人間になっていたら?OK?
無作為に選ばれるというのが、問題ありなんじゃない?
有識者、民生委員(経験者)、教育関係者など
判断力のある人格的に優れた人たちを、都道府県市町村からリストアップしておき、
そこから無作為抽出するというほうがいいのではないかい。
●歴史がそれを評価する。
古いパソコン雑誌を整理していた。
日経クリック1997年1月号に面白い広告があった。


アーケードゲーム大手SEGAからデジタルカメラ新発売。
7年前だから、25万画素。現在の携帯電話に搭載されたカメラより非力。
価格は29800円。当時としては安い価格設定だ。
キャッチフレーズがふるっている。
「セガにカメラを作らせるな」 きっとすごいことになる。
逆説的でかなりリキが入っている。
このアプローチはちょっとこわいところがある。
キヤノン、ニコン、ミノルタといったカメラ専業メーカーからではなく
ゲームマシンメーカーからの参入ということで、こんなふうになったのだろうね。
しかし、あまり話題にならず市場から姿を消した。
そうなると、逆説アプローチが逆説でなくなってしまう。
「ほれみたことか。だからセガにカメラなんか作らせてはいかんのだよ」
その後のセガは家庭用ゲームマシンで、SONY、任天堂にやられ
今では、存在感のない企業になっているもんね。
「だから、カメラなんて余計なことを考えちゃいかんのだよ」
●ギラギラよりきらきら
人間齢を重ねるに従い品性が滲み出るようにならねば…と
こうなるには、それまでの生きざまが反映されるだろう。
深夜放送でタレントの藤村俊二が言ってました。
「ギラギラよりきらきら」


■1月25日
●またまた、見てしまった。新選組3回目。
あら探しをしながら、である。
セットが新しく、きれいすぎる。だから書割のように軽い。
過去、戦国時代を扱った大河ドラマには重厚なセットがあった。
時代考証もしっかりと。室内は照明も極端に暗くしていた。
見るほうも感情移入しますね〜。
ところが、新・新選組はちょんまげ結った現代劇、青春ドラマだから仕方ないか。

近藤勇は武士階級の武士以上に武士らしい農民出身の武士だった。
そう決意させる原因が、養子先の母親との確執にあったという。
(これは新解釈なのか事実なのか)
一方、多少ヤットーの心得があった土方歳三であるが、
今日の出来事で家業の薬の行商から
剣術の腕をさらに磨き、武士になろうとする。
勇と歳三の武士へ成り上がろうとする動機は異なるが、
やがて、新選組へ収束されてゆくのだ。

読売朝刊の「井上ひさしの読書眼鏡」で、
新選組がなぜ国民的に人気があるのかを手短に分析していた。
これが、実にまとを得ていておもしろい。
●学歴詐称
岡2区の民主党議員「古賀潤一郎」氏の詐称問題が揺れている。
ペパーダイン大学卒(こういう大学あるの初めて知りました)。
ホームページではCSUB卒なのにUCLAと記載、一旦CSUBに修正するが
本人の指示で再度UCLAに変更。
アメリカの大学のはしごである。
「はく」をつけたかったのだろうが、ペパ大では単位が取れなかった。
できのいい学生ではなかったことが証明された。
だが、本人はあくまで名門UCLAも卒と信じているらしい。
まことに奇怪な話である。
自分の胸に手をあてればわかりそうなものである。
彼はどこかで嘘をついているのだが、それを自分自身認識していない。
UCLAはそういう学生の在学記録はないというのに
本人はじかに行って確かめるという念の入れよう。茶番である。
過度の思い込みが、そうさせているのか?
UCLAはエクステンションに参加したのではないかという見解だ。
例えば、日本でも慶応、早稲田をはじめ名だたる大学が公開講座を開設している。
実学もあれば教養講座もある。
この講座には入試はない。金と時間があれば誰でも受講できる。
これをもって、慶応、早稲田卒業…とは間違っても言わないだろうね。
古賀氏は、これに当たるのに本人は「卒業」と信じ込んでいるのだったら
おつむのネジがかなりゆるんでいる。
学歴詐称は、選挙民を欺く行為で許されるわけがない。
しかし、エクステンション受講をもって「卒業」と認識するような男を
国会に送り出すことは断じてできない。
彼のような思考回路で国政をやられたら、間違いのもとである。
臭いにおいは元から絶たねばならないのだ。
とはいえ、古賀氏が退いた後を狙うのが、あの「下半身・無人格者」山崎拓氏。
彼も強運だよな。

古賀氏があがけばあがくほど、マスコミは彼の過去を好奇心一杯にほじくりだす。
世間は「あなたの過去など知りたくないの」という具合にはいかんのだよ。
当分ワイドショーのカモだろうな。
かつて、コロンビア大卒と称した野村沙智代もそうだった。
その結果、虚飾と汚辱にまみれた過去があぶり出されることになった。
経済的には恵まれていても、心の貧しい女の姿がそこにはある。
「おしん」の初子は、終戦直後米兵相手のいかがわしい仕事をしていたが
沙智代の場合も、その可能性なしとは言えないダークな部分がある。
その後、初子は思いやりのある心の豊かな女性となって
市井の人となるのだが、沙智代はご存知の通りである。


■1月24日
●結婚式
甥っ子の挙式出席のため、横浜中華街へ。
新白岡から湘南・新宿ライナーで横浜直行は便利だ。
しかし、土曜朝の電車は栃木県から都内の繁華街に向かう乗客で満員。
千代田線が開通したとき、原宿が茨城、千葉の人々で溢れ
昔から原宿・青山を遊び場にしている連中から悪口をいわれたことがあった。
新宿・池袋は栃木、埼玉人であふれても非難されることはない。
もともとそういう場所なのだから。
1時間半立ったままはきついと思っていたが新宿から座ることができた。
関内下車も久しぶりであった。
町にたばこの吸い殻が落ちていない。
横浜も「ぽい捨て禁止」になったんだろうか。
会場まで8分程度なので歩くことに。YMCAのプールもなつかしい。

ここ数年葬式ばかりだった。そういう歳まわりなのだよ。
人生の出発の儀式のほうが、出席するほうも楽しいに決まっている。
新郎新婦の友達の参加が多い披露宴で
いろいろ楽しい趣向が用意されていた。
「いとこ」たちがお祝いの歌を披露したがその数の多さにびっくり。
20名近くいるんですよ〜。


親同士の兄弟姉妹が多いからだが、
これから少子化の時代を迎えると、こういう光景もなくなるんだろうな。


■1月23日
●東埼玉市
意外なところに伏兵がいた。
栗橋、大利根、北川辺3町合併後の市名が「東埼玉市」に決まった。
カスリン台風の決壊ポイント「栗橋」、童謡の里「大利根」
渡良瀬遊水地に隣接する「北川辺」
どの町もおおらかな田園風景が広がる。
「東埼玉市」「東さいたま市」は、春日部と3町合併後の候補案にもあった。
「埼玉」発祥の地行田市はどこと合併を進めているのか知らないが
元祖埼玉としては、気がきじゃないだろうね。
●どうした「まも亭」

町役場のある通りのやや春日部寄りに、昼は食堂、夜は居酒屋になる「まも亭」がある。
テーブルが5つ、座敷、カウンター。
いつも掃除が行き届いていて食べ物屋のお手本のようである。
昔、宮代インターネット研究会の忘年会で利用した。
飲んだのはそのときだけ。それ以外は夕食時に利用させていただいている。
一番のお気に入りは、えび、いか、肉、魚の「ミックスフライ定食」。
ネタは新鮮。油もいいから素材の味が生きている。
揚げたてで歯ざわりがよろしい。
山盛りの千切りキャベツに、からしとレモンが添えられている。
味噌汁のダシもよく効いて美味。気の利いた突き出しとお新香。
盛りのいいご飯。これだけのボリュームで850円は格安だ。
ここ何年か、馬鹿の一つ覚えみたいに、こればっかり食べている。
或るとき、入口に「当分の間休ませていただきます」の張り紙。
主人かおかみさんが病に倒れたか?
それとも、客の数が少なくて経営が立ち行かなくなったか?
非常に良心的な店である。
再開が待たれる。


■1月22日 旧暦元旦
「い〜ふうふ」の日だそうで☆大寒波が襲う模様☆宮代は猛烈季節風・う〜さむ
●燃える空
終日強い季節風が吹いて空気が澄んだのか、強烈な夕焼けに出会った。
まるで、トクホン工場の松林が火災のような光景だった。
「お前が夕焼けだった頃、俺はケツの青い朝焼けだった。わっかるかな?イェ〜イ」

下は18日の夕焼け。ジェット雲が流れ静かな一日の終わりである。

●道・州制

日本も面白いことになってきそうだ。
市町村合併の上の合併、都道府県の合併も視野に入れ始めた。
するて〜と、アメリカみたいに「州」が生まれる可能性も…
政府が全ての自治体の面倒を見るのではなく
各「州」や「道」に大幅に権限移譲するという構図だ。
これが実現れば、明治維新の「廃藩置県」以来の大改革。
生きている間にぜひ見ておきたいものだ。
「北海道」「東北道」「中央道」「中部道」「関西道」「中国・四国道」「九州道」
う〜ん、「道」では高速道路みたい。
じゃ、「州」か?そうなると、「九州」は先見の明があったということになるな。
●消えたもの

「さきがけ」という政党がありましたね〜。
当時は自民党対抗馬として注目されたのですが、
いつの間にか雲散霧消。むーみんパパはど〜してるのかな?
管さんもがんばっておりますが、
自民党と同じようなようなことやっていては、
いずれ「さきがけ」みたいになっちゃうよ。
昔、共産党だっけ「シャドウキャビネット」なんて茶番をやったのは。
民主党も「その後の内閣」とかつ〜名前で、「ままごと閣僚」を作ったが
物欲しそうなので、おやめになったら。

14〜5年前「SIS」(Strategic Information System=戦略情報システム)という
企業のコンピュータ利用概念が流行した。
当時はオフコン(オフィス・コンピュータ)というジャンルがあって
NEC、富士通、日立、日本IBMがしのぎを削っていた。
メーカー独自のOSで、システムは安くて数千万だった。
メンテも丸抱え、アプリケーションも企業仕様の高価なもの。
メーカーにとっては「おいしい」市場だった。
日経新聞には全ページや全ページ見開きといった大きなスペースで
各社はがんがん広告を打っていた。
私はNECのお先棒担ぎの広告制作で、超多忙な日々を送っていた。
SISとは、概念は米国生まれだが、NECが最初に飛びついた。
RDBを使った基幹業務システムを構築して
全社の受発注(物と金の流れ)をきっちり把握しようというものであった。
NECに追従するように各社が「SIS」を全面に販売合戦を行った。
ところが、Windowsとインターネット、クライアント・サーバーシステムの普及により、
格安でシステムが構築できるようになった。
今までのバカ高いシステムは何だったの?
で、オフコン市場は消滅した。
導入に膨大な費用を投入し、償却しないまま時代が変わり
泣いた中小企業は数多く存在する。
その後のNECは、ビッグ・アローと呼ばれる本社売却、分社化など
生き残りをかけた機構改革を行うことになる。
当然、私の仕事は少なくなった。
フリーのコピーライターなんつ〜のは、
大嵐の海で揺れるボートみないなもんだ。
いつ沈没してもおかしくない危険を常にはらんでいる。

■1月21日大寒
寒さ極まれり。あとは節分に向かって寒もスローダウンすればいいのだが。
そこはかとなく心和らぐ。
●電柱

自宅前の電柱をしみじみ眺めた。
ずいぶんごちゃごちゃしています。
電柱つ〜のは、電気を運び、東京電力管轄。
電信柱つ〜のは、電話線で、NTT東日本管轄、と思っていた。
が、この柱は1本で電柱と電信柱の役割を果たしている。
2つの企業の話し合いが出来ているということなのだろうか。
ここから、新しい村の育苗施設や、わが家の裏手にある水源のポンプに
電気を供給しているらしく、やたら線が伸びているのだ。

●勝海舟没

明治33年(1899)、この日午後5時77歳で他界。死因「脳溢血」
場所、赤坂氷川町四番地の自邸。
最後の言葉「これでおしまい」

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■1月20日
●昭和30年の「おしん」
魚を仕入れる車がオート三輪から4つ車に変わっていた。
朝鮮特需で戦後復興を果たした日本の景気は上向いてくる。
昭和30年は「神武景気」と呼ばれた。
疎開先の百間村・西光院から昭和22年に引越した私の家族は
葛飾区金町に住んでいた。
家の近くを水戸街道(国道6号)が走っていた。
次第に車の交通量が増えていったが、2〜3年前はまだ少なかった。
13間道路といって、そこでキャッチボールをしていたのだから。
馬に荷車を引かせて通る姿も一般的。
道路の脇には馬糞が落ちていた。
時折、松戸の通信隊へ向かう占領軍の軍用車輌が長い車列を作って通過した。
路地裏で遊んでいても、その音が聞こえると
大通りに飛び出して見入ったものだ。
うまくすると、チョコレートやチューインガムがもらえたからね。
昼間なのにジープがヘッドライトをつけて走るのが印象的だった。
昭和34年皇太子(現平成天皇)の婚礼があり、
それを見ようとテレビの普及が一気に加速した。
このときを「岩戸景気」と呼んでいる。
昭和35年、池田内閣のとき所得倍増計画をぶちあげ
「もはや戦後ではない」という有名な言葉が彼の口から出る。
今の人が聞いても、にわかに信じられない、元気な日本がそこにはあった。
●新市名「春日部」に決定
危惧していた通りになってしまった。
1市3町合併にあたり、対等合併ということで推し進められていたが
これでは吸収合併のにおいがぷんぷんだ。
新市名決定の理由が「春日部の名が全国的に通っているから」だと。
なんせ、「クレヨンしんちゃん」の、太田裕美、草g君の出身地だ。
悪かったね、そういうのが他の3町になくて!
つまらない、ニュートラルな「東さいたま市」になるかと思ったが
最悪は「春日部」になるのでは、という予想が片隅にあった。
その最悪が浮上しちゃったのである。
委員は喧々諤々とやったんだろうか。
たぶん押し切られたのだろうね。クソ面白くもない。
春日部市中央はそのままね。
では宮代の中央はどうなる?
春日部市宮代中央なのかな?
従来から春日部市にない地名は…
春日部市清地かな。春日部市杉戸清地かな?
だから、白岡、杉戸など町同士で合併すればいい、と思っていた。
宮代は東武線で発展してきた。白岡はJRである。
白岡は蓮田市でJR圏を形成したい意向だ。
幸手市は五霞町との合併を推進したい増田市長がリコールされてしまった。
幸手市の財政基盤、五霞町の生活基盤を考えれば妥当だと思うが
大方の民意は、久喜市だったのね。
実利よりイメージだったんだろう。
今回の3町の春日部市との合併もイメージだね。
宮代町は久喜市からもラブコールがあったが、蹴った。
なんで、より引っ込んだ市と一緒にならなくちゃいけないの?
だんだん、田舎イメージが強調されるでね〜の、てな按配だ。
朝霞、和光、新座など個性のある市は、唯々諾々とした合併を反古にした。
静岡、焼津は焼津が泣いた。
宮代、杉戸、庄和も泣いた。
●自衛隊のイラク入り
日本の5台の装甲車をオランダの9台の装甲車が護衛しながらのお国入り。
なんとも滑稽な図である。
日本の首相が、平和活動だと口角泡を飛ばしても
外国人の目からは軍隊に見えるだろう。
オランダ軍だって思うだろう。
なんで俺らが他国の軍隊を護衛しなくちゃいけないの。
日本の軍隊は自分を守れないほど腰抜けなの、と。
報道される自衛隊の映像はどう見たって軍隊だ。
「黒を白」と言い続けても「黒は黒」
現地の人は「上下水道設備、学校、病院」の建設を望んでいる。
自衛隊は給水車を使った「水配り」、破壊された施設の修繕くらいはできても
「システム」建設は無理だよな。
自衛隊員ではなく丸腰の「技術者」を送るべきではないの?
そうすれば、オランダ軍だって護衛するのを厭わないだろう。
「ショウ・ザ・フラグ」から「ブーツ・オン・ザグランド」などつめ寄られた結果の日本の弱腰外交。
平和憲法の条文にそった毅然とした姿勢を示さないから
おかしいことになる。
で、実情にそぐわない憲法改正だと?
自分たちに都合のいい「泥縄的」なことはおやめなさいよ。
北朝鮮拉致問題も同じ。
問題が発生してからあわてるのではなく
主権国日本の将来を見据えた国家再生気運を盛り上げ、
そこでさまざまな行動を起こさなくては、国民の支持は得られないよ。
そのためには、足元からだね。
景気回復を実現しなくては。もう国民はあえいでいるのだから。
それができなくて、海外に金ばらまいていては国民の不信感はつのるぜ。
●銀座7〜8丁目界隈
三國連太郎(1923年)が本日誕生ね。
昭和40年代、彼の事務所が7丁目にあったらしく姿をよく見かけた。
背が高く目がぎょろっとして、遠くからでもよくわかる。
その頃から存在感のある人でしたね。
銀巴里が7丁目にあったので、そこに出演する丸山明宏も何度か見かけた。
当時は、いまのような女装はしていない。
セーターにブレザーのようなラフなスタイル。
タッパはあまりなかったが、彫りの深い美男だった。
ヤマハの店内で売り出し直後の「ピンキーとキラーズ」が
ビッグヒットとなった「恋の季節」を小さなステージでデモっていた。

銀座裏通りは、当然様変わりしている。
当時の飲み屋で今も健在な店は数少ない。
「銭形平次」の作者、野村胡堂から名前をもらった「銭形」。
自社ビルである。
二代目当主の「よ〜ちゃん」は成城大学出身。
彼が店に出始めた頃からの顔なじみである。
現在、彼の息子が店を手伝っている。時は流れているんだな〜。
消防署の斜前の「樽」。当時から古色蒼然としたビルの地下にある。
大きな楕円形のテーブルの真ん中に花が活けてある。
カウンターもあるのだが、薄暗いテーブルのほうが人気があった。

先日その前を通ったら、入口のタイルが剥がれていた。
建てかえも時間の問題ではないかな。

■1月19日
●ウイルス注意報
メールの件名が「Hi」だけのウイルスメールに要注意

  http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2004/01/19/1775.html
 
トレンドマイクロは19日、メールで感染を広げるタイプのウイルス
  「WORM_BAGLE.A」を日本国内でも感染報告があるとして、危険度“中”で警告し
  た。件名が「Hi」だけなのが特徴なので、そのようなメールには注意が必要だ。
●イラク報道制限
政府は防衛庁の発表に制限を加えた。
報道の量ではなく質。正確な報道を…という建前らしい。
有識者は戦前の「大本営発表」化を危惧している。
で、純ちゃんにどんな方法でと、記者が尋ねると
「それは関係省庁にまかせてあるから」
いつもの丸投げ的コメント。
総責任者はあんたでしょうが!
●韓国で豚コレラ発生
牛、鶏に続き豚も被害に遭った。
だんだん食べる肉がなくなってきましたが
でも韓国には、最終兵器ポシンタンがあるからね。

●雪は霙に

8時頃は、このまま降り続いたらヤバイと思うほどの霙だったが、雨に変わった。
小降りになったのを潮にジョンの散歩である。
「農の道」はまだ雪が薄っすら残っていた。
誰もいないかと思ったが、私と同じように犬の散歩の人が何組も。
●誕生日
エドガー・アラン・ポー(1809年)/セザンヌ(1839年)/森鴎外(1862年)/松任谷由美(1954年)/宇多田ヒカル(1983年)
●咸臨丸米国へ
勝海舟ら咸臨丸で米に向けて浦賀出航(1860年1月19日)
勝海舟に関しては、彼が他界したのが明後日なのでそこで触れましょう。
ちょっと面白い話がありますよ。


■1月18日
●新選組第二回
見てしまいました。ちょんまげ結った現代劇。
この文字は、新選組がまだ「浪士隊」と名乗っていた頃
宿舎だった壬生の八木邸の戸板に近藤勇が
墨痕鮮やかに記したもので、現存している。
己の生活信条だろうが、現代にも通じますね。
彼は、謹厳実直な人だったのだ。
以前、NHKの昼の番組で日野市を紹介。
そこで土方歳三記念館を紹介したのに
近藤勇は云々と書いてしまいましたが、
勇は現在の調布市の豪農の出だったんですね。
だから、日野市の紹介番組では出ないはずだ。
日野と調布は間に府中市をはさんでいます。
こんな離れた場所なのにi勇と歳三は顔見知り。なぜ?
実は、剣術を通じて出合ったのだった。
近藤、土方ともに農民出身とはいえ、いいとこのぼんぼんね。
近藤は稲城市、多摩市を越えて町田市あたりまで足を伸ばししています。
昔の人はよく歩いたもんです。
調布市のWebサイトを覗いたら、近藤情報があるわあるわ。
NHK大河ドラマの便乗イベントもやっていますね。
歴史を湧かせた人物を生んだ町の郷土資料館は
企画展示のネタに事欠かないからいいですね。
今夜の新選組では、土方歳三の盲目の長兄を栗塚旭が演じていた。
懐かしいですね。昭和40年7月から41年1月まで
日本教育テレビ(現テレ朝)で司馬遼太郎原作の「新選組血風録」を放映した。
その時の土方歳三を演じたのが栗塚旭ですよ〜〜。
近藤勇は船橋元ね。
船橋の弟が、私が新卒で入社した広告代理店の1級先輩にいた。
兄貴に似てガタイがでかく目がぎょろっとしてた。
2〜3年前に血風録が再度テレビドラマ化。
土方が村上弘明、近藤を渡哲也が演じていた。
村上の土方は冷徹な感じを受けた。

明治元年(1868)4・25 近藤勇、板橋にて処刑。
明治元年(1868)5・30 沖田総司、千駄ヶ谷にて病死。
明治2年(1869)5・11 土方歳三、一本木より出撃し、銃弾を受け戦死。


天才剣士・沖田惣司の死んだ場所を知ってますか?
JR信濃町下車。慶応病院の裏手になりますが。
そこに野口英世記念館があります。その手前の左側が沖田の終焉の地。碑がある。

●「視点」
わが町の町会議員「加納好子」氏は定期的にレポート「視点」を発行している。
議員が何人いるか知らないが、
このような活動をしているのは彼女だけである。
選挙のときだけ「お願いします」とぺこぺこしてあとは知らん顔。
自分の活動について報告するのは義務ではないでしょうか?
来月は投票がある。さ〜て誰にしようかな?
もう決まったようなものだが。

加納氏の初レポートは「県議会議員の海外視察の実態」
マスコミに報道され、埼玉県会議員の行状が全国に知れることになった。
「買春」疑惑である。
これは埼玉に限ったことではない。
田舎のおっさんも、都会のおっさんも「旅の恥は掻き捨て」に陥るのね。
東南アジアでは円が強いから、「お大尽」気分になれるんでしょう。
でも、「みつかっちゃあ、恥ずかしいよ。いい歳こいてるんだから」
「李下に冠を正さず。瓜田に轡を入れず」ですよね
視察だったら、襟をただして職務を遂行してきなさいよ。
どうしても、外国の若い娘を抱きたいというのなら
公人ではなく、悪がきだった幼友達と私人で、私費で行こうね。
日本人は、中国でも台湾でもタイでも問題を起こし
東南アジアで「好色人種」のレッテルを貼られていることをお忘れなく。

オランダに「スケベニンゲン」という都市がある。
表敬訪問して、市長から「お墨付き」でももらってきたら。

●今日が誕生日の人
おすぎ&ピーコ(1945年)、北野たけし(1947年)、ケビン・コスナー(1955年)
たけし君は団塊の世代だが、おすぎ&ピーコは終戦の年生まれ。
親は非常時に子作りに励んでいたということね。(「生めよ増やせよ」の国策だもんな)

おすぎ&ピーコは双子のおかまちゃん(おかまおじさんだね、もう)。
この人たちは横浜住まいなんですね〜。
20代の私も横浜におりました。
東横線の白楽からJR横浜に出て新橋まで。
そこから銀座8丁目の会社まで徒歩で行くのですが、
広告制作会社なので朝はゆっくりなのね。
私の前を黒い服を着た男が歩いて行く。
時間帯が同じなのか3〜4回そんなことがあった。
なよなよ・おどおどしていて少し前のめりに歩く。
「おかまっぽい奴だな」と思っていた。
彼は私と同じビルに入っていくのである。
そのビルにはSOSというモデルクラブがあった。
SOSは当時人気のジャズシンガー旗照男のお兄さんが経営していた会社で
本人もモデルであった。
ちょっと、カーク・ダグラスに似た伊達男だった。
だぶんそこで働いているんだろうと思っていた
その「なよ男」が、ある日突然テレビに登場した。
びっくりしましたね〜〜。おすぎ&ピーコである。
私の前を歩いていたのは、どっちだかわからない。
彼らも間もなく還暦だよな〜。
●元気をもらった
近頃、気になる表現がある。
感動的な話、映画、小説などを経験すると
「勇気をもらった」とか「元気をもらった」という。
なんでも「もらっちゃう」のである。
私のころは、簡単に「もらう」のはよくないと教えられた。
だから、「勇気づけられた」「勇気が湧いてきた」「元気になった」
というような表現をしたものだ。
人生経験豊富な人は「もらった」なんてイージーな言いまわししちゃだめよ!
●チャタレー裁判で一審有罪判決(1952年1月18日))
D.Hロレンスの小説「チャタレー夫人の恋人」。
伊藤整の訳で発売されるや、1950年(昭和25年)猥褻文書販売罪で起訴され、
2年後に一審有罪判決、57年最高裁で発行者・訳者とも有罪とされた事件である。
当時としては大胆な性描写で本は売れに売れた。
性的不能の車椅子の夫チャタレーとの結婚を欺瞞と感じた妻コニー・チャタレーは
森番メラニーと性的関係を持ち、真実の愛に目覚めるというもの。
セックスが真の愛の目覚め…というのも短絡的だと思うがね。
単なる欲求不満じゃないの?
コニーがメラニーの小屋に忍んで行き、
焚火の前で関係する描写が、当時としては大胆だったんでしょうね。
今じゃなんてことはないのですが。
初版本は、問題のシーンは伏字なしだった。
起訴された後は*****だらけの意味不明の小説に「成り下がった」。

性描写がなし崩しにエスカレートしたのは、インターネットの普及と呼応している。
黒船なみに外国から違法な猥褻図画が入ってきては手の打ちようがない。
でも、法的には性解禁ではない。
最近、漫画の性描写が有罪になったようだが、
お上の「やけくそ・見せしめ」以外の何物でもない。
これも改正しなくてはいけないね。
昭和20年代は、性に関しては江戸時代より厳しい検閲体制だった。
しかし官憲の目をかいくぐって、或る有名小説家は「春本」まがいを執筆していたようだ。
永井荷風作とされる「4畳半襖の下張」は、その後裁判沙汰になるのだが。
これに関しては、またの機会に。


■1月17日阪神淡路大震災(平成7年1月17日(火)5時46分)
●アル・カポネ誕生
1899年(明治32)のこの日に生まれておりますね。
彼について
ここをクリックすれば、ちょっとした情報があります。
●真冬の情景
寒いっ。寒中だから当たり前か。
大学センター入試が本日行われる。降雪情報が出ているので、受験生は可哀相。
わが家には、受験生がいないので、この制度についてほとんど知らない。
公立も私立も同じ問題を行うようですね。
これって、大学側の怠慢じゃないの?
入試問題を作成する能力がなくなったからでしょ。
予備校に問題作成を依頼していた大学があるほどだもんね。
そういえば、知らない名前の大学も増えましたね〜。
少子化で学校経営もムズい時代になっているのに。
田圃の真ん中に*成国際大学ができたときには驚きました。
電車から見える学舎は、まるで映画のセットみたいだった。
新設校は学問で名を上げるより、スポーツに力を注いでいるようで…
箱根駅伝にエントリーできれば、一気に全国区の大学になれるもんね。
大学の先生から聞いたところでは、学生の質も低下しているとか。
授業中に携帯を使う奴、席を立つ奴。まるで中学・高校なみだそうです。
あ、これは別の新設私立校の話しね。


東武動物公園・釣堀脇の冬枯れ風景。
年間を通してこのたたずまいが好きなんですよ。
初夏の頃はじつに爽やかな景色に変わります。

SONYの小型デジカメを購入して1ヶ月以上過ぎた。
常に携帯して気の向くままシャッターを切っている。
200万画素のカメラであるが、Web素材用と割り切って使っているので
64MBのメディアで650枚以上撮影できる。
CCD素子の進歩で発色はかなり忠実である。
ただ、速写性がちょい不満。
カバーをスライドさせてシャッターが押せるようになるまで5秒かかる。
3分シャッターが押されないと、電源Offとなり
再度電源Onして5秒待たなければならない。
それと、10cmのマクロは中途半端。
花の接写などは、3cmまで寄れないと迫力のあるものは撮れないもんね。

■1月16日薮入り
●薮入り
従業員を「奉公人」と呼んだ頃は「薮入り」という言葉も生きていた。
住み込みで働く人たちは、年に2回自分の家に帰ることができた。
正月とお盆である。
「おしん」の子供時代。酒田の米問屋に住み込んでいた頃に
そんなシーンがあったように思う。
民主主義を根付かせるための改革を行ったGHQにより
封建社会からのルールは破棄された。
「番頭さんと丁稚どん」のような雇用形態も戦後なくなった。
当然、私はその実態を知らない。
「薮入り」も今は旧暦カレンダーに残るだけである。
「薮入り」の「藪」は「草木が生い茂っている所」。
だから「薮入り」は「草深い土地に帰る」という意味がある。

●青い炎

遅ればせながら石油ストーブの真打が登場した。
アラジン・ブルーフレーム。12年物の骨董品級だ。
シンプルなメカは健在なので、芯を変えて生きながらえている。
このユニークな形のストーブに初めて出会ったのは昭和40年。
大阪出張の折、神戸の叔父の家を訪問したときだった。

小さな丸窓から見える青い炎が印象的だった。
当時、山登りをやっていた私は「ホエーブス」というバーナーを持っていた。
その炎と似ていた。
ホエーブスは白灯油を加圧して使うのだが、
アラジンは石油で加圧などしなくてよかった。
いずれ買いたいと思っていたが、実現したのは20年以上経過してからだ。
現在もブルーフレームを購入できるが、昔とちょいデザインが変わってますね。
●芥川賞
受賞したのは女性。しかも、19歳と20歳。
芥川賞の受賞年齢を大幅に更新した。
どのジャンルも女性の活躍は目覚しいですね。
「平塚らいてう」の「元始、女性は太陽であった」の言葉通り、
輝きに輝いている。(男の影が薄いわけだよな)


■1月15日
●寝る娘(こ)
故初代と二代はよく似た習性がある。
どこの猫も同じようなことをやるのだろうか?
私が寝るまで隣の椅子で待っているのだ。
別の部屋に自分の寝場所があるのに。
初代のときは、隣でうとうとしているのにもかかわらず、タバコを喫っていた。
病名が肺がんだったので、私にも大いに原因があったと思っている。
だから二代目にはなるべく喫わらいようにしている。
遅くなりそうなときは、寝場所に強制的に運んでしまう。
想像では、私を「親」と思っているのではないか。
子猫のときから、寝るときはいつも抱いていた。
親猫から離され、可哀相だと思ったからだ。
犬は主従関係をつくるというが、わが家の猫も同じような気配がする。
やんちゃなことをしたとき、私が怒るとシュンとするのだが
かみさんが同じようなことをしても、無視するか向かってゆく。

 
私の寝るのを待つ娘たち。左が二代目「ミミ」。右は初代「マミ」。
彼女らがうたた寝をしているのは、同じ椅子の上だ。


■1月14日
●冬の星座
20時30分頃、自転車で駅付近までたばこを買いに出た。
かなり冷え込んでいる。
満天の星。思わず自転車を止めて見た。
周囲に明るい光源がないので、美しく輝いていた。
冬の空は澄んでいるため星がきれいに見えるが
他の季節に比べて1等星の数が多いので、一層華やかさが増すという。
オリオンはわかるが、他の星座は??だ。
思わず、唱歌「冬の星座」が口をついて出た。
 木枯らしとだえて さゆる空より
 地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
 ものみないこえる しじまの中に
 きらめき揺れつつ 星座はめぐる
昼間の季節風もいつしか止んで
雑木林の中の住宅には明かりがともっている。
まさに、この歌のとおり。感動的ですね。

「冬の星座」は
堀内敬三の訳詞で昭和22年文部省編集教科書に発表された。
元歌は南北戦争時代の恋の歌「モーリーダーリン」である。
「ラスト サムライ」の「ネイサン・オールグレン大尉」も歌ったのかな?
日本ではオリジナルとはまるで違う歌詞をつけ、
それがしみじみとしたメロディーにマッチしているのだから、その才能に脱帽。
「蛍の光」もそうだね。

●航路変更
デザイナーの友人から遅れ遅れの年賀状が届いた。
彼とは昔組んで仕事をしていた。ダーツの名人である。
西麻布に事務所があったが、バブル崩壊で恵比寿に引っ込み
そのあと築地へと移っていた。
住まいは中目黒から世田谷に移ったはずだが、上尾市となっていた。
昨年末に越したのだそうだ。
広告に従事するデザイナー、コピーライター、カメラマンは
イメージ商売だから「ださいたま」には住みたがらない。
なぜ、今、彼が…
昔からあこがれていた「バラ園」をはじめることになったとあった。
用地は寄居町に確保したそうだ。
まだ余力のあるうちに人生行路の方向転換ね。
娘はアメリカで日本語教師の職に就く。
(私の娘もシカゴに行ったままだ)
彼には高校生の息子がいるので上尾から都内へ通っているという。
まだ学資がかかりますね。
前途洋洋の航海を祈ります。

人間、ある程度齢を重ねると土が恋しくなるようだ。
(土に還る準備を始めるともいう)
大昔見た映画「ゴッドファーザー」で
年をとったドン・コルレオーネが
トマト畑で孫と遊びながら死んでゆくシーンがあった。
あれが強烈に記憶に残っていた。
私の家にも小さいながらトマト畑がある。
毎年、5月初旬、いつものように苗を植えながら
あのシーンを思い浮かべるのである。

●季節風
朝から強風である。犬の散歩時、向かい風なので前傾姿勢で進む。
畑からゴーッとうなりをたててくる。裏の雑木林の梢は悲鳴をあげる。
宮沢賢治なら、この音を詩情豊かに表現するだろう。
私はそんなにオノマトペを知らない。だったら彼のように創ればいいのね。
この時期は、ちょい憂鬱。
親父の小言ではないが「頭を下げ、通り過ぎるのを待つ」ほかない。


朝の雲は恐ろしくきれいだった。
一見綿菓子みたいが、実際は漂白して真っ白になった密度のある綿のようである。
画面では左から右へ(西から東へ)、強風の空をゆっくりと流れてゆく。
立ち止まってしばらく雄大な風景に見入っていた。


■1月13日
●成人式始末記
各地の成人式風景が放映された。
また、各地で荒れましたね。
沖縄では紋付袴のあんちゃんたちが往来で鏡割り。
酒に酔って気炎をあげた。
茶髪、金髪入り乱れ道行く人に迷惑をかけた。
伊東市(だっけ)では、壇上の市民憲章を書いた垂れ幕を引き破った。
徒党を組まなければ何もできない。
自覚のないガキですな。
だったら成人式の対象を30歳まで引き上げればいい。
「元服」はもともと武士階級の儀式だ。
しかも、大昔は「人生わずか50年」という平均寿命だった。
今、男は80近くまで生きることができる。
そう考えると、20歳はやはりガキですね。

明治維新をやり遂げたのは20代の青年が多い。
彼らのほとんどは下級武士である。
戦のない時代に生まれ、次男三男の立場は悲劇だった。
ところが、国を挙げての大問題が勃発。
国の将来を案じる崇高な精神とは別に、
世間をあっと言わせる大きなことをやり遂げて名を上げたいという
気持ちがあったのではなかろうか?
竜馬だって勝海舟に出会うことがなかったら、
己の方向を見出すことはできなかった。

人生の師に出会えた人は幸いである。
普通、学生時代に恩師から感銘を受けるということがあるが、
最近の教育は、教師の質は低下し指導がなっていないから
学生たちは不幸なんですね。
だから、成人式に意義もわからず暴発する連中が現れる。

中曽根元首相は、小学校の恩師に
「きみは将来西郷隆盛のような人間になるよ」と言われた言葉を
政治家になっても胸に抱き続けていた。
内務官僚時代に結婚することになり
同僚は、自分の出世を頭に描きながら省内の偉いさんに仲人を頼んでいたが
中曽根氏は、道を進むきっかけを作ってくれた恩師にお願いしたという。
いい話である。


■1月12日成人の日
成人式
昔は15日が成人の日と決まっていたのだが、
いつの頃か、流動的になっていた。
ハッピーマンディとかなんとかいう国の政策らしいが
連休にするため第3月曜日になったんだっけ?
余計なお世話ね。
「成人の日」は昭和23年に制定されたが、
なぜ1月15日だったのだろう。
これは古代中国のしきたりからきているようだ。
旧暦の1月15日が新しい年の満月で、この日をもって1つ歳が増える。
そして、大人になる日として祝った。これが日本に伝わり「元服」となる。
戦後、成人の日を制定するにあたり、日本は新暦にもかかわらず、
旧暦の「元服」の日だった1月15日を、単純にあてはめた、というわけだ。
役人のイージー発想ですね。

これを機に「たばこ」をやめる、「籍」を入れるという立派な青年もいる。
この日をもって一人前の大人として社会的に認められるが
最近は、やることが早いんだよな。
自殺サイトで知り合って死に急ぐ奴もいる。
次第に式の意義も薄れてきている。
また、この日山口瞳氏と柳原良平氏(昔のトリス広告のコンビですね)が、
サントリーの広告で、成人諸君向けの広告を作っていたが。
長年続いていたため、成人の日の風物でありました。
山口氏が亡くなってから、誰かにバトンタッチした。
それが誰だか思い出せないほど、印象の薄い広告ですね。
倉本聡氏だっけ?
朝刊を探したが「祝成人」広告は掲載されていなかった。
全7段のつまらない広告はあったが。


●初サイクリング

風もなくおだやかだったので、昼に自転車で少し遠出する。
私の住む町には「水と緑のふれあいロード」という
サイクリングコースがある。
中須用水という灌漑用水に沿って作られた、いくつかの町と市をまたぐコースだ。
5〜6年前全コースを走破している。
今日は隣の白岡町まで、片道約25分のコース。
サイクリングなどと呼べないぷらぷら走り(ポタリングね)。
コース脇には畑、民家があるが、まだ春の息吹など感じられなかった。
風は冷たいが、季節風は吹いていないから、
やや湿り気を帯びた早春独特の空気感ではあったが。


関東平野のど真ん中。だから坂道のない平坦なコース。
はるか遠くに新白岡駅前のマンションが見える。


J
R宇都宮線「新白岡」駅前は高層マンションが建ち、広い道路が走る。
広大な戸建団地が駅付近にj形成され、私が住む「東武動物公園」より
はるかにきれいな町並みだ。
しかし、新興住宅地なので店舗が極端に少ない。


ちょっと確認したい所があった。
下の写真はつい最近新聞で話題になった。
左側が無人交番、右側が銀行の無人自動支払機である。
このATMが壊され現金が盗難に遭いそうになった。
幸い未遂に終わったが、
埼玉県警が「(交番が隣にあるのに)こういう事件が発生し、恥ずかしい」と
コメントを出した。その現場である。
ATMの後ろは住宅展示場建設予定地。今は更地。
昔は、大きな店舗があったのだが撤退していた。
客もなく、夜はさみしいんだろうな。


TMの入口には「臨時休業」の貼り紙。
夜間、無人の建物に金がうなっている。
(常時6〜700万円くらい入ってるみたいね)
外国人は「金が道に落ちている」という感覚なのだそうだ。
だから東南アジア、中近東、ブラジルの人たちに日本は人気があるんだと。


小さな公園のベンチで昼食。
周囲にレストラン、和風食堂なんて気の利いた店はないのだ。
「日本亭」新白岡東口店がある。ここの「ほか弁」はいけますよ。
ボリュームがる。ご飯がおいしい。味付けもなかなか。安い。
「のり・シャケ弁」「焼肉弁」2つ買って1000円でおつりがくるもんね。


こうして、早春を探すミニサイクリングは終了。次回は、町内の梅を訪ねよう。
午後から、昨日の「うずら」の墓を作らなくては。


■1月11日鏡開き
●大河ドラマ「新選組」開始
いよいよ始まりましたね。
映画「ラスト・サムライ」人気で「武士道」がにわかに注目されている。
近藤勇は、農民出身だけに武士階級の武士より武士らしく生きようとした。
念願の旗本になり、喜んだのもつかの間、幕府は瓦解してしまう。
時代の流れに抗い、サムライになりたかった悲劇の男である。
死んだのが34歳であったから、京都で殺戮を繰り返している頃は
今回のドラマに出演している俳優たちの年頃だ。
だが、悲しいことに、若手男性俳優のほとんどを知らない。
土方歳三に扮する男も見たことがなかった。
最近、トレンドドラマを見ないということもある。
ドラマの後半、江戸で過ごす近藤と土方の21歳の頃を描写していた。
函館時代に撮影した土方は美男である。
若い頃は家業の薬の行商で、行く先々で浮名を流していた。
そのあたりのことが描かれているが、
今後1年続くのだよ。
軽い乗りの青春群像を、いつまで見続けることができるか。それが問題だ。
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●鶉、激突死
夕方、雨戸を閉めようと思ったら、
コンクリートの上に鳩くらいの鳥が横たわっていた。
目を閉じたままピクともしない。体は少し温かくぐったりとしていた。
しかし、ゆすっても反応はない。死んで間もなかったのだろう。
鶉であった。
わが家の裏の竹藪には野生鶉のファミリーがいる。
昨年も一度、ガラス窓に激突したが、脳震盪を起こしただけで立ち直った。
向かいの雑木林から、彼らの棲家である竹藪の間にわが家がある。
もともと鶉は飛ぶのは上手くない。
餌を取りに来た帰りに歩いて帰ればいいものを
人間を恐れて低空で飛ぶのである。
そして、ガラス窓に気付かず激突してしまうのだ。
家が増え、車も増え、通行人も増えた。
彼らにとって住みにくい環境になった。
明日、裏庭のキミのファミリーの通り道の脇に墓を作ってあげよう。
ごめんね。


●主(ぬし)

猫を飼い始めたのはこちらに越してきてからである。
2代目は「ミミ」という。
初代の「マミ」は2001年12月29日、5歳半でこの世に別れを告げた。
私が寝るまで傍らでうとうとしながら待っている可愛い娘であった。
あのときは、親を失った時より辛い思いをした。
もう飼うまいと思った。
だが2002年9月、不思議な縁で生後3ヶ月ほどの「ミミ」と出会った。
「マミ」が気落ちしないようにと届けてくれたと思うほど顔が似ていた。
この娘は「猫」らしい性格をしている。気分屋である。
寒い時期は私の布団の中にもぐりこんでくる。
長生きして欲しいと思う。
猫なのにマウスには興味がない。
動くものに敏感に反応する。
ディスプレイの中のポインタがお気に入り。
そんなわけで仕事の邪魔をするのが日課である。



■1月10日
●さよなら
昨年、整理できなかったパソコン関係の書籍を処分することにした。
変化のスピードが特に著しい世界である。
小説とは異なり保存しておく価値はないのだが
「なぜか捨てるに忍びず」
(まるで中原中也の「月夜の浜辺」でありますね)
そのまま押入れの奥にしまっておいた。
14〜5年前の本だと思うが、タイトルを見ていると
MS−DOSの世界にのめりこんでいた自分を懐かしく思い出す。
当時、コンピュータのコピーを書いていた私は、
趣味と実益をかねて大量の本や雑誌を買い込み読んでいた。


MS−DOSの次期OS環境として、2つの選択肢があった。
右はIBMが推進するOS/2。なんとかMS−DOSをひっくりかえしたかった。
左はマイクロソフトが戦略的に動いていたMS−Windows。
結果的にはMS−DOS延長線上のマイクロソフトの勝利になる。
当時のWindowsはバージョン1.0。Macライクだったが、
マシン能力が低い時代に重いOSで、まるでタコだった。
その後、Windows3.1からやっと実用的になり、現在のXPに進化する。
Windows環境になり、IBMのパソコンはハードウェアの標準仕様DOS/Vマシンとして
現在に至っている。


上段左のカラフルな本は、アスキー出版の「赤本・青本」と呼ばれた。
ザラ紙を使った粗末な本だったが、MS−DOSの解説本として中身は濃かった。
ナツメ社のマニュアル本にもだいぶやっかいになった。
来週の新聞・雑誌の日には、家の前のゴミ置き場は、古本の山になるはずである。

●おしん、オート三輪に乗る
初子と再び行商に出たおしん。
戦前はリヤカーだったが、オート三輪にまたがっていた。
正面からのカットで、オート三輪のプレートにやっぱり「クロガネ」と記されていた。
私が小学校の頃、十三間道路(現6号線・水戸街道)で見たのと
同じタイプのオート三輪だった。


■1月9日

●拉致問題
またぞろ北鮮が動きを見せた。
NGOルートを使って、人質返還の条件を出してきた。
専門家の観測では「経済・食料」が逼迫しており
拉致問題を早く解決し、日本から援助金を引き出そうというあせりが見える、という。
条件は、「親を平壌に連れてくること」。
正式の外交ルートを使わないのは、日本の外務省が信用できないから。
一時帰国させた親を、約束を破ってそのまま日本に留め置いているから、だと。
ったく、あの国の尺度はわからん。
親はもともと日本人だということが、奴らの頭からすっぽり抜けている。
それを、北鮮の工作員が日本に不法侵入し誘拐していった。
この事実を、よもや忘れてはいないだろうね。
向こうが「めんつ」にこだわるならば
こっちも「主権」を侵されたという「めんつ」にこだわるべきだ。
続きを読む


●犯罪の低年齢化

とんでもない事件が昭島市で発生した。
高校一年の2人の女子が遊び仲間に「援助交際」を強要。
「稼いだ金」を巻き上げ携帯電話代に充てていた。
度重なる「援交」を命じられた子は自殺を図るが失敗、6カ月の重傷であるという。

続きを読む

■1月8日
●ハイテク
「市民農園」のレジーナよりに竹製の三角小屋がある。
以前にも取り上げたことがあるが「村のバイオ発電所」である。
外観から受けるイメージよりハイテクなことをやっている。
農園から出る野菜、根菜のクズを集め
それらが醗酵する際に出るガスを燃焼して発電を行うそうなのである。
小学校の理科の実験のようであるが
それを大人がやる、というのが楽しいではないですか。
風力、波動、太陽光など自然のエネルギーを利用する発電スタイルはあるが
クズを用いるというのが、今っぽくていい。ゴミ・クズは資源なんですよ〜。
で、「村の発電所」で作った電力は、どんなことに利用するのか?
それがわからないままでした

いつの間にか屋根にソーラーパネルが2枚取り付けられていた。
その周囲には、クリスマス・ツリーに使うような豆電球があった。
バイオと光を使ってこの電球を点灯させるのね。
ますますハイテクっ!!
わが家から2分ほどの場所にあるのだが
さすがに寒い夜には外出しない。
だから、発電効果を確認することはできない。
「ハイテク」に対し「ローテク」という言葉ある。
どうも、最近、間違って使われているようなのだが <続きを読む

●満月

終日北西風強し。夜半になっても止まず。
↓本日満月。烈風雲一掃す。夜半の月煌々と寒さいや増す。


↓今朝9時30分。空に1点の雲もなし。

↓昨夕16時45分。月、笠原小より上りぬ。

日が伸びてきた。冬至以降、1日毎に「米一粒分日が長くなる」というそうだ。
上空をさえぎるものはなし。伸びやかでいい景色でしょ。これが宮代ね。


■1月7日七草
「しちぐさ」ではないよ「ななくさ」
●質草
「質草」は手元不如意のとき、質屋にゆく。そのときの時計、指輪など担保物件。
昔は、金額の張りそうなものを泣く泣く差し出して借金した。
だから、働いて返済し取り戻そうと思ったものだ。
が、今は「町角キャッシング」とか口当たりのいい言葉で、無人機から金を借りている。
「質草」という担保もいらないから気楽なものだ。
だが、実態は高利貸しから金を借りているに過ぎない。
結果、多重債務者、個人破産となるが、昔ほどの陰惨なイメージはない。
他人からイージーに金を借りるのは、消費欲望が膨張した結果である。
ブランドものが欲しい、海外旅行に行きたい。
身の程知らず、他人と同じようにしたいというセーブの効かない単細胞。
チワワを見て、どうしても欲しくなる。
「ど〜〜する、ア***」と悪魔がにこにこ囁く。
あんなコマーシャルに出演して、またぞろ復活したおじさんタレントがいる。
彼は群馬県の、広大なイングリッシュガーデンのある「ジョイフル本田」に出没する。
入ったギャラで自宅には豪華な庭を作ったんだろうかね?
●会釈
通りすがりの相手に軽く頭を下げる。
人通りの激しい場所では行わないが、人通りの少ない散歩道などでは
見知らぬ人にも会釈をする、という習慣があった。
山では下山する人とこれから山頂に向かう人の間で今でも交わされている。
しかし、最近、散歩道でも会釈を交わす人は稀になった。
夫婦で健康散歩を行っている人が増えているが90%はそのまま通りすぎる。
若い人に至っては、そこに人がいないかのように無視する。
「知らないおじさんと口を利いてはいけないよ」という親の教えの賜か?
嗚呼、人情紙風船。
●パソコンが変わる
最近のパソコンは家庭の情報ステーションに変わりつつある。<続きを読む

●毀誉褒貶(ほめることとけなすこと)

天下のSONYの前実力者も地に堕ちた<続きを読む

●「おしん」再開
そこには50歳になったおしんがいた。
田中裕子に代わり乙羽信子であった。
イメージが違うんだよな〜。
子供たちも代わったが、周囲の大人はそのまま老けている。
田中裕子を老け役にして展開すればよかったものを。
ガッツ石松が「朝鮮戦争」のことを口にしていた。
だから時代は昭和25年頃なんだろうね。私は小学校2年だよ。
なつかしいオート三輪が走る。クロガネ号かな。

●そのとき歴史が動いた「新選組」

ここで歴史をおさらいして、こんどの日曜日に臨もうというわけだ。
NHKもやってくれますね


■1月6日小寒
「お〜さむ、こさむ」の「小寒」ではないよ。「しょうかん」。
冬至後の15日目に当たる二十四節気のひとつ。
寒の入り。じわじわと寒さがつのり21日にピークを迎える。
この時期の味噌汁は「寒しじみ」が絶品ね。
そして2月3日の節分をもって「寒」はおしまい。
●昔に帰る
二十四節気だから、ひと月に2つ季節の区分がある。
旧暦の考えだが、最近は日本古来の暦に人気があるらしい。
また、金沢では昔の地名を復活させるようである。
最近こうした、一見後戻りのような動きが目につく。
なぜ?<続きを読む

●年賀状

長いこと生きていると、年賀状は生存通知の性格を帯びてくる。
「主人は亡くなりました」「母は他界しました」
寿ぎの朝に、悲しい知らせが届くことがある。
前の年に喪中欠礼の知らせもなく、こういう内容を目にするのはつらい。

■1月5日仕事始め
さあ、仕事仕事と思えど、電車に乗って会社へ行くわけでもない。
例年、仕事モードへずるずると傾斜する。
確定申告に向けて早めに伝票整理しよかな。(と、いつも思うのだが…)

●野鳥

周囲に雑木林、田圃、池があるので鳥が実に多い。
悲しいかな名前のわからない小鳥が多い。
昨日、NHKの「独眼流政宗」を見ていた。
彼の花押は「セキレイ」と呼ばれているらしい。
川のほとりで遊ぶその鳥を映し出した。
あらら、これがセキレイだったのね〜〜てな具合だ。
散歩の折、田圃で敏捷に動き回る何羽かの小鳥をよく見かける。
首を前後に尾を上下に振る仕草が可愛い。
まさにその鳥だった。
この界隈でよく見かけて名前がわかるのは
カラス、スズメ、土鳩、白鷺、川鵜、ムクドリ、鴨。
年に1、2回カワセミ。
ウグイスだと思っていたのはメジロだった。
野鳥図鑑で勉強して、バードウォッチング用の双眼鏡を持参すれば
散歩がまた一段と楽しくなりそう。
●日野市
昼のNHKで新撰組のふるさと、日野市を紹介していた。
土方歳三の縁者が自宅内に記念館を開いている。
彼には子供がいなかったから兄弟姉妹なのだろうね。
井上源三郎の子孫が自宅に記念館を開くとも。
肝心の近藤勇について、その番組では言及していなかった。
土方人気にくらべ、近藤は…?


■1月4日
●うどん
口に含んだときの、あのヌルッとした感覚がいいのかな?うどん好きな人は。
私はどちらかとういうと苦手である。
歯ざわり、舌ざわりは蕎麦に軍配が上がる。
しかし、春日部の「うどん市」には比較的よく顔を出す。
透明感のある汁の中に浮かぶ色白のうどんは、讃岐系なのかな。
汁は薄味のようだが、塩味がきいている。
うどんの店なのだが、うどんはともかくかき揚げは絶品だ。
「かき揚げうどん」は揚げたてが別の皿に乗ってくる。
桜海老など入っていない。細ぎりの玉ネギ、ニンジン、きざみパセリと至ってシンプルだが
薄い衣は、ぱりぱりと歯ざわりがよい。
駅の天婦羅うどんに慣れてしまった人は
たぶん、この大ぶりのかき揚げに感激するだろう。590円は安いのではなかろうか。

●春、兆す
冬が来れば待ち遠しいのは春。
旧年中は、ひと山越さなければ春は来ないので遠く感じる。
年が明ければ、もうそこまでという気になる。
これからジョンとの散歩の度に、小さな春を探すことになる。
本日発見しました。
しかし、元旦から暖かい日が続いたので、あわて者に過ぎないのかもしれません。

 
小さな花をつけたホトケノザ。    気の早いネコヤナギ

沈丁花の蕾は固い。

●波乱万丈「中曽根康弘」
新春スペシャルワイド版で放映された。
公人から私人へ。
本人は「モーニング」から背広に着替えたから」と言っていたが
首相時代の苦虫をかみつぶしたような表情は失せ
始終柔和な顔つき。最後まで背をしゃんと伸ばしていた。
バッジをつけていては話せないような数々のエピソードを披露した面白い番組だった。
純ちゃんに対して「あの人は敬老精神に欠ける」とばっさり。
唇薄く、目は細い。純ちゃんの人相は非情の相ですな。
それは、彼の私生活を見てもうかがい知れる。
離婚後、普通の人情の持ち主であれば
別れた妻子に巷間ささやかれるようなことはしないだろ〜ね。
純ちゃんは、今のところ細川のように政権を放り出さないからいいが、
政策がもたついております。
日本を今後どのような国にしたいのか、ぼんやりしてきました。
純ちゃんもやがて年をとる。
彼は恩給がつくから生活は安泰でしょうよ。
でもね「一将成りて万骨枯る」なんてことのないように。
その前に「日本沈没」なんてことになったら…
でもね、その兆候はあるのだよ。
海外資本がどんどん上陸している。
日本の調子の悪い企業を買収するのは米国の投資会社。
もう、経済植民地化は始まっている。
バブル時代は、日本が積極的に海外企業を買収してきたが今はその逆。
元気のいいのは、はじめのうちだけ。
まるで太平洋戦争時の日本のようであります。

■1月3日
大学駅伝復路。気温15度を越すぽかぽか陽気。
選手たちは悩まされたらしい。
駒沢大の完全優勝。3連覇だからすばらしい。
昨年、駒大には地元宮代出身の島村選手がおりましたね。
●墓参
父親の命日であった。
「新年2日間は浮かれていてもよいが、3日目からはしゃんとせい!」という意味かしらね?
この日に亡くなったのは。
4号バイパスから都内に入れば三ノ輪の交差点に間もなく到着。
東京電力の高い鉄塔を目印に左折すれば、台東区竜泉。地名の由来にもなっている「竜泉寺」が菩提寺である。正月に墓参する人は少ないらしく、正面は閉まっている。脇のくぐり戸から入る。
都会の墓は周囲をビルに囲まれる運命にあるが、ここも例外ではない。
日当たりが悪くなりましたね。
ともかく昨年の報告と、本年の祈願を行う。

●一葉の里
この界隈は明治の女流小説家「樋口一葉」のゆかりの土地である。
5000円札の肖像に彼女が決まって、大いに賑わいを見せそうな感じ。
竜泉寺から2分ほどのところには「たけくらべ」にも登場する千束稲荷神社がある。
お賽銭をあげてきましたが、いつになく晴れやかなデコレーションがされていた。


町を歩けば、至るところに下町風情。
建て替えが完了し昔ながらの家はさすがに残っていないが、
「美登利」や「真如」が不意に顔をのぞかせそうな路地がある。
一葉の旧宅あたりに作られた<一葉記念館>は
国際通りを渡った向こうにある。




■1月2日
●テレビ三昧
風もなく暖かい。実におだやかな正月である。
テレビでは80回箱根駅伝中継をやっている。

いよいよ13Kmの山登り。高度差840m。
駒沢大がトップ。2位はくるくる変わる混戦模様。
気温は10度を超えランナーには過酷だ。
わが母校は箱根には昔から縁がない。
こういうのが嫌いなのがスクールカラーだもん。
14時から「竜馬が行く」ね。今日はテレビ三昧になりそう。


市川染五郎では線が細いかなと思いましたが、
結構がんばっております。
いま、一部が終わり、インターミッション。
江戸末期の群像はいいですね。
ちびりちびりやりながら、もう最高だぜよ!
(あら、言葉が乗り移った)
見てしまいましたよ23時55分、
竜馬と中岡慎太郎が、内藤剛士扮する刺客によって斃れる最後まで。
 
暗殺を命じた人物も手を下した者も謎であります。
NHKの「そのとき歴史は動いた」では、顔見知りではないかと推理しています。
この二人に面会を求め、至近距離から斬りつける。
天井が低いので刀をふりかぶることはできない。
従って居合いの達人ではなかったか?と
慶応3年の頃は、竜馬の動きを快く思っていなかった人物は、
幕府にも薩長にもいたと思われますから、下手人の特定を複雑にしております。

慶応3年(1867)11月15日、京都醤油商近江屋で、京都守護職輩下、
見廻組与力の乱入を受けて切り付けられ33歳の若さで刺殺された、という説明もある。

●その後の「おりょう」
竜馬との結婚生活は短かった「おりょう」。<続きを読む

■1月1日元旦
●新年のご挨拶
あけましておめでとうございます。
本年もお越しいただきありがとうございます。
ほとんどの内容が私の住む町の話しに始終する超ローカルサイトです。
「白秋」の時期に都会を後にして、当地で「玄冬」の年回りを迎えることになりました。
7月で「ひとくぎり」の満10年。
タイトルも脳天気な「ViVa!Country Life」から「田舎三昧の生活と意見」に改題。
難しいことをグダグダと並べ立てることなく、田園住人の四季折々雑記でいきます。
文体も気分でころころ変わります。
悪筆なので小学校の夏休み日記以外ほとんど書いたことはありません。
が、こういうスタイルにしたら習慣のようになってしまいました。
ま、ひとつ、おつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

●無惨也曙
昨夜の「ボブ・サップvs曙」は、おおかたの予想通りだった。
彼は「KOで負けたのでかえってすっきりした」と言っているようですが、

リングに突っ伏した姿を真俯瞰で映し出しておりました。
たるんだ肉。なぜか、灌漑用水の住人「ひき蛙」を思い浮かべてしまった。
●初散歩
新年の幕開けにふさわしいスカッとした天気だった。
愛犬Johnといつものようにいつもの道を歩く。
新しい村の芝生広場では大人が凧揚げをしていた。
適度な風が吹いているためそこそこの高さでゲイラカイトは左右に揺れていた。
昨年は、ガランとした銀座に出かけ5番街のブランドショップ総点検をしたが、
今年はどこにも出かける気がしない。
これには理由がある。年賀状の作成を行わなくてはいけないのだ。
年賀はがきは発売と同時に購入しておいた。
生徒さんには「早めに作っておかなきゃだめヨ」なんて言っておきながら
「紺屋の白袴」である。
元旦に頂いた皆さま、今年も遅くなります。許してね。
↓午前中の空です。この空を年賀状のモチーフに。

●初詣、はしご
私の住む地区のの鎮守は「姫宮神社」である。
「宮代」の「宮」はこの神社に由来する。(「代」は別の機会に)
以前はカウントダウンが終わると出かけていたのだが
寒空に車でいくのが面倒になった。で、昼過ぎに自転車で初詣に出かける。
 
歴史のある神社なのだが、本殿は質素である。
人の出は意外に少なかった。
賽銭以上の祈願をした。たぶん神様は聞き届けてくれないだろう。
本殿の右手には小さな社が3つ、裏に2つある。
全てまわるが、同じ境内なので時間の節約。
墨東あたりの七福神巡りは「ハレ」の「物見遊山」だったのだろうが
遥か離れたこの地では、一箇所で済ますという生活の知恵があったのだろう。

本殿脇のテントでは、バイトの巫女さんがお札を売っていた。
若い人たちがおみくじ、お札などを買っている。
こういうことには無縁と思える世代だが、正月は彼らにとっても「ハレ」なのだろうか。
 
姫宮神社を後にして、5分ほどの県の文化財に指定されている「五社神社」へ出向く。
一時期荒れ果てていたらしいのだが、氏子の熱意で復活した。
参拝したら、お神酒とみかんのサービスがあった。
右の写真の突き当たりが五社神社ではない。西光院である。
五社神社は左の旗側。
一見、参道のようであるが、実際は車道でこんなに車が途切れることはない。

宮代の名刹「西光院」。ここの仏像は国立博物館に出張中である。
お寺は初詣の対象ではなかったっけ?参拝客は誰もいない。
墓参の車が1台あっただけだった。

サンタのおじさんがわが家にやって来たのは遅かった。
姫宮神社で購入した破魔矢を持っていただき、もう少し活躍していただくことにした。
●純ちゃんの靖国神社参拝
元旦にやっちゃったね。頑固なんだよね彼は。<続きを読む

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