田舎三昧の生活と意見

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●吉太郎童謡集

■Contents■
01去年今年
02 不景気?
03出会い
04風邪
05人種+宗教
06バナナプラグ
07ワルキューレr作戦
08バッグ
09専門誌
10季節風
11R&B
12成人の日
  落日燃ゆ
13倒れた人
14隣りの合併
  情報源
15当町の合併
16対策
17神戸大震災
18エイジズム
19Steve Jobs危機?
  激突
20スリム化
21光、来た
  光、来る
  大統領就任式
22名演説
  懐かしい
23お勉強
24迷走
25近隣の合併事情
26rラテン音楽
27隣りの合併事情
28近隣の合併事情
29便利
  元気
30新型?
31青年、Jobs


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1月31日(土曜日)
●青年、Jobs
1989年7月10日。
もう20年前になってしまった。

東京ディズニーランドに隣接する千葉県浦安市の東京ベイNKホール。
広大な会場はぎっしりと埋め尽くされていた。
私も、その中のひとりだった。

アップルを離れたジョブズが心血を注いで開発した
ネクスト社の新製品「NeXT」が日本で初めて披露され、
しかもそのプレゼンテーションを
ジョブズ氏自らが2時間にわたって行うというイベントだった。

テーブルには黒いワークステーションが鎮座している。

これまで、ジーンズ姿が定着していたジョブズがタキシード姿で登場した。
彼はピアニストのようにキーボードを操作した。

スクリーンには、高度なGUIの画面が映し出される。
今なら当たり前の画面だが、当時は革新的だった。

ジョブズのドラマチックなApple解任劇を知っている参集者は、
新しい彼の夢の結晶を凝視していた。

2009年のJobsは、髪もめっきり薄くなった。
体調を崩して一時期休職するというニュースが伝わっている。

「Macintosh」、「iPod」の生みの親には、早く健康を回復し
次の夢を製品化していただきたい。

1月30日(金曜日)
●新型?

ワイド液晶ディスプレイが一般的になってきたが、
このAppleノートパソコンはさらに広いマルチ・ディスプレイ。
ツール類をサイドに置いて仕事は中央の画面で行うのだろう。
しかし、左右のディスプレイをたたんで、メインディスプレイを閉じる厚さはない。

チャレンジマインド旺盛なスティーブ・ジョブズなら
こんな楽しいPCを製品化するかも知れない、と思わせてくれる。

1月29日(木曜日)

●便利
若い人たちは使っているのだろうが、
PCのUSBから携帯電話の電源を供給できるケーブルを見つけた。
契約したときに買ったACからのアダプターを使っていたのだが
PCは常に電源が入っているしこちらのほうがコンパクトで便利。
これが99円ショップで扱っているというのだから、たまにはのぞいて見るものだ。


●元気
横浜駅の東口からMM21にかけての地域は相変わらず胎動している。
日産本社の隣りに大型クレーンが何本も立っている。
富士ゼロックスということだ。

その先にはマリノスの練習場があって右手の先は高層住居棟が林立する。


私は農村の原風景が残る地域に住み、ささやかに家庭菜園をやっているが、
未来志向の街並みも嫌いではない。

1月28日(水曜日)

●近隣の合併事情
合併に向けて進む加須市、騎西町、北川辺町、大利根町の1市3町の
第2回合併協議会が、昨日開催された。
そこで、新市名の募集を行うことが決まった。
期間は2月16日から1カ月。
3月に集計、絞込みを行い4月下旬には新市名が決まる。
応募資格は小学生以上の住民で、約11万人が対象となる。

公共料金、住民サービスなど個々の摺合せを行いつつ、
アピール度の高い新市名で話題を高め一体感の醸成を狙おう、とするのだろう。

久喜市との1市3町といい、加須市の1市3町といい
最終ゴールに向けてひた走る。
反対派は巻き返しを目論んでいるのだろうが、
大きな流れの前に棹をさすのは困難になってきたのだろうか?
必ず、ひと騒ぎ起こすはずだが…

春日部市+2町も同じ。
今、杉戸は混迷状態だが、これが沈静化し合併への流れがひとつになったとき、
2町のどこからともなく反旗が翻るのだろうね。

1月27日(火曜日)

●隣りの合併事情
久喜市、菖蒲町、栗橋町、鷲宮町の1市3町合併協議会は50の協議項目すべての
新市基本計画を承認した。
3月、住民への説明会を経て合併の是非を確認する。

その後、
・4市町議会で合併議案の可決
・県議会の議決を経て知事の決定
・総務大臣への届け出
・官報告示
2010年3月23日、新市誕生予定

菖蒲町で住民投票か?と思わせる「事件」が発生したが、一件落着し、
従来どおりの路線で進む。

3月の「合併是非の確認」が最後の難関。

4年前、春日部、庄和、杉戸、宮代の1市3町合併では、
ここで宮代が反旗をひるがえし
合併が流れた、ということもあるからね。

1月26日(月曜日
●ラテン音楽
民族性を反映してか底抜けに明るい曲や情熱的な曲が多い。
ラテン系POPSを聞いたのは、確か「トリオ・ロス・パンチョス」だったと思う。
メキシコには民族音楽系のグループが数多くあって、
トリオ・ロス・パンチョスも大きなツバのソンブレロと肩からはおった布という民族衣装でやってきた。
初来日は1953年(S34)12月。
ある恋の物語、キサス・キサス・キサス、闘牛士のマンボ、ラ・マラゲーニアなどラジオから流れてきた。
美しいメロディーとハーモニーに日本中が酔いしれた。

彼らの持ち歌のひとつに「ベサメ・ムーチョ」があった。
スペイン語だが、内容はわからなくても比較的短いフレーズで歌詞は口ずさめた。

その後、女性が恋人に激しいキスをねだるような歌い方で、曲のイメージは一変した。
清純さが扇情的になってしまった。
キャバレーなどで歌われるようになり、さらに安っぽくなってしまったようだ。

ラテンミュージックをYouTubeで探していたら「Besame mucho」が引っかかってきた。
フランク・シナトラ、ディーン・マーチン、プレスリー、ビートルズ、ダリダ…
実に多くの有名歌手が歌っている。
ラテン系はスペイン語で、米国系は英語で、フランス系はフランス語で…

調べていくうちにこの歌の生まれた背景で意外なことがわかった。
悲劇なのだ。

「ベサメ・ムーチョ」は、メキシコの女流作曲家・ピアニストの
コンスエロ・ベラスケス(1924年8月29日 - 2005年1月22日)が
1941年、17歳のとき作曲し、世界的なヒット曲となった。
(彼女は「カチート」も作曲している。)

※花の命は短くて…人生は残酷だな

戦時中の日本は洋楽の演奏もレコードの輸入も禁止されていたためほとんど知られず、
敗戦後、進駐軍放送を通じて、やっと日本人も聞けるようになった。

ベサメ・ムーチョは「いっぱいキスして」という意味で、恋の歌として歌われているが、
曲想を得たのは彼女の女友達から聞いた話からだった。

入院中の夫を見舞ったとき、重病で最期の近いことを悟っていた夫が
夫人に「いっぱいキスして」とせがんでいたという。

ベラスケスが作曲したのは17歳というから、
ラテン国は早婚とはいえ、本当に本当だったのか、な…だが。

相手にキスをねだるのだが、
健康的なカップルではなく、命が終わろうとする夫が妻に対して…となると、状況が大いに異なる。

男性オペラ歌手が切々と歌う動画もあったが、
実は、これが一番曲には合っているのかもしれない。

今、27曲の「ベサメ・ムーチョ」が携帯プレーヤーに収まっている。



Besame mucho
スペイン語版
Besame,besame mucho
Como si fuera esta noche la ultima vez
Besame, besame mucho
Que tengo miedo perderte, perderte desques

Quiero tenerte muy cerca
Mirarme en tus ojos
Estar junto a ti
Piensa rue tal vez manana yo estare
Muy lejos, muy lejos de aqui


英語版
Kiss me, Kiss me a lot,
As if tonight was the last time.
Kiss me, kiss me a lot,
Because I fear to lose you,
To lose you again.

I want to have you very close
To see myself in your eyes,
To see you next to me,
Think that perhaps tomorrow
I already will be far,
very far from you.

Kiss me, Kiss me a lot,
As if tonight was the last time.
Kiss me, a lot,
because I fear to lose you,
To lose you later

日本語訳

ベサメ ベサメ ムーチョ
燃ゆる口づけを交わすたびに
ベサメ ムーチョ
いつもいつも流れる調べ
どんなに雨が降っても
風が吹き荒れても
も一度 またも一度
燃ゆるあの口づけ
ベサメ ベサメ ムーチョ
私のすべてはあなたなのよ
ベサメ ムーチョ
いつもいつも いつまでもよ



スペイン語文法

「ベサメムーチョ(命令形)」

命令形、というとなんだかきついように感じるが、
スペイン語ではサラッと誰かに頼みごとをするとき命令形を使う。
「君」と「君たち」に対する肯定命令のときのみ「命令法」を使い、
その他の場合は「接続法現在形」を使う。

※なんだか小むずかしい

Besameキスして
muchoいっぱい

mucho 英語のmuchと同語源

君に対する命令形(命令法)は
規則動詞の場合、Rをとる。
BESAR(キスする)→ BESA
動詞の後にME(私に・私を)をつけた例文:
BESAME MUCHO. いっぱいキスして。

ということです。

1月25日(日曜日)

●近隣の合併事情
久喜市、栗橋町、鷲宮町、菖蒲町で進める1市3町の合併。
ところが、菖蒲町の区長から住民投票を求める意見が出され、
それを受けて議員が発議した。
これまで、合併協議会は順風満帆で、これからも波風が立たずに進むもの、
と思っていた菖蒲町は、青天の霹靂。
町長の伝家の宝刀をちらつかせたが、臨時議会で住民投票条例は廃案となった。

土俵際ぎりぎりで、うっちゃりをかませることができる「住民投票」の怖さは、
先の合併第1幕で、各自治体ともに、いやというほど経験している。

今回を逃せば、合併機会は当分ないという危機感が住民投票「回避」に走らせる。

宮代町も合併協議会が設立され、GOGOという時期になったら、
一部の反対派が住民投票実施へ向けて動き出すのかもしれない。
なにしろ、宮代は「流れを乱す」と
近隣からあまり信用されていないようだから。

1月24日(土曜日

●迷走
杉戸町議会が大混乱している。
昨年12月、合併推進派、反対派ともに「住民投票」条例実施を発議し、
数の多い推進派の動議が議会を通過した。
で、22日は条例案審議のための臨時議会が開催された。
そこで、提案者の推進派議員が、条例案の撤回を求めるというハプニングが起こった。

ことによったら、予定の作戦だったのかもしれない。
で、議会は大混乱。

一昨年8月、春日部市との合併の是非を問う住民投票で、反対が優勢で
合併を公約に当選した町長の動きは封じられてしまった。
その後、宮代町からの申し入れにより、再燃。
行政は合併の説明会を行ったが、対応のまずさから
反対派をますます勢いづかせる結果になった。

現在、杉戸町議会構成は推進派が優位な状況にある。
ここで、住民投票が実施され、前回同様の結果となれば
春日部市、宮代町との合併は、ほぼ永久に失われる。
こうした危機感が、今回の騒動の根底にあることは確か。

議会の混乱を収拾できなかった責任をとって議長は辞職を申し出たが
合併反対派の議長に辞められたら、
こんどは反対派が優勢になり、ますます合併は遠のく。
結果、議長の辞職願は否決された。

結局、議会は深夜まで及び、23日零時に流会。
条例案は「審議未了」で廃案となった。



反対派からみれば、数の論理の名を借りた
「どたばた劇」以外の何物でもない。
もし、反対派が優勢なら、合併推進派からすれば同じことが言える。



宮代の合併反対派議員たちから、住民投票実施への動きがあってしかるべきだが、
今のところ静かなことが気になる。
なんせ「合併潰し」の猛者が議会に返り咲いているのだから。

1月23日(金曜日)
●お勉強
バラク・オバマ氏の大統領就任演説が、リンカーンのそれと同じように
後世、歴史的な名演説になるかどうか、わからない。
しかし、ブッシュ氏が就任したとき以上に注目されているのは確かだ。

NHKで深夜に実況した番組は録画しておいた。
PCのワンセグで同じ番組を見ていたので、演説部分は録画しておいた。
しかし、一長一短だ。
TVはアナログ録画だし、ワンセグ録画は特定のソフトでしか再生できない。

YouTubeで就任動画を探しダウンロードした。
日本の報道は同時通訳になっているので、
「素」のままは、USAの報道画像でなければ。

※YouTubeの演説画像

※ダウンロードしたflv画像

※録画したワンセグ画像

※転送したmp4画像

※プリントアウトした演説原稿

YouTubeのデータはWVMで提供されているのだが、
ダウンロードするとflvデータに変換されてしまう。
PC上で見る分にはこれでもいいのだが、
デジタル携帯プレーヤーで見るにはmp4変換しておかねばならない。

22日朝刊には就任演説全文が対訳つきで掲載された。

YouTubeの画像は演説部分だけ切り出した。

mp4データに変換。
それも、低圧縮ではなく、携帯用の高圧縮なら容量も多少軽くて済む。
演説の全文は7つのパートをそれぞれA4版に印刷。

…という下準備を完了。

動画を見ながら英文を見比べつつ
発音、息継ぎ、スピードなどネイティブの演説つ〜のをお勉強、である。

当然、耳が英会話に馴染んでいないから
画像から流れるオバマ氏の演説など、何を言っているのか皆目わからない。
手元の英文を見ても、話すスピードが速いので追うだけで精一杯。

当分の間、これを続ければ少しは理解できるようになるのか、な?

音楽プレーヤーに画像を転送して再生する。
こんな時代が来るとは思っても見なかったが、
機械はデータの「前進」だけである。

本格的に学習しようと思ったら、
画像から音声だけを取り出しmp3データに変換し、
デジタルICレコーダーに転送する必要がある。
これなら、音声の「巻き戻し」も可能になる。
SONYから小型の、カッチョイイ機器も発売されていることだし、
購入する動機としては最適だ。

さらに、「青空文庫」の音声データサービスを利用すれば、
著作権切れの古典小説を耳から観賞できる。
森鴎外の「高瀬舟」はこのスタイルで「読了」した。

この本を読んで「裁判員制度」の難しさを考えさせられるきっかけとなった。

「お勉強」のやりかたは、どこにもころがっている、と再確認した次第。
どうせやるなら、最先端スタイルつ〜のは悪くない。
とはいえ、常にメモを携帯する、という古典的な方法も併用しつつ。

1月22日(木曜日)

●名演説
バラク・オバマの就任演説全文が新聞に掲載された。
1ページをさいて細かい文字でびっしりと。
大学センター試験の試験問題かと思いましたね。

和文対訳だから、英語を忘れたOld Studentsにはありがたい。

就任演説のLive映像を同時通訳で見ていたが、平易な言い回しのように思えた。
それもそうだ、多民族国家の老若男女に向けてのメッセージだから、
平易で明快な論旨が要求される。

大統領選の長いロードレースを勝ち抜いてきたオバマの演説も注目を集めている。
雑誌「クーリエ・ジャポン」は最新号の付録にCDをつけた。
ほかにも単行本も刊行されている。
論理的な展開、感銘を与える名調子を学ぼうというのだ。

ここで一躍脚光を浴びたのがスピーチ・ライターの存在。
オバマには優秀な人材が彼を補佐していた。
ジョン・ファヴロー(Jon Favreau)という若干27歳の青年。

04年夏、基調演説を練習していたオバマ氏に言い回しを具申したのがきっかけだった。
以来、大統領選への長い道のりをともに闘ってきた。

ジョン・ファヴローは、感動を与えるスピーチを書くコツについて聞かれると、
「オバマになりきって書くことです。彼の身振り、発声、抑揚なども考慮しながら」。
オバマ大統領の著書「マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝」を
肌身離さず持ち歩いていたともいう。
オバマ氏の思考や発言、書籍などを研究し尽くし、「心が読める」といわれる。

大統領選の最中、勝負どころのスピーチでは、
オバマ氏が訴えたい内容を1時間程度かけてファブロー氏に説明。
ファブロー氏がその場でパソコンにメモして初稿を書き上げた後、オバマ氏と推敲に入る。
8万人以上を集めた今年8月の民主党大会の指名受諾演説が完成したのは、本番数時間前だった。



こういう人材は、東部アイビーリーグ出身のエスタブリッシュメントから集めるのかと思ったら、
ジョン・ファヴローは
マサチューセッツ州のthe College of the Holy Cross大を卒業。
地方大学出身だが、首席で…。
実力本位のオバマらしい人選だ。



わが国の場合はどうなっているんでしょうね〜。
首相の所信演説などまるで記憶に残っていない。
期待と希望に満ちたものだったか?
草稿はだれが書いているのか。

アメリカでの評判は日本の政界にも影響を与えるだろう。
首都圏の大学ではなく、地方から優秀な人材の登竜門になれば幸いだが。

●懐かしい
GoogleMapのStreetViewは、導入された当時の見え方から少し変わった。
最近は画面いっぱいに当該市街地写真が広がる。
顔はぼかされているが、しっかり人物も確認できてしまう。

いつの間にかGoogleEarhもStreetViewに対応していた。
Mapほどきめ細かくないが、迫力ある画面が展開される。

子どもの頃住んでいた葛飾区金町の画像を表示してみた。
今、ここは再開発により高層マンションが建設中だ。
昔のわが家はあとかたもない。

赤い部分が再開発地域。上がJR金町駅。黄色が昔住んでいた家。


すでに、ビル建設が始まっている。下は図書館が入り上はマンションとなる。

ところが、航空写真で見るとまだ、下町の町並みは残っていた。
しかし、StreetViewは建設中の高層ビルがそびえたっている。

駅まで3分とかからない便利な場所にあったのだが、
6号線からダイレクトに南口に入る計画が生まれ、
20年以上経過してやっと着工された。

現在、私が住む町も再開発には気の遠くなるような時間が必要とされるのだろう。
当然、私はこの世にいない。

1月21日(水曜日)

●光、来た
昼頃、工事の方がやってきた。
約1時間で終わったが、以前から使っているブロードバンドルーターの設定がうまくいかず
開通に手間取った。
YouYuneでOBAMA演説シーンをダウンロードしてみた。
当然、早い。
が、横浜の事務所はADSLなのに同じようなスピードだ。

当地区のADSL環境が最悪だったから、これでやっと人並みになったのだろう。
「光」が射すまで長い道のりだった。

●光、来る
午後より光ケーブル工事。
しばらくインターネットが使えない。
やっとこの地域も文明の恩恵を受けることができる。
が、こんな時に限ってメールを使ってやりとりしなくてはならない案件が多々発生する。

●大統領就任式

日本時間、深夜2:05。
バラク・オバマ氏が44代米国大統領に就任した。
その後、就任演説が行われた。
27歳のスピーチライターとともに練りに練った演説は約19分に及んだ。
その間、内容は全て頭に入っていて手元を見ることはなかった。

経済、雇用、中東…数々の難問を抱える米国の再生という難題に取り組んでゆく。

「アメリカを作り直すという仕事を始めなければならない」
「国民ひとりひとりが自覚をもって…」
と語るオバマ氏。


彼の手腕を見守ろう。

1時10分から始まったLIVEを最後まで見てしまった。

新聞には醒めた記事も

オバマ大統領は就任演説の中では「希望」という言葉を3度しか使わなかった。
沸き立つような観客の盛り上がりも乏しかった。「責任を果たすべき新しい時代だ」。
現実を突き付けられた聴衆の中には立ち去る人もいた。
「彼も今日からは、大統領として言ったことの責任を持たねばならない」。
白人女性のビアタさん(40)は冷めた声で指摘した。


1月20日(火曜日)

●スリム化
最近、手ぶらで歩いている人を見かけなくなった。
老若男女、何かしら袋物を携行している。
おしゃれな若い連中は小ぶりなバッグが目立つ。

それに合わせたのでもないだろうが
身の回りの小物がスリム化しているという。

iPod、Walkman、デジタルカメラは小・薄型。
ウォーターボトルも従来の500mlから450mlになり細めになった。
財布は小銭と札は別に入れ、札用は3つ折の小型が人気らしい。

手帳も各社サイズはまちまちだが小・薄型も豊富。
ノートはA4、B5が主流だったが、文庫本サイズ(A6)が健闘している模様。
学習ノートの表紙は味気ないが、ブックカバーを着せて気分を変えている、という。

コクヨの文庫本型ノートは70枚、283円、とあった。
先日、ジョイフル本田2階で実際に手に取ってみていた。
紙質が好みではなかった。

1昨年から使っている無印良品の文庫本ノートは
中身は無地、表紙も茶色でそっけない。
だが、紙質は文庫本と同じで少しざらつきがある。
これが0.5mmシャープペンシルの乗りがいい。
しかも144枚、147円!

書きやすい、値段も安い。さすが無印。

手帳も無印の文庫本サイズ。これは2年目。
デザインは素っ気ないが中身は必要にして充分。
しかも書きやすい紙質。
10年近く能率手帳を使っていたが、
もっと早い時期に無印と出会いたかったと悔やまれる。

で、手帳は非売品の皮製ブックカバーを着せて一見システム手帳。
手帳のカバーはノートに着せている。

先日、越谷レイクタウンへ行った折、
若い子好みの「Francfranc」を覗いていたら、
脱色した皮製のブックカバーを発見。
書店の紙製カバーと同じ作りだった。
このタイプを探していたので即購入。
天地に多少余裕があり大振りなのが気になるが我慢。

私の小物はとっくにスリム化していた。
カメラ、手帳、文庫本…
街歩き用の小型バッグに収納してもまだ余裕がある。

暖かくなったらこれで銀座をぶらぶら。
う〜〜ん、高性能小型カメラが欲しくなってきた。

1月19日(月曜日)

●Steve Jobs危機?
AppleのCEO、Steve Jobsが
15日、体調を理由に6月まで休職するというニュースが飛び込んできた。

彼はパソコン旧世代にとって今もヒーロー中のヒーローだ。
ガレージ・カンパニーとして出発し、数々の画期的なパソコンを送り出し、
自分が連れてきたスカリーに、自分が創業した会社を追放され、
NEXTという次世代ワークステーションを開発。
さらにコンピュータグラフィックスの会社を興し、再びAppleに返り咲いた。
その後、iPod、iPhoneで世界を席巻する。
この不撓不屈の精神が共感を呼ぶ。

企業名はAppleComputerからComputerが消え、
次はどんな製品でわくわくさせてくれるだろう、と期待していたところだった。

Appleはひと昔前のSONYのようなもので、
個性的な経営者のフレキシブルな頭脳に対しユーザーはブランド信仰で応えた。
いまやSONYは肥大化し、昔の面影も薄くなった。

Steve Jobsは、新製品発表会では、必ず自ら壇上に現われ
デモンストレーションを行った。
手塩にかけた製品をいつくしむように。
服装は、昔からラフだった。
それが、魅力だった。

手元に彼の写真があるが、現在と少し前とでは明らかに違っている。
ふくよかだった風貌が極端に痩せている。
もしや、キャ…?と思わせるほどだ。
その挙句の休職宣言。
彼のニュースが発表されたとたんAppleの株価が下がったという。

代役は決まっているようだが、
Jobsのカリスマ性には及ばない。
なにしろ彼の伝説は事欠かない。
IBMが幅をきかしていたころ、パソコンの夢に燃えた青年が
巨人に立ち向かっていったのだから。
スマートなビル・ゲイツに比べ野武士の風貌のJobsは未完のにおいがする。

お早いお帰りを切に望むばかり。

●激突
年商1兆円を超す家電業界の雄「YAMADA」が春日部に乗り込んできた。
国道16号東武線の橋をはさんでコジマとの熾烈な競争が予想される。
利用者には願ってもない環境になってきた。

で、当面欲しい物はないのだが、YAMADAへ見学に出かけた。
春日部東部市場の隣りに出店していた。
16号線から少し引っ込んでいる。
コジマは通りに面しているので入りやすいが、駐車場は横からだし収容台数は少ない。
YAMADAは駐車スペースは広大だが、進入・退出の流れが悪く渋滞する。

コジマは3フロアだがYAMADAは1フロア。
PCの周辺機器はYAMADAが充実しているようだ。
YAMADAは生鮮食品以外の食品コーナーがあるがコジマは家電に絞っている。

YAMADAは開店後3日目だが、ウィークディということもあり
予想していたほど客は入っていなかった。

YAMADAはオープン告知のページ物チラシをまき、
その後コジマも対抗でペラ物チラシを折り込んだ。

価格は共に差はないだろう。
では、どちらに客の足が向くのだろう。

YAMADAのカードを持っていれば入店時に
購入しなくても1日1回カードを機械にあてればポイントがたまる方式。
コジマは購入時にポイント加算以外にカードをあてれば割引き額が表示される。
今まで100円しか当たったことはないが、購入客にはちょっとした楽しみだ。
ただし、1回だけだから同じ日に異なるフロアで購入してもそのサービスはない。
購入のたびに利用できればよいと思うのだが、
小分けに買ってビッグチャンスをものにしようとする客が予想されるので、これは無理かな。

このようなサービスの差が、主婦層にはアドバンテージになるかもしれない。

ポイント制だが、大きな買い物をしたときは有効打になる。
PCアクセサリーなどは蓄積したポイントで購入できてしまうことが多々ある。
春日部東口のLAOXコンピュータ館で大いに利用していたが、撤退してしまった。
多少ポイントが残っていたはずだが、今後は秋葉原まで行かないと死蔵することになる。

1月18日(日曜日)

●エイジズム(agism)
若い頃は年金給付など先のまた先と意に介さなかったが、
還暦を過ぎると、自分では意識しなくても社会は「老人」に組み込んでいく。
65歳を超えると「高齢者」で、74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者。

当事者たちもそんな風潮に押されて自嘲・自虐的になり必要以上に老い込んでいく。

生物は、生れ落ちたときから「死」に向かっている。
従って年月が経過すれば肉体的に「老化」は必然的にやってくる。
だが、精神はそれに比例するわけではない。

最近「アンチエージング」という言葉をよく聞くが、
整形で見た目を若くすることと誤解している女性もいるようだ。
細胞を活性化する食生活で体内から「経年劣化」を改善できるという。
食事の内容だが、なんのことはない、われわれが子供時代のそれに酷似している。

社会の進化について行けなくなっても悲観することはない。
昭和の生活スタイルを崩さず立派な業績をあげている人たちも大勢いる。
自分の世界を確立し「深化」させること。
つまり「経験」が物を言う。

「おばあちゃんの知恵」がそれに当てはまるが、
「おじいちゃんの知恵」つ〜のはあまり聞かない。
役割行動が違っていたので仕方ないが、
若い男性も弁当をつくる「弁当男子」の時代だから、
やがて調理も「おじいちゃん」の時代がやってくるだろう。
プロの料理人はほとんどが男性だしね。

IT社会では、六本木ヒルズの若い住人が脚光を浴びた。
彼らは、ネットワークテクノロジの先進利用者だ。
しかし、コンピュータ・サイエンスでは年長者が画期的な基礎研究を行っている。
ノーベル賞受賞対象者も同様である。
やはり、蓄積された経験の裏づけによるものだ。



「エイジズム」という言葉だが「年齢差別」。
高齢者に対する社会的偏見、差別。
それが就業の不利な条件になったり、虐待を受けること。

平均寿命が短かった頃、「長老」、「村長(むらおさ)」は周囲の尊敬の対象だった。
しかし、寿命が延びた結果、見渡せば年寄りばかり。
社会マナーが悪いのもいれば、犯罪を犯すのもいる。
服装にも無頓着で、「風景」的にもウザい。
という訳かどうかわからんが男は「オヤジ狩り」の対象になってしまう。

米国では、反エイジズムの運動が盛んになっているという。
その前に、若い連中から「一目置かれる年長者」にグロー・アップする意識が必要だけど。

1月17日(土曜日)

●神戸大震災
本日で14年を迎えた。
もうそんなに経つのか…というのが偽らない心境。

だが、あのときのことは憶えている。
関西方面に大地震が発生、という速報をラジオで聞いた。
その後TVから映し出された画像は地獄絵だった。
炎上する神戸市、倒壊した高速道路と半分身を乗り出した車両。

10年ひとむかし。
神戸市は復興したが、商店街は空き家が多く往時の賑わいはないという。

大都市災害の甚大さを目のあたりにして
首都圏も建物の耐震化工事や家庭内の防災対策の機運が高まったが、
今はあのときの緊張感も薄らいできたように思える。

私の住む地域も防災組織が設立され、それぞれの役割りが決まったが
その後、さしたる動きもない。
小生、情報班に所属している。
関東大震災級が発生した場合、地域の住人が確実に避難できたかを確認しなくてはならない。
班ごとに世帯構成を把握する必要がある。
特に高齢化が進み独居世帯が増えた場合、彼らの避難誘導を確実にするためにも。

各役割分担の具体的な行動内容をリストアップし、
その時に備える地道な活動が要求されるのだが…

1月16日(金曜日)
●対策
パソコンを使い始めて25年近くなる。
マシンはPC-9810F、OSはN-88BASICだった。
ソフトは「即戦力」というワープロソフトだけ。
それでも5万円ほど。
黒い画面に白抜きの文字。
ローマ字で入力し漢字変換するのは今と同じ。
当時は漢字ROMを搭載していたので変換は高速だった。

その後OSがMS-DOSに変わり
ワープロソフトは「一太郎」になったが、ほとんどエディタの「VZ」を使っていた。
5.25インチのフロッピーディスクからプログラムをRAMに読み込ませる。
日本語辞書はディスクドライブに差し込んでいたので、変換に時間がかかった。
その後RAMディスクとなり、辞書をそこに置いたので、高速変換になった。

当時はコピーライターをやっていたので、
原稿用紙に書くより作業は格段に向上した。
特に、ページ物の作成に威力を発揮したものだ。

なにしろ画数の多い漢字も一発で変換するし、
書き間違っても消しゴムはいらない。
挿入も削除も思いのまま。

そんなことを長年やっていたら、漢字を忘れてきた。
メモをとるときなど、仕方なく仮名文字にすることもつどつど。

これはまずい、と最近は
なるべく筆記用具を使うようにしている。

引き出しに眠っていた鉛筆、シャープ、ボールペンをデスクに並べ
書き味を試しながら文字を書くのも楽しい作業。

三菱の「3in1」はかなり古い。
よむもまあ紛失せずに…
これを使って打ち合わせをしたシーンが思い出される。
まだ、NECのPCがダントツのシェアを誇っていた頃だ。

このところ万年筆を使うことがめっきり減ったが
古い万年筆も健在だ。
パーカーは海外旅行のおみやげで、今は亡き親からもらった。

インクボトルを購入した。
万年筆各社から発売されているが、
昔と違ってボトルデザインもおしゃれになった。
通常なら容器はプラスチックなるところだが、
ガラス製というのがうれしい。

通信手段は電話、メールになっているが、
たまには郵便にしてみようか、と思ったり…

1月15日(木曜日)

●当町の合併
宮代町が合併先としている春日部市・杉戸町。
住民意向調査(アンケート)結果を尊重してほしい、という請願を受け
宮代町議会は議題としてとりあげ、1票差で
合併に向けて足踏み状態が続いたが、少し前進した。

宮代町は春日部市、杉戸町に合併の申し入れを行い、
申し入れを受けた自治体は、特に議会はそれぞれ反応した。

杉戸町は、2年前、野口町政になったとたん
住民投票で春日部市との1市1町合併が流れた。
合併を公約に当選した町長はやむなく方向転換せざるを得なかったが
宮代町の申し入れで議会が紛糾した。
合併推進派も反対派も住民投票の動議を行い(ここが不思議なのだが)、
推進派の議案が1票差で通過した。
結局、1市2町の合併について住民投票を行うことになった。

春日部市議会からは、今のところ大きな動きは見えてこない。
順風満帆と思われていた4年前の1市3町合併では、
土壇場で、宮代町で反旗が翻り流産した経緯がある。
その後、宮代町は1市3町合併復活の署名運動が起こったものの
不透明な部分があり春日部市が嫌ったという経緯がある。

春日部側からすれば、合併に関して宮代は「流れに掉さす」
「いまひとつ信用できない」というイメージがあるのかもしれない。
方向性が1つに絞られたら相談に応じましょう、と杉戸と宮代の動向を
「高みの見物」しているような按配である。

杉戸では、ある政党がバックで作成されたと思うチラシが配布された。
・「対等合併」から「吸収合併」に変更
・こんな春日部市と合併してもいいんですか?
と、住民の不安を煽っている。

宮代議会は、大きな役目を果たした、という安堵感からか静かだが、
1票差である。
2町合併派や「合併は慎重に」派は静かに牙をといでいるのだろう。
そのうち、宮代町でも、同じような内容のものがばらまかれるだろう。
推進派議員諸氏は、この時期何をすればいいのかな…



それぞれの議会だが、
職員レベルでは合併に向けて研究会が着々と進められていた。

研究会は、宮代町の申し入れを受けて昨年11月に設置。
昨日素案がまとまとまった。
方式は編入合併、新市名は春日部市、新市役所は現春日部市役所、
各自治体役場は総合支所に。
合併期日は来年3月31日
公共料金、税金、住民サービスなど協定26項目の「たたき台」は
近々中に各議会に報告される。

とはいえ、すでに情報は議員諸氏の手に渡り、
春日部の住民サービスは最低などと、騒ぎたてている。
では、2町、あるいは単独なら、住民は幸せになれるか…
これも確固たる裏づけはない。

「そろばんだけでは夢がない」という
上田県知事の言葉があったけど。

1月14日(水曜日)

●隣りの合併
久喜市を中心とする1市3町の合併話は順風満帆のように見えた。
ところが、最後のハードルが見えてきたとき、菖蒲町から反旗があがった。

32名の区長中28名(だったか)から住民投票を求める、という意見が持ち上がり
それを受けた議員が発議し、ぬわんと賛成6反対5で可決してしまった。
寝耳に水とはまさにこのこと。

だが、こんなこと驚くに値しない。

4年前。当町の合併問題では杉戸町、庄和町とともに春日部市と合併できるというヨミだった。
だから住民投票を行っても絶対いける、と合併推進議員たちは思っていた。
ところが、である。
もののみごとにひっくり返り、1市3町の合併は破談したという経緯がある。
「油断」ほど恐ろしいものはない。
今川義元も織田信長もこれで葬られた。

菖蒲町の中山町長は首長の伝家の宝刀「再議」を発動する模様だ。

「再議」とは、
地方自治法第176条に基づく制度で、
首長は議会で可決された条例や予算について異議があるとき、
再び議決を求めることができる、というもの。
ここで否決されれば、菖蒲町の場合、住民投票条例は廃案となり
いままでどおり、1市3町の合併に向けて、再び帆を張れることになる。

だが、議員の構成が従来どおりであれば、町長の思いは通じない。
短時間で、反対派議員を合併派に鞍替えできなければ
「魔」の住民投票で、ことによったら合併はひっくり返る。



わが宮代町も4年前に比べて静かなものだ。
関心が無いのか息を潜めているのか。
土俵際ぎりぎりのところで、以前のように火の手が上がるかもしれない。

わが町には「住民自治条例」があり、町の重要課題は住民投票を行わなくてはならない。
これを盾に、住民投票実施の声が上がりそうなものだが、今のところ静かなものである。

共に手を携えなくてはいけない杉戸町は、昨年に続き住民投票が実施される。
合併に反対する人たちは、先の住民投票を理由に、頑迷に反対をしている。
しかし、あれは杉戸町と春日部市という1市1町の合併だ。
今進展している宮代・杉戸・春日部の1市2町の合併についての住民投票をしましょうよ…が
なかなか通じない。

宮代、杉戸両町には、相変わらず2町合併を望む声も多い。
彼らはインターネットで活発に発言している。
さらに、合併先を明確にしないで「合併は慎重に」とだけ発信している人もいる。
こういう人は、まだ単独で町がたちゆく、とでも思っているのかもしれない。

杉戸町、宮代町ともに合併推進の住民運動を行っている。
しかし、合併に反対する人たちは、
「推進する人たちは事業者が多く、自分たちの仕事を考えて行動している」と邪推している。

私は合併運動を行う一人として言うが、
合併すれば自分の仕事が拡大する、などと思って活動している人は、残念ながらいない。
この先、宮代地域がさらなる発展することを願っているのだよ。
地元事業者は皆無とは言わないが、
構成メンバーの多くは、サラリーマン・リタイヤ組だ。

もし、己の利益向上を目論んで動いていることがわかれば、運動などとっくに空中分解している。

この町と自然が好きで、合併によりその良さが失われると思って反対する人もいる。
旧来のよさを残してさらに活力のある地域にしようと合併推進する人もいる。

どちらも、ここが好きなのだ。
方法論が真逆だけれどね。

●情報源
ジャーナリストにとって情報源の秘匿は提供者への仁義であるしモラルでもある。
それが破られたら、提供者の社会的地位は危うくなる。
口を割ったジャーナリストは以後仕事はなくなって当然だ。



奈良県で実家に放火し父を殺害し、少年院送りになった長男の
精神鑑定を行った精神科医崎浜盛三被告(51)が、調書を漏洩したカドで逮捕され
その公判が奈良地裁で行われた。

その調書をもとに単行本を著したジャーナリスト、草薙厚子女史が
証人出廷し、取材源を被告と初めて認めた。

彼女はこれをもとに2007年「ぼくはパパを殺すことに決めた」を出版。
それ以前に、同業者から告発されるなど、
取材態度の芳しくない不良ジャーナリストだった。



ジャーナリストは精神科医を訪れ調書を目にした。
当然、医師は第三者への閲覧が禁止されていることを知っているはずだ。
なぜこの危険を犯したのか。

また、ジャーナリストは医師が席をはずしたとき、カメラで調書を撮影している。
スパイもどきだ。
鰹節を前にした牝ネコのように喉を鳴らした。
この時点で彼女は、これをネタに本を出そうと思っていた。

医師はなぜジャーナリストの申し入れを断れなかったのか。



彼女を調べてみたらこんなことがわかった。

遺愛女子高等学校、明治学院大学社会学部卒業。法務省東京少年鑑別所法務教官、
新潟総合テレビアナウンサーを経て、通信社ブルームバーグに入社。
テレビ部門でアンカー、ファイナンシャル・ニュース・デスクを務めた。

その後フリーランスのジャーナリストとして独立。少年犯罪問題を取り上げ、
テレビやラジオのコメンテーターとしても活躍。
凶悪で不可解な少年犯罪を精神医学の背景からも指摘している。
「犯罪は複数の要因によって起っている」が、その一つの要因として、
「発達障害」との関係性に着目している。
広汎性発達障害の専門家との交流によるレポートを雑誌、書籍、テレビなどで発表していた。

2007年9月、刑法の秘密漏示容疑の共犯で自宅や所属事務所を強制捜査されて以降、
雑誌の記事掲載が途絶え、草薙のブログも一切更新されていない。



すでに、抹殺されていた。

まだ健在なら、千葉県で発生した女児全裸殺人事件の
コメンテーターとして引っ張りだこだったろう。
犯人は発達障害の青年だったのだから。



本日の法定で

彼女は閲覧を許された資料のコピーをしたことを認め、
「『(外の)棚に置き忘れたらいけない』と被告に言われ、そういう意味と思った」と陳述。

コピー自体を禁じられたとは思わなかったとの認識を改めて示した。

検察官が「むやみに見せるものではないのでは」と聞くと、
彼女は「調書は公文書。重大事件の場合は、国民に知らせるべき資料だと思い、
調書を使った」と反論した。
取材源を明かした理由は「(被告の)正当性を話したいと考えた」と陳述。
単行本が長男の更生の妨げになっていないか問われると、
「自分の罪を認知させないと反省は起こらない」と訴えた。



何とも自分に都合のいい、身勝手な話しである。
自己保身、自己中心とはまさにこのこと。

評論家の後藤和智より、「我が国における「ジャーナリスト」と呼ばれる職種の人の中で
最悪の部類に入る人」と評される。
むべなるかな。

1月13日(火曜日)

●倒れた人
6時といえばまだ暗い。
だが東の空は薄っすら白んできている。
普段はとてもこんな時簡は夢の中だが
目覚し時計代わりに枕の下に仕込んだ携帯電話が鳴ると飛び起きてしまう。

携帯電話を使い始めて、こんな機能があるとはしばらく気がつかなかった。
まして、スヌーズ機能など初めて耳にする言葉。
世の中進んでおります…
定期的に電車に乗ることがなければ一生携帯電話など持つことはなかった。
だが、はたしていいことなのか。
「鈴をつけられた猫」になったわけだもんね。



東武動物公園から都内に入るのは「遠距離通勤」の部類に入る。
始発に乗れば確実に座れるが鈍行なのでこれは敬遠。
最近は「急行」の本数が増え、伊勢崎線、日光線の両方があるので待つことはない。
しかも、7時半頃はまだ空いていて運がよければ座れることもある。
今朝は残念、でした。
越谷あたりから混雑し始めるが、
昔サラリーマンの頃常磐線で通っていたほどではない。
あれはひどかった。ガラスが割れたこともあった。

北千住から日比谷線のホームに移動するときから本格的なラッシュアワーとなる。
階段からホームにかけて人が溢れる。
上りきったところにさらに人だかりがしていた。
駅員が立って交通整理している。
覗き込むと男性がうつぶせに倒れていた。
ピクリともしない。
やがて車椅子が来てそれに乗せられた。
ぼさぼさ頭の20代前半と思われた。
顔色はそんなに悪くない。背中もしっかりしていた。

では、なぜ混雑著しい階段で行き倒れのようにしていたのか。

一瞬ふらっとして階段につまずき打ち所が悪かったのかもしれない。
倒れこんだらたちまち人だかり。
あまりの大騒ぎになり、立ち上がるタイミングを逃がしてしまった。
気まりが悪くなり仕方なく、熊に襲われたときのように
「死んだふり」を決め込んだ、としか考えられないのだよ。

元気そうな男が車椅子というのもかっこ悪いけどね。

お騒がせ男が去った後もホームは、これぞ都会のラッシュアワー状態だった。

1月12日(月曜日)

●落日燃ゆ
…といっても城山三郎の小説ではない。
雑木林の向こうに太陽が沈もうとしていた。
季節風が強い分、空気は澄み切る。
空を染めて、といいたいところだったが、
周囲は青空で太陽だけが燃えていた。

この界隈の太陽はなぜか大きく見える。
こういう光景を見るにつけ地球は太陽系の一員であることを実感する。
その地球が人間たちが引き起こした環境破壊で異変を起こしている。
さらに、人種・宗教、領土問題で対立し殺戮が行われている。

イスラエルvsパレスチナは子どもの喧嘩状態になってきた。
ユダヤ人の偏狭さを感じてならない。
長い間虐げられると、あんな具合になってしまうのだろうか。

そういえば昨夜の月はきれいだった。
調べてみたら満月だった。

●成人の日
「成人の日」は1月15日と決まっていたのだが
定職につかない若者と同じでふらふらしている。
15日は、この日が小正月であり、かつて元服儀式が
この日に行なわれていたことに由来すると言われる。
ところが、ハッピーマンデー制度導入に伴い、
2000年から1月の第二月曜日に変更された。

政府の「思いやり」とやらでこの措置となっのだが
教育の「ゆとり」と共に、余計なお世話だ。
最近の政府は「定額給付金」もそうだが、ろくなことをしない。
実情にうとい「お上(おかみ)」が「下々」に「与えてあげる」という意識がちらついている。

この日は「不動」がいいのであって、「浮動」では気持ちが引き締まらない。



1年に1度。
この日に必ず掲載される広告がある。
サントリーの「祝成人」だ。
飲酒は二十歳から、に引っ掛けたものだが歴史がある。

昔は山口瞳氏の名文と柳原良平氏のイラストだった。
旧サントリーの「壽屋」宣伝部に在籍し
サラリーマンを経験してから小説家になった。
従って、この世界を知る氏の文章は含蓄があった。

氏がこの世を去って、新たな書き手となった。
確か「北の国から」の脚本家・倉本聰氏もその一人。
今は小説家・伊集院静氏。

みなさんそれぞれ入魂の一文を起こしているが
山口氏の世界を継ぐのは相当大変だ。

今朝の広告に目を通した。
活字文字のようなフォントを使って昔の雰囲気を継続している。
絵柄は、このタッチは「黒田征太郎」氏だろう。
昔から「へたうま」のイラストレータだった。
肝心の文章の内容だが、山口氏のときのように胸にストレートに飛び込んでこない。

もっとも、私はとうに「とう」がたった年代だから、こういうものより
冬に屋外で咲くバラのけなげさのほうに、感じ入ってしまうのだが。

やはり、瞳世界を意識し引きずっている。
小説家・伊集院氏にしてこれである。

サントリー宣伝部は
「伊集院さん、もっとあなたらしい世界を展開してくださいよ」とはいいにくいのだろう。
であれば、完投させるのではなく、さまざまなジャンルからの書き手が
リレー形式で行えばいいのに、と思う。

1月10日(日曜日)

●R&B
デジタル携帯プレーヤーに入れるべく新しいシンガーを探していた。
FMで聞いた女性ボーカルが、ドスが利いていてなかなかよかった。
名前をJazmin Sullivan(ジャズミン サリバーン)という。

ジャンルはSoul、R&B。
久しく聴いていなかったブラックミュージック。
YouTubeで探すと結構引っかかってくる。
かなりの実力派らしく、52回(だったか)グラミー賞にノミネートされている。
Bust Your Windowsという曲がごきげんだ。

彼女を検索中に、同じジャンルのAlicia Keys(アリシア キーズ)を見つけた。
これも女性ボーカルだったが、かなり美形でファッションがいい。もちろん歌もいい。
父親がジャマイカで母親が白人で、両方のいいとこが出てきた、というわけ。
声は細く透き通るようで、Jazminとは好対照。

Aliciaが渋谷、青山ならZazmineは浅草、本所、深川という風情。
Aliciaのビデオクリップは凝っていて楽しい。


ついでに、「懐メロ」もかなりの数を。
裕次郎、水原弘、箱崎信一郎、斉条史朗、松尾和子、ちあきなおみ…
だが、酒が恋しくなるので、これは通勤電車では聴けないね。

ダウンロード後、携帯プレーヤーに転送するファイル形式に変換したりで、
1日のほとんどを過ごしてしまった。

1月10日(土曜日)

●季節風
快晴だが朝から強烈な北西風が吹きまくる。
赤城下ろしか。
これがあって関東北部の冬を実感できる。
実際は家の中でちぢこまっているのだが。

40本作ったダイコンも最後の1列となった。
土中から白い脚がずんとせり出し、なかなかの光景。
この寒気を浴びて野菜は凍死を防ぐため自ら糖分を出すそうだ。
おかげで口に入るときは甘みが増す。

ダイコンはあまり好きな野菜ではないが、わが家で収穫したものは別。
先日おでんにしたが、どろけるような柔らかさ、くせがなくほんのり甘い。
いままで食べたことがないようなお・い・し・さ。
下ろしにすれば汁まで飲んでしまう。

左は成熟したもの。右は別の場所で作っている若者。葉の勢いが違う。


ビニールトンネルで発育中のダイコン。収穫は2月頃か。

スーパーで買ってきたものとは明らかに味が違う。
これは一体何なんだ。

1月9日(金曜日)

●専門誌
新聞の1面下は書籍広告の定位置で3段8割と呼ばれている。
「ブレーン」という広告専門誌が目に留まった。
懐かしい名前だ。

小生が大学1年の頃創刊され、当時広告研究会に所属していたので
早速購入して広告先進国アメリカの広告事情などに目を凝らしたものだった。
コピーライターの先駆者西尾忠久氏が
フォルクスワーゲンの広告を扱っていた代理店DDBOと広告哲学の紹介を精力的に行っていた。

もうひとつの専門誌は「宣伝会議」だった。
こちらは久保田宣伝研究所が発行していて、ブレーンより先輩誌。
国内の広告事情を紹介しており、2誌の棲み分けができていた。
久保田宣伝研究所は「久保宣」と呼ばれコピーライター養成所を開講していた。
当時注目を集め始めていた職業に就こうとする人たちの多くが、退社後、
銀座2丁目の場外馬券場の前にあった中小企業会館の教室に通っていた。
わたしも、大学2年のときここに通っていた。
受講料は結構高かったが、
大学のクラブからの派遣で、受付や教材配布という仕事を行う代わりにロハで受講できた。

眠い講義のときは教室を抜け出し夜の銀座をぶらついていた。
銀座が好きになったのは、この時期からだった。



当時、プレーンの発行は誠文堂新光社だったが、
今は宣伝会議に移管されたようだ。
宣伝会議は昔の久保田宣伝研究所。
雑誌の名前を社名にしている。
故久保田孝氏は昭和30〜40年代、広告界のご意見番。
時の流れとともに名前も風化した。
個人の名前を冠しているより、雑誌名のほうが通りがいいからね。

久保宣社員のA氏はD広に移籍、O氏は広島に帰ったが
元気でおられるのかな。

1月8日(木曜日)

●バッグ
昔は手ぶらで街歩きをしていた男性を見かけたものだが、
最近は大人も子どももバッグを持ち歩いている。
サラリーマンはアタッシェケースがブリーフケースに代わり
若者はショルダーバッグかリュックサックが多い。
ブリーフケースは黒だが、ショルダーやリュックはデザイン、色も多彩だ。

持ち運び方にも流行があるようで、
ショルダーの場合、最近の傾向は「斜め掛け」。
私が中学生の頃の学生カバンと同じようなスタイル。
単に肩に掛けるよりこのほうがズリ落ちない。

斜め掛けもさらに進化しているようで、
おしゃれな若者は、小ぶりなポーチ状のものを
紐を短くして背負うようにしている。

このスタイルの起こりは、ニューヨークで生まれたメッセンジャーバッグにあるようだ。
派手なチャリファッションでマウンテンバイクに乗り
車の間隙をすりぬけ路地も自由自在に走りぬけビジネス書類を届ける。
彼らが愛用するバッグがTIMBUK2(ティンバック2)。

最近小生も流行のショルダーを使っている。
1つはやや大きめのTIMBUK2で通勤用。
もう1つは小ぶりのManhattanPortageで街歩き用。

両方ともデザインは矩形でなく、ゆるやかな台形をしている。
口が広く底が少しすぼまっているので荷物の出し入れが容易である。
メッセンジャーが愛用するTIMBUK2は
中がゴムびきで雨に降られても中は濡れないという実用バッグ。

どれもシカゴに住む娘が送ってくれたり一時帰国の際のおみやげだ。
おかげで若やいだ気分で外出できる。

1月7日(水曜日)

●ワルキューレ作戦
3月20日にヒトラー暗殺事件の内幕を描いた「ワルキューレ」が封切られる。
トム・クルーズが主役のシュタイフェンベルグ大佐を演じる。
ナチス物大好き人間としては、絶対見逃せない。今から楽しみ。

菖蒲町、幸手、春日部、越谷レイクタウン、この界隈はシネコンの激戦地。
有楽町、日比谷に出かけなくて済むのだからいい時代になった。



時は、敗戦がじわじわと忍び寄ってきた1944年7月20日。
総統大本営「ヴォルフツシャンツェ(狼の巣)」で作戦会議が開かれることになった。
貴族出身で国内予備軍参謀長・シュタイフェンベルグ大佐は
書類カバンに爆薬をしのばせ会議に出席する。
机の下にカバンを置いて退席する。

※本物のシュ大佐(左)とトム・クルーズ

爆発の時間は刻々と近づく。
轟音を背中で聞いて、その状況からヒトラーの爆死を確信し飛行機でベルリンへ飛ぶ。
しかし、待っていたのはヒトラー生存の知らせ。
これを伏せてクーデターを実行しようとしたが、あえなく失敗してしまう。

シュタイフェンベルグ大佐は逮捕され、翌日銃殺。
暗殺作戦に加担した多くの将軍、将校、民間人など6〜700人が逮捕された。
この機に乗じて反ナチ分子狩りも行われ、これを含めると数千人ともいわれている。
人民裁判で短期間で裁かれ、首謀者級は銃殺、ピアノ線による絞首刑に処せられた。

「砂漠の狐」で有名なロンメル将軍も関与を疑われ自殺を強要された。
国民的英雄を銃殺するわけにもゆかないので、この措置となり国葬となった。



このヒトラー暗殺計画有名で過去、小説、映画になっている。

3月ロードショーの「ワルキューレ」では、アフリカ戦線で英軍機の機銃掃射で重傷を負い
碧眼となったシュタイフェンベルグ大佐のシーンもあるようだ。
アメリカ映画だから、スペクタクルシーンも見ものだろう。

※男優の多くはドイツ軍服を一度は着てみたいと思っているそうだ。

年に1〜2本戦争映画の大作がやってくる。
が、ヨーロッパ戦線物は、戦車戦が多いため、結構金がかかるということだ。

1月6日(火曜日)

●バナナプラグ
昔ながらのスタイルでスピーカーとケーブルを接続していたが、
スピーカー側がバナナプラグ対応だった。
芯線を単純に巻きつけるより、こちらのほがアンプからの情報を
余すことなくスピーカーに伝えることができそうだ。

というわけで、急遽バナナプラグを購入。
プラグの形態がバナナに似ているのかと思ったが、そうではなかった。

早速ケーブルの先端を差し込んでバナナプラク仕様に。
スピーカーに押し込んで、鳴らしてみたが、
内容が濃くなったかどうか、定かではなかった。

1月5日(月曜日)

●人種+宗教
昨年末からイスラエルがパレスチナ・ガザ地区への攻撃を間断なく行っている。
イスラエルは戦車、攻撃ヘリで組織的かつ効果的に「敵」をたたいている。
パレスチナ側はロケット弾で応戦している。このカッサムロケット弾は手製だ。
飛行距離は伸びているらしいが、イスラエル軍に比べれば貧弱。

その昔、太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった頃、
米軍の上陸に竹槍で応戦しようと本気で準備していたが、
それほどではないとしても、パレスチナの抵抗は蟷螂の斧という感じ。
この劣勢を打開するために、
女子どもが爆薬を抱いてイスラエルの繁華街に出没して爆死するという
「人間爆弾」を敢行するだろう、との観測だ。

パレスチナの死者の数は日に日に増大している。
そのほとんどが民間人。

イスラエルは攻撃を繰り返しても相変わらずのロケット弾報復を受けることに業を煮やし、
ついに戦車部隊・歩兵が国境を越えた。

EU諸国、エジプトが中に入って停戦を試みているが効を奏していない。
はたから見れば虚しい応酬戦だが、両国にとって生存権を賭けている。

2つの国の対立は第一次世界大戦に始まるというから根が深い。
それまで国家を持てず世界に散っていたユダヤ人だったが、
戦費調達が必要になったイギリスがユダヤ財閥のロスチャイルドに借金を申し込んだ。
そのときの「餌」にユダヤ人国家創出を持ち出した。
その場所が、先住のパレスチナ人を片隅に追いやり現在の場所に割り込む形になった。
以後、イギリスの植民地統治時代は終わり、
米露が介入、さらに中東、エジプトが加わり、各国の思惑が入り乱れぐちゃぐちゃ状態。
そして第二次世界大戦が終わり、その後は数次にわたる中東戦争が行われている。
現代史中、整理・記憶するのが困難な地域でもある。

イスラエルは国家としての体裁を整えていったが
パレスチナは、ヨルダン川西岸とガザに分断されたまま。
カリスマ・アラファトの死後、穏健派「ファタファ」とイスラム原理主義の「ハマス」が対立している。
ロケット弾攻撃を仕掛けるのは「ハマス」。

ユダヤ人とアラブ人、ユダヤ教とイスラム教。
キリストとムハマドという宗教の2人の巨人の末裔たちの対立は
2000年を超えてまだまだ続く。

ユダヤ人は第二次世界大戦でナチスドイツによりホロコーストの憂き目に遭っている。
悲惨な経験をしたにも関わらず、パレスチナ人に対して冷酷だ。
お互いに「不幸」だと感じるのはいつのことか。

1月4日(日曜日

●風邪
突然鼻の穴にスースーとハッカのような冷たい空気が流れ込んだ。
たてつづけにくしゃみを4回。
これはやばい。
風邪の前兆。

時間を見ると明け方5時。
外は真っ暗だ。
そのまま再び寝てしまった。

定刻に床を這い出すと
鼻水がす〜〜っと流れ出した。
ティッシュを使うがきりがない。

トイレロールを持ち出し
ちぎっては鼻を押さえ、またちぎっては鼻を押さえる。

パソコンに向かっていると
気がつかないうちにつ〜〜〜っと落ちるので
最後は鼻血のときにようにティッシュを丸めて鼻の穴に押し込んだ。

幸い咳、発熱はない。
コップ酒を一気に飲み干し、
早々とふとんにもぐりこんだ。

1月3日(土曜日)

●出会い
運命的な出会いつ〜もんが、あるもんだ、と。
娘の買い物につきあって春日部の家電量販店に出かけた。
興味のある対象が異なるので小生は1人でPC、AV製品を見て廻っていた。

国産デスクトップPCはiMacを見習って、
本体とディスプレイ一体型、それも筐体は白、という機種が増えている。
ところが、iMacは筐体もキーボードもプラスチックからアルミに進化した。
実にクールだ。
やっぱり、Appleのマーチャンダイジングは国産各社の先を行きますね。

すでに銀座でご対面〜〜〜しているので瞥見したのみ。
国産ではSony Vaioのデザインが好ましい。

足はいつしかオーディオコーナーへ。
昔、オーディオの広告を作っていたので、少しはうるさい。
しかし、まともなシステムを置ける空間がないので
とりあえず音が出ればいいと思いながら10年以上経過している。

音源がレコード盤からCD、携帯プレーヤーになって、
再生システムは昔ほど凝ったものではなくなった。
アンプ、チューナー、プレーヤー、スピーカーを単体で揃えていた頃とは大違い。
5〜6万で小型システムコンポーネントが揃ってしまう。

息を止め針を落とす瞬間の愉悦など、
おっさんたちの懐古趣味かと思っていたら
雑誌情報では、最近真空管アンプやレコードプレーヤーが密かな人気だそうだ。

今から思えば、当地に越してくるとき
LPの愛聴盤まで捨ててきてしまったのは悔やまれる。



昨年、物置から引っ張り出したJBLのミニスピーカーだったが、
ウファーの応急処置をしたものの低音がまるでだめ。
腐っても鯛のブランドだが、音が悪くては救いようがない。
やっぱ、暇を出すか…と
通販サイトで次なるスピーカーを物色していた。
Kenwoodのパワーアンプは健在なので、
昔ながらのオーディオスピーカーを探していた。
Kenwodで手頃なものがあった。
価格もリーズナブル。

最近は、携帯プレーヤーを接続して再生するパワーアンプ内蔵スピーカーが増えている。
この際、古いアンプも暇に出し
最小限の「音出し」にしてもいいのかな、と。
で、OnkyoのSPが人気であることが判明。
仕事が始まったら、Amazonに注文しよう、と思っていた。



Onkyo、DENON(昔デンオン、今デノンと社名が変わっている)、Kenwoodなどの
ミニコンポが並んでいる棚の一番下に
段ボールに入ったままのスピーカーが目に入った。
ん?
小型SPシステム、しかもわが家のアンプと同じKenwood製ではないの。
2Wayだがツィータ+ウファー×2だ。
アウトレット商品で価格が目を疑うほどのめちゃ安。
目立たない場所に置かれたSPが
「どうか、私を買って」という風情で迫ってきた。

Amazonで購入する半分の値段だ。
買い物をする気はなくて立ち寄っただけだったが
アンプ内蔵SPはやめて急遽購入することにした。

スピーカーはフランス語では男性・女性のどちらになるのか知らんが
「私を買って」と訴えている。
女性であってほしいね、
アウトレットだから多少「キズ物」だよね。
スピーカーユニットなら陳列しない。
筐体に多少キズか、型落ちなのだろう。
しかし、音を出すには関係ない。



縁あって我が家にやってきた。
接続は「バナナプラグ」という。
知りませんね、こういう新しいのは。
だが、昔ながらの方法でもOK。

年老いたパワーアンプが、キャピキャピのスピーカーと「結ばれて」
喜んでいるのは、想像にかたくない。

エージングのために終日電源を入れている。
小さくても低音は立派なものだ。

昔、70過ぎの歌舞伎役者が30歳くらい若い女性と再婚して話題になったが、
わが家のアンプとスピーカーの年齢差は25歳だろうか。
老骨にムチ打ち、毎日スピーカーに「いい声」を出させておりますよ。

1月2日(金曜日)

●不景気?
恒例になった正月の都内スポット巡り。
本年は湯島天神、神田明神から銀座に出ることにした、のだが…
湯島の初詣客の列が延々と続き本殿に到着するのはいつのになるかわからない。
神田明神も同様だろう。
急遽変更。末広町から銀座に直行。

いつものように松屋の前に出たらここも人の波。
家人と一時帰国している娘のお供というスタンスだから
迷わず松屋の3階に吸い込まれた。
新春大バーゲンの真っ最中ということもあり、
女性客でごったがえしている。
それをぼんやりと眺めている小生のような中年以上の男性軍がちらほら。

しばらく客層を観察。
多い順に
@同性の友人A女性1人B母娘C若いカップルD中年以上の夫婦。

福袋目当ての客も結構多い。
コーナー毎にお買い得袋が用意され
「5万円相当の品が入って1万円、限定xx個で〜〜す」などと
担当の男性が叫んでいる。
声に反応しておば様たちが集まってくる。

少し離れた日比谷公園では
解雇された派遣社員たちへの炊き出しが行われているというのに
彼らは寒いテントで寝起きしているというのに…
フロアの熱気は、不景気などごこの国の話?という気になってしまう。

次いでプランタン銀座に場所を変えたが、ここも松屋と同じ状況。
だが、ここは松屋より若いターゲット狙いの品揃えなので群がる客も若い。

販売スタッフもプランタンのほうが若く、服装もフリー。
友達のようなセールススタイルで親近感を出そうとしているのだろうか。
おぢさんの目には少々上品さに欠けるように見えましたが…

松屋のセールススタッフは大人っぽい雰囲気で容姿はおおむね平均かそれ以上。
プランタンは可愛い子は約1名、山出しのような娘は数名、ばらつきがあった…

付き添いゆえ、待たされながら観察しておりました。



わが家の母娘は、他にも見たい店があるらしく
待たせるのは申し訳ない、と私だけ近くのスタバに行くことに。

途中、Macストアへ。
毎年2日は、この日だけのバーゲンを行う。
それを狙った人々で80%の入り。
いつかは手に入れなくてはならないiMacとご対面。
24インチが¥233,600
20インチは¥133,800
さすが24インチは迫力がある。
先客がマウスを握っていたので、斜めから見ただけで後にする。

このビッグスクリーンのiMacにWindowsエミュレータをかまして、
2つのOSを並行して使うことが、たぶん私の最終PC環境になるだろう。
そのときは、iMacを置くのにふさわしい空間を作っておかなくてはならない。



スタバは混雑して席がない。
仕方なくコーヒーだけ買って
向かいの王子製紙本社前の植え込みのふちに座って待つことにする。
同じような人が何人もいた。

ここでは前を通り過ぎる車を観察することにした。
近所ではなかなかお目にかかれない高級外車も何台か。
フェラーリも通りましたね
きわめつけは真っ赤なランボルギニー・カウンタック。
オープンカーには老年夫婦、後部座席には孫とおぼしき少女2人。
品川ナンバーでしたが、どんな階層の人なんでしょうね。

30分以上座っていたのだけれど、
同じ車が2回通った。
とにかく目立つ。
屋根に門松を置き、その後ろに風車を3つつけている。
新年のデコレーションなのだろうが、悲しすぎる。

運転しているのは祭りのようないでたちのあんちゃんひとり。
あれじゃ、隣りに女の子は乗りたくないよな〜〜。
足立ナンバー。
やっぱりね。


謹賀新年 合併成就
1月1日(木曜日)
●去年今年

こぞことし つらぬく ぼうの ごとき もの 高浜虚子

新年を迎える期待感というものが年々薄らいでゆくようだ。
高浜虚子の句が実感できるころあいになったのだろう。

以前ならNHKの「行く年来る年」が始まると
車ではなく自転車で凍てついた深夜の道を姫宮神社に向かったものだが、も〜やめた。
お節料理も簡素になった。

一応、新年の挨拶はするが
昨日から1日経過したに過ぎないのだ。

そして、この一年も昨年同様加速度的に過ぎてゆく。


正月料理はフランス風に姿を変えた。
家人のちょっとしたアイデアなのだが新鮮だった。
酒類も口にしない新しい年がはじまった。

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