December
●リンクしてません
1日新市名
2日ウイルスメール
3日天婦羅蕎麦
4日超大盛
5日見慣れた風景
6日新市名候補
7日友あり
8日62前の今日は
9日異次元ゾーン

10日広告つまらない
   助平教師
11日美麗農道
12日デジカメ4代
13日健康維持と交流
14日六花体験
15日冬の情景
   フセイン拘束
   六花体験2
16日季節風吹き荒れる
   広告、面白い
   サダムの裁き方
17日無差別テロ
   おしん
18日LAST SAMURAI
19日一攫千金狙い
20日夕日を浴びて
   手帳
   撮影練習
21日探していた言葉
22日柚子湯
   Xmas
   Newビートル
23日大掃除前哨戦
   情報公開
   愛着
24日 eve
   ミレナリオ
25日散歩
26日横浜西口
   模倣犯
27日初雪
   牡蠣、安い
28日困ったお方
   御成街道
   歪んだ国、北鮮
29日犬も歩けば
30日寒空フリマ
   親は大掃除
   ゴミはどこに出す
   移民のお手伝い
31日勤勉
   燃える
   大晦日番組
   SMAP



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2003年10月
2003年09月
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■12月31日 勤勉
2003年もいよいよ本日で打ち止め。
遅々としてはかどらない大掃除も3日目だ。
やっと仕事場の掃除にかかる。
古い雑誌など処分してもよさそうなものだが、いつか資料になるのではと抱え込んでいる。
コンピューター関係の本は年々増え続ける。
ソフトウェアのパッケージは天井に届くまで積み上げてある。
紙が多く雑然としている。
半日かけて処分した。右のものを左に移動したわけではないが
あまり変わりばえしない。でも、私には大英断だった。
開け放った窓から畑を見ると、トラクターが動いていた。
新しい村・育苗施設のスタッフが畑を耕している。
多くの人が新年を迎える準備をしているのに、出勤なのだろうか?
年が明けたら苗を植えつけるのだろうか?
プロが野菜を作るということは大変なのね。


燃える
Macの懐かしいソフトウェアパッケージが、めらめらと灰になってゆく。
今、MacはOS-Xの時代だが9時代のパッケージのほとんどを焼却した。
「クラリス・インパクト」は「クラリス・ワークス」がホーム色彩が強いのに対し
ビジネス向け統合アプリケーションだった。
このソフトがデビューした頃は非常に斬新で
ワープロ、表計算、ドローがシームレスに利用できた。
Macのアドバンテージだったが、今ではWin環境でも当たり前のことになっている。
クラリス社がアップル社に吸収されて、このソフトは使命を終えた。
「クラリス・ワークス」は「アップル・ワークス」と名を変えバンドルソフトになった。
(昔は58000円もしたのに)
アップルの先進思想がまぶしかった時代は、Winの進化で終わった。


大晦日番組

恒例の年末番組「紅白歌合戦」の裏番組が、今年も賑やかである。
日テレはアントニオ猪木の「ボンバイエ」、TBSはボブ・サップvs曙のK1。
フジも格闘技。4・6・8を頻繁に切り替えて見る羽目になった。
紅白に登場する歌手の若返りで年配者は、お目当て歌手の時以外は
私と同様のことをしているのではないかな。
広告のコピーも「男と女の戦いより、男と男の闘いを」とあおっております。



SMAP
紅白の男性陣のトリがSMAPの「世界にひとつの花」ということだ。
時代は変わったな〜〜。
トリにふさわしい大物歌手は死んじゃうし、生きていてもヒットがないからかな?
「No.1よりOnly 1」という歌だが、あれが210万枚というダブル・ミリオンヒットだそうだ。
「花はどれもきれいで、どれが1番とはいえない」とかなんとかいう歌詞でしょ。
なんとなく口当たりのいいことばだよね。
人にはそれぞれ個性があるのだから、それはそれで美しい。
他と比べて、どうのこうの言うのじゃないよ、てか。
これは「競争より均質」という教育思想を反映してるのではないか。
人生こんな甘っちょろいもんではないよ。
例えばスポーツでは、こういう歌は支持されないだろうね。
みんなNo.1を目指しているのだから。
若いうちから、「No.1よりOnly 1」みたいな、逃げ口上を身につけてはいけないね。
じっくり聴いてみると、眠くなるような歌ですね。
歌詞はもぞもぞ、切れの悪い平ったいリズムで、楽器が歌にかぶり過ぎ。
なんでこういう歌が売れるのかわからん。
ところで、「音楽とスポーツを融合する」という英語の頭文字が「SMAP」つ〜のね。
知りませんでした。

■12月30日 
寒空フリマ
「新しい村・結」が大繁盛である。
10時近く、地元産の野菜を購入する人たちの車で駐車場は満車状態。
3セク施設としては大成功なのではなかろうか。
人が集まれば「市」が立つではないが、
風をさえぎるものもない芝生広場の隅で、フリマが数店店開きをしていた。
「世田谷のボロ市」は、確か1月だったかな?寒い時期に開催されるが、
何十年も前にカメラをぶらさげて出かけたことがあった。
歴史があるから人も店も集まる。
いつの日か、新しい村名物「大型フリマ」に成長してくれればいいのにね。


親は大掃除、子は
学校は冬休みである。
家でごろごろされているより、どこかに遊びに行ってくれているほうが仕事がはかどる。
というわけでもあるまいが、東武動物公園は暮れも押し詰まっているというのに
連日賑わっているようだ。
貴婦人「レジーナ」は、間断なく大勢の若者を乗せて美しい曲線をくねらせている。
デビュー当時のヒートアップはなくなった。
木製のボディは風雪にさらされ色が褪せてきた。
容色が衰えたといえども「貴婦人」なのだ。
何億円(十何億だったかな?)も投資しているのだ。
まだまだ働いてもらわないと採算がとれんわな。
かく言う私は乗っていない。

レジーナの乗り場。並んでいる少女たちの姿が見えます。

ゴミはどこに出す
この町はゴミの分別が厳しく指定されている。
今日が今年最後の日で「燃えるゴミ」の日だった。
ゴミの集積所は、各地区の班毎に1箇所設置されている。
鉄製の立派なものもあれば、袋をそのまま出しているおそまつな所もある。
私の班の集積所は自宅からかなり離れた場所にあった。
そのため近くの隣の班の集積所を利用させてもらっていた。
あるとき、カラスの被害が大きいので鉄製の立派なものを作ることになった。
ついては建設費を班員が頭割りで出すことになった。
いつの頃からか、「隣の班の人が利用しているのはおかしい」と発言する男が現れた。
他の人たちは、難癖をつけていると思っていても口には出さなかった。
摩擦を避けるために、結果的にわが家は離脱することになった。
拠出した建設費は当然戻って来ない。
衛生協同組合に電話したところ、特定の場所を申請すれば
そこが集積所になるということだった。
で、わが家のまん前の2本の栗の木の間が新しい集積所になった。
これを利用しているのは我が家と、並んでいる2軒の計3軒だけである。
いろいろ、ごたごたしたが、お陰さまでゴミ出しは非常に便利になった。
難癖をつけて、追い出した男とその家族とは、近くに住んでいるのだが
顔を合わせても、一言も口をきかない。鎖国状態である。
お互いに新規参入者なのだから、もっとまろやかに、と思うのだが。
いやな奴と無理して付き合うことはないやね。



移民のお手伝い
私の仕事はパソコンの個人指導。先生である。
PCを所有する人の数だけ目的がある、とよく言われるが、
集合教育をやっている教室では、こういう多彩な「ニーズには応えられない。
昨日生徒さんから電話が入った。明日もやっているのか?と
大掃除の予定だったので、18時からトレーニングを行うことになった。
その方はUSAへ移民希望であった。
米合衆国政府のサイトから申請ができるというのである。
締め切りが30日、つまり今日だから事は切迫していた。
証明顔写真をデジカメで撮影、米州政府が指定した大きさにリサイズ。
まずその写真を認証のために送るのだが
サイトが混雑しているのか、ADSLといえどもつながらない。
(なにしろ全世界から移民希望者が、駆け込みアクセスしているのだ)
数回目にやっと写真認証が受けられた。
次に書式に記入するのだが、あまり使わない単語が多く
辞書を片手に、お互いに、あーじゃね〜、こ〜じゃね〜と言いながら、書類作成。
これまた、つながらない。持ち時間は90分。
タイムオーバーすると、写真認証からやりなおしだ。
でも、なんとか制限時間内に送ることができた。
これで移民OKかというとそうではない。申請者の中から抽選で選ばれるという。
でも、申請できたということで、喜んで横須賀へ帰っていった。
こういうことに対応する教室は、どこを探してもないのではないかな?
パソコンで困ったことが起きたらイエローハウスをよろしく!!

■12月29日 
犬も歩けば
毎日散歩していると何か発見がある。


「新しい村」に沿って「農の道」がある。一昨日の雪はほとんど消えてしまったが、
この散歩道には雑木林の陰になっていて、雪がなかなか溶けない。
今朝のように霜柱が立つようなときは、ここがアイスバーンになってしまう。
自転車で転倒する人が結構おりますので、要注意。
西洋タンポポの綿毛が連日の強風にも負けず、まんまるの綿菓子のようだ。
いずれ、どこかに飛んでいって新しい繁殖地がうまれるのだろうね。
日本古来の蒲公英は、西洋に駆逐されているようだが。


「新しい村」の開村によって新しい道もできた。その一部に「魔のカーブ」がある。
また、石が根本から折れていた。自動車が激突したのだろう。
車道が狭いのに、一体なんのためにこんな頑丈な石の障害物を作ったんだろうね?
歩道との境界なのだろうが、邪魔なだけだよな。
鎖も盗難にあっているし、事故も多い。
幸い死者や重傷者は出ていないようだが、人が死ななきゃ撤去しないのだろうか?
お上のやることはよ〜わからん。

いつの間にかこんな看板が出現していた。
休耕田の有効活用なのだろうが、「ルーキー農業塾」とは何ぞや?
この町は「農のあるまちづくり」を推進している。
その一環として、野菜作りに興味のある人たちを対象に「農業大学」を開催している。
2年で終了するそうだが、ここでお百姓さんから野菜づくりに関する全てのことを学ぶ。
ここのOBで、農業をビジネスにしようとする人たちが「ルーキー農業塾」に入塾するそうなのだ。
そのための実習農場なんですね。
この近くにも同じような農場がある。今年の野菜作りを散歩のたびに拝見させていただいていた。
プロのお百姓を目指すだけあって、じつに丁寧な仕事ぶりだった。
トマトも、キュウリも立派なできでした。
単純な感想。あれだけの時間と労力をかけて本番ではペイするのかな?


■12月28日 
困ったお方
昨日の雪のおかげで、今朝の室内は冷蔵庫状態。
エアコン、ファンヒーター、石油ストーブでリビングを暖房したが
5℃あげるのに時間がかかった。
家を建てるとき「寒冷地仕様」にしてよと地元の大工さんに言ったら
「そんな必要ないよ」と軽く一蹴されてしまったが、
あのとき、強行に押し通せばよかった。
今から思えば施主の意見になかなか耳を傾けない人だった。
ああいうのを職人気質というのかな????
ただの依怙地だったりして…。困ったもんだ。
御成街道
わが家の近くに幸手市と岩槻市を結ぶ御成街道がある。
その昔、将軍家が日光に参内するときに通ったのだろうか。
街道筋には当時のものと思われる杉並木が何箇所かある。
この道は蕎麦屋が多いことで、知っている人は知っている。
一番立派なのは「仁屋」。
別棟では蕎麦懐石がふるまわれるが、こちらには行ったことがない。
仁屋にはあまり行ってはいない。食べた蕎麦の記憶も薄い。
私のおすすめは、白岡のそば宿「砂場」ね。
ばかでかい駐車場があるが、店はそんなに大きくはない。
内部の造りは凝っていて、座敷の天井にも金がかかっております。

ここでは「天婦羅蕎麦」、「たぬき蕎麦」、「大盛」のいずれかしか食べない。
蕎麦は色白。手打ちであるが麺は細い。
温かい、冷たい両方とも麺にはコシがある。
この歯ざわりはなかなかだ。
汁も昔ながらの鰹だし、甘味もほどほど。
蕎麦湯で飲む味もまことに結構でございます。

歪んだ国、北鮮

国の外交ルート以外で、議員やNGOの人々が北鮮とコンタクトをとっている。
外務省は水面下で動いているのかもしれないが、
国民に当然知らされることはない。
だから、見える動きをする人々にマスコミは飛びついてしまう。
このところ、足踏み状態の拉致問題だが、
イラク派兵ばかりに目が行ってしまい、あの悲劇への関心がトーンダウンするのは恐い。
その昔、日本国民を誘拐しておきながら
一旦北鮮に返せとは、常識的に考えて言語道断、理不尽な物言いである。
日本国政府を非難しながら、新潟港からキムさんや党幹部用の
高級物資をちゃっかり・せっせと運んでいる。
こういう、非常識な行動をとる国に対し、日本は毅然とした態度をとらないから
なめられるんだよね。
ブが悪くなると、第2次世界大戦時の話を持ち出し
賠償せよと息巻く。あれは法的にもう終わっている問題でしょ。
キムさんの国は核兵器を所有しているし、
無茶苦茶な論理でゴリ押しをしてくるから、無闇に刺激するとこわい、という
日本側の考えも完全に読まれている。
阿部さんも偉くなってしまって、拉致にばかり関わってはいられなくなった。
こういう選挙用の人事発令する純ちゃんも純ちゃんだよな。
食糧危機に対しては、米国も北鮮を援助するという。
(太っ腹である。国交のないイランに対しても人道支援するようだが…
今回の支援は、奇しくも「ならず者国家」ばかりなんですね)
国土を疲弊させた張本人ははキムさんだ。
厳しい気候条件でも、国土を富ませている国家はいくらでもありますよ。
親父の地位と権力を引き継いで、親父のときより悪くしているのだから。
キム王朝を存続させるために、外国がせっせと援助しているのも不思議な現象だ。


■12月27日 
初雪
昨晩から降り始めた雨が早朝に雪に変わったのだろう。
雨戸を開けると、3cmほどの積雪。いかにも冬らしい景色になっていた。
東京では初雪と報じていたが、この界隈は幾日か前に風花が舞った。
あれは初雪とカウントしないのだろうか?
雪を見て犬は喜びはしゃいで庭を駆け回るということはない。
朝、私の姿が見えるといつものように「早く散歩に行こうよ」と吠えるばかりである。


冬の菜園、小松菜畑に積もった雪。
霜が降りると葉は柔らかくなるというが、雪の場合はどうなのだろうか?
小松菜も夏のサラダ菜同様、葉だけ摘んで根を残しておくとまた葉が再生する。
ときたま肥料をやれば何度でも摘むことができるのかな?
市販のものより葉は小さいが、柔らかくてなかなか風味がある。


牡蠣、安い

岩牡蠣は夏も食べられるが
ERの付く月にしか口にできない、この時期の牡蠣には目がない。
外で殻付牡蠣を頼めば、もみじおろしやアサツキが
ちょいとデコレーションされて1個300円前後。
しかし、こういう食べ方は外道である。
レモンか柚子の汁をさっとかけて、軽く歯を立てながらするっと飲み込む…
磯の香、軽い塩味、柑橘類の上品な酸味が渾然一体になって口中に広がる。
たまりませんな。
その昔、宮城県塩竈で1回に1ダース食べたことがあったが
まだいけそうな気がしましたね。
そんなことを、こちらでやったら高くついてしょうがない。

殻付牡蠣1個70円!!
見つけました。安いお店を。
春日部・「TOPS」の鮮魚コーナーね。
ここは新潟県寺泊の鮮魚が非常に買いやすい価格で入手できる。
殻付牡蠣が1パイ(5個入)350円!!2ハイ買って700円。堪能しました。
殻を開けるのも最近は慣れたもんで。
それに家の庭の柚子を使うんだから、贅沢気分ね。


■12月26日 
横浜西口
所用があり朝から出かける。
埼玉から横浜に出るには「新宿・湘南スカイライナー」が開通してから非常に便利になった。
宇都宮線は新白岡発10時52分。それで行けば乗り換えなし、約1時間半で到着だ。
しかし、今朝は違っていた。浦和の信号機の故障で大幅遅れ。
仕方なく大宮から埼京線で渋谷。渋谷から東横線で横浜へ出る。
東横線に乗るのも久しぶり。
日吉から元住吉に向かう右側に、都市化を免れた田舎の風景があったのだが
今日見たら、その場所に住宅がびっしり建っていた。
西口の「横浜ベイシェラトンホテル」に向かったのだが
「そんなホテルあったっけ?」
聞いてみると、相鉄ビルの跡地にできた建物だった。。
すでに5年前だという。もう完全に昔の人ね。
ちょっとしたお祝いの会が終わり散会。


最上階、28階のスカイラウンジ「ベイビュー」に行ってみる。
金曜日の午後3時過ぎというのに、お客はいっぱい。
ご多分に漏れず、ご婦人方が多い。
MM21が右手に、東神奈川の高層マンション群が左に
正面にベイブリッジが遠望できる。ノースピアもはっきりくっきり見える。
バーボンのオンザロックスなどを飲りながら、しばし時を過ごす。
横浜は雰囲気あるよな〜


大宮あたりの高層階から見えるのはどこまでも続く家の屋根だもんね。

西口の風景はそんなに変わっていなかった。
以前はこのアングルから写真は撮れなかったが
高島屋の前からベイシェラトンへ入る歩道橋ができたのでバスの発着がよくわかる。
西口自体は繁華街ではなくバスターミナル。
ダイヤモンド地下街とジョイナス、北幸側が賑やかだ。
しかし、これからは「そごう」のある東口のほうがMM21へ抜けることもできるので
発展の余地が残されているのではないだろうか。


模倣犯

21時からNTVでテレビ初放映の「模倣犯」がオンエアされた。
原作は「宮部みゆき」女史。かなり話題になった小説であったが、私は読んでいない。
彼女が文壇に登場した頃、略歴をみたら私の高校の後輩だった。
近親感をもち、初めて読んだのが「火車」。
下町在住の作家らしく物語の中に、私が子どもの頃遊んだ場所が出てくる。
カード社会の恐怖を描いた作品だったが、これも話題になった。
それ以降の女史の作家活動は旺盛である。
現代物、時代物をよくもまあ量産できるものだ、と感心する。
同じく下町出身の「半村良」氏を髣髴とさせる。
私は密かに彼女を「おんな半村良」と名付けている。
話は戻る。映画「模倣犯」だが、
期待を持ちつつ15分見ていたが、
あまりにも間延びした展開なので、チャンネルを変えてしまった。
殺される女を「伊藤美咲」が演じている。
私は密かに彼女を「ポスト・夏目雅子」と思っている。
その彼女が2度ほど登場しただけで変えてしまったのは心残りだったが。

宮部女史は稀代のストーリーテラーである。
であれば、登場人物のキャラクタ設定、舞台がテンポ良くわかるような展開を期待していた。
それなのに、へんに小細工をろうした画面が多く見にくい。
まわりくどい状況設定。
主役の中居君が登場するはるか前に見るのをあきらめたというわけですね。
映画は娯楽ですよ。まず、わかりやすくなくては。
ハリウッド製が面白いというのはそのあたりにありますね。
つい先日放映された「スパイ・ゲーム」はよかった。
定年直前のCIA局員「ロバート・レッドフォード」と「ブラ・ビ」の物語。
スケールが大きく意外な結末。これですよこれ。
日本のはちまちまとした4畳半映画ですねえ〜〜。
小津安生誕100年でBSは特集を組んだりしているけど
しみじみしますが、何本も見たくなるという気にはなれません。


■12月25日 
散歩
雨の日、雪の日に関わらず散歩が日課である。
といっても、一人で歩き回るのではなく常にワンといっしょ。
名前をジョンという12歳の中型・雑種犬だが、彼の排泄、健康維持が主体で
私が連れて行っていただいているというスタンスね。
彼がいなければ、こんなに熱心に散歩をしただろうか?
娘がまだ高校生の頃、どこからか情報を得てきた。
本牧にある横浜蓄犬センターに可哀想な犬がいるというのだ。
里親を探していて、運悪く選ばれないと処分されてしまうという。
家族で出かけ、生後3ヶ月ほどの犬と出会った。
ほとんど病気をすることもなく、老境を迎えた。
歳のわりには若く見える温厚な犬である。
横浜の頃は、散歩といえば舗装された道だったが
こちらに移住してから90%は土の道を歩いている。
その日の天候、時間によって散歩コースが5つばかりある。
彼は鎖の引き具合でどのコースを行くのか瞬時に察知する。
短い時間で帰宅しようとすると
「もうちょっと歩きたいよ」という顔をして私を見上げる。
しかし、ご主人様の意思には従わざるを得ない。
家に戻れば陽だまりでうつらうつらしている毎日である。


■12月24日 
eve

仏教徒の家にもX’mas eveは来る。
サンタが来るのを楽しみにしている小さな子はわが家にはいない。
だから、玄関に飾られた人形は、自前で子供を連れて来ている。
こういう品は、私の住む町では残念ながら手に入らない。
隣の春日部市へ出かければあるのかな?
でも、どこにあるのか??である。
ひと山越えれば鬼怒川という尚仁沢「ハートランド」で購入したのだが
山奥の小屋でこんなおしゃれな人形に出会うとは思いもよらなかった。
青山、銀座あたりで見つけたといっても不自然ではない。
仕入れ担当のセンスがいいのだろうね。

ミレナリオ
イブの今夜、イルミネーション点灯。東京駅丸の内側は大混雑でしょうね。
昨年行って懲りました。2時間くらい行列ね。
係員から誘導されるままに動いたのが失敗でした。
冷え込んでいるというのにトイレにも行けません。
正面から見るのが一番いいのですが
光のトンネルに入ってしまうとあまり迫力ありません。
ということであれば、中央郵便局の方に進み
脇から垣間見るだけで十分ですね。15分もあれば目的達成です。



■12月23日 
大掃除前哨戦
押し詰まってからばたばたするのがいやで
例年少しづつ掃除をするようにしている。
風もなく一日中うららか掃除日和。
犬小屋の奥に吹きだまった枯葉の除去。
裏の雑草取り。台所の換気扇クリーンアップ。
あ〜〜疲れた。
裏庭で段ボール類を焼却。
火をぼ〜〜っと見ていると、妙になごみます



情報公開

埼玉県内49町村の情報公開度ランキングが発表された。
埼玉県市民オンブズマン・ネットワークが調査したもので
町村長、町村町議会議長の交際費の内容、支出基準の有無、手数料などを
100点満点で評価したそうだ。
それによると、わが町は73点で花園町と並んで5位だった。
最低は川本町と美里町の20点。
町のホームページはよく見ているが、こういうページまでは覗いていなかった。
早速訪問してみよう。
今回は町村だったが、市のほうはどうなんでしょうね?



愛着

壊れることなく、壊すことなく長年所有しているものがある。
当然、そのひとつひとつに思い出がある。
携帯ラジオはいつもSONYを選んできた。


左側は30年近く前のもの。
スピーカーとチューナーが分離するという優れもの。
SONYらしい薄型デザインで、当時は画期的な製品だった。
メインの位置を退き長いこと引き出しの中で眠っていた。
あるとき電池を入れてみたところ
サイズの割にスピーカーが大きいため携帯にしてはいい音がする。
いま、現役復帰して風呂に入るとき持ち込んでいる。。
真ん中は1992年3月3日に購入。
これのいいのはヘッドホンでAMステレオ再生ができること。
寝るときNHKの「ラジオ深夜便」を聞くのに使っている。
1時間タイマーで自動電源OFFになる。いつもその前に眠ってしまうが。
右は超小型AM/FMラジオ。
同じようなものをポケットに入れたまま洗ってしまったので
代替機として今年の夏購入し散歩用に使っている。
長いこと人間やっていると、、こういうものがごろごろしている。
はたから見れば単なるガラクタかもしれない。
でも、こういう精密機器が大切にしまいこんである。
ときどき引き出しを開けるとわくわくした気分になるのだよ。

レインボーアップルマークの入ったマグカップは珍品。
これは15年もの。
PC−9801からMacに乗り換えた頃に購入した。
よくもまあ、割らずに今日に至っているね。
今も、コーヒーはこれで飲んでおります。
「司牡丹」の灰皿は、同じ頃四国に出張したとき
飲み屋のおっさんから記念にプレゼントされたもの。
翌日がプレゼンテーションというのに、
高松市・丸の内の飲み屋で大いに盛り上がった。
プレの席上、喉が渇いてしゃべるのに苦労した思い出がある。

12月22日 
柚子湯
冬至。昼が一番短い日。本日を境に少しずつ日が長くなってゆく。
なんとなく浮き浮き。
冬至の行事「柚子湯」を敢行。中に入れるのは巨大な獅子柚子。
皮をスライスして浮かべた。
爽やかな香りのする湯につかる。
疲れも吹き飛ぶ。
風呂から出ると肌はすべすべ。体はほかほか。
柚子には湯冷めを遅らせる効果があるのだろうか?
もしそうだとしたら、ときどき庭の柚子を入れてみようかな。


湯に入れる前の、獅子柚子。表面の凸凹が存在感を主張する。
ささやかにクリスマスデコレーション
家中をイルミネーションでドレスアップすることが、ここ何年かの流行のようであるが
子供たちも育ってしまうと、仏教徒であるわが家は
西洋の行事と疎遠になってくる。
昨日、栃木県・塩谷町の尚仁沢に水汲みに出かけた。
「ハートランド」という町が経営する物産館に
大きなサンタクロースの人形がディスプレイしてあった。
アイフルのコマーシャルではないが、サンタと目が合った。
何か物言いたげな表情だった。いい顔をしていた。
<どうする、アイフル〜〜〜〜〜>
というわけで、わが家にやって来た。


ビートルの中のビートル
昨日雪道を走り汚れに汚れてしまったので車の掃除を行う。
このところ赤いニュービートルに乗っているが
オーナーの絶対数が少ない車で、昨日も往復で4台しか会わなかった。
宇都宮郊外を走っているとき、中年のご婦人がやはり赤に乗っていた。
すれ違うと、なんとはなしに近親間をおぼえてしまう。
形がユニークなのでミニチュアモデルには必ず登場する。
で、以前お台場へ行ったとき、赤を求めて車内に置いてある。
中から同じものが出てくるロシアの人形があるが、
そんなふうにできたらおもしろいね。
このビートル、ルーツをたどればナチスドイツのヒトラーにゆきつく。
アウトバーンを開通させたヒトラーの命で
ポルシェ博士により開発された国民車(フォルクス・ワーゲン)だもんね。


■12月21日 
探していた言葉
ここ半年ばかり探していた言葉があった。
「青春・○○・白秋・○○」
この○○を埋めるのはどんな語か?
「青春」の次の語は、デジタル辞書の「後方一致」で判明していた。
夏は「赤」ではなく「朱」であった。「朱夏(しゅか)」。
春夏秋冬のそれぞれの語の前に「色」がつくことはわかったが「冬」が未解決だった。
偶然、朝刊の見出しに「白秋に生きる幸せ」とあった。
元内閣官房長官、藤波孝生氏が40年に及ぶ政治の舞台から退場するにあたり
都内で開催されたパーティの席上で述べたお礼の言葉の中に全ての言葉が入っていた。
「玄冬」だった。
「玄」とはどんな色なのか?漢和辞典で調べると「黒」だった。
そういえば「玄人(くろうと)」という言葉もあった。
これらは古代中国の「五行説」からきているそうだ。

4つの言葉は、人生をあらわすのによく用いられる。
1つの季節が20年、80歳まで生きると4つの季節が終わる。
20歳までが青春(基礎作りのとき)
40歳までが朱夏(育成のとき)
60歳までが白秋(収穫のとき)
80歳までが玄冬(収穫したものを使うとき)
それ以上になると子供にかえる、という寸法かな。
でも、世界一の長寿国の日本でも男は80まで生きられればオンの字ね。
あとのことは女性にまかせて墓の中で静かに土にかえりませう。

しかし、最近、年金問題が揺れている。
団塊の世代も「玄冬」の季節を迎えつつあるが、
「収穫したもの」だけで「越冬」できるかどうかかなり不透明である。
まして、いま白秋の季節にある人たちが玄冬を迎える頃は
日本の年金制度は破綻しているかも知れないのだ。
景気回復と、人口増を国策にしないとお先真っ暗だな。
とはいえ、、純ちゃんは経済音痴ときたもんだ。
また、子供を作っても育てられない若い親が急増中。
幼いうちに変質者に殺められてしまうケースも頻繁に起きている。
う〜〜ん、未来は暗いな。頭がクラクラしてきたよ。
ホットウイスキーでも飲んで寝ちゃおかな。

「玄冬」は「厳冬」に通じるね。この際、耐え忍ぶ「忍冬」か?
でも、「忍冬」は「すいかずら」と読み、植物になってしまうけど。
「私は貝になりたい」ならぬ「私は<忍冬>になりたい」という気分ではないかい?
まるで関係ないけど、
山崎ハコの「心の花」という曲は、暗い歌い方だけど妙に惹かれますね。
ミーシャの「スノー・ソング」もいいよ。

■12月20日 
夕日を浴びて
今日も朝から季節風が吹きまくっていた。
頼んでおいた品物が届いているという知らせをもらったので
15時に隣町へ出かけた。片道約20分のサイクリング。
行きは北西風に押されてペダルは軽快。ただし頬に当たる風は切るように痛い。涙、鼻水を出しながら走る。
しかし、暖房でなまっている身体の目を覚まさせるには最適だ。
帰り道は向かい風なのでギアを低めに入れてゆっくり走る。
住宅地を抜けると広大な畑が広がる場所がある。
ちょうど太陽が大きく西に傾きかけた頃だった。
冬至はいつだっけ?明日かあさってか?
今が昼の一番短いとき。長く引いた私の影を記念撮影。
手帳

例年この時期になると惰性のように手帳を購入している。
だいたい春ごろから中は白くなる。
連日人と会って打合せをするような仕事ではないのであまり書くことはない。
一昨年は、食事の内容を毎日記録していたが秋ごろ挫折。
先日、銀座伊東屋でいつも使っている能率手帳エクセル「カジュアル1」というのを購入した。
3500種類の手帳を扱っているという文具の老舗らしく
5階の売り場は混み合っていた。
面白い広告をやっていた「高橋」の手帳も陳列台のかなりのスペースを占めていた。
でも、能率協会のコーナーの方に人だかりがしていた。


アナログカメラ換算33mmという広角レンズを搭載した小型デジタルなので
手帳の大きさが違って見えるが同じサイズ。右が2004年版だ。
名刺、テレフォンカード!、自作の住所録など挟むので
昔はビニール製のポケットが壊れたものだがこのタイプは堅牢である。
来年こそはしっかり使い切りたいものだ。

撮影練習

伊東屋の並びの京橋寄りに、私が大昔に在籍していた会社がある。
2〜3年前に本社の建て替えを行い、銀座通りに面した場所には有名な宝石店が入っている。
ほとんどは定年退職したが、役員で残っている同期の友人を訪ねた。
店子に表通り側を貸し、大家の会社には横から入らなければならない。
全面ガラス張りの明るい建物で、1階受付には何度か顔を出したことはあったが
役員室のある9階へ行くのは初めてだった。
私が在社の頃の上司だった現社長と同期の彼、
それと定年を待つ2〜3人しか知っている顔はいない。
ああ、昭和は遠くなりにけり。


ノーファインダーで撮影している姿は、第三者からどう見えるのか
その会社のトイレで自分を撮影してみた。
カメラは小さいが、この構えでは「写真を撮るよ」というのがわかってしまう。
スナップ写真は手の中に隠さなくてはいけないね。


新年用商品を買いに来た人々で混雑する「ジョイフル本田・幸手店」
店内撮影は禁止されている。
入口をスナップしてみたが、レンズが上を向きすぎた。
注連縄を売るおじさんを狙ったのだが入っていない。
撮りまくって慣れなくてはね。64Mのメモリスティックなら650枚くらい撮影できるのだから。

■12月19日 
一攫千金狙い
今年最後の宝くじは当選者の数が多いとか。で、今日が締切日。
所ジョージのコマーシャルが頻繁に茶の間に届く。
広告にあおられるように、夢を実現しようとする人たちが
西銀座デパートの「チャンスセンター」に列をなした。
ここは高額当選が出るので有名な宝くじ売り場だそうで
どの窓口が確率がいい、というジンクスもあるようだ。
昔は「赤尾 敏」がここの前で車の上から演説してたよね。
彼もとうの昔に亡くなったけど。

  

■12月18日 
Theラスト・サムライ
年中無休の私にとって久々の日曜日。以前から見たいと思っていた映画を見に行く。
シカゴに住む娘もロードショー当日に見たらしく「絶対見たほうがいい」と電話があった。
隣町の春日部のロビンソンシアターでも上映しているが
スクリーンが小さいので、こういう映画は迫力に欠ける。
有楽町マリオンの「丸の内ピカデリー」まで足を伸ばす。
ハリウッド映画ながら当時の日本と日本人を違和感なく描いているというので前評判の高い作品だ。
渡辺謙の演技と存在感が主役のトム・クルーズを凌駕しているということでも注目されていた。
確実に座るために早めに到着した。
おばさんグループが多いのには驚いた。(トムのフアンなのかな?)
全席入れ替えではないので、年配のおじさんたちは座席取りのために
途中でもおかまいなしいに中に消えてゆく。
立ち見も出るかな、と思ったがほぼ100%の入りであった。
この劇場はスクリーンが大きいがサラウンドの音もばかでかい。
JBLのスピーカーを使っているのだが、低音は座席が揺れるような大音響には閉口ね。
ストーリーをくどくど言ってもせんないこと。

 
プログラム800円                    彼が着る、鎧は誰の…

ハリウッド映画が描く明治初期の日本に興味があった。
アメリカで撮影された、東京のセットはすばらしい。よくもまあここまで考証したと思う。
ニュージーランドで撮影された村は、凝ってはいるが日本の空気感が希薄のように思われた。
また、村の位置が「吉野」ということだ。日本人なら紀伊半島の「吉野」を思い浮かべる。
冒頭のシーンではうっそうとした杉林がある(吉野杉か)のだが
物語が進み「村」の全体が映されると、段々畑のある山村になってしまう。
また、秋の時期に田植えが行われているという??もあった。
(こういう青い目のオリエンタル描写は結構ありますね)
トム・クル君が到着するのは「横浜」なのだが、遠景に城(江戸城)が見える。
寒村だった横浜の居留地(関内)と東京の町並み(銀座あたりか)が
ごっちゃになっております。
しかし、そこに登場する市井の人々がすばらしい。
当時作成された絵葉書を参考にしたと思える、さまざまな職業の人間が
かなり正確に表現されています。
日本映画でもここまで克明に描写した映画はないのではないかな。

  
               
この日本刀に刻まれた文字の意味は…

渡辺謙が扮するのは武士道に生きる「長(おさ)」であるが
このような形態は江戸末期〜明治初期には存在しなかったのではあるまいか?
普段は農業に従事し、一旦事あらば武装集団となり主君のもとへかけつける…
こういう形態は「すは鎌倉」時代ではなかったか
明治天皇の臨席を仰いだ会議の席で「参議」と呼ばれているところからも
下敷きになっているのは西郷隆盛のようであるが、
彼は郷士を束ねる立場であっても、山奥の村の長ではなかった。
マーロン・ブランド演じる「地獄の黙示録」のカーツ大佐のような感じがしましたね。


トム君と渡辺のサムライ軍と政府軍が
最後の戦闘を行う場所が、サッカー場みたいなのには驚いた。
徳川家康の関が原やナポレオン1世の時代じゃあるまいし、
明治初期は、あんな見通しのよいところで「いくさ」はやらないだろうね。
しかも、士農工商の混成部隊である新政府軍の兵士が
「武士道」に殉じた人々に対し畏敬の念を示すというのも不自然だ。
しかし、政府軍のガトリング砲はなかなかリアルでありましたよ。
アメリカではインデアン討伐につかわれた新兵器が
明治新政府の戦の最前線で活躍するのですから。
同じ頃、北海道で蝦夷共和国を樹立しようとした榎本武揚の軍隊も
この元祖機関銃を所有していました。
榎本は武士道に殉じようとしたのではありませんが
西郷隆盛と榎本武揚が意を通じて、武士のための新しい国家を作ろう…
なんて物語が生まれれば(もう、SFね)、面白い結果となるんだろうね。
そして、新撰組の土方歳三も流れ弾に倒れることなく生きていれば
またまたドラマは広がり、ふくらんでいくのであります。


細かいところを気にしなければ、「ラスト・サムライ」はよく出来た映画であると思います。
私は2度ばかり、グッとくるシーンがありました。
「滅びの美学」
負けるとわかっていながら、自分が自分であり続けるために突き進んでゆく。
いいんだよな。これが。


■12月17日 
無差別テロ
サダム拘束後のバクダッドでテロが発生し22人の市民が死亡した。
派兵している各国軍兵士を狙うのならともかく、同胞をターゲットにするのだから
イラクに平和が訪れるのはいつのことやら。
アフガンも表面的には安定しているが、いつ転覆するかわからない。
イスラエルとパレスチナも相変わらず仲が悪い。
どれも政治の土台になっている、宗教、民族、部族問題が複雑にからんでいることが
これら国の平和を阻害している。
アラビア半島は、昔からそんなキナ臭い火薬庫だった。
不幸なのは市民である。
テロに遭い「死」を迎えるという恐怖と常に背中合わせ。
それでもバザールや繁華街には人が繰り出す。
度胸があるのか、諦観か。
日本にもアルカイダの脅迫が伝えられた。
水際作戦を展開しているし、USAと違い単一民族国家だから安心か?
しかし、敵は狡猾である。
日本人に似た風貌のアルカイダ・シンパをすでに潜入させているとしたら…
警備の厳重な空港、高層ビルなどは狙わないだろうね。
いま、チェックの甘いのは新幹線。車輌ではなく、線路を狙うのなら簡単。
東海道、東北、上越など一気に狙うことだってできますね。
事件が発生しないことを祈るが
日本のガードの固さを、しっかり発揮していただきたいものである。


「おしん」

BSで20年前の超人気朝ドラを再放送している。
本日19時30分の回で田中裕子の「おしん」の時代が終わった。
昭和21年、おしん47歳という設定だった。
来年は1月7日から乙羽信子の「おしん」でドラマは再開される。
幼い「おしん」が酒田に奉公に出される頃から見はじめた。
20年前はまるで興味がなかったのだが、
主人公の逆境に負けず、けなげに生きる姿に、つい引き込まれた。
(これも歳のなせる業か)
関東大震災のシーンでは、
幼い弟の手を引いて日本橋馬喰町から上野の山へ逃げた、という
私が父親から聞いた話を思い出しながら見入った。
ドラマでは「おしん」は私の父の家の近くに住んでいた。(現在の横山町あたり)
姑からいびられる佐賀時代は、心底「おしん」が私に乗り移っていた。
姑役の女優の意地悪く小憎らしい演技はピカいちであった。
苦境にあっても善意の人に助けられながら、たくましく生きる「おしん」だが、
昔は、周囲にそういう人はいた。
今はどうだろう?
「人情」という言葉や概念が希薄ではなかろうか。
橋田寿賀子が生み出したせりふひとつひとつが、
人間らしい生き方を示唆しているようだ。(やっぱり、私の歳が言わせているね)

■12月16日 
季節風吹き荒れる
何てこったい。
きのう、今年は季節風があまり吹かないと書いたばかりなのに。
早朝、6時ちょい過ぎ、ベランダの日よけのテントが激しくあおられる音で目が覚めた。
午後の日が入りすぎるので目一杯テントを繰り出していたのだ。
強風が吹くと風圧で日よけは上下に揺れる。
鉄のアームで壁に取り付けてあるので、最悪は壁がいかれてしまう。
あわてて飛び起き、巻き上げた。
目の前の雑木林の枝が流れるようにしなっている。
中ぶりの木の幹もゆっくり揺れている。かなり強い風だ。
東を見ると、鈍色の雲が広がりその間を帯のように群青色の空が見えていた。
夜明け前独特の空模様だ。
きょうも晴れるな…と思いつつ、ぬくぬくの布団にもぐりこんだ。
気がつくと、9時半。相変わらず強風が吹きまくっていた。


広告、面白い


「手帳の高橋」の広告がまた、掲載された。
前回と同じスペース、デザインフォーマットを用いている。
例年、需要期にはキャンペーンを行っていたようだ。(私は知らなかったが)
今回は「第8回手帳大賞」への応募を呼びかけている。
キャッチフレーズに相当する部分の文字数が多いため
前回のようなインパクトはなくなっている。
「思わず書き残しておきたくなるような、身近な人の名言、格言」を応募して
運がよければ50万円というもの。
モデルや写真を使わず、文字だけで訴求。コピーもりきまず自然体。
広告が面白かったころのにおいがする。
締め切りが来年3月31日、入選者発表・表彰が10月。
ちょっと期間が長すぎはしませんか?
応募方法は郵送かはがき。
今の時代、メールでも受け付けるようにすれば応募数は増えるのではないですかね。
企画といい応募方法といい、広告の作りといい
ことによったら50代のアナログ人種が制作に参加しているのではないかな?

サダムの裁き方
アメリカはイラク人による裁判を望んでいる。
国連のアナン事務総長は「国際政治裁判所」で行うことを希望している。
アラブのことはアラブでやればいいのではないか。
イスラムの教えにのっとってやれば「目には目を」の精神でサダムや政府要人は死刑になるだろう。
負けた側の独裁者の末路はいつの時代も同じ。
ヒトラーは自殺。ムッソリーニは虐殺。チャウシェシスクも虐殺。
マンボンギョン号の国の指導者はどんな思いで成り行きを見ているのだろう。
麻原こと松本は幸せね。あれだけの人の生命を奪っておきながら、まだ自堕落に生きている。
イラク人の抵抗はすさまじいよね。
その点、日本は米軍の占領が始まったら組織的な抵抗はなかった。
民族的な違いかな。農耕民族は本来従順なのかしら?
(江戸末期には血気にはやった連中が洋館焼き討ち、生麦事件を起こしたけど)


■12月15日 
冬の情景
幸いなことに今のところ季節風はあまり吹いてこない。
この辺一帯はは赤城おろしの勢力範囲だから
吹きはじめると関東平野をわたる強風がうなりを立ててやってくる。
わが家は悪いことに北西風に対する防備が弱い。
乾燥した畑からの微細土がサッシの隙間から室内に飛び込んでくる。
そうとわかっていれば、明り取りの窓を「はめごろし」にしたものを。
今朝、庭には霜柱が立っていた。寒気は確実にやってきている。
産卵を終え余生を送っていた「かまきり」もついに命尽きた。

 
果樹の越冬用に足元にピートモスを巻き込む作業も遅ればせながら進行中。
野菜園にはきのこが生えていた。
田園生活の基礎知識が欠如しているので、食用かどうかわからない。

 
室内にはシクラメン、ポインセチアがあるけれど鮮やかだけで香りはない。
この時期、庭にはほとんど花がない。
しかし、か細いけれど馥郁とした香りが漂うことがある。
その元をたどると、垣根に植えてあるギンモクセイだった。
この寒い季節に小さな白い花をつけていた。
キンモクセイは秋を知らせて早々と散ってしまったが
ギンモクセイは、こんな遅い時期でも咲くのかな。
あるいは、明け方の冷え込みは厳しいが、昼間はうらうらしているので
間違って花をつけたのか。
いずれにしろ、心なごむ香りに包まれて、なんかトクした気分。
今年は数の少ないユズだが、まだ20個近くなっている。
鍋や生牡蠣のとき庭からもいで食卓に添えることができるなんて
10年前は思ってもみなかった。

 
快晴の空はあくまで高く、葉を落とした梢が天に伸びる。
世はすべてこともなし(どこかで聞いたせりふではある)。



サダム・フセイン元大統領拘束
昨夜21時、イラクを統治中の米軍の重大発表があるとTV画面の上にテロップが流れた。
すでに、このニュースは30分以上前に断片的に流れていたので内容はわかっていた。
元大統領本人の拘束と逮捕当時のビデオが流れた。
30数年間イラクを牛耳ってきた独裁者の末路としては
あまりにも哀れな姿が全世界に報道された。
これは、偶像化されたサダムの虚像を暴くために、
あえて、むさくるしい老人となった姿を公開したのだろう。
(米軍の思惑はミエミエね)
15日朝刊は休刊だったので、夕刊の1面にでかでかと掲載された。
記事によると、出身地近くの農家の一隅に穴を掘って潜んでいたということだ。
発見されたとき、その穴倉にはフセインだけ。周囲には大金と銃があったという。
ん?誰かと似ている。
そう、オウムの麻原こと松本のときと酷似しているではないか。
松本は銃はなかったが、教団施設の狭い隠れ部屋で金と一緒だった。
この二人、権力のトップにいたときはやりたい放題。
逮捕されたとき、「金に執着した俗物の権化」であることが、ばれてしまった。
こんな奴に支配されていた人間は可哀相ね。


ムサイ・ジジイ。金の亡者、哀れなり。
「六花」体験Part2

小型デジカメの使い勝手を試すために、六花の外来受付付近をノーファインダー撮影してみました。
 
町民期待の新施設ではありますが。        外来受付。ひどい手ぶれ。
 
明るくゆったり。リハビリルーム。            ナースステーション
いつでも利用できるわけではない。

外来受付カウンターの張り紙。
「具合の悪い方、小児科の方は声をかけてください」と書いてあるが、
これの意味するところは、なんなんでしょうね〜〜〜?
病院に来るくらいだから、みんな具合が悪いはずですよ〜〜。
乳幼児を連れたお母さん最優先と思われるのが「小児科云々…」の文言。
この一言のために大人は、じっとがまんの子か?

六花では、リハビリの時間に制約が多いので、近くの医院に転院することにした。
医院の指示で「六花」にレントゲンフィルムを借りにゆくことになった。
外来受付の看護師の対応はていねいであった。
しかし、フィルムの貸し出しというケースはこれまでなかったのか何人かに聞いて歩いていた。
ややあって、レントゲン担当の青年が対応した。
訪問内容を告げると
「貸し出しはやっていない、1枚500円で購入していただくことになっている」という。
「どこの病院でも貸し出してくれるのに、ここはなぜだめなの?」と私。
「フィルムをライトボックスに張り付けて見るのではなく、コンピュータの画面上で
検討するため、貸せない」というような説明を受けたと思う。
どんなスタイルで見ようが、患者がそこに来て初めてそのフィルムが使われるのだ。
まして、転院となれば六花には必要のない代物。
フィルムを「譲ってくれ」と言っているのではない。
「貸してくれませんか」と頼んでいるのだ。
結局、六花の規則により借りてくることはできなかった。
首と腕を5枚ほど撮影したので、5枚分2500円プラス消費税かと思ったが2枚で済んだ。
会計では、はじめ「保険ですね。お金はいりません」ということだったが
係員が外に出た私を追ってきて、「すいませんお金、いただきます」
結局1050円支払った。(まだ、医療事務も慣れていないようだ)
近くの医院へ持参し、リハビリを受けた。
フィルムは、その医院で保管することなく自宅に持って帰った。
こんなでかいレントゲンのネガが自宅にあってもクソの役にもたたんわ。
それとも、ときたま眺めて事故を思い出せとでもいうのかい?
貸し出しが制度がないために、こんな無駄なことをしなくてはならない。
もっと現状を把握して柔軟な方法を採用してくださいよ。
どう考えても、利用者本位でなく病院の都合がまかり通っている。


■12月14日 
「六花」体験
町民待望の医療施設「六花」が10月1日にオープンしましたね。
名前は「六花(りっか)」。なかなか粋じゃないすか。
公衆トイレの「四季楽(しきらく)」、コミュニティセンター「進修館」など
この町は「和」の雰囲気を大切にしている様子がうかがえる。
ちなみに「りっか」は「ろっか」とも読み「雪」の別称だとか。
だけど、町の「りっか」には医療福祉に込められた別の意味合いがある。
隣の杉戸町には「六花舎(ろっかしゃ)」という会社がありますが。

町が運営しているから、町立とか町営という冠がつくのかと思ったら
「公設宮代福祉医療センター」っていうんだそうで…
公設質屋、公設市場の「公設」ね。
辞書で調べたら「国家、公共団体が設立する」とある。
町が土地や建物、医療機器を提供して、別の団体が運営するということなのかな?
町のWebサイトを見ても、そのあたりのことは説明されておりませんでしたね。

内部がどうなっているのか興味があって、昨日家人に付き添って行ってきました。
土曜日の受付は11時半まで。初診なので10時半頃到着。
3階建ての病院、じゃなかった「福祉医療センター」は
壁面が淡い黄色なので威圧感なく体調の優れない人を迎えてくれる。
内部はどこにでもある病院と大差なかったが、新しいから清潔感が漂っている。
入口のカウンターで手続きを済ませ、そのまま進んで診療室の受付へ。
そこで、看護婦さんの、じゃなかった看護師の指示に従い長椅子で待つ。
土曜日だからか、オープンして間もないからか事務受付も診察室の前も人は少なかった。
乳幼児を連れた若いお母さん2〜3組、お年寄り2名程度。
これなら早く終わるかな…と思ったのが大きな間違い。
そのうち診療室前は、乳幼児とお母さん、老人が続々現れた。
後から来た人が、どんどん先に診察室に入って行く。
いつになってもこっちの名前は呼ばれない。
予約の人かと思い、しばらくはおとなしくしていたが
そのうち業を煮やし、看護師にたずねてみた。
年配の方々の中には確かに予約の人もいた。
しかし、乳幼児は優先的に診察するのだそうだ!
知りませんでしたね〜〜
結局、自宅に戻ったのが1時過ぎ。隣町の大病院並みね。

ということは、診療科目は内科、小児科、外科、整形外科とあるが
小児科最優先なのだろうか?
小子化だから、子供を大切にしたいのはわかるよ、でもね高齢化社会でもあるのだよ。
大人だって痛みに耐えながらここに来ている人だっているのだから。
抵抗力の弱い乳幼児にインフルエンザの予防をする母親が多いそうだ。
であれば、診療室のドアが5もつあるのだから、1つは小児科専用にすればいいのではないかね。
あるいは、ロビーに「この季節は、乳幼児のインフルエンザ予防を最優先します」というような
張り紙を出すべきではないか。
さらに、リハビリの曜日と時間が先方の都合で決められる。
「この日とこの日しか空いていません」ときたもんだ。
たまたまその日が都合悪かったり、もっと頻繁に受けたい人には無情な宣託である。
患者の立場を無視した、公設施設側の都合による医療体制!
国家や公共団体が運営するとこういうことになるのか。
これじゃ、足が遠のくわさ。期待していたのに残念。
病院も最近はサービス業であるという自覚から、バスで送迎してくれるもんね。
六花の紹介は、町のWebサイトまかせでなく、自前のサイトをオープンし
 理念、診療体制などの情報提供を切に望むものである、
※もし、私の理解不足、誤解があったらごめんなさい。メールいただければ
 加筆・修正しますので。
>>> mail

■12月13日 
健康維持と交流
町のコミュニティセンター「進修館」前はお年寄りのスポーツ広場となっている。
おじいちゃん、おばあちゃんたちが仲良くゲートボールに興じている。
と思ったら、「グランドゴルフ」つ〜んだってね。よく見るとクラブの形状が違っている。
夏冬の暑さ、寒さにかかわらず雨・雪以外の日は
ほとんど毎日行われているのではないだろうか。
その元気さには敬服します。


最近、その広場に異変が起ころうとしておりますね。
いつの頃からか役場の新築を告げる高札が掲げられましたよ。
すると、お年寄りたちの健康維持広場はどうなってしまうの?
この町の役場は増築を重ねた老朽建築物だ。
周辺の町役場、例えば庄和町、白岡町はすげ〜立派な庁舎だ。
合併を機に、旧宮代町を管轄する庁舎が新しくなるのは
旧町民としても誇らしい限りね。


しかし、高齢化社会の主人公の活動の場がなくなってしまうのはどうかな。
現在の役場がある場所に広場ができるのかしら。
彼らはときたま、国体のアーチェリー会場になる
「はらっぱーく」でゲームを楽しむこともあるらしい。
しかし、場所は町外れで不便なことおびただしい。
さらに、国体という晴れの舞台に使用する前に
町民ごときにグランドを荒らされてはたまらん、という視点からか
係員がへばりついて、とやかく口をはさむとか。
遠い上にのびのびゲームを楽しむどころではないらしい。
子羊のように追われる老人たちは、これからどこでプレーができるのだろう。

■12月12日 
デジカメ4代
1995年3月。カシオ計算機からコンシューマ向け低価格デジカメ「QV-10」が発売された。
これが現在に続くデジカメ時代の夜明けとなった。
今年の暮れの欲しいものベスト3に入っている。

         
上の広告は翌年96年11月発売12月号(MACLIFE創刊100号記念)に掲載された。
AppleのQuickTakeはその後市場から姿を消す。
価格は35万画素で5〜6万、オリンパスの87万画素機が約10万。
現在10万円クラスは500〜600万画素時代である。
この世界の技術進歩の速さには相変わらず驚かされる。

             
97年、私が初めて購入したのが右側のKodak DC-25だった。35万画素で4万前後だったか。
画質は最悪だったが従来のフイルム式カメラとは違った面白さを体験できた。
しかし、画像フォーマット方式がKodak独自のものだったので、
特定のアプリケーションでしか開けないというハンドリングの悪さがあった。
98年5月にオリンパスC-840Lに乗り換えた。当時は先進のメガピクセル135万画素だった。
スライド式カバーを開けると即撮影できるという速写性に優れており愛用していた。
200、300と画素競争に拍車がかかるとともに、ズームレンズ搭載が一般的になってきた。
2000年6月、310万画素オリンパスC-3030ZOOMが戦力に加わった。
今でもL版にプリントするなら十分な画質である。
しかし、電源を入れてからレンズがせり出し撮影に入れるまでのタイムラグには
いつもいらいらさせられるが、沈胴式カメラの宿命だから仕方がない。
このため、プリント用とWeb用はカメラを使い分けていたが、
最近135万画素機がついに寿命になった。
で、Web素材撮影用の機種を選ばなくてはいけなくなった。
速写性に優れた単焦点でなるべく小型。画素数は200万もあれば十分。
この条件であれば2万前後の機種がいくつかあった。
日立リビングサプライはデザインがちょっとね。
Panasonicは最近がんばっているけど好みではありません。
CANONはちょっと迷ったけど、サイズが大きすぎた。
というわけでSONYの新製品U−40が最終候補に。
けど、もう少し薄ければ文句なしだったのだが。
今まで、SONY独自の囲い込み、MemoryStickというメディアが嫌いで
SONYのデジカメには見向きもしなかったが、ついに…

          
単4バッテリー2本で動作するのだが、市販のアルカリではあっという間に終わる。
SONY製の充電式であれば結構長持ちすることがわかった。
ファインダーがなく液晶画面は小さいので、勘で撮れるようにしなくては。
標準で10cmまで寄れるマクロは便利そう。
昔のスパイカメラMinoxサイズとまではゆかないが
常に携帯しカバーのスライドで即撮影態勢に入れるところが気に入った。
と言っても、シャッターが押せるまでには5秒かかる。書き込みは早いのだが。
これが改善され、スタイルはもっと薄く、画素数が300万画素までアップすれば、
サブカメラとしてかなり人気が出るのではないか?
新宿「さくらや」のチラシでは特価24800円だが、
春日部LAOX「TheCOMPUTER館」では2万を切った価格で購入できるはず。
(スイッチONからシャッターが押せるまでのタイムラグなど、購入後の操作で初めてわかる。
カタログの「スペック」に記載されているのかも知れないが、見落としがちだ。
今後は、こういう部分をきっちり把握して購入に臨むことが大切ね)
■12月11日 美麗農道
埼玉東部の原風景が大切に保存されている、というのが「新しい村」のコンセプト。
具体的には、昔ながらの雑木林や田圃が広がる空間。
そこに、最近流行の地産地消商品を販売する建物が建設され、
市民農園、果樹園、ハーブ園、池などのゾーンが配置されている。
地元産で生産者の名前が表示された安全な野菜を流通させるという地産地消施設は、
農村地域を抱える地方自治体の目玉として、各地に建設されている。
隣町や少し離れた市の同様な場所を見たことがあるが
わが町のそれは、小規模であるが個性的な建造物で魅力的である。
さらに、周辺に「農」を感じさせる体系的な(筋の通った)施設や、
自然に恵まれたゾーンがあるのは、ここだけではないか。
そういった意味で、かなり考えられた取り組みであろう。
担当者の情熱は評価に値すると思うのだが、ちょっと行き過ぎかという部分もある。
     
農道の舗装化自体は結構なことだが、あまり凝りすぎてはいませんか。
幅の狭い道の中央に分離帯のような芝生を植えるのはナンセンスね。
当然、自動車が通るようになるだろうから、芝は踏み荒らされてしまう。
案の定、削られて土が露出している。
こんなことは作る前から予測できたのに、計画変更しないでつっぱしってしまったのはなぜ?
毎回芝を張るようなことをするのだったら、税金の無駄遣い。
轍(わだち)の残る、昔ながらの素朴な道を残すというのも原風景の保存だよね。
畦道を広げて道路にするより、動物公園のフェンスに沿った砂利道の舗装化のほうが
プライオリティは上だよな〜。

■12月10日 
最近、広告、つまらない
余裕のない経済状況を反映してか、ストレートな表現の広告が増えている。
制作者たちは面白いものを作りたがっているのだろうが
お金を出すのはクライアントだから、彼らの首の振り方次第なのだ。
特に「つまらない度」が高いのは新聞広告。
全ページ広告も多いのだが、活字や写真を大きく扱ったインパクトだけ。
あるいは、細かい文がびっしりで読む気も失せるもの。
さらには、有名タレントに依存するだけ。
景気が右肩上がりのときは、新聞を開くのが楽しみな広告が多かった。
商品情報とともに文化、ライフスタイルも提案していた。
情報伝達だけなら、新聞に折り込まれてくるチラシと大差ない。
チラシのほうが地域に密着しているだけ精読率は高いだろう。
そんな中、「おやっ」と思わせるものがあった。

           
全5段というあまり大きくないスペースだが、
半分が白抜きのキャッチフレーズ。右は開かれた手帳。
シンプルな構成なので、いやでも男の独白とも思えるキャッチフレーズが目に飛び込んでくる。
「高橋という女とよりを戻したのね」
(いや、待てよ最近は女も盛んに浮気をするから、高橋というモトカレと関係修復したのかも)
で、逢瀬の内容が手帳に記録されているのかな、と思ったら
「高橋」という手帳メーカーの広告だった。
今頃、銀座伊東屋は、来年の手帳を購入する客で混雑している。
能率手帳、KingJIMなど名だたる大手の手帳を選びそうな人々に対し
「うちの手帳にすれば?」と、言っている。
これまで、ほとんど聞いたことのないブランドである。
例年、これから伊東屋に手帳を買いに行く私としては
男(女)心を捕らえて離さない「高橋」と、ぜひ、会ってみたくなった。
近頃、スケジュールや電話番号などは
携帯電話にInputしておくから、手帳メーカーも案外厳しいのかもしれないね。
埼玉県教育委員会は苦労が尽きない
「生徒にスケベなことをすると、給料減らすぞ!」という通達が出た。
年間500万円減収、退職金が出ないなど具体的に規定している。
いつの時代も問題教師はいたが、昔は聖職、今は性職。
今の学生、特に小・中学生は受難の時代である。
登校途中で変質者に狙われ、学校へ行けば教師が牙をむく。
己の性的欲望を弱者に向けるとは、嘆かわしいだけでは済むような問題ではない。
埼玉の発生件数は他県と比べ多いのか少ないのか記事からはわからないが、こういうパンフレットを作成するほどだからかなりの数に上るのではないかな?
教師の著しいモラル低下は、この県の住人として恥ずかしい限り。
首都圏の人口増No1で、神奈川、千葉に比べ住みやすいからと
前知事は胸を張っていたと思うが、
スケベ教師、殺人事件、交通事故が多いというのでは説得力に欠けるわな。

■12月9日 
異次元ゾーンへの入口
8年ほど前だろうか。エリアペーパー「暮らしのガイド」が
「おすすめの場所」というような記事を募集していた。
それに応募し、「山崎地区」の自然を紹介させていただいた。
東武動物公園の東口ゲートと笠原小学校の間の道が
「異次元ゾーンへの入口」というような表現をしたように思う。
車がすれ違うこともできないような細い道で、利用する人は限られていた。
ある日工事が始まり畑や林の一部が切り取られ西原方面に抜ける道が完成した。
やればできちゃうものなんだ。

   
いま、その道は昔からあったような顔をしているし
車も便利になった道を走り抜ける。
地元の人々も忘れかけようとしている。
アスファルトの下には何があったのか。わずか3年前なのに。
■12月8日 62年前の今日は
日本が不幸な戦争に突入した日。真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった。
それまで、米国民の戦争意識は1つにまとまっていなかった。
しかし、日本からの卑怯な奇襲により、
ルーズベルト大統領の「リメンバー・パールハーバー」という
スローガンが生まれた。これにより、国民の結束が固まり、
4年後、日本は敗戦を迎えることになる。
「終戦」などときれいごと言っておりますが明白な「敗戦」。嗚呼
(ヨ)夕刊
当時、20歳の若者は80歳を越えた。昔の敵は今の友。しかも忠犬「純公」ときたもんだ。

NHK衛星放送では「おしん」の再放送をやっているが、
先週は息子の戦死公報を受け取り、8月15日を迎える内容だった。
開戦の年、私はまだこの世に生を受けていない。
壮丁へやがて来るであろう赤紙と、万が一のことを考えて「忘れ形見」を
残そうと考えたのかどうか知るすべはないが
翌年10月、浮世に飛び出すことになった。
(巣鴨にて。昭和19年出征前の記念撮影。2歳の小生)

実際父親には徴兵令状が届き、南方ハルマヘラ島へ赴いた。
俳優の池部良がいた島と同じであった。彼は下士官、わが父は二等兵。
通信兵だったらしく、敗戦の情報はいち早く知ることができたという。
晴れた日には水平線上に見える「モロタイ島」に米軍が上陸。
定期的に戦闘機が飛来し、機銃掃射を仕掛けていったそうだ。
そのため、ジャングルに逃げ込む毎日。糧食も乏しく蛇を食べたこともあると言っていた。
マラリヤにかかり、運良く日本に引き上げてきたときはやせ細っていたらしい。
※Blogなら、ここから自衛隊のイラク派遣に話は展開するのだろうが、
このSiteの趣旨とは異なるので、ここでおしまい。
■12月7日 友あり遠方より…
仕事をかねて京都よりきたる。前回会ったのは実に30数年前。
横浜・神奈川区六角橋の訪問以来であった。
当時私は結婚したばかりだったが、相変わらず飲みまくっていて
確か銀座で飲んだ後、家になだれ込んだと記憶する。
「光陰矢のごとし」
新宿方面から来ることになっていた。
乗り換え案内で情報を集め京都にメールを入れておく。
JR湘南新宿ラインの開通でアクセスが非常に便利になり
新宿から50分で新白岡に到着する。

鬢に白いもの、髭をたくわえ50半ばの彼が改札に現れた。
長い空白はいっぺんに吹き飛び、互いに破顔一笑。
仕事&積もる話で5時間はあっという間に経過。
散歩がてら新しい村周辺を案内した折、
子供の手が離れたら緑と土の生活をしたいと話していた。
次に会うのはいつになるのか…生きている間に会えるのか?

■12月6日 新市名候補案決まる
新聞報道によると、合併協議会委員の投票により6案に絞られたそうだ。
東埼玉(13)、春日野(9)、埼葛(8)、東彩(6)、東さいたま(5)、古利根(5)
()内は得票数。1796の候補から1人5案を選んで上位6案に決めたということだ。
委員の構成は、首長4、議員代表8、学識経験者(住民代表含)10ということだが、
平均年齢はそんなに若いとはいえないのではないかな。
人気投票をすれば、(若い人も加わるから)上のような結果にはならなかったかもしれない。
年配者は地域に対する思い入れが強いから、どうしても古色蒼然としたネーミングになりがち。
保谷市と東久留米市が合併して「西東京市」になったケースがあるけどあれもお役所的発想。
このままいくと1月の会議で、現在の4市町名を加えた10の候補から新市名が決まるという。
おおかたの予想通り、平凡な市名になってしまうんだろうな。

■12月5日 見慣れた風景
      
東武線春日部駅を過ぎると車窓風景が一変する。
建物が少なくなり畑が増え、遠くには雑木林が点在する伸びやかな空間が広がる。
しかし、この町も宅地化がいたる所で進行している。
現在私が住む場所は埼玉東部の貴重な原風景が残る地域として貴重な存在となっている。
「農のある町づくり」を標榜するこの町の重点施策地域でもある。
「新しい村」ができるまでは、山崎地区に行くには、まっすぐ入る道がないために、
容易なことではなかった。
城内の通路は曲がりくねっている。
これは敵が一気になだれ込めないような仕掛けだが、山崎への道も同じようであった。
このお陰で開発が行われず、結果として自然がそのまま凍結されることになった。
写真の風景は、道路が開通するまでは
動物公園のフェンス越しにしか見ることはできなかったが、
現在は橋から小川の流れを見下ろしながらゆっくり眺められる。
魚の姿はほとんどないが、奥には棲息しているような草むらが続く。
人は川べりまで近づくことができないので、昔から変わらない風景である。
「新しい村」の周囲はすっかり変貌してしまったので、こういう場所が残っていると、
なんとなくほっとする。

■12月4日 超大盛
ある人から、すごく盛りのいい蕎麦屋があると聞いた。
「大盛は注文しないほうがいいよ。食べきれないから」とも。
その結果がこの写真。どんぶり一杯太いボソボソ蕎麦が入り
3つのネタの天婦羅が盛り上がり蒲鉾まで泳いでいる。
これが普通盛りである。カミさんは見ただけで胸が苦しくなり食欲も失せた。

下は海苔がまぶしてあるからザルソバ。
別に注文した天婦羅とサラダでテーブルが占領されている。
中盛りを注文したのだが、小山のように盛り上がっている。
普通にすればよかった。さすがの私も食べきれない。
そういう人が多いらしく、持ち帰り用のポリ袋が用意されている。
迷わずそれに入れて帰った。
久喜にあるこの店は新聞でも紹介され結構有名らしい。
私は1度顔を出しただけで足が遠のいている。 

■12月3日 天婦羅蕎麦・大盛 
饂飩より蕎麦が好き。それも藪、砂場系の細い奴が。
有名店で「ざる」を注文すると、1枚の量が上品過ぎて物足りないことおびただしい。
それでいて結構なお値段である。
浅草・神谷バーの並びの「尾張屋」の天婦羅蕎麦は
瀬戸のどんぶり、澄んだつゆに細い蕎麦、中ぶりの揚げたての海老天が2尾乗っている。
蕎麦の細さが均一なので機械打ちなのだろう。
歯ざわり、のどごしのいい蕎麦とほどよく甘みのきいたしるはクセになりそうだ。
話し変わって地元の蕎麦はどうだろう。
街道沿いの目ぼしい店にはほとんど入ってみた。
概して手打ちが多い。店によっては太くてざらつきがありボソボソと切れる。
そういう田舎蕎麦が好きだといういう人もいるが、私は苦手である。
このところ顔を出しているのが、和戸の「都古」。手打ちであるが細い。
天婦羅蕎麦は海老1本、季節の野菜と魚の天婦羅が乗る。
この界隈の天婦羅蕎麦はどこも複数のネタで構成されている。
海老2本の「海老天蕎麦」があってもいいのではないかな。

■12月2日 ウイルス付メール続々
しばらく沈静化していたSPAMメールがまた送りつけられるようになった。
毎朝、電源を入れると即メールチェック。30通以上もの外国からのクソ・メールが到着している。
削除だけでもうんざりする。
3分の2はマイクロソフトの名をかたるウイルス付メール。
150KBほどの容量のメールは要注意。
画面写真のネットワークアイコン付が曲者で、あたかもマイクロソフトが発信したように思える。
添付ファイルは間違っても開封してはならない。
日に5回くらいはメールチェックするのだが、合計80通以上はSPAMという勘定になる。
ADSLの副産物といえるのだろうが、世の中には悪意の人間が多いことを実感。
■12月1日 新市名
           
合併に向けて準備が進んでいる。12月1日、新しい市の名前に応募した案が発表された。6503件のアイデアが集まったとか。来年7月に最終決定されるそうである。
一番多かったのが「東埼玉市」で425件。
「東さいたま」「彩東」「東彩」「東武」「埼葛」「古利根」「かすみ」「埼東」「みどり」がベスト10。
地域性をあらわす「東・彩・埼・葛」がつく名前が多いのではないかと思っていたが、やはり予想通り。
1市3町の対等合併だから、どの地域にも偏りなく考えるとこうなるのだろう。
大凧、春和、豊春、春日宮、杉代、姫宮…よその地域の人が見たら
気分を悪くするような名前も結構多い。
「くれよん市」は「くれよんしんちゃん」の作家が春日部に住んでいるからね。
語呂合わせでは「むさ市」NHKの大河ドラマ「武蔵」の影響を受けております。
武州、野原など土のにおいの強いものも。
埼玉が好んで使う「彩」の字だが、
これは失脚した土屋元知事が「ダサイタマ」イメージを払拭するために意識的に多用したもの。
春日部に住まいのある氏のイメージが強すぎて×なのではないかな。
言葉の響きがよく、美しく、未来性、希望がある名前という視点から考えれば、
地域のしがらみのない名前がよいのではないかと愚考する。
「なかよ市」では語呂合わせがきつすぎる。
「明日美」というのがあったが、ひらがなにして「あすみ市」が私は好きである。
また、応募作にはなかったが、
「いろは…」の「ゆめみし」から「夢見し」-->「ゆめみ市」なんつ〜のはいかが

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