田舎三昧の生活と意見

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●吉太郎童謡集

■Contents■
01ドッグイヤー
  明けました
02新春恒例
03新習慣
04変化
  インタビュー
05炎
06寒ぶ!
  集会所清掃
07ワーキングプア
  複合機
  七草
08直木賞
09盗聴
10エネミーライン2
11うねり
  ザ・センチネル
12雨
13ピザ
14ソナタ
  霹靂
  成人の日
15パソコン
  日本映画
16寸暇
17誤解
  意志
  近隣
  初雪?
  残念
18インサイダー
19新古典
20廃屋
21国会
  教育者
22習慣
23雪
24売国奴
  三姉妹
 DELL
25深夜放送
26掃除
  深夜放送
27残念
  大相撲
  復活
28Skype
29Skype
30Skype
31同期会
  幸手市


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Yellow House
Chicago Short Stay
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Expression
Ginza
History
Hobby
Movie/Drama
PC
Politics
ご注意
人によっては不快な気分になるかも


ご意見・感想などお気軽にどうぞ!

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1月31日(木曜日)
●同期会
昭和40年入社の仲間が久々に銀座に集まった。

その前に、本社が赤坂に移転することが決定したので最後の姿を有志が見学することになった。
同期の1人が監査役となっていたので、2〜3度本社の役員室を訪れたことはあったが、
他のフロアを見るのは初めてだった。

広告を制作しているセクションに興味があった。
私が在社した頃は、「制作部」だったが今は「クリエイティブ局」。
昔はデザイナーの机には絵筆があったりしたものだが
机にはパソコンが置かれ、デザイナーだかコピーライターだか
傍目からはわからない。

この会社には60歳以上の社員はいないという。
社長からして若返っていたのだ。
名前は昔のままだが、よその会社という感じではあった。



本社近くの飲み屋の2階で同期会が始まった。
京都からやってきた「たっちゃん」はじめ12名の仲間が集まった。
各人が近況報告。
健康の話題になるのは仕方がない。
2時間ほどでお開き。
2次会があるのかな、と思っていたがトイレを済ませて店を出たら誰の姿もなかった。

久々の銀座である。
昔、飲みまわった界隈を歩いて見よう、と思った。
幸稲荷の路地に行って見た。
なじみの店は地上げでとうの昔になくなっているが向かいの店は残っている。
昭和40年以前からやっている俳人・鈴木真砂女の「卯波」はその貴重な1軒だ。
彼女は亡くなったが暖簾は生きている。
が、閉まっていた。

次、昔の「憩」は…
代替わりして店の名前も「日比谷BAR」と変わっていた。
階段を降りる。
ドアを開ける。
ここまでは昔のままだ。

薄暗く天井の低い店だった。
サントリー「角」がずらりと並んでいた棚には、おしゃれな酒が並んでいた。
カウンターの隅に座り、だるまのダブルを注文した。
若いバーテンがチェーサーとともにウイスキーを置いた。
ショットグラスは腰のふくらんだチューリップ。
もっとすっきりした形が欲しかった。

店は70%の入り。
年配は私一人。

苦い思いで飲み干し店を出る。
銀座は生きている。
牽引するのは若い世代だ。
「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」
マッカーサー元帥の言葉が妙に納得できる夜だった。

●幸手市
幸手市の合併意向アンケート結果が出た。

合併は必要:68% 必要でない:19.0%

合併相手先:久喜市など1市3町71.3% 1市3町以外28.7%

1市3町以外の相手先:茨城県五霞町9.0% 杉戸町とその他の市町7.3%



幸手市の財政悪化は周知の事実だ。
このままでは市の経営が困難と感じる人たちが多く、合併賛成が多いのはうなずける。
前回の合併劇では久喜市・幸手市は新市名、新市役所設置場所などで綱引きが行われ流産しているが
今回は幸手市が久喜市に歩み寄った感じ。
幸手市長は、市議会の協力で、合併実現に向け全力で取り組む、とコメント。

しかし、久喜市+2町は2月1日に合併意向アンケートを実施し、
幸手市を含む枠組みを「是」とする割合が高ければ、
それから幸手市の加入について協議始まる。
幸手市が「仲間に入れて」といっても、すんなり受け付けられるわけではない。
合併は救済事業ではないのだから
極端に財政状況の悪い自治体と一緒になって、
足を引っ張られてはたまらん、という意識が働くかもしれない。



宮代町は2月中旬に町会議員選挙が行われる。
昨年11月、合併意向アンケートが行われ、春日部市との合併を望む人たちが多かった。
しかし、相変わらず、単独や杉戸町との2町合併を望む声も多い。

立候補表明する議員は17名だそうだ。
時期が時期だけに、合併を公約に掲げる人が多いかと思ったらそうでもないらしい。
合併を争点にすると選挙戦術上まずい、という判断なのだろう。

配られはじめた3つ折リーフレットを見ると
「安心・安全」「福祉・子育て」「自然を活かした地域作り」など、
大同小異の言葉が踊っていて、「合併」を掲げる予定者はごく限られている。

2月12日告示後17日選挙まで5日間の選挙運動が始まる。
立候補者の立会演説会は開催されないだろう。
短い期間、車で個人名連呼で終わるような選挙戦では、誰に投票すべきか迷うところである。
今回の選挙は、町の未来にかかわる大切な意味合いをもっている。
春日部市との合併を推進できる議員が議会の半数以上占めなくては、アンケート結果も反故に終わる。
従って、立候補者の意見をぜひ聞きたいものだが、その機会はないのが残念だ。



単独は論外、2町などという小さな合併が周辺自治体の流れに反していることは誰もが認めるところ。
しかし、宮代町は相変わらず「単独」「2町」がくすぶり続けている。
目先のことしか眼中にない、あるいは自己保身としか思えない偏狭な考えがなくならない限り
この町には未来の光が差し込まない。
結局、破綻しなければ目が覚めない、ということなのだろう。

1月30日(水曜日)
●Skype
昨日不調だったデスクトップの調整を行い11時過ぎに立ち上げておいた。
帰宅した娘から呼び出しがあった。
昨夜のように母親と通話が始まる。
シカゴは吹雪いていると言っていた。
WebCamを最大にすると、低い解像度なので画面は劣化するが迫力はでる。
娘は買い物の成果を見せる。
最近購入したというCANONデジカメを向こうのカメラにかざす。
携帯音楽プレーヤーはクリエィブメディアのZENを使っているらしくそれも見せてくれた。
こちらが見せられるものは、携帯電話とSUICAくらいだ。

※全画面にすると迫力がある。             お互いにカメラを向けてみた。

ビデオ画面は任意の大きさにすることもできる。
小さなほうがクリアに見える。
ファッション、食べ物、職場のことなどお喋りが始まった。

※隣のデスクトップはチャットモード。          メインマシンにもチャット画面が現われた

それを傍らで聞きながら、隣のデスクトップにSkypeをインストールした。
チャットモードにした。
娘は母親と話しながら、小生とチャットを行う。
電話代がロハとは言え、2時間近くのお喋り。
最後は、本当にタダなんでしょうね〜〜と母親は心配し始めた。

シカゴは23時になった。
じゃ〜〜ね、また。バイバイ、と電話を切る。
明日も国際井戸端会議は開催されるのだろうか。

1月29日(火曜日)
●Skype
11時30分頃。
いつものように横浜の事務所へ出向き
昨日Skypeの設定をしておいたノートPCで仕事をしていたら
突然Skypeが起動して、娘の顔が映った。
遥かシカゴからである。
Webカメラやヘッドセットの用意をしていなかった。
とっさに、イヤホンをマイク端子に突っ込み即席マイクで通話をする。
Skypeのバージョンが3.6になってから
映像が格段にきれいになったという利用者の記述があった。

娘のパソコンはカメラ、マイクを内蔵している、と言っていた。
いま、会社から帰ってきたと言っていた。
電話では話すことはあっても1年以上顔を見ていなかった。
相変わらずの元気印だが、やや痩せているように思えた。

オフィスのスタッフも
画像のきれいさと音声のクリアなことにびっくりしていた。
娘はパソコンを回して部屋の様子を送ってきた。

通話料はロハである。
いい時代になった。
娘の顔を見ながら話せるのを一番喜ぶのは母親だろう。



時差の関係でこちらの23時頃がシカゴの朝になる。
21時過ぎ頃ノートPCの電源を入れにWebカメラのテストを行った。
リビングでテレビを見終わりノートPCの画面を見ると
娘からのコンタクトがあったことがわかった。
向こうはスタンバっている。
23時半ころ受話器のアイコンをクリックするとコール音になり
ややあって娘が現われた。
床に入っていた母親を呼ぶ。

昼間の出来事を話してあったので、彼女は非常に興味をもっていた。
出社前の娘と久々のごたいめ〜〜〜ん!
他愛のない話が続いたが二人とも楽しそうだった。
15分ほどはなして、彼女は仕事に向かった。
母親は、今夜は幸せな気分で眠れる、といった。

※ヘッドセットをつけて会話する母と娘

明日はショッピングするから少し遅くなると言っていたが、
また23時近くにお喋りが始まるかもしれない。

成田から13時間以上かかるシカゴだが、
Skypeを使えば隣町のように
映像も音声もくっきりはっきり。
ロハだから当分、母娘の長電話が繰り返されるだろう。

1月28日(月曜日)
●Skype
やっている人はその利便性、経済性を満喫しているのだろうが、
関係ない人には、なんのこっちゃ…

娘から固定電話にかかってきた。
彼女はパソコンからつないでいる、という。
Skypeをインストールしたから、
こっちのパソコンも同じ環境にすれば海外通話がロハになる、という。
向こうは出社前だったので、短時間で切れた。

早速、デスクトップにインストールをしてマイクテストをするが、
ミュート状態です、というアラームが出てしまう。
何度やっても同じ。
SkypeSiteの英語のマニュアルに表記されている
設定画面と、わがPCの画面が微妙に異なっている。

※人待ち顔のロジッテク社製WebCam。なんとなくユーモラス

仕方なく、詳細は後回しにしてノートパソコンにインストール。
こんどはバッチシだった。
いつでも受けられる用意をして
この日は終わった。

1月27日(日曜日)
●残念
中・長距離の王者・福士がマラソンに初挑戦。
30kmまではぶっちぎりだったが、スタミナはここまで。
競技場に入ったときは何度も転倒。
完走したが結局19位に終わった。
マラソンの壁は厚い。


●大相撲
1敗同士の横綱対決。
2日目に黒星をつけた朝青龍だったが、その後連勝。
一方、白鳳は同郷の安馬に黒星。

問題を起した横綱がこのまま優勝といいうのでは
ますます天狗になるだろうという観客が
朝青龍に土がつくのを見たさに大勢が両国・国技館に押し寄せた。
結びの一番、ひやりとさせられたが、白鳳が勝って優勝。
喜びに沸いた人も大勢いるだろう。

白鳳、一瞬つり上げられたが、朝青龍の完敗。

●復活
おもしろいチラシが折り込まれた。
先日、ナショナルブランドを捨て
パナソニックに1本化することに決まった松下電器が
系列の電気店開店を促していた。

家電量販店が出現するまで、家電メーカーは系列電気店を抱えていた。
メーカーはそれを束ねる販売会社があった。
松下は「ナショナルショップ」日立が「日立チェーンストール」東芝が「******」。
そこに加盟していれば、店舗改装資金、販売キャンペーン時の宣伝材料支給、
人的資源提供を受けることができた。
大会では傘下の家電店の販売量に応じて表彰されるなど、
メーカーと町の電気店は長い蜜月状態が続いていた。

時代は流れ、モータリゼーションの発達により郊外型店舗が出現するようになった。
その中に大型家電店があった。
幹線道路沿いに次々と出店。
大量仕入による価格破壊を行われては町の電気屋さんはひとたまりもない。
次々と閉店に追いこまれていった。

時代はさらに進み、高齢化社会を迎えた。
常に新製品を買い求める人ばかりではない。
電球が切れた、修理してほしいなど、
老人たちの身近な要求に応えるショップの需要が見込まれる。
さらに、2011年、テレビのアナログ放送終了に伴い
デジタル放送へ切り替える際の配線、アンテナ設置、チューナー購入などの
「特需」も期待できる。

そんな時代の背景を当て込んで、新しい「町の電気屋さん」を開きませんか、と
呼びかけているのだ。
2月に入ると関東各県で出店相談会が開催される。
もうひと花咲かせようと撤退した電気屋さんや
脱サラで参入しようとする人などが大勢集まるのだろうか。

1月26日(土曜日)
●掃除
家や部屋ではない。
家事には非協力的と家人からなじられているほどだから。

しかし、パソコンの掃除はこまめに行う。
外側の埃を払うのではない。
HDD内部の掃除である。

毎日使っているとOS起動やアプリの立ち上がりが遅くなる。
CPUはそこそこ高性能なのだが内部変化が必然的に発生する。

クリーンアップやデフラグでも改善できないことがある。
今まで恐くて手をつけられなかったレジストリの削除を行った。
膨大な数の不要ファイルがおりのように沈殿していた。
さらに不要なクッキー削除。
起動ハードディスクから使用頻度の少ないものを
パーティションを切った別のハードディスクに移動。
常駐ソフトの数を減らす。
タスクバーに配置するのも必要最低限。
壁紙は使用しない。
さらに、MacOSX風のランチャーをインストール。
デスクトップに置くのは「ごみ箱」だけ。
ショートカットアイコン作成にも工夫を凝らした。

※ゴミ箱だけのデスクトップ画面でおます

で、再起動。
効果てきめんだった。
購入当時より体感速度は上がっているような気がする。

●深夜放送
金曜深夜1時30分。
ラジオ日本「あなたと夜と音楽と」。
ディスクジョッキーは秋元順子。
おばさん歌手だが、声がよく歌がめっぽううまい。
番組の前・中・後に彼女の歌が流れる。
「マジソン群の恋」「雨の旅人」最新曲「愛のままで(?)」。
題名から判るように大人の男と女の情を歌っている。
演歌ではない。
ポップス歌謡というジャンルになるのだろうか。
こぶしを利かせたり、ゆるやかな坂道をのぼるように発声したり
歌のことは詳しくないが、かなりのテクニシャンである。

彼女の存在を知ってから3ヶ月以上経過したが
まだCDは購入していない。
週に一度、遥か遠い国から流れてくるような聞き取りにくい放送に
(電波は横浜から発射されているのだが、出力数が低いのだろう)
耳を傾けながら確実に2時までは起きている。

昨夜は、冬の歌。
懐かしいアダモの「トンブラネージュ」。
彼は私より1歳年下ということが、彼女のお喋りでわかった。

1月25日(金曜日)
●深夜放送
相変わらず床に入り寝つくまでラジオを聞いている。
一昨日は、どの局もさして興味をひくものがなかった。
で、普段はAMオンリーなのだがFMにバンドチェンジ。
NACK5、FMTOKYO、J-Waveどれも若者向けの音楽ばっか。
すると、NHK第1のTVチャンネルを受信した。

深夜にTVを見る習慣などないが、音声だけでも結構いける。
聴き慣れた松平アナの声だった。
「そのとき歴史は動いた」の再放送だった。
好きな番組であり、明治維新前のテーマは見るようにしているが、
「豊臣秀吉の朝鮮出兵」は見逃していた。

安らかな眠りに入るどころか、聞き入ってしまった。
大陸侵略を試みた秀吉だったが、形勢は次第に不利になってきた。
朝鮮の後ろ盾だった明の前に敗戦間近。
そこで、対馬藩主の某が、降伏文書を偽造し明と和睦を図った。

この対馬藩は以前から文書の偽造を行い難問を解決してきたという。
対馬藩は大陸との交易は藩の生命線だった。
中央政権から遥か遠い場所に位置していることが幸いして、
長い間、藩の犯罪は露見することがなかった。

中央は地方に無理難題を押し付ける。
財源確保に大陸と密貿易をしていた薩摩藩も同じようなものだ。

で、明から文書を携え使者がやってきた。
内容を見て秀吉は激怒する。
日本が明の属国になり、秀吉をその王として認める…などと記されていたからだ。
使者を追い返し、再度朝鮮出兵を試みたが、その間に秀吉は没する。
家康は朝鮮と和議を結ぶことになる。

以後、朝鮮通信使が日本を訪れることになるのだが、
偽造文書で難局を打開してきた対馬藩の
したたかな戦略を解説した番組だった。

深夜の日本史。
終わったのは何時頃だったのだろう。

1月24日(木曜日)

●売国奴
内閣情報調査室の52歳の職員がロシア大使館職員に情報を渡していた。
見返りに80万円を受け取り競馬、飲食代に使かっていた。
調査室は機密性の高い情報ではない、と弁明しているが、
そのような問題ではない。
国益にかかわる情報を得る職業に就いている者が情報漏洩を行ったことが大問題なのだ。
戦前なら「売国奴」として指弾されただろう。

ゾルゲ事件に関わった日本人情報提供者は死刑だった。

イージス艦のうっかり漏洩もしかり。
これなど、現場の教官が他の仲間に手渡していた。

職業倫理感の欠如だが、
こういう立場の人間は守秘義務について宣誓を行わないのかね。

懲戒免職となった内閣情報調査室の清水稔彦という男だが、
信念に基づいてということではなく、遊興費欲しさの犯行。
情けないやっちゃ。

●三姉妹
家庭用プリンタは、デジカメ写真印刷機と化した。
インクジェットのこのジャンルはEPSON、CANONが市場を牽引している。
両社ともパソコン経由しなくても印刷できるフォト・プリンターも発売。
HP、DELL、ブラザー工業、LEXマーク社も追従しているが、旗色は悪そう。



ワイヤードット、インクリボン、インクジェットと進化してきたプリンタだが
現行のインクジェットも機能的には成熟している。
当初は、各社とも吐き出すインクの微細さ(技術力)をアピールしてきた。
次のステージはイメージとなる。
デジカメはメガピクセルクラスになり、
このデータを写真画質で手軽に印刷できる。
それも、メカには詳しくない素人でも美しく…

キヤノンは美人3姉妹という想定で
人気女性を起用しTV、新聞、雑誌で広告を行っている。
その露出量はかなりのものだ。

小生、顔は見知っているがお名前は存じ上げない。
ただ、こんな美人にそだっちまった娘が3人もいたら
親父としては気がもめるだろう、と思うだけ。

●DELL
元気のいいPCメーカー。
最近広告の見え方が変わった。
前は、ローキーといって暗い画面だったが
今、ハイキーの白っぽい作りになっている。

腕時計、カメラなどは高級感を出すためにローキーな
広告作りが行われることがある。
DELLも家電品並みに気軽に使っていただきたい、と表現戦略を転換したのかな。



ところで、TVで海外ビジネス事情などを放映することがある。
オフィスシーンでは、DELLブランドが跋扈している。
アメリカはもちろんヨーロッパ、インドなども
液晶ディスプレイの背中にDELLが刻印してある。
そして、あの、安っぽい打鍵感のキーボードを使っている。



昨年6月ロードショーされた「シューター<極大射程>」を
半年遅れでDVDで観た。
陰謀に巻き込まれた海兵隊上がりの狙撃手の話だ。
この映画のFBIオフィスでもDELLが使われていた。

昔ならIBMなのだろうが、その姿はない。
HPも登場しない。
どこのオフィスもコストパフォーマンスの高いDELLなのだ。

広告代理店やプロダクションの制作シーンや
映画・音楽の制作現場ではAppleが登場するのだろうね。

一時期、大企業のオフィスシーンはIBMだった。
なにしろ、International Business Machineという社名なのだから。
ThinkPadが中国のレノボに買収され、
IBM自体PCよりサーバービジネスに移行してから
おかしなCMを見かけることはあっても、
PCの新製品を見ることはない。

DELLがわが世の春を謳歌しているが、
ここから発売されるマシンは、
もともとIBM互換機ビジネスがルーツなのだ。



日本の互換機ビジネスは、
NEC、富士通、SONYが健闘しているが、
DELLに相当するメーカーは育っていない。
以前、秋葉原にTWOTOPがあったが、今では周辺機器で
糊口をしのいでいる。
MOUSE COMPUTERが少し元気になったような
広告展開をしている。

しかし、ピアノ鏡面仕上げの本体つ〜のは好みが分かれるところだ。
映画「極大射程」の狙撃銃だって、実戦では迷彩塗装を施しているよ。

MOUSEコンピューターは
春日部・ロビンソン前にショップがあり、
ここは発祥の地なのだが、秋葉原に進出した。
ところが、登記上の本社は杉戸町の国道4号線に面した建物にある。
なんで?



「極大射程」では1.6km先のターゲットを狙う。
この距離はわが家から駅までとほぼ同じ。
見通しがいくらよくても、わが家の屋根に登って
ホームに立つ人の頭部に銃弾を命中させることは困難ね。
それを、やってのけるのが、主人公のスワガーだ。
B級だが、面白い映画ではありました。

遥か遠方のターゲットを確実に倒すために
スナイパーの脇にはスポッターという観測手がいる。
湿度、風速、移動量などを計測し、スナイパーはそれに従い照準器を操作する。
ミルという単位が出てきた。
調べたら1/10セントという貨幣単位。
ことによったらミリの聞き間違いだったのかも。

1セントより小さな単位がミル。
日本の円と銭の関係か。
日常生活には関係ないが、日米とも株の世界では健在な単位なのだろう。

1月23日(水曜日)
●雪
ラジオでは赤坂界隈は8時頃から降り始めたらしい。
こちらは9時半に小さな雪片が落ちてきた。
「ぼたん」に変わることもなく昼になっても降り続いている。

この案配じゃ多少積もるんだろね。
と、思ったら午後から雨に変わり白い姿は次第に消えていってしまった。

わが家付近は畑など土の部分、樹木が多いので止んだあとが大変だ。
まちなかにその痕跡がなくなっても
庭や家の裏側に根雪となって残ってしまう。
散歩の老夫婦がびっくりしながら通り過ぎております。

なんせ、この界隈は、町の原風景を残す唯一の地区なのだ。
手つかずのまま残す、というのではなく
町が推進する「農のあるまちづくり」の重点ゾーンとして
雑木林を残して「新しい村」という名前がつけられ
地元野菜の直売施設、市民農園とクラブハウス、農業支援施設、道路が建設され、
越してきた当時の眺めは一変。
住民の憩いの場として観光地化した。

おかげて、野ぜりがつめた田畑が駐車場になり
人の姿を警戒したカワセミの姿を見る機会はめっきり減った。
当然、山崎山で14年前は見られた蛍もいなくなった。

「新しい村」は当時の安倍首相の掲げた「美しい日本」に一脈通じるものがあるとして、
全国でいくつか選ばれたそのなかに入ってしまった。
地方自治体から見学はくる、
安全・新鮮な野菜を購入に地元はもちろん近隣からもやってくる。
10時開店、目ぼしい野菜は午前中で売り切れる、という
現在、このまち一番の人気店舗。
商店は撤退や閉店に追い込まれているのだが…

そんなわけで、散歩する人の姿も増え、
わが家もその視線にさらされることになった。
越してきた頃は、家の前を通る人など1日2〜3人だったのにね。



環境はいいけど、周囲が自然だらけなので、駅周辺にくらべ寒い。
まちばは都市型下水だが、こっちは自宅内の簡易下水。
生活排水を灌漑用水路に流しているのだから、水質改善など望みようがない。
都市ガスではなくプロパンガス。
インターネットもADSLまで。
光ファイバーはいつくるかわからない。
ケーブルテレビなど、世の中にそんな便利なものがあるんですか、という具合。

農村の原風景を残すために、暮らしぶりも不便を余儀なくされている。
これが、田舎に暮らす醍醐味なのよ!
と、いいたいところだが、ここは東京から遥か離れた農山村・漁村ではない。
せめて「光」の恩恵にあずかりたいものだ。

1月22日(火曜日)
●習慣
いつもは布団のぬくもり去り難く
目が覚めても床から這い出るのに時間がかかる。

昨夜のラジオ深夜便は
4月からNHK朝の連ドラに出演する木の実ナナ出演で
眠らなくてはと思いつつ
インタビュー番組を2時近くまで聞いていた。

今回の役どころが月島の食堂のおばちゃんで
向島出身の彼女は下町言葉がそのまま使えると言っていた。
現在は寺島町だが、私が高校に通っていた頃は
向島といえば、三業地、鳩の町、通りの向こうは玉ノ井。
男と女の遊び場だったんですね〜〜。
こういう合法的な場所が今も健在なら、
大学総長や小学校の職員も
ここで欲望の処理ができたのにね。

6時10分、
目覚ましが鳴ったとたんに飛び起きた。
素早い反射神経。
7時半には家を出た。
2〜3日前より寒さがゆるんでいる。

最近、新しい行き方を発見。
と、偉そうなことを言えたものではない、
ただ、便利なコースを知らなかっただけだ。

東武動物公園から久喜発の急行東林間に乗って押上まで出てしまう。
これまで、曳舟で各駅に乗り換え浅草、
そこから一度外に出て都営地下鉄に乗り換えていた。
ところが、押上からなら
雨の日も濡れない、歩く距離はやや短い。
1台前の久里浜行きに乗れる。
いいことづくめ。
このコースを発見するまでの4〜5ヶ月間
なんと、無駄な動きをしていたんだろ。
習慣とは恐ろしい。

小さな発見をしながら
何十年ぶりの勤め人を楽しんでおりますよ。
こういうことがなかったら
携帯電話、スイカなど縁がなかったもんね〜〜。

1月21日(月曜日)
●国会
与野党の応酬が繰り広げられているが、
相変わらず、福田首相は官房長官時代と同じ、おとぼけおじさんぶり。
何を話しても、緊張感が感じられない。
一方、民主党・鳩山氏も熱弁をふるっているのだけれど、
こちらも相変わらず空転するような話っぷり。
吉田、岸、佐藤…昔の政治家の存在感は
現代のサラブレッドたちからは感じることはできない。

ことによったら、こちらが歳をとったためかもね。
為政者たちがが同世代か若い人たちだもん。

今国会を「ガソリン国会」というらしい。
民主党のネーミングだが、なんかあぶなっかしい名前だ。
結局、炎上して、民主党がギャーギャー言っても
与党に軽くいなされる、といういつもの図式だ。

●教育者
福祉大とかいう、就職率のいい学校の総長がセクハラで訴えられた。
専門学校の職員だか先生だかわからんが、
その女性をいじくりまわした、というのだ。
総長は60歳。
女性は40歳。

密室の総長室で40分ほど弄ばれたらしいのだが、
男は地位をバックに、
「悪いようにしないから」とかなんとか言いながら
詰め寄ったのだろうが、
職を失うのを怖れて、されるがままだったのだろうか。
女性は逃げようと思えば、そうできたはずだ。
それにしても40分も言いなりとはね〜〜。

結局、この男は大学や、自分が経営する専門学校の要職を
すべて棒に振る結果となった。



出会い系サイトで中学、高校生を相手にしていた40歳の男は
江戸川区の小学校職員だった。
関係した少女たちの写真を1000枚所持、とマスコミ報道。

モンスターペアレントに
公職、おっと違った好色教育者。
どちらも、どこかが壊れておりますね。

1月20日(日曜日)
●廃屋
いとこから電話があった。
彼が管理する家を解体する、という。
その家とは母親の実家で、いとこは隣町に住むため
長いこと放置してあった。
傾いて危険なので今回の措置となった。
屋根は新しいが、本体は明治以来のもので
大地震にもびくともしなかったそうだ。
壁は、今流行の土壁。きれいな塗りだ。

戦争中、都内に住んでいた母親はこの家に帰り私を生んだ。
当時の父親の日記にはその模様が記されている。
そして、南方の戦地に赴いた父親を、
母親は役場に勤めながらこの家で待っていた。
小さな私もそこにいた。
近くに戦闘機を作っていた中島飛行場があったので、
敗戦間近、B29の編隊が爆撃にきた。
母屋の前は防空壕が掘られていた。
納屋と母屋の間の細長い空に爆撃を終えたB29が
キラキラ光ながら高空を飛んでいったのを記憶している。

戦後、小学〜中学の夏休み長期間この家に滞在。
いとことは近くの掘割や利根川で水遊びをした。
懐かしい家だ。

そんな思い出多い家が解体される。
いとこはそれを知っていたので連絡をくれたのだろう。

10時頃家を出た。
122号線をひたすらゆき、利根川を渡って20分ほどで目的地に到着。
道がすいていたので11時半には傾いた家の前にいた。

トマトやスイカを冷やした、家の裏の井戸は布がかぶせてあった。
年代物の公孫樹やけや木もすべて伐採し更地にするという。

30分遅れでいとこ夫妻が到着。
記念撮影の後、思い出の品になりそうなものを車に積み込む。

食事でも…ということになり近所の店に。
川魚料理の新田家はこの界隈の老舗。
昔は利根川のほとりにあり、
明治の文人、田山花袋がここで小説を書いたことで知られている。
うな重、鯉こく、鯉の洗いという典型的な川魚昼食。
切り身の厚い洗いは、くせがなく歯ざわりがいい。
久々に本場物を堪能した。

おみやげに、いとこの近くで生産されている
「あきひめ」と、「とちおとめ」をいただく。

帰路は、羽生に出来たイオンモール渋滞があったが、
そこを抜ければ騎西、菖蒲、白岡経由の快適なドライブ。

家に戻り、早速「あきひめ」を賞味。
ものすごいジャンボいちご。
となりの「とちおとめ」が小さくみえま〜〜す。
とはいえ、甘み、歯ざわりもなかなか。
3ついただいておなかがふくれるイチゴというのも珍しい。

「しし柚子」を見て以来のびっくりイチゴだった。

1月19日(土曜日)
●新古典
当節流行らないヘビースモーカーであります。
書棚に飾ったままの本の背中が黄ばんでいるので
久しぶりに掃除でもしてやろう…

どこかにしまいこんだと思っていた1冊が奥から出てきた。
「書を捨てよ、町へ出よう」
故寺山修司著、装丁・本文レイアウト・イラスト横尾忠則という
今となっては豪華な顔ぶれだ。

昭和42年発行。
当時話題になった本だ。
大昔のことなので内容はすっかり忘れている。
題名からすると、見聞を広めよ、と、読める。

ページを開いてみた。
「青年よ大尻を抱け」
北大クラーク博士の「青年よ大志を抱け」をもじっていた。
 Boys get the big hips!
なんと過激なタイトルであるか。

どんなことが書いてあるのか。


「青年たちは、老人たちに盛り場から駆逐されている。
この性的時代のヘゲモニーは中老に奪われてしまって、青年はその復権のために
政治に思いを馳せたりしているのである。
だが、本来は、老人が若者を怖れる時代、こそが明日を約束する時代なのであって
現代はアベコベなのだ」

巻頭から、青年の腰砕けを嘆き、青年の復権をアジっております。
卑近な例として、会社の上役にガールフレンドを取られた青年の話。

なんのとこた〜ない、世の中「ちょいわるおやじ」が青年市場を荒らしているから
おまえさんたちも、がんばれよ!という、ちょいワル青年奨励本なのだ。

目次は
不良人間入門
家出入門
モダンジャズ入門
歌謡曲入門
アソビ入門

さらに
口からでまかせの恋愛論
恋の値段
デートの申し込み方
恋人になる資格
浮気物
純潔について
恋は錯覚だ

それから
現代悪人論
キスのしかた

などなど、寺山修司の刺激的な「文明論」の文字が踊っている。

方言と地方出の劣等感に悩まされながらも
女優・九条映子をものにした寺山の
体験論だったのかね〜。

その昔、話題になりそうなので
買っては見たものの、こういう本のやっかいになるほど
困ってはいなかったので、
そのまま本棚の奥に眠らせていたのかもしれないね。

だが、全編横尾忠則のイラストにあふれ
装丁や編集レイアウトも若き日の横尾忠則のにおいがプンプン。
今見ても面白い。

1月18日(金曜日)
●インサイダー
NHKでまた不祥事だ。
企業合併のスクープ情報を見ることができる立場にあった男たちが
放送23分前に株を購入、翌日売り抜けて利益を得ていた。

男たちは共謀していたわけでない、
同時に「盗み見」していたものと思われる。

取材で得たマル秘情報を直接関係のない連中まで見ることができるという
情報システムの間隙をぬって行われたインサイダー取り引きだった。

今朝のTV番組で、首脳陣3人揃って頭を下げるという
最近のNHKではおなじみの光景を映していた。

もう、お前らの薄い頭頂部など見たくない!
顔を上げ胸を張って、不埒者たちを綱紀粛清せよ!
この企業には放送料金の猫ばば、痴漢などなどせこい犯罪者を
輩出しているのだ。
規範のゆるみは、ぬるま湯体質だからなのだろう。
今回の事件など氷山の一角だ。
犯罪者はまだまだいる。

制作現場のディレクター連中が
「自分さえよければ」という根性で小金を手にする。
どうせなら10〜30万などという「はした金」でなくもっと大きくやれよ!
露見しても、そのほうが「ワル」に見えるだろう。
雑誌の広告に踊らされて「ちょいワル」で終わったところが情けない。

それにしても、彼らのモラル意識、職業倫理感が
すっぽり抜けていることが問題だ。
少しばかり試験の成績が良くても
人間としての資質に欠けては社会人として失格。
これは、学校教育にも問題があると思うがね。



「ゆとり教育」が見直される。
日本の子供たちのレベルが国際的にどんどん低下していくのを危険視したのだが
もともと大人たちが、子供たちにおもねて、くだらん教育方針を打ち出したのが原因だ。
しかし、見直すだけでは改善されないだろう。

校長、教諭の復権を図る。
もっと職業に誇りをもつ。
保護者の意見は聞いても言いなりにならない。
日教組などという上部団体の言いなりにならず
学校は自分たちの問題として一丸となって取り組む。
こういう気概がないと、流されるままだろうな。

1月17日(木曜日)

●誤解
ひょんなことから、私に対する噂話を聞くことができた。
「歳いってからパソコンをマスターし、教室をやっているのだからすごい」
褒め言葉と解し、ありがたく頂戴しておけばいいのだろうが、ちょっと引っかかった。
「あの歳、って何歳のときを言うのかな」

確かに50歳を過ぎて、家庭菜園をやりパソコン教室を開くために横浜から越してきた。
そのときすでに、15年以上パソコンとつるんでいた。
当地で、ひまを持て余してパソコン習得に励んだのではないのだ。
横浜時代はMacとPC−9800シリーズ両タイプのパソコンで
仕事と趣味にばりばり活用していた。
間もなく、OSはMS−DOS環境になり、実験が始まったばかりのパソコン通信にものめりこんだ。
DOSは、コンフィギレーションファイルの書き換え、バッチファイルの作成などで
自分好みの環境に変えるなど先進的な使い方をしていた。
その後、Windowsが登場するが、XPまでは奥のほうでDOSが動いているので
OSやHDの修復など、DOSコマンドで行うなど朝飯前。

そんなわけで、パソコンは25年以上使っている。
今も、パソコンとその環境には大いなる関心と興味を抱き続けている。
したがって、この歳になる遥か昔の働き盛りに、8ビットパソコンから親しんできた、
ということを申しそえたい。
でなきゃ、パソコン教室など開けませんよ。
以上、終わりっ!

●意志
やるときゃやる!

以前は、渋谷から東横線で桜木町へ出て歩くか、JRに乗り換える必要があった。
いま、東横線の路線変更と延伸で渋谷から横浜中華街へ1本で行けるようになった。
これにより東京、横浜の繁華街・観光スポットがダイレクトに結ばれ利用客も増加。
双方めでたしめでたし。

東京・横浜を結ぶ東横線も全線高架ではない。
都内や多摩川を渡ってしばらくは高架だが、
日吉を過ぎ、大倉山、菊名、妙蓮寺、白楽あたりまで地上を走っている。
昔は畑などのんびりした風景が広がっていたが、ほとんど住宅化している。

東白楽から反町〜桜木町は高架だった。
しかし、MM21経由中華街への延伸で、
東白楽から地下鉄に。
丘の上の駅、反町も地下深くもぐってしまった。

その、地下にもぐる地点を見てきた。
神奈川の名門・神奈川工業高校、通称「かなこう」の脇からだった。
ふ〜〜ん、上手く作るもんだ。
行政と鉄道会社のコラボ、沿線住民の理解もスムーズにいったのだろう。
この界隈、高架で区切られ狭いちょっと暗いゾーンだったが広々としてしている。
神奈工も高層校舎に代わり周囲を睥睨している。

本日、神戸大震災から13年。
被災地も新しい建物に代わり往時の面影を探すのに苦労するという。

私の住む町は、13年経過してもほとんど変わらず。
特に、駅周辺は時間が止まったようだ。
それをこよなく愛す人が多いのだから仕方ない。

●近隣
久喜市を中心とした鷲宮町、菖蒲町で
合併意向アンケートが間もなく実施される。
当初、1市3町同一内容と伝えられていたが
微妙に違ってくるようだ。

共通なのは、
1市3町(久喜・鷲宮・菖蒲・栗橋)を基軸とした合併をどう思うか
賛成 反対

・久喜、鷲宮は「どちらでもよい」という「無関心派」向け設問が入る
・菖蒲「合併はやむをえない」という「消極的賛成派」向け設問が入る。

久喜市が主導するため、周辺にがたがた言わせない。
新市名:久喜市、新庁舎:現行久喜市庁舎を用いる。

ここに、アンケート結果次第では幸手市も加わる。
前回は久喜・幸手で綱引きが行われ合併は流産したが、
今回は、弱体化した幸手が久喜に従うのかね。

菖蒲町は、町名がなくなるという合併反対派を押さえ込むために町名は残す。
よって「久喜市菖蒲町xx」という標記になる。
南埼玉郡が久喜市に変わるだけ。1文字減少か。

久喜市グループに該当する地域住民は、
合併住民運動をすれば、徒に混乱させる。
ならば、「お上」にまかせてしまえ…という案配なのだろうか。

●初雪?
昨夜降ったのだろう。
庭の日陰の部分に霜にしては大きな白い粒が残っていた。
ジョンの散歩。
日の当たっている畑は何の痕跡もないが、
日陰の道はうっすらと白い。

風は冷たいが、湿り気を帯びてきた。
手を伸ばしたその先に、小さな春が生まれている。

●残念
第138回芥川・直木賞が決まった。
芥川賞:川上未映子(31)乳と卵
直木賞:桜庭一樹(36)私の男

2人とも女性だ。
譲さん惜しくも直木賞を逃した。
でも、実力あるから自分の世界を確実に形成できる。

1月16日(水曜日)
●寸暇
寸暇を惜しんでDVD。
本日はディカプリオの「ブラッド・ダイヤモンド」。
米国製らしく派手 。

舞台はアフリカ「シエアレオネ」。
民族抗争とダイヤモンドが複雑にからみあっている。
密売人のディカ君が
「血の色をしたダイヤモンド」の話を聞いたことから…

美人の米人ジャーナリストとの出会いや
大粒ダイヤの秘密を握る現地人の家族を思う心が
彼の心の奥に眠っていた感情を目覚めさせた。

内戦ものだから残虐なシーンはある。
斧で腕を切り落とすというのはさすがアフリカ。




タイタニックの頃の彼は
ど〜ってことないあんちゃん俳優だったが、
かなり成長していた。
「ディパーティッド」でもそれは感じられる。

虚無的な彼だったが、原因は生い立ちにあった。
それをジャーナリストに語るシーンは
その苦悩ぶりがよく出ておりました。

脱皮しつつあるディカ君に乾杯!

1月15日(火曜日)
●パソコン
人がどのようにパソコンと関わっているのか…
その時代時代に先進的な使い方をしている人や事務所が
雑誌や新聞で写真入で紹介されることがあるが、
それを見るのが昔から好きだった。
18年ほど前、まだWindowsなどしゃれたOSはなく
国産PCメーカーは群雄割拠。
基本はMS−DOSだが、メーカー毎に多少異なる味付けをしており
互換性はなかった。
あとは、Apple「Mac」の多様化が始まった頃で、
先を行くOSがまぶしいほどだった。

当時のパソコン雑誌を賑わしていたのが、
MS−DOS代表は、作家・矢野徹氏。
60を過ぎてからゲームを通じてパソコンにのめりこむ。
執筆はワープロソフトでなくエディタを使い、フリーのフロントエンドプロセッサ
(当時は、日本語入力ソフトをこう呼んだ)を使っていた。
インターネット以前のネット社会、パソコン通信に熱中し、そのやりとりを
「怒りのパソコン日記」の名で本にするなど、
「おっさんの星」だった。
当時、私も矢野氏と同じ「VZエディタ」を使って仕事をしていた。
フロントエンドは「一太郎」の「ATOK」だったが…。
時の人らしく、氏の仕事場兼書斎が頻繁に登場した。
本に囲まれその間にパソコンが鎮座している。
DOSマシンだったから、別にうらやましいとは思わなかったけど。

Mac派の代表が文芸評論家というより書誌学者「紀田純一郎」氏だ。
パソコンを情報整理に活用しており、熱心にデータベース作りをやっていた。
当時、私は3代目の小さなMacも使っていたのだが、
周辺機器は貧弱だった。
値段が高くて簡単に手が出ない。
従ってDOSマシンと同じ比重をかけることはできない。
紀田氏は高価なマシンの傍らに
HDDやスキャナ、純正プリンタなどを揃えて
Macの城を構築していたのだ。
やや額は後退し志村喬ばりの唇の氏は、
自作の蔵書票などを披露していた。

グラフィックには弱かったDOSマシン使いとしては
指をくわえるしかなかった。

このお二方、すっかりパソコンシーンから姿を消してしまった。
存命なのだろうか。

DOSはWinに変わり、OSはMacに近づいている。
MacもiMacになり、最新機種は震えるほど美しい。
値段もこなれている。
Appleは純正周辺機器から撤退しており、
サードパーティ製で十分。

パソコンの進歩はすんばらすい〜〜



定期的に購読している雑誌にクリエイティブ事務所の
パソコンが紹介された。
Webデザインを手がける関係上
スタッフはMacとWinマシンを使う。
大型の液晶ディスプレイが並ぶオフィス。
スタッフは好みの椅子で仕事をやっている。
昔と違いますね。
オフィスは代々木にあるそうだが
入口にはスタッフの通勤用や社用車代わりの
おしゃれな自転車がショールームのように並んでいる。
いい雰囲気…
一般企業ではここまでは無理だろうね。



25年前の雑誌がある。
Macの先輩アップルUが本体だけで35万円。
これにプリンタ、ディスプレイ、FDDをつけると軽く100万を越してしまう。

ゼロックスのJ-Starはワークステーション。
MacOSのヒントになったOSを搭載している。
お値段、ぬわんと565万円!!


●日本映画
娯楽の多様化で低迷していた日本映画も
このところ作品数が伸びているようだ。
上映館もシネコンが過当競争に陥っている。

わが町の場合、すべて近隣の施設にご厄介になっているのだが、
幸手シネコン、春日部ララガーデンのシネコン、
やがて春日部の16号線沿いに大型ショッピングゾーンができるが
そこにも併設される模様だ。

環境は整った。
が、日本映画はテレビでは見ても映画館で見る気にはならない。
藤沢周平がいい、となればシリーズ的になってしまう。
国民映画と言われる「釣り馬鹿」や「寅さんシリーズ」も
笑いと人情をベースにロケ場所が違うだけでマンネリ化している。
ホラーや漫画を下敷きにしたイージー路線。
若者と戦争をテーマにした作品も底が浅い。

そんな中にあって、周防監督の作品は他の作品と一線を画している。
禅宗の寺が舞台、大学の弱小相撲部が舞台、町のダンス教室が舞台、
痴漢嫌疑の裁判所が舞台など毎回問題作を提供してくれる。
氏の作品は目が離せない。



昨日「善き人のためのソナタ」を見て思ったのだが、
昔はヨーロッパ映画もがんばっていた。
フランス、イタリア、ドイツ、イギリスにスターはいたし
北欧諸国も問題作を発表していた。
ところが、制作費をふんだんに使ったハリウッド映画に押されて
次第に下火になっていった。
が、最近、派手さはないが心に残る作品が日本に紹介されるようになった。

1990年、フランス映画「髪結いの亭主」
1998年、イタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」

は傑作だろう。

「髪結いの亭主」は「愛の不条理」を
「ライフ・イズ・ビューティフル」は「極限状態を耐える力」を描いて、
見るものに深い感銘を与える。

残念ながら日本映画にはこのような映画を見つけることができない。

「善き人のためのソナタ」が東西冷戦の産物なら、
日本には戦時中、国民を監視する「特高」という組織があった。
ゾルゲ事件で多少紹介されているが、
このような秘密のヴェールに包まれた組織を扱ったものや
大戦中の外交官を扱ったもの
また、世界のスパイが集まった上海が舞台など、
テーマには事欠かないはずだ。
佐々木譲氏の戦争小説は映画化されれば面白いだろう。

日本映画も、大人の鑑賞に堪えられる作品が出現すれば
もっと活況を呈すると思うのだが。



ジャン・ギャバンやイブ・モンタンが活躍した頃の
フランス映画は粋でしたね。
いい年をした男が悪事をはたらく。
フランソワーズ・アルヌールみたいないい女に思いを寄せられる。
男が男らしかったもんね〜〜。

年末だったか、テレビで中堅俳優・役所浩司がSFの戦記物映画に出ておりましたが
セットは貧弱、くだらん内容を大真面目にやっていた。
本が悪いと役者も可哀相。
即、他局に切り替えてしまいましたが。

1月14日(月曜日)

●ソナタ

休日の昼下がり、借りてきたDVDを鑑賞。
「善き人のためのソナタ」。
昨年2月に封切られた映画だが、見逃していた。
こたつでDVDとなると、どんなアクション物でも
途中1度や2度うとうとしてくるものだが、
この映画は文句なしに面白かった。
というより観る者の胸を打つ。

ハリウッド映画とは異なり派手なシーンはないが、
それだけに東ドイツの重苦しい空気が伝わってくる。

ストーリーの紹介は差し控えたい。
TUTAYAの会員ならぜひ借りていただきたい作品だ。


映画の舞台は東西冷戦中の東ドイツから始まって
ベルリンの壁崩壊後までだ。

東ドイツの体制崩壊といっても、ナチス・ドイツのときと違って
秘密文書が焼却されたわけではないので、
24時間監視されていたことを知らなかった劇作家ドライマンが、
自分に関する監視報告書を見て驚愕する。

見終わってから、この映画のことをインターネットで調べたら
監督はなんと33歳の若さというから驚き。

監視を指令した大臣、指揮した上官、監視していた大尉など
壁が崩壊したあともみな生きて生活している。
体制派と反体制派は わだかまりなく過ごしているのだろうか。

また、ドライマンを演じていたセバスティアン・コッホが
誰かに似ているな、と思っていたら
ドイツの大女優マリア・シェルの弟のマクシミリアン・シェルだった。

ドイツ映画だから、出演する俳優に大戦時の軍服を着せたら
即、ナチ物の映画が作れるだろう。
と、思ったら「ブラックブック」(2006年)の諜報部大尉を
セバスティアン・コッホは演じていた。
まるで、記憶にないが…

「白ばらの誓い」といい「善き人のためのソナタ」といい
ドイツ映画のタイトルは変化球気味。


アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『善き人のためのソナタ』で主役を務めた
ドイツ人俳優のウルリッヒ・ミューエが
2007年7月22日、胃がんのため死去した。54歳だった。

●霹靂(へきれき)
まさに喉に突き立てられたナイフ。
取り除くことは、不可能。
アメリカの「キューバ危機」状態に陥った場所がある。



タバコを買いに出た帰り、最近は通らなくなった道を行った。
コミュニティセンター「進修館」で行われた
成人式典も終わったのだろう、
振袖姿の女性たちが談笑している姿を遠めで見て、
役場の正面が見渡せる方向に曲がった。

住宅開発が役場界隈で行われていることは聞いていた。
役場正面前の駐車場と、グランドゴルフを楽しむ人たちが集まる広場に
はさまれた細長い土地が住宅地に変わろうとしているのだ。

これ以上小さく区画できないと思えるほどのスペースが4〜5区画。
商談用テントが張られ、開発社の車が来て客待ちをしていた。

宮代の風景はどこを見ても開放感がある。
役場周辺も例外ではない。
しかし、ここにミニ開発が行われた。
結果、狭い土地の小さな住宅が肩を寄せ合って数棟立ち上がる。
その光景はイメージしたくないほど
周囲とのバランスを欠いた異質なものになる。

間違って購入した方たちは
極めて住み心地の悪い思いをするだろう。
3方が公共スペースだから、そこを訪れる人たちから
「よりによってこんな場所に住まなくても」とか、
「町の景観をだいなしにする場所に住む神経がわからない」
などという、白い視線を浴びながら暮らすことになるからね。

誰もが公共スペースだと思っていた一角なので
本来、町に金があれば購入すべき場所なのだろうが、
「単独」を選択した手前、そんな贅沢は許されない。

こうして、町の顔とも思える一帯に
こせこせした住宅が立ち並び
自然と共生する伸びやかな町を標榜しながら
肝心の足元はスラム化を内包した住宅が迫るという
矛盾した光景が広がることになる。
将来を見越せないみごとな計画というべきか。

●成人の日
新成人 この日ばかりは しとやかに

昨年は8日だった。
私の頃は15日に固定されていたが、なぜ、今の若者のようにふらふらと定まらないのかと言えば…
1948年に公布・施行された祝日法により、翌年から1月15日を成人の日として制定した。
ところが、1998年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)に伴って、
2000年より成人の日は1月第2月曜日へ移動している。

だいたい、ハッピー・マンデー法などという名前からして胡散臭い。
バブル経済崩壊後、日本人の働き過ぎという風潮を是正しようと
このような措置になった、と記憶するが、
これに伴い日本人の心に染み付いていた「労働は美徳」という概念も薄れてきた。
企業も効率ばかりが優先され「愛社精神」が低下。
「ヘッドハンティング」という米国流の手法により、できる奴は企業を渡り歩いて
高額報酬を受けるという具合に変化した。

「額に汗して」という概念も、馬鹿馬鹿しく感じられるようになり
特に、IT企業やオンラインでマネーゲームに没頭する輩は
ディスプレイにかじりついて濡れ手で粟のように金を集めまくる。

こういう空気の中で育った連中が20歳を迎えた。
こつこつと自己形成している若者も当然いるのだが、なかなか表面化しない。
マスコミは、絵にしやすい、時代を反映するような風俗ばかりを取り上げるから、
ますます、「真面目」な人たちは埋もれてしまう。
しかし、最後に笑うのはどっち、ということだ。



サントリー提供、成人の日定番広告が掲載された。
現在は、小説家・伊集院静氏が書いている。
イラストは誰だろう?
このタッチからすると黒田征太郎氏なのかな。
少し前は倉本聡氏だったが、いつの間にかバトンタッチしていた。
酒も、昔はダルマだったが、より高級な「山崎」になっている。
私が住む地域と同じ名前だが、小生、未だに角やだるまにこだわり続けている。
なにせ、青春時代から付き合っているウイスキーなのだ。

その前は、
山口瞳氏の文章と柳原良平という壽屋宣伝部の重鎮が長い間担当していた。
サラリーマンの機微に精通していた山口氏の
厳しくも暖かいまなざしが1月15日の新聞を飾った。
名作だった。

大昔だが、元住吉にお住まいだった山口瞳氏を
原稿依頼かなにかで訪問したことがあった。
結果はどうだっか忘れたが
気難しい方でほとんど口を開かない、という印象だけが残っている。
今なら、「脳内地図」つ〜んですか、氏のそれを拝見したいものだが、
それも叶わない。
もうこの世にいないのだから。

1月13日(日曜日)

●ピザ
高機能な電子レンジがあるのだから、温め、解凍だけに使うのでなく、
何か作ろうということになりピザに挑戦した。
添加剤なしの健康食品だ。
インターネットでレシピをダウンロード。
強力粉、イースト、温かい塩水、具材を用意して粉を練り始める。

実は、2回目なのだが、生地作りがやっかいだ。
まんべんなく練りこみ、お椀一杯ほどの大きさの生地をつくる。
それを1時間半ほど寝かせて、麺棒で伸ばす。
丸い形にするのは至難の技。
たぶんコツがあるのだろうが、いつの間にか三角になっていたりする。
前回は生地を2等分して焼いたのだが、
厚すぎてパンのようになってしまった。
今回は4分の1の玉にして薄く伸ばした。

そこに、サラミ、トマト、たまねぎ、ピーマンを乗せ
最後にとろけるチーズで覆う。
電子レンジのオーブン機能であらかじめ温めておき、
十分な温度になったら、焼き始める。

電子レンジのレシピに沿って作れば
焼き上がりの時間は機械のほうで見計らってくれる。

じゅわじゅわ、ふっくりと焼き上がった。
熱々をほおばったが、前回より出来はいい。
4枚作ったのだが、2枚で満腹になった。

明日は、「スチーム温め」でしっとりとしたできたてのような
ピザを食すことができるだろう。



以前、冷えたたい焼きをレンジで温めたことがあった。
安いレンジだったので、あんこの水蒸気までなくなって
食べられたものではなかった。

先日、スチーム機能を使ったら、出来たてのような
たい焼きを再生することができた。



この道具にちょっと興味がわいてきた。

1月12日(土曜日)

●雨
受験シーズン。
終日、学生の心理状態を表わすような天気だった。

新聞には連日のように大学の広告が掲載されている。
聞いたことのない学校もある。
伝統校も時代に即した新しい学部を作る。
少子化時代を迎えて生徒確保に必死なんだろう。

私の頃は、受験する学部の試験日に大学に出かけ
何日か後に合格発表があったのだが、
今は、受験方法がかなり複雑なようだ。

私のばやい、今もそうだが、数学が苦手だったので、
現代国語、世界史、英語という3科目でOKという社会学部を受験した。
社会学には統計がつきもので、統計には数学的手法が用いられる。
しかし、受験科目に数学がなかったのは、ラッキーだった。
1〜2年次は教養なのでドイツ語、近代経済学、宗教も学んだが
まるで身に付いていない。

3年になるとき、専攻する課程を選ぶ。
そこで、新聞・広報というマスコミを選択した。
1年次から広告業界に就職しようと思っていた。
クラブは広告研究会に所属していたので、
広範に広告学を学びたかったのだが1科目しかなかった。
新聞、テレビ倫理という2つのゼミに入り
学生時代はマスコミ漬けという具合だった。

ゼミの仲間は当然、新聞、テレビ、出版とマスコミ狙いだった。
広告を目指しているのは私一人だったが、
クラブの同級生の何人かは広告代理店を目指していた。
こういう連中と4年間過ごせたことは幸せだった。

3〜4年次はアルバイトばかりやっていた。
ゼミの教授の紹介で「主婦と生活」という出版社から出ている
女性向け週刊誌「週刊女性」の取材記者だったのだが、
実に面白い仕事だった。

週刊女性特派記者という肩書きのついた名刺を持って
芸能人を取材する。
ふだん会えないような人たちにインタビューするのだから
楽しいに決まっている。

社に戻り原稿用紙に書き起こし、
最後に記事をまとめるアンカーと呼ばれる人に状況を説明する。
このアンカーつ〜のは経験豊かな記者が担当するのだが、
実にかっこよかった。
三つ揃えの背広で、デスクにピー缶を置き、
ちょっとすってもみ消す。
灰皿は長いピースが山盛りになっている。
煙が目に入るのだろう、
ときどき目をしょぼつかせながら、こちらの話を聞き
2Bくらいの柔らかな鉛筆でさらさらと
記事を書き上げてゆく。
こういう職業もあったのか、としびれましたね。

2年のバイトが終わり、
そのままそこに就職することもできた。
一緒に働いていた同じゼミの女性は、そのようになった。
が、私はあくまで広告代理店にこだわっていたので、
そのチャンスを捨てた。
出版社は京橋にあった。
私が就職した広告代理店は銀座1丁目にだった。

高速道路をはさんであっちとこっちなので、
広告マン1年生と編集者1年生同士でお茶したものだが、
そのうち、お互いの広い海へ泳ぎ出すことになり
時間の調整がつきにくくなっていた。



暗い窓の外を見ながら、
自分の受験生時代をふと思った。
確かに勉強をし、受験をしたのだが、
そのときのことはあまり記憶ない。
可能性を秘めた大学生活があまりにも楽しかったので、
「灰色」の受験時代がかすんでしまったのかもしれない。

高校時代には思いもよらなかった「広告」と
大学で出会い、以後、私の人生は決まった。
広告は予想通り私の性格に合っていた。

広告を作るという創造的な作業に長年携わってきたが
還暦を過ぎた今も、形を変えて継続している。

1月11日(金曜日)
●うねり
私が住む場所は田畑に隣接している。
昔、家人がジョンと散歩していたとき地震が発生した。
畑の畔を通過中に恐ろしい光景を見たと、蒼白になって帰宅した。
畑が波のようにうねっていた、というのだ。

夜は物音ひとつしない。
突然、地鳴りが聞こえることがある。
不気味であるよ。
その後に揺れがくるのだ。

別のうねりがわが町にも押し寄せようとしている。



近隣の合併の動きに一歩出遅れていた感のある幸手市が
合併意向アンケートを今月15日から実施するという。
対象は18歳以上の市民で4万5千574人。開票は30日。
内容は、
合併は必要、不必要
必要と答えた人は、
@1市3町(久喜、鷲宮、菖蒲、栗橋)
Aその他
の2者択一方式。
宮代町のアンケートより明快だ。



一方、先行する久喜、鷲宮、菖蒲の1市2町だが、
まだアンケートで住民意向は問うてなかった。
1市2町が同じ内容で一斉に実施することが決まっている。
開票は2月1日。



白岡町は蓮田市との合併を望んでいる。



今月末から2月にかけて周辺の枠組みが決まろうとしている。

わが宮代町は、春日部市との合併を望む声が大きかったものの、
単独、宮代・杉戸2町を望む声も軽視できない。
2月17日は町会議員選挙。
春日部市との合併を推進する議員が躍進すれば、そちらに一歩近づくが
もし、単独、2町を推進する議員が善戦したら三つ巴となり
合併そのものが頓挫することすらありうる。

近隣市町の枠組みが出揃う2月1日以降、
宮代町が分裂路線を引きずったまま選挙となればとんだ悲劇的状況にもなりかねない。
町の将来を考えて、大同団結という選択肢はないものなのかね。

単独を希望する人たちは、宮代には金があるから
持ちこたえることができるとでも思っているのだろうか。
何が根拠になっているのだろう?

春日部との合併を反対する人たちは
先に合併した庄和町の悲惨な例や赤字財政の春日部市を持ち出し
不安を煽っているいるが、
好転した庄和町の状況やインフラ整備後の春日部市の可能性については
語られることがない。
つまり、自分たちに都合のいい部分だけ抽出しているのだ。

宮代町はこのままでは歳入増もままならないから、
蛸が自分の足を食べながら生きるようなものなのだが。
単独を指向する真意は何か?



合併をしない町で全国的に名を知られるようになった福島県矢祭町は、
議員報酬の支給方法を大幅に見直した。
働いた分を日当で支給するという。

現在の町議報酬は20万8千円。
私企業のボーナスに相当する期末手当を含めると年額約329万。
これを、日当3万円にし期末手当は廃止。
年間30日の議員活動をした場合、報酬は年額90万円。
これで、年間2500万円の削減が見込まれるという。

329万が90万になっては収入は激減。
議員に「就職」しようとする人にはなんらメリットはない。
従って、他に仕事を持ちながら真に郷土を考える人が議員を志向する、というのだ。

宮代町も単独を貫こうとすれば、
こういう大手術も必要だし、役場職員数をさらに減らし給与も見直し、
住民も覚悟を迫られるだろう。
こうなると、「痛み」だけでは済まなくなる。
健康保険、公共料金軒並み値上げ。
年金暮らしの高齢者には住みにくい町になるが、
納税者も公共サービスが低下しているのに高い税金を払わなくてはならない。
結果、勤め人たちはこの町を去ってゆく。
単独の代償はあまりにも大きすぎる。

残された人たちは権利だけを主張しながら住み続けなければならない。
単独を選択して、わずか3年。町が公共施設の利用料金をほんの少し値上げすると
ギャーギャー騒ぐのだから勝手なものだ。
自分たちが選択した「痛み」なのだから、そのくらい文句を言うな、と言いたいね。

●ザ・センチネル
「陰謀の星条旗」というサブタイトルがついたサスペンス物。
マイケル・ダグラスとキーファ・サザーランドという親父が名優、
かえるの子はかえるの2大スターの顔合わせ。
マイケルの親父はカーク・ダクラス。
顔は細く顎の中央にくぼみがある苦みばしった顔をしていた。
マイケル君は太目で顔も大きい。
いろんな役で映画に出ているけど、太目が災いしている。
船越英二と船越栄一郎のようだと、いつも思っている。
キーファの親父はドナルド・サザーランド、性格俳優。
「マッシュ」が印象深かった。

この2人の職業はシークレット・サービス。
つまり大統領の近辺警護を行い、
ときに大統領の盾にならなくてはいけない、という危険がつきまとう。

マイケル君はファースト・レディの警護を行っていた。
大統領夫人から片時も離れず生命を守っているうちに、
なんとまあ、彼女とできちゃったんであるよ。
日本ではとても考えられないストーリー設定だ。
安倍首相夫人とSPが関係を持つ…違和感がありますね〜。
まして、福田総理夫人と…老いらくの恋になるじゃないの。

マイケル君はホワイトハウスの2階でいちゃいちゃするのだから大胆極まりない。

そんなこんなするうちに、
大統領暗殺の企てが発覚する。
大統領の行動を外部に漏らしている奴が、
こともあろうにシークレットサービスの中にいる、というのだ。
そして、マイケル君に嫌疑がかかる。

…そして彼が濡れ衣を晴らす物語なのだが、
エネミーライン2がまるで知らない俳優ばかりなのに比べ
こちらは、2大スターの競演ですよ。

かつての親友、キーファとはうまくいっていない。
なぜなら、マイケル君が彼の奥さんと寝てしまったからだ。
好色マイケル君だった。

そんな乱れた私生活を横糸に、縦糸は疑われたマイケル君が
高度な電子知識をからめながら同僚たちの追撃を交わし
犯人を追い詰め殺害する、というもの。

B級の上、という作品ね。

先週見た「カオス」は文句なしに面白い。
これは警察ものだが、あっというどんでん返し。
期待せずに借りた作品が予想以上の出来というときは、
逆転満塁ホームランつ〜感じね。

デンゼル・ワシントンの「デジャブ」は期待はずれでしたが。

1月10日(木曜日)
●エネミーライン2
先日TUTAYAで借りてきたDVDの1つを観る。
1作目の「エネミーライン」は面白かった。
バルカン半島の紛争地帯に不時着したパイロットの脱出劇で、
スパイ衛星を駆使した絵作りと、
米軍パイロットを執拗に追いかける民族主義者の闘いなど見せ場もあった。
2作目はどうか、多少期待したのだが全く外れてしまった。

今回の舞台は北朝鮮だった。
北朝鮮がICBMを保有していると確証から、破壊作戦が行われる。
高高度からパラシュートで目的地付近に降下する予定だった。
2人目が飛行機から飛び出したとき、突然作戦中止命令が下る。
仲間を見捨てるわけにもゆかず、3人目も飛び出した…

この秘密部隊の活躍と帰還の物語なのだが、
ひで〜〜つくり。
キム将軍の軍隊を完全に馬鹿にしている。
上級将校の服装はだらしない、穂積隆信に似た
詐欺師っぽい上官つ〜のも、間の抜けた存在。
あほの集団だ。
映画好きの将軍様が見たら怒るだろうよ。

北鮮兵に捕らえられ手に釘を打たれるという拷問を受けた米軍大尉だが、
たぶんあんなことやられたら、手の骨は砕け重症だろうが、
次のシーンでは負傷した手で機銃を打ちまくる。
長距離弾道ミサイルを警備する兵隊もおそまつそのもの。

その上、手持ちカメラで撮影したのか画面が必要以上に揺れて
めまいがするほどだった。

B級を通り越してC級の駄作ではありました。

1月9日(水曜日)

●盗聴
夕方のワイドニュース。
付き合っていた男に留守中自室に侵入され盗聴器を仕掛けられた女性が出ていた。
ニュース取材班は女性の部屋に隠しカメラを取り付け
男が現われるの待っていた。

取り外された盗聴器に不審を抱き、
部屋に入ってくる男がばっちり映っていた。

何日か後、女性が男性を呼び出す。
2人で話しているところに取材班と女性の肉親が登場。
男の顔はぼかしが入っているが、
手が小刻みに震えている。
気の弱そうな奴だ。

取材班の申し出にも素直に従う。
卑劣な行為を女性に問い詰められると、
他の男と付き合い始めたのではないか、と嫉妬心にかられてやったと告白した。

不法住居侵入とストーカー行為で
警察に通報され逮捕された。



発覚したらどんな結末になるかを考える余裕もない。
自信もプライドもないからそんな手段しか使えない。

最近はすぐキレて刃物を振り回す奴が多い。
女性がそんな目に遭わなくてよかった。



この種の番組はけっこう頻繁に放映される。
それだけ、同じような事件が多いのだろう。
盗聴器も精巧になり、しかも簡単に入手できるようだ。

このような手の込んだやりかたでなくても、
市民バンドのトランシーバーでも無線の盗聴ができる。
最近の家庭用電話は親機・子機構成というタイプが多い。

取説にも、盗聴されることがあるので、聞かれてまずい内容は親機でするように、と書いてある。

わが家の近所にも不思議な行動をする人がいる。
「李下に冠を糺さずという言葉もある。
怪しまれるような行動は慎んだほうがよろしい、と思うが。

1月8日(火曜日)

●直木賞
第13回直木賞候補に、佐々木譲氏の「警官の血」という作品がノミネートされていた。
佐々木氏といえば、押しも押されぬ冒険小説の第1人者。
今頃、雪深い北海道で執筆しているのだろう。

30年以上も前、短期間だが彼と赤坂溜池の小さな広告代理店で席を並べていた。
彼は現在57歳というから、当時は20代だったんだ!
物静かで冷静な男と映り、年齢も小生とたいして違わないと思っていた。

彼が小説を書いているとは知らなかったが、
すでに、「鉄騎兵飛んだ」というオートバイ小説でオール読物新人賞をとっていたのだ。
そして、小説家兼コピーライターとして、カシオの社内報かディーラー向け新聞の編集をやっていた。

小生、その後、赤坂は246に面した大き目の広告代理店を最後にフリーになってしまったので、
譲さんの消息もぷっつり途絶えた。

ある時、書店で「ベルリン飛行指令」という小説が目に入った。
ナチスドイツ物は昔から好きなジャンルだったので、
タイトルに惹かれ手に取ると、なんと著者が譲さんだった。

大戦中、日本海軍はUボートの設計図をドイツから潜水艦で運んだが、
途中、インド洋だったか、アメリカ軍に発見され沈没した、という事実があるが、
譲さんの小説は、その逆で、日本の優秀な戦闘機、ゼロ戦をそのままドイツに着陸させようとする
パイロットの物語だった。
痛快無比。
本田技研出身の譲さんらしく、メカにはめっぽう詳しく
小説には航空エンジンに知識が披露されていた。

その後、第二次世界大戦物を次々に発表し、
それらすべてを読破したのだが、血沸き肉踊るといった内容だった。

次に、時代はさかのぼり
榎本武揚を描いた「武揚伝」上・下が出た。
新選組がらみの時代設定という、これまた小生の好きなジャンルだった。
分厚い本だったが、一気に読破。

それから、織田信長の安土城を作った築城物語とさらに時代は上に行った。
そして今、警察官を描いている。
譲さんは昔から「笑う警官」のベックシリーズが好きだったらしいが、
いよいよ、日本を舞台にした彼の世界が始まったのだ。

小生、ちょっとごぶさたしておりますが。



その譲さんが、今、直木賞候補。
これまで、彼は数々の賞を受賞しているが、
やはり、できるなら手中にしてほしい。

知り合いの明るいニュースに、
今年は春から縁起がいい。

1月7日(月曜日)
●ワーキングプア
格差社会と併せて最近の流行語のようになっている。

 働けど働けど
 暮らし楽にならざる
 じっと手を見る

石川啄木の歌を思ってしまう。

岩手出身の彼は、たしか小樽の新聞社に職を得た後
青雲の志で上京。
貧困と孤独にさいなまれながら明治末の「時代閉塞」に鋭く感応し、
社会主義的傾向へ進むが、明治45年肺結核で夭折。

死後、彼の短歌が評価されるが生きている間は印税による「いい目」を
見ることはなかった。

現代日本はITに関わる若者や、インターネットで株をやる若者が
額に汗することなく巨万の富を築く時代だ。
大学や専門学校を出て企業に就職することなく
一攫千金を夢見る若者は結構多いのではないか。
しかし、実現できるのはほんの一握り。
多くは失敗しフリーターへ。

一度道を踏み外すと奈落の底。
そこから這い上がることは、
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように難しい。

何をとち狂ったか「格差社会」などとマスコミは騒ぎ立てるが、
日本は昔からそうだったのだ。
自由主義社会というのはそういうものなのだ。
国民の中流意識も吹き飛んだいま、
「格差社会」に対する「平等社会」などと幻想を抱くことが
いかにナンセンスかを知るべきなのだ。
社会主義、共産主義といえども、多くの国民の犠牲の上に
一部の指導者、富裕階級が成り立っているのだ。



昔の日本と違うのは終身雇用が消滅したこと。
バブル以前までは、まじめに勤め上げればなんとか暮らしはできた。
ところが、効率一辺倒のアメリカ的手法が企業経営に取り入れられてから様変わりした。
社員の企業への忠誠心はふっとんだ。
企業も偽装など消費者を欺くケチなことをやるから内部告発で自滅する。

狂い始めた歯車は行き着くところまで落ちないと止まらない。

すると社会を浄化する、自浄作用というべきか、何かが働いて
大変革が起こることになる。

これは近代史を克明にたどれば同じようなことがあるはずなのだ。



サッカーの中田とは違うのだから「自分探しの旅」などさっさとやめて、
人生を走りながら自分を見つめ、どう生きるべきかを模索しないと、
いつまでたっても、深い淵から這い上がれないだろう。

童謡詩人「金子みすず」ではないけれど
「みんな違ってそれでいい」のだ。

●複合機
ANKキーボードを内蔵した携帯電話はあるけれど、PDA(携帯情報端末)は
お目にかかったことがなかった。
いずれ登場するだろうと思っていたら、ソフトバンクモバイルから
東芝製スマートホンがついに登場。
国語・英和・和英辞書を内蔵し、ワード・エクセル文書の編集・保存ができる。
2年継続使用24回払いで4万320円。
電子辞書単独でも結構なお値段だ。
電話にこれだけの機能がついて4万ならかなりのお買得感だろう。

この次に登場しなくてはならないのが、
ラーメンの全部入りではないけれど、
電話、PDAにワンセグテレビチューナー付だろう。
さらに、ボイスレコーダーが内蔵されていれば申し分ない。

四半世紀コンピュータと付き合ってきた者には
小型全部入りはわくわくするような事態なのだ。

だが、リタイヤ組は所有しても
これらの機能を使いこなすシーンなどほとんどない。
「らくらくホン」で十分なのだ。

友人の多くがリタイヤし
自分の時間を楽しんでいるが、
フリーとして自分の時間を使ってきた私は
彼らと逆行することになる。

先進機器を使いたいがために
社会人になるという逆転の発想なのね。

●七草
せり・なずな・ごぎょう(ははこぐさ)・はこべら・ほとけのざ・
すずな(かぶ)・すずしろ(だいこん)春の七草。

この2日日、おかゆをすすっているけれど、本日は七草粥なので、
3日目に突入だ。かろうじて食せるのはだいこんだけ。

1月6日(日曜日)

●寒ぶ!
小寒。寒さも本格的になる。
8時、北側の室温4度。
この冬一番の寒さ。
24節気に素直に従っている。
10時、やっと6度。
いつものようにブルーフレーム着火前の儀式。
こうすることで、青い炎が、
ゆっくりと部屋を温めてくれる。


●集会所清掃
町を歩くといたるところに集会所を見ることができる。
須賀村と百間村が合併したときにできたものらしい。

地域の自治を決めるときや班の決め事の際に召集がかかる。
横浜に住んでいたときは、
地区センターはあったが、これほど地域に密着した施設はなかった。
現代の都会は「隣は何をする人ぞ」だが、この町はその対極にある。
村時代の名残りなのだろうが、地縁が色濃く根付いている。
まさか「村八分」はないだろうが。

集会所は地域の大切な施設なので、各班が持ち回りで清掃することになっている。
新年早々、私の所属する班がその担当だった。
男性は周囲の落ち葉を掃き、女性は建物の中を拭くというのが役割分担だ。

9時からだが、昨年は時間通りに顔を出したらほとんど終わっていた。
本年は、30分早く出発。
といっても、チャリで3分ほどの山崎山の中。
重殿社の境内にある。

北側は霜柱がたっているので枯葉掃除はラク。
南側は朝日で土がぐちゃぐちゃになり始めているので手際よく。
集合時間の9時にはほとんど終わってしまった。



社の中をのぞいて見た。
もうかつがれなくなって久しい古い神輿があった。
土地生まれの方の話では10月頃、村の若い衆がここに泊まりこんで
酒を酌み交わした、のだそうだ。
その裏に、石塔が建っている。
碑文をしみじみ眺めるのは初めてだ。
「十二夜塔」と刻んである。
秩父の社と関係があるそうだ。
脇に「武州百間村」。
往年の名作テレビドラマ「木枯し紋次郎」の世界だ。

建立は「文政…」。
江戸文化が爛熟した文化・文政年間に建てられたものだった。
文政年間は1800年代初頭だ。
ゆうに200年を超えた石塔だった。

雑木林のかたわらに無造作に建っている石塔だが、
村人、町民の移り変わりをじっと見ていたのだよ。
これから先100年、この町はどう変わってゆくのだろうか。

1月5日(土曜日)

●炎
もう終末、おっと違った週末。
そろそろ仕事にかからねば。

北側の事務所の朝は寒い。
昨日6度、本日7度。
今にも降ってきそうな空である。

ブルーフレームに点火する。
乾電池で自動点火などというしゃれた機能はない。
点火の前に、穂口をブラシで掃除しなけりゃならんし
1週間に1度は芯の形を整えなくてはいけない。
まめに掃除しないと、ブルーフレームがレッドフレームになってしまう。
手のかかる石油ストーブなのだが、
これが点火の儀式と思えば…
手がかかるだけ愛着がわくというもの。

丸窓から青白い炎が見える。

10代の中頃から20代にかけて山に登っていた。
オーストリア製のホエーブスという石油バーナーを携行していた。
ブルーフレームと同じ炎の色をしていた。
ストーブに手をかざすと、あの頃登った山々のことが思い出される。

齢を重ねると思い出の道具たちと生活をするというが
今の私もそんな時期になっている。

機構的にシンプルな道具なら
大切に使えばいつまでも傍らで働いてくれる。
しかし、最近の電子化された道具たちはそうはいかない。
耐用年数があって、部品の供給にも発売以後7年程度で打ち切られる。
幸い、ブルーフレームの替え芯は、ジョイフル本田で販売されている。
スペアを1つ用意してあるが、今後のことを考えると不安ではある。

このストーブには、神戸に嫁いだ父親の妹、叔母との思い出がある。



オリベッティというイタリアの事務機器メーカーがある。
昔、バレンタインという真っ赤なタイプライターが発売された。
おしゃれな機械はスペインで生産されていた。
これは、横浜の六角橋という神奈川大学のある町に住んでいた頃だから
小生が所帯をもった頃、購入したものだ。
1度修理に出したが今も健在でタイピングできる。
しかし、パソコンが普及した今、
タイプライターを使う人はいない。
インクリボンの発売が中止されたら、このタイプライターも役目が終わる。

3年前だったか、日本橋再開発の目玉、コレド日本橋に出かけたとき
ショーケースに入ったバレンタインを見かけた。
もう骨董品として、メモリアル展示されていた。

これは、30も半ばになった息子が生まれた頃に手に入れたものだ。
派手だが可愛いメカマシンを見ると、
よちよち歩きの息子の手を引いて神奈川県知事公舎下の公園で遊んだ
あの頃のことが思い出される。

1月4日(金曜日)

●変化
ラジオで流山に生まれ育った人が嘆いていた。
昔は不便な場所だったのだが、武蔵野線、つくばXPの開通で町が変わってしまった。
駅周辺はしゃれた町並みになり田舎らしさがなくなった、という。
そうだろう、秋葉原へ30分程度で出られれば格好なベッドタウン。
新住民がどっと押し寄せ、人口も増える。
不動産・商業が活発になる。
税収も増え自治体にとってはうれしい限りなのだ。

新選組のゆかりの地、流山にはまだ行ったことがない。
駅周辺は近代化しても、20〜30分も奥に入れば相変わらずの田園風景が広がるのではないか。
これは、交通手段の変化とともに逃れられない宿命なのだ。

流山は明治時代に水運で栄えた町だ。
鉄道が通ることになったとき、仕事が衰退することを恐れた水運業者たちが
鉄道を拒否してしまった。
時代は流れ、流通手段が鉄道、車に変わり町はさびれてしまった。

鉄道開通は100年ぶりの町の活性化で大いに歓迎された。
先祖代々住み着いている人で、土地もちなら多大な恩恵をこうむっているはずだ。

時代の流れにあらがい、昔を懐かしみ、環境変化を嘆いていては進歩はない。
鉄道開通で変化するのは、駅周辺のほんの一握りの地域だけなのだ。
流山の自然はまだ残っている。
乱開発に厳しい目を向けていれば、自然は維持されるだろう。

●インタビュー
10時。NHKハイビジョン「100年インタビュー」。
再放送だったが、面白いので最後まで見てしまった。

1世紀後の人たちへのメッセージ。小説家井上ひさし氏だった。
御年72歳というが非常に若々しい風貌だった。
インタビュアーはNHKの男性人気アナ。
司会でよくお目にかかるが歯切れよくどんな番組もこなす。
これからNHKの顔になるだろう。

井上氏は幼くして父親を失ってる。
幼い3人の息子を育てた母親の猛烈ぶりが淡々と語られた。
山形出身の氏が幼少時になぜ宮城県仙台の養護施設にいたのかも氷解した。

上京し上智大に入学したのだが
本の好きな彼が神田を歩けば東大生が気になる
銀座に出れば慶應、高田馬場を通過すると早稲田…
劣等感にさいなまされたのと、抜けないなまりとで挫折。
母親のいた北海道に戻ってしまう。

再度上京し、上智に通う傍ら学資かせぎに
浅草フランス座の文芸部に応募する。
400名くらい応募者があったのだが、
課題を提出したのが4名。
ストリッパーのヒモ志願という安易な応募者が脱落したのだそうだ。
結局2名採用された1人が井上氏。
もう一人が、小説家・林真理子の叔父さんだった。

学生、座付き作者をこなしつつ、ラジオの懸賞ドラマに応募しまくる。
関東では活躍した井上氏が、どうしても歯が立たない人が関西にいた。
それが、藤本義一氏だったという。

戦後文芸裏面史を聞くようであった。



井上氏は携帯電話もパソコンも使わない。
ワープロは使うようだが、小説は万年筆を使う。
「手が記憶する」とはゲーテの言葉だそうだが、
安易に便利な機械に依存すると、記憶が退化してしまうという。

小説・雪国で
島村の「指が記憶していた」のは駒子の体だったが。

「変化する日本語」というテーマでは、
叛乱する外来語はやむを得ないとしても、その意味を理解して使っているのか、と
苦言を呈していた。

経営手法やIT用語は、英語が多い。
同じ理解度の土俵で使わないと話がかみ合わなくなってくる。

広告業界も早くからアメリカらマーケティング、クリェイティブ理論が輸入されたので
会議の会話も英単語混じりだった。
一番の難物が「コンセプト」だった。
はたして、同じ理解度で会話が進んでいたのか、今もって疑問。

大和言葉、漢語、外来語の使い分け、も参考になった。



PCもパソコンもパーソナルコンピュータの略だが、
頭の中で「個人用演算機」と翻訳しているのか、と氏は語ったが、
これは、ちょっと無理があるのではないか。

英会話を学ぶとき、英単語を日本語に翻訳すると進歩が遅れる。
boyは少年でなくboyとして認識しなければならない。
小生のように大昔に学んだ者は、つい英単語を日本語化しているのだが、
こういう学習法ではネイティブスピーカーのようにはなれない、ということだ。



100年後の日本人にメッセージを送るという、
タイムカプセルのような番組なのだが、
情報通信分野の進歩はドッグ・イヤーである。
現在の放送形態が100年後連綿と続いているとは到底思えない。

パソコンのデータ保存形態だってそうだ。
今はDVDやCD−Rにせっせっと保存しているが、
100年後にはどうなっているか皆目予想がつかない。

PCだって、ほんの25年前は、カセットテープに情報を書き込んでいた。
それから、1インチ、5インチ、3.5インチのフロッピーと進歩して、
MOが現われた。
そして、大容量ハードディスク、
書き込み可能なCD、DVDになり、フラッシュメモリーなども出現。

5インチフロッピーは消滅。
3.5インチも読み込み装置を内蔵したパソコンも減少している。

こうしてみると、デジタルデータはまるで明日の予想がつかない。
結局、印刷物が安心できるのだが、
最近は紙の質が悪いので経年劣化が激しく、何十年か後にはぼろぼろになるという。

正倉院には和紙と墨で書かれた奈良平安の書物が残されているが、
21世紀の文書は1000年先はどうなっているかわからない、というのが
実際のところであろう。

万年筆のインクもブルーブラックの成分は経年変化に強いが
それ以外は保障の限りではない。

日本人の日記好きは文化だが、
こういう庶民の記録も、デジタルでは
未来の研究者が目にすることができないかも知れないのだ。



1時間半の番組だったが、朝から居間に腰を据えられた家人は
掃除ができない、と不満顔。
仕方なく、洗濯物の折りたたみという家庭サービスをしながら見ておりました。

1月3日(木曜日)

●新習慣

民営化された日本郵便の全ページ広告。
和服姿の坂本龍一が和室で年賀状を見ている。
和机の上には万年筆。
和室の向こうにガラス越しに庭の木がぼんやり映りこんでいる。

典型的な昭和の風景。
キャッチは「年明け年賀を書きませんか。」

作業集中を分散させるための提案広告なのか。
だとすれば、効果は今年の年末になってしまう。

忙しさに取り紛れ、出しそびれた方をプッシュするための広告なのだろう。
はがきの表も裏もプリンタまかせ。
添え書きのない年賀状ではなく、
新年の静かな時間に先様を思いながら自筆でしたためる、
パソコン普及前のスタイルを取り戻そう、と言っているのだ。
となれば、サインペンやボールペンでなく万年筆の出番となる。

偶然の一致というべきか。
今年は喪中ということもあり、まだ年賀状を出していない。
いや、年賀ではなく寒中見舞いになるのだが。
裏はプリンタにまかせても
宛名は自筆で、と万年筆を何十年ぶりに購入した。

最近、漢字変換はパソコン任せにしているので
文字を忘れることおびただしい。
そんなときはディスプレイにおおぶりの漢字を表示させ
それを見ながら書くことにしよう。

1月2日(水曜日)
●新春恒例
昨年、わが家の「新春恒例行事」が誕生した。
手軽に新年気分を味わえる都内のスポットめぐり。
昨年は、靖国神社、日枝神社、表参道を行く。
帰りは青山から半蔵門線1本で帰宅。
今年は、銀座、浜離宮、水上バス、浅草。
帰りは東武線1本で帰宅。
とにかく、スムーズに帰宅できるコースを選ぶことを主眼に置いている。



行きは半蔵門線乗り入れラインで曳舟から三越前、銀座線に乗り換え銀座へ。
※曳舟は懐かしい町。昭和30年代中頃、京成曳舟で降りて高校へ通っていた。
 ホームの脇に資生堂石鹸工場があって油脂の悪臭を放っていた。
 曳舟川はどぶ川だったが、その昔北原白秋がこの川を織り込んだ詩を書いている。
 「アカシアの金と銀とが散るぞえな…」で始まる。

銀座表通りはホコテンでものすごい人。
午後から銀座の谷間は日がかげるので少しひんやりする。
松屋の福袋はかなり売れたらしい。次いで三越ということだった。
松屋の前のAppleショップは客の呼び込みが激しい。
2日だけのサプライズセールがあるらしい。
ふらふらと入店。
新しいiMacとご対面。
昨年、春日部のコジマ電気で見たそれは旧型。
乳白色の合成樹脂ボディだったが、銀座のそれは最新機種。
合成樹脂からアルミボディに変貌していた。

WindowマシンはiMacを真似て乳白色が多くなったが
今年は、さらに高級素材で差をつけた。
スティーブ・ジョブスは相変わらずやってくれますね。
少し心臓の鼓動が激しくなった。
久々にいい女に出会ったようなどきどき感だ。
かっこいいというクールと、
アルミ素材という冷たい感じのするクールさなのだ。
キーボードもボディと同じ素材。
ワイアレスタイプもあるが、
ひもつきのほうが左右幅があって使いやすそう。
持ってみたがずっしりとしている。

AppleのWebサイトでは見ていたのだが、
実物を目の前にすると、その好ましい姿はまるで違う。
早晩追従するWinメーカーも出てくるだろう。

う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん、物欲むくむく。
だが、今の空間にお迎えするにはちょっと可哀相。
デスク、椅子、インテリアを変えなくては「掃き溜めの鶴」になってしまう。



後ろ髪引かれる思いでAppleストアを後にする。
銀座7丁目。
あらら、ヤマハが新しいビルになるみたいだ。
昭和41年。
この店の入口でデビューしたての「ピンキーとキラーズ」がデモっていた。
山高帽姿のまだあどけない今陽子と取り巻きの男性コーラスが
「恋の季節」を歌っていたのを思い出す。



※黒川紀章氏設計の中銀マンシオン

汐留といえば昔は国鉄貨物の操車場。
今、「汐サイト」に変貌して電通や日テレ、松下電工などの本社が林立する
ビジネスゾーンになっている。
話には聞いていたが、目の前で見るのは初めて。
ふと、左方向に目をやれば、昨年亡くなった建築家・黒川紀章氏設計の中銀マンシオン。
特異なカプセル住宅。
周囲の輝きのなかで、その建物は汚れ、錆びてよれよれの感。
この隣のビルに取引先があったので、よく出かけた。
中銀ビルの1階はコンビニが入っている。
出来た当時は斬新だったのだろうが、
場末の老朽マンションの1階が庶民的なコンビニでは
今の流行から外れている。
しかも、この界隈の夜は銀座の喧騒がウソのように静まりかえる。
価値も次第に下がってこざるを得ない。
確かこの建物は取り壊される運命。



間もなく、浜離宮へ到着。
このコースを選ぶ人も大勢いた。
中2のとき、小学校のクラス会で来て以来2度目の訪問。
当時のことなど憶えていない。
帰りの水上バスの切符を先に購入して庭園めぐり。

由緒ある徳川家の庭園で樹木も年月を経ているが
周囲を高層ビルに囲まれ、歴史と現代が共生するゾーンになっている。

※由緒ある松と電通本社ビル

「将軍お上(あが)り場」という面白い場所があった。
あの15代将軍徳川慶喜が、薩長との戦いを避け会津藩、新選組を見捨てて
大阪から船で江戸に逃げ帰った。その彼が江戸に上陸したのがこの浜離宮だったのだ。
大儀に生きた会津藩と新選組はその後悲惨な運命が待っていたが、
慶喜は大政奉還、謹慎を経て名誉回復。大正2年に畳の上で亡くなった。

※柵が左に出っ張った場所が慶喜上陸地点

※晩年の徳川慶喜。
将軍職を降りた時32歳。以後静岡で蟄居。東京に戻り大正2年に77歳で亡くなった。
明治25年、華族の最高位・公爵となる。
写真と猟をこよなく愛した。車の運転も行い悠々自適の生活を送っていた。
彼のお陰で江戸は破壊されずに明け渡されたが、信じて従った者たちは悲惨だった。
今年のNHK大河ドラマは、幕末から明治にかけての物語。彼も登場するのだろう。


※乗船切符

※大型水上バス

※勝鬨橋の下をくぐる

長いこと東京に住んでいたが、水上バスに乗るのは初めて。
(未だに、はとバスは乗ったことがない)
浜離宮から浅草まで隅田川を遡上する運賃740円也。
時間約35分。
いつもは高速道路や電車からの風景も水の上から見ると大いに違う。
いい経験でありました。

大賑わいの浅草で食事をして、
快速日光・鬼怒川行きの東武電車でわが家へ一直線。

今年も、いいコースでありました。
来年はど・こ・に・しよかな。

1月1日(火曜日)
●ドッグイヤー
わが家の老犬ジョンは今年17歳になる。
人間なら90以上になるのだろうか。
目は白濁し立ち木にぶつかる灌漑用水に落ちる…
足腰は幸い元気なので朝夕の散歩と食事が無上の楽しみ
寒い日は終日小屋に入って眠っている。

暮れの大掃除で10年前のPC雑誌を眺めていた。
面白いデジタル一眼の広告があった。
広告主は富士フィルム。
ボディにFUJIFILMと刻印されているが
軍艦部にはNikonの名が入っている。
といってもコニカとミノルタのように合併したわけではないので
お互いの技術を融合させた混血種というべきか。

スペックと値段を見て驚いた。
140万画素で77万と98万!
これを当時のプロが使っていた。
今この画素数は携帯電話に内蔵されたカメラの仕様だ。
最新のデジタル一眼は1000万画素超の中級クラスで10〜20万の価格帯。

デジタル機器の進歩は犬の歳の取り方ほどのスピードということで
ドッグイヤーと言われているが、
この10年間で性能は10倍、価格は10分の1だ。

開発競争は体力勝負。
遅れた企業はどんどん淘汰されてゆく。
実際、京セラ、コニカ、ミノルタといった名門メーカーが姿を消した。
代わってデジタル技術を持ったSONY、松下電器がじわりじわりと食い込んでいる。
日立、東芝、三洋、シャープはかつてカメラブランドを持っていた企業もあったが
他の製品に比重を置きデジタルカメラから静かに撤退している。

コンパクトデジカメは乱戦模様だが、
デジタル一眼は、これまでキヤノンの独走だったが、
ここにきて低価格路線と中級路線をまんべんなく製品化したNikonが
初めてキヤノンを抜いてトップに躍り出た。
買収騒動で揺れたアサペンは急速にシェアを減らしている。
代わって、松下電器が芽を出し始めている。

市場が熟し始めたころに顔を出すのが松下の常道。
このような姿勢を好まない小生としては
どんなに優れていようが手を出さないようにしておりまする。

●明けました
12支も一巡して「子」となりたるが
この歳になると新しき年の感慨も浅く
また来たりけるかと半ばうとましい。

テレビの中ではカウントダウンが始まり
ピッ・ピッ・ピッ・ポーンと2008年がやってきた。
出まくりの芸人たちが馬鹿騒ぎするのを横目で見つつ酒を飲むでもなし
3日かけて片付けし事務所の新しい定位置に座り、
今年の目標に考えを巡らす。

前の年は時報とともに
寒い深夜の田舎道をチャリで鎮守に初詣にでかけしが、
ことしはさらさらその気なし。
やはり歳のなせるわざか。



新聞受けには分厚い新聞が無理やり押し込まれ
その下には輪ゴムで留められた賀状の姿、見ゆ。
民主化して初めての正月とて
日本郵政株式会社は配達に力がこもっている模様。

遅い食事を済ませ寒さが和らいだ頃合いを見はかり
愛用のチャリで鎮守へ初詣。

小さな祠を巡り控えめな願いごとす。

その足で隣町の貸ビデオショップへ出向き
アクションDVDを2枚借る。
還暦過ぎるとシニア会員となれるを知らず
通常料金で借り続けること幾年月。
元旦と共に申告す。
今後半額。
ロードショーの1000円と併せ
映像生活は向上するやも。

静けさだけが取柄の元旦過ぐ。


早々に賀状をいただきました皆さまに御礼申し上げます。
昨年、義兄がなくなりました。
大変お世話になった方なので、私なりに喪に服しております。
寒中見舞いにて、新年のご挨拶をいたします。
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