田舎三昧の生活と意見

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●吉太郎童謡集

■Contents■
01秋雨前線
02相撲
03曇天
04犬吠崎へ
05水郷佐原
06おひさ
07運動会
08木犀
09生死
 ノーベル賞
 ドロン近影
10他力本願
11ボクシング
 誘拐
12邪道
13愛しや
14日本酒
15亀
16亀
17謝罪会見
18偽装
19ゆず
20放置犬
21失敗
22勝利
23撤退
24逮捕
25改定
26落城
27横浜タイフェア
28 2日目
29証人喚問
30勤務
31値上げ


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ご意見・感想などお気軽にどうぞ!

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ご来訪ありがとうございます。
このところ忙しくて更新が遅れております。
近々中、一気にアップします。

10月31日(水曜日)
●値上げ
ガソリン、灯油、小麦粉製品、紙製品…明日から値上げ。
これから暖房器具を使う季節なのに石油の値上げは痛い。

石油は限りある資源である。
依存度が高ければ高いほど暮らしを直撃する。
石油の代替品として植物から生成・精製する燃料の原料に大豆、小麦などが使われている。
このため穀物が高騰。

結局、石油と穀物の値上げが暮らしを直撃したことになる。
生活防衛のために文明の恩恵を極力排除しようとすれば、
暖房に薪、練炭。暖房器具はストーブ、火鉢。
寒けりゃ厚着をすればいい
食料に米、野菜。うどんを作る…

なんということはない、
小生の子供時代にタイムスリップことなのだ。
今、はやりの「3丁目の夕日」の時代に。

健康によさそう。

10月30日(火曜日)
●勤務
頼まれてNPO事務局の仕事をしてから2ヶ月。
サラリーマンを辞めてから定時にオフィスに入るということなどなかった。
新鮮な気分で電車に乗ることを楽しんでいる。
横浜に出るには3つルートがあり状況により使い分ける。
朝は浅草から京急で仲木戸まで出る。
東武動物公園からさまざまなタイプの電車が走っているが
以前なら準急を使ったが、田園都市線に乗り入れている電車が便利だとわかった。
準急は北千住から鈍行になってしまう。
これが結構いらいらさせられる。
長津田行急行は北千住から曳舟までノンストップ。
ここで乗り換えれば2つ目が浅草だ。

京急に乗り入れている京成だが、9時4分の三崎行きを逃すと大変なことがわかった。
これ以降は直通の快速がなくなってしまうのだ。
品川から始発の三崎行に乗ると川崎の次が横浜になってしまう。
下車駅は2つ手前なのだ。
従って鈍行に乗らざるを得ない。
これが時間がかかる。
後で気がついたのだが、横浜に出て戻ったほうが早く着く。

そんなことを学習しながら「通勤」をしておりますよ。



昔住んでいた家が事務所から10分ほどのところにある。
昼休みに行ってみた。
風景が違うと思ったら東横線の高架がすっかり撤去されていたのだ。
反町方向へ向かう跡地はせせらぎのある公園になっていた。
広い道の突き当たりから急勾配の坂道になる。
登りきる手前が旧わが家だ。
外壁が白く塗り替えられ、玄関前に三輪車が置かれていた。
親しくしていたお隣さんの姿は見えなかった。

まだ子犬だったジョンが散歩中のボルゾイと遭遇して
その高貴な姿に、自分も犬であることを忘れて見とれていたことを思い出す。
義母も健在で学生の2人の子供もいた賑やかな家族の頃もふとよぎる。



午後またイヤホンでJウェーブを聴きながらパソコンに向かう。
自宅でやるより集中できる。

10月29日(月曜日)

●証人喚問

守谷元防衛次官への証人喚問が行われた。
この男、眠そうな顔をして
賭けゴルフの実態、負けた者が焼肉接待など下世話な話しをぺらぺら喋った。
会食への政治家の同席に関しては
名前は明かさなかったが、いたことが判明した。

照屋議員の「昨日はよく眠れましたか」という質問に
「眠れました」と答える守谷前次官。
「悪い奴ほどよく眠る、といいますから」と切り返され
苦笑する余裕さえ見せていた。

夫婦で偽名でゴルフ接待を受けたことを突かれると
だんだん苦しそうな表情になってきた。
先方からゴルフバッグにつけるタグを渡されそれをつけただけで
自分から要求したわけではない、のだそうだが…

ゴルフは平均月4回、喧嘩してやらない時期もあったが
年20〜30回として5年間で100回はやった、
などと、まるで他人事のように喋くりまわす。

こういう自己保身の強い「ペラ男」に接待することは危険だね。
以前は、名前を出せずに苦悩して自殺した奴もいたのだけれど、
守谷つ〜のは絶対死なない。
打たれ強くしたたかである。
自分の身を守るためには、言わなくてもいいことまで
喋られてしまうから。
「接待しがいのない」とはこのような男を言う。



取材記者ならこういう男のインタビューはラクね。
とはいえ、ぺらぺらという煙幕で肝心なことは
闇の中、ということもあるので注意が必要だけど。

10月28日(日曜日)

●2日目
6時、トイレの窓から見たら、雑木林をぬって朝日が射していた。
昨日とはうって変わった天気。
「横浜タイフェア2007」2日目。
今日は期待できそう。
電車に揺られ2時間。
桜木町から昨日と同じ道を行く。
台風一過で空は澄み渡り汗ばむくらい。
「汽車道」の長い橋からMM21を見ると
未来的な光景が広がる。
前の入り江ではカヌー大会が開催されるらしく
何艘ものカヌーが練習をしていた。

赤レンガ倉庫への人波はまだ感じられない。
9時ちょい過ぎ、会場に到着。
飲食ブースでは盛んに仕込みが始まっていた。
昨日の遅れを取り戻そうとする気迫が感じられる。

本部ではスタッフが黄色いスタッフジャンバーを着て張り切っていた。
小生、本日、撮影に打ち込む予定。
状況を把握するために一通り会場を歩く。
昨日の湿っぽさが嘘のよう。

10時頃から会場に人が集まり始める。
あとはうなぎ登りの人の波。
昨日の台風で足止めされた反動か。
昼頃は人でごったがえす。
ステージものりのり。
昨日にはなかったステージ前の客席もすべて埋まる。

被写体には事欠かない。
多くの日本人に混じってタイの人の姿が多かった。
久々にあふれる母国の言葉や料理に満足げだ。

※夕方も人の波、夜になり月が港の上に出ても人波は途切れない

夕方になっても人並みは途切れることはなかった。
本部スタッフや多くのボランティアに疲労の色が見えてきたが
黙々と仕事をこなしていた。

※ステージではタイの舞踊。 お店の前では人寄せのパフォーマンス(こちらはたぶん男性、でも美人)

水上署からの連絡で入場者数が判明した。
ぬわんと、8万人!
赤レンガ倉庫広場で開催されたイベントの新記録ということだった。

日が沈んでもまだ人の波。
港の上に月が出た。
ブースは屋台と化し鮮やかな光が浮かび上がる。

8時、終了。
膨大なゴミが出た。
後のことは事務局にまかせ
9時、遠距離の小生帰途に着く。
500枚以上の写真を撮影。
明日から整理が大変だ。

10月27日(土曜日)

●横浜タイフェア2007
9時に会場に到着するには7時の電車だ。
そのためには6時起き。
予想通り雨。
延々電車に揺られ桜木町へ。
この雨だというのにMM21へ出かける傘の数は多い。
皆さん左側へ流れて行くのだが、
小生はやや右側を目指し黙々と歩く。
「馬車道」ならぬ「汽車道」という昔は港に着いた荷物を運んだのだろう
鉄路の名残のある長い橋を渡り、大きな門のようなホテルの下を通り赤レンガ倉庫に到着。
この間約15分か。

鮮やかな色で飾られた店では仕込みにかかっていた。
10時開場だが、人の姿は少ない。
11時からタイ国大使館要人をお招きしてレセプションが開催された。
その頃になると、ステージ前の大型テントは
珍しいタイ料理を食べる人たちで満員になっていた。

ステージではシームレスで歌や踊りのイベントが開催されている。
本部はステージ裏にあるので、
激しい音がダイレクトに伝わってくる。

台風の影響をまともに受けて雨が時おり強くなり
また弱くなる、という降り方をしていた。

※大型テントは満員状態。後ろのビルは神奈川県警。 ランドマークタワーも雲にかすむ

この悪天候にもかかわらず
テント村を訪れる人たちの姿は予想以上だった。

※ドクター中松もやってきた。 ステージではタイ式ボクシング・ムエタイの模範演技も

赤レンガ倉庫は「みなとみらい」と「大桟橋」に挟まれた立地である。
山下公園からMM21に行く人、またその逆の人。
中に面白い店がぎっしりつまっている赤レンガ倉庫に来た人…
そのついでに立ち寄った、という人たちも多いようだ。
動機はともあれ、午後から海からの風が一段と強まり
テントが風をはらんでバタバタし始めても、
客足が途絶えなかったことは奇跡に近い。

イベント会場としては理想的な立地なのだろう。
しかし、会場を提供する赤レンガ倉庫からの要請で
台風接近で危険な状態になってきたので、
4時半にイベントを中止することになった。
テント屋台の看板は飛ぶ、雨漏りがしてくる…
まともに商品を販売する状況ではなくなったのだ。
しかし、ステージでは
悪天候を吹き飛ばすように
タイのムエタイ演技やタイ舞踊が繰り広げられていた。
ステージ前の大型テントでは、
観客が熱心に目を向けていた。

観客に感謝、ステージの人たちに感謝である。
本部の電話には開催についての問い合わせがひっきりなしにかかってきた。

どうやら明日は天候が回復するようだ。
雨でこの出足しなら
晴れたらものすごいことになるだろう。
出店者の呼び込みにも一段と熱が入るだろう。


気になって23時過ぎ外に出てみた。
雨は止み風もなく、青空が広がり月が出ていた。

10月26日(金曜日)
●会場設営
明日から横浜赤レンガ広場で「横浜 タイフェア」が開催される。
事務局の一員として3時過ぎから会場本部でテント設営に立ち会う。
飲食、物販ブース60店舗以上が出店する。
とはいえ、後方支援要員としてHP作成などに参加していた者が
最前線に行っても戸惑うことばかり。
(イラクに派遣された自衛隊みたいだけど)
出店者から「ガスボンベはどうなっていますか」と聞かれてもわからない。
「ちょっとお待ちください」の連発。
作業を設営中のテント村の撮影に切り替える。



                                  ※MM21の大観覧車も雨に煙っていた

季節はずれの台風20号が沖縄あたりにあって、
その影響で雨が降っている。
5時近く、会場を後にしたが、明日は関東地方に接近する模様。
非常に心配である。



事務局に戻ると、本朝行われた亀田の謝罪会見のニュース。
親亀は姿を表わさず、協栄ジムの金平会長と頭を丸めた長男亀が
記者団のフラッシュを浴びていた。
親に代わって健気にも記者の厳しいインタビューに答えていた。

親父はこの席に顔を出さない、ということは
ボクシング業界から身を引く、という意思表示なのだそうだ。
亀兄弟は協栄ジムでこれから1から出直す。
小亀の親離れだそうだ。

夜のニュースでは、
記者の矢面に立った長男亀の評価が上がったようなコメントが散見された。
マスコミは上げたり下げたり忙しい。
兄弟がどのような変貌を遂げるか興味はあるけど。

●落城

驕れるNOVA久しからず。
80万円もの大金を払い込んだ生徒は悲嘆にくれ
社員、外人講師の給料も支払われず。

いつでも受講できるといっておきながらそれができない。
業を煮やして解約をしたら残りのお金が戻ってこない。
そんな不誠実な学校に生徒側がクレームをつけた。
これが学校側にとってケチのつきはじめ。
お上が乗り出し、業務改善命令。
授業を再開できない教室も出始め、
あとは坂道をころげおちるまま。
「まさか」という「坂」だった。

社長は雲隠れ。
その間に重役たちが不在裁判で社長を解任。
今回の会社更生法申請となった。
事実上の落城である。

「駅前留学」とピンクのウサギなど個性的なCMで
急成長した語学学校だったが、
広告と実態の遊離が落城を招いた。
CMの作成は、確か大阪電通。
この会社は、しっかり制作費をいただいてしまっているから
企業がこんな状態になっても火傷はしない。
一時期は盛んに流れていたCMもぷつんと止んだ。
制作費よりはるかに高い媒体費が払えないのだから仕方ない。

広告に代わってマスコミを賑わすのは
NOVAにとり不利なニュースばかり。

千葉大の生徒に殺害された英国女性も
確かNOVAの講師。

広告屋も商売だから
沈没する船と心中はしない。
さっさと見切りをつける。

小さな歯車が狂い始めると、
だいたいこんなふうになる。

このNOVAに興味を抱いている企業があるという。
流通の「まるい」「イオン」
ITの楽天、ヤフー、
旅行会社エイチ・アイ・エスなどだそうだが…

捨てる神あれば拾う神あり。
はたしてうまくいくものかどうか

10月25日(木曜日)

●改定
「人の世や嗚呼にはじまる広辞苑」という川柳が紹介された。
「あ」から始まる国語辞書の始まりは「嗚呼」なのだろうか。
人気袖珍辞書「新明解」は「亜」からである。
次に、ひらがなの「あ」になり、3番目に「ああ」>漢文では嗚呼などと書く。

言葉のあやだから<嗚呼ではじまる広辞苑>でもいいのだろう。
この国語辞典の代名詞「広辞苑」が10年ぶりに改定6版が発行されるそうだ。
1万語加わり「メタボリック症候群」「デパ地下」「いけ面」「うざい」「逆切れ」などの
新しい言葉が収録されているそうだ。

初版から累計販売数は1100万部。
学者・文化人と称される人達の書斎には
ほとんどといっていいほど、青緑色の装丁の分厚い辞書が並んでいる。
これが広辞苑の定位置なのだ。
「広辞苑」によると…と前置きして言葉の解説が行われるなど、
日本語の六法のようなものになっている。

小生、日常的には小型の机上辞書を使っているが、
リファレンスとして分厚いのも所有している。
が、岩波広辞苑でなく三省堂広辞林。
人がなびくと逆方向を向くというへそ曲がりな性格ばかりではない。
語彙数は大同小異だろうから紙質、活字の顔つき、見易さなどを比較して
広辞林に決めた経緯がある。
脇に置くのは「新明解」これも三省堂。
結局、中学の頃から顔を出していた神保町の三省堂が好きなのだ。

ラジオのトークで小耳にはさんだが、
広辞苑は贈答用に使われることが多いそうだ。
一方、広辞林は辞書をよく引く人種が使っている。
理由は、忘れた。

10月24日(水曜日)

●逮捕
まだだったの!?
食肉の偽装表示など朝飯前。
肉にパン粉やもろもろのくずを混入して
取引先や消費者を騙していた「ミートホープ」の田中社長以下
3男、2人の工場長が一網打尽に鎖につながれた。


不二家以降、白い恋人、赤福、比内地鶏など騙し食品が続々
摘発されたので、ミートホープ事件などもう遥か昔のようなできごと。
とっくに臭い飯を食っていたと思っていたのに。

連行される田中社長の姿が新聞にのった。
周囲には「(逮捕されて)早く楽になりたい」ともらしていたようだ。
観念したような、何かから開放されたような表情だった。
それにしても、世間を小ばかにしたような薄笑いだけは何とかならんかね。

最近は殺人、賄賂、偽装など事件が多すぎる。

小池前防衛大臣に罷免された守屋武昌・前防衛事務次官だが、
こいつも食わせ物だった。
納入先の偉いさんと長年にわたり不適切な交際。
胡散臭い風貌だったが、やっぱりね。
ミートホープの田中社長、亀田一家のおやじさん、みな同じ範疇ね。
世間を欺きそうなあぶない顔ですよ。

10月23日(火曜日)

●撤退
「上り坂、下り坂」に加え「まさか」…とは小泉純ちゃんの言。
その言葉通りの事件が起こった。
あの日立がパソコンから撤退するという。
業務用コンピュータは開発と生産をとうにHPに委託していたとは知らなんだ。
そして、「プリウス」ブランドのパソコンの生産を中止。

日本市場は米・中・台の低価格パソコンに席巻されて青息吐息。
あの、IBMのノートパソコンだって中国の「レノボ」に買収される時代だから
日本の名門といえども例外ではない。

もともとパソコンでは日立はNEC、富士通、東芝の陰に隠れた存在だったので
今までよく耐えてきた、と言うべきか。
東芝だってデジカメ、デスクトップの姿はない。
NEC、富士通はかろうじてデスクトップ、ノートの両タイプを発売しているけど
昔日の元気は感じられない。
松下電器はノートでビジネスマンに人気機種があるが、1系列だけ。
SONYはどうなんでしょうね?

小生のパソコン選択肢からは日本のメーカーは完全に外れている。
今はDELLかHPから選ぶことがほとんどだ。
両メーカーともコストパフォーマンスが高い。
余計なソフトが入っていないのがいい。

今は欲しい機種はないが、
次に狙うとならMacなんだろうな。
互換機メーカーがないから純粋培養の独特な世界が構築されている。
スティーブ・ジョブズの美学が脈々と息づいている。
MacOS9.Xの時代にWindowsに乗り換えてしまったが
シェイプアップされたiMacには胸がときめきますね〜。
昔のように高嶺の花ではないけれど、
美人はじっくり狙って落とすのがいいんですね。
だから、ときたまショップで出会うくらいがちょうどいいのかも。

10月22日(月曜日)

●勝利

※松坂も球団オーナーも大喜び

レッドソックスが11対2でインデアンスに勝利した。
めでたい。
松坂が5回まで投げて2失点。
この後がレッドソックスの打撃陣がすごかった。
7、8回に大量得点。
得点のたびにベンチの松坂は大喜び。

これで、松井と松坂対決実現。
西武時代の先輩後輩が大リーグで顔を合わせる。
ちょっと前までこんなことが実現するとは
夢にも思っておりませんでしたね〜。

ゴジラ松井とイチローは相変わらず
つきに見放されている。
特に、イチローは個人成績が抜群だけについてないよな。

10月21日(日曜日)

●失敗
昨夜、衛星放送で「ヒトラー最期の12日間」を放映したのだ。
エアチェックしなくては、と思いつつ忘れてしまった。

実在の人物、総統付き秘書のユンゲの目から見た地下壕の断末魔の様相を
かなりドキュメンタリータッチで描いている。
そっくりさんの俳優がナチ首脳陣に扮しているのだが、
ヒトラーは似ていたが、ゲッペルスはがっかりしたもんだ。

総統の後追い自殺したゲッペルス一家だが、
彼の子供たちを毒殺するシーンは壮絶。
歴史は残酷。

この映画は3〜4年前だったか、渋谷まで見に行った。
録画はできなかったが、DVDで発売されている。
保存版として購入を考えてもいいかな…

10月20日(土曜日)

●放置犬
この界隈は夜は暗くてぶっそうだから、ということばかりではあるまいが
犬を飼っている家が多い。
かくいうわが家も、ジョンを横浜から連れてきた。
もう16歳で、目も耳も老境に入り
日長一日、日向ぼっこをしながらうつらうつらしている。
2回の散歩と食事が唯一の生きがいとなっている。

最近、放し飼いの黒い中型犬がジョンの小屋にやってくる。
鎖につながれているので
ジョンは思うように動けずきゃんきゃん悲鳴をあげる。
当初はなぜ突然なくのかわからなかった。
あるとき、その黒犬がジョンの食事を狙っていることが判明した。

犬の飼い主は判明している。
以前、1年に1〜2度散歩させている姿を見たことがあるが
ほとんど家の前の小型業務車が並んでいる脇の
日当たりの悪い場所につながれていた。
一時期皮膚病にかかり死ぬのかとおもったが回復した。

或るときから飼い主は放し飼いをするようになった。
散歩に連れてゆけないから犬に自主トレをしろ、とでもいうのだろうか。

この黒犬はオスである。
周辺のメス犬を飼っている家から
親のわからない子供が生まれたという「被害」報告が流れてきた。
徘徊しているオスといえば、「彼」しかいない。
一時は死の床についたが回復。
その強力な生命力が「子孫を残せ」と彼に指令しているのだろう。

ジョンの食事は出しっぱなしにしないようにして防衛する。
家に入ってきたら「不法侵入」で追い出す。
しかし、夜遅い時間にジョンが悲鳴を上げても
とっさの対応はできない。

ジョンも若いときは首輪を抜いて脱走したことがあるが放置はしなかった。
家人と手分けした自転車で探し回ったものだ。
しかし、黒犬の飼い主は確信犯だから、そのようなことはしない。

飼い犬を敷地内で放し飼いにするのならともかく、
公道をふらふらされてはたまらない。
女性や子供に万が一のことがあったら
この飼い主はどうするつもりなのだろう。

解決策としては
@保健所に報告
A狭い地域の問題として「班」で解決
B広い地域問題として「町会」で解決
C飼い主に直接話す

小生Cでもいいとは思うが、相手は変人の噂の高い人物。
こじれるようなことがあってもまずいので
少しの間、静観すっきゃないのかね?

10月19日(金曜日)

●ゆず

昨年のできは非常に悪かったが、
今年は1昨年ほどではないが結構実をつけている。
まだ、色は濃い緑。
この柚子だが使い道がなかなか多い。
湯豆腐、サラダはもちろんレモン代わりにじゃんじゃん使う。
味はレモンより酸味が少ないので小生向き。

もう、牡蠣の季節になっているが、
殻つきを購入し手早く殻を開きさっと水洗いをする。
そこに柚子を絞ると最高。
書きながらその光景が浮かぶ。
思わず生唾ごっくん、である。

10月18日(木曜日)
●偽装
三重県の和菓子メーカー「赤ふく」が
名物「赤ふく」の製造日をつけかえて再出荷していたことが発覚。
さらに、「あん」と「もち」を分離して再利用という悪質なこともやっていた。
社長は、現場が「もったいない」意識で独断にやったもの、と責任を回避する発言。

ついこの前は、北海道「白い恋人たち」が同様の事件で摘発されたばかり。
ここの社長は「目標は赤ふく」と言ってたそうだが…
自分を棚に上げ、他のせいにすることに関しては
ボクシングの親亀も、セコンドとしてちゃんとやったが
反則行為は未熟な18歳の息子の暴走…と、息子に責任を押し付けた。

トカゲの尻尾を切り捨て自分だけが生き延びようとする卑劣な態度。
相撲協会の理事長も同じ発想。

切り捨てられる側としてはたまったもんじゃない。
トップのこういう姿勢がある限り、
今後も内部告発は続くだろう。

10月17日(水曜日)

●謝罪会見

亀田一家の父親と次男が、所属する協栄ジムの会長に連れられて
JBC(日本ボクシングコミッション)で謝罪会見を行った。

次男は自慢の金髪を坊主頭にして始終うなだれていた。
一言も発せず、退席。
金平会長が深謝する隣で親亀はうなだれていた。
会長が頭を下げたときも、一緒に下げるわけでもなし
「なぜ指弾されるのだろう、今に見ておれ」というような雰囲気を
醸し出している。
記者からの亀田家のこれまでの「ボクシングスタイル」を聞かれても
「変えるつもりはない」ときっぱり。
記者は、練習やリングの上の方法だけでなく
ボクシングに臨む姿勢全般を聞いたはずだが、
それは父親に伝わらなかった。

あまり反省はしていない、ということだ。
18歳の息子は、あのビッグマウスを固く閉ざして
始終うつむいていた。
坊主刈りというのも、高校野球の反省のようで
オリジナリティに欠ける。
せめて、金髪モヒカンくらいで出てきて欲しかったね。

しかし、子供たちは親から離さなければ
ボクシング界を去らなくてはいけなくなるだろうということは
記者会見で明白になった。

反則行為を指示したことも否定した。
彼らのセリフがマイクで拾われ全国に流れたというのに
まだ、シラを切りとおす。
この態度、神経の図太さを
「憔悴しきっている」と評する人がいるけれど、
「自分は悪いことをしていない」という意識が働いているからなんだろう。

しきりに子供を気遣う親のようなポーズを取っているが
子供に責任を転嫁しようとしている、ふとどき者なのだ。

会見を終わり、亀有の自宅に戻る二人を
カメラが待ち構えていた。
息子の背中を押しながら小走りで、
逃げるように姿を消した。
反省している者の態度ではない。

要は、なにが何だかわからない。
混乱の極致なんだろうな。



3男坊がこの騒動に巻き込まれなくてよかった、と思ったら、
亀一家はメキシコで騒動を起していた。
アマチュアの最高峰の大会に出場して
3対2で3男は負けてしまった。
その判定に、亀一家は猛然と抗議をして、
結果は、今だ出ていないそうだ。
「無敗神話」を演出しようとするあまり
暴走行為は至るところで噴出しているようだ。



少し前、2男と戦ったタイの選手に現地取材していた。
判定で彼は負けたのだが、
2男の反則行為について話した。
とにかく、多い。
それも、キン蹴りをしてきたのだそうだ。
さらに、今回も行った「抱え上げ」もくらった、と。
日本で行われた試合で、審判はそれを見逃していた。
2男は、そういうラフな試合も許される、と思ってしまったのではないか、と
コメントを出したスポーツジャーナリストもいる。

10月16日(火曜日)

●亀
亀一家に厳しい裁定が下された。
今までのことを思うと遅きに失した観もあるが…

父の史郎トレーナー(42)に無期限のセコンドライセンス停止。
兄の興毅選手(20)にはセコンドで違反行為を指示したと見なし厳重戒告処分。
弟の大毅選手(18)に1年間のボクサーライセンス停止処分。

家族の結束が固いのはいいが、傍若無人な振舞いを苦々しい思いで見てきた
多くの人々は多少溜飲を下げたのだろうが、
今回のタイトルマッチに犯した数々のアウトロー行為に対する
「お仕置き」としてはまだ手ぬるいという意見も多くある。

この一件で亀一家は常識人になってしまうのかね?

ヒールの姿勢を貫けばいいじゃないの。
ハングリー精神をぎらぎらさせてさ…
そして、リングに上がったらクリーンな試合で相手をノックアウトする。
こういう亀ならファンも復活するだろうよ。
世の中お行儀のいい連中ばかりではないのだから。
彼らが復活するにはこの方法しかないのではないか。

今回の騒動の蚊帳の外にいた3男はラッキーだった。
当面の目標がオリンピック参加だというから
父親の元を離れて新しい指導者の下でじっくり訓練すればいいのさ。
そうすりゃ1人くらいできのいいのが生まれるだろうよ。



大相撲殺人事件に続くボクシング恫喝・反則事件。
朝青龍のことなどすっかりかすんでしまった。

10月15日(月曜日)

●亀
亀田次男の反則行為を指示したことで
セコンドの父親と長男の言動が話題を呼んでいる。

実力の差で勝てないとわかるや
父親は「たまを打て」長男は「ひじで目を狙え」という
反則行為を次男に耳打ちした。
それを、こともあろうに中継していたTBSのマイクが
声を拾って全国に流れてしまった。

昼のワイドショーでガッツ石松がコメントしていた。
「小泉首相は、人生には上り坂、下り坂に加え<まさか>という坂があるといっているが、
<赤坂>という坂もあるんじゃないですかね」と。
亀一家の後押しをしていたTBSを皮肉った。
「たまを打て」といった親亀には
「ピンポンやっているんじゃなにのだから」と切り捨てた。

親父ギャクを連発するガッツ石松だが、
本日のコメントには大笑いしましたよ。

スポーツマン・シップから最も遠い場所に棲息する亀一家だから
その姿がTBSで報道されるたびに苦々しい思いで見ていたのだが、
今回の「亀ぐるみ」の違反行為が指弾され、
厳しい処分が下されることを切に望む一人ではありますよ。

ところで、チャンプの内藤選手が所属する宮田ジムは立石にあるそうだ。
対する亀一家は出身は大阪だが、亀有にジムがある。
なんだなんだ、両方とも葛飾区じゃないの。
それも、立石と亀有は非常に近い場所だ。
新聞によると車で15分という。
下町同士の宿命の対決だったのだ。

視聴率と興行成績を上げるためにTBSに
育てられ仕組まれた亀田一家である。
目的のためには手段を選ばずの亀の姿勢を堂々と流し続けた
TBSの姿勢にもかなり問題がある。

10月14日(日曜日)

●日本酒
秋が深まってゆくと温かい日本酒がおいしくなる。
本日の朝刊に黄桜の全ページ広告が掲載された。
すでに、テレビの番組でCMの紹介が行われていた。

白い壁の前に1本足の丸テーブルと椅子。
超シンプルな空間に2人男がガラスの猪口を手にしていた。
細身の男が徳利をもつと、太目の男が恐縮したように腰を折って受けていた。

新聞広告は、こんなキャッチだ
「一生、話をすることはない、と思っていた」
「一度でいいから話をしたい、と思っていた」

その二人とは元野球選手の小林と江川だ。
昔からの野球ファンなら誰でも知っている、球界事件の主役同士。
作新学園から法政大学に進んだ怪物君江川が昭和54年にプロ入りをした。
巨人が喉から手が出るほど欲しい選手だったし、江川も巨人入りを望んでいた。
ところが、阪神が権利を得てしまった。
しかし「空白の1日」という規約の網をくぐるような巧みといおうか
なりふりかまわぬといおうか、小ずるいといおうか、
ともかく江川は巨人に入団することになった。
阪神はその代償として巨人のエースを要求した。
それが小林繁だった。
以来、2人は気まずい気分を抱いたまま28年の時が流れた。

半分がボディコピーという新聞広告だが
一気に読ませる2人のインサイドストーリーだ。
いろいろな思いが長い年月を経てゆるやかに溶解してゆく。
その媒介として
「時を結ぶ、人を結ぶ」黄桜

黄桜がスポンサーというのが意外だった。
角やだるまでもよかった。
今頃、サントリーは悔しがっているだろうな。

この広告は黄桜の社長と広告代理店のTOPの宴席で
決まった、というようなことが何かに書かれていた。

久々に面白い広告に出会った。

10月13日(土曜日)
●愛しや
「雨も愛しや歌っている甘いブルース…」
フランク永井「有楽町で会いましょう」の確か2番。
この名を冠したビル「有楽町イトシヤ」が駅前に昨日オープンした。
地上4階地下1階の「イトシアプラザ」は映画館やレストラン、
地上21階地下4階のオフィス併設ビルにはマルイ有楽町店が入る。
マルイ発祥の地、中野のマルイは店を閉めたという。
東京駅と銀座に挟まれた激戦地には
マリオンの西武、プランタン、最近その隣にマロニエゲートが誕生。
ホームの向こうには「そごう」後にビックカメラがある。

有楽町といえば、昭和40年頃は戦後の匂いを色濃く残していた。
東京駅寄りの出口には東京都交通局があり
交通会館の出来る前はバラックの飲み屋が密集していた
小生が社会に出た頃、毎朝この風景を見ながら
銀座通りの広告代理店に出勤していた。

そして、帰りにはバラック群の一番駅よりにある
建物の2階にあった飲み屋に立ち寄った。
カウンターだけの細長いうなぎの寝床のような店だった。
そこでは必ず同じ会社の同期生や先輩社員が飲んでいた。
新人だからたいした仕事はしていないのだが
飲むほうはいっちょまえだった。
大学の初任給が3万円くらい。
自宅から通っていたから収入のあらかたを飲んでいたのだが
月末になると苦しくなる。
だが、その店は先輩諸氏のおかげでツケがきいた。

「赤星」というその店は再開発でやがて消えていった。
そこには交通会館ができた。
しかし、朝日新聞や日劇があり、
銀座側の出口一帯はパチンコ屋や小さい店が
まだ、戦後の匂いを残していた。

小生、銀座1丁目の会社を辞め銀座8丁目に移り
何年か後には赤坂に移ったので有楽町とも縁遠くなっていった。

いつの間にかマリオンができたのだが、
相変わらず一角は昔のままだったが、
「有楽町イトシヤ」の進出で戦後60年以上経過して
やっと近代的な商業ゾーンに変貌。
だけどね、昔を知る者にとっては多少さびしい感じもする。

在りし日を偲ぶには有楽町ガード下、
東京方面と日比谷映画街に抜けるあたりを歩かなければならなくなった。

都内の中心部はどこもかしこも
新ビルラッシュで、久々に出かけると
完全な「おのぼりさん」になってしまう。

10月12日(金曜日)

●邪道
昨日のボクシング世界タイトルマッチで、
王者内藤大助の株が急上昇。
新聞、テレビこぞって内藤賛歌。
対する、亀田ファミリー株、大暴落。

セコンドで次男になにやらささやく
父親と長男の声が超指向性マイクで
ばっちり録音されていたようだ。
親父の声はぼかしてあったらしいが、
長男が「ひじで目をやれ」というような悪知恵をさずけていたようだ。
内藤は右まぶたが切れていた。
そこをグローブでなく肘でごりごりやれ、という。
明らかに出血によるTKO勝利を目論んでいた。

「勝つためには手段を選ばず」。
言葉・態度も悪いが、思ったとおり根性も悪い。

試合前に子亀は「負けたら切腹」と言っていた。
試合後、内藤がそのことを尋ねられて
「それを言ったら酷でしょ」と軽くいなす。
アンチ亀田を自認する内藤らしく
「国民の期待に応えた」と余裕の発言。

負けた亀田に1億円。
勝った内藤が1千万円。
このファイトマネーの違いが割り切れないが
興行の複雑な事情だそうだ。

内藤の王者らしからぬ
妻子とのつつましい生活。
勝って謙虚な態度。
どこにでもいそうな親しみやすいキャラ。
中学生まではいじめられっこ。
これをはねかえすためにボクシングを始めたという。

弱者の味方のような33歳のチャンピオンは
ますます人の心をつかみそうだ。

10月11日(木曜日)

●ボクシング
19時からTBS。フライ級タイトルマッチ。
亀田の次男坊がチャンピオンに挑戦する。
相変わらすのビッグマウス。
対するチャンピオン内藤。
かなりの苦労人。
線が細くなんとなくお笑い芸人みたい。
1時間引っ張られて試合は20時から。

※ガードが固い、亀スタイル。

亀田は頭をしっかりガードして
腰を落とし、すり足で内藤に向かってゆく。
亀が甲羅から頭を突き出しているような
あまり見かけないスタイル。
内藤は後退しながらも手が出る。
亀はほとんど手を出さない。
中盤までこんな試合運びだった。
子亀はしきりに頭を振る、
こんなはずじゃない、と言いたげに。
しかし、肝心の手が出なくてはボクシングにならない。

セコンドの親亀が何事かささやく。
内藤がいつもの右まぶたから出血。
亀はTKOでの勝利を狙ったのか。
でも子亀の手はたまに出るだけ。
ポイントにかなりの差が出てきた。

クリンチが多くなり
子亀はこともあろうに内藤を抱き上げて倒してしまった。
K2のような試合ぶりで大幅減点。
それからクリンチから内藤を投げ出すなど
18歳の挑戦者はやりたい放題。

言葉も悪いがマナーも悪い。
12回まで倒れなかったというだけで
試合には終始負けていた。

※勝負の明暗。子亀自慢の金髪もざんばら。

負けたといっても亀田家には大金が転がり込むらしい。
勝ったチャンピオンは、亀の1/10程度というから驚き。。
興行の複雑なからくりがあるようだ。

負けても相変わらずのビッグマウスなんだろうな。
俺が勝つはずだった、と。
この一家、おめでたいのである。

ジャガー横田の旦那、アントニオ猪木、政治家の新井なにがしが
前のほうで観戦していた。

●誘拐
イランを旅行中の横浜国大4年生が、
パキスタン国境に近いケルマン州で武装グループに誘拐された。
イランの日本大使館に学生から
「誘拐された」旨の電話が2回入っているという。

誘拐の目的は身代金か?
それにしては、悠長な電話が入った程度で緊迫感がない。

アルカイーダが跋扈する
アフガニスタン・パキスタン国境ならともかく
イランでもこんな事件が起きる。
隣国のイラクは相変わらず紛争中。

学生は、海外にボランティアにゆく、
と休学届けを出していたという。
本当にボランティアでイランを訪れていたのか疑問が残るが、
こうした治安の悪い地域を旅行するからには
相当の覚悟が要るだろう。

このような事件が発生すると
国家レベルで動かなくてはいけない。
いわゆる「自己責任」論がまたぞろ復活するかもしれない。

10月10日(水曜日)

●他力本願
自殺のお手伝いを携帯サイトで行っていた男が逮捕された。
自殺の方法を解説していたらしいが、
大量に飲めば死に至る睡眠薬の販売をしていた。
そして、依頼のあった女性に
最後まで実行するという契約で、
薬を飲ませたうえ、頭部にビニール袋をかぶせ窒息死させたという。

元来、自殺は勇気が要るもので
富士山麓の樹海をさ迷い歩いて死に切れなかった人もいる。
飛び込み自殺は一瞬の恐怖が我慢できれば
ほとんど目的は達せられる。
最近は自動車の中に練炭を持ち込み
車内を目張りして二酸化炭素中毒で死んでいく人が多いようだ。

他人の手を借りて死ぬという形態は無理心中があるが、
手を下すのは近しい人だが、
ネット社会では赤の他人に幇助をしてもらっている。

魚心あれば水心なのだろうが、
闇の職安といいい自殺お助けといい
情報社会ではおかしな仕事が発生する。

自殺願望者は他人を自分の手のように使い、
くいっぱぐれた者同士は、
それぞれが目、手、足となって犯罪を犯す。
生まれたときからインターネット、携帯電話で育った
連中は自分と他人の区別がつかなくなっていくのかもしれない。

10月9日(火曜日)

●生死
革命家チェ・ゲバラが39歳のこの日に処刑され40年たった。
ファンに至近距離から拳銃で射殺されたジョン・レノンは
この日に生まれた。
ついでに、小生もうん十年前のこの日に生まれた。

日本軍が真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争が始まった。
風雲急を告げ、
軍人ではなかった父親は
やがて赤紙1枚で戦地へ赴くことを肌で感じていた。
万が一、名誉の戦死ということにでもなったら…
生きた証しとして一粒種を残した。

※昭和19年出征 膝に抱かれる小生

予想通り、召集令状はやってきた。
行き先を告げられずに神戸港から出発。
着いた所は南方、インドネシアのハルマヘラ島。
今はスラウェシと呼ばれるセレベス島のすぐ上にある。
ハルマヘラも今はジャイロロ島と呼ばれている。

勝機を失った日本軍は敗戦につぐ敗戦。
物資も陸揚げされることもなくなった。
水平線に浮かぶモロタイ島には米軍が上陸。
毎日2回、飛行機がハルマヘラ攻撃にやってきたという。
兵隊は密林に逃げ込むのが日課だった。
食料も底をつき、蛇を捕まえて食べた、と言っていた。
父親はマラリアに罹り九死一生を得て帰国できた。

小生が小学生の頃、父親は向こうで憶えた歌と言葉をよく言って聞かせた。
歌とは「ノナマニサパヤンプーニャン」。
そのうち、「可愛いあのこは誰のもの」という日本詞がついて流行した。
言葉とは「トアン・トアン、テレマカシ」。
原住民が日本兵に言った「サンキュー」。

その父親も、とうに墓の中。
「忘れ形見」となるはずだった小生も
あと何年したら墓の下?

●ノーベル賞
今年は日本人は逃してしまうのかな。
医学生理学賞はノースカロライナ大のオリバー・スミシーズ教授(82)が受賞した。
その奥さんが日本人前田信代さん(58)。
夫と共同研究者でノースカロライナ大教授。
夫婦で同じ大学の教授。24歳の年齢差カップル。

学生に手をつけてしまうエロ教授もいるというのに
こちらは研究で結ばれた同志。
いや〜、崇高であります。

●ドロン近影

昨夜。
SMAPの料理番組にアラン・ドロンが出演。
「太陽がいっぱい」の美男子も79歳とか。
顔には深い皺が刻まれていたが
青い目は当時の面影を残していた。
それにしても健啖家。
これが元気の秘訣。

10月8日(月曜日)

●木犀
さっき小雨がぱらついた。
午後から本降りになるらしい。

本日「体育の日」。
10月10日だったときは快晴の確率が高かったが、
浮動的になってから雨が多くなった。
国民の祝日も連休策をとるようになってからピンとこなくなった。
きちんとあるべき場所にあっていただきたい。

わが家には4本の木犀がある。
2本は金木犀、2本は銀木犀。
窓を開ければ香りが飛び込んでくる。
上品な微香性だ。
越してきた年に植えた金木犀は大木になった。
剪定しすぎて刈り込みすぎたプードル状態だが、
上のほうに大量の花をつけている。

生垣の銀木犀は季節にかかわらず白い花をつけている。
冬でもあの上品な香りが漂うことがある。

木犀が香り
花水木が赤い実をつけ
秋が深まってゆく。

10月7日(日曜日)

●運動会
学習院幼稚園の運動会が開催された。
愛娘のために両親祖父母が応援に出かける。

そう、愛子さんの成長ぶりを見ようと
皇太子と雅子さんが出席した。

祖父母はどうか、というと次男一家と別荘で過ごしているようだ。
このあたりにも、祖母は次男のほうが可愛いのだろう。
彼らの家族はお人形のような嫁と、2人の孫娘
それと久々に男児誕生で相好が崩れっぱなし、というところか。

この家族の偏愛ぶりは、国民にどういう影響を与えるのだろうか。

昨年の運動会に父親はビデオカメラを持参した。
今年は夫妻そろってデジカメを手にしていた。
父親はカシオのエクシリム、母親はアサペンだった。
これを見たニコンとキヤノンの連中は歯軋りするだろうね。
なんせ、デジカメ生産1位、2位のメーカの機種が選ばれなかったのだから。

父親のカメラ好きはつとに有名だ。
デジタル一眼はたぶん持っているのだろうけど、
こういう席にコンパクトタイプを持参するところがいいですね。
デジタル一眼ではキヤノンかニコンになってしまうだろうから。
この市場ではアサペン、SONY、松下電器が生産しているけど
キヤノン、ニコンが2強だもんね。
深い考えに基づいていますよ。
第2グループのコンパクトタイプを選ぶとは…

10月6日(土曜日)

●おひさ

読売夕刊に小説家・佐々木譲氏の写真が掲載されていた。
コラム「私のいる風景」
場所は谷中墓地の交番前。
小説の著者紹介で顔写真を見ることはあったが
近影を久しぶりに拝見した。
彼は、北海道を主たる仕事場にしているが
谷中か根津あたりにも家がある。
1950年生まれだから私よりかなり若いのだが
いつの間にか白髪になり真ん中の髪がなくなっていた。

彼は今、警察小説で新境地を拓いている。
だが、彼の小説のファンになったのは「ベルリン飛行指令」からだった。
彼は、第二次世界大戦を舞台にした小説に傑作がある。
さらに、幕末の幕臣榎本武揚を描いた「武揚伝」上・下もいい。
とにかく男っぽい世界を描くのがうまい。

彼は大昔、コピーライターだった。
短期間だったが赤坂溜池の広告代理店で机を並べていたことがあった。
そのとき、彼はカシオのPR紙の編集に携わっていた。
すでに「鉄騎兵飛んだ」というオートバイ小説で
オール読物新人賞を受賞していたのだが、それを私は知らなかった。
物静かな謙虚がちな男だった。
すでに富士通のワープロOASYSを自宅で使っていた。
まだ、40〜50万くらいした高価な代物だった。

あるとき、彼とカーステレオメーカーのカタログを作ることになり
企画を考えていた。
キーワードを探っていたとき彼が「アクセス」という語を出した。
小生、当時、パソコンはもちろんワープロ専用機も持っていなかった。
ましてパソコン通信など、どんな世界か想像もつかない。
したがって、「アクセス」などという言葉も意味も知らなかった。
今ではなじんだ語だが、当時はマスコミにも登場していなかったのではないか?
彼が、なぜそのような語を知っていたのかわからない。
しかし小説家としてアメリカの情報にも詳しかったのかも知れない。
そのカタログを作る前に小生、その会社を辞めてしまったので
彼と顔を合わせることもなくなた。

それから2〜3年経過。
小生、フリーのコピーライターとして
中目黒で小さな事務所をもっていた。
ある日、中目黒のホームで彼と偶然再会。
体調はあまりよくないようだった。
あとで判ったのだがオートバイ事故を起していたのだ。
かなり大事故だったらしく、その後遺症が残っていた。
彼も中目黒の向こう側で仕事をしていた。
会社を辞め小説家として一本立ちしたらしかった。
そのときは私の事務所で軽くビールを飲んで別れた。

そして遥かな時が流れた。
彼の小説のファンとして数冊読んでいた。
インターネットで彼のホームページが見つかった。
掲示板は賑やかだった。
そこに書き込みをしてネット上で再会した。

そして、本日、新聞紙上で再会した。
お互いによわいを重ねていた。

10月5日(金曜日)
●水郷佐原
昨日に続き快晴。
波の音で目覚めた海辺のホテル。
ひとり抜け出し海岸沿いの遊歩道を犬吠崎灯台へ向かう。
ときどき波しぶきをあびながら10分ほどで到着。
青空に白い灯台がまぶしい。
180度の展望、地球の丸さがわかる。


朝日を浴びて映画のセットのような売店が軒を連ねている。
観光客の姿はほとんどない。
同じ道を戻るのもつまらないので
海岸の上の舗道をゆく。

8時半の朝食は最後のグループだった。
海浜ホテルのごく一般的なメニューだった。
海岸で記念の石を拾って出発。
灯台経由で「ウオッセ21」なるおみやげ市場へ。
年配の観光客が2〜3組。
店の人たちは手持ちぶさた。
干物、わかめなど購入。
隣のポートタワーはお一人様300円。
展望台で久々のコーヒーにありつく。
 


目の下に利根川の河口。
川向こうは茨城県波崎。
うっすらと筑波山も遠望。
九十九里、鹿島灘が眼前に広がる。
遠足のようなわくわく気分。


来た道を戻る。
銚子駅に立ち寄る。
駅前広場から広い道が伸びている典型的な地方都市の駅。
低い建物ばかり。
電線が埋設してあるので開放的。
ヒゲタ醤油本社を見ながら銚子の町を後にする。
国道356でトラックと乗用車の事故現場に遭遇。
乗用車前部がめちゃめちゃ。



水郷佐原を訪問することは予定の行動。
香取の先を左折して佐原市街に入る。
そこには別世界が広がっていた。
あまり広くない掘割の左右に古い町並みが保存されていた。
江戸時代に利根川の水運で栄えた町並みである。



一番奥まった場所に伊能忠敬の住居が公開されていた。
「じゃ〜じゃ〜橋」を渡ったら記念館。
忠敬旧居には年配の観光客に混じって小学生らしきグループも。
掘割りでは観光和船。
手持ちぶさたの女船頭。
小一時間佐原に滞在。

再び国道356号をひたすら走る。
行きに立ち寄った印旛そば「石亭」に入り遅い昼食。
昨日、ざる蕎麦大盛り。
本日、もり蕎麦大盛。
細い色白蕎麦は小生好み。
違いは海苔の有無だけでなく汁も違うはずだが、ここは同じだった。
女性店員に銚子への道を聞いたのを憶えていて
「銚子はいかがでしたか」と聞かれる。

ひたすら、利根川べりを走る。
国道6号線の下をくぐるとやがて農道に出る。
片側1車線の細い道だが、
ここが有名な成田空港へのショートカットコースだった。
信号は1箇所のみ。
対向車もびゅんびゅん飛ばしている。
小休止などできない。
終点まで一気に走りきらなければならない。
北柏のゴミ処理場の裏に出た。
それを左に見て車道に出た。
「運河」の橋を渡ったところだった。
行きはこれを見逃し、野田の裏道から6号線まで走らなければならなかった。
16時頃わが家着。

一晩あけたため寂しさの極みに達した
ミミが飛び出してきた。
家に人がいないという環境の変化によるものか
「うんこ」をしていなかった。
便秘にならなきゃいいが、と思ったら
夜、黒カリントウのような立派なものが排泄されていた。
よかったよかった。

10月4日(木曜日)
●犬吠崎へ
混雑する夏は避けて秋色濃い房総へ。
今週は雨ばかりだったので心配していたが
日頃の行いがとみに良くなっているおかげて青空が戻った。
午前中の遅い時間出発。
16号線を野田まで行き裏道を通り6号線へ。
右に曲がり我孫子へ出て356号をひたすら行く。

もちろんこのルートを走るのは初めて。
銚子に行くのも、この歳にして初めてなのだ。
利根川に沿って順調に走り印西市に到達。
T字路になり右へ行けば成田、左が銚子方面。
角の印旛そば「石亭」で昼食。
日本蕎麦の店なのだが内部はレストランのような造りで風情がある。
ざる蕎麦の大盛を注文。
出てきた印旛そばは、小生好みの細い麺。
やや色白だった。
適度にコシがあって歯ざわりがよい。
ここの大盛は盛りがよく丘のような案配だったが、
一気にこなしてしまった。
おいしゅうございました。
 
ふたたび利根川に沿ってひた走る。
佐原を通過。
ここは帰りに伊能忠敬の家を見学する予定。
日本一の川の向こうは茨城県。
かなりの数の大型の風力発電装置が
プロペラをゆっくり回転させていた。
実物を視野に入れるのは初めてだった。

やがて銚子市に入る。
市街を通過し銚子電鉄の犬吠崎駅へ到着。
目指す宿泊場所が目に飛び込んできた。

平日というのに結構な客の入り。
みなさん年配だった。

※宿からの風景。下は伊藤博文候が宿泊した旅館

7階の部屋はオーシャンビューで太平洋が見渡せる。
目の下は岩にぶつかりしぶきを上げる波。
外房の海に行って以来2〜3年ぶりに見る大海原だった。

間もなく日が沈む。
フロントで日没時間が5時15分というのを確認し
「地球の丸く見える丘展望館」へ向かう。
車で10分ほどの場所にある見晴台は5時半で閉館だった。
なんとか滑り込み屋上に向かう。

若いカップルが先客だった。
完全に2人の世界に入り込んでいる。


オレンジ色の太陽が水平線に入ろうとしていた。
犬吠崎から内房方向だった。
下のほうに雲がかかっていたので
一度姿を消した太陽がまた顔を出した。
逆の方向にある利根川河口は薄暗く
銚子の街には明りがともり始めていた。

きっかり6時15分に水平線の向こうに消えていった。
なかなか感動的だった。
カップルがじゃまだったが、
彼らもこっちをじゃまと思っていたろう。

昨日まで天気が悪かったので、
雄大な日没が見られただけでも犬吠崎に来た甲斐がある。

犬吠崎では料理がいい、とインターネットで確認した宿だったが、
それを書いた方は何を基準にしていたのだろう。
予備知識を入れたばかりに、
ちょい期待はずれではありました。
刺身や貝を追加オーダーしたのだが、
やめときゃよかった。
港に近い市場の食堂で食べるほうが正解だろう。

家人と息子の3人旅だった。
今月は小生の誕生日。
食事のとき2人からプレゼント。
サプライズである。
旅行のたしに、とシカゴの娘から金一封もあり。
小生、好き勝手なことをやってきた親ではあるが
家族全員から贈り物とは…

風呂に2回入り
ビールのあと焼酎のウーロン割りを飲んだら
眠くなった。

10月3日(水曜日)

●曇天
天気はぐずつきっぱなし。
めっきり涼しくなったが、まだオーシンが鳴いている。
さすがに数は少なく、本日は1匹。
弱々しい声だった。

韓国の大統領が陸路北朝鮮へ向かった。
38度線を徒歩で渡ったときは緊張したそうだ。
北の歓迎ぶりをテレビが伝える。
病気だと言われていた将軍様が元気な姿を現した。
彼のほうが役者が上。
大統領は精一杯胸を張っているのだろうが
なんとなく遅れをとっている感じが伝わる。

大統領は何をしにいったのだろう?
北が自由主義国家になるわけがないし、
大量の食料と燃料をおねだりされるのがオチ。

お土産に「冬ソナ」「チャングム」など韓国人気ドラマのDVDも
あったというが、映画好きの将軍様だから、
リアルタイムで見ていたろうし、
とっくに彼のコレクションに入っておりますよ。
一応お礼を言っていたが「今さら何を…」という顔つき。

援助する国のほうが卑屈に見えて仕方がなかった。

10月2日(火曜日)

●相撲
時津風部屋の不祥事でテレビのワイドショーは賑やかだ。
朝青龍問題などどこかに吹き飛んでしまった。
朝汐親方も少しは胸を撫で下ろしているかも知れない。

「可愛がり」とは新弟子に愛の鞭を入れることだが、
今回の時津風部屋は鞭を入れすぎてしまった。
どこの部屋でも行われているのだろうが、度が過ぎてはいけない。
ベテランの親方が先頭に立ち兄弟子が追従した。

暴力の連鎖がとんでもない事件になったのだが、
今回は警察とは別に相撲協会が迅速に動いた、ようだ。
朝青龍問題で後手に回ったから
今回は汚名挽回、というわけでもないのだろうが、
時津風親方をクビにすることで
早期問題解決を図ったつもりなのだろう。

しかし、今回の措置はトカゲの尻尾きりのようで
なんとも後味が悪い。
真相究明してからの処分というのが一般的ではないか。
その間、親方は謹慎だろう。

理事会の席上で、時津風は「協会に迷惑をかけた…」というような
弁明をしたらしいが、
人一人殺しておいて、あやまりの台詞がこれではおかしい。
協会の体面、面子を気にしているだけではないか?

他人の子供を預かる親方なら、
職務を全うできなかった自分の非力をわび
処分は協会におまかせする、くらいのことを言わなきゃ。
あのような事件を起したのに、自分の地位に居座るつもりでいたのだ。

今となっては閉鎖社会の悪しき慣習。
昔は力士が強くなるための通過儀礼。

最近の喧嘩は手加減を知らず、すぐ殺人にまで発展するが、
相撲社会の兄弟子たちも、つまるところは現代っ子。
暴走を制止するのが親方なのだろうが、
自分が煽動したのだから罪は重い。

10月1日(月曜日)

●秋雨前線
秋といえば快適な天気が続く、と思いがちだが
例年、梅雨時とはいわないまでも、冷たい雨の日が連続する。
今年も同様だ。
台風は収まっているが、連日小雨で、肌寒い。
秋物を引っ張り出し着込んでいる。
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