田舎三昧の生活と意見

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2006年11月
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Web Camera


■Contents■
01 冬子様変身
  要地
  驚愕
02 思い出した
  喝采
03 文化祭
  GUCCIビル
  宮代餃子
  炬燵
  飛来
04 バタ炒め
  実況中継
  やたっ!
  茅葺の家
  思い出した2
05 満月
  気配り
06 校長自殺
  時代劇
07 立冬
08 顔づくり
09 2大政党
  音楽のあるまち
10 お天気姉さん
  変わる街
11 変わらない街
12 強風
13 考え違い
  賛否両論
14 モンゴル
  衝動
  秋田名物
  いじめ
15 Google
  鉛筆
  驚愕
16 柚子
  あらら
  意外性
  失礼
  カワセミ
17 頑固
  余波
  変わる街
18 カムイ伝
  納得
  悲鳴
19 深夜放送
  女子マラソン
20 星座
  あしたをつかめ
  山行
  アパート
21 快晴
22 変わる街
23 歴史教育
  自転車
  キャンパスシティ
24 生産過剰
  心がけ
25 不良品
26 世間相場
  二夜連続
27 監視
28 泥沼化
  健闘
  公孫樹
  ぎゃっ!
  難解
29 学校異変
30 マンション


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Yellow House
Chicago Short Stay
Miyashiro Avenue

Category
Area
Area2

Case
Culture
Expression
Ginza
History
Hobby
Movie/Drama
PC
Politics
ご注意
人によっては不快な気分になるかも


ご意見・感想などお気軽にどうぞ!

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11月30日(木曜日)
●マンション
春日部西口がバブル期以来のマンション建設ラッシュだという。
地元業者によると、この傾向は2年ほど前からで
この間に5棟約200戸に上る、ということ。
来年も6〜7棟約300戸の販売が見込まれているらしい。
進出するのは、高騰した都心の土地が買えない中小開発業者。
春日部は都心30キロ圏内で、最後に残った住宅地。
伊勢崎線沿線では、ここが「北限」だろう、と分析。

ぬわ〜るほど、
「春日部が都心通勤者の<北限>」でっか。
3つ先の東武動物公園はスペーシアこそ停車しないが、
日光線、伊勢崎線が分岐する要地、であるよ。
せめて<北限>認識をここまで広げていただきたい。

でもな〜、北春日部を過ぎると風景は一変。
両サイドには畑が広がる田園風景が広がってしまう。
さらに、姫宮を過ぎると遠方にこんもりとした雑木林が広がる。
これが、宮代の風景だ。
これを見る限り「都会化」が進んでいるのは
やっぱ、春日部までとしか言いようがないのかも知れないね。

宮代は「農のある町づくり」を推進しているけど、現状は?
「農の風景」のなかで「農のある町づくり」をするのでは、
当たり前といえば当たり前。
駅周辺にマンション群、お洒落な店舗群が集まり、
少し歩くと田園風景が広がる、というのであれば
「農のある町づくり」という言葉も少しはこなれてくる。

春日部も内牧あたりまで入ると、
宮代と似たり寄ったりの風景が広がるけどね。
元気な西口があり、静かな内牧がある。
バランスがとれております。

11月29日(水曜日)
●学校異変
いじめ問題では、生徒の自殺が頻発し
国もやっと思い腰を上げた。
高校では履修逃れ問題で校長が自殺。
教育が揺れに揺れている、と思ったら、
今度は、給食費を払わない家庭が増えている
という、新たな問題が浮上した。
このことは、時折マスコミで伝えられていた。

「払えない」のではなく「払わない」。
親が他に金を使うのが忙しく給食費が犠牲になっているらしいのだ。
先日の新聞では、督促を受けた家庭の祖父が
外車で学校に乗り込み
「義務教育なのだから給食費は払う必要がない」と
息巻いていったそうだ。

何を血迷ったのかね、このジジーは。
そのうち教科書、遠足など
学校で行われるもろもろも「無料」にしろ、と
ゴネ出すんじゃないの?

朝食を食べないで登校する児童のために
学校で用意した、というニュースも伝わっている。
なんか、おかしい。
そんなことは、家庭に問題があるのだよ。

本当に経済的な理由で給食費が払えない家庭に関しては
それなりの措置をとるとして、
遊興、被服、趣味などの費用が突出している家庭からは
びしびし取り立てなくてはいけないよ。
こういう家はNHKも不払いなんだろうね。
「せこい」としか言いようがない。
これで、がたがた言うようなら、いっそ、学校給食は廃止だね。

カ〜ちゃんが、ガキのためにしっかり朝食を食わせ弁当を持たせる。
自分たちが快楽の果てに作った子供なのだから
そのくらいのことをしても当然だ。



「いじめ」で思ったのだが
最近の生徒会つ〜のは、どうなっているんだろう?
学校の自治は、教諭ばかりでなく、生徒にも参加させて当然なのだが。

生徒が立ち上がって「いじめ」に正面から取り組む、てなことは
彼らの頭から欠落しているのだろうか?
もし、生徒会が骨抜き、あるいは存在しないというのなら、危険なことだ。

そんな具合だから、学校は
権利ばかり主張して義務を放り出すような子供を作っているのではないか?
そういうガキが年寄りになると、
さっきのような、マト外れな発言を行うようになる。

11月28日(火曜日)
●泥沼化
面白い記事があった。
いま、アメリカ軍がイラクで戦争をやっているが、
今月の26日をもって、
太平洋戦争で日本と戦ったのと同じ日数に達した、のだそうだ。

昭和16年12月7日の真珠湾奇襲に始まり
昭和20年8月15日降伏文書受け入れの日までの1348日間。

太平洋戦争は、パールハーバーでは攻撃直前の宣戦布告だったから
米軍は備えることもできず、一方的な戦だったが、フェアとは言いがたい。
仏印制圧まではよかったが、半年後のミッドウェイの敗戦がケチのつきはじめ。
ガダルカナル、硫黄島、アリューシャン…
南北に伸びきった戦線で敗北に続く敗北。
沖縄の悲劇、特攻、大陸では関東軍がロシアに負け…
相手にしたのは英米ソ中蘭豪など連合軍だったから、
太平洋の至るところでボコボコにやられたという思いが強い。
あっという間の4年ちょい、ではなく、長かったという感じがする。

イラクの場合は外国ということもあってか、もうそんなに経ったの、という思いだ。
かの国は日本の戦いとまるで様子が違う。
核、生物兵器疑惑でイラクに乗り込みフセイン政権を倒したまではいいが、
肝心の核兵器はなし、わずかな生物兵器しか発見できなかった。
そうこうするうちに、シーア派、スンニ派という宗教戦争が始まり
同胞が血で血を洗うことになってしまった。

米軍が高く掲げる「正義の御旗」も、カッコがつかない。
戦国時代の様相を呈するイラクにあって、
一体俺らはなんのために駐留するんだろう、
と考える兵士がいてもおかしくない。

そうこうするうちに米軍は3000人以上の死者を出す始末。
太平洋戦争の死者に比べりゃ軽いけどね。

よその国の喧嘩に首を突っ込むこたね〜だろ
だがね、その種をまいたのはオレたちだけどさ〜
という具合で、なんとも居心地が悪いのである。

世界の火種に首を突っ込むのが好きな米国は
1.ベトナム戦が8年5ヶ月。結局敗北。
2.アフガニスタン対テロ戦争が5年1か月。結局泥沼化して
米国本土がテロ攻撃を受け、世界貿易センタービル崩壊という悲劇を生んだ。
イラクがこのまま続けば、3位になるのだそうだ。

きっちり終結させて、戦後統治がうまくいったのは日本だけじゃね〜の。
これは、熱しやすく冷めやすい、という日本民族の特性もあったからね。
進駐軍ウエルカムだし、軍人、政治家、教育者などにも、
コロッと考えを変えちゃうのも多かった。

だから、郵政造反議員が、復党するなんてことは朝飯前なんよ。
「転向」は、ニッポンのお家芸。
シンジラレナ〜〜イ。

そこへゆくと、信念、とか宗教のバックボーンのある民族は抵抗しますね。

●健闘
発売が1か月遅れていたアサペンのデジタル一眼K10Dが、
いよいよ今月末に、市場にお目見えすることになった。
結構、期待されているらしいんですよ、この機種が。
デジタル一眼はニコン、キャノンが2強で、
それをオリンパス、PENTAX、SONY、松下電器が追っている。

35mm一眼レフの頃は
やはり、ニコン、キャノンが2強でPENTAXはミノルタと互角で3番手にあった。
少し遅れてオリンパス、コニカ、フジも追っていた。
外国ブランドは、京セラ製だがCONTAXも捨てがたかった。
それが、デジタル時代になって、ミノルタ、コニカ、CONTAXは脱落。
フジもデジタル一眼は発売していない。
ニューデジタル一眼という、苦肉のネーミング機種はあるけど。

ここにきて、アサペン、いや、PENTAXの
アクセルが少し踏み込まれたような感じがする。
35mm時代からコストパフォーマンスに優れたカメラとして
人気があったメーカーだしね。
キヤノン、ニコンに比べコンパクトデジタルで遅れをとった観があったが
一眼レフでは、その価格で激しい競争に食い込んできている。
10万を切るデジタル一眼を発売したのはPENTAXだ。
ロープライスゾーンを押さえて
今度はミドルクラスに投入したのが、このK10D。
CPは先行2メーカーに比べて高い。

新聞全ページ広告を打つのだから、かなりリキが入っている。
で、このカメラの一番美しいアングルでアピールしている。
ボディに比べレンズ口径が大きいので、迫力がある。

正面も見たいものだ。
ボディの中央にレンズがあれば、さらにバランスの取れた形になるのだ。
小型化を追求するあまり、左側を切り落としてしまうことがある。
たしか、オリンパスにそういう機種があったはずだが。
そうなると、尻切れトンボのようで、まっこと、かっこワル。
このあたりのことは、PENTAXのWebサイトで調べてみよっと。

2強に、PENTAXが肉迫してくると、この市場も面白くなる。

●公孫樹
ホコテンの表参道つ〜のは聞いたことがないが、車道が狭いな、と思ったら
都立光が丘公園の銀杏並木だと。
大江戸線沿線にあるのだそうだが、もち、行ったことはない。
大江戸線だって1回しか乗ったことがない。

東京駅と有楽町の境目にあった旧都庁が移転するとき
周囲の街路樹をここにもってきたのだそうだ。
それが、大きく育って道行く人たちに秋の終わりを告げている。

補正したような空の青さと公孫樹の黄色が、み・ご・と。
これから先、落ち葉が道を敷き詰めることになるのだが、
公孫樹の葉は、けや木などと違って燃えない。
掃除をする人たちは大変だろうが、
大勢の人たちを楽しませてくれたのだから、許してあげよう。
高齢者事業団の貴重な仕事につながる。
あるいは、地域ボランティア「お掃除し隊」ががんばるのだろう。

2年前の初夏、宇都宮のマロニエを見に行ったとき、
県庁付近を大勢のご婦人、じいちゃんが道端にかがんで掃除をしていた。
雑草やごみなのだろうが、
マロニエも落葉するので、初冬の落ち葉掃除は人海作戦でやるのだろうな。
街を美しく保ちたい、という気持ちが、ずんずん伝わってきましたね。

もう20年以上も前、取材で熊本へ。
空いた時間に熊本城を見学。
城の中は歴史資料館のようになっていて、
西南戦争で西郷軍と戦った熊本鎮台の歴史の品々が展示されていた。
城の裏手に大きな公孫樹の木があり
下にはおびただしい葉が落ちていた。
風もなく、葉は飛び散らず、木の下に雪のように積もっていた。
空気がわずかに動くだけで相変わらず葉は落ちていた。
美しい光景だった。
与謝野晶子の
「こんじきの ちひさきとりのかたちして いてふちるなり ゆうひのおかに」
の歌が脳裏をかすめた。



今年の冬は、わが町、宮代では異変が起こっているような…
近頃気づいたのだが、駅から動物公園にいたる街路樹が
細い枝を天に向かって伸ばしているのであるよ。
例年なら、高齢者事業団の恒例・枝払いで丸坊主にされるのだが。
おかげさまをもちまして、ドウダンカエデが紅葉していた。
この木は大木になるのだが、
わが町ではいつも刈り込まれていたので、まだ若木のようだが。

つくば研究都市の、筑波大脇の直線道路にもこの木がある。
去年の今頃、初めて見たときは驚いた。
何キロにもわたって大きく成長したドウダンカエデがみごとに紅葉していた。

わが町の木も、いつの日かあんなふうになればいいのだが。

●ぎゃっ!
気分を変えようと思い
コンピュータAとBのディスプレイを入れ替えることにした。
机まわりの掃除も兼ねた。
結線も済み順調に事は終えた。
Aの電源をONにした。
OSがもたついてなかなか起動しない。
業を煮やし強制断。
同じ事を3度ばかりやったら、完全におかしくなった。
4度目はセーフモードでも起動しなくなった。
たかがディスプレイの交換くらいでOSがいかれるのか、と思いつつ
OSの再インストール…という最悪の事態のことがよぎった。
データはバックアップしていないし…

原因を考えてみた。
Macで使っていた19インチのCRTをWindowsマシンにつないだ。
Mac側でかなりディスプレイの調整をしていた。
外すときにWin標準に戻しておけばよかったのかもしれない。
だから、Winで電源を初めて入れたとき
画面が大きく乱れ途中で止まってしまったのかも知れない。

仕方なく、憂鬱な気持ちでシステムディスクを入れて再起動した。
画面は、「フォーマットしてOSを入れ替えるか、
回復コンソールを使って修復するか」聞いている。

98SEの頃は、確かOSだけ上書きするモードがあったはずだが、
XPにはそれがないので、困ったね。
OSの再インストールはデータがパーになるので、
「回復コンソール」を選んでみた。

懐かしいDOS画面に変わった。
プロンプトが点滅しているので、何かコマンドを入れなくてはいけない。
さいわい、n88BASIC、DOSとOS環境を渡り歩いてきたので
DOSコマンドも、なんとか憶えている。
でも、間違えると危険なので、help画面で使えるコマンドを確認した。

「チェックディスク」がありましたね〜。
これは、破損したファイルを探し修復する命令。
うまくいけば、データは助かる。
コマンドをキーインしてenter。
ハードディスクが回転し始めた。

現在のように100G超の大容量ではないが70G位はある。
50%までゆくのに1時間。
それからびくともしなくなった。
あらら、壊れたのかな?
と思ったら30分くらいしたら60%になった。
さらに30分程度で検査・修復は終わった。

念のためにセーフモードで起動し、
画面の解像度をやや低めにして再起動。
やったぜ!Baby!
わが愛しのTrinitronは2時間後に見慣れた画面を表示したのでR。

回復コンソールつ〜のは今回初めて使ったけど、
なかなか便利なもんですね。

●難解

若い人なら知っているのだろう。
私も、耳からその名前は入ってきている。
歌手である。
しかし、広告にでかでかとその名が掲載されたときは
???だった。
その人の名は「一青窈(ひととよう)」。
パソコンの辞書でも「ひとと」で変換すると出てくる苗字だった。
読めない私がアホなのね。
「窈」は文字面が「窃盗」の「窃」に似ている。
女性にしてはまがまがしい名前だ。
歌い方というか、発声がちょっと変わっている、という記憶がある。

この人のベストアルバム発売広告だったのだが、
「BESTYO」とある。
「ベスチョ」ってなんだ?
と、思ったら「BEST YO」のことだった。
くっつけてあったので、読み方、間違った。

11月27日(月曜日)
●監視
25日に見た「遥かなる約束」。
半世紀以上、離ればなれになっていた夫婦の愛の物語だった。

スパイの濡れ衣を着せられた夫が
強制労働の刑期を終えて自由の身になり、
行く当てもなく、たどりついた寒村の床屋で働くことになった。

ここが、わからないのだが。
身元引受人のいない日本人を、ソ連国内に放り出し
自由に移動させる、ということが現実にあったのかどうか?
彼には依然、スパイの嫌疑がかかっているというのに。

で、床屋で彼を指名する客があった。
ソ連に囚われていた日本人が帰国することになって
夫にはそのチャンスが巡ってこない。
それは、当然だ。
日本人社会から離れた場所で、
潜伏するように生活していたのだから。

あるとき、その疑問をなじみの客と話していると
その客は、ソ連の秘密警察(KGB)員で、
自由の身になった夫を20年近く監視していたのだ。
そして、彼は言った。
「お前は絶対に帰国できない」

しかし、これもおかしい。
スパイ疑惑の男を帰国させてしまえば、
「厄介払い」できるのだから。

そんなことを思っているとき、
イギリスでロシア人が怪死するという事件が発生。
ロシア連邦保安局(FSB)。
KGBの現代の姿なんだろうね。
ここの、元中佐アレクサンドル・リトビネンコ死が
国家のきな臭い事件を調べているうちに
放射性物質を摂取して死亡したのだ。

髪の毛が抜けベッドに横たわる
死の寸前の写真がマスコミに掲載された。
彼は、遺書を口述筆記させていた。

それによると、
彼を監視していたビクトル・キロフという
ロシア情報機関工作員の名を明らかにしていた。
彼は、昨年10月まで在英ロシア大使館に外交官として勤務。
その後、帰国したが、実は英国に残留しリトビネンコ氏を監視していたという。

彼の前にはロシア女性ジャーナリストが変死している。

2人ともプーチン体制にとって都合の悪い人物だった。

日本で言うと「公安」だが、
ソ連の「監視体制」は国名がロシアになっても依然続いていた。


スパイ容疑をかけられた人物を
何十年にわたり監視するなんてことは
朝飯前のことだったのだ。



戦時下の日本で起きたゾルゲ事件は
ドイツ国籍のジャーナリストが実は、ソ連のスパイだった。
「特高」はスパイグループを一網打尽にし、ゾルゲは絞首刑。

一見平和な日本だが、
水面下はスパイ天国だという。
昔のように要人に接近し情報を得るという活動をしなくても、
公表されたデータを分析するだけで
ある程度はわかってしまう場合もある、といわれている。

以前、潜水艦のハッチ部分の写真が公表されたことがあった。
その厚みで、船体の厚さも推計できてしまう、そうなのだ。

11月26日(日曜日)
●世間相場
政府が行っているタウンミーティング。
「やらせ」つまり「さくら」が問題になったと思ったら、
今度は、彼らへの「謝礼金」が浮上した。
そして、さらに会場の裏方にも
常識外の金が支払われていたことが判明。
政府関係者をエレベーターに乗せ、
会場に案内する人間に確か、4万円。

国会で「れんほう」議員が関係者を糾していたが
役人は「広告代理店」が提出した書類に依っているとかわす。
その後、安倍総理は「高い」と述べた。

広告代理店名は明らかにされていないが、
政府、自民党に深く食い込んでいるのは電通だから
たぶん、タウンミーティングを仕込んだのもここだろう。
電通は広告業界1の高給だ。
また、政府の連中は税金でまかなわれているから世事に疎い。

パートで1万円を稼ぎ出すのにどんな苦労をするか
こういう奴らはわかっていない。
だから、会場の先導役に4万という常識外の値段をつけた。
どうせ、税金を使うのだから、と大盤振る舞いだ。

この金額、おかしい、と思ったら
出入りの広告代理店に、そう、言うべきだろう。
何の疑問も持たずに通過させてしまった。

世間相場を知らない連中が、国民と対話しようとしても
なんか、ギャップがあるよな。

●二夜連続
フジテレビが21時から事実に基づいたドラマを放映した。
24日が朝鮮の李王朝の皇太子に嫁いだ日本の華族のお姫様の物語。
25日は冤罪でシベリヤに抑留された夫を50年以上待ち続けた妻の物語。
戦争に翻弄されながらも強い絆で結ばれた2組の夫婦が描かれている。
両方とも見てしまった。



朝鮮の李王朝は1392年、李成桂により樹立され、
1910年、日韓併合で消滅。
500年以上の歴史があり徳川幕府も比較にならない。
王朝の成立の頃から
中国への朝貢外交で国家の安泰をはかる、という形態をとっていた。

両班と呼ばれる貴族が文武をつかさどる王朝で
次第に爛熟、腐敗していった。
一時期、国家予算の半分以上が両班の経費。
彼らは労働を軽蔑する階層で、農民の犠牲の上に成り立っていた。

世界は動き、ロシアが朝鮮を虎視眈々と狙っていたにもかかわらず
確固たる政策もなく、宮廷内の権謀術数にうつつをぬかしていた。

人気ドラマ「チャングムの誓い」はその李王朝が舞台だが、
陰謀うずまく宮廷内を描いている。

日清・日露戦争に勝利した日本は、
当然のように韓国を併合。
日本の領土の一部とした。
李朝最後の皇太子は11歳のとき(10歳かな)留学という名目で
「人質」のように日本で過ごすことになった。

その彼と、華族令嬢の婚約が発表された。
日韓の架け橋となる政略結婚だった。
令嬢は自分が結婚することになるのを新聞で知る、
というありさまだった。
大正時代に結婚し、日本が太平洋戦争に敗北して
GHQの政策により、皇太子の身分は準皇族から、在日朝鮮人となった。
韓国民からは帰国を期待する声も合ったが
ときの大統領李リ・ショウバンは冷たくあしらった。
皇太子は老境に達し病んでいた。
次の朴大統領のとき、生活費、医療費は政府が保証するという条件で
じつに、56年ぶりの帰国となるのだが、そのまま病院へ直行。
7年後の1970年、失意のうちに死去する。
梨本宮華族令嬢「方子(まさこ)」は、
そんな夫に献身的によりそう。
夫の死後も韓国にとどまり、知的障害児の施設づくりに奔走する。
そして、平成元年、87歳で障害を閉じるが、
その誠実な人柄は韓国国民からも慕われていた、という。



もうひとつのドラマは庶民が主人公だ。
兵隊でありながら身体をこわし軍人病院に入院中、看護婦と知り合う。
昭和16年、彼女と結婚するのだが、日本の真珠湾攻撃で戦雲が怪しくなってきた。
彼は、「もしどんなことがあっても、必ず帰ってくるから待っていてほしい」と告げる。
兵隊になれない身体だったが、
国家に奉仕する心は強く、
二人は、平壌に移り彼は軍需工場で働いていた。
女の子も生まれ、戦時下だったがささやかな幸せに包まれていた。

やがて敗戦。
彼は、町をさまよう男を助け自分の家に寝泊りをさせる。
不気味な雰囲気の男だったが
ある日何も告げずに姿を消してしまう。
日本への帰国の準備をしているとき、
突然ソ連兵が乗り込み、スパイ容疑で逮捕・連行してしまう。
一時帰国をあきらめ、夫を待つ決意をした妻だったが
周囲に説得され赤ん坊の娘とともに帰国する。

夫は悲惨な状況に置かれていた。
助けた男の嘘の自白でスパイに仕立て上げられてしまった。
「かけた情けを仇で返された」などと、生易しいものではなかった。
暴行を受け自白を迫られた。
見に覚えのないことで当然拒絶したが、また暴行された。
そして簡単な裁判でシベリア送りとなる。
収容所で極寒のもと強制労働を行うことになる。
仲間は凍傷、栄養失調で死んでゆく。
彼は、日本で待つ家族のことを思い必死で生きる。
景気の10年(だったか)が過ぎ、釈放となるのだが、帰国できるわけではない。
ある村にたどりつき、収容所時代に覚えた理容の技術を活かし床屋に職を得た。
しかし、スパイ容疑は消えずKGBの監視を受けていた。
日本と連絡を取ろうと思いいろいろな手段を使うが徒労に終わった。

そんなとき、同じような境遇のロシア女性と知り合う。
彼女は上司に罪をなすられ投獄されていたのだ。
次第に心を通わせるようになるが
彼女は、日本で彼の帰りを待ち続けている家族がいることを知っている。
「必ず私の力で日本に返してあげる」と言いつつ好意を抱いてゆく。

このとき流れるのが、映画「ひまわり」の主題歌だ。
マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの有名な映画ね。
ストーリーが、このドラマと同じなのだ。
思わず、目頭が熱くなりそうになりましたね。

男は帰国できないことに絶望し、離婚して新しい生活を始めて欲しい、と手紙を書き、人に託す。
そして、ロシアに帰化し彼女と結婚する。
だが、手紙は届かなかった。

スターリンの死で
ロシアからの帰国者が舞鶴港に到着する。
妻は、新聞で夫の写真を発見し、当然その船で帰ってくるものと信じていた。
ところが、KGBの執拗な監視を受けていた男は帰国できなかった。

ロシアの地で新しい生活を始め、ここの土になろう、と
男は二人の棺桶を作る。
ところが、ペレストロイカでロシアは解体され
男は帰国できることになった。
しかし、彼の心は揺れる。
日本の家族にあったら必ず帰国する、と言うが
ロシアの妻は、彼に誓った言葉通り、日本の家族のもとに返す。

待ち続けた日本の妻は、娘を大学で学ばせ
その娘は卒業後、母と暮らすため学校の教師となったいた。
別れたとき、3ヶ月の娘は髪に白髪の混じる女性になっていた。

鳥取駅で夫を迎える妻。
夫は列車から最後に降りてきた。
50年以上の別離を胸に秘め抱き合う二人。
離れた場所から娘が見守っていた。

ドラマの最後には、実写フィルムが流された。
ロシアの妻を日本に招いたときの模様だ。
2人の奥さん同士が抱き合っていた。

1人の男と2人の妻。
平和な時代なら修羅場となるのだろうが
死線を越えてきた家族だからね。
熱いものがこみあげてきましたよ。

11月25日(土曜日)
●不良品
ノートPCのバッテリーで大損害を蒙ったSONYが
またまた不良品を出した。
今度は、デジカメとビデオカメラ。
各社がしのぎをけずる市場でこのザマである。

最近のSONYはご難続きであるが、
短期間で成果をあげなければならない技術陣の弱体化か
タコな生産設備としかいいようがない。

三洋電機は構造的な不況から脱することができず
またまた大赤字を出したそうだ。
デジタルカメラから撤退という話も出ている。
ここはOEMの供給量は相当なものらしい。
ということは、技術は確かなのだから
自社ブランドにこだわらず、縁の下で生き残るしかないのだろうか。

今回のSONYの該当商品は
デジタルカメラ20機種、
ビデオカメラ19機種ということだ。
CCD(電荷接合素子)の欠陥ということだが、
これはデジタル映像機器の心臓部だ。
これにより、撮影不能や映像の乱れが発生するという。

以前、SONYデジタルカメラの製品ラインがぐちゃぐちゃだ、と
書いたことがあったが
20機種も発売されていたとはね。
整理して、少ない機種に傾注することが必要だと思いますが。

11月24日(木曜日)
●生産過剰
日本各地で大根、白菜、キャベツが生産過剰なのだそうだ。
夕方のニュースでは、トラクターで大根畑を掘り起こし
めちゃめちゃにしている千葉県市原市の映像が流れた。
市場価格が安くなりすぎるための措置というが、
消費者からすれば異常な光景だ。
「シンジラレナ〜〜イ」
「モッタイナ〜〜イ」である。

天候不順で不作になれば、バカ高値になる。
しかし、消費者は仕方なく買っている。

生産過剰なら、少しは安く市場に出せばいいじゃね〜か、と
思うのは素人考えなのだろうか。
あるいは、施設や学校給食用にまわすことはできないのだろうか。
はたまた、漬物にすることはできないのだろうか。

農家だって丹精込めた野菜を「殺す」のは忍びないだろう。
「金儲け」という商売の「味」をしめた
農協の姑息な手段なんだろうかね。
ともかく、豊かに実った作物を機械でズタズタにするさまは
見るに耐えない。

●心がけ
10時前、いつもより遅いジョンの散歩に出た。
いつもと同じ道を歩いていると
畑にしゃがみこんでいる婦人がいた。
「おいおい、人の姿がないのでションかよ」と視線を外した。
と、その人はビニール袋を手にして歩き始めた。
すれ違いざまに「おはようございます」と彼女は言った。
袋の中には空き缶が入っていた。
婦人は道端に捨てられた空き缶を拾いながら散歩していたのだ。
私の前を歩きながら2度ほど腰を落として缶を拾っていた。

12年間、ジョンとこのあたりを歩いているが
このような方を初めて見た。
私は、ジョンのクソ袋は持っているが、
ごみ収納袋は持ち歩かなかった。

また、散歩する初老の男性、女性2人、ご夫婦たちと
すれ違いざまに、会釈をすることは極めて稀だった。
お互い無視、無関心を装ってすれ違っていた。

今朝のご婦人に教えられたような気がした。
明日から、ごみ用の袋を持ち歩き、
さらに、なるべく明瞭な声で朝の挨拶をすることにしようかな。

11月23日(木曜日)
●歴史教育
高校で人気のない歴史教育だが
大阪大で、高校教師を対象に研修会が開催されたという。
従来、暗記学科の最右翼だったため受験学生から敬遠されていた。
危機感を抱いた阪大教授が先生たちの意識を変えてもらおう、ということで
研修会を開いているのだそうだ。

主催者が
「もし日本が鎖国をしていなかったらどうなっていたでしょう」
という質問をする。
歴史に禁物の「If」だが、シミュレーションとしては面白い。
これを聞いた高校教師は一様に
「そういうことは考えたことはなかった」と、興味を示すという。
もし、これが真実だったら、彼らのイマジネーションが貧困に由来する。
受験用科目として授業を行えば「寄り道」は禁物だ。
教科書に沿って、事象が発生した年号を教えてゆくことが彼らの仕事だから。
だが、大学の試験も、暗記した年号の正確さのみを試験するような
出題ばかりではないんじゃないかい。
それに至る過程の知識を求めるような内容にすれば
学校側の教え方も変わってくる。

歴史の主人公は人間だ。
特に、社会が変革するときなど
複雑な人間関係によってさまざまな事象が引き起こされる。
戦国時代、明治維新、軍国化への過程など
さまざまな人間たちが登場する壮大なドラマだ。
幕末の開港後は列強とのかねあいなど
国際問題もからんでくる。
日本史、世界史などと線引きを行っていては教えられない。
「国際史」とでもいう視点がないと世界の動きはわからない。

現在起こっている国際紛争も
植民地時代を引きずっているものもあれば
裏で米ソの綱引きつ〜のもあれば、宗教がらみもある。
それらが複雑にからんでいるケースもある。

この面白さを中学高校で学ぶことが大切だ。
教師も、手垢のついた講義ノートに頼っていては対応できない。
勉強を怠ってはいられない。
自己研鑽が要求される。

「歴史は繰り返される」という言葉もある。
温故知新でもある。
歴史を学べば日本に対する考えも変わってくる。
例えば、明治維新に活動した若者たちの「たぎり」を学べば
「愛国心」などと声高に叫ばなくても、
学生の心になにか芽生えることもある。

●自転車
午後、「自転車少年期」というドラマをテレビ東京でやっていた。
最近の私の唯一のアウトドア趣味が自転車なので、
題名に惹かれてチャンネルを合わせた。
ところが、知っている出演者は
ゲストでちらっと顔を出した宅間伸とマイク牧だけ。
自転車が好きな少年の友情ドラマで、
ジャーニーズ事務所のタレントが主人公。
と、彼らの周囲の女学生が繰り広げる他愛のない青春物。
せりふは下手、くさい演技でどうしょうもない。
でも見てしまったよ。
彼らが乗っている自転車に注目してたけど。

競技用ドロップハンドル車で
彼らもギンギンのレース用ファッション。
私の世界と全く違っております。

いまNHKで、四国のお遍路物ドラマをやっているようだけど、
団塊世代が自転車で自分を見つける旅に出るつ〜のをやってくれないかな?
自転車はクロスバイクで、装備、アクシデントの対応なども
ていねいに映してくれれば、
長距離ツーリングの入門番組になると思うけど。

●キャンパスシティ
昨日に続き、三井不動産の全ページ広告が掲載された。
きのうは、「ららぽーと柏の葉」がオープンだったが、
本日は、「柏の葉キャンパス駅」前のマンション販売予告広告。
平成19年春発売予定だそうだ。
東大と千葉大をかかえ、自治体が「柏の葉キャンパス構想」を推進する。
ここに三井不動産も参画。

敷地面積28982.70u。
駅まで2〜3分のマンション群で、
A棟からE棟まで、総戸数977戸という。
平成20年4月から入居が始まる。
完成後は2000〜3000人の街区ができる。
ららぽーと柏の葉まで約70m。
秋葉原まで「つくばEX」で約30分。
立地、環境も申し分ない。
販売価格は未定だが、開発・売主が三井不動産なら
あの、ヒューザー事件のようなこともあるまい、と
熱い視線を注いでいる人たちも大勢居るだろう。



横浜北部に田園都市線が開通した頃だが、
山を切り開いて新しい町が続々誕生した。
「たまプラ」は代表的な町だが、
なにもないところにショッピングセンターを、スーパーを作り
整然とした住宅地を配置するのだから、
ある意味で開発もやりやすい。
田園都市線と横浜線の交差する長津田は
昔からある町なので、駅周辺に余裕がなく、再開発に手間取る。
このため、周囲の整然とした新興住宅地とくらべ割をくう。

町田は小田急線と横浜線が交差する地点だが
昔は、国鉄と私鉄の駅が離れていた。
横浜線町田は「原町田」といって、田舎の駅のようだった。
狭い道を10分くらい歩いて乗換えをするという不便さだった。
ところが、いつの間にか区画整理され、
「原町田」は「町田」になり、小田急と連絡通路で結ばれ
雨の日も濡れずに乗換えができるようになっていた。
駅前の道は広々とした直線道路。
小田急寄りに「東急ハンズ」が出店して、
町はぐんぐん賑やかになり、魅力的な店が集まってきた。
駅と駅を結ぶ広い道。
発展の機動力となったのは、やはり「道」だった。



横浜線には、中山、十日市場という駅もある。
中山は緑区区役所もあり、この沿線では古くから開けていたが
駅前に商店が迫っているので思い切った開発はできない。
1本裏の道が区画整理で広々となった。
車で鴨居方面に出やすくなり、駅前の渋滞は解消されたが
相変わらず駅前は古い商店が密集している。
隣の、十日市場は新しい駅で、田園都市線藤が丘駅を結ぶ
広い道があるので、この両サイドには楽しい店が集まっている。
丘陵地帯なので雛壇造成の家々が立ち並ぶ
雰囲気のある町に変わった。



思い切ったプランを実行しないと、
町の再開発は中途半端なものになるという事例を
横浜線沿線でいくつも見ることができる。

11月22日(水曜日)
●変わる街

三井不動産の全ページ広告が掲載された。
「ららぽーと」だった。
対象物件が4つ紹介されていた。
「ららぽーと」第一号は巨大複合店舗として、だいぶ前、船橋にオープンした。
長いことこの1店舗だった。
いつの間にか「ららぽーとTokyoBay」というしゃれた名前になっていた。
千葉県の東京湾沿いは、どこも元気である。
豊洲にもできていた。
この界隈も大変貌している。


「ららぽーと柏の葉」が本日オープンだった。
「柏の葉公園」は国道16号から少し入ったところにある広大な公園だ。
JR柏からはほど遠い。
常磐道からは近い。
母親が「国立がんセンター東病院」で終末医療を受けていたので、
半年間、1日おき位に東武動物公園から16号を延々と走り
柏の葉公園の隣にある「がんセンター」へ顔を出していた。
おかげで、この界隈の地理には明るくなった。

私とはいろいろ摩擦のあった母親だが、
「送る」ときに「手を抜くと」あとあと後悔が残るので、
このときばかりは最善を尽くしてこの病院に入れた。
ここは希望者が多く、入院のむずかしさは、東大の入試なみだろう。
「終末医療」とは「ホスピス」のことである。
末期癌に侵された人が苦痛をやわらげながら
その日を迎えるための施設が充実している。
このことは、別の機会に書いてみよう。

柏の葉公園の隣接地に「東大柏キャンパス」が進出した。
さらに千葉大も。
そして、「つくばEX」の開業で「柏の葉キャンパス駅」が誕生した。
一気に、環境が変わった。
それまでは、電車なら東武野田線「初石」から徒歩15分位の
柏の葉公園界隈が、1等地に変わった。
不便な頃から、公園の周囲には広い敷地の立派な家が建っていた。
ここから、都内へ30分で出られることになった。
その駅のまん前に「ららぽーと柏の葉」が誕生した。

ネームバリューではピカいちの東大、宮様も入院するがんセンター。
こういう立派な施設のある場所にで〜〜んと出現。
国道16号、6号から至近。
16号を直進し高速に乗れば成田にも1直線。
道路網に恵まれた立地で街の前途も洋々だ。




「ららぽーと横浜」といっても正体は
MM21のように海の香りはしない。
少し歩けば広々とした畑が広がる。
「本当にここ、横浜?」というような場所なのだ。

最寄り駅はJR横浜線鴨居より徒歩7分とあるが
東名、第三京浜からの集客を見込める交通網が発達している。
ここも、やはり「道」なのだ。
GoogleMapで確認したら、もうNECは立ち退いて名前はなかった。
目の前を産業道路が走っている。
ということは、松下通信、大日本印刷横浜工場、コカコーラはじめ
大きな工場群を有する一角なのだ。
この広大な敷地に、住宅街だけを作っても
周囲は工場だらけなのだから価値としてはいまいちだ。
ところが、三井不動産は「ららぽーと」を拠点に据え
その端に街区を作った。
周囲の工場から遮断するように植栽計画も万全を期している。
参加する店舗は、横浜初の「大丸」、東急ハンズ、紀伊国屋書店、
TOHOシネマ(シネコン)、イトーヨーカドーを始め
食とファッションの店がぞろぞろ。
雨の日ならここで1日過ごすことができるだろう。

あとは、電車で行く人のために、駅から「ららぽーと」までの道すがらを
なんとか、することだ。
とにかく、ごちゃごちゃしているのだ。



「ららぽーと柏の葉」は、できあがった瀟洒な街に進出した。
「ららぽーと横浜」は、スケールメリットはあるが
さらなる周辺環境整備が必要だろう。

両施設に言えることは、「交通の便がいい」。
つまり、「道」が命なのだ。

わが町でも、人口増を目標に街づくりが進められているが
こういうノウハウを持ったデベロッパーが入らないと
30坪単位のつまらない街になる恐れがある。
30年先を見越した、模範となる街づくりはできないものか。

11月21日(火曜日)
●快晴
久々の上天気。
小春日和。
室内より庭先のほうが暖かい。
昨日までの雨のおかげで
庭は精気を取り戻したようだ。
乾燥した日々の風景より
土も草も木も、色彩の彩度が増したように見える。

わが家は落葉樹が多いので
これから先、殺風景になってしまう。
これを回避するために、
簡易パーゴラのようなものを立ち上げた。

結構これが曲者で
途中で幾日か放り投げた。
雨が続いたので、まだペンキを塗っていない。
これが完成すれば、寒さに強い花をあしらったりして
少しは華やいだ空間になるだろう。
小鳥の餌場を作ってもいい。

11月20日(月曜日)
●星座
21時、ジョンの本日最後の散歩に出る。
畑は漆黒の闇だ。
予報では明日は快晴。
それを裏付けるように雨雲が切れていた。
昼間なら青空と思える東の空に
冬の代表的な星座、オリオンが輝いていた。

ウエストをきゅっと絞ったような3つの星。
その四隅に明るい星。
ペテルギウスとリゲル。
あとの名前はわからない。

この季節になると、
星座の知識を正確に学んでおけばよかった、と
例年思う。

●あしたをつかめ
NHK教育テレビ19時30分からのこの番組は
若者にさまざまな職業を紹介する。
以前、広告代理店の営業マンが登場した。
会社は赤坂の東急エージェンシーだった。
私も一時在籍した懐かしい会社だった。
この番組は、結構、面白いので何度か見ている。
で、今夜は富山県高岡市の女性職員が紹介されていた。

町興しに「コロッケ」を取り上げていた。
奇しくも、私が住む宮代町も、地元産のジャガイモを使ったコロッケでなんとかしよう、
という動きがある。
町の職員が作ったテレビ埼玉向けのCMもグランプリを受賞した。
この勢いに乗って攻勢に転じるのかと思ったら
週に2回、新しい村で販売するだけ、というしめっぽさ。
ちょっと、出鼻をくじかれた格好だ。

さて、この番組を見た宮代町役場の若手職員も多いことだろう。
でも、見なかった方々のためにさわりを紹介ね。
実に参考になる取り組みなのだ。
宮代はさまざまなプロジェクトが発進しているようだが
船頭多くして船、山に登る、というようなことはないのかな?
役場跡地の再利用に関しても
積極的に取り組んでいるようだけど、
どうも真面目すぎるきらいがあるように思える。
「乗り」の良さがないと勢いがつかない。
起爆剤となるアイデアも出にくい。

富山県高岡市。
北陸地方の中部、富山県西部の都市。
中心市街地は前田利長の城下町として栄え、郊外は越中国の国府所在地であった。
人口182,146人。
「どらえもん」の生みの親「藤子・F・不二雄」の出身地でもある。

仕掛け人の若い女性職員は地元生まれ地元育ち。
地元の大学を卒業した。
学生時代から旅行が好きで、JRに就職し列車乗務も経験。
しかし、転勤が多いことから、そこを辞めて市の職員採用試験を受け、みごと採用。
現在は観光課に所属する。

※若手職員で構成されるコロッケプロジェクト。 県庁でコロッケマップを説明する。

で、コロッケに目をつけたのは地元食材で
何かヒット作は作れないか、ということだった。
もともと、コロッケは市の人気商品で肉屋さんの店頭では
学校帰りの子供たちがおやつ代わりに食べるほどだった。
値段も1個40円!

市の「コロッケプロジェクト」は若手職員数人で構成されている。
コロッケを提供する場を広げる作戦を展開した。
肉屋、町の食堂、飲み屋など食材を扱う店で
それぞれ個性豊かなコロッケの開発を依頼し、実際に商品化した。
こういう動きに、ホテルが興味を示し
レストランメニューにオリジナルコロッケを加えた。

こうして町のいたるところでコロッケを食べることが可能になった。
次に、「高岡コロッケ」のぼりを作り販売店に掲げてもらった。
さらに、高岡コロッケマップを作成し、観光に訪れる人たちに
気軽に食べていただけるようにした。

そうこうするうち、富山県が近接する市を回遊する観光プランの作成をすることになった。
高岡市代表として、「名物コロッケ」のプレゼンテーションに出かけた。
他の市は、アイデアが未消化だった。
実物を試食していただいた。
高岡市の取り組みに県も周辺市の職員たちも大いに興味を示した。

周遊ルートの策定は今後も続けられるが、
他の市と競合しない高岡市のコロッケプランは、いいセンをいきそうである。

地元に戻った彼女と、コロッケプロジェクトのメンバーたちは
実際に町を歩き、取材を欠かさない。
コロッケを扱う新しい店ができれば、即マップに反映させる。
ホームページも立ち上げ、レシピ紹介もする。



※お肉屋さんのコロッケとホテルメニューの豪華コロッケ

このように、「遊び心あふれた」ところに飛躍の可能性が生まれる。
メニューにコロッケを加えたホテルの支配人は
「今後コロッケが定着するか未知数だが、おもしろそうだから賛同した。」と述べていた。
これですよ。
いい企画は「おもしろいか、そうでないか」だ。
宮代のコロッケも、点から線、線から面に発展させないと
なんの進展もない。
それと、他にはない何かがあること。
要はオリジナリティだ。
町内の食材を使っただけ、というのでは、いまいち魅力に欠ける。
遊び心が要求される。
さらに、「食べたいとき食べられないコロッケなんて、なきに等しい」
また、地域内で販売されている特産品は相対的に高い。
コロッケは庶民的な食べ物だから
それにふさわしい値付けが大切だ。

そういえば、以前、行田名物「フライ」を食べにいった。
そこにも「フライマップ」が作成されていた。

●山行
高校時代から所帯を持つまで山に登っていた。
初めて山の楽しさを教えてくれたのが、
中学1年の担任、和田先生だった。
担当は国語だった。
太っていて、漫画「いがくりくん」「赤胴鈴之助」の原作者・福田英一に似ていた。
夏休みに那須岳にクラスの何人かが連れて行ってもらった。
中学時代はそれで終わったが、
墨田川高校の同じクラスに山好きな男がいて
乾徳山、大菩薩峠、北八ヶ岳に出かけた。
当時は、キスリングという大きなザック、
帆布のテントをかついで登るので重労働だった。
大学時代は父がスポーツ用品店をやっていた関係で
お客さんと同好会を作り、南アルプスの鳳凰、農鳥へ出かけた。
その中の一人、「忠さん」は、
あの「上海帰りのリル」の作詞者、東条寿三郎の弟だった。
江戸川に近い「忠さん」の家に行ったことがある。
縁側に座って話をしただけで、兄貴の姿はなかったが、
部屋の奥に、おびただしい本が並んでいたのが印象的だった。
読広に入りワンゲル部を作り奥秩父へ行った。
所帯を持ったらぷっつりと山行は止まってしまった。


読売夕刊に「みなみらんぼう」氏が「1歩2歩山歩」という
コラムを連載している。
関東近郊の山々を歩き楽しさを伝えている。
「中村みつを」氏がイラストを添えている。
ほのぼのとしたタッチだ。
「みなみ」氏はNHKのラジオ深夜便の常連で
「ラジオ深夜便の歌」も作っている。
「山行」を人生になぞらえた詞で共感を抱く聴取者も多いと聞く。

「中村」」氏のイラストを見ていたら
故・串田孫一氏を思い出してしまった。
氏は哲学者にして登山家。
北八ヶ岳をこよなく愛していた。
私が「北八」に行き始めたのも氏の山に関する雑誌を読んだからだった。

氏は「アルプ」という山と随想の雑誌を出していた。
グレーの表紙に氏の素朴な山のカットが描かれているという素っ気ないものだった。
しかし、本文の紙質はよかった。
定期購読していたのだが、今、手元に1冊も残っていない。
度重なる引っ越しで、捨ててしまったのかも知れない。

最近、中高年、老年の登山、ハイキングが盛んだ。
油断して事故も起こる。
年寄りの冷や水にならぬことだね。
私はさらさら登る気はありませんが。
だけど、山の版画家「畦地梅太郎」氏の画文集は
時たま開いて見ております。

●アパート
ちょっと長い話になってしまったが。ご容赦。

朝刊にハウジングメーカーのアパート広告が掲載されていた。
どれも「おしゃれ」だ。
そのひとつを切り離して、個人住宅にしてもおかしくない。

二世代住宅を作る人は、上に乗せるのではなく、
完全に独立したアパート形式の家を増築するほうが
のちのちうまくゆくような気がする。
もっとも、敷地の問題もあるが。

その昔、といっても34〜5年前だが、
当時は「下駄履きアパート」と呼ばれ
切妻屋根の棟割長屋を2階建にしたような形が一般的だった。

「方・荘・棟・字」とは、
継ぐべき財産のない男子が、家を住み替えながら
戸建ての家を所有するまでの過程を言い表している。
学生時代は誰々方の一間を間借りして、
社会人になって「○○荘」に引っ越す。
結婚して公団や民間が開発した集合住宅の「○号棟」に入居。
やがて、子どもができて、通勤に2時間近くかかる、地番に「字(あざ)のつく
ところに念願のマイホームを建てる。
そして、最後は「区画」になるのかね。
ここは、公園墓地の「○区画」なのだが。

私の場合も、よく似ている。
都内に住んでいたので「方」はなかったが、
家業を継がず広告業界に入った。
入社2年後に、小石川のアパートに引っ越した。
そこは下宿で
給料が35000円の頃、家賃が5000円位だったか。
とにかく、自宅は飽きたのだ。
地下鉄「後楽園」から徒歩12〜3分の個人の家の2階だったから「方」である。
1階に大家さん一家が住み、2階は4畳半1間の間貸し部屋が4つあった、と思う。
どんな連中が住んでいたかまるでわからない。
「同棲時代」という上村一夫の漫画が流行り、
「若かったあの頃、何も恐くなかった、だだあなたのやさしさが恐かった」
などという歌も、もてはやされていた。
私は同棲はしていなかったけどね。

銀座の会社まで20分くらい。
会社近くの「憩」「ともえ」「としこ」「よさこい」という馴染のバー、飲み屋に入り浸り。
隣の「茗荷谷」には同じ会社のデザイナーがアパートを借りていた。
桜の時期は、夜、お互いの中間地点に桜並木があるので
そこで落ち合って酒盛り。
近くに総評の太田薫氏の家があった。
労組のボスにしては豪邸だった。
労働貴族つ〜のは、こういうことなんだ、と思った。

下宿には机と本、寝具という最低のものしかなかった。
毎日飲み歩き、帰ってはまた飲む、という具合で
狭い部屋にはウイスキーの空瓶がごろごろしていた。
深夜に人を呼んで酒盛り。
地方からやってきた学生みたいな生活だった。
当然、大家の覚えめでたからず。

10ヶ月経過したとき突然の腹痛。
1日は我慢したが、痛みがおさまらず
仕方なく実家に戻り、近くの
小学校の同級生の父親が開業する内科で診察を受けたら
「盲腸」と診断された。
「即、切らなくては」と言われ、
その病院の近くの外科に入院、手術をした。
背中を丸めて脊髄に麻酔を行う。
麻酔が効いて下半身が生暖かくなる。
しかし、部分麻酔なので医者の話し声がよく聞こえる。
「盲腸が破裂しているよ」
「という、ことは?」と私。
「腹膜炎を併発しているね。もう少し遅れていたら命取りだった」
というわけで、入院が1ヶ月以上になってしまった。

当時の腹膜炎つ〜のは、
盲腸を切り取って、腹部に散ったものを体外に出すまで
切り口をふさがず、ゴム管みたいものを入れておく。
毎日それを少しずつ引き上げ切り取ってゆく。
というものだった。
従って、天井を見たまま寝返りをうつこともできなかった。
そんな姿勢を10日くらい続けていたが
幸い、「床ずれ」はできなかった。

体内に散ったものが全て排出されたあと傷口を縫った。
やがて「へ」が出て、順調に回復していった。
食事が重湯から惣菜つきになる。
困ったのが便秘。
運動しないで食事をしているので仕方がないのだが。
ぎりぎりまで我慢して看護婦さんに「浣腸」をやってもらうのだが
まだ、若いということもあって抵抗があった。
しかたなく、お袋に頼んだが、即座に断られた。
内心「てめ〜が生んだ子供だろう。」と罵った。

お袋は変わった女で、看護婦、助産婦の資格はあるのだが、
特に私に対し冷たかった。
長男が産まれ、お袋が訪ねてきた。
かみさんが「お湯に入れてくれませんか」と頼んだところ、
「ただ湯は入れません」と、これまた即座に断られたと、
かみさんは泣いていた。
産婦人科に助っ人に行けば、高い日当が入るのだから、
息子の嫁に頼まれても「やだよ」というのだ。

会社は、長期入院の社員を遊ばせてはくれなかった。
幸い、ベッドの上でもできる仕事なので、
電話で受けて、ルーチンワークのコピーを書いていた。

この外科には過去3回お世話になっている。
1回目が中学時代。陸上競技大会のハイジャンで
砂場に手をつき、一瞬全体重がかかって左手の
「とう骨」と「しゃっ骨」の2本を骨折した。
ヤンキースの松井と同じである。
2回目は大学1年のとき。
まだできたての「浦佐スキー場」で左足首を骨折。
3回目がこの腹膜炎だ。
5年に1回の割で入院していたが、その後
この「杉村病院」から卒業した。

大学時代に入院したとき。
骨折だから元気いっぱい。
退屈だろうと「雀卓」を持ってきた奴がいた。
昼間っからガラガラ、ポン、チーで、即刻病院から禁止令が出た。

退院したとき、父親が開業した店を大改造していたと思う。
近くの家に一時引越ししていたので風呂がなかった。
「大手術」の後だったので、銭湯の汚れた湯につかるのがいやで
先輩デザイナーの家の風呂を電車に乗って借りにいった記憶がある。

いつものように長々となってしまったが
私の「○○方」の生活はこのようにして始まったのだが
退院後、不摂生を繰り返す恐れあり、ということで
泣く泣く引き払って、また実家から会社に通うことになった。

「荘」と「棟」は逆の順序で始まった。
新しい生活をスタートさせるとき、公団住宅が当選した。
場所は江東区「大島団地」。
亀戸から明治通りを砂町方面に行った通りに面した団地だった。
高層住宅が多かったが、私が住んだのは
窓から小名木川が見下ろせる低層住宅だった。
すでに、このとき銀座1丁目の読広を辞め
銀座8丁目の広告代理店に移り、
またその近くのプロダクションに移籍していた。
給料は上がったが、その分めっぽう忙しかった。
その上、飲みまくりの日々を送っていた。
家に残されたかみさんは、
日長一日団地の白壁を見ながら過ごすという生活が耐えられなかった。
見かねたかみさんの兄弟が、兄弟たちの住む横浜のアパートを探してくれた。
公団は3ヶ月で引き払った。
そこが「荘」だった。
新築の「里見荘」という。
神奈川区六角橋だった。
切妻屋根の細長い2階建て。
6畳2間と4畳半の台所という、うなぎの寝床だった。
間取り、造りは公団のほうが数段よかったが、
殺風景な大島団地より、
借景とはいえ緑が多く、環境は気に入った。
ここで、2人の子供が生まれたが、
相変わらず、私の酒をあびる生活は続いていた。
面白かったのは、石坂浩二の妹が隣に越してきたことだ。
初めはわからなかったが、なんかの拍子にかみさんが、それと知った。

かみさんの母親と2番目、3番目の兄さんが近くに住む
その場所に7〜8年住んで、今度は
2番目の姉さんの住む緑区鴨居のマンションに引っ越した。
「第二八木下コーポ」という。
この建物は今だ現存するが、管理会社が変わり
マンションの名前も変わってしまった。
この時代は、すでにフリーのコピーライターとなっており
ソニーの仕事で大忙しだった。
自宅で仕事をしていたため、徹夜続きで
寝巻きを着たまま原稿用紙に向かうということもよくあった。
徹夜明けに、原稿を持って代理店やクライアントに向かうことも多々あった。
個人でFaxを所有するには高すぎて
急ぎのときには近所の事務所に借りて原稿を送ったこともあった。
そのうち、個人でもリースが可能ということがわかり、
大きなFAXがやってきた。
これは便利だった。
書きあがった原稿を夜中に送ってしまう。
それまでは、わざわざ届けにいっていたのだから。
その分、他の仕事にかかれる、睡眠にあてることもできた。

パソコンはまだ黎明期で、個人が所有できるものは
漢字を表示することはできなかった。
仕事の合間に小さなパソコンをテレビにつないで
BASICのプログラミングの真似事をやっていた。
この時代に、パソコンが今のような環境だったら
もっと効率よく仕事が進められたのにね。

そんな生活が数年続き、
鴨居駅前のマンションを購入した。
目の前を鶴見川が流れ、土手にはサイクリングロードがあった。
片道小1時間の市ヶ尾、その先の「鉄町」までよく出かけた。
「鉄町」が堀口大学の「田園の憂鬱」の故郷であることを知った。

鴨居は横浜に出るにも、渋谷に出るにも便利な場所だった。
数年住みながら自宅を仕事場にしていたが
中目黒に事務所を構えることになった。
通勤するのが面倒になり、事務所に住み着いてしまった。
1週間に何度か家に帰るという生活が始まった。

パソコンはPC9801で漢字が使えるようになっていた。
インターネットはまだ姿形はなかったが、
パソコン通信が始まったばかりだった。
ものすごい低速モデムをつなぎ、
BASICで組んだ通信ソフトで
数多くのネットにつなぎBBSをやっていた。
その中に、原宿に住む「悟空」さんとうハンドルネームの方が開いていた
「BBS in Hrajyuku」という局があった。
チャットをやるようになって、
夜の12時頃から電話をつなぎっ放しで朝の9時頃まで
画面越しに会話をした。
やがてそこの常連になった。
表参道でOff会が開かれることになった。

中華料理屋に20人近く集まった。
もちろん初めて顔を合わす。
本名よりハンドルネームで呼び合う。
私はのんべだから「Drunker」と名乗っていた。
「村雨」君というまっとうな意見を述べる男がいた。
顔を合わせたら、まだ高校生だった。
「HAL」さんは物静かな大人だった。
本郷に住む荒物屋の跡取りで
Niftyゲームフォーラムの有名人だった。
いま、この方はゲームプロダクションの社長だ。
「ランボー」さんは大手リース会社の部長だった。
「教授」は大学の教授だった。
この教授は、どこかでお見受けしたことがある、と思った。
ぬわんと、私が大学3〜4年のときアルバイトをしていた
主婦と生活社は「週刊女性」の編集長だった。
これほどの奇遇はなかった。

いろいろな思い出のあるパソコン通信だった。
そして、今もHALさんとは交流が続いている。
HALさんは、村雨君を探している。
彼の会社で働いて欲しいらしいのだが、消息不明だ。

インターネットには、こういうドキドキがまるでないけどね。

中目黒は、パソコン通信と
地下鉄中目黒ホーム下の飲み屋の時代だった。

この町にはフランキー堺、上原謙が住んでいたので
よく見かけた。
謙さんとは蕎麦屋で2〜3度遭遇。
あの、世紀の美男スターが
晩年はひとりで背中を丸めて蕎麦をすすっていた。
故本田美奈子は事務所が近くにあったのか
コンビニで何度か目撃している。
小説家の佐々木譲さんは駅の向こうに仕事場をもっていた。
交通事故あとの痛々しい姿のとき中目黒ホームでばったり会った。
彼とは赤坂の小さな広告代理店で
短い期間だったが机を並べていた。
狭い私の事務所で首にギブスをはめた彼と酒を酌み交わしたことがあった。

美空ひばりの家は事務所の前の山手通りの向こうの
坂の中腹にあった。
少し上がると旧山手通りで、代官山に続くすてきな並木道だ。

カード下の飲み屋「りんどう」は21時頃から開店する。
頭の上でゴーッと電車の音がするバーだった。
気のいいマスターで夜更けの客は大勢いた。
終電車がなくなると、
渋谷、六本木のホステスたちがやってきた。
華やかになる時間だ。
流しのギターもやってきた。

こんなすばらしい環境を去るのは寂しかったが
諸般の事情で、再び鴨居のマンションに仕事場を移した。

またまた、事情があってマンションを他人に貸し
神奈川区旭が丘に住むことになった。
区役所から比較的近い場所だったが
家に行くには急坂を登らなくてはならなかった。
お年よりはあえぎながら、一休みしながら自宅にたどりつくのだった。

私はマウンテンバイクで一気にかけあがったが、
若かったからな〜。
今じゃとても無理だろう。

このマウンテンバイクで建設中のMM21によく出かけた。
また、東神奈川駅の向こう側はには
東海道神奈川宿時代の領事館だった寺があってよく見に行った。
滝沢馬琴の「東海道中膝栗毛」にも神奈川宿の描写がある。
関所跡には碑が立っているが、
男たちの歓楽街はどこかわからなかった。
ところが、ひょんなことから、神奈川区役所のあたりが
当時のピンクゾーンだと判明した。
さらに、反町はホーム下界隈があやしい雰囲気なのだが、
ここも伝統ある男たちのお遊び地域だったのだ。
反町公園はジョンが子犬のときよく散歩に行った場所だ。
隣のサカタのタネで草花の苗を購入していた。

正月2日の箱根駅伝は1国を通過する。
テレビで観戦しながら、鶴見中継所を通過する頃になると
マウンテンバイクで1国へ出向き新聞販売店が配る小旗を振って
学生たちを応援した。
もちろん、地元の「神奈川大」だったが。

楽しい思い出を残しつつ引っ越した。
それが、現在の東武動物公園だ。
ついに「字」に到達した。
ここで、パソコン教室を開きながら
野菜を申し訳程度に作っている。

例によって、話は長々と蛇行しながら
私の「方・荘・棟・字」物語は一応終結する。
ここが「終の棲家」になるのかまだわからない。

こうして、振り返ると、どこに住んでも
楽しみを見つけて暮らしてきたことは確かね。

おしゃれなアパートの広告を見ながら
半生を顧みてしまった。

11月19日(日曜日)
●深夜放送
深夜放送を聞きながら眠りにつくことが習慣になっている。
ラジオは1時間タイマーをセットしてある。
が、10分以内に寝てしまっているのではないかな。
民放はどの局も相変わらず若者相手のくだらないおしゃべり。
名前も知らない連中ばかり。
先日はNHKが面白くなかったのでTBSを聞いていた。
関西のお笑い系、3人のトーク。
話題は陣内某と藤原紀香の結婚話。
陣内を「さん」づけで呼んでいた。
で、あんな美人を射止めて「うらやましい」ということに始終していた。
中に結婚しているのがいて、大いにぼやいていた。
他の2人は、先輩の快挙に勇気付けられたいたようだ。

関東のお笑い「とんねるず」も
当時のトレンディドラマ常連の美人を射止めていた。
あのときは、びっくらこいた。
彼らは離婚に至らず現在に至っている。
竹中直人のときも驚愕。

お笑い系は一種独特の魅力があるのかね?

●女子マラソン
午前中はなんとかもっていたが、
昼過ぎから小雨が降り出した。
その後、雨脚は強くなったり弱まったりしながら
本降りになった。
12時過ぎに東京国際女子マラソンが行われた。
Qちゃんこと高橋尚子と土佐礼子の対決が注目だった。

当初からこの二人は他に差をつけながら
トップグループを形成していた。
土佐が始終リードしていたが、高橋がぴったり後ろについている。
折り返し後、いつギアが入るかのかと見守っていた。

私はこたつに入って見ていたが
そのうち「うたたね」をしたらしい。
気がついたら国立競技場の土佐の頭に月桂樹の冠が乗っていた。
Qちゃんは、結局そのままだったらしい。
ところが、エチオピアのジジは脱落し尾崎が2位で、Qちゃんは3位だった。
肝心のデッドヒートは見ていなかった。

国際女子マラソンは、
先導する警視庁の白バイ部隊も女性が運転する。
交通違反を取り締まる白バイ隊員に女性の姿は見たことがないし、
彼女たちはふだん、何をしているのだろう。

11月18日(土曜日)
●カムイ伝
昭和40年代頃だったか。
白土三平の漫画「カムイ伝」が若者の間で話題になっていたのは。
漫画といえば「軽い」ものと思っていた私は、
昭和41年、まだ駆け出しの東海林さだお氏の大ファンになっていた。
特に「漫画日本文学館」は秀逸で、有名作品の題名を借りて
パロディ化したナンセンス漫画だった。
膨大なコレクションは息子に譲ったが、彼もまたファンになったようだ。
これに対し、白土作品は「重い」テーマを扱っていた。
何度か目を通したが、私はナンセンス漫画に浸ったままだった。

その白土三平氏が漫画家になる前の20代、
紙芝居作家をしていたことを初めて知った。
そして、私が結婚するまで住んでいた葛飾区金町で過ごしていたのだ。
(この情報は、小学館発行「本の窓」12月号から得たもの)

金町と紙芝居といえば「加太こうじ」氏。
氏は後に評論家として活躍。
大衆芸能などで健筆を奮っていた。
大学で社会学を学んでいた私は、氏の本を何冊か読んでいた。
加太氏の娘が、金町中学の1級先輩で
頭脳明晰、生徒会会長をやっていた、と記憶する。

その加太氏だが、戦後の紙芝居を復興させた方なのだ。
有名な「黄金バット」は氏の作品だ(ったと思う)。
紙芝居作家兼貸元(通称・親方)として紙芝居のまとめ役だった氏は、
戦前から金町に住み、戦災を免れたことから、
空襲で焼き払われた都心から紙芝居関係者が金町に集まってきたという。

白土三平は、画家になることを目標に紙芝居を作っていた。
白土三平または黒川新の名で「ミスターともちゃん」「かちぐりかっちゃん」などの
ストーリーを考え絵を描いたという。

小学校低学年の頃、私の家の脇に紙芝居がやってきていた。
「水あめ」をこねまくって白くしたり、「えびせんべい」に刻まれた形を爪で切り取り
うまくできたら、もう一枚、などという他愛のない景品にうきうきしながら
紙芝居の世界に浸っていた。
黄金バットは定番だったが、線路の向こうで作られていたとは
夢にも思わなかった。

●納得
画家の和田義彦氏の盗作騒動は記憶に新しい。
新聞はイタリア人画家と和田氏の作品を
何点か並べて比較していたが、
素人目にも「パクリ」は明らかだった。

著名人のコメントが掲載されていたが
小説家の森村誠一氏が、唯一、和田氏を擁護していた。
一時期、氏の作品を読んでいた者として
「老いたり、森村」と思ったものだ。

Webであることを調べていて、偶然、森村誠一写真館を見つけた。
学生時代の登山写真、交遊録などおびただしい写真が掲載されている。
人気作家らしく、映画化された作品に出演した俳優や
出版パーティの来賓など華やかな写真が多い。
と、同時に確実に老いてゆく氏の軌跡がわかって面白い。

その中に、和田氏との記念写真が何枚も掲載されていた。
「日動画廊」グループとでも言うべきか、華麗な人脈である。
政治家の綿貫民輔氏も和田氏の作品を購入したことで話題になったが、
その彼も一緒に写っていた。
交友は長く続いているようだ。
専門家も「盗作」と判断した作品群を「そんなこた〜ないよ」と擁護した
森村氏の微妙な発言が、この写真で氷解した。
心の中では「盗作」と疑っていても、面と向かって言えない
付き合いの深さがあったのだ。

辛いところだね、批判覚悟で「黒を白」と言わなくてはならないとは。
これで、和田氏と森村氏の友情の絆はさらに強くなったことは
確かだけど。
ちょっと、写真の一部分を拝借して、その証拠としましたけど。

●悲鳴
遺書を残したり通告したり。
中学生の自殺が相次いでいる。
子供たちの悲鳴が最悪のかたちで噴出した。

これには教育関係の大人たちも悲鳴をあげた。

政府はあわてて広報活動を行った。
「ストップ!いじめ」

手をつないでいる女生徒の後姿。
制服の様子から中学生だろう。
髪の毛、スカートが揺れている。
これは歩いている様子ではないね。
廊下を手をつないで走る。
これは校則違反ではないかね。
廊下は走らない、というのが小学校からの「お約束」だ。

生徒と大人向けメッセージがある。
奇異に感じたのは子供向けのすべての漢字にルビがふってあることだ。

子供たちへ
「君たちは、決して一人ではありません。
一人だけで苦しまず、誰かに話す勇気を持ってください。
悩みを受けとめてくれる人は必ずいます。
どうか、たった一つしかない命を大切にしてください。」

たったこれだけの文章の漢字全てにルビ、である。
中学生の漢字読解力をバカにしておりませんか?
それとも、自殺に走る子供は学力のないクラスのお荷物という
先入観があるとしか思えない。
もし、これが本当なら、教育に携わる大人の責任なのだが、
彼らは、それに気づいていない。

大人にもメッセージ

大人たちへ
子どもたちが発する危険信号を見逃さず、
兆候をいち早く把握してください。
「いじめは絶対に許されない」という認識を
子どもたち一人ひとりに徹底させてください。
いじめる子どもに対してはきちんと指導をおこなうとともに、
いじめられている子どもを徹底して守りましょう。

これにはルビがない。
全ての大人が読めると思っているのだろうか。
この単純な発想こそ、教育関係者のステロタイプとしかいいようがない。

文科省は「いじめ」の実態など把握できるわけがない。
全国からの統計でしか判断できないのだから。
問題が深刻化して、はじめて重い腰をあげる、というのが真の姿なのだ。

教育委員会も、各自治体の「ミニ文科省」のような存在で
現状は把握できていない。
ここも、学校からあがってくる数字で判断しているだけだから。

校長も全生徒に目配りはできない。
教頭も校長と同レベル。
となれば、教師しかクラス、学年の真の姿を見ることはできない。
肝心の「ノード」であるべき教師だが、
腰が引けているというか、生徒を真剣に考えていないというか、なんとも頼りない。
中には、まともなのも居るのかもしれないが。
腐ったリンゴばかりが目について、健康なリンゴの影が薄い。

ところで、「大人たちへ」のメッセージだが、
「教師へ」のほうがふさわしいのではないか。
子どもたちの現場を一番認識しているのは教師だからね。
その教師が「いじめ」のきっかけを作ったケースもあるのだから
教師こそ、このメッセージを噛み締めて頭にたたきこんでおいていただきたい。

政府広報は
「どんな小さな悩みでも、遠慮なく相談してください」
と、次の窓口を用意している。
警察本部少年サポートセンター
法務局子どもの人権110番
文部科学省いじめ問題相談機関
児童相談所窓口

だがね、これは地域の問題でもある。
住民の自治組織がもっと関わってもいいのではないか。
どこの誰がいじめに遭っている、といういのは主婦の口コミで伝わることもある。
いじめているのは、どこの誰、ということも国や自治体の機関より正確に把握できる。

地方都市は、地域のつながりが比較的「密」だから
こういう解決法もあるのだが、
「向こう三軒」の結びつきが希薄な大都市住民も
この機会に自治組織を活性化してもいいんじゃないの。

一番の「癌」は鈍い教師なのだが。
頼りない、信頼のおけない彼らに対し、
地域で立ち上がることが必要だと思いますけどね。
なんせ、大切な子どもを奴らに預けているのだから。

思い出したことがある。
もう30過ぎの私の息子が小学生のとき。
午前中にやったいたずらの罰として、
下校時近くまで廊下でバケツを持たせられ立たされていた。
この事実が判明した時点で、私は学校に怒鳴り込んだ。
30〜40歳の女の教諭だった。
彼女と相対し、そういう事実があったことを確認したあと
「このような陰湿ないじめのような罰則をやらないでいただきたい。
活発な子どもだったらルールは破ることもある。
そのときは、理由を明らかにしてビンタをくらわせていただきたい。
つねることは厳禁。
半日以上バケツを持たせるようなことはもってのほか。
また、そのようなことが発覚したら、いつでも怒鳴り込む」
と、申し入れた。
こちらの剣幕に女教師は目に涙を浮かべたが
そんなことで、こっちの態度は軟化するはずがあるわけがない。
息子は相変わらずルール破りはしていたようだが、
「いじめ」だけはしなかった(自己申告)らしいから
ほっとしておりますが。

日教組つ〜のは、いじめに対しどんな見解を示しているのだろう?
国旗、君が代では抵抗をする組織だが
肝心の教育に関しては、首をすくめている。
都合のいい集団としか思えませんけどね。

11月17日(金曜日)
●頑固
世の中のカメラはデジタル一色になってきている。
かつて、レンジファインダー35mmカメラのトップブランドはドイツのライカだった。
報道分野ではその堅牢性で世界中のカメラマンに愛されていた。
特に戦場では数多くの神話を作ってきた。
そこへ割り込んだのが日本のNikonだった。
日本の35mmカメラはライカコピーといわれるほど
本家にそっくりの形状をしていたが、
NikonSP(だったかな)は、独創的な顔つきをしていた。
このカメラも戦場で活躍し、日本にNikon(ナイコン)あり、と言われるようになった。

時代はレンジファインダーから一眼レフに移行していった。
このジャンルは日本の独壇場。
Nikon、Canon、AsahiPentax、Minolta、Olimpusなどのメーカーが世界を席捲した。
ライカは相変わらずレンジファインダーに固執した。
たまらず、一眼レフを出したこともあったが、本流はレンジファインダーだった。

日本の一眼レフが高機能化し重戦車のようになっていたのに対し
ライカのレンジファインダーは手になじむ程よいサイズと撮影の軽快さだった。
一眼レフのフォーカルプレーンシャッターが金属的なカシャカシャ音になっていったが
ライカの布張りフォーカルプレーンは、バシャッという独特の音がしていた。
それを好む、もちろんレンズの描写力もだが、熱狂的なファンがいた。

時代は35mmフィルムカメラからデジタルカメラに移行していった。
この技術も日本が世界をリードしていた。
数年間、コンパクトタイプの激しい競争が続き、
CONTAX、Minolta、Konicaといった名門ブランドが消えていった。
代わりにSONY、松下電器が参入してきた。
コンパクトデジタルは完成の域に達しデジタル一眼にシフトしつつある。
Canon、Nikon、Pentax、Olimpusといったカメラメーカーに
Sony、Panasonicブランドが加わった。

松下電器のデジタルカメラは当初、Panasonicという海外向け
家電製品と同じ名前を前面に出していたが、
これはまずい、と思ったのかLumixに変えてきた。
ライカレンズの名前だが、デジタル技術とカメラ技術の融合をライカと行ってきた。
最近、松下が開発したコンパクト機種のOEMでライカブランドが出た。
さらに、上位の本格的なレンジファインダー型のデジタルカメラを発売した。
この型もライカブランドで市場デビューした。

ライカが、これまで行ってきたことは、前哨戦に過ぎなかった。
ついに本命が登場した。
LeicaM8.
名機の系譜「M」シリーズの最新機種がデジタル化したのだ。
ところが、外観はフィルムタイプのM7にそっくりだ。
フィルム巻上げノブがないので左側の肩が角ばっているが、
ちょっと見は、瓜二つ。
後ろの液晶モニターがデジタルの証明しているのだが。
この液晶は、リアルタイムで映像を見ることができるのかどうか、
まだ確認できていない。

※後ろを見なければデジタルカメラとは思えない。

※M7がフィルムカメラ。

交換レンズ群もフィルム時代のものが使える。
デジタル化の波をいまいましく思っていた昔からのライカファンが、
違和感なく移行できるシステムになっている。

驚いたことには、底蓋を外してフィルム交換する、そのスタイルが生きていた。
ほとんどの機種が、ヒンジによる開閉で簡便に行えるのに、
メディア、電池交換にわざわざ蓋を外すという、面倒な方法を選んだ。
頑固なまでに「昔のスタイル」を踏襲している。

※昔のレンズも使える。メディア、電池交換は昔ながらのスタイルで行う。

ここまで、こだわった製品づくりをやられると、かえって感心させられてしまう。
当然、本体はバカ高だと思うが、昔からのファンにはたまらない魅力だろう。

ドイツ人の心意気かくや。



今まで、オリンパス、キヤノン、ソニーのデジカメを使ってきたが、
発色はソニーが一番自然、二番目オリンパス。
Canonはオーバー気味の色になってしまうので、あまり好みではない。

特に、ソニーは超小型なので外出時にはいつも持ち歩いている。
いずれこの製品も姿を消すのだろうと思い、
デジカメのMinoxを目指して、廃版にするのでなく
高性能化とアクセサリーの充実で息の長い製品にしていただきたい、と
メーカーに進言したことがあった。
当然、受け入れられるわけがなく、その後SONYの製品ラインは
めちゃめちゃになって、わけのわからん機種がごちゃごちゃしている。
少しはライカ精神を見習って欲しいものだね。

●余波
松坂がレッドソックスへ…。
巨大な金額が動いたわけだが、
米国民はポスティングシステムを正確に理解していないという。
約60億円が松坂個人に入ると誤解している連中が多いらしい。
当然、やっかみ半分で批判する連中も出てくる。

「大輔」をもじって「ダイス(さいころ)」と揶揄を込めて紹介するマスコミもあるようだ。
球団が大金を投じたのはギャンブルだし、
松坂は期待できる「助っ人」だが、
マウンドに立つまで「どんなメがでるかわからない」。

できが悪いと観客もマスコミも騒ぐ。
当事者にとっては過酷な洗礼だが、
「強心臓」の松坂だから耐えられるだろうというのが
おおかたの観測。
来年4月が待ち遠しい。

●変わる街
横浜線と新幹線が交差する駅、新横浜。
その隣が小机。
サッカーで有名な「横浜スタジアム」今、「日産スタジアム」の入り口の駅だが
ほとんんどの観客は、新横浜や第三京浜で来るため、
サッカー場側の出口は完成したのだが、街自体は昔のまま。
近くに小机城を望む小山があり、
かえって、畑の広がる風景のほうが
歴史を感じさせて城跡の街にはふさわしいように思える。
小机の隣が「鴨居」。
同じ地名が横須賀にもあるが、
ここは横浜市緑区鴨居。



※従来からの南口(左)。改札を出て左右に出られるようになった、北口(右)
JR鴨居は昔は出口がひとつだった。
駅前には小さな広場があり目の前には山が迫っていて
これ以上発展する余裕はなかった。
背中側に鶴見川が流れている。
川向こうには、NEC、松下通信の広大な工場がある。
朝夕の通勤時は、一旦駅を出て脇の跨線橋を通って
鶴見川にかかる鴨池人道橋を渡り
それこそ蟻の群れのように人が流れていた。

たまに顔を出すのだが、10年経っても20年経っても
変化のない町だった。

※左:南口駅前のオレンジビル。地階がパチンコ屋、1階にファッション、本屋、養老の滝、2階が
食堂街、その上がマンション。
右:鶴見川対岸から見た鴨居駅北口側。画面の左奥にララポートがやってくる。
ちなみに、私は左側のマンションに住んでいた。

ここは、鶴見川があるため、車で向こうに行こうとすると
小机か中山まで行かなくてはならなかった。
道は細く、曲がっている。
車は増え続けるために、渋滞する。
この不便さが人と物の流れを阻害していたように思えた。

ところが、駅の中山寄りに対岸からの大きな橋がかかってから
様相が徐々に変わってきた。
混雑の中心地、駅前を通らなくても
川向こうから旭区方面に抜けることができるようになった。

区の再編成で川向こうは緑区から独立して
港北区の一部を切り取り、都筑区という新区が生まれた。
そして、NECの工場が移転することになった。
広大な跡地には「ララポート」がやってくる。
どこにでもあるような大型商業施設とシネマコンプレックスで構成される。
しかし、横浜と町田の中間地点という立地、
周囲にはこのような施設がなかったので期待感が膨らむ。

後背地に大きな団地をかかえる鴨居だが、
駅付近にはスーパーと小さな商店がかたまっているくらいで
商圏としてはそんなに隆盛、という感じはしない。

ララポートの電車での入り口は鴨居になる。
多くは港北区側から車でやってくるだろう。
この界隈は、地下鉄の「センター北」というような
ファッショナブルな新興住宅地も控えているし、町田、横浜にも至近だ。
車、電車でさっとショッピングに行ってしまう。

鴨居ではララポートの集客力に期待が集まっている。
ついでに、地元商店をのぞいてもらおう、と。
短期間に直接、消費に結びつかなくても
大勢の人が流れる地域というのは活況を呈すものだ。

これは、都筑区側の問題だが
「鴨池人道橋」を渡ってララポートへたどり着くまでの一角がおそまつだ。
ごみごみしている。
いずれここも手が加わらないと、ギャップが大きすぎる。



私の住む東武動物公園も、
近隣の春日部、久喜の大型店舗に客が流れ
地元商店は苦戦している。
道は狭く入り組んでいる。
状況は鴨居に似ている。

地域活性化の起爆剤は
道路整備と大型商業施設の招致。
人口増加策。
それと、東武動物公園と町がスクラムを組んで
西口から東口ゲートまでのアプローチを
東武動物公園を訪れるファミリー、カップルに対し
より、楽しさ、期待感をふくらませていただけるような
施策を導入することだろう。

11月16日(木曜日)
●柚子

昨年は1個も収穫できなかったが
今年は、ほんのわずかだけど小さな黄色い実がついた。
皮をむいて半分にカット、ジューサーにかけた。
濃縮だがレモンより酸味は少ない。
砂糖を少々、お湯で割ると爽やかな味が口中に広がる。
体によさそう。

●あらら

渦中の人々が週刊新潮の餌食となった。
政治家との不倫で、
早々に筑紫哲也のニュース番組を降板した山本モナが
子殺しの進藤美香と同じグループに登場。
関西で人気が高まり、その勢いで東京に乗り込み
ニュース番組のアシスタントという
硬派路線を突っ走ろうとした矢先だった。
その後鳴かず飛ばずでくすぶっていたが、
彼女が所属する北野オフィスのタケシが哀れに思い
彼の番組で使うことになりそうだ、という。
世界的な映画監督だが、
テレビでは相変わらず芸人の世界を前面に出している。
山本モナも硬派などとは言っていられない。
なんでも、ロバのかぶりもので、
出囃子ならぬ、ジョーン・バエズの往年の名曲
「ドナ・ドナ」をバックに登場するという。
モナ・モナのもじりらしいが。
自尊心の強そうな彼女が
バラエティに同化できるかどうかみものではありますね。

意外とすんなり馴染んだりして。



大リーグ選手だった、伊良部がちらりと顔を出していた。
「旅の終わり」の冠次郎と間違ってしまったよ。

●意外性
異変が発生。
朝からテレビは大騒ぎ。
藤原紀香とお笑い芸人、陣内某の結婚話。

発展途上の芸人に、油揚げをさらわれたと
悔しがっている芸能人もさぞかし多いだろうな。
あんな、野郎に取られるくらいなら
アタックしておけばよかった、と。

これですよ。
例の秋田の子殺し女、進藤美香。
あのツラして多くの男をくわえ込む。
週刊新潮では「男漁り」と表現しているけど。
地味な女のほうが、あっちはお盛んだ。
一方、藤原紀香
(進藤と比較しては申し訳ないけど)
美人である。
周囲の男は、もう誰かの手がついていると思い込んでいた。
その間隙をついて、
発展途上のお笑い芸人が、果敢に突進した。
35歳の女の心の隙間に入り込んだ。

で、今回の報道となるわけだが、
結婚はまだ先のことだ。
できたてほやほやの二人の絆はいかほどばかりか
わからない。、
逆転劇が発生しないとは限らない。
プロ野球にもあるでしょ。
9回裏、逆転満塁ホームランつ〜のが。
これに発奮した、芸能界、政界・財界二世が
猛烈アプローチ。
てな、ことが発生すれば
芸能記者も大忙しね。

それにしても、お笑い芸人が美人をかっさらっていく。
辺見エミリをはじめ事例はごろごろ。

今回の藤原の選択だが
格、収入、身長、年齢…すべて自分より低い相手を選んだ。
彼女がリードしていくんだろうね。
ペットを飼育する感覚なのではあるまいね。
一緒にいて癒される期間など、一生続かない。
一人寝の寂しい女が、
合法的に、言いなりになるSEXパートナーを選んだのかも。

●失礼
先日の日米野球は安部首相の始球式で始まった。
ボールは大きく弧を描き左にそれた。
肩は悪そうだが、彼はスポーツマンだった。

大学時代はアーチェリー部に所属していたという。
自分の力でボールを投げるのと
器具を使って矢を放つのでは筋肉の使い方が違う。
将来の政治家らしいスポーツを選んでいたもんだ。

その安部さんに、アテネ五輪メダリスト、中年の星、山本博氏が
アーチェリー用具一式をプレゼントした。
まさか、彼のポケットマネーからではないだろうから
誰が演出したんだろうね。

ちょっと驚いたのが山本氏の肩書き。
それまでは、埼玉の高校教諭だったのが
日体大助教授。
栄転でんな。
最近、テレビのコメンテーターとして
日焼けした笑顔をよくお見受けする。
加山雄三の「若大将」みたいだが、
元祖は潮風の香り。
山本若大将は、「空っ風」に耐える風情。

●カワセミ
いつもの水路で久々にカワセミと遭遇。
昨夜は雨が降ったらしい。
朝日を浴びてかすかに水蒸気が上っていた。
木漏れ日の中で
小さなコバルトブルーが輝いた。
もしや。
目を凝らすと、水路の淵で長いくちばしと久々の対面だった。
わずか、0.5秒。
さっと水路に姿を消した。
あわてて行方を追う。
とばっちりを受けたのはジョンだった。
片足を上げてしょんべんの最中だったが
かまわず、鎖をぐいぐい引いた。

小さな鳥の姿を見失った。
が、まだその辺にいるはずだった。
水路を見ながら前進。

思ったとおり
草むらの脇に、なんと、2羽。
そっと近づいた。
敏捷に枝に飛び去った。
正面にたどりついたら、
雑木林の中に姿を消した。

この前も、ここで短い別れをした。
たぶん、棲息地はこのあたりなんだろうな。

確か、夏以来だった。
朝から、すっご〜〜く、得した感じ。

11月15日(水曜日)
●Google

MapやEarthの衛星写真を使って、面白いサービスを始めた。
フライト・シミュレータのベータ版が公開されている。
マイクロソフトのような本格的なものではないけど、気分転換には最適だ。
上空を遊覧できるのは、世界の大都市のみ。
上下左右の方向キーで、レトロな複葉機をコントロールする。
それとAキーが加速、Zキーが減速。

東京を選んで試してみた。
皇居上空から始まるようだ。
上下キーで上昇、下降ができる。
上昇は限度があるが、下降しすぎると地上に激突する。
これで、ゲームオーバー。

あ、それと、スペースキーで銃撃を行える。
畏れ多いことだが、
皇居のやんごとなきお方がお暮らしになる建物にまで…
下降しながら射つのが命中させるコツ。
だけど、こういうテロリストみたいなことは、やめましょうね。

Googleフライトシミュレーターのサイトは click--->

●鉛筆
愛用のシャープペンシルを紛失した。
なんの変哲もない5mm芯だが書きよいので
常に机の上に置いていた。
3日前に定位置にないことに気がついた。
代替品はあるのだが、7mm芯なので書きにくい。

どこに置いたか全く記憶がないことにイライラしている。
辞書や本の間に挟んだのかと思い
該当しそうなものを確認したが、ない。

最近、小物を無意識に置いて大騒ぎすることが
少なからず、ある。
やべ〜〜な、老化現象かよ、と思いつつ
後日、とんでもないところで発見することが多い。

ところが、伊東屋製の細いシャープペンシルは
未だ、生還せず。
だから、今も内心いらついてる。



最近はほとんど鉛筆を使うことがない。
万年筆も同様だ。
シャープペンかボールペンばっかり。

だが、ときたま鉛筆を使いたくなることがある。
鉛筆削り器ではなく、小刀かカッターナイフで
丁寧に美しく削り、芯を尖らす。
短いが無心になれる「鉛筆削り」タイムが好ましい。

小中学生の頃は、とんぼ鉛筆かコーリンだった。
安いので木質が悪く、刃の厚い小刀で削るとさんざんだったが
コーリンのピラミッドに顔がついたようなマークが気に入っていた。
高級品の三菱UNIを使い始めたのは大学生になってからではなかったか?
同じメーカーの消しゴムとともに
ペンケースに入れていたような気がする。

鉛筆の六角形といのがころがり防止になっている。
シャープは円筒形なのでクリップがないと不安定。
鉛筆型のシャープつ〜のはないのかな?
それも、昔懐かしい黄色のとんぼ鉛筆とか
パステル調のコーリンがあると嬉しいけどさ。

●驚愕
西武の松坂との交渉権をレッドソックスが噂どおり、獲得した。
権利を競り落とすための金額は60億円。
レッドソックスは宿敵ヤンキースだけには渡したくない、という
思いから大金を積み上げた。
それにしても膨大な額だ。
松坂とレッドソックスが交渉し、
年俸で折り合いがつけばめでたく入団となるわけだが
日本のプロ野球とあちらのメジャーでは動く金が違うね〜。

日本のプロ野球選手で実力のある者は
一度はメジャーでやってみたい、という思いがある。
金ばっかりじゃないよ、という思いだ。
だが、年俸がまた日本と違うから
あちらで活躍できれば2重の喜びとなる。

レッドソックス入団が決まると
60億円は西武球団にころがりこむ。
松坂は親孝行だ。

だが、こんな大金が動いての入団となると
マウンドに立ったときのプレッシャーはすごいだろうね。
彼は、怪物だから、そういうことには強いのかも知れないが
1球ごとにブーイング。
負けでもすれば、go homeコールが湧き上がるかもしれない。
「もう少し低い金額で気楽に入団させてよ」と思っても
もう、取り返しがつかない。
あとは、大活躍を祈るのみ。

松井、井口、イチロー、城島との対決が見られるんでしょ。
レッドソックスは、それも見越している。
しかも、他球団にも松坂効果が波及するね。
ファンとしては、早く見たいと思うけど。

11月14日(火曜日)
●モンゴル
大相撲九州場所でもモンゴル勢の驀進は止まらないだろう。
そんな中で、旭鷲山が引退するという。
彼は、モンゴル勢の先駆者で、
今をときめく旭青龍は彼の活躍ぶりを見て角界に入門したという。
この二人、一時は仲たがいをしていたが、その後和解した。

旭鷲山は角界に残らずモンゴルへ帰国し
第二の人生を送るというが、まだ33歳
日本と蒙古をつなぐビジネスでも成功するだろう。



そのモンゴルで、スキャンダルが降ってわいた。
地元のモデルが海外で殺害されたというのだ。
遊牧民族国家でモデルという職業も意外だったが、
殺された理由というのが国際的だった。

捜査中だが、相手は、マレーシアの軍事外交専門家で
マレーシア戦略研究所/アブドル・ラザク・バギンダ所長(46歳)
政権中枢に近い人物だという。
殺害されたのは、モンゴル人モデル/シャアリーブーさん(28歳)

遥か離れた国なのに…なぜ。
2年前バギンダ氏がモンゴルを訪れた際、知り合った。
家庭もちのマレーシアの著名人は
親しくなった彼女と出張先で逢瀬を重ねた。
国際的な不倫密会ですな。

このままずるずるとはまり込めば、地位が危ないと
反省した彼は、別れ話を持ちかけた。
まずいことに、2人の間には1歳の子供がいた。
彼女は、手切れ金、養育費、口止め料として
約6000万円を彼に請求した。
彼は自分の子供だという確証がないと、突っぱねようとしたが
彼女は、二人の愛の結晶だ、と譲らない。

困り果てた彼は、
マレーシアを訪れていた彼女を、
配下に拉致させ殺害に及んだ。
クアラルンプール郊外の森林で
爆発物でこなごなにされた死体が発見された。

手を下したのは
政府要人のボディガードをしている3人の警官、としている。



バギンダ氏も手切れ金を渡し、
後腐れないようにすればよかったものを。
6000万円という額は
モンゴルやマレーシアでは日本以上の価値があるのだろうが、
まだ、46歳でしょ。
ここで、言い値で払っても
政府中枢にある限り、おいしい汁が吸えるって。

このスキャンダルが立件されれば
築き上げた地位を追われるのは確かだろう。

殺された女もアプローチの方法が悪かった。
身の危険を察知していれば
モンゴルに居ながら
インターネットを通じて「おどし」をかけることもできたのに。

いかんせん、両者にとって
高すぎる火遊びの代償だった。

●衝動
秋田・大仙市・幼児殺人。
主犯・進藤美香(31)。
共犯・畠山博(43)。
共犯は高校非常勤技師という。
どんな職業なんだろうね。
陸上競技の審判資格もあるという。
正規の教師ではないが、学校関係者だ。
教育の現場にいる者が殺人の手助けをしていた。

主犯の女と同棲中の50過ぎの男は出張がちだった。
居ないのをいいことに、隠し男・畠山と密会していた。
現在は婚姻関係でないから、不倫とは言わないのだろうが
男にルーズであることは確かだ。

美人は男関係が華やかのように思われがちだが、
意外と、男どもは手が出しにくいものだ。
曲者は、一見地味でまじめそうな女。
誰も手を出しそうもないと思いがちだが、
複数の男と関係し「公衆便所」と呼ばれていたりする。

今回のワルの主役、
進藤美香という女もそういうタイプだったんだろう。
しかし、醜女の深情け。
後がないと思うから
喰らいついたら放さない。
よくしたもので、そういう女には、ちょうどいい男が現れる。
畠山との付き合いは
2度目の結婚、現在同棲中の初老の男、
この2人と同時進行している。



道の駅の駐車場で、男と別れ際、ぐずるわが子に折檻をした。
本体、静止すべき分別のあるべき43の男が
これに同調して、4歳の子供に手を出した。
その場の雰囲気とはいえ、なんとも情けない。
高校に席を置く人間とは思えない。

秋田といえば佐竹の殿様だったかな?
墓の下で、人心の荒廃ぶりに泣いているだろうよ。

●秋田名物
新民謡「秋田名物、はたはた、子殺し…」

先日、子供の死体が水路で見つかった。
葬儀では悲劇の母親を演じていた女が犯人だった。
同じ秋田・藤里町で、母親の子殺しが起きたばかり、だというのに。

つきあっている男と二人で、車内で過度の暴行を行い
男と別れたあと、水路に遺棄したという。
正確には、水路に放り投げた時点で少年は生きていた。
搬送された病院で死亡した、ということだ。
だから、「遺棄」ではなく「放置」という表現がされている。

犯人は「進藤美香」という。
芸名のような名前から想像すると美人と錯覚してしまう。
映像で見るその女は、「美」という概念の対極に存在するような容貌だった。
はじめは「男」だと思った。
共犯が男だったので、そっちのほうを見ていたのかと、思った。

同じ秋田藤里町の子殺しの犯人・実母は畠山だったが
共犯の男も同じ苗字なのだから、始末が悪い。
藤里町の女が「とど」だとすると、進藤美香は「穴熊」という風情。

朝から、TVのワイド番組では「穴熊」の情報が流れている。
31歳のこの女、造作が悪いわりには男には不自由していなかったらしい。
高校を卒業してから、2度の離婚と3人の男がいた、という。
共犯の男とは2度目の結婚の頃から続いていたというから、たいしたタマだ。

映像を見る限り、まったく魅力のない女なのだが
男は何がよくて、寄り付くのか。
「なに」がいいのかな?
それとも、抜群の床上手?
仮にそうだとしても、願い下げという不細工なのだが、
秋田の男も物好きとしかいいようがないね。



こんな女が、12〜3年で5人もの男をくわえこんだ。
2回の結婚で2人の子供を生んだ。
殺されたのは2度目の結婚でできた子だ。
離婚に当たって、嫁ぎ先に女の親が引き取りに来たという。

親の家が映し出されたが、結構立派な家だ。
父親は元国鉄職員で、娘は厳格に育てられたという。

中・高の同級生、職場の同僚のコメントがあったが、
学生時代は目立たなく、男のうわさなど1つもなかった。
職場の同僚は、指示が伝わりにくい。

影の薄いちょっと愚鈍、という女だった。
だのに、なぜ5人の男?

はじめの男は消防士だった。
そのうちうまくいかなくなり男が会ってくれなくなった。
女は、駅に放火した。
そうすれば、仕事で男がかけつける。
その姿を見ることができるから…
という、とんでもない理由からだった。

江戸の「振袖火事」のような…
でも、あの容貌では似合わない。

顔が悪く、頭もそんなによくないのだから、
せめて性格だけは明るくと思いつつ
厳しく育てたばっかりに…
と、不憫に思った親は娘の行動を容認した。
だから、娘がくわえ込んだ男という獲物にも目をつむった。
必要以上に「甘やかした」。
それが、転落の始まりだった。

この事件は、親にも責任がある、と
性急に結論づけてしまうよ。

●いじめ
校長も生徒も死に急いでいる。

金をゆすられていた本庄市の場合、
生徒は先生に相談していた。
母親に尋ねられたときも
「先生に話してあるからだいじょうぶ」と言っていたそうだ。

ところが、肝心の教師は出張のため
十分な対応をしていなかった。
生徒より校務か公務を優先させた。

企業では、プライオリティつ〜のがあって
最優先事項がはっきりしている。
企業内で深刻な問題が発生しているときは
それを担当が解決するための努力をする。

避けられない出張の場合は
先方に状況を説明し納得していただくか、
企業内の問題を引き継いでから行う。
などなど次善策を講じるものだがね。

学校は、自分のところで「いじめ」を出すことを
「恥」と思う風潮があるらしい。
だから、「臭い物には蓋」をするように隠蔽してしまう。
隠蔽しても、改善すればいいのだが、そのままにしてしまう。
生徒の自殺によって、学校側は蜂の巣をつついたように
あわてふためき、狼狽する。

校長の会見や、
嘘の報告を受けていた教育委員会の会見を見ても
「鳩が豆鉄砲をくらった」ように
目を白黒させて、よそよそしい対応を行っている。



学校関係者の認識が甘すぎる。
「命」がかかっているのだから
もっと深刻に捕らえ、
解決すべき優先事項のトップに据えなくてはいけないのに
鈍感な対応しかできていない。

もし、教師の子供がそういう目に遭っていたら、どうする。
もっと真剣に考えるだろう。
自分のクラスの生徒は、自分の子供と同じなのだよ。
等しく愛情をもって目をかけなくてはいけない。

自分の家庭が崩壊してちゃ、問題外だけどね。
最近の先生は、援助交際、不倫、万引き、盗撮、女性宅に侵入など
目に余る行為が目立つ。
「先生も人の子」などと、ゆるいルールで受け止めてはいけない。
いやしくも、人の上に立ち、教え導く立場にある者は
少なくとも「人格高潔」でなくては
教師の資格はありませんがね。



生徒のいじめによる自殺で、
家庭で対応しているほとんどが、母親だ。
息子の祭壇の前で、いじめの発端となった教師に
詰め寄る父親の姿があったが、これを生きている間にやって欲しかった。

子供のいじめには、父親が体を張って取り組む必要があるだろう。
学校へ怒鳴り込むのもいい、
いじめの当事者宅に乗り込むのもいい。
立場の弱い子供の親が力を合わせて
学校と対決するのもいい。

「子供の喧嘩に親が乗り込む」ことは、
昔はためらわれた、ものだ。
しかし、現代は子供は知能犯だし、先生は弱腰だ。
親が、口を出さなくては問題は解決しない。

子供が小中学校の年頃になると、
父親は会社の責任も少しは大きくなるころだ。
仕事優先で家庭を顧みることが難しいのだろうが、
息子や娘に死なれたらどうする。
父親よ、もっと学校を注視しよう、監視しよう。

11月13日(月曜日)
●考え違い
それなりの深い思いがあって実行してしまったのだろうが…
また、校長が首を吊った。今度は北九州市の小学校。
いじめを受けていたのを確認していながら
教育委員会には「金銭トラブル」としか報告していなかった。
認識の甘さとしか言いようがない。
高校校長は「履修逃れ」の虚偽報告。
小学校校長は「いじめ」の虚偽報告。

どちらも学校の内情を上部に正しく報告していなかった。

と、思っていたら、岐阜の裏金問題で
調査委員会のサブリーダー格の職員が首を吊った。

先生の場合は自宅付近の雑木林や自宅で死ぬケースが多いが
自治体は職場で自殺というのが多い。
これは何を意味するか。
学校関係者は自己完結型で、他に迷惑をかけたくないという気持ちから、
自治体は、他にワルがいるのに、なぜ俺が…と恨みを残しながら。
という意識の違いなのだろう。

NHK大河ドラマで、
昨夜、石田三成が斬首されたが
死ぬ間際、山内一豊に
幼き主君に「生きて生きて生き延びよ」との遺言を託す。
生きてこそチャンスは活かされるというのだ。

日本の軍隊では「捕虜になるくらいなら死ね」という意識だったのに対し
陸軍中野学校、いわゆるスパイ養成組織では「生き延びよ」と教えた。
ルパング島で残置諜者となってジャングルに潜み
戦後も孤独な戦いを継続していた、小野田寛夫氏も生き抜いて生還した。
その後、素敵な女性とめぐり合い結婚、ブラジルへ移住したが
日本で青少年を対象に「自然塾」を開いている。
彼の貴重な経験が、文明の爛熟で野性を失った子供たちに
人間が自然と向き合う知恵を授けている。

責任あるポジションにある者が
自ら命を絶つても、それで自己責任を全うした、とはいえない。
原因究明と改善を行ってこそ「立派な人格」といえるだろう。

上の者が簡単に命を捨てるから
子供たちも、時の空気で簡単に将来ある生を自ら閉じることになる。

●賛否両論
このたび千葉県がロゴを制定した。
どこか垢抜けないイメージを引きずっている千葉県を
これにより一気にイメージアップしようと職員たちは意気込んでいる。
ところが、これを巡って県民は喧々諤々。
理解を示す人もいるが、かなりの人が否定的だという。

いわく、
「県民やめたい。どこが洗練されたデザインなんだ」
「悲しすぎます。こんなことに血税が使われたなんて」
「ありえない」「大変残念」「ますますあか抜けなくなっていると感じる」

デザインはかなり主観的なものだから
すべての人の賛同を受けるのは困難だけど
なかなか厳しい意見だね。

どんなデザインで、作ったのは誰か、ということが気になるね。

制作者は仲條正義(なかじょうまさよし)氏。
私達の年代の広告関係者なら、この名前はよく知っている。

彼は千葉県出身の著名グラフィックデザイナーなので白羽の矢が立ったのだろう。
千葉県立匝瑳高校卒業。
東京芸術大学美術学部図案科卒業後、資生堂宣伝部入社。
同社退社後フリーを経て自身のデザイン事務所を主宰。
資生堂企業文化誌「花椿」アートディレクション・デザイン(1970〜)
資生堂パーラーロゴタイプ、パッケージデザイン(1990)
ADC会員最高賞(1989)、日本宣伝賞(1989)、TDC会員金賞(1992)、
JAGDA第5回亀倉賞(2003)、紫綬褒章(1998) 等

などなど、華麗な経歴を披露しつつ
外野の批判的な声など意に介さず県は普及につとめるらしい。

肝心のロゴだが、こんな感じだ。

う〜〜ん、これは好き嫌いがあるね。
コンピュータのドット文字のような雰囲気。
ヘタウマ路線。
和田誠氏のイラストに添えられそうな文字。
ファッションブランドのタグにはいいかもしれない。
スナック菓子のロゴには向いているかもしれない。
野太い感じがする県だから、こういう線の細いのがいいのかね。
小学低学年にもこれなら読めるけど。

不思議なもので、こういうものは長年使い続けていると
違和感がなくなるものだ。

「昭和」から「平成」に年号が変わったときもそうだけど、
初めは、なんとなくダサ・ネーミングのように感じたが
18年も使っていると、空気みたいになって
ごく当たり前のように受け止めている。

以前、国鉄がJRに変わった。
その後、国電を「E電」と名前を変えようとしたが
これは、まるで受け入れられなくていつのまにか姿を消した。

また、Appleコンピュータが日本語OSのネーミングを付けようとした。
Appletalkが漢字Talkへ、MacOSになり、MacOS Xと変遷してきたが、
漢字TalkとMacOSの間に事件が起こった。
その名を「おむすび」という。
なんのこっちゃ?
名付け親は、かの糸井重里氏。
奥さんは樋口可南子。美女と野獣。

ひねくりまわしの、考えすぎという名前だった。
Appleは都会的なコンピュータイメージだが
これでは、「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川」の
田舎のにおいがぷんぷん。
糸井氏の出身、群馬県になってしまう。
Appleも一応は発表したものの、そのまま墜落。
ほとんど知られないまま姿を消した。

こういう不幸な事例もあるけど。

11月12日(日曜日)
●強風
昨晩から季節風が吹きまくっている。
「木枯らし1号」かな?
この風のおかげで庭の枯葉はどこかに吹き飛ばされ
竹箒を手にすることもなし。

たばこを買いにコミュニティセンター内の自販へ向かう。
役場の入り口にある風力発電装置が勢いよく回っていた。

※役場と同型の風力発電装置

風力発電は大きなプロペラ型が知られているがここのは円筒形。
初めは何かと思いましたよ。
この形が一気に知られるようになったのが
つくば市の学校に設置されたが、「回らない」という
アクシデント情報だった。
市は開発した早稲田大学に損害賠償を請求するということだった。

あら?
円筒形風力発電装置は、地元の「日工大」が開発したんじゃないの?
それが、なんで早稲田なの。
どうも、共同開発らしかった。
開発をリードしたのが早稲田なのだろうね。
だから、つくば市は早稲田に損害賠償を請求した。
では、日工大はどの程度参加していたのだろう。


Webサイトにはこんな説明があった。

ハイブリッド・ウィングスは早稲田大学と日本工業大学が共同で20年にわたって
日本の気まぐれな風を研究し、
様々な風でも効率よく発電するよう開発した、風力発電設備です。
スターターとしてのザボニウス翼と出力運転を担うダリウス翼を
組み合わせた2種類の羽根が特徴的です。



町役場の入り口で強風を受けて
勢いよく回っている装置だが、
これでどのくらい省エネになっているのだろう。

導入費用と光熱費に与える効果を計算すると
何年後に償却できるのだろうか。
償却時に新しいものと交換なんてこともあるんじゃないの?

とにかく、この設備で光熱費がどのくらい安くなっているのか
興味がありますね。

11月11日(土曜日)
●変わらない街
横浜市神奈川区六角橋。
駅で言うなら東横線白楽。
3つ先が横浜という場所である。
ここは30年経過しても雰囲気はそのままだ。
駅は横浜特有の「谷戸(やと)」という地形で
両サイドの小山に挟まれた谷にある。

出口は両サイドにあるが、広場など、とても確保できない。
一方は山が迫り、もう一方は小さな店が密集している。
昭和40年代後半に住んでいたのだが
今も、街の作りは基本的に変わっていない。
駅周辺は再開発をしようにも、手のつけようがない。

※商店街の表の顔。ここに車が入り込む。
 だらだら坂の上、右に曲がれば東横線白楽駅。

ここには六角橋商店街という横浜では有名な商店街がある。
少し離れて大丸ピーコックというスパーもあるが、
戦前からの商店街は相変わらず周辺から客を呼び込んでいる。
店の作りも古色蒼然具合も昭和レトロがみごとに息づいている。

※商店街の裏の顔。ここが本命。昭和30年代が生きている。

道路に沿って300m程度あるのだろうか、ここは。
狭い道で交通量も多い。
道路に面した店舗より、その奥に平行している細道に
びっしりと軒を連ねる店舗群が、ここの売りなのだ。
何年に1回か、火事が発生し新聞種になることでも知られている。

少し変わったところもある。
映画館が銀行に変わり、それが今おしゃれな喫茶店になっていた。

街は常に人でごったがえしている。
神奈川大学の入り口なので学生も多い。
駅から15分位の大学までぞろぞろ学生が流れる。
JR東神奈川に続く大通りにも店舗が並び
大学界隈には学生相手の食事処、喫茶店も多い。

この一帯は住宅地域と商業地域がはっきり分かれている。
駅を降り神大方面に曲がらず直進すると閑静な住宅街になる。
その昔、作家の五木寛之が住んでいたという高級マンション・白楽ハウス、
その隣は神奈川県知事公舎。
その下が公園で、向かいの高台には女優・岸恵子の実家がある。
ゆるやかな雛壇造成の住宅が並ぶこのあたりは
日当たりのよい落ち着いたお屋敷町だ。

六角橋商店街の魅力は
人がすれ違うのにも苦労する狭い道の
細長い地域に食品、生活用品の店が
びっしり張り付いているところにある。
アーケードなので雨の日にもゆったり行き来できる。

小さな観賞魚店なのだが渓流魚も扱っているという
玄人好みの品揃えというのも泣かせる。



ルーバン宮代が生まれると聞いて
どんな形態の店舗構成になれば流行るかと思った。
で、イメージしたのがこの商店街だ。
ルーバンは、敷地もそんなに広くない。
であれば、大鑑巨砲主義のようなスーパーでなく
駆逐艦のような小さくてもきびきびした店舗を数多く集めれば面白くなる。
生鮮食品は魚と肉だけにして、駄菓子屋、お好み焼き屋、焼きそば屋、
たこ焼き屋、お好み焼き屋、たい焼き屋、コロッケ屋、惣菜屋など
日本の伝統フードを単品扱いする下町のような集合店舗にする。
ラーメン屋、日本そば屋、パン屋もいいね。
さすれば、子供もおやつを買いに行けるし、
通りすがりの日工大の学生も気楽に立ち寄ることもできるだろう。
基本的にテイクアウトだが、屋根つきパティオでぱくつくこともできる。
奥さん用の「おしゃべりルーム」=こじゃれた喫茶店も当然ありますね。

このような形態にすれば、年代を問わず誰かしら利用できる
集合店舗という名の「屋台村」ができたのにね。
こんな場所なら、私も行ってみたい。

11月10日(金曜日)
●お天気姉さん
正確には気象予報士というのだろうね。
以前はニュース番組の「さしみのつま」的な存在だったけど
天気予報の地位も向上。
各局もお天気キャスターに力を入れている。
男性では、森田さんが有名だが、
NHKのお兄さんは隣の春日部市出身だという。

男などどうでもいいね。
NHKの半井さんとテレ朝の市川さんに
注目しておるのですよ、私めは。

半井とはなかなかお目にかからない苗字だが、
かの明治の小説家樋口一葉が心をときめかせた相手が同じだから。
もしかしたら縁者なのかな。
NHK半井さん、ちょっぴり斜視ぎみの視線を送り
茶の間の中年おとうさんをどきどきさせているらしいよ。
彼女は結構グラマスなのだ。
もっとゆったりしたものを着ればいいのに、
タイトぎみなものが好きなのか、計算なのか。
豊かな胸が強調されるが、下腹のふくらみまで出てしまう。
予報図を見るより、今夜のファッションチェックをしちゃうじゃないの。
も少し、シェイプアップすればいいのにね。

一方、テレ朝の市川さん。
3回目の挑戦で気象予報士試験に合格したそうだ。
よかったよかった。
彼女、青学なんですね。
インカムをつけて他局と一線を画しております。
楚々としたたたずまいはNHKの半井さんと好対照。
スレンダーでおっとりとした感じが好ましい。

天気予報は
誰が解説しても同じ内容なのだから、
これからもキャスターの個性と見せ方の工夫が
行われてゆくんだろうな。

●変わる街
昨日は川崎。
本日は下町、葛飾は金町。
ここは私が幼稚園から所帯を持つまでの
21〜2年を過ごした場所だ。
例えば50歳から70歳まで住んだとしても
心理的に大きな変化はないと思うが
義務教育から、高校・大学・社会人・結婚という
大きな節目をここで迎えているので
数多くの思い出がある。



越してきた当時、
国鉄・常磐線金町駅まで父親を迎えに行くことが日課だった。
自宅から駅まで子供の足でも5分とかからなかった。
小さな駅舎で駅前は小さな広場があって
その先は鉄道官舎が線路沿いにガード方向へ
大きな位置を占めていた。
駅の出口は南口だけで、今、北口になっている向こうは工場跡地。
モスリンと呼んでいた寂しい場所で
瓦礫の小さな山が無数にあった。
敗戦直前、この場所に秘密の工場があって
軍の試作機が組み立てられていた、ということを
2〜3年前の新聞記事で知ったときは驚いた。
国鉄金町駅の斜め前が京成線金町駅。
今でも単線でホームが1つの小さな駅だ。

常磐線金町の隣が亀有。
京成線金町の隣が柴又。
いまでは、どちらも知名度は全国区だが
金町は相変わらずである。



南口(当時は、1つしかなかったので、こういう呼び方はしなかった)には
駅前商店街があり、国道6号線から京成線沿いに
バスが国鉄金町駅前広場に入ってくる。
三郷、戸ケ崎、吉川、小岩、浅草、上野にバスは出ていた。
子供の頃、三郷、吉川は「地の果て」だと思っていた。
今、この街はつくばEX、武蔵野線の開通により飛躍している。

※金町駅南口と開発中の駅前。右は北口。高層ビルが多い。



何の変哲もない下町といった感じの金町だったが
工場跡地が開発され北口ができてから街の様相が変わってきた。
整備された広い道が通り、正面には住宅公社の高層住宅ができ、
周囲に商店が集まってきた。
何もない所に街を作るのだから、ことは容易だ。
更に、北口は水元方面に後背地が広がるので住宅も数多く建設されるようになった。

伝統ある南口は国道6号までの狭い地域。
その向こうは柴又だが、金町浄水場があるので
柴又へは分断されている、という感じだ。
隆盛の北口に比べ南口の「すずらん通り」は閑古鳥が鳴いている。
シャッター通り商店街ならまだしも、
借金がかさんで夜逃げをした名門呉服店もある。



この地域に広い土地を所有する土着の家がある。
その息子が小学校の同級生で、
クラス会で顔を合わせるたびに、街の活性化案を尋ねられた。
商店街は種々雑多な店が軒を連ね
スーパーが北口にできるまでは、この界隈の人たちが集まってきた。
アーケードを作り、雨の日もらくらくお買い物というのが売りだったが、
今となっては日の射さない薄暗いさびれた通りに成り下がった。



数年前に北口に対抗してかどうか、南口の再開発が始まった。
国鉄官舎が移転し、広々とした空間が現れた。
バスが片寄せあっていた広場が拡張されターミナルとなった。
国道6号線の裏手にあるため都心に出るための立地は
北口より数段優れている。
だが、相変わらずバスは京成沿いの狭い道を走らなくてはならなかった。

そのうち、バスターミナル脇に大きな高層マンションができ、
1階にスターバックスが出てきた。
江戸川の向こうは松戸市。
東京の田舎町にも「スタバ」かよ!と時の流れを感じた。
ターミナル前の商店も周囲の様変わりに呼応して、
次第に都会的な化粧をしたしゃれたものが出てきた。
しかし、その裏手にある「伝統ある」商店街は閑古鳥がないている。

ところが、国道6号線から駅にストレートに入ることができる
広い道ができることになった。

※この高層マンションの右側の下にわが家のあった場所が眠っている

はるか戦前から小さな家が密集していた地域を
立ち退かせての大手術だから、ここに至るまでは時間がかかったが、
今年の夏、メスが入った。

まだ、立ち退きを拒絶しているお宅が何件か残っているらしいが、
その家は立ち退き料をつりあげる算段をしていると、
周囲から白い目で見られるようになった。

ブルドーザーでならされた土地には、
3〜4年後に、区の図書館なども入った高層マンションが出現する。
住人は地権者として、所有していた広さに応じてこのマンションに入居できる。
それを待ちきれなくて去っていた人もいる。

この消失した場所に、私が育った家があった。
弟がそこに住んでいたが、
引っ越して江戸川近くに居を求めた。



この道ができることによって、
南口商店街は分断され、
ますます、ダメージが大きくなる。

何か考えなくてはこの一角は、廃墟同然になるだろう。
私には秘策があるのだが、時間も金もかかる。
あっというゾーンに変えてしまおう、というのだから。

夫君が議員という小学校の同級生や
大地主の息子たちと年に会う機会はたびたびあるのだから、
いずれ話してみるつもりでいるけど…

なにしろ、長年過ごした地域である。
かつてのわが家は道の下になってしまう。
だが、昔の思いに浸ってはいられないときを迎えた。
せめて、活気を取り戻して欲しいと、願うのみね。



道路の重要性は
川崎、金町の事例でもわかる。

さらに、跡地の有効利用が活性化の引き金となる。

11月9日(木曜日)
●2大政党
米国では中間選挙の去就が注目されている。
ブッシュ大統領は薄氷をふむ思いで見守っているが形勢不利。
「イラク政策」が今回の争点だが、
自国を守るのではなく、遠い外国の政権打倒に首を突っ込んで
挙句の果てに泥沼化。
若者が3000人近く戦死している。
親としてはなんともやりきれない。
で、いけいけどんどんのブッシュ政権に嫌気がさした結果なのだ。
彼も、変わり身の早さで国防長官ラムズフェルトを更迭した。

海の向こうの民主党の躍進を、
日本の同じ名前の党はうらやましく思っているだろうな。

自民党が政策を誤ってくれれば、民主党もやりやすいのだが、と
思ったかどうか…

先日、党首討論が行われた。
「核」の問題で小沢党首が首相にやんわり噛み付いた。
「核」に関して特に閣僚は話題にしてはいかんのとちゃう?
小沢さんは、ここで正論を述べるより、
自民党に核論議を言わせるだけ言わせていおたほうがいいんじゃないの?
で、国民に「やばい」と思わせたほうが小沢側に利があるのにね。

これに対し安部首相は口角泡を飛ばす、という調子で意見を述べていた。
やっぱ、若いよな安部ちゃん。
小泉だったらもっとはぐらかすような答弁をしたのだろうが
安部ちゃんはムキになっていたようだ。

それにしても、
小沢さんの声の調子にハリがない。
もともとぼそぼそした口調なのだが、病み上がり以後
声にドスがきいていない。
対する、安部ちゃんは、滑舌が悪いというのか
早口のうえ口調が平坦なので聞きづらい。
答弁に余裕がない。
小泉の「人生いろいろ」のような調子でやられたら
馬鹿にされたかと思うが、安部ちゃんはも少し
当意即妙な内容であって欲しいな。

小泉純ちゃんは歴史からエピソードを拾って披露していた。
日本史、世界史に通じていないとできないことだが、
これは側近が用意していたのかな?
安部ちゃんの近くには歴史に強い人はいないのかな?

高校時代に歴史を履修しておかないと、
秘書、議員、どちらにしても政界デビューしたとき困ると思うけどね。
歴史は面白いし役にたつこと請け合いですよ。

安部ちゃんはストレート過ぎて面白くない。
日米野球の始球式ではストレートはできなくて
大きく弧を描き左にそれてしまった。
子供の頃、野球や親とキャッチボールをしなかったのかな?
母親から「しっかりしないとだめよ」と言われ続けてきた彼は
何をしっかりやってきたのだろう?
文武両道ではないことは分かったけど。

日本の民主党は2大政党と声高に叫んでいるけど、
一方の自民党は公明党との寄合い所帯で政権を維持しているし、
民主党だって寄り合い所帯。
流れ流れてついた先が民主党だもんな。
両方とも一枚岩ではない。

米国とは構造が違う。
選挙だって地方から戦って、戦って頂点に上ってゆく。
野球の2大リーグみたいな趣きなのだ。
移民の国だから、難しくしすぎると制度自体が成り立たなくなる。
だから、制度はその国民性のように「Simple is the best」なのだ。

●音楽のあるまち
朝刊に川崎市の街づくりに触れた記事があった。
「音楽のあるまち」を指向しているのだそうだ。
最近は全く行かなくなったが
通勤でこの町を車窓から眺めていた時代があった。
当時は高度経済成長期で
京浜工業地帯の中心地として、
海側の工場群の煙突から絶えず煙があがっていた。
駅周辺もごみごみしており
エネルギッシュだったが労働者の町という雰囲気だった。
そして、国道の向こうには「堀の内」という風俗ゾーンがあって
駅付近で酔っ払って、堀の内のトルコへ行くという(私じゃないよ)
街の配置になっていたんだろうな。

ところが、「チネチッタ川崎」という映画を中心とした
おしゃれなゾーンが出現してから様相は変わってきた。
確か「ミス興業」という地場企業が再開発にかなり力を入れていた。

国道と駅前の道路は見違えるように広くきれいになった。
この2つの大きな通りに挟まれた地域が美しく変貌している。

今朝の記事によると、
楽器店や音楽を聞きながら食事ができる「音楽レストラン」
広場、市民ホールでのライブバンドが常時何かを演奏しており
若者らのたまりがあちこちにできている、
とあった。

「川崎と音楽」と言われても初めはピンとこなかった。
が、街ぐるみで「新しい価値」づけに向かって進んでいることだけは
伝わってきた、



昨日「街の顔づくり」で「学生の音楽発信施設」という提案を行った。
底の底では「行政主導」ということになるのかも知れない。
が、若者たちは「お上」の押し付けを嫌うから
「共に考えよう」という姿勢で臨まないと失敗する。
「施設を提供するから、これこれの実現のために一緒に汗を流そう」という
スタンスである。
こうすれば、いつの日か「学生音楽に理解のあるまち」という評価も定着するだろう。

「四季を通じて、若い人が集い音楽が流れるまち」
考えただけでもワクワクしませんか?

11月8日(水曜日)
●顔づくり
いま、住民参加による「町の魅力創造」ということで
「顔づくりプロジェクト」というのが開催されている。
対象エリアは、東武動物公園駅西口から「新しい村」まで。
現在、検討されているのは「役場跡地の利用」。
プロジェクト参加者は4班に分かれ
コンサルタントを交えて活発に行われている。
その様子は、町のホームページで閲覧できる。

池をつくる、イベント広場にする、エレベーターを設置し進修館と連動させる、
彫刻コンテストの開催。
ほかにもいろいろ利用法を巡るアイデアが出ている。



参加しないで外野からモノを言って、失礼とは思うが…
やはり素人集団の、スタティックな意見交換、としか映らない。
どれも、スケールの小さい発展性のないアイデアなのだ。

広告代理店の専門家なら、こういう発想はしないだろう。

コンサルタントが、どのようなコンサルテーションを行っているかわからんが、
提出されたアイデアを批評する、それを多少修正するというのでは
役割を十分に果たしているとはいえない。

町のイメージアップを図ろうとするなら
考え方の基本を徹底的に討論し、方向づけを行う必要がある。
そこで重要なのが「目のつけどころ」だ。

現在、町が行っているのは「戦術」である。
「戦略」がないから、発展性が感じられない。
別の見方をすれば「コンセプト不在」なのだ。



この町は「水面に映える文化都市」がスローガン。
だが、何が「文化」と問われると考え込んでしまう。
「水面」とは古利根なのか、町を流れる姫宮落川か隼人堀川か
はたまた、灌漑用水か?
どの川もこの町は全域に下水が普及していないので
生活用水が川に入り込み、とても美しいとはいえない。
だから「親水公園」づくりなど夢のまた夢。
「文化都市」からはほど遠い。

だが、庁舎跡地利用に関しては、
ついに「文化」を発信できるチャンス到来、という気がする。

モルタル庁舎が取り払われて、進修館が姿を現した。
個性的な建物だと思っていたが、フロントビューが見渡せるようになって、
なだらかなスロープのある「劇場型」構造だったことがわかった。

先日、パイプを組んだステージができジャズの生演奏をやっていた。
観客はそんなに多くなかったが、芝生に座りリラックスしながら楽しんでいた。

私がイメージしたのは「日比谷野音」だった。
芝生を整備して音楽ステージをつくる。
ここまでなら、誰でも考える。
どう利用するかだが。

学生の音楽発表の場にする。

地元には「日工大」がある。
学内の軽音楽、ブラスバンド、クラシックなど音楽グループを結集して幹事校にする。
次に、東武沿線の大学の音楽クラブに呼びかけて
「埼玉東部・学生音楽連盟」を作る。
獨協大、共栄大、平成大を初め、日光線、伊勢崎線沿線の音楽サークル・部を結集。
そして、合同演奏会、2〜3大学、あるいは単独の発表会を開催する。
女子大の音楽サークルなら大歓迎。
これを目当てに男子学生が大挙してやってくる。
町は、若者の姿であふれる。
そうなると、西口にも彼ら相手の「こじゃれた」店舗が出現することになる。
さらに、も少しましな町並みに整備する必要があるだろう。
東武沿線の大学、ということになれば東武鉄道の協賛も可能だ。

映画にもなったように、高校生の音楽サークルも活発なようだ。
対象を大学から高校まで広げればさらに賑やかになるだろう。

東武動物公園駅は東武線が分岐する要地である。
すばらしい発表の場があれば、栃木、群馬の大学に呼びかけることもできる。。

学生ばかりでなく、団塊世代のバンド活動も盛んらしいから
彼らの発表の場としても提供できる。

例えば、寒い冬の日でも、
厚いコートに身を包み彼らが演奏するフォークミュージックを
ホットウィスキーを飲みながら聞く、というのも
なかなか素敵な光景だ。

アマチュアバンドの発表は原則・鑑賞無料だが、
ときにプロを迎えることがあるだろう。
チケット販売は「TMO宮代」がやればいいんじゃないの?
TMO宮代が企画し4月に鳴り物入りでオープンしながら
わずか半年でキーテナントが撤退した「るーばん宮代」。
これも宮代の「顔」になるはずだった。
現在、残った3店舗が細々と営業。
無残である。
なんとかしないと町の沽券に関わると、思うのだが。



この店舗企画にあたってコンサルタントが参加していた、と聞くから驚きだ。
一体何をコンサルテーションした、というのだろうか。
パールとライフという2つのスーパーが至近にありながら
同じような形態の店舗をキーテナントに据えた。
売り場面積は狭い、駐車場は使いにくい。
扱う商品に特徴があるかと思えば、それはなし。
値段は高い。
ネスカフェゴールドブレンドがライフでは890円
それが、ルーバンでは1300円。
少し高い、てなもんじゃない。
これでは客は寄り付かなくなる。
鮮魚専門店が単独で入れば状況も違っただろう。

この店のターゲットは誰だったのか?
もし、主婦層であるなら、店の作りがあれでよかったのか疑問。
例えば、彼女らのおしゃべりの場を提供しようとするなら、
物販店舗は道路に面し、喫茶コーナーは後ろだろうな。
昼間から集まってお喋りする図は、外からあまり見られたくないものだ。
さらに、ビルの中ならともかく1階の店に階段を上って入るといういのは抵抗がある。
気がついたら店の中、という作りが望ましい。
さらに、ログハウスのような店舗は、新しい村周辺には似合うが、
現在の場所では浮いてしまう。
いわゆる「モダン」な造りのほうがよかった。
コンサルタントのすばらしい提案でできあがった施設だが
生まれながらにして不幸な星を背負っていたのだ。
この件に関して、損をしていないのはコンサルタント。
TMO宮代の株を購入した人、町は少なからず傷を負っている。

TMO宮代には町の金が入っているのだから、
あらゆる機会をとらえて町の発展に寄与しなければならない。
役場の清掃請負もいいけれど、もっと視野を広げられないものか。

てな、ことで、思いつくまま書き散らしたけど、
何かの参考になれば…

11月7日(火曜日)
●立冬
あくまで暦の上だから。
年によって暖かかったり寒かったりする。
昼間は風が強かったけど、季節風ではなかった。
一気に庭の花水木の葉が散った。
朝夕の掃除が大変だけど、この葉は生ゴミと一緒に埋めると畑が豊かになる。
来年のためにしこしこやっております。

夕方、風が冷たくなった。
このまま「木枯一号」になるかと思ったが
いつの間にか止んでしまった。

夕方の月は、昨日同様丸く美しく輝いていた。
気分は平穏。
こういう一日の終わりも珍しい。

11月6日(月曜日)
●校長自殺
愛媛県新居浜市の県立新居浜西高校の政岡博校長(60)が自宅で首吊り自殺。
原因を究明しているが、同校も必修科目の履修逃れの疑惑があり
これを苦にしての自殺だろう。
同校は愛媛県内で有数の進学校だという。
先日も茨城だったかで、同じような事件が起こった。
このような形で責任をとるくらいなら、
初めから手に染めなければよかったものを。

役人、政治家がらみの大掛かりな事件では、
手を汚した中間管理職が職場のビルから身を投げて
事件をうやむやにすることがある。
黒幕はそのまま生き延びている。

今回の高校の履修問題では、学校のトップが死を選んだ。
しかし、学校のトップではあるが、
教育制度という大きなワクの中では、校長など下っ端だ。
この制度を押し付けたのは、どこか?
「ゆとり教育」などど口当たりのいい名前をつけて休日を増やした。

この影響をモロに受けたのが、都道府県の有名進学校。
つまり、頭のいい奴らが通う学校だ。
学校も生徒も国立、有名私立大学入学を目指して勉学している。
休日が足かせになって、期間内に満足のいく受験指導をしようとすると、
受験に関係のない学科が邪魔になる。
それで、都合のいい口実をでっちあげた。
校長初め担当教諭は確信犯。
生徒は薄々感じていているから共犯。

ルール破りをした現場の最高責任者が自ら命を絶つ。
無理なルールを作った中央官庁、文科省だが、の役人が黒幕だ。
彼らは「ちょっと無理があったかなぁ…」位の認識だろう。
死んだ校長は、机上の空論から生まれた理想論、の犠牲者なのだ。

学校生活を楽しみながら、偏差値の高くない大学へ
そこそこ入学者を出している高校や、
就職する生徒の多い高校では、きちんと履修する、という
皮肉な現象を起こしている。

●時代劇
昨日、一昨日と時代劇のスペシャル枠があった。
学校で歴史を履修していない生徒でも
こういう番組には興味を示すのかね?


4日「仕掛人 藤枝梅安」フジテレビ午後9時〜10時54分
ご存知、池波正太郎の人気小説。
テレビドラマシリーズ「必殺仕置人」のファンも多かった。
勧善懲悪という安心して見ていられる展開と工夫を凝らした殺人法。
それに、池波正太郎の食にこだわった描写はつとに有名。

往年のドラマでは、今をときめく国際スター渡辺謙が演じていたけど。
今回は岸谷五郎演じる梅安。
梅安のなじみの女に、獅童の最近の相手「高岡早紀」がおりましたね。
日陰の女役が相変わらず似合っておりました。
梅安の派手な衣装。
食事のシーンは「湯豆腐」が多かったけど
「蕪(かぶら)汁」は、小蕪を刻んだ味噌汁。風呂吹き大根。
当時の庶民の食べ物はそのまま現代に生きております。

ドラマの筋はど〜ってことないから省く。

コマーシャルでは3枚目が多い岸谷だが
このドラマでは闇の稼業のシーンでは
ライティング効果もあって、凄みのきいた顔つきになる。
この落差がいいですね。
また、悪の側の道場主を演じていた俳優だが名前は度忘れ。
以前、信長をやったことがあった。
狂気をはらんだ目つきがよかった。
雰囲気が渡辺謙に似ている。
もっと成長してもいいと思うのだが、今回のような役で
番組紹介のリストにも載らないのは残念ですね。


5日「信長の棺」テレビ朝日午後9時〜11時24分。
織田信長の伝記「信長公記(しんちょうこうき)」の著作者太田牛一が
本能寺で非業の死を遂げた主君の死の謎を解く、という歴史ミステリー。
加藤廣の同名小説のドラマ化という。
元総理、小泉純一郎氏の愛読書としても知られているそうだ。
(へ〜〜)
主人公の牛一に松本幸四郎、信長はTOKIOの松岡昌宏。

本能寺で死んだはずの信長の死体が発見されていない。
なぜ?小説を書こうと思ったの発端はここにあったのだろう。
義経だって、蒙古に逃れジンギスカンになった、という伝説もあるのだから。
信長の場合は、本能寺には地下道があって南蛮寺に通じていた。
彼は最後まで従った小姓の森蘭丸とそこから逃れた、というもの。

牛一はその地下道の所在を突き止めたのだが、
何者かに塞がれていて、そこで信長は自刃した、というもの。
では、その遺体はどこに埋められているのか…

幸四郎は歌舞伎の人だから所作は決まっており
重厚な演技をしているのだが、なぜか堅苦しい。
もう少し自然なテレビ向けの演技ができないものなのか。

家臣は主君の非情・気まぐれに恐れおののいていたというのに
牛一はなぜ、ひたすら主君を慕うのか?

信長、生存のおり、牛一を呼び「金平糖」を与えたり
隣に呼んで扇で顔を隠し牛一に何事かささやく。
主君と重役以下の男がこんなに接近できたものか?
信長は、牛一のどこにそれほど惚れ込んだのか?

世に伝わる信長のイメージからかけ離れているのが、まず、奇異に映った。

信長からアゴで使われ、それに従順に従っていた藤吉郎が
内心、主君を恨んでいた。
本能寺の抜け穴を塞いだのは、実は羽柴筑前の差し金だったのだ!

野心的な「サル」が、唯々諾々と信長の命に従っていたのはなぜ?
彼が主君に一矢報いるために何かをしようとすれば…
そんな思いが、小説家のミステリー魂をゆさぶったのかも知れない。

歴史に「if」は禁物、というが、
この小説は、信長は、ちゃんと死んでいるのだから
セオリー破りをしているわけではない。
信長をとりまく群像の心理劇なのだ。

ところで、ドラマでは牛一を信長の「書記」と紹介しているが、
当時はそんな役名はなかった。
では「祐筆」(ゆうひつ:武家で記録を受け持った職)かと思えば、
それは誤り、とされている。では、何者なのか?

織田家家臣柴田勝家の下に仕えるが、弓の腕を認められ、織田信長の直臣となる。
側近として、政治的手腕をもって内外の諸問題を広く治める。
本能寺の変の際には近江国の代官を務めており、
変後に丹羽長秀に二千石をもって仕えたが、後に豊臣秀吉に召し出され、
文禄2年には弓大将として肥前名護屋に在陣。翌3年、明使の接待をつとめ、
慶長3年の醍醐の花見では秀吉の愛妾三ノ丸殿の警護を勤めた。
慶長18年(1613年)3月、病死。
子孫は孫の宗古が前田利常に仕えて以来加賀藩士として続いた。

という、武人なのだ。
しかも、文才に優れ、『信長公記』『安土日記』『大かうさまくんきのうち』などをしたためた。
信長公記は、事実のみを客観的に記した歴史的資料として貴重である。
織田信長を題材とした資料は小瀬甫庵が手がけた信長記などもあるが、
フィクション性が強く、資料としての信憑性には欠ける。

という、歴史的価値のある文書だ。

「信長公記」自体は、江戸時代初期に成立。
牛一の日記を元に作られたようで、一部を除き非常に正確な内容となっているため、
信長の足跡を辿るには無くてはならない史料とされている。




時代劇の俳優はかなり掛け持ちをしている。

NHK「功名が辻」、フジ「藤枝梅安」、テレ朝「信長の棺」。
わずか2日間のドラマでそんな俳優が何人かいた。
「巧妙が辻」と「信長の棺」の掛け持ち派は、
浅野ゆう子:NHKでは秀吉の妻、テレ朝では信長の側室。
NHKで家康の家臣がテレ朝では石田光成。
フジで梅安の同業者がテレ朝では明智光秀。

こんな具合だった。

5日の「功名が辻」は「関が原の戦い」。
西田敏行の「家康」が存在感がある。
肝心の山内一豊は疲れて精彩を欠く。

というわけで、土日は「日本史」漬けでしたね。

11月5日(日曜日)
●満月

5時。かなり暗い。
レジーナはライトアップされていた。
その脇に丸い月。
そんなに寒くない。
たぶん空は薄曇だろう。
月の光が冴え渡っていなかったから。
ことによったら…家で昔ながらの暦で確認した。
「望」とあった。



ニュースがフセイン元イラク大統領に「死刑」判決と、伝えた。

●気配り
・相手を非難しない
・考えの違いを認める
・相手の欠点を無理に変えようとしない
・プライドを傷つけない

新刊書の紹介の脇にあった内容の一部ね。
熟年離婚を回避するための生活の知恵らしい。
「ちょっとしたコツですれ違いを解消」とも書いてあった。

お互いにこういうスタンスで生活すればうまくいくんだろうか?

なんとなく、無関心。
空気のような存在。
という感じがしなくもない。

これは、ご近所との付き合いにも言えるかもしれない。
「親しき仲にも礼儀あり」
「相手の生活に必要以上に立ち入らない」
これが長続きさせるのだろう。

11月4日(土曜日)
●東京ローズ

アイバ・郁子・戸栗・ダキノ。
戦後、アメリカで反逆罪の烙印を押され収監。
1977年フォード大統領の特赦で市民権回復。
2006年9月26日、シカゴにて脳卒中のため死去。90歳。

市民権回復後の貴重な映像があった。
アイバ・戸栗のインタビュー映像 Click-->

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有償版ではなく、右側の無償版を入手しましょう。
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●バタ炒め
朝、採取した椎茸を夕食用にフライパンで調理。
バターで炒め、塩胡椒と仕上げに醤油少々。
おいしくいただきました。


●実況中継
TBS「六輔その新世界」
本日はオヘア国際空港のJALシカゴ支店から生中継。
私の数少ない海外旅行で2度訪れたことのある町だった。
もう10年以上になる。
当時からダウンタウンの個性的な高層ビル群に目を見張ったが
今はさらに開発が進んでいるのだろうな。

※ネイビーピアからのダウンタウンの眺め

聴取者からの便りが紹介されていて
「ぜひ、どこどこに行ってみてください」というのが多い。
科学産業博物館だったか、六輔氏はUボートの実物が展示されていることを伝えたが
私も、それは見ているし中にも入った。


それより、黒人女性の人体標本の話しがない。
(その後、それに触れていたことがわかった)

それは「人体スライス」として展示されている
胴の輪切りと垂直に切り下ろしたもの。
輪切りはCTスキャンに色がついたようなものだ。
生ハムに似ている。
垂直切りは脊柱も断面になっている。
人間1体からは、そんなことができないので
犠牲になったのは2体以上。
古いものらしいが、その日、肉は食べる気にならなかった。

さらに、「戸栗商店」。
先日亡くなった東京ローズこと「Iva Toguri」の父上がやっていた、日本商品の雑貨店だ。
「東京ローズ」を書いたドヴス・昌代さんが
そこで店番をやっていた「アイバ」に会っていた。
彼女亡き後、
今、その店はどんな親戚の人が店を守っているのか、聞いて欲しいものだ。


さらに、「警察博物館」
これは、ダウンタウンでなくサウスにある。
観光コースから外れ、あまり治安のよい場所ではないので
日本人はあまり訪れない。
倉庫みたいな外観で、その中は
シカゴギャング隆盛だった1920年代の展示が面白い。
映画「グリーン・マイル」でおなじみの電気椅子、
改造拳銃、アル・カポネの写真などに興味をそそられるだろう。


さらに、フォックス・リバー上流のステーキハウス。
名前は「HideAway」。
林の中にぽつんとあるこの建物は、
アル・カポネがシカゴを我が物顔にしていたころ
犯罪を犯してはここまで逃走していた「隠れ家」だった。
距離的には銀座−江ノ島くらいある。
2階で、裏切った仲間を虐殺したそうで、
支配人は今でも、その霊のポルター・ガイスト現象があると、真顔で言っていた。

永六輔氏も、せっかくシカゴまで行ったのなら
ありきたりの観光コースではなく、
こういうクセのある場所まで足を伸ばしていただきたいものですね。


ついでに床屋まで体験。
ヒスパニックのおばさんが手際よくGIカットにしてくれた。
真冬だったので、頭部の寒さが身に沁みた。
シカゴの冬は半端ではない。

●やたっ!
ジョンの散歩を終え、玄関のドアを開けるとミミが待っている。
家猫の彼女は完全な籠の鳥。
だが、2〜3度脱出しているから、外の空気のにおいを知っている。
だから、「次は私の番よ」と言っているのだ。
彼女を腕の中に収めバックヤードに行った。
ていねいに雑草を刈り込んだところに枯葉が積もっていた。
水仙や鈴蘭、紫蘭が咲くあたりに
椎茸の榾木が4本横たわっている。
もう期限切れだと思い放置してある。
ところが、である。
大きな椎茸が2つもできていた。
ミミを膝の上に移動させ、それを摘み取った。
彼女は突然、体勢が変わったので異常を感じてもがき始めた。
椎茸を取る、ミミが逃げないように抱きしめる。
2つの動作をすばやく同時にやるのは
楽なことではなかった。
獲物をもってそのまま家へ直行。

わずか3〜4分で終わってしまった
朝の散歩にミミは不満そうだったが、
お尻をふりふりリビングに消えていった。

今夜は、採りたてをバターで炒めませう。

●茅葺の家
田舎の風景からどんどん消えてゆくのが藁葺きの家。
どこの地方都市、さらにはもっと奥まった場所に出かけても
都会と変わらない家が並んでいる。
余裕の敷地を生かした、都会よりお洒落な家も見かける。
藁葺、茅葺の家は郷土資料館で余生を送っている、という始末なのだ。

もっとも、都会人が旅行先でそれを嘆いてもはじまらない。
その土地の人だって、文化的な生活を営むことは憲法で保障されているのだから。
東武鉄道の鬼怒川の先は野岩鉄道、またその先は会津鉄道)。
揺られ揺られてゆくと、眼下に藁葺きの家が並んだ場所を通る。
地名は度忘れしたが、昔の交通の要所だったらしい。
山間の村らしく、近代文明から取り残された風情だが
今は観光の名所なのだ。
倉敷、川越、栃木など、江戸時代からの町並みが残っている都市も
蔵の街、掘割の町、小京都。小江戸などと観光資源にしている。
会津鉄道のその場所も、藁葺きの家並みが保存されていたので町興しに使っている。

大和ハウスの企業広告。
屋根のてっぺんに草が生えた農家。
コスモス道を行く女学生。
キャッチ:
「屋上緑化、という言葉が生まれるはるか前から、その家は建っていました。」

ふむふむ。
道はアスファルト舗道だが、老朽化した農家。
藁葺きの家の屋根に草が生えた家つ〜のは
意識的にそうやっていたんかね?

広告のボディコピーによると、「芝棟(しばむね)」といって
小鳥が運んだ草の種が芽を出し、藁のしまりをよくして、さらに保温・断熱効果がある。
先人の知恵はすばらしい、みたいなことを書いている。

私の子供の頃の記憶では
屋根に雑草の生えた家は、葺き替えをする余裕がなくて
家運の衰えた家の象徴だったのが。
「ぺんぺん草が生えた」は「荒れ果てた」の意味でもある。
写真の家も衰退気味だもんな〜。

宮代には立派な郷土資料館がある。
そこに、まだ百間村といっていた江戸時代からの茅葺の家が移築されている。
なんでも、この地域の名主の家だとか。
その屋根が最近葺き替えられた。
表面が芸術的に刈り込んであり、それは美しい。
芝棟などというものはなく、
家屋内で煮炊きする際の煙の排出口になっている。

茅葺、藁葺の家は葺き替えたばかりの美しい造形が
その最たるものだと思う。

芝棟などにしなくても、あのテの屋根は保温・断熱性に優れている。
だから、今朝の広告を見て思ったのが
「あの貧乏くさい家を、なんで屋上緑化に結びつけるのか。無理がある」だった。
そもそも、屋上緑化はビル建築において行われることが多い。
陸屋根の個人住宅でも取り入れる人はいるけど。
通常の切妻屋根の木造住宅で、屋上緑化など可能なのかな。

ハウジングメーカーは、先人の知恵に学ぼう、と言いたいのだろうが、
「芝棟」と「屋上緑化」を結びつけてアプローチしたのは
よくよく考えると、外見上は類似しているが、
策におぼれた感があるのではないかな。

●思い出した2
「父親たちの星条旗」で、擂鉢山に星条旗を打ち立てた
6人の兵隊のうち3人が戦死した。
戦友がまだ硫黄島をはじめ太平洋地域で戦っているのだが
生き残った残った3人は急遽本国に戻り
国家のために働かせられる。
つまり、「第7回戦時国債」の販促キャンペーンだった。

ヨーロッパ、太平洋に兵隊を送り込んだ米国は
膨大な戦費が必要だった。
それを国民から調達するために、硫黄島の英雄を利用した。

擂鉢山の頂上に立った兵隊たちの名前は特定されていた。
あの、国旗のことだが、兵隊たちの証言で当時の状況が克明にわかっている。
映画はそれを忠実に描いている。



日本軍の抵抗は弱まったとはいえ
物陰から銃剣をもった日本兵が飛び出してきて一人一殺をするかわからない。
巧みに隠蔽されたトーチカから機銃連射される危険もあった。
そんな中での国旗掲揚だった。
海兵隊員が中心だったが、たまたまそこに居合わせた衛生兵が加わった。
それが、映画の原作本「硫黄島の星条旗」の著者ジェイムス・ブラッドリーの父親
ジョン・ブラッドリーだった。
父親は生還した3人の最後の生き残りだったが、
当時のことを何も語らず他界した。
で、息子が当時のことを調べ始め本にして、
イースト・ウッドによって映画作品になった。

国旗の支柱だが、あれは金属製の棒だ。
よく、建築の足場に使うような形状をしている。
そのポールが、山頂にごろごろしていたのだ。
なぜ、あんなものが激戦地の、しかも山頂にあるのだろうか、と不思議だった。
米軍が運び上げたものではないだろう。
となると、米軍上陸の1年前から硫黄島を地下要塞化すべく
日本軍の工事が始まっていた。
擂鉢山の山腹にもトンネルが掘られていた。
その工事の残骸が山頂に散らばっていた、と考えるしかない。



国旗を打ちたてながら
戦死した息子の最後の様子を知りたがっている母親たちがいた。
その女性のファッションと表情を見ていたら
ノーマン・ロックウェルを思い出してしまった。
彼はイラストレーターとして国民に圧倒的な人気がある。
自信に満ちた古きよきアメリカの人たちを達者な筆致で数多く描いている。

※非常にリアルな描写。独立戦争、南北戦争、騎兵隊、第一次大戦、第二次大戦の兵士たちが
戦地に赴こうとしている。戦意高揚に用いられたのだろう。

そんなわけで、彼を調べてみた。
ことによったら、兵隊たちのイラストレーションもあるのではないかと思ったから。

生まれは1891年(明治27年)。
日本では日清戦争が始まっている。
翌年、エジソンが映画を発明。1898年には米西戦争が始まり
米国が勝利しフィリピンとグアム島を領有した。
つまり、アメリカが海外領土に野心を抱き植民地主義が始まっている。
国力は増大し自信に満ちた時代だった。

1920年に悪名高い禁酒法が敷かれ、ギャングが跋扈する暗黒社会もあった。
彼は29歳で仕事も油がのってきた頃だろうが、
そんな暗さを感じさせる作品はない。
アメリカの良心のようなもので貫かれている、
1978(昭和53年)84歳でこの世を去っている。

年譜によると、第二次世界大戦時は多くの戦争に関する絵を描いている、とあった。
息子を戦場に送り出す家族の肖像などがあるのではないか、と思った。
が、そういう作品を置いてあるWebサイトはなかった。
ノーマン・ロックウェル美術館にさえなかった。
軍服姿かと思ったら、ボーイスカウトだった。

あらためて彼の作品を見ると、
人間に注がれる視線が暖かい。
月面着陸といった作品もあったが
親子、子供同士、夫婦、恋人、町の住民などをモチーフにしたもののほうが
各段に優れている。
ユーモア、ペーソス、ほほえましさ、思いやり、などが感じられる。
国家や国民の心に余裕のあった、やっぱり「よき時代」のアメリカなのだ。



映画は、激しい戦闘シーンが多い。
あるとき、衛生兵のジョン・ブラドリーは負傷した兵隊を治療していた。
すると、日本兵が背後から忍び寄ってきた。
「やらなければ、自分がやられる」
彼は、慣れない手つきで日本兵を殺害する。
そして、負傷した兵隊の手当てを続けた。

一方で殺し、一方で助ける。
矛盾した行為を平気でやらなくてはいけないのが
戦争なのだ。

11月3日(金曜日)
●文化祭
たばこを買いにコミュニティセンター進修館までひとっ走り。
自販は中にある。
館内では町民文化祭が開催されていた。
この催しを見るのは初めてだった。
町内の文化サークルが日ごろの腕を披露していた。
廊下も、2階も、ホールも人だかりがしていた。
旧庁舎跡地で商業祭が開催されていた。
3時まで開催しているのだが、
まだ、それまで1時間もあるのだが、ほとんど物品は売り切ったと言っていた。

見知った顔があった。
商工会の「宮代餃子」責任者だった。
販売所を聞いた。
今のところ「新しい村」と生産工場の2箇所であるという。
工場へ直接買いに行けば安いそうだ。

進修館のツタが赤く染まっていた。
今回のイベントをもって主なものは終わる。
これから厳しい季節がやってくる。

●GUCCIビル
銀座にCUCCIビルがオープンした。
全フロアCUCCI一色というのは世界初だそうで、
いかに日本市場を重視しているかの証左。
場所はどこかと思ったら
銀座近鉄ビルを取得したそうだ。
あそこは、ガラガラだったもんな。
銀座4丁目交差点から日比谷方向へいった最高の立地。
和光もおちおちしてはいられない。

銀座通りは満杯状態だから、晴海通りがこれから発展するだろうな。
築地、歌舞伎座周辺、数寄屋橋、日比谷にかけて立派な通りになるだろう。
日比谷通りは銀座通りの建築高度制限(銀座ルール)の
適用外なのだから、有楽町、数寄屋橋、日比谷に高層ビルが林立するかもしれない。
帝国ホテルを凌ぐような建物がね。

日本市場に熱い視線を送り続けるGUCCI。
一見聞こえがいいけど、ヴィトン、ブル狩り(あらら、ブルドックハンティングみたい)
ブルガリ、エルメス、コーチ、クリスチャンディオールをはじめ
欧米有名ブランド店が軒を連ねる、ということは
日本人がこのテの商品にいかに弱いか、ということ。
彼らのいいカモなのだ。
おばさん、若っぽいミセス、女子大生、女子高生まで
同じ柄の茶色のバッグを持っているのは、異常な光景だ。

実は私のある場所でのハンドルネームがGUCCIなのだ。
「Oh!GUCCI」であると聞けば、ぬわ〜ほどと思っていただけるかも知れない。
パソコン通信時代は、飲兵衛だったから、単純に「Drunker」だった。
今でも、当時の人たちと会うと「ドランカーさん」と呼ばれる。

でも、GUCCI製品はキーホルダーはじめな〜〜んも持っていない。

●宮代餃子
つい最近、ある寄り合いで初めて口にした。
なかなか美味だった。
決してバカにしていたわけではないが、見直した。
大きすぎず、かといって後楽苑ほど小さくはない。
半透明の薄い皮。
静脈が透けるようにグの野菜の緑が見える。
ほどよく焼きあがった焦げ目。
皮のカリカリ感がいい。
一口食いちぎると、適度にジューシーな肉と野菜のハーモニー。
クセのない肉の味。
肉のくさいにおいが強いものを出す店があるけど、
そういうところには次から足を運ぶ気にはならない。
地元産、これは、いけますよ。

地名を頭につけたもんだから、
つい、王道をゆく「宇都宮」を思い出してしまう。
1昨年、マロニエ並木を見に行ったついでに駅近くの餃子屋に入った。
有名品だから、と期待した私が馬鹿だった。
ころっとした小ぶりの子豚のような姿。
皮が厚い。
飲茶の小さな饅頭のような感じ。
味も印象に残らなかった。
「名物に旨いものなし」とはよくいった。

期待はずれ、はなはだしく、
その名のついた餃子は口に運ぶまいと思った。
だが、どうも違うらしいのだ。
うまい店は駅近くではなく、
これこれの場所にある、と教えてくれた人がいた。
ことによったら「観光餃子」を食べたかもしれないのだ。

今度は、町にもっと分け入り
まともな店を探すことにしよ〜〜っと。

●炬燵
5年後(だっけ?)に現行テレビは使えなくなる。
家電店へ行けば液晶、プラズマ…薄くて大きなテレビが売り場を独占している。
映像は美しく迫力がある。
値段もどんどん下がっている、という。

最近、地デジ用のアンテナを立てているお宅を見かけるようになった。
でも、わが家は今のところ無縁である。
昨年だったか、共同アンテナが引き込まれ
やっと難視聴地域から脱却できたばかり。
越して11年、ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと映りの悪いテレビを見せられていた。
買ったばかりのSONYワイドサイズテレビも悲惨だった。

SONYトリニトロンもやっと本領を発揮しはじめた。
いま、美しく映る画像をしみじみと眺めているのですよ。
だから、液晶が美しいから、と簡単に買い換えるわけにはゆきません。
縁あって家にやってきたSONYが可哀相じゃ〜あ〜りませんか。
昔は大のSONY党だった私としては、大事に扱ってやりたい、という思いもある。

なにより、喜んでいるのがミミですね。
彼女はこの家の寒暖をよく知っている。
もう、私のふとんにもぐりこんでくるし、
夕方以降、テレビの上が炬燵代わりになっている。
もし、薄型テレビになったら、彼女の居場所がなくなるもんね。
でも、テレビのこういう置き方はよくない。
壁から離さないとね。
でも、可愛いミミちゃんがよければいいの。
壁から離すと熟睡した彼女がころがり落ちる。
いまは、壁に足を突っ張らせて、筐体の凸部分を枕に
ご機嫌なのだから。

●飛来
以前、東武線で板倉東洋大前あたりを通過していた頃だったろうか
右側の車窓にいくつもの熱気球が浮かんでいるのを見たことがある。
実物を見たのは初めてだった。
感激しましたね。

風の具合で、とんでもない方向へ飛んでゆくこともあるらしい。
以前、隣町へ流されて墜落したようなニュースがあったかも。

2〜3日前、動物公園でバルーンが低い位置で浮遊していた。
あら、どこからか迷いこんだのかな?
だが、バルーン体験の遊戯施設のようだった。
時おりバーナーに点火、ふんわり舞い上がったと思ったら
また静かに下りてゆく、という動作を繰り返していた。

今朝の新聞で、渡良瀬遊水地が
バルーン愛好家のメッカになっているということを知った。
板倉東洋大駅は渡良瀬遊水地への入り口だった。
先日出かけた古河市の川向こうだ。
大利根側から入れば、格好なサイクリングコース。
まもなく、冬枯れが広がる雄大な草原風景となる。
暖かな日にふらりと行ってみようかな。

11月2日(木曜日)
●思い出した
10月31日に観た「父親たちの星条旗」
1つ書き忘れていた。
艦艇で硫黄島に向かう兵隊たちがラジオ番組を聞くシーンがあった。
それが、なんと「ゼロアワー」だった。
NHKの短波放送で、かの「東京ローズ」が担当していた、あれである。
アイバ・トグリの声は少ししゃがれているのだが、
映画から流れてくる声はそれほどではなかったので、アイバではないのだろう。
これがIvaToguriの肉声-->
彼女は「Orphan Ann」を名乗っていた。TokyoRoseとは米兵がつけたニックネームで
複数の女性アナたちの総称で、Iva ToguriがTokyo Roseであったわけではない。


※放送中のIvaとゼロアワーを聞く米兵

甘く切ない音楽のあいまに軽いお喋りが入る。
「あなたが、今こうしている間も、本土に置いてきた彼女はほかの男といちゃついている。
あなたが戦死したら2人で葬式に顔を出すでしょう」
正確ではないが、こういう不安な気持ちをかきたてイライラさせる
あるいはホームシックにさせる内容だ。

硫黄島は攻撃を始める前、連日の艦砲射撃と飛行機による攻撃で
日本軍の抵抗はほととんどないだろう、と思われていた。
ノルマンジー上陸の際の緊張でひきつった顔は、硫黄島の海兵隊員にはあまりなかった。
「ゼロアワー」を聞く余裕があった。

ところが、この島が米軍に攻撃されることを察知した日本軍は
前年から島を要塞化すべくトンネル工事を開始していた。
硫黄島の名前の通り、掘ると硫黄が噴出し工事は難航したという。
しかし、少しを残して出来上がった。
ここに、大砲、高射砲、榴弾砲、機関銃を配し満を持していた。
20数台の戦車も配備されたが、島内を走り回ることは無理ということから
車体を埋め込んだり、砲塔を外して対峙することにした。
オリンピック馬術で活躍したバロン西は戦車隊長として参戦したが
ここで戦死している。
守備隊司令官の栗林中将は、
敵が海岸線500m進んだら攻撃を開始する、という作戦をとった。
弾を無駄に使わない、必殺の戦術に出たのだ。

そんなことを知らない米軍は、おびただしい水陸両用車で上陸を開始した。
恐る恐る砂浜に到着したが、何の攻撃もない。
ほっとしながら、進むはじめると迷彩されたトーチかから
機関銃が一斉に火を噴き、多くの犠牲者を出した。
擂鉢山の砲台からは、湾に集結した舟艇を大砲が狙う。

さらに、日本軍は硫黄島に空から海から特攻を仕掛けていた。
ゼロ戦はもちろん、鈍足な陸式1攻なども参加していた。
水中からは回天が攻撃していた。
これは、12月公開の「硫黄島からの手紙」の世界でした。

●喝采
女優の竹内結子が夫の中村獅童に離婚届を送付していたという。
早急に判を押せばよし、もたもたしてると高額な慰謝料を請求する、と強硬姿勢。
かなり、意志の強い女性のようだ。

映画で共演し、手の早い獅童が竹内を孕ませた。
で、電撃結婚となったわけだが、ここにきて電撃離婚は避けられない模様。
獅童の女癖の悪さは有名で、共演女性と浮名を流すことを常套手段としている。
竹内も、そうして彼の毒牙にかかったわけだから、
獅童が相手に何をするかはよ〜〜く知っている。
最新の相手は高岡早紀ということだが、
高岡は竹内と同じ事務所の先輩で、それが竹内の不快感をあおったという。
高岡早紀は決して美人の部類じゃないけれど
男を誘惑しそうな退廃の気配を感じさせる女性だ。
ドラマや映画の役柄も遊女や妾がよく似合う。


JRのテレビコマーシャルで、なかなか雰囲気のあるダレンとだな、と
密かに注目していた、その人が竹内結子だった。
あっという間に、獅童にさらわれたが、今回また独身に戻る。
いい女をあの野郎に独占させておくことはない。
めでたしめでたし。

11月1日(水曜日)
●冬子様変身

松井冬子様は、日本にこんな人が棲息していたのかと思わせる美人なのだ。
初めてお目にかかったのが新聞で
和服をお召しになった横顔だった。
そして、今回は洋装である。
かなり濃いメークをしているが大きな目が印象的だ。
洋服を着ていても、洋物というより和物イメージが漂っている。
未来的というより時代的なのだ。

江戸時代にもこんな雰囲気の美人がいたのではないかと思わせる。
浅草ではなく日本橋あたりを粋な着物に身を包み
すれ違う人が見返っている、そんな思いにさせる。

職業は日本画家である。
「夜盲症」、「切断された長期の実験」「浄相の持続」
作品のタイトルがむずかしい。
従来の日本画の概念を超越した世界が広がっている。

●要地
最近、めっきり電車に乗ることが少なくなった。
映画といえば日比谷、有楽町だったが、今、幸手シネプレックス。
往復の交通費、映画代、食事などで1回の外出が最低1万円だったが
いま、車で往復、食事は家。で、2人で2000円ぽっきり。
例年、暮れになると手帳を購入するが、伊東屋だったので銀座へ出かけた。
帰りは、昔在籍した広告代理店に寄って同期入社と話し込んだが
いま、定年延長の連中もいなくなった。
それに、ジョイフル本田の2階へ行けば、伊東屋も少しはびっくりの品揃え。
手帳を求めるため、わざわざ銀座に出かけることもないだろう。
自転車で出かければ交通費ゼロ。
都会の汚れた空気を吸わずにすむし
足腰を鍛えられ、健康にもいい。

万事、こんな具合なので電車とも「ほぼ、おさらば」状態。

今朝、「東武動物公園駅」の時刻表が折り込まれていた。
通勤ラッシュの朝7時台の上り本数がみごと。
24本。2〜3分間隔である。
従来の浅草だけでなく、
日比谷線、半蔵門線、田園都市線と相互乗り入れをしているので
中目黒、東林間、長津田まで行けてしまう。
もっとも、時間は非常にかかるけど。

隣りの和戸、杉戸高野台になると
7時台の本数は半分以下と、極端に減る。
東武動物公園駅は日光線と伊勢崎線の分岐駅のため
ダイヤは恵まれている。
駅舎も立派だし、構内も最近「エキナカショップ」が
リニューアルオープンして、少しはおしゃれになった。
と、ここまでは東武線の要地としての体裁は整っている。

が、駅を出て1歩町に踏み入れると
旧態然とした町並みが迎えてくれることになる。
どこかノスタルジックなのである。
「いま、昭和が熱い」と騒がれているけど
それは映画、雑誌の中だけにしていただきたい。



以前、NHKで群馬県の「ブラジル村」が紹介された。
ブラジルから出稼ぎに来た人たちの比率が突出しているのだ。
富士重工のある「西小泉」だった。
さっそく、見学に行った。
東武伊勢崎線館林から小泉線に乗り換え終点だった。
駅の出口は1つだった。
周囲には高い建物がない典型的な地方の駅だった。
駅前広場は広くタクシーが何台か客待ちをしていた。
ポルトガル語の旅行代理店があった。
駅の周囲にはスーパー、家電店があったが日葡併記。
スーパーといっても生鮮食品は扱っていなかった。
店内の空気のにおいが、日本のそれとは違って「外国」していた。
すれ違う若いカップルは、顔は日本なのだが
おしゃべりは母国語だった。

大通りの左右が商店街で、
逆方向へゆくと大きな公園があって
みごとな街路樹が大きな木陰を作っていた。

西小泉は周辺の館林、太田、伊勢崎と比べれば小さな町だ。
昔は中島飛行機、今、富士重工の企業城下町なのだろう。
町には法人税が落とされる。
だから、立派な公園もあるんだろうな。

駅前の閑散具合がわが町に似ていると思った。
だが、あちらは東武伊勢崎線の支線。
こちらは、2つの路線が分岐する要地である。
それにしては、発展することを忘れた、というより
発展することを拒絶しているような案配なのだ。
だから、西口、東口、どちらに降りても
ノスタルジックな感慨にとらわれてしまう。



「東武動物公園駅」は昔は「杉戸」だった。
歴史の長い駅にふさわしく
機関区や操車用地が駅周辺に広がる。
時代の流れとともに、その役割は縮小され
雑草が生えている土地もある。

また、東武系列の東武動物公園もある。
ある意味で、東武鉄道の「旗本」のような町なのだ。
であれば、「将軍家」と手を携える、というより
「将軍家」に「歩み寄り」、「さまざまな提案を行い」
この町を「活性化」する必要があるのではないだろうか。

一時期、「東武本社」をこっちに移転する運動、というのが
あったような、ことを聞く。
西武鉄道本社が池袋ではなく、所沢にあることを思えば
墨田区ではなく、宮代町にあってもおかしくない、という発想なのだろうか。
しかしこれは、常識的に考えても無理だろう。
所沢市に相当する宮代町では自治体規模が比較にならない。

状況を見極め、可能性のあるプランでなければ
「労多くして益少なし」という結果になる。

●驚愕
構造計算偽造のいかさま野郎、姉歯秀次へ求刑が行われた。
な、何と!「懲役5年、罰金180万円」とは軽いことこの上ない。
検査機構、建築会社、販売会社を巻き込み
何よりの犠牲者は、その物件を購入した人々だ。

当初は、病気がちの妻のために金がかかり、などと
家族をだしにした大嘘をついていた。
この妻も後に自殺。
だが、実際は、外車を2台所有し女につぎ込むなど、
自分の欲望を満たすための偽装、と判明。

不自然な頭髪で登場したかと思えば
あたかも、反省しているように、頭を丸めた。
あんなのは、ただ「ズラ」を外しただけじゃないの!

それより腹立たしいのが
すべて他人事のような顔つき。
濡れ衣をきせられた
篠塚明・元木村建設東京支店長は
げっそりやつれてしまっているというのに、
奴は、顔の色艶がよく
罪の重さなどまるでわかっていないようだった。
「煮ても焼いても食えない奴」とは、姉歯のことだ。

諸悪の根源が、懲役5年、罰金80万の微罪とは!
この国は平和だわ。

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