田舎三昧の生活と意見1月版

<--田舎三昧の掲示板

2012年1月
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29 30 31             


■Contents

01痛烈パンチ
  元日広告
02箱根駅伝
03初詣
04忙中閑あり
05サイマル放送その後
06ミスマッチ
07My Way
08きずな
09成人の日
10CES
11のらりくらり
12冒涜
13Jobs復活?
14客船座礁
15センター試験
16早くも失言
17空中サーカス
18野菜直売所
19NAZI映画
20日本の一番長い日」
21文句なしに面白い
22名作映画とリメイク版
23今風、恋愛?
24権力の座
25謀議
26黙示録
27The Life Of Adolf Hitler
28ドイツ映画「スターリングラード」
29下調べ
30ヒトラーの秘密兵器
31フランス侵攻


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Last Modified 2012/01/31
First Uploaded 2003/09/01


1月31日(火曜日)
●フランス侵攻
ナチスドイツは矢継ぎばやにオーストリア、チェコ、ポーランドを併合した。
次の目標はフランス。
第一次世界大戦の屈辱を果たそうとヒトラーは作戦の先頭に立った。



一次世界大戦に一兵卒として参加したヒトラーは、
士官学校出でもなく、参謀の教育を受けたこともないので
国防軍の将官たちから「伍長あがり」と軽く見られていた。
だが、彼の作戦はことごとく成功するので、一目置かざるを得なくなった。

フランスはドイツとの長い国境線に強固な要塞マジノ線を構築していた。
このため、正面攻撃にはゆとりをもって臨めると考えていた。
だが、ドイツは第一次世界大戦以来の対峙する戦法には苦い経験があった。

このあたりはレマルクの小説「西部戦線異状なし」に描写されている。
いわゆる「塹壕戦」で両軍が、長い塹壕を掘ってにらみあうというもの。
この戦いでタンクが登場し毒ガスも使われた。

一進一退もなく狭い塹壕で長期戦になるので「塹壕病」が発生し
戦うことなく兵力を消耗する。

ナチスドイツはこれを回避するため「電撃戦」という新しい戦術を編み出した。
戦闘機、急降下爆撃機で前線を攻撃、攪乱し、
戦車を主体とした機動部隊が戦線を切り拓き、歩兵がなだれ込む。
対ポーランド戦で成功した戦法をフランス侵攻にも用いた。

フランス側もその辺は察知しており
マジノ線が切れるベルギーから侵攻するのではないか、という観測があった。
このため、フランス侵攻を阻止するためにはベルギー、オランダ、英国軍頼みだった。

第一次世界大戦で、世界初の戦車による機甲師団を編成したフランスだったが、
その後の兵器の開発が遅れ、兵隊の練度が低く、高齢化も進んでいた。



連合軍の予想通りナチスドイツはベルギー側のアルデンヌの森の湿地帯から国境を越えてきた。
A、B、Cの3軍による巧妙な作戦だった。
空挺部隊による落下傘降下や、
ヒトラー発案といわれるグライダーによるベルギーの平たん地への兵員輸送など
斬新な作戦で連合軍を翻弄する。

ベルギー、オランダ軍も英国の援軍到着までよく戦ったが
戦闘経験の豊富なドイツ軍の前にはなすすべがなかった。

次第に追い詰められ、結局ダンケルクから敗退することになる。
このあたりはジャン・ポール・ベルモンドが出演していた
映画「ダンケルクの戦い」に描かれている。

以前から不思議だったのは、
怒涛の勢いで連合軍を海岸線まで追い詰めたドイツ軍が
なぜ一気に蹴散らさなかったのか、ということ。

ドイツ軍の猛攻がなぜか止んで、
この間に35万人以上という英・仏軍が英国に脱出できたのだ。

原因は、ヒトラーが攻撃を一時躊躇していたことだった。
ベルギーには湿地帯が多い。
ここを機械化された重量級の機甲師団が通過できるかどうか自信がなかった。
ことによったら、足を取られてしまうのではないか…
3日間の逡巡が連合軍に幸いした。

フランスのシャルル・ドゴールもこのとき脱出し、
英国に自由フランス政府を樹立して
放送を通じて本国のレジスタンスに檄を飛ばすことになる。

こうして、連合軍は総崩れになった。
文化財の多かったパリは攻撃を避けるため無防備都市宣言を行い、
ドイツ軍は無血侵攻を行った。

このあたりまでが、ヒトラーの絶頂期。
だが、西部ヨーロッパを平定した彼はソ連を次の目標とする。
結局これが命取りとなって1945年4月自殺。



ドイツは第一次大戦同様、敗戦国となって体制の異なる東西ドイツに分割。
1989年ベルリンの壁が崩壊し、
1990年10月、東西ドイツ統一。
世界平和を乱したことにより長い苦難の道を歩まなければならなかった。

日本は、昭和16年12月、真珠湾攻撃で大戦に突入したが、
ここに至るまで、中国大陸で戦争を拡大していた。
大国アメリカを相手にしたのはいいが、
わずか半年後のミッドウェー海戦で戦局は転換する。
以後、何をやっても裏目に出て、昭和20年8月15日に敗戦。
わずか3年半で、明治以降日本が獲得した海外領土のすべてを失った。

ドイツ、日本とも敗戦後の経済復興は目覚ましく経済大国に成長した。
いま、ドイツはEUを牽引する国家として存在感を示している。
一方、日本は大災害、原発事故に見舞われ混乱状態。
さらにタイに進出した大企業の生産拠点は洪水により大打撃。

2重3重の試練の真っ最中だが、肝心の政府がこころもとない。
若葉マークで政権運営するが、明らかに器でない閣僚もおり、
日本の未来より政局に始終する。

明治政府樹立後、歴代内閣には政争が常に存在したが、
当時の大人の目から見れば今日のような低レベルだったのだろうか?

1月30日(月曜日)
●ヒトラーの秘密兵器
戦争は皮肉なことに科学・化学技術の実験場と化す。

ヨーロッパに戦争を仕掛け敗北したナチスドイツだったが、
先進的な兵器の数々は、その後の科学の発展に大いに寄与している。

連合軍も新兵器を投入し戦場でその効果を試している。
ドイツを追われたユダヤ人のアインシュタイン博士は
米国で原子爆弾の理論を確立し、広島・長崎で実践利用された。

ナチスの新兵器V1、V2ロケット。
そのほかミサイル、ジェット機、ロケット戦闘機など革新的な兵器が開発され、
第二次世界大戦後の戦争で実用化された。

※大西洋を飛び越えアメリカ本土を核爆弾で攻撃するはずだった戦略爆撃機。
 日本にも「富嶽」という超巨大爆撃機の構想はあった。


※現代の「ステルス機」を思わせるナチスの無尾翼戦闘機。

他にも、敵国の経済を破綻させるための偽札、核爆弾、殺人光線、戦略爆撃機
空気中の窒素から合成ゴムを作るなど
戦争行使のためにさまざまな分野で画期的な挑戦をしていた。

ちなみに、ロケット戦闘機とジェット戦闘機の設計図は
潜水艦で日本に運ばれ、「秋水」「橘花」という名前で実験機が製作された。
「秋水」はB29迎撃機になるはずだった。
名機「零戦」も性能が古くなりジェット戦闘機に代わるはずだったが
物資はなく戦況は悪化する一方。
結局、テスト飛行だけで日本は敗戦。




「Hitler's Secret Science」は45分のアメリカ制作の
ドキュメンタリー番組。
V2に携わる姿と宇宙ロケット開発に携わる
フォン・ブラウン博士の姿がある。

※若き日のブラウン博士


※戦後アメリカに渡ったブラウン博士
アメリカとロシアはドイツのロケット科学者の争奪戦を行った。

1月29日(日曜日)
●下調べ
時代背景、兵器、軍装などの知識があると
戦争映画をより深く見ることができる。

便利なのが戦車や小火器、制服の図鑑だが、
最近は数多くの動画がアップロードされている。

「ドイツ軍の銃」は制作は米国だが、
NHK BSで昔放映されたらしく日本語版だった。
ルガー、ワルサーといった拳銃、機関銃などの故事来歴がよくわかる。
動画「日本軍の銃」もあるが、ナチスドイツの小火器にくらべ貧弱なのがわかる。








いくら武器が優秀でも戦線が伸びきって補給もままならず、
さらに、かのナポレオンも敗退したというソ連の「雪」。

歴史が教えているのに、同じ轍を繰り返している。

日本も貧弱な国力なのに北方、南方とも戦いの場を広げすぎた。

結局、ドイツ、日本とも同じような原因で敗戦国になったのだが、
指導者の欲望はブレーキがきかなくなってしまうのだろうか。
また、戦略立案を行う参謀など個々人は優秀なのだろうが、
集団となると、さまざまな力が働きあらぬ方向へ向かってしまう。
その結果、犠牲となるのは常に市民。

独裁国家は暴走の危険性をはらんでいるので
監視の目を向けなければならない。

1月28日(土曜日)
●ドイツ映画「スターリングラード」
2001年に公開された同名の映画があるが、
こちらはアメリカ、ドイツ、イギリス、アイルランド合作。
狙撃兵ジュード・ロウが赤軍政治委員により英雄に仕立て上げる。
途中、戦場の恋のさや当てなどもあるが、
ジュード・ロウの狙撃により痛い目にあったドイツ軍は
狙撃手育成学校の教官、つまりドイツ側の狙撃名手を送り込み対決させる。

やさ男のジュード・ロウに対しドイツ側は男っぽいエド・ハリス。
エドがごっ〜〜いい。
冷酷な手段を使ってまでジュード君をおびきよせる。
こうして心理戦・頭脳戦が荒廃したスターリングラード市街で繰り広げられる。

スペクタクルな戦闘シーンもあるが、二人の死闘のほうがよほど面白い。
DVDでコレクションしてもいいか、と思わせる。



一方、1993年に制作されたドイツ映画「スターリングラード」は、
過酷な戦場に送り込まれた兵士たちの苦悩が暗い画面でこれでもかと見せつけられる。

※オープニングタイトルはいたってそっけない

YouTubeでフルバージョンを見つけたのだが、
ドイツ人によるドイツ語の映画で、日本語・英語の字幕もない。
最高の臨場感だが、ドイツ語はからきしだめ。
戦闘シーンはともかく、
市街戦でビルに閉じ込められた小隊の兵士たちが
わめきあうシーンなどは、
これまでのなりゆきから推測するっきゃない。

それはそれで面白いのだが。

これまで欧米で制作されたナチ物映画は、
ドイツ兵はそれなりに勇敢だが結局敗走する物が多い。


※イタリアの保養地でつかのまの休養をとっていたが…


※スターリングラードへ赴くことになった


※列車内はまだ気分のゆとりがあった。なんせ、負け知らずのドイツだったから


※兵隊の予想に反し、スターリングラードはひどいありさま。


※銃殺隊という、いやな役割もまわってくる。
 いちじ身柄をかくまったロシア人の少年もいたのだ。


※ワルサーを口に加え、自ら過酷な戦いに別れを告げた兵士もいる。
 引き金を引いた瞬間、彼は反動でのけぞり壁に血と脳髄が飛び散り、前のめりになる。
 ドイツ人のリアリズム。

が、ドイツ制作の母国映画は招集された普通の兵隊たちが
赤軍の猛攻の前に恐怖にさらされる。
決して、いせいのいい兵隊ばかりでない。
戦闘シーンはすさまじいが、
戦争の悲惨さがズンと伝わってくる。
最後が上官の射殺や兵士のピストル自殺など、
壊滅するドイツ軍の姿が描かれている。

さらに、敗戦の原因になった雪との闘いも興味をそそる。



この映画、日本でも上映されたらしいが
あまりにも地味な作品なので客の入りが悪く、
早々に打ち切られたという。

しかし、戦争映画ファンには評価が高いという。
制服、軍装、兵士の髪型、小火器、など考証も確かで
ストーリ以外にも細部に目を凝らせば、ということだろう。



この映画で広く知られるようになった
フォン・ヴィッツラント少尉役のトーマス・クレッチマンは、
その後『戦場のピアニスト』では主人公のユダヤ人ピアニストを救った
実在のヴィルム・ホーゼンフェルト大尉、
『U-571』ではUボートの艦長、
『ヒトラー 最期の12日間?』ではエヴァ・ブラウンの妹の夫
ヘルマン・フェーゲライン親衛隊少将を演じるなど
年齢を重ねるごとに役柄も出世している。

どうりで、どこかで見た顔だと思った。

日本語版のDVDがあるらしいので、ぜひ借りねば。

1月27日(金曜日)
●The Life Of Adolf Hitler
原題はDAS LEBEN VON ADOLF HITLER。
ドイツで制作された1時間37分のドキュメンタリー映画。
しかし、ナレーションは英語。


第一次世界大戦敗北後のドイツでは
小さな政党が乱立していた。

伝令兵として大戦に参加し負傷、
勇敢な働きに鉄十字勲章を受章したヒトラー。
敗戦後はわずかに残った軍の機関で政党の調査を行っていた。

そのうち弱小政党の国家社会主義労働党に興味を抱き入党する。
アジ演説のうまさを買われたヒトラーは、
短期間のうちに出世の階段を駆け上る。



映画は、ヒトラーの出自から画学生の頃の作品を紹介しながら、
成功から破滅までを、すべて記録フィルムで作成してある。

彼の演説上手はよく知られており、
この映画でも随所に登場する。






短い演説は初めから手を振り上げダミ声を張り上げて吠える。
長い場合、演出される。
初めは静かに喋りはじめる。
言葉が切れると万雷の拍手。
それが終わるまでじっと待つ。
十数秒ののち観客は、ハッとする。
会場は水を打ったように静まる。

おもむろに彼は口を開く。

演説は熱を帯びてくる。

次第に声の調子は次第に大きくなり
身振り手振りも活発になる。

髪を振り乱し完全に彼の世界に入り込む。

聴衆は彼の仕掛にはまり
熱にうかされたようになってくる。

催眠状態。
まるで新興宗教。

ドイツ語だから内容はわからないが、
深淵高邁な内容ではなく
民族の優秀性とか世界一の国家になるとか
単純なことを繰り返すというのが手法らしい。

ヒトラーが鏡に向かって演説の練習をしているフィルムがある。
声の調子と腕の上げ下げ、左右に広げる。
指先の曲げ方など入念にチューニングしている。
まるで、舞台俳優のようだ。



映画はヒトラーの絶頂期から
ソ連侵攻バルバロッサ作戦の失敗により
ソ連軍の猛攻でがれきの山となったベルリンで終わっている。


※大勢の国民に熱狂的に迎えられる、絶頂期のヒトラー


※公式に撮影されたヒトラー最後の姿。


※強力なリーダー像を演出していたが、実は菜食主義。
カップを持つ小指が妙に女性っぽい。
愛人、エヴァ・ブラウンは女盛り。ヒトラーのナイトパワー不足を嘆いていた。

兵隊は精悍な顔つき。
ナチスの記録映画はみんなこんなふうだ。


※NAZIの精鋭たち。


※る足の上げ方は、北朝鮮が真似している。ナチスドイツ同様、独裁国家だから。

が、実際は気の弱い奴もいる。
新生ドイツ制作、映画「スターリングラード」には
そんな連中が出てくる。
一種の反戦映画となっている。

巨漢の美食家にして絵画コレクターのヘルマンゲーリングも
側近としてたびたび登場する。

※右がデブのゲーリング

かなりおしゃれで軍服も他の将官と違い、特別仕立てのものを身にまとっている。

第一次世界大戦では空軍のエースだった彼は敗戦で失業。
戦闘中の傷を癒すため用いたモルヒネの中毒で超肥満体になった。
北欧に逃げていたときに知り合い結婚した
貴族階級出身のカリン夫人同伴シーンがちらっとあったのが
めっけもの。

それと、突撃隊粛清に参加した
ゼップ・ディートリッヒSS上級大将も登場する。

珍しいシーン満載の貴重な映画だ。

1月26日(木曜日)
●黙示録
昔、ベトナム戦争をテーマにした「地獄の黙示録」という映画あった。
1979製作。フランシス・コッポラ監督、マーロンブランド主演。
単なるドンパチ映画ではなく、不思議な世界が展開されていた。
原題は「Apocalypse Now」

「アポカリュプス」と発音するが、受験用英単語で暗記した覚えはない。
「黙示録」とは?
辞書を引くよりインターネット。

新約聖書の一番最後の書。ヨハネ黙示録、ヨハネによる黙示、ヨハネへの啓示などとも。
旧約聖書などに見られる黙示文学と同系統であり、
新約聖書の中では唯一の予言的な色彩を持つ部分である。
終末予言の一種であり、地上に訪れる災厄と神の王国の再臨を描く。
終末的な記述や人間の絶望的な状況の記述がある場合に
用いられていることがよくある。

ふむふむ。
そ〜ゆ〜ことなの。



YouTubeで「Apocalypse The Second World War」という
ドキュメンタリーを見つけた。
「黙示録:第二次世界大戦」
まさに、地球レベルで終末的な争いが繰り広げられた。

全6話、1回あたり約46分。

1話:侵略
2話:敗北を打ち砕き
3話:衝撃
4話:世界炎上
5話大上陸作戦
6話:焦熱地獄
アメリカで制作された。
ナショナル・ジオ・グラフィックかもしれない。

ナチスの台頭、ヨーロッパ侵攻、北アフリカ戦線、ロシア侵攻、
枢軸国、連合軍、太平洋戦争、ドイツ敗走、日本軍の抵抗、
ドイツ降伏、原爆投下、日本敗北…

第二次世界大戦勃発から終結まで
豊富な記録フィルムを駆使して編集されている。
しかも、部分的にカラー映像。

初めて見るものが多い。
ナチスはドイツ人的勤勉さであらゆるシーンを克明に記録していた。


さすが戦勝国アメリカ。
ソ連側やレジスタンスが撮影したものと思われるシーンも多い。
ことによったら映画のフィルムも使っているかもしれない。

※ムッソリーニ、ヒトラーに会う。北アフリカ侵攻について話し合う。


※カメラを構えるロンメル将軍。カメラはドイツ製ライカ。
戦前の日本では家1軒が買えるといわれたほど高価だった。


※英国へ単独講和のため飛び立った副総統ルドルフ・ヘス。
この行動にヒトラーは激怒しすべての肩書を剥奪した。


※ユダヤ人の死体に、さらに銃を向けるドイツ兵


戦闘シーンを記録するドイツ兵。カメラは本格的。

全部見終わるまでそれなりの時間がかかる。
いつになっても2月が始まらない。

1月25日(水曜日)
●謀議
英語でConspiracy(コンスピラシー)。
この題名の2001年製作アメリカ映画があった。
日本未公開(たぶん)

※アメリカではビデオが発売されている。

YouTubeにもアップされているが、
断片的な紹介でフルムービーではない。
約1時間半の作品はVeohで見ることができる。



全編、軍人と官僚と党の責任者の会議場面。
じつに面白い映画なのだが日本語吹き替えなしつ〜のが玉にキズ。
ドイツの話しなのに英語というのはアメリカンスタイル。
「ハイルヒットラー」だけがドイツ語。発音はいい。



何の謀議かというと、
15名のヒトラー政権の高官が集まり、
ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した会議で、
「ヴァンゼー会議」の名で知られる。

1942年1月20日、ベルリンの高級住宅地グローセン・ヴァンゼー街にある
親衛隊の所有する邸宅で開催された。

会議の開催に関わる完全な文書記録と会議の議事録が焼却されずに残っていたため、
その全容が知られることになり、ニュルンベルク裁判でも重要な証拠となった。

会議の議事録はアドルフ・アイヒマンが作成したとされる。

映画も事実に沿って参加した高官たちの発言を再現している。
が、貧弱な英語力では内容を理解できない。
微妙な発言の数々がわかればいいのだが。



議長はヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終的解決を任務とする
国家保安本部の長官ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将。
進行役は国家保安本部 秘密警察局 第IV部ユダヤ人担当課長、親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。


※左がハイドリヒ、右がアイヒマン。



参加者は
ハインリッヒ・ミュラー、国家保安本部 秘密警察局々長、親衛隊中将
ゲルハルト・クロップファー、党官房法務局長
フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリツィンガー(Friedrich Wilhelm Kritzinger)、総統官邸局長
オットー・ホフマン、親衛隊人種・移住本部、親衛隊中将
ゲオルク・ライプブラント(Georg Leibbrandt)、東部占領地省局長
アルフレート・マイヤー(Alfred Meyer)、東部占領地省次官
ヴィルヘルム・シュトゥッカート、内務省次官
マルティン・フランツ・ユリウス・ルター、外務省次官補
エーリヒ・ノイマン(Erich Neumann)、四ヵ年計画省次官
ルドルフ・ランゲ、ラトヴィア地区SDとSipo指揮官代理、親衛隊少佐
ヨーゼフ・ビューラー、ポーランド総督府次官
カール・エバーハルト・シェーンガルト(Karl Eberhard Schongarth) 、
ポーランド総督府SDとSipo指揮官、親衛隊上級大佐
ローラント・フライスラー、司法省次官

これだけの部局を串刺しにした統合会議だから話は早い。
いわゆるドイツ人スタイルなのだろうが、
大量殺戮というものすごい内容でも事務的に処理される。

東日本復興計画も見習って欲しいが民主党の力量と発想力では無理かも知れない。



ハイドリヒを演じた俳優の名はわからないが、本人より目が大きい。
本人は身長が高く面長。目は小さく、目と目の間隔が狭い。

彼は海軍出身だが、航空機に興味があり、
SSに入隊後飛行訓練を受け操縦が可能になった。
映画では、参加者は車でやってくるのだが、
彼だけはセスナのような軽飛行機を操縦して登場する。

1月24日(火曜日)
●権力の座
クリント・イーストウッド監督の「フーバー」の伝記映画が
ディカプリオ主演で間もなく封切られる。
FBIを創設した男で、歴代の大統領からも恐れられていたという。

昭和初期のドイツではNAZIが台頭していたが、
組織が肥大化するにつれ中身がぎくしゃくし始めた。
ヒトラーはハインリッヒ・ヒムラーに警察権力を与え、
再編成を行った。

ヒムラーの部下にラインハルト・ハイドリヒがいた。
彼はドイツ海軍の下士官だったが、女性問題で不名誉除隊。
その後、縁あって親衛隊に入り次第に頭角をあらわしてゆく。
執務能力と企画力はハイドリヒを凌ぐといわた。

ヒトラーの信任も厚く
やがてユダヤ人絶滅計画を主導する。
そのための会合が有名な「ヴァンゼー会議」。
進行役がアドルフ・アイヒマンだった。

手腕を買われたハイドリヒは占領地チェコの副総督となる。

チェコは軍需産業が盛んでナチスドイツへ数多くの武器を供給していた。
しかし、労働者のサボタージュなどで生産効率は低下していた。
ハイドリヒは飴と鞭をたくみに使い分け生産量をあげることに成功。

ハイドリヒを危険視した英国と在英チェコ亡命政府は暗殺計画をたてる。
7名のチェコ兵が潜入し暗殺は成功する。
1942年6月4日、満38歳だった。

有能な高級官僚を失ったヒトラーは激怒しヒムラーに犯人の徹底捜査を命じる。
暗殺チームと彼らをかくまった人々を探し出し即決裁判で処刑。
住民すべてが殺された村もあった。

連合軍のナチ高官暗殺事件はこの1件のみ。
報復のすさまじさを恐れたからという。



YouTubeでハイドリヒのドキュメンタリーを見つけた。
ヒトラー好みの金髪碧眼。
軍服が良く似合う。
豊富に残されたフィルムや幼少時の写真などを豊富に使い編集されている。
ドイツ語なので内容はさっぱりだったが
人物を下調べしていたのでだいたいのことはわかった。



こういう遊びをやってると、時間ばかりが過ぎてゆく。

1月23日(月曜日)
●今風、恋愛? おと・な・り
動画サイトVEOHには国産ドラマも数多くアップロードされている。
YouTubeも同様だが、こちらは分割されていることが多い。
で、長編を1回で見ようとするとVEOHということになる。

今回は2時間近い映画で「おと・な・り」という日本映画。
予備知識なしでさまよっていたら引っかかってきた。
2009年5月16日公開。
主演はV6の岡田准一と麻生久美子。
ジャニーズと言われても顔と名前が一致しない。


※子供がいるとは思えない


※スタジオでSONYのデジイチを構える

そのままディスプレイにへばりついているわけにもゆかず、
とりあえずダウンロードしておいた。

主人公はカメラマン。
スタジオシーンが多い。
プロは仕事ではCanonかNikonを使うのかと思ったら
彼はSONYだった。
昔はポラロイドで撮影して確認したものだったが、
今はデジタルカメラだから、その場で即見られる。
SONY・VAIOのデスクトップ。
しかも、画像・動画用にチューンナップされた高級機が置かれていた。
エンドロールに協力SONYの名があった。

本人は風景写真を撮りたいのだが
食うためのファッション写真で業界には名が知られていた。

陰のある役なのか、優柔不断という性格設定なのかわからんが、
表情は暗いしせりふもはっきりしない。

地方から出てきて都内のアパートに住んでいるのだが、
隣りには花屋に勤める女の子が住んでいる。
彼女はフラワーデザイナーを目指している。
1級の資格をとり、さらに腕を磨くためフランス留学を目指す。

レトロなアパート、壁が薄く物音は筒抜け。
とてもじゃないが住めたもんではない。
が、この映画の重要な舞台装置だ。
二人をつなぐ歌が「風を集めて」
これ、重要。

最後に意外な展開が待っている。
このときのために、1時間半以上冗漫なシーンをつき合わせられる。



とりあえず最後まで見たが、
「運命の人に出会うまでの等身大ラブストーリー」といううたい文句。
30歳オーバー同士の古風な愛の形。
若い連中の評価はいい。

先の短いおっさんにはまどろこしい。

麻生久喜子は最近CMでよく見かけるが、
清潔感のある庶民的な美形で好感はもてる。
自然体の演技もいい。
千葉県山武郡産。

1月22日(日曜日)
●名作映画とリメイク版
「DIE BRUCKE」
ドイツ語で「橋」
オリジナルは1959年に製作されたモノクロ映画。
リメイク版はカラーで2008年ドイツのテレビ局Pro7が製作。


※半ズボンの子供たちが


※軍服で米軍と戦闘

敗色濃いドイツの地方都市。
中学の同級生(旧制だから実際は高校生)が招集される。
配置されたのは、自分の町に通じる橋の死守。

16歳を過ぎたばかりの子供たちは
国防軍の制服を着てわずかな武器で守りにつく。

日本の「軍国少年」同様、国と愛する郷土を守るという使命感に燃え嬉々としている。

やがて米軍の先遣部隊がやってくる。
少年たちは、はじめは「戦争ごっこ」のように
相手を倒すたびに歓声を上げるが
仲間はつぎつぎに死んでゆく。



日本語字幕つきリメイク版はYoiTubeで9分割されている。
モノクロのオリジナル版はVeohで見ることができる。日本語字幕付き。
オリジナル版はYouTubeにもあるが、ドイツ語か英語字幕なので歯が立たない。

オリジナルは反戦映画の傑作といわれている。
中学生の他愛ない遊び、親子関係がていねいに描かれる。
ろくな訓練もうけていない子供たちが、
なぜ自分の町の橋を守ることになったかもわかる。

リメイク版と合わせて見れば
さらに興味が深まるだろう。
両方とも1時間30分。
寝不足覚悟。

オリジナル版の最後に、
1945.4.25年の戦闘は
あまり小さなできごとなので公式記録には掲載されていない、と
テロップが流れるが、事実を元に製作されているようだ。

1月21日(土曜日)
●文句なしに面白い
「10.11への道」。


世界貿易センターに2機の旅客機が激突したのは2001年9月11日。
その後、独立調査委員会が原因を追究した。
この報告書や数々の出版物、関係者へのインタビューをもとに製作された
ドキュメンタリータッチのドラマ。

9.11同時多発テロ事件がなぜ起きたか。
合衆国政府はどうしてそれを防げなかったのかに焦点を当て、
テロ発生の8年半前から遡り、ドキュメンタリー・タッチで描いた大作ミニシリーズ

首謀者はビン・ラディンに率いられるアルカイダのテロリストたちだが、
ドラマは10.11の8年半前、貿易センター地下駐車場の爆破テロから始まる。
アルカイダの犯行で、このときも、地下の基礎部分を破壊して
ビルの倒壊を目論んでいたのだ。

ドラマは、CIA、FBIの捜査官、政府高官、アフガンの過激派が多数登場する。

前編、後編あわせて約4時間という大作だ。



あの事件はテレビで中継され
高層ビルに飛び込んでゆく旅客機や、高層階から落下する人々を
冷酷に伝えていた。

その後アフガンの勢力争い、米国への反発などがマスコミを賑わせ
多数の書籍が発刊され、映画化もされた。

このフィルムは2006年に製作され、
日本ではWOWWOWで放映されたようだが、
いま、ネット上で見ることができる。


原題は「THE PATH TO 9/11」

「ロード」としなかったのは意味があるのだろう。
大義のある行為は「ロード」で、
例えば日本の敗戦を描くとき
「THE ROAD TO 8/15」とすれば
アメリが原爆を使用したことを正当化できる。
しかし、日本から見れば口実にすぎない。

「パース」は小径、裏道。道筋。
イスラム原理主義者たちが世界各国で繰り広げてきたテロだが
これらが、9.11に集約されたもので、米国から見れば、卑劣な行為だ。
従って彼らのテロには大義がない。

しかし、テロ側から見れば、アメリカはイスラエルを支援しアラブ系を抑圧している。
従って、アメリカを攻撃することは彼らの大義なのだ。

過去の戦争で米本土が攻撃されたことはない。
しかし、アルカイダは米本土を戦場化することが最終目的だった。

8年半前の貿易センタービル地下駐車場爆破では、
目的を達成できなかったが、
警戒の目をそらせるように、
フィリピン、パキスタンでテロを行い、
1998年にはケニア、タンザニアの米国大使館爆破。
2000年には中近東にいた米艦を襲撃している。

その間、アメリカにテロリストを送り込み、
飛行機の操縦訓練をさせている。



アルカイダの本拠、カンダハル付近は
GoogleEarthでも見ることができる。
緑の少ない荒廃した山地だ。

いつ風呂に入ったのかもわからない
頭部を布で巻いた髭面の男たちが訓練にいそしむ。

風体は「アラビアのロレンス」時代のものだが、
破壊寸前の岩屋でパソコンを扱う姿が奇異に映る。

タリバンの対抗勢力が、当時は「北部同盟」。
リーダーは「マスード」。
この名前もアフガン紛争ではよく聞いた名前だ。
だが彼は暗殺されてしまう。
マスコミは詳しくは伝えなかったが、
このドラマでは殺害の模様が赤裸々に映像化されていた。



危険がアメリカ本土に迫っていることを感じ取っていた
初老のFBIの捜査官が主人公。

あるとき、携帯電話に出るために離席。
極秘書類の入ったカバンを紛失してしまう。
責任をとるため職を辞す。
次の就職先が貿易センタービルの保安主任だった。

しかし、忍び寄る危機を阻止することができなかった。



ときは流れ2011年。
9.11から10年後米国は宿敵ビンラディンを殺害。

これで対米テロを根絶できるとはだれも思っていない。
イスラム過激派は、さらに知恵を絞り形を変え波状攻撃をかけるだろう。

アメリカ型正義を異教の地に押し付けることなどしょせん無理のだ。
イスラム世界はアメリカ建国のはるか昔から
ムハンマドの教えが暮らしに根付いているのだから。

唯一の例外は、日本だけど。



インターネット画像だから画質がいまいち。
DVDがあれば、そちらでぜひもう一度見たいものだ。

1月20日(金曜日)
●日本の一番長い夏
ドキュメンタリーでも映画でもない
不思議な感じの映像だった。

原作は歴史探偵団、半藤利一氏の「日本の一番長い夏」。
ドキュメント小説というようだ。

昔「日本の一番長い日」という映画があった。
これは、ポツダム宣言を受諾した日本が
放送用に吹き込んだ天皇の玉音レコード盤を
戦争継続を叫ぶ陸軍の若手将校らが奪い去ろうとするものだった。
結局、成功せず天皇陛下万歳を叫びながら自決する佐藤允の姿が
脳裏に焼き付いている。

一方、「日本の一番長い夏」。

半藤一利(当時、文藝春秋編集者)が企画し
戦後18年後の1963年(昭和38年)6月20日、
東京の料亭・なだ万で約5時間にも渡り交わされた
28人による敗戦を振り返った座談会が開かれ、『文藝春秋』8月号に掲載された

※映画「日本の一番長い日」は、これをもとに昭和42年に作製されたようだ。

今回観たのは、1時間50分の大作。
NHKが民間製作会社との初の国内共同制作したもので、
NHKBSハイビジョン・ハイビジョン特集で
2010年7月31日に放映され、
2010年8月7日に劇場公開された。



こういう作品があったことは、
もちろん知らない。

シーンのほとんどが料亭の大広間。
そこに、27人の男性と1人の女性が集まり、
当時のことを話す。
司会、半藤一利氏と速記の女性2名。


大使、外務官僚、陸軍大将、海軍将官、参謀、下士官、ジャーナリスト、兵隊、看護婦、

政治家、首相秘書官…
立場も違えば玉音放送を聞いた場所も違う。

それぞれの人物を演じるのはすべて俳優としては素人。
従って「文士劇」と称されている。



還暦を過ぎた演出家が息子家族とともに墓参をする。
「プライベート・ライアン」のようなシーンから始まる。

その彼が、父親から戦争の話をほとんど聞いていなかったことから、
終戦前後のことを調べはじめ
図書館で文藝春秋の「日本の一番長い日」と出会う。
これに触発され、座談会形式の映像を作ることを思いつく。



敗色濃くなってきた日本は
当時、不可侵条約を結んでいたソ連を仲介に連合国との
和平交渉を進めようとしていた。
が、すでにヤルタ会談の秘密協約で、
スターリンは日本侵攻することになっていた。

それを知らない日本は、
やがて牙をむけることになる「ソ連頼み」というアホな外交をやっていた。

若手将校の暴発を恐れ、徹底抗戦という姿勢をとらざるを得なかった陸軍や、
陸軍に押されっぱなしの弱腰海軍の
いさぎよさの欠如が原爆を2発も落とされる結果となってしまった

また、戦争指導者会議でも結論が出ず、
最後は「聖断」を仰ぐということで
天皇の意見を聞くことになった。
「統帥権」を盾に天皇を操り好き勝手なことをやってきた軍部だが、
最後は天皇に責任を押し付けるというかたちとる卑劣さ。
しかも、うわべだけは「国体護持」という
きれいごとで天皇を守ろうとする狡猾さ。

当時の国家のリーダーの無責任体質は
いまも受け継がれているのかも知れない。

内閣組閣にあたり宮中で天皇の承認を受ける姿を見ると、
個々の事案に口を出さない最終責任者がいるおかげで、
朝令暮改のようなマニフェストしか作れない
拙い政党でも大手を振っていられると、ね。

12月19日(木曜日)

●NAZI映画
YouTubeをさまよっていたら、
面白そうな映画に遭遇した。
2007年製作「アイヒマン」。
1時間40分の作品。

アドルフ・アイヒマンはナチスの親衛隊中佐で
ユダヤ人虐殺に深く関与していた。
敗戦後、国外脱出。
アルゼンチンに潜入、リカルド・クレメントと名乗る。
1960年5月イスラエルの諜報機関モサドにより身柄を拘束される。
15年の逃亡劇だった。
オウムの平田は17年。


※子供の頃からユダヤ人に似た風貌を気にしていた。

※イスラエルで裁判にかけられる

映画はイスラエルの刑務所内のアイヒマンと
彼を取り調べる警部の物語。

彼は毒殺を恐れていた。
食事には2人の監視人が同席するが、
自分の皿を選んだあと、
食事の直前に監視人の物とサッとすりかえる。
もう一人の監視人が口に運ぶ瞬間に、それを奪う。
そんな食事スタイルを繰り返していたようだ。



尋問は7か月に及んだが、
アイヒマンは「上からの命令に従っただけ、組織の歯車のひとつ」
「虐殺に手を下していない」という態度を崩さない。

尋問中のアイヒマンは慇懃無礼。
互いに胸中を探る心理戦だ。
汚職に関与した高級官僚とはたぶんこんなものなのだろう。


※ユダヤ人輸送計画では優れた才能を発揮していた。

警部がつかんだ証拠から、
SS中佐という権力を握っていた時代の人間関係が暴露される。

なかでも、ハンガリー貴族の女当主と懇ろになり
彼女の歓心をかうため、金のペアリングをプレゼントするのだが、
地金はユダヤ人から没収した貴金属か、
ガス室で死亡したユダヤ人の金歯から作られことが暗示される。

彼女の命令ともつかない懇願により
ユダヤ人から強奪した乳児を彼女の前で射殺する。


※疑うことを知らないかわいい赤ちゃんだったが


※拳銃を向けられると、泣きそうな表情に変わる


※貴族のを女とお揃いの金の指輪をしたアイヒマンは、ワルサーを・・・


※一瞬、ためらいをみせるアイヒマン


※女主人の貴族は、遺体は犬に食べさせ残りは畑に埋める、と冷たい視線を向ける


※銃声一発。たまたま入室した事務員は顔をひきつらせた

警部をサポートする調査チームは焼け残ったSS文書から
アイヒマン署名入りユダヤ人虐殺の命令書を見つける。
すると、アイヒマンはあっさり認めてしまう。

1962年6月1日絞首刑(56歳)

制服を着たアイヒマンは権力をバックに命令を無批判に遂行。
刑務所で罪状を認めたアイヒマンは、
残される子供たちを気遣う普通の男に変貌。

どちらも同じ人物なのだ。

アイヒマン型の人物は現代社会にも存在する。
特に政治家、高級官僚に。

1月18日(水曜日)
●野菜直売所
お隣り、春日部市の内牧地区に野菜直売所誕生という。

相変わらず気温は低いが風もないので足慣らしのポタリング。
春日部から白岡に抜ける幹線道路沿いにあった。
片側1車線。トラックが多く、しかも飛ばすのであおられる。
20分程度で到着。



昨年10月オープンという直売所。
昼も近いというのに品物が少ない。
野菜少々買い込む。

近隣の杉戸、五霞、白岡、旧庄和にも直売所があるが、
わが町のそれは、かなりいいセンをゆくと思うが
唯一の欠点は、麺類を食べられる常設施設がない。
こじゃれたスナック風はあるのだが、
サンドイッチ、カレー、ジュースなどを提供するのみ。
客層を考えれば、
彼らが何を好むかわかりそうなものだが。

1月17日(火曜日)
●空中サーカス
近所で古い鉄塔の付け替え工事が行われている。
大正時代に設置された年代物の鉄塔なのだそうだ。

新しい鉄塔はかなり背が高くなっている。
骨組みは組み終わり、ケーブルを張っていた。






先端部分に数人のプロがへばりついている。
仕事とはいえ一番寒い時期の高所作業。
落下事故はロープとカナビナで守るのみ。
サーカスなら下にネットが張ってあるのに。
見ている方は手に汗握る。

この送電線は「猪苗代新幹線」というらしい。
東北から都内の電力供給をしているのだろうか。

1月16日(月曜日)
●早くも失言
新任の田中防衛大臣が、沖縄普天間基地のことで「年内着工」などと
沖縄県をないがしろにした「ひとりよがり」発言。
前任者も不適任な発言の数々で更迭されたのに、またもや。
即、謝罪したが、軽率すぎる。

議員経歴は長いが、
かみさんの存在が強烈で影が薄かった。
初の入閣で舞い上がったか。

日米関係だけでなく、
中国、韓国、台湾、ロシアとの領土問題、PKOなど
懸案事項は山積みというのに、
こういう独断発言は危険極まる。

国際情勢に鋭敏なアンテナを張り
仕事をしていただきたいが、
この人、司令官というより屯田兵という雰囲気なのね。

1月15日(日曜日)

●センター試験

朝刊に昨日の問題がびっしりと掲載されている。
昔の得意科目でも解いてみるか、という気も起らない細かい文字だ。
毎年のことだが、受験生のご苦労を思う。

昨年は携帯を使った不正事件が発生したので、
大学、受験生ともに神経質になっているようだ。

入室前に携帯を提出させればいいと思うのだが、
1000人を超えるところもあるので実施不可能。
携帯電話の電源が入っているのが見つかったら即、退出という。

受験期の子供がまわりにいないので
最近の大学入試の仕組みがまるでわからない。

私の場合、私学だったが。
試験日に大学に行き答案用紙に書き込み提出。
試験は1日で終わり、後日発表を見に行く。
これだけのシンプルなものだ。

試験の記憶は全くないが、
同じクラスの合格組の伊豆大島旅行のほうを憶えている。
昨今の学生は学帽をかぶらないが、
写真にはそれぞれの大学の学帽をかぶり
嬉々としている数人の男が写っている。

1月14日(土曜日)
●客船座礁
13日夜、地中海クルーズ中のイタリアの豪華客船
「コスタ・コンコルディア」(乗客乗員約4200人)が座礁し6人が死亡した。





豪華客船の事故といえば、タイタニックを思い起こす。
タ号は沈没したが、コ号は岩礁にぶつかり
船底に穴があいたものの、
浅瀬のためゴロリと横倒しになっていた。
上空から見ると、岸に寄り過ぎで座礁は当然。



この船には43名の日本人が含まれていた。
幸い全員無事だったが、
驚いたのは、大事故もなんのその、
全員次の旅行地へ旅立ったという。

引きつった顔で当時の出来事を話す人たちが
テレビニュースで報道されたが、
その頃すでに、日本人は移動中とは…。

豪華船による船旅は贅沢な旅行の代表格で、
参加者はリタイヤ組と相場が決まっていた。
旅程の都合もあったのだろうが、
日本人の高齢者はタフである。
年金組は円高、ユーロ安を最大限に活用しているのだろうね。

そのうち、週刊誌が彼らを記事にするだろう。

1月13日(金曜日)
●Jobs復活?
ジョブズ様再来。
が、よ〜〜く見ると手がへん。

薄くなった頭髪、髭の1本1本が植えこまれ、
ジョンレノンスタイルの眼鏡も、
黒いタートル、ジーンズも超リアル。



そう、これは香港のフィギュア会社が発売したJobs人形。

全長30.4センチで、価格は99ドル。

欲しいな〜〜。

しかし、肖像権問題がどうなっているか???で、
幻のフィギュアとなる可能性大ということでもある。

1月12日(木曜日)
●冒涜
タリバン兵の遺体に放尿する米兵の動画がアップロードされた。
死体への冒涜。
米軍は操作を開始したというが、
新たなる火種になることはいうまでもない。

  
動画 <--Click

1月11日(水曜日)
●のらりくらり
小沢一郎の政治資金の裁判が行われている。

かつて田中角栄、金丸から政治資金の「錬金術」を学んだ若き日の一郎君だが、
4億円という大金の動きに「記憶にない」「知らない」を連発。
この「のらりくらり」が彼の心証をさらに悪くする。

この人、昔からダーティなイメージがつきまとっていた。
政治家というより政治屋で、
党の金を配分し、新党づくりに奔走する姿から
「天下国家」などとという言葉が出てくるのは似合わない。
そろそろ年貢を納たほうがいい。

日本はそんな利権屋にかかわっているときではない。

1月10日(火曜日)
●CES
コンシューマー・エレクトロニクス・ショーが
米国ラスベガスで開催されている。

家電・情報・通信・エレクトロニクスに関する総合展示会。
2000社を超える参加企業と、一般公開はされていないが
10万人を超える来場者(業者・マスコミ)を数えるアメリカ最大にして世界最大級の展示会。
過去にはビデオカメラやCDプレーヤー、プラズマテレビなどが世界で初めて公開された。

新聞報道によれば、日本の液晶テレビが話題をさらったのは
過去の話しで、今年は韓国、中国に注目が集まっているという。

成長著しいスマートフォンでも韓国は存在感を示すが、
Sonyが提携先のスエーデンのエリクソン社と資本提携を解消し、
Sonyブランドで発売する機種が展示されていた。
4インチ超の大型画面とスクエアなデザインがかっこいい。

Canonはコンパクトデジカメ、PowerShotの新機種を発表。
IXYは曲線を多用したデザインだが、こちらはスクエアタイプ。
機器としてのフォルムが興味をそそる。

注目は、Fujifilm。
レンズ交換式デジタルカメラ「FUJIFILM X-Pro1」を発表。
2月に米国市場で発売するというが、価格未定。
デジタル一眼の製品をもたないFujiは、
あえてCanon、Nikonとの競争を避け、
成長が望まれるレンズ交換式デジタルカメラで勝負する。



35mmフィルム時代のレンジファインダーカメラを思わせる外観。
ブラックマスクが精悍だ。
現在、交換レンズは3本の単焦点レンズを用意するというが、
順次ズームも登場するのだろう。

これで、主要メーカーでレンズ交換式デジタルカメラの
製品ラインをもたないのはCANONだけになった。

デジタル一眼でトップシェアのCANONは、
自社製品同士の食い合いを避けているのだろうが、
Nikonも参入したことだし、
当然モックアップはできているだろう。
今年の夏までにはアナウンスされるかもしれない。

ますます、デジタルカメラの世界が面白くなりそう。

1月9日(月曜日)
●成人の日
昔は1月15日と決まっていたのが、昨今は流動的。
つまり、腰がすわららずふらついている。

戦前の二十歳は、
内容のよしあしはあるが精神教育が確立しており、
戦場に散った若者たちはしっかりした文章を残している。

戦後の自由教育、さらに、ゆとり教育は、
多彩な個性を生み出したが、
タガの外れた若者たちも産み落とされた。

マスコミが伝える
傍若無人な若者群は成人式定番となってしまったが、
これとは対極にある、まじめな成人式、
例えば行政主導ではなく、若者が企画する
心温まる内容も取材していただきたいものだ。

本日の定番広告といえばサントリー。
山口瞳と柳原良平という
壽屋宣伝部のコンビが生み出した広告は名作だった。



山口瞳が亡くなり、
その後何人かコピーを担当したが
前作を超えるものは出なかった。
本年の「祝成人」広告も平凡だ。

今年は、伊集院静が書いている。
「孤独を学べ」

社会人としての心構えと、
法的には20歳から解禁される酒で締めくくる。

が、実際は飲酒、喫煙年齢は低下している。
本音と建て前のギャップを笑うのも成人式なのだ。


1月8日(日曜日)
●きずな
東日本大震災以降「絆」という漢字が
あちらこちらで見られる。

「絆、本来の意味は」という新聞コラムを読めば
一般に思われているのとは異なる解釈がある。

手もとの大修館書店「漢語林」によれば、
第一義は「牛馬などの足をつなぐなわ、物をつなぎとめるもの、
自由を束縛するもの」。
第二義が「つなぐ、つなぎとめる」。

三省堂「新明解第6版」では、
「動物をつなぎとめる縄の意」という元々の意から
「家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、
親しく交わっている人同士の間に生じる断ちがたい一体感」とある。

さらに、元来平等なるべき人間を、理由なく束縛し、
分け隔てするもの。階級意識、とある。

軍国主義に向かって国民の絆を強めていった結果、
悲惨な結末を迎えることになった日本。
この時代を知る人たちにとって、
現代の平和日本における「絆」は、
災害復興に使われているものとわかっていても、
苦味に近い感情がわき起こるらしい。

なにせ、「生き物の自由を束縛する紐」がもともとの意味なのだから。

1月7日(土曜日)
●My Way
フランク・シナトラの歌ではない。

オダギリジョーが主演する戦争映画。
「アジアからノルマンディーまで生き抜いた、真実の物語」
監督:カン・ジュギュ。
韓国映画だ。
一週間後にロードショー。

主人公は日本・ソ連・ドイツの軍服を着て戦ったという、
摩訶不思議な経験の持ち主。
しかも実話をもとに作られたという。
プライベート・ライアンを凌ぐ戦闘シーンというからそそられる。

が、ブローシャの写真がなんともおかしい。

国防軍の軍服を着たドイツ兵の中に
鉄兜を脱いだオダギリジョーがいる。
2人の兵隊はナチスの旗を手にしているが、
箱根駅伝で新聞社が配るような、ちゃちな小旗。
しかも、鉄兜をあみだにかぶり目はうつろ。

9人の兵隊は気迫がない。
まるで降参寸前。

バンド・オブ・ブラザーズの
オープニング画面に比べると見る気をそがれる。

渡辺謙の「上海」にも失望させられているしね。

1月6日(金曜日)
●ミスマッチ
数寄屋橋阪急にあった「相田みつを美術館」が
どういう経緯か知らんけど
都庁跡地に建設された東京国際フォーラムに移転。

3月4日まで東京国際フォーラム地下で
相田みつを没後20年特別企画展が開催されている。

詩人の魂 「金子みすゞと相田みつをの世界」

彼一人ならともかく、
「金子みすゞ」も相乗りさせられているのが
なんとも奇異ではある。

価値観が多様化しすぎ、さらに格差が広がり
生きにくくなった昨今、
「生きるとは、人生とは、命とは」といった根源的なことを
平易で斬新な視点で詠ったお二方だから
合同企画ということになったのかね?

「金子みすゞ」は大正末期に
地方の投稿少女が野口雨情に見いだされ脚光を浴びたが、
戦後は、ほぼ埋もれた存在だった。
縁者が所有していた彼女の遺稿が
児童文学者の目に留まり、
それを出版したところブレイク。
その後テレビドラマ化され、
昨年3.11後、企業TVCMの代わりに
彼女の詩を用いた公共広告「こだまでしょうか」が
連日連夜流れ続けた。

あれにはうんざりしたし、
CMに登場した仁科明子親子も
とばっちりを受けたという。

かくして、彼女は国民的童謡詩人となった。

魚、虫、草、土などの視点で
「命」「存在」をうたいあげる。
精神のビタミン剤なのだ。



一方、相田みつを。
「貪不安」(どんふあん)という雅号からも察せられるが、
いくら人間応援歌を作っても、
彼の本質は、ドンファン、
なんとなくうさんくさい。

仏の教えをとく僧侶が
にんにく、酒を好む俗物のようなものだ。

つまづいたって
いいじゃないの
にんげんだもの

自分の行いを正当化する以外のなにものでもない。

「いのちの詩人」「書の詩人」と称せられているらしいが、
「詩人」からも「書家」からも評価は低い。

1月5日(木曜日)
●サイマル放送その後
主要民放がPCで聴けるようになってだいぶ時間が経過した。
その後NHKも参入してラジオファンにはうれしい限りだが、
災害時の情報収集にも有効とあって、
「Radiko」アプリをインストールしたり、
「らじる・らじる」をお気に入り登録する人が増えているようだ。

ちょっと不便なのが民放とNHKが一元化されていないこと。
NHKは地震発生時、速報するが、
FM聴取時は音楽を中断することはない。

即、切り替えて聴ける方法は…

便利なアプリがありました。



「radika」

民放、NHKをはじめ北関東、東北の民放21局が網羅されております。
β版だけど、最近Verアップされて1.55.1になった。

インストールは簡単だけど、
圧縮データを解凍する場所によって
立ち上げたときの画面の見え方が違ってくる。

デスクトップに解凍し、起動すると
各放送局のロゴと聴取中の局にスピーカーが表示されるのだが、
「radika」フォルダーを
例えばMyDoccumentに移動し、
ショートカットをデスクトップに配置すると、
各局のロゴとスピーカーマークは表示されない。

初回のインストールでこの失敗をし、
2度目はMyComuputerに解凍し
ショートカットをデスクトップに作成。
これで、本来の表示が可能となった。

最小化しておけばタスクトレイに収納でき
マウスの右ボタンでコントロールが可能。
録音もできるというのは、Radikoにはない機能だ。

1月4日(水曜日)
●忙中閑あり
昨年秋、銀座にあった会社のOB会で
幹事が野田首相は私の後輩で…とあいさつしたので
「どじょう」が千葉県立船橋高校出身とは知っていた。

その彼が昨日母校の同期会に出席したそうだ。
「四方八方から弾が飛んでくる。最近は後ろからも飛んでくる」
「国会では結構いじめられている」
などと、「身内」の気安さから弱気とも取れる発言。
帰り際、記者団に
「元気をもらった」ご機嫌だったようだ。

言葉尻をとらえるようで申し訳ないけど、
「四方八方から」とは「後ろ」方面も含まれるんではないの?
あえて「後ろ」を入れたのは
党内不一致にいかに苦労しているかの証左。
その原因がどこにあるのかは抜けていたようだ。

なにしろノーサイド、どじょうキーワード演説一発で
人心をとらえたまではいいが、
「弾」不足で更迭人事を繰り返す脆弱内閣。

党内だけでなく国民からも
そっぽをむかれつつある。

そんな折、
「オラが高校の大政治家」と迎えられたのだから気分は緩む。

持ち上げる連中ばかりで
批判的な参加者はいなかったのだろうか?
あの界隈は筋金入りの共産党もいれば
当然自民、公明もいるのだろうから。

1月3日(火曜日)
●初詣
天気快晴、風もなし。
絶好の外出日和。

今年は久々に靖国神社。
半蔵門線1本で行けるというのがいい。

新年も3日目ともなると、
予想より少なき人の出。
参道の左右にはおびただしい出店。
お好み焼き、焼きそば、たこ焼きのにおい。
つい誘惑に負け明石のタコ焼きをはふはふと食す。

拝殿まえに並ぶ。
最前列へは待つことしばし。

わが父は南方ハルマヘラ島へ出征せしが無事帰還。
従兄弟の父はインパール作戦にて戦死。
牟田口廉也の勲功をあせりし
無謀な戦の犠牲也。
母の胎内におりし従兄弟は父の顔を知らず。
叔父の御霊に手を合わす。


※遊就館で名機「ゼロ戦」とご対面!



九段下、神保町、駿河台下、小川町、淡路町から須田町へ。
心地よいウォーキング。
高校時代は寺島広小路から都電で須田町まで。
そこから歩いて古書街へ出かけた。
本日はその逆コース。

須田町から銀座線神田へ向かう地下道を久々に歩く。
昔は、理髪店、文房具屋、洋品店など
小さな店が並んでいた地下道もすべて撤去され
つるんとした連絡通路になっていた。
ここは、浅田次郎著「メトロに乗って」の舞台でもあった。
時日の流れしを知る。




正月の銀座は晴れ着の女性も加わり華やか。
AppleStore前でしばし佇む。
店内はJobsの魂に触れる人で混雑。



日本橋界隈は再生計画実行中。
しかし銀座ほどではない。
普段は通り過ぎる日本橋だが
徳川慶喜御筆の文字、欄干を観察。
昔の東京都のマーク健在也。




三越前から帰途につく。
初ウォークコースは正解。

1月2日(月曜日)
●箱根駅伝
この中継を見なければ2日の朝は始まらない。
といっても、テレビの前にへばりついているわけにもゆかず、
据え置きラジオで聴いたり、外出には携帯ラジオの世話になったり…
やはり、興味は小田原から芦ノ湖の往路最終。
東洋大がトップで柏原に襷を渡し、
そのままゴールした。
今年は「ごぼう抜き」は見られなかったが
自己タイムを更新したという。


東海道神奈川宿があった付近に神奈川警察署がある。
その前を選手たちが走り抜けてゆく。
チャリで10分ほどの場所に住んでいたので、沿道まで行き
新聞社が配っていた小旗を振って応援したことを思い出す。
あれから、19年過ぎてしまった。

1月1日(日曜日)
●痛烈パンチ
NHK「ゆく年くる年」が終わると同時に
初詣に飛び出すこともなくなった。

のんびりと過ごしていたら
机のコップの中の水がかすかに揺れ始めた。
ん、地震か?

横揺れが次第に大きくなってゆく。
いやな予感だ。
「ブルーフレーム」の火を消す。
やがて最大振幅が終わる。

FM放送はノーテンキに音楽を流し続けていた。
NHKにチューニング。
14:28、震源は鳥島付近。M7。

テレビをつける。
大きめの地震が発生すると
必ずといってほどわが町はテロップに登場する。
今回も、同様で震度4という。

地面の底から突き上げるような動きではなく、
いわゆる「ゆっさゆっさ」という左右の揺れだった。

わが家の落下物は皆無。
あの程度で震度4か…と。

震源だが「南鳥島」と勘違い。
日本列島から遥か離れた太平洋の孤島の地震で
これだけ揺れるのかと思ったら
伊豆諸島の「鳥島」だった。
それなら納得。

元日の大きな揺れは
今年も気を緩めるなよ、という警告なのかも知れない。

●元日広告

郵便受けに入りきれないほど分厚い年もあったが
今年はすんなり納まっていた。

各社が力を入れる全ページ広告を見るのが楽しみ。
大震災後ということもあってか、
家族の「絆」をテーマにしやすいのがハウジングメーカー。
積水ハウス、住友林業、大和ハウスが出稿していた。
目を引いたのは積水ハウス。
玄関前で家族そろって記念撮影という平凡な写真だが、
その自然な姿がかえって目を引く。

大学生と思えるお兄ちゃんと高校生の妹。
彼らはまともに成長しているようだ。
ことによったら高級管理職のあるじと美しい連れ合い。
白髪の上品な祖母。
この方は父方、母方…どちらなのだろう?

災害に縁のない地域に住んでいて
みんな笑顔で新年を迎えられた
幸せいっぱいの家族のようだ。

キャッチフレーズは、このところずっと使われている
「家に帰れば、積水ハウス」。

不思議な言葉遣い。

ふっと気づいた。
「おじーちゃん」がいないのだ。

おば〜ちゃんは、おじ〜ちゃんと死に別れしたのだろうか?
それとも、早々に離婚していたか?
あるいは、偏屈な人で家族から疎まれ、
いなくなってせ〜せ〜したという新年の笑みなのだろうか?

同じ男性族として
考えさせられてしまう新年広告ではあった。

●GoogleのTOP画面

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