田舎三昧の生活と意見 8月

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2010年8月
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●吉太郎童謡集

■Contents
01ペトリカメラ
02アメリカの憂鬱
03超長寿の怪
04カティンの森
  イングロリアスバスターズ
  コリン・ファレル
05世界大学野球
0665回広島原爆の日
  誰がため
07銀座今昔物語
  気がね
08かすかに秋
09長崎原爆忌
  夕焼け
10その後のシンドラー
  サブウェイ123激突
  今さら何をかいわんや
  素晴らしき庭
11歩兵11連隊
  靖国参拝
12台風4号
13就職難
  国道50号
  完全閉店
  解説委員の死
14「歸國」
  土曜は花火
  東鷲宮から鷲宮へ
15ジューン須山
  ぱらぱらチャーハン
  65年前
16いるか
  猛暑再来
  殿様蛙
17コドモノクニ
  空蝉
  3D
18喉元過ぎれば
19緑の恵み
  冷やし狸蕎麦
  臨終の蝉
  鳩山錦旗論
20わからん
21新旧ボトル
22美味しい生ジュース
  日韓併合100年
  考え違い
23ペトリの新事実
  新人頼み
24日韓100年
25張子の虎
26古河へ
  絶対、面白い
  ついに表明
27死刑場公開
  国家威信
28シェルターとトイレ
  最後の花火
  鳩の恩返し
  異国と本国
29故国
  情報公開
30大根おろし
  調整会談
  頑固
31太陽の涙
  旧体制

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Chicago Short Stay
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Last Modified 2010/0831
First Uploaded 2003/0901


8月31日(火曜日)
●太陽の涙
ダイ・ハードシリーズで
はちゃめちゃな刑事を演じていたブルース・ウィリスだが、
内戦のナイジェリアを舞台にした「Tears of the sun」(2003年公開)では、
シリアスな軍人だった。

ウォータース大尉は、5〜6人の部下とヘリで降下して
密林のキリスト教病院勤務の女性医師を救出に向かう部隊のリーダー。

病院までは容易に到達するが、
医師だけでなく、反乱軍に追われるイボ族も一緒に救助しなくてはならなくなる。

いつもなら追撃を途中であきらめる反乱軍なのだが、
今回はしつこく追ってくる。
それには、理由があった…

という内容なのだが、
ハイテク化された米軍救出部隊の装備が目をひく。
iPadのような端末には、自分たちと追撃する反乱軍の位置が示される。

GPSで位置を把握するのだろう。
今は車載用ナビに使われているけど、
迫る敵の位置確認はできない。

ハイテク機器は、
先に軍事用に開発され
次に平和利用される。

インターネット技術もそうだった。

するて〜と、戦争は文明の進歩には必要悪ということになってしまうが。


●旧体制
雪の白樺林
夕日が映える
走れトロイカ粉雪蹴って〜〜

歌声喫茶華やかなりし頃
盛んに歌われていた。

トロイカ体制。
なつかしい名前が亡霊のように躍り出た。

鳩山氏が一番恐れる民主党分裂を回避するために
結党時の鳩山、管、小沢3氏による集団指導体制復活させる、というのだ。

管氏は一応納得。
小沢氏は出馬見送りの見返りに副総理、幹事長ポストを要求し
脱小沢路線の象徴、枝野幹事長、仙石官房長官を外し、
輿石氏を官房長官に据える。
これが受け入れられなければ、出馬する。

仲介役の鳩山氏は、外務大臣を狙っているとも。



民主党は国民の反発を恐れ、「派閥」という言葉を使っていないが、
「グループ」が存在する。
といっても、「仲良しグループ」ではない。
党での存在を左右する集団。
つまり、名前が変わっても「派閥」には変わりない。

弱小派閥が勝ち目のありそうな「親方」に加担し
論功行賞にありつこうとする。
文明は飛躍的に進歩したが、
権力抗争の構図は群雄割拠時代と変わらない。

ワイドショーMCの小倉さんは
「トロ・イカといっても若い連中は寿司屋かと思う…」

8月30日(月曜日)

●大根おろし
これまで、おろし器で作っていたが、
もしや、と思いフード・プロセッサを使ってみた。

乱切りにして容器に入れ高速回転。
できあがったのは粒状で水分が少ない。
失敗か?

さらに細かく切り、前の分に追加。
またも高速回転。

細かくなってきた。

また、それに追加。

高速回転。

いい調子。

粒々のない粉雪のような
大根おろし完成。

天麩羅にからませて食す。
絶品。

大根はある程度の分量が必要なようだ。

今度は二分の一に切ったもので試そう。

●調整会談
民主党代表戦に向け首脳が会談。

「鳩首」:首を集めて相談すること.(鳩は集めるの意)

鳩−管、鳩−小沢、鳩(管−小沢)

いつも鳩がパタついている。



1938年9月、ミュンヘン会談つ〜のが開催された。
集まったのは、
ドイツ:ヒトラー
フランス:ダラディエ
イギリス:チェンバレン
イタリア:ムッソリーニ

ナチスドイツのチェコ・ズデーテンランド併合に関する会談。
本来なら、ドイツの横暴を阻止しなくてはならないのだが、
あそこを与えておけば、ドイツも少しはおとなしくなるだろう、と
各国はドイツの要求を受け入れてしまった。
イギリスの対独融和政策によるものだった。

仲介役のイギリス・チェンバレンは、帰国した空港で、
なぜか、勝利のポーズをとった。

翌年、4月、ドイツは突然ポーランド侵攻。
こうして第二次世界大戦が勃発。

ミュンヘン会談で、ドイツの野望を阻止していれば、
その後の展開はどうなったか?

もっとも独・伊 対 英・仏の対決になるので紛糾するだろうが。



歴史的大事件に民主党の権力抗争を当てはめるのは恐れ多いが、
独:小沢
仏:管
英:鳩
という構図か。
(伊は刺身のツマのようなものだからはずす。)

英の甘い判断が、後の破滅につながったことは間違いない。

●頑固者
昨年4月、話題になった映画「グラン・トリノ」
クリント・イーストウッド監督、主演。
これを最後に俳優はやめようかナ、と言わしめた作品。
名優は80歳。
「トリノ爺さん」かと思ったら違った。
でも、似たようなものだ。


ポーランド系米国人、コワルスキー(イーストウッド)は、
頑固な老人で家族、周囲と協調できない。
妻を失ってから、さらにそれが深まった。
妻の遺言で、牧師が懺悔にくるように連日自宅にやってくる。
神学校出たての若い彼がうざったい。

彼が住むのはデトロイト。
かつて自動車産業で隆盛を誇っっていたが、
日本車の攻勢で昔日の面影なはい。

半地下の2階建て住宅は平均的アメリカ人の典型的なスタイル。
昔は、彼自身もそうだったが、
フォード工場で働く白人たちが平和な生活を営んでいた。

彼が大切にしていたのは、アメリカが世界の頂点にたっていたころ、
物質文明のシンボルとも思える
スポーツタイプの自動車「グラン・トリノ」。
常に磨き上げられガレージに眠っている。

仕事を失った人々は次々と町を捨て、
住宅街に住む白人は少数派となり
東南アジア人ばかりになってしまった。
彼の隣りには「タオ族」という、
ラオスだかカンボジアの少数山岳民族の家族が住んでいる。

彼らは、ベトナム戦争でアメリカ軍に加担したが
共産軍の勝利で国を追われ米国に移住したのだった。

彼自身は朝鮮戦争に従軍し、
多数の兵士、住民を殺害したことがトラウマになっていた。
病にむしばまれ、先がそう長くないことを知っていた。
古きよきアメリカが失われてゆく。

そんなことがないまぜになり、
彼のイライラ、孤独感をいっそう深め、頑固になっていたのだ。

しかし、ひょうんなことから隣家との交流が始まる。

そして意外な結末を迎える。



人間稼業を長いことやっていると、
洋の東西を問わず
特に男は頑固になってゆくケースが多いようだ。

小生、家人、娘から言われとる。

だが、それには深いワケがある。
男はクドクド説明しないのだ。
コワルスキーも毎日ベランダで町を見ながら
黙ってビールを飲んでいる。

(日本の)男は黙ってサッポロビール。
(アメリカの)男は黙ってバドワイザー。

しかし、
過飲による痛風を恐れて量は減らすのが最近のやりかた。
あるいは、家計にやさしく気分はビールのノンアルコール。



コワルスキーには2人の息子がいるが、
心を開いたのは、
家族、親戚の絆が保たれている
東南アジアの山岳少数民族だったというのが面白い。

勤勉で礼儀正しく、親切な日本人は、
欧米化の波間に消えていったのだろう。
映画では、トヨタ、ホンダの乗用車が出てくる。
息子は日本車のディーラー勤めのようだ。
日本人はエコノミック・アニマル化したのだ。



あちらの方は家の修理など自分で行う。
半地下のガレージ兼作業室には各種工具が壁にずらり並んでいる。

最近我が家の工具も必要にせまられ増えてきたが
物置に放り込んである。
作業に必要な道具が見つからなくて
せっかくの「やる気」が失せてしまうこともしばしば。

作業部屋は、男の棲家(すみか)としても必要ではないかと愚考。

8月29日(日曜日)

●帰国
伝書鳩が今朝ロシアから帰国した。

管・小沢対決に再調整を目論んでいるらしい。
だが、彼の描くシナリオは、流れのままなので読めない。
しかも唯我独尊なのだ。

彼が動くと収束どころか引っ掻き回して混乱を招くだけ、という困ったちゃん。
沖縄問題で彼の手腕は如何なく発揮されている。

だけど、周囲は茶坊主だらけなので「殿、御乱心」と
諌める者はおらず、陰でぶつぶつ言うだけ。

首相は公務とやらで大田区の町工場を視察。
闇将軍は、現職優位の観測が不安でお得意の地まわり。

ドン管は今夜、鳩との会談を申し入れた模様。
鳩はなんと鳴くか、なんとなくわかる。

泣くな小鳩よ
心の妻よ
なまじ泣かれりゃ
未練が騒ぐ

なんて、歌謡曲が大昔ありました。

●情報公開
地球上空にはおびただしい人工衛星が打ち上げられている。
目的に応じて、軍事衛星、通信衛星、地球観測衛星、航行衛星、
気象衛星、科学衛星に分類されている。

先ごろ長旅をおえ奇跡的に帰還した探査衛星「はやぶさ」。
気象衛星は連日続く酷暑の原因を知らせてくれるけど、
かえって、暑さを増幅させる。

軍事衛星は各国の軍事施設、兵団の動きを監視する。
「エネミー・ライン」はじめ映画にもよく登場する。
先日TVで放映された「エネミー・オブ・アメリカ」では、
国内の治安上にも使われ、住民の動きが素っ裸にされる。
個人情報保護法などなんの役にも立たない。

日本の「情報収集衛星」が故障していた、と報じられた。
「レーダー衛星」と呼ばれ、天候が悪くても、雲にとざされていても
何の問題もなく地上の様子を撮影できるという。
主に北朝鮮の軍事施設監視に用いられていた。
次回打ち上げが来年で、それまであの不穏な国の動静がつかめない。
長距離誘導弾が日本に向けられたら、
専守防衛国家としては打つ手がない。

軍事情報収集に用いられているのに、管轄は「政府」という。
コントロールルームはどこに置かれているのか。
監視・操作するのは自衛官でなく、文民(公務員)なのか。

得た情報を陸海空の自衛隊に送っているのだろうか。
迅速な対応が求められるのに、これではタイムラグが発生する。

北朝鮮のスパイは日本に大勢いるだろうが、
高度な技術を駆使しなくても、
マスコミ情報を丹念に見ていれば仕事はできてしまう。

日本では戦時中は、敵に漏れるのをふせぐため、
天気予報は国民に知らされていなかった。
「偵察衛星故障」は、秘匿情報に属するものと思うが、
「国民の知る権利」とやらで公開されたのだろうか。

国益に反する情報を公開し
地域住民の疎外感を助長する個人情報は非公開。

なんかおかしい。

8月28日(土曜日)

●シェルターとトイレ
チリの落盤事故で、地上に出られなくなった33人が
生活しているシェルターにはトイレがない。
水、食料は地上のパイプから送られてくる。
では、排泄はどうするのか?

疑問氷解。

シェルターから坑道に出ることができる。
で、シェルターからなるべく遠くに出かけ坑道の脇で済ませている、という。

救出には3〜4か月かかるらしい。
33人分の量はいかばかり。

坑道には重機があり、水の確保にも使ったらしいから、
それでトイレ用の穴を掘るのかも知れない。

●最後の花火
8月は毎土曜日に開催されていた東武動物公園の花火も最終週。
先週は門側から撮影したが、今回は家の裏から藪蚊を払いつつ。



バカチョンの花火モードでシャッターを押すのだが、
タイミングがいまいちわからない。
低速シャッターなのだが、
開いているあいだの映像を定着させているわけでもないらしい。
デジタル一眼ならBで好みの間、開けられるというのに。



25分程度の短い花火ショーなので、
盛んにシャッターを押しまくった。
おかげで肝心の花火を肉眼で見ることは少なかった。



周囲では、虫の音が賑やか。
昼間は相変わらず暑いが、秋は夜に忍び込んでいる。

●鳩の恩返し
管支援かと思われていた「伝書鳩」さんが、
訪問先のモスクワで、小沢支持に急転した心情を吐露した。

「小沢さんは政権交代を導き、私を首相へと導いた。
その恩に対して恩返しするべきだ」と。

ぬわんと、党のことより自分のことだった。

管・小沢の「仲介役」なんてことは、ほんのポーズ。

やっぱり政治を「おもちゃ」にしている。
こういう人にふらふら動いてもらっては困る。

管氏は「鳩山さん、さえずりはやめて、静かにしていてください」とは
言えないのかね。

寄合政党が馬脚を現したわけだが、
こういう政党と知りつつ
国民は一縷の希望を見出そうとした。

保身ばかりでまともな政党不在つ〜のが日本の不幸。

襟をたださなければいけない国政関与者がこれだから、
地方自治もおして知るべし。

●異国と本国
TBS、永六輔の「土曜ワイド」。
入れ歯の調子が悪いのかめっきり滑舌の悪い六輔さんを、
周囲のスタッフがサポートしながら展開する永ファミリーの帯番組。

いつの頃か、往年の童謡歌手にして女優の「松下トモ子」さんが
不定期に出演している。

私の少年時代、クラスでは漫画雑誌の回し読みが流行っていた。
当時、冒険王、譚海(たんかい)、少年、少年倶楽部など多数出版されていた。

それぞれが別の雑誌を購読し、貸し借りする。
付録の漫画も花盛りで、一度に数冊ついてくることもあった。
福井英一郎作「赤胴鈴之助」華やかなりし頃だ。
作者はその後竹内つなよしに変わった。

少女向けにも同じくらいの月刊雑誌があったはずだが、誌名は覚えていない。
だが、毎号といっていいほど、クリっとした目の、短い髪のすそをカールさせた
少女が表紙を飾っていた。
それが松下トモ子さんだった。

成長した後も、大きな目は変わらなかった。
アフリカでライオンに首を噛みつかれ大けがをした、という事件で、
彼女が大の動物好き、と知った。

その彼女が六輔氏の番組で、
あまり知られていない話を披露している。
歯切れのよい話し方は、
マラソンの増田明美さんのようで好ましい。



朝、涼しいうちに雑草取り、と思ったが
9時近くになってしまった。
日は昇り、しゃがんだ背中と後頭部を容赦なく熱光線を照射する。

無心に行う人がいるが
小生、ラジオを隣りに置いている。

トモ子さんの話しが始まった。

ソ連に抑留された方が、現地の女性と結婚し長い年月が経過した。
日本との交信も緩和され、
もしやと思い、故郷に手紙を書いた。

すると、日本で結婚した妻が夫の生存を信じて
戸籍を抜くことなく待ち続けていることを知った。

彼は驚愕するとともに望郷の念がつのる。
しかし、苦しい時期を手を取り合って生きてロシア人の妻に
言い出せるわけがない。

意を決し、事実を告げる。
大陸の妻は、苦悩の末、彼の帰国を承諾する。
「自分だけが幸せに過ごせるわけにはゆかない…」と。

背は曲り小さくなった日本の妻が待っていた。

そして、月日が流れ、90近くなった皆さんは存命だ。

夫はロシアの妻に定期的に手紙を書いていたが、高齢になり電話に変えた。
電話代がかかるので5分と決めている。

トモ子さんは言う。
抑留者への支援が始まるので、
せめて5分の電話を10分にしたらいかがでしょう?と。

戦争は、残酷。

マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの名作「ひまわり」。
あの映画も同じような設定だ。

草を刈る。
汗がしたたりおちてきた。
不意に、目からも…。

8月27日(金曜日)

●死刑場公開
東京拘置所の刑場が初公開された。

いつの間にか名前が変わっていたが、昔は、小菅刑務所。
子供のころから見慣れた建物だった。
当時、所在は足立区かと思っていたのだが、葛飾区と知った。
住んでいた金町が江戸川に面した東のはずれ、
小菅は荒川に面した西のはずれだった。

常磐線(いま、千代田線)で綾瀬を過ぎて東武線の高架にかかる前の左側、
灰色の高い塀に囲まれた、灰色の建物があった。

たまに上野や秋葉原に出かけた小学校時代から、社会人になり所帯をもつまでの20年近く、
電車に揺られながらこの建物を見ていた。
灰色の塀と建物は人を拒絶するような威圧感があった。

現在地に移住し、東武線でこの建物を見ることになった。
この間十数年間ブランクがあり、
頑丈そうだがガラス張りのしゃれた建物を見たとき、
刑務所とはわからず、マンションだと思っていた。
しかも、東京拘置所と名前が変わっていた。

そして、この中で死刑執行が行われている、と後に知った。



刑場の写真が夕刊に掲載されていた。
絞首刑だから、シンプルそのもの。
死刑囚が立つ場所には赤い四角いラインが2重に書かれている。
「踏み台」というらしい。
中側の四角内に立つ。
直径3cmのロープを通す環が床と壁に
滑車が天井に設置されている。
その隣に「ボタン室」がある。

「踏み台」を落とすボタンは3つ。
どれか1つがONとなっている。
刑務官が同時に押すと、踏み台が開き
首にロープを巻かれた死刑囚は落下する。
落下する空間は公開されなかった。

3つのボタンを同時に押すというのは、
3人の刑務官のどれがONかわからないようにするため、という。
自分の行為で人が死ぬという、「後味の悪さ」を払拭するためだ。

ONとなるボタンが執行のたびに変わるのはどのような仕組みなのだろうか。
コンピュータの乱数発生のようにするのか
上司が手動で行うのか?


執行室を作ったのは、スイッチなど電気系統を請け負ったのは、
頑丈なロープをおさめたのは?
どんな会社なんでしょうね?

拘置所の土台、壁などは
高速道路の橋げたのようにセメントの不正配合などせず、
がっちり作りこんでいいるんでしょうね?



死刑場を公開したことを、元刑務官は「厳粛な場所なのになぜ?」と不満げだった。

死刑執行中の場面を公開したわけでもない。
こういう場所で死刑は執行するのか…
このくらいは国民の知る権利に応えてもいいのではないか。

一般死の場合、臨終に立ち会い、焼き場のかまに入るのを見届け
焼きあがった骨を骨壺に入れ、喉仏を最後に置き蓋を閉める。
さらに、墓に骨壺を収めるところまで立ち会うわけだ。

重大犯罪を犯た死刑囚だけ特別扱いにすることはない。

米国では、州ごとに死刑に対する考えが違う。
廃止しているところもあれば、
絞首刑、薬物、電気椅子などさまざまな方法で執行される。
さすがに斬首、銃殺はないけど。

だいぶ前、NHKドキュメンタリーで、
薬物で執行される男を被害者の家族がガラス張りの向こうで立ち会っていた。
日本は、まだそこまでいってない。
被害者の気持ちを思えば、立ち会いはあってしかるべきだが、
絞首刑を直視できるか?

YOUTUBEを探すと、
ナチスドイツの軍人たちの絞首刑シーンを見ることができる。
日本より簡単な装置で、
足元の台を蹴っ飛ばして処刑する。
イタリアのムッソリーニと愛人のクララ・ペタッチは、
処刑後、公衆の面前で逆さ吊りにされている。

もっとも、戦争の混乱期という特殊な時期だったけれど。



映画「グリーンマイル」では、
電気椅子の処刑シーンが克明に描かれている。
スクリーンの向こうから
焦げた髪のにおいがしてきそうなリアルさだった。




冤罪で処刑されてしまう、という最悪な事態を避けるために
死刑に反対する人もいる。
だが、真犯人だったら…

日本の場合、犯罪者はかなり法的に保護されるような気がする。
かえって塀の外にいる遺族が報道に狙われ
プライバシーをずたずたにされてしまうことすらある。

主客転倒のおかしな現象だ。

●国家威信

チリの鉱山落盤事故で、地下700mに33名の作業員が閉じ込められた。
日本の炭鉱の落盤は、確か生命は絶望的だったと思うが
今回はシェルターに避難し、全員無事だという。

地上とは電話で会話ができ、シェルターに直結したパイプで
水や栄養剤を送り届けている。

しかし、地中深く脱出用の穴を掘るには3〜4か月かかるらしい。
クリスマス頃までには家族と一緒に居られる、というのが
閉じ込められた人々と救助隊の切なる願い。

国内はもとより世界が救出劇を見守る。

大統領は国家威信にかけて彼らを救出する、と発言したが、
それは賭けであることを、みんな知っている。

長期間、狭いシェルターに閉じ込められた人々の
健康、心理状態について、チリにはデータも技術もない。
そこで、米航空宇宙局に支援を依頼した。

宇宙と地中の違いはあるが
閉鎖空間での長時間生活の対処法は、かなり参考になるだろう。

シェルターの構造が新聞にのる。
それによると、トイレがない。

宇宙では水は貴重品で、小便をリサイクルして飲用にする。
大のほうは特殊なトイレがあって、
肛門にあててバキュームするそうだ。

地下のシェルターにはそのような設備はないだろう。
食料はパイプから供給されても、
食ったものは出さなければならない。
最長の4か月、33人分の排泄物をどう処理するのだろうか。

それが、問題だ。

8月26日(木曜日)

●古河へ
行ったことのある方なら、高層マンションのある西口が、
おもむきのある街並み、ということに異論がないはず。

歴史博物館は、古河城は水の中としまったが、出城のあった場所だし、
お向かいの鷹見泉石記念館も大きくはないが、
雰囲気のある建物だ。
古河第一小学校も歴史の長さを感じさせる。
今は、味のない「中央」と名を変えたが「肴町」の石畳もいい。
小説家・永井路子旧宅も落ち着いた雰囲気だ。



思い立って、昼頃、JRで古河へ。
これまで、3〜4度利根川、渡良瀬沿いにチャリで行ったが電車は初めて。

昼下がりは太陽が頭上から照りつける。
今日も気温はうなぎのぼり、と報じており、
何も好き好んでクソ暑いなか、てくてくと…

カメラ散歩なのだから、仕方ない。

お目当ては「古河文学館」。
ここには、「コドモノクニ」の現物が展示されている。

古河第一小学校側から回り込んで目的地に。
このコースが緑が多く、風情がある。

到着したのだが、なにか雰囲気がおかしい。
閑散としている。
夏休みも終わりに近づいているし、この暑さだし、と思いドアを開ける。
係員がいて「空調工事で9月6日まで休館です」
あちゃ〜〜〜
休館は月曜日かと思っていたため、
インターネットで調べなかった。

自宅から40分くらいで到着したのだが、
「せっかく遠方からきたのにぃ〜〜」と
オーバーに演技したら、すまなそうに頭を下げられた。

歴史博物館界隈は緑がこんもり。
あいにく、風がないので舗装道路の熱気が覆っていた。
郵便局前の道など、歩く人の姿などない。

ぷらぷら町を見ながら西口へ。
4号線から入る幹線道路は
栃木、川越、春日部東口、幸手、館林などと同じく電線が埋設され、
開放感があるが、観光客が大挙訪れるわけもなく、車が通り過ぎるだけ。
ご多分に漏れずシャッターを閉めた店舗が目立つ。
道が広い分、さみしさが漂う。

西口の突当りに「JOY PATIO」という、
南欧風の建物がある。
鉄のパイプ部分のペンキは落ち、
時代を経た代物となってしまった。

来るたびに店が変わっており、
2階はキャバクラ「チョコレート」の新しい看板が。
1階は西洋骨董店。こちらは面白そう。

30年ほど前の建物で、
当時は古河のおしゃれゾーンだったと、
蕎麦屋の女将が言っていた。




帰り際に入った蕎麦屋がビルの1階「きらく庵」。
太い麺だったらど〜する、と賭けだったが「もりそば」大盛りを頼む。
最近、「もりそば」という名前はなくなったのかな?
店の人は「せいろ?」と聞き返してきた。

待つことしばし。
「わさび」がでてきた。
さめ皮の小さなおろしがねと、わさび根だった。
これをすりおろしながら蕎麦を待つということ。

こういう店は初めて。

で、肝心の蕎麦…
極細の二八。
わたし好み。

栃木市観光会館内の蕎麦といい勝負。

薬味にネギもついてきたが、
本わさびだけを入れ、
ツンとくる感触と腰の強い蕎麦をじっくり味わう。
代金800円也。

各種地酒もあったが、
いくら冷酒でも口の中に残っては
酷暑中を徒歩で行く身には、ちょとつらい。
蕎麦屋でビールという雰囲気でもないので、
熱いお茶だけにする。
これが、結構おいしい。

近くに以前入ったことのある蕎麦屋があったのだが、こちらは休み。
おかげで、いい蕎麦屋を発見した。
9月再訪の楽しみができました、とさ。

●絶対、面白い
と、言われて借りた1本。
「96時間」
1時間半の作品。
だいたい1〜2回は眠くなるのだが、
これは、ハラハラドキドキでそんな暇はなかったで〜す。



「シンドラーのリスト」のリーアム・ニーソンが、
元特殊工作員という、技術を最大限に活かし、
パリ旅行中に誘拐された娘を、ぎりぎりのところで助け出す、という
スーパー・パパの活劇物語。
敵を電気拷問にかけるシーンは鬼気迫る。

2009年8月、ちょうど1年前公開だが、
こういう映画があったとはツユ知らず。

米・仏共同製作で、ヒット・メーカー、リュック・ベンソン製作。
90%がパリが舞台だが、アメリカ映画のような
派手なカー・チェイスとアクションの連続。

旅行中の若い女性を誘拐し人身売買。
アラブの富豪に売りさばくという、
パリの暗黒街にはいかにもありそうな話し。

美人で処女は、人身売買のセリにかけられる。
非処女はシャブ漬けにされ、売春婦へ。
牛耳るのは東欧移民の組織。

若い女性に人気のあるパリだが、くれぐれもご用心。
あなたの娘は、富豪に売られるのか、それとも…

おとーさんは、特殊技術がないので、
助けに行けないからね。

●ついに表明
子供たちの夏休みが間もなく終わる。
朝寝坊癖を新学期に向けて軌道修正しなくてはならない。

ところが、政治家は夜遅くまで活動し、朝は早くから動き始める。
肉体、精神ともにタフでなければ政治家業はやってゆけない。

小沢氏は8時前に鳩山事務所訪問。
短い時間意見交換したあと、報道陣の前に立った。

鳩山氏は管・小沢の調整役を自ら買って出ているが、
先日訪中し、今度はロシア訪問を控えている。
「憂国の士」を気取っているようだ。

小沢出馬については、
民主党代表選(9月1日告示、14日投開票)を間近に秒読みだった。
管氏は着々と支持層を広げている。
で、
『出馬の決断をするなら私としては全面的に支援していきたい』
という言葉を鳩山氏からもらった、と語った。

あらら、
管氏には、小沢氏をないがしろにするな、といい
(これは、しかるべき高級ポストを与えろということ)
小沢氏には、全面支援…とは。
これで小沢首相が実現したら、
管氏にしかるべき高級ポストを与えろということか。

どっちにころんでも、
紛糾する党内をまとめ上げた恩人という評価が
彼に与えられることを計算しているのだろうね。

実際問題、鳩山グループの票は、どう配分されるのだろうか。

小賢しい「鳩の綱渡り」。
まっこと、暑苦しく、見苦しい。

8月25日(水曜日)

●張子の虎
日頃、歯に衣着せぬ、威勢のいい発言で耳目を集める
みんなの党・渡辺代表が、民主党・小沢氏を評し「張子の虎」と、のたもうた。

自由に発言できる外野の特権だが、
時期が時期だけに、びっくりしたむきも多い。

若くして自民党幹事長になったり、
飛び出して新党を作ったかと思えば解体するわ…
思惑があるのだろうが、自由気ままにやってきた。

そういう彼を評して、「剛腕」「壊し屋」という
暴力的というか、土建屋のようなあだながついた。
また、「闇将軍」とも。
安易に近づくとやけどをしそうな雰囲気だ。

こわもての小沢氏を、「張子の虎」と言っちゃったんだからな〜。

「張子の虎」で思い出すのが、日清戦争で敗れた清国。
長い歴史と広大な国土。
当然、強力な武力をもつと思われ、
欧米列強も侵略の手をこまねいていたが、
生まれたばかりの小国、日本にあっさり敗れ、
「見かけ倒し」の典型国家と、あざけられた。

小沢氏の軌跡は、自民党時代は大物政治家に目をかけられ、
その下で、政策より党運営の技を磨いてきた。
政治は古い体質で、企業献金を受けマネー・ロンダリングによる
錬金術もしっかり身に着けたのだろう。

自民党時代に培った人脈をバックに、
その強大な権力にすり寄る弱小政治家たちを率いて
外見的には、理想に燃える政党づくりにいしそんできた。

まさに、政界乱世の世渡り上手。

企業でいえば、外部に向かって打って出る営業部隊ではなく、人事、総務系。
軍隊でいえば、前線指揮官ではなく、後方で命令をくだす参謀。

選挙上手で、昨年の衆院選では、彼の息のかかった
大勢のチルドレンを当選させて小沢グループはメジャー集団に。
派閥とは呼ばないところがミソだが、実態は似たり寄ったり。

国家の命運を左右する政策ではなく、組織づくりにたけているが、
それは、過去からの積み上げが上手なだけで、
政治家としての実力が過大評価されている、と言いたいのだろう、渡辺氏は。



似て非なるが「張り子の鳩」という
まったく迫力のない方もいる。
じいちゃんの威光にすがって生きているだけなのに。

首相の座を降りたとき、引退をにおわせたが、
たまたま、そのときは、そんな心理状態だったのだろう。
よせばいいのに、口に出す軽い男。
しかし、政治家ほど「おいしい」商売はない。
彼の名誉心を満足させるには最適な世界なのだ。

こともあろうに、分をわきまえず
代表選の管・小沢の仲介役を気取っているが、
彼が動いたところで、クソの役にも立たない。

双方が欲しいのは、鳩山グループの票田だ。

仲介してどうするの。
管総理、小沢幹事長となるのか、
小沢総理、管幹事長としたいのか。

どっちにころんでも、国民は大反発をするだろう。

ったく、自身をまるでわかっちゃいない
ど〜しょ〜もない政治家ではある。

8月24日(火曜日)

●日韓100年
8月22日に韓国併合、と記述した。
この日は、「韓国併合に関する条約」が締結された日で、発効は29日。
したがって、29日を韓国併合とすることもある。

世界に冠たる大日本帝国の国威を発揚した「記念」すべき年にあたり
読売新聞は「日韓100年」特集を組んだ。
100年後の「上昇・韓国/落日・日本」を報道しようとするものだ。

実際は、65年間の長距離マラソンで、
日本の背中をはるか遠くに見ながら走り続けた韓国が、
やっと追いつき、そして、さまざまな分野で追い越し、自信をつけたに過ぎない。



日本は明治維新後、早い時期から朝鮮進出を視野においていた。

最近の高校生は日本史を履修しない連中もいると聞くけど、
西郷隆盛の「征韓論」くらいは聞いたことがあるに違いない。

日本が明治革命により近代国家への脱皮を急いでいる頃、
李朝朝鮮は、江戸幕府同様鎖国政策をとっていた。

徳川幕府が米国に開国を迫られたように、
新生日本は朝鮮に再三開国を迫ったが
排外政策は強硬で受け入れられなかった。

西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎等は、武力で開国を迫ろうとする強硬派。
この背景には、不平士族等を朝鮮で戦わせ、勝利した際、論功行賞を与えるという
「ガス抜き」もあった。

しかし、欧米列強を実際に見聞してきた、大久保利通、木戸孝充らは
出兵より足元を固めることが先決、と征韓論に反対する。
明治6年征韓論争盛ん。
結果、征韓論は敗れ強硬派は下野する。

明治8年、朝鮮沿岸で測量中、朝鮮の砲台から攻撃を受け、
日本軍は武力攻撃を行う。(江華島事件)
これを機に朝鮮に圧力をかけ明治9年、日朝修好条約を結ぶ。
日本に有利な不平等条約だったが、
武力で劣る朝鮮は受け入れざるを得なかった。

当時の朝鮮は清を宗主国としていたが、この条約により
朝鮮を独立国として扱い、清の宗主権を否定する立場になった。

清と朝鮮の主従関係を断つことにより、
日本はさらに朝鮮に圧力をかけやすくなる。
清が日本の行為に文句をつければ、
独立国同士の行為に横槍を入れるなと反論。

この間、朝鮮は主導権を巡り李王朝の内乱が頻発し
清国軍、日本軍が出動し鎮圧にあたる。

やがて、朝鮮支配を巡り明治27年の日清戦争に発展する。

勝利した日本は朝鮮支配を強化。

やがて南下政策を進めるロシアと明治37年2月日露戦争開始。
翌年9月ポーツマス条約締結で日本勝利。

日露戦争のさなかの明治38年、
第二次日韓協約を締結し朝鮮から外交権をはく奪、統監府を設置。
日露戦争に勝利し大国の仲間入りを果たしたのち、
明治40年に第3次日韓協約を締結し、朝鮮軍隊を解散させ、内政権を掌握した。
明治43年、最後の仕上げ、韓国併合による条約により朝鮮併合。

6年の歳月を経て朝鮮を日本領土にした。

富国強兵、ゆけゆけどんどん。
薩長閥による明治政府は、したたかな戦略で台湾、朝鮮、樺太、千島列島を
手中におさめ、領土拡大を図った。

混乱する李王朝で、
明治28年、日本軍が関与した「閔妃(みんび)」殺害事件が発生。

新潮文庫、角田房子著「閔妃暗殺」が詳しく解説する。

そして、太平洋戦争に突入。
日本は、朝鮮人に日本人と同じ姓名を名乗れと強制(創氏改名)。
神社強制参拝、日本語常用、徴兵制、慰安婦として戦場にかりだす…
などなど、敗戦が近づくにつれ、ひどい政策を行うようになる。

日朝近代史は、周辺大国との関連で広く深く興味深い。



民主党の「国家戦略局」は靖国神社に詣で
爪の垢でもお守りにしてはいかがか。
といっても、領土的野心ではありませんよ。
国際社会における、1本筋の通った戦略のことですがな。

たとえば、韓国に対する「竹島」など、
日本の領土としながら、韓国の実効支配を許している事なかれ主義。
下に出ればつけあがるというのが、隣国の国民性だ。

米つきバッタのように、韓国にへーこらする総理の姿と、
国家戦略局を格下げした連中の先を見る目のなさに頼りなさを感じてしまう。

8月23日(月曜日)

●ペトリの新事実
ペトリカメラの子孫が杉戸町で営業していることをウィキで発見した。
(8月1日記述)

ペトリカメラは大正8年創業の老舗で、戦前は栗林写真工業といった。
戦時中は国策に沿い光学兵器の部品を製造していたが
戦後は再びカメラ生産を開始。
戦後間もなく、写真工業は百花繚乱でさまざまなメーカーが
個性あふれた機種を誕生させていた。
ペトリもその中の1社だった。
世の中、すでにニコン、キヤノンが一眼レフの2大高級ブランドで、
とにかく高価だった。
ペトリは2社並みの機能を持たせた廉価カメラとして善戦健闘したいたが、
電子化の波に乗れず、昭和52年倒産。
労働組合が経営を継続したが、結局カメラから撤退し、
杉戸の小さな社屋で望遠鏡を生産している。

そのことを、生まれも育ちも杉戸の方に話したら、
ペトリカメラの工場跡地にできたのが4号線沿いの「杉戸内田団地」という
新事実が判明。
当時、あの敷地内に平屋の工場が3棟あって、地元で就職した人もいた、と。

確か、本社は足立区梅田にあったはず、とも。

へえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
話してみるものだ。

栗林写真工業で検索しても、ペトリカメラばかりで、
会社の概要はウィキ以上のことはわからなかった。

しかし、チープカメラとして一世を風靡したことのある
ペトリカメラに愛着を寄せる人が結構いた。

私は、小学校時代、
千代田線金町南口商店街の駅側の入り口近くにあった
「黒須カメラ」の小さなウィンドウに飾られた
カメラを飽くことなく見ていたのを思い出す。

ことによったら、その中にペトリもあったかもしれない。

●新人頼み
9月の党代表選をにらみ管総理も動き始めた。

議員会館自室に衆参当選1回の新人議員を招集し18名が参加。
明後日まで午前午後の2回計6回開催し100名程度集めるのが目標だとか。

これに対し、小沢支持派議員は、
(小沢チルドレンに)出席を見合わせるよう働きかけている。

懇談会では、
参加者の1人が「政治主導で国民を引っ張る信念を持って行動してほしい」と要請。
また「小沢さんには魅力がある。代表選で首相に
投票するかどうかは分からない」と明言する議員に、ほかの参加者が「そうだ、そうだ」と同調する一幕もあったという。
このほか、デフレ脱却や地方を重視した活性化対策などを要望する声もあったそうだ。

昔なら、「あんたに投票するかどうかわからない」などと、
なんの実績もない1年生が面と向かって一国の総理に言えなかったろう。
高校の生徒会長とクラス委員の対話集会のような印象だ。

こうした政治若造を相手に、「ぜひこの私に1票を」と言外に匂わせながら
政局を語るのだから、首相も大変ね。

さらに、管首相は
代表選後の政権運営について、「代表選がどういう形で終わるか分からないが、
終われば鳩山由紀夫前首相、小沢一郎前幹事長を含め、
これでいけるという態勢を作る」と語った。

ちょっと前には、小沢氏に「少し静かにしていて」と
強烈な注文をつけておきながら、
自分の立場が盤石でないとわかると、やんわり秋波を送る厚顔ぶり。

小沢前幹事長は、満座の席で恥をかかせられた管氏のあの一言を
不愉快に思っているはずだから、
一気に引きずりおろしたい気分だろうが、
まだ、代表選にどうするか旗幟鮮明にしていない。

チルドレン、鳩山グループ、自民党系、社会党系、旧民社党を結集すれば
小沢氏に大いに「目」があるが、国民は小沢復権を望んでいない。
代表、総理になってしまえば、権力行使で「政治と金」の問題は
とりあえずかわすことができる。

などなど、さまざまな思いが錯綜し、態度保留。
だが、国家・国民のことより自己保身が優先されるだろう。

とにかく、総理の権力は絶大なのだ。

こうして、不毛の政治が行われ、
日本丸は荒波のなか、操舵不能、沈没寸前でただようのね。



それにしても、代表選のキャスチングボードを握るのが新人議員といういのだから
へんなの。



首相との懇談会に
我々の地元、埼玉13区から森岡洋一郎氏が参加した。

昨年の今頃は赤ジュ〜タンを目指して一生懸命だった。
宮代町民まつりに姿を見せ、有権者に挨拶をしまくっていた。

一年経過して…
やはり町民まつりに姿を現していた。
昨年は、若いサポータ2〜3名を連れていたが、
今年は国会議員になったので、若いお供はいなかった。
その代り、
秘書かボディガードかわからんが、
小柄超メタボの男性が汗をふきふき寄り添っていた。

真っ黒に日焼けした(地黒なのかな)、体格のいい議員と
隣りの男性を見た者は、
議員先生」とはわからず、
思わず道を譲りたくなるほどの存在感でしたよ。
その筋の方と思ってね。

政治家に知性的な風貌を求めはしないけど、
民主党には前原大臣のような貴公子然とした人もいるし
都会的なスマートな政党のようにも思える。
私の勝手なイメージだけど)

自民党にはあの、ハマコーのような
すごい面相の御方もいらっしゃった。
かと、思えば中曽根参議院議長のような
毛並みのよさを感じさせる人もおりますが。

夏祭りの夜に見た、
森岡氏は荒々しさが目立っておりました。

8月22日(日曜日)

●美味しい生ジュース
自家製トマトのストックも次第に痛んでくる。
ジュースにすれば摂取量も増える。
液体なら冷蔵庫のスペースもとらない。

というわけで、定期的にトマジューを作るようにしている。
以前はジューサーを使っていたが、カスの始末がやっかい。
次にミキサーにしたが、カスが多すぎて飲みにくい。
そのうち、この2台は壊れてしまった。

次に購入したのが「ミルサー」。
ミルとミキサーのあいのこで、小型がよかった。
ミキサー同様4枚刃だが危険防止で刃がついていない。
やはりカスが飲みにくい。

別の目的で購入してあったフード・プロセッサーを使ってみた。
鋭利な刃は2枚だが大きく段違いに配置されている。
ギョーザやハンバーグの生地は2秒でできるという優れものだが、
ジュース作りは初めてだった。

トマトをザク切りにして、プロセッサーに放り込む。
仕上がり具合を見ながら20秒程度回転させる。

すると、トマトの皮も極微塵に刻まれて、
今まで試した道具の中では一番優秀と判明。


大きなスプーンに4杯グラスに入れる。
水と氷を加えれば美味しいトマジューが完成。


野菜や果物は皮に栄養があると言われているけど、
ジューサーは分離してしまうし、
ミキサーは刻み方が荒いので飲みにくい。

フードプロセッサの刃のついた回転刃なら、みごとに粉砕。
多少は残るけど飲みにくいということはない。

昔のテレビ・ドラマ「バンビーノ」では、
イタリアンレストランの厨房でフード・プロセッサを使うシーンがでてくる。
プロも使うくらいだから、粉砕・攪拌には最適な道具なのだ。

モロヘイヤ、にがうりもやってみた。
鮮やかな緑。
飲みにくいけど、からだにききそう。

蛇足。
ジューサー機能つきのフード・プロセッサーがあるけど、
値段が高い割には、利用機会が少ないはず。
シンプル・タイプのほうで利用価値が充分高い。

●日韓併合100年
1世紀前の本日、韓国が大日本帝国の植民地になった。
韓国から見れば屈辱の日。
実際は、明治13年から昭和20年までの35年間なのだが、
2010年8月を際立たせて100年、100年と騒ぎ立てている。

先ごろ、管首相が「反省とおわび」の談話を発表。
村山談話以降、歴代首相の「談話」より一歩踏み込んでいると
韓国首脳は評価している。
が、議員連中は、例によって
「戦後補償」「韓国人慰安婦」問題に触れていない、と文句たらたら。

最近の韓国は経済、科学、スポーツなどの分野で日本に水をあけつつある。
さらに、韓流ブームも影響してか鼻息も荒く、
「日本恐れるに足らず」の国民意識が台頭。

意識調査でも、日本国民が韓国に対して好意的な意見が多いのに比べ
韓国人の日本観は冷ややかだ。

やはり35年間の隷属が尾を引き、
戦後の民族教育がそれに輪をかけている。

それに引き替え、負けた日本は実にあっけらかん。
(戦中、戦後、国民は悲惨な生活を強いられましたが)
日本人の勤勉性と、折から始まった朝鮮動乱の後方基地として
朝鮮特需により経済が急速に回復。
(言ってみれば、また韓国を踏み台にしちゃったわけだけど)

あの由紀夫氏の祖父、鳩山一郎内閣の昭和31年(1956年)、
経済白書に「もはや戦後ではない」の文言がのる。
敗戦後わずか11年で、完全復興宣言。
以後、高度経済成長期となり、
平成生まれのみなさんが、うらやむような昭和30年代が始まる、
というわけです。



一方、韓国は
日本が卑弥呼の時代から朝鮮半島は群雄割拠。
しかも、陸続きの中国からの侵略におびえていた。
韓国の小国は国家の安泰を図るため中国との冊封関係を結んでいた。

つまり、韓国は強力な指導者が半島統一を図れなかったため、
昔から、自主独立などできず、周辺大国の庇護を受けるという
屈辱的な国家体制だった。

14世紀が終わるころ、李朝朝鮮が誕生するが支配階級の腐敗で内乱が頻発。
15世紀は豊臣秀吉軍が朝鮮侵攻。
17世紀、清に服属。
19世紀、朝鮮を巡って日清戦争勃発(1894/M27)
西欧列強、中国に触手を伸ばす。

新生日本は列強の仲間入りをして、一気に先進国の一員たらん、と欲す。
日露戦争勃発(1904/M37)
台湾、朝鮮、樺太を支配下に置く。

日本は短期間に広大な領土を獲得し、
西欧列強が一目置く国家に急成長した。



朝鮮はその間、国土を蹂躙されたままだ。
それなのに、国内は親中派、親日派、親露派などが入り乱れ、政治、経済は壊滅状態。
愛国派も存在したが、大国の後ろ盾がなければ資金もおぼつかない。

そして、第二次世界大戦が終結、日本から解放され
国家に平和が訪れるかと思ったら、
世界を二分する冷戦の悲劇に見舞われ、国家は南北分断。
南はアメリカ、北は中国の影響下に置かれる始末。

こうして見ると、韓国は不幸な国家。

敗戦で牙を抜かれた日本いじめしか、
溜飲をさげることができない。
強硬な意見を日本にぶつけるのは劣等感の裏返しか。

8月22日(日曜日)

●考え違い
少し前のこと。
元SONY社員が、自分が発明した装置で会社は莫大な利益をあげたのだから、
その功績に対し1億円支払っていただきたい、と裁判を起こしていたが、
8月19日に判決。
ソニーは彼に512万円支払いなさい、と。

久米英広(58)という男だが、
1億円が512万だから、彼の思惑に反してかなり安く見られた。
ギャーギャーいうけど、価値はそんなものなのよ、と。

だが、この判決はおかしい。

会社員が給料をもらいながら、会社の先進施設を使って新技術を開発するのは、
彼らの仕事なのだ。

それなのに、社員の要求を正当化したとは。
裁判官の常識も欠けている。

開発はチームで行うことが多いのに、
奴だけが「手柄」の独り占めというのもおかしい。

研究開発に携わる連中が連鎖反応し、こんなことされたら企業はいい迷惑。
今後は、入社時に発明対価を請求しない、という項目を追加しなければならない。

それがいやなら、町の発明家として一発狙いをすればいい。
そんな度胸も技量もない奴が、
じゃんけんの「後出し」みたいなことをやるとは卑劣そのもの。
いわゆる、金に汚い奴。

情けないが、拝金主義が横行する時代だからね〜。



営業が大口契約をとってきたから、
利益の一部をよこせ、などという話は聞いたことがない。
その功績はボーナスに反映される。
中小企業なら金一封ということもあるだろうが。

開発員つ〜のは、営業とは違う人種。
理系と文系の違いもある。

理系だけに、すべて計算づく?

8月21日(土曜日)

●新旧ボトル
漢字を忘れるようになった。
特に画数の多い文字は適当に誤魔化すようになってしまった。
これ、すべてパソコンのお蔭です。
同音異義語さえ注意すれば勝手に変換してくれるのだから。

これはマズイ、と
ラジオを聞きながら、アナの喋る言葉を書くようにしている。

シャープペンシルは筆圧が高いので、芯がよく折れる。
ボールペンはなめらかでいいのだが、味がない。
久々に引き出しに放り込んであった万年筆を使うことに。

先日、栃木市に行ったとき繁華街の外れで
「万年筆の病院」という修理専門店を見つけた。
日本でも1軒(たぶん)という珍しい店で、テレビでも紹介されたこともある。



以来、頭の隅に万年筆のことが引っかかっていた。

親から中学入学祝いに買ってもらったパイロット万年筆がある。
カメラといい万年筆といい、物持ちがいいと我ながら感心する。

高校入学時にパーカーを親戚からプレゼントだったが社会人になって紛失。
大学時代、親の海外旅行みやげがパーカーだった。

その後、社会人になって、原稿用紙を埋めるため、
ペリカン、モンブラン、シェーファーを銀座伊東屋で物色したことがあった。
しかし、コピーライターは作家ではない。
相手に渡す原稿が書き損じだらけでは迷惑なので
もっぱら2B鉛筆で書くようにした。
このため、高級万年筆を所有することなく現在に至る。

一昨年、無印良品の万年筆2本購入したが、
デザインは素晴らしいが、2本ともペン先のイリジュウムが取れてしまった。
安物には、それだけの理由がある。

で、漢字レッスンを行うにあたり
旅行土産のパーカーのお出ましとなった。
こちらは古くてもイリジュウムに変化なし。
やはりブランド品。


インクの色は、やっぱブルーブラック。
経年変化に強い色。

昔のインク瓶に少し残っていたけど、気分一新で
ニューボトルにしようと…。

このひと瓶のために伊東屋に出向くのは暑さゆえしんどい。
幸いなことに、幸手市のジョイフル本田2Fで買うことができる。
ここは、豊富な文具、工作用品、画材を扱っているので結構楽しい。



新しいパーカー用ボトルデザインはシンプルでスマート。
なぜかフラン製。
底が水平でなく机に置くとがたつく。
日本製には考えられないアバウトさは欧州車と同じ。

古いボトルは実用的なデザイン。
なぜか台湾製。
底が安定している。
これが当たり前。

旅の土産に民芸品ではなく万年筆を選らんだ親は
とうの昔にこの世を去った。

少しばかり偲びつつ練習練習。

8月20日(金曜日)

●わからん
昨日、軽井沢の鳩山家別荘に、鳩山、小沢グループ150名が集まった。
各紙は一斉にこの「事件」を伝えた。

ついこの前、大韓航空爆破事件実行犯・金賢姫と拉致家族の面会に
提供されたあの別荘。

じいちゃん、とっっあんの政治ぶりを間近に見て、
政治を「おもちゃ」にして育った人らしく、
鳩山氏は国民から注目され話題づくりがお好きなようで…。

昨夜のニュースのトップも、始終笑顔の小鳩を映していた。
小沢氏の隣りで鳩山夫人のはしゃぐ姿。

鳩のファッションセンスは相変わらず最悪。
ホストの別荘でのくつろぎの姿なのだろうが、ダブダブの白い上着とズボン。
白いシャツははっきりわからなかったが、くどい柄が入っていた。

であれば、来客にも普段着で、というべきだろうね。
が、多くは国会と同じ背広姿がほとんど。
それゆえ、白鳩が目立っていた。
「白鳩」は宗教団体「生長の家」のシンボルだが。

「大勢の皆さんが我が家に、特に注目の小沢先生までお出ましをいただきました」
などと、笑いを誘う挨拶で、乾杯。

相変わらず、腹に力の入らない、気の抜けたビールのような声。
目玉だけが飢餓児童のようにぎょろついているが、
実際は大金持ちという、このギャップ。

音羽御殿ならともかく、ことさら別荘を「我が家」と呼び、財力をひけらかす。
あれも、これもじいさんの手柄で、
自らは食いつぶしているだけなのに…

こういう錯覚した男が、
管首相支持を表明したかと思うと、管の政敵、小沢を招くというような
ことを平気で行う。
これが彼流バランス感覚なのだろうか。

自らの限界を認識・自覚できず、毛並みの良さだけで泳ぎ回り混乱を招く。
平成の「バルカン政治家」なのだろう。
いくら叫んでも国民は彼の力量、亡国の政治家であることを知っている。

8月19日(木曜日)

●緑の恵み
あれほど毎日とれた大玉もおしまい。
ミニトマトがわずかに実をつけている。
ナスは切り戻して秋に備えているので少しお休み。
今、ピーマンとシシトウが食卓にのぼる。


柑橘類も楽しみ。
レモンは花は咲いたが結実せず。
2本のミカン、ユズ、獅子ユズが元気。
ユズはレモン代わりにサラダにかけたり、皮は鍋物の薬味に。
金柑は毎年数多く結実するが利用したことなし。
実は落ちるにまかせたまま。
なぜ植えたのか理由がわからない。

※ミカン。右は今年初めて結実した貴重品。


※右が獅子ユズ。左は小ぶりのユズ。昨年豊富だったので、今年は数が少ない。

昨年2個結実した獅子ユズだが、今年は10個以上。
実はスカスかなので冬至湯に使う程度だが、
黄色く成熟したものは大きいので存在感がある。



夏のプラム、ざくろが収穫できればいうことなしだが、
プラムは結実数が少ない。
口に入るのは3〜4個。
剪定のしかたが悪いようだ。
ざくろは実をつける兆候なし。

ささやかな庭だが、果実のなる木は今後も増やしたい、と思う。

●冷やし狸蕎麦
こう暑いと、食事も冷たいものばかり。
しかも麺類が多くなる。

この町の蕎麦屋を食べ尽くしたわけではないが、
お気に入りの店はある。
和戸の「都古」。
太い蕎麦がお好みの方には向いていない。
細い麺が好みの小生としては、
ここの手打ちが好きでよく顔を出す。
岩槻の仁屋で修行したご主人らしく、店の造りも豪華。



夏場は「冷やし狸蕎麦」がおすすめ。
「狸」といっても「揚げ玉」をほんの少し散らした店が多い中、
ここの盛り付けは「これでもか」というほど使っている。
しかも、見た目が美しい。

都内では水道橋駅近くに、同じような店があったが、
見栄えのいい狸は、今のところ、この2軒だけ。

●臨終の蝉
庭の花水木に蝉がとまっていた。
鳴くこともなく。
夕方、同じ木の同じ場所から数センチ離れたところにとまったまま。
もう鳴く力も残っていないのかも。

抜け殻のある木柵は、ほんの目と鼻の先。
死期が近づき生まれた場所に近づきたかった、
ということもないのだろうが…

蝉の近くに生まれて間もない蟷螂。

足元には、別の蝉が仰向けになっている。
そのうち蟻が集まり
巨大な獲物を料理しはじめる。

●鳩山錦旗論
民主党代表選告示まで2週間。
国事より党の主導権争いが忙しい。

「少し静かにしていて」と若造・菅氏に言われた老害・小沢氏が
巻き返しを図るべく、御大、取り巻きが画策している。

菅・小沢陣営ともに、前首相・鳩山氏の取り込みに熱心、という。

幼稚な政権公約、稚拙な外交手腕、貧弱な指導力で
国民に醜態をさらした政治家になぜ?

当の本人は、国内の混乱をよそに訪中。
温家宝氏と会談。
鳩山氏持論の東アジア共同体構想と地球温暖化防止について話し合う。
中国の大人(たいじん)は、暖かく迎えたが、
鳩山氏の政治家としての技量をどの程度とふんでいるのか、
どこまで日本にイニシアティブをとらせるかわからない。

9月に訪ソ、メドベーチェフ大統領と北方領土について協議するもよう。

日本での鳩山株、大下落を回復させようとするかのような動き。
国内では政局をめぐり右往左往しているのに、
本人はどこ吹く風。

水族館の大水槽でかつおが一定方向に回遊しているが、
必ずといっていいほど、逆送するのが1匹いる。
まるで、今回の鳩山氏のように。

鳩病(はとやまい)。



その鳩山氏を菅・小沢が争奪戦を演じている。

幕末、打倒徳川幕府を叫ぶ薩長連合軍が、
一計を案じて「錦の御旗」を盾に、幕府軍を敗走させたように、
鳩山をかつきあげた陣営が勝利する、とでも思っているのだろうか。

民主党にとって鳩山氏は「腐っても鯛」。
「象徴」なのだろう。

しかし、毛並みだけはいい
ああいうお方を党の「顔」にせざるを得ないとは…



安倍元首相が、最近、民主党を痛烈に批判している。
首相在任中の最後のほうでは、目が浮いており
焦点が定まらなかったお方だったが、
退陣したら、元気になったのか。
この方も毛並みはいい。

8月18日(水曜日)

●喉元過ぎれば
マスコミの太平洋戦争報道は、
日本空襲、原爆投下と次第に熱を帯び
15日の敗戦記念日を境に急速にしぼんでゆく。

ミズーリー号上調印、ソビエト参戦、マッカーサー進駐、日本統治、
極東軍事裁判…等々敗戦から戦後にいたる短期間の間にさまざまなことが起こる。

NHKに期待したいのだが、
番組欄で見つけ出すのも困難になってくる。

興味があるのは、軍国主義下でいばりくさっていた高級軍人が、
米軍統治下、一夜にして民主主義者に転向したというケース。
特に、尻尾を振り情報提供していた卑劣漢。
教育界にもぐりこんだ似非平和主義者。
彼らを追った本や映像はまだお目にかかったことがない。

明治維新から65年経過させると、ぬわんと昭和に突入してしまう。
ちょんまげとざんぎりが混在していた時代から、
機械文明華やかな頃までという長い時を経ている。

今年は、戦後65年だが、
若い連中には歴史上の出来事なのだろう。
しかし、平和を維持していくためには、
明治以降の世界との関わりと戦争の歴史を
しっかり頭にたたきこんでおく必要がある。

8月17日(火曜日)

●コドモノクニ
横浜に同名の施設があるけど、あちらは「こどものくに」。
「コドモノクニ」は、大正11年から昭和19年までの29年間、
発行された児童向け絵本。
変型の大判で当時、一流の画家と作家が児童のために熱意を込めて創作していた。

私が子供の頃、家に何冊かのコドモノクニがあり、
親に読んでもらった記憶はないが、
おもちゃ代わりにして落書きをしていた。

児童文学史に残るような本ならもっと大切に扱えばよかった、と思うが
それを与えた親が悪い(と、あちらのせいにする)。

発行していたのは「東京社」。
今、その出版社はない。

先月のはじめころ、「アシェット婦人画報社」から案内が届いた。
メンズクラブを出していたので「婦人画報社」の名は知っていたが、
前にアシェットがついている。
最近、いろいろ事情があって社名変更するケースが多いので、
この社名もそうなのだろう、と勝手に解釈。

調べたら
「雑誌出版社であるアシェット・フィリパッキ・メディアの日本法人。
1999年に「アシェット・フィリパッキ・ジャパン」と「婦人画報社」の
合併により誕生した。

ということだった。

社歴をたどると、

1905年、近時画報社として月刊誌『婦人画報』創刊。
国木田独歩が編集長を務めた。
この頃は「画報(グラビア)」と「読物」の二部構成。
1906年、独歩社となり、国木田独歩の死後、
東京社が継承しのち婦人画報社となった

明治30年代生まれの由緒正しき出版社だった。

婦人画報とコドモノクニとは東京社でつながった。

で、案内は
「コドモノクニ名作選」を発行するので、作品掲載を許可願いたい。

童謡作家だった父親の作品はこんな形で掲載されますよ、と
複写原稿のコピーが入っていた。

本来なら贈呈しなくてはいけないのだが、なんせ高価本なので、
4500円のところ3308円で提供させていただく、ということだった。

注文しておいた本が、今朝届いた。
上・下巻の2冊構成。




なかなか立派な造本。

北原白秋、野口雨情、金子みすずなどの大先生方と一緒の本に
親父の作品も載るのだから、墓の下で驚いているだろう。
早速、仏壇に報告しなくてはね。



大正末期から昭和にかけて児童文学が華やかだった。
「赤い鳥」「金の星」、「コドモノクニ」その他
多くの雑誌が生まれ、そこから戦後にいたる偉大な作家が生まれた。

100歳を超えて創作意欲が衰えない「まど・みちお」氏もそのひとり。
児童文学者で北原白秋の姿を実際に見たことのある方で存命は
おそらく、まど氏だけではないか。

私の父親は「後期赤い鳥」の一群で、投稿少年で童謡の世界に入った。
柴野民三、小林純一氏と同じ時期
まど・みちお、新見南吉氏は後輩になる。

実家は日本橋馬喰町の酒屋で、
跡取り息子が食えない世界に夢中になるのを
父親はいい顔をしなかった、という。

それでも10代の彼は投稿を続け、何度か入選するに至り、
同じような年頃の常連と親しくなってゆく。
とくに、隅田川をへだてて日本橋と、本所に住んでいた
柴野民三氏とは親しくなって行き来していたようだ。
20代になり、投稿仲間と同人誌を作るようになる。

このあたりのことは、
岩波文庫与田準一編「日本童謡集」の巻末に詳しい。

父の童謡に関する資料が手元にある。
そろそろ私も、昭和初年頃からの父親の足跡を調べてもいい年頃になった。

「コドモノクニ」を知るには----->

●空蝉
今年は木柵のてっぺんで羽化している。
彼らには気に入った場所があるのかな?
1匹が選んだ場所に1〜2日おきに集まってきた。

近頃の子供(小学校高学年)は、
羽化している最中の蝉を見て
「あっ、セミヌードだ!」と、
異常に喜ぶのだそうだ。

しょーもない駄洒落。
蝉のああいう姿を見てヌードを妄想するとは末恐るべし。

●3D
3Dテレビが発売されたと思ったら、
今度はスマートフォンのディスプレイも3D化という。

シャープの発表だが。
テレビと違うのはめがねをかけずに3D画像が見えるという。
どんな仕組みなのかわからないが、
実現できれば画期的だろう。

映画はその内容によって3Dが効果的なのは理解できる。
だが、テレビ、携帯電話を3Dにする必要がどれだけあるのか疑問。

テレビの場合、
興味がないので不勉強だが、
通常のニュース、ドラマ、バラエティ番組も
画像を少しずらして3D視聴できるようにしているのだろうか。
3Dにしたくない場合2D視聴できるのだろうか。

常時、メガネをかけるのではうっとうしいし、
目への負担も相当かかるはずだ。

シャープ・スマートフォンの3D化は
独走するアップル・iPhone対策。

アップル人気は、斬新なデザインと独創的で豊富なiアプリに支えられている。
シャープのシェア奪回策の切り札が3Dというのは、土俵が違う。
これで利用者を振り向かせることは難しいだろう。

技術はすごいが、ソフトが貧弱。
だから日本の携帯電話はガラパゴス化と言われてしまう。

8月16日(月曜日)

●いるか
小笠原の海でいるかと戯れる素潜りの男性。
彼のフィンは片足ずつ履くタイプではなく、一体化されている。
いるかは、いったん去ったものの、戻ってきて
自分たちと同じような尾びれをもつ動物に興味を示す、という。

素潜りの記録は100m以上だが、
彼らのフィンも同じようなかたちをしていた。
いわゆる、ドルフィンキックで一気に10mは潜れるらしいのだ。

知能が高く、こんな愛らしい姿を見れば、これをアジやカツオのように
追い込んで捕獲し、殺すことはためらいを覚えるのではないか。

和歌山県太地町で行われているイルカ漁だが、
江戸時代から行われている伝統的な漁かと思ったら
そんな古いものではないらしい。
害獣として捕らえる所があるそうだが、
この町は食用に捕獲しているようだ。

外国の動物愛護団体が太地町に押し寄せ抗議を行った。

入り江に追い込んだイルカを殺戮し、血の海にした映像が密かに撮影され
「ザ・コーヴ」という映画になり世界に配給された。
日本での公開は、一時反対運動で中止されたが、その後再開された。

日本の調査捕鯨には、悪名高い「シー・シェパード」が
実力行使を含めた猛烈な抗議活動を展開している。

海の哺乳動物捕獲に対する反対は欧米人に顕著だ。

しかし、欧米人は牛、豚を常食にしているので、
おびただしい哺乳動物を屠殺しているのだ。

こうした事実を棚にあげ、海洋哺乳動物に攻撃の目を向けるのはどうしたことか。

ヨーロッパのなんとかいう島では、
和歌山と同じくイルカ漁が行われている。
YouTubeにその映像がアップロードされているが、
その凄惨さは尋常ではない。
殺されたイルカのまわりを子供たちが走り回っている。

同じ、欧米人に対する抗議行動は聞かれない。
日本人が非難の槍玉に挙げられるのは、人種差別が根底にあるのだろう。

日本は及び腰で対応するのではなく、
もっと毅然と対峙すべきではないだろうか。

いるかの肉には水銀が含まれているので食べないほうが賢明らしい。

●猛暑再来
あじ〜〜〜〜!
都内は36℃まで上昇するらしい。
内陸の埼玉はさらにそれを上回るだろう。

猛暑日とはいえ
大気のわずかなすきまに次の季節を感じられないか、と神経を研ぎ澄ますが、
さすがに昼間は無理のようだ。



昨日、さいたま市北区の76歳になる男性がアパートの室内で熱中症のため死亡。
失業中の48歳の息子と2人暮らしで、父親の年金だけが収入源。
このため、10年ほど前から電気が止められエアコンは使えなかった。

ニュース映像は、閉め切った部屋を映していた。

高齢者の住む家はなぜか窓は閉じられている。
物騒な世の中だからか、世間と遮断しようとしているのか理由はわからない。
外気が上がれば閉じられた室内はさらに上昇する。

安い天津すだれをかけ、窓を開け放てば風も通る。
工夫次第で最悪の事態は回避できたのではないか。

父親が死ねば年金支給は止まる。
息子は収入の手段を失う。
死んだ気になって働くか、
生活保護申請という2者択一。

仕事を選ばなければ、まだ若いのだからきっと見つかる。
しかし、父親の年金をアテにした寄生生活が長いということは、
精神が怠惰になっている。

易きに流れるか?

●殿様蛙
メダカの瓶にいつの間にか殿様蛙が棲みついていた。

豊富な水草が影をつくり、瓶のため水温はそんなに変化しない。
しかも水はきれい。
外敵はほとんどない。
理想的な環境といえよう。

メダカの餌やりにゆくと水面に顔を出していた殿様は深くもぐってしまう。
今のところ被害がないようだが、
蛙は小昆虫を捕食するが小魚を餌にするのだろうか?

立ち退きさせるには、一度水をすべて出さなければならない。
新しい水はメダカに何らかの影響がでるだろう。

そんなわけで、殿様の長逗留を許可している。

今朝は、睡蓮の葉陰から外界をうかがう殿様を見つけた。


8月15日(日曜日)

●ジューン・須山
「戦後65年目のスクープ」東京ローズの悲劇が放映された。

ジューン須山。
初めて聞く名前だった。

太平洋戦争に従軍した米兵に日本軍は謀略放送を行っていた。
「ゼロ・アワー」。
陸軍中野学校出身の参謀が統括し、
内幸町のラジオ東京(現NHK)で作成した短波放送だ。

大本営発表は相変わらず日本軍優勢を伝え、
軽い音楽と取りとめのないおしゃべり。
担当の女性アナは日系人かスラングも使える英語堪能者で、
チームは5〜6名。
ジューン須山芳江、ルース早川寿美、マーガレット加藤弥恵子
キャサリン・師岡薫、古屋美笑子、石井メアリー。
そして、タイピストとして雇われていたアイバ・郁子戸栗が
最後のメンバーとなった。
彼女は偽名で「孤児アン」と名乗った。

洋上の米兵たちは日本の放送と知りつつも、
ゼロ・アワーの女性担当の番組を聴き、その時刻を楽しみにしていた。
いつしか、彼らは彼女たちを「Tokyoローズ」と呼ぶようになっていた。

そして日本は敗戦。
大勢の兵隊の進駐と同時に記者たちも日本の土を踏んだ。
彼らはスクープを狙っていた。
ターゲットは東条英機とTokyoRoseだった。

NHKに押しかけた記者とたまたま対面したのがアイバ・郁子戸栗だった。
「東京ローズは誰か」の問いに
「複数いるが私もその一人」と答えた。

だが、いち早くスクープ打電したい記者は、他のローズはどうでもよかった。
「アイバ・郁子戸栗が東京ローズ」記事を送った。
彼女はいちやく時の人になるが、
米国では米国籍をもつ女性が裏切った、と怒りを買うことになる。

横浜刑務所から巣鴨刑務所に送られ、船でサンフランシスコに送られる。
ここは、反日感情が一段と強い地域だった。

結局、彼女は有罪となり
1949年10月6日、市民権剥奪、禁固10年、罰金1万ドルの判決が下った。
その後30年近く剥奪されたままだった。
2006年9月、90歳で死去。

彼女は「いけにえの羊」にされたのではないか、という声がくすぶっている。
反逆罪の罪をでっち上げ、有罪にすることで利益をえた者がいる。
それは大統領選を間近に控えたトルーマンだった。
彼の意向が大きく働いているというのだ。

「ゼロ・アワー」を担当した女性のうち、
成熟したハスキーボイスで
「留守を守る妻や恋人は、今ごろ他の男とベッドの中…」などと、
ささきかけた女性がいた。

この声はアイバと大きく違っていた。
アイバはどちらかといえば、しゃがれた声で、
控えめに見ても色っぽくない。

では、その女性は誰か。
残された音源から声紋調査した結果
「ジューン・須山」であることがほぼ確実になった。

彼女は、シスコでアイバの裁判が行われている頃、
横浜で酔っ払った米兵が運転するジープに轢かれ死んでしまう。

「本当は、あれは私ではないかしら」と思ったかどうかわからない。

軽率なひとことで、アイバは人生の多くを棒に振ったことになる。

名誉回復後、アイバは父親が興したシカゴの雑貨店で過ごすす。
彼女の店を発見し、訪問したが会うことはできなかった。
娘が何度か顔を出し、店の人と話をするようになったが、
一度、奥で見かけたのが老いたアイバではなかったか、と言っていた。

シカゴの彼女の店の写真は .-->

●ぱらぱらチャーハン
プロのような米粒のたったチャーハンを作るのは難儀だ。
炊き立てのご飯がいい、
とき卵にご飯を入れてかき混ぜ炒める、
などなど聞きかじった知識を試したけど
なかなかうまくできなかった。
プロと違って火力が弱いから仕方ないとあきらめていた。

先日、夜遅い時間、なんとかコーテツ君という料理人が
香港を訪れ、さまざまな食材と現地の料理人の技にを紹介していた。
そのうち、干し魚を使ったチャーハンの名人という主婦のお宅を訪問。
彼女は冷蔵庫から冷えたご飯を取り出し、水を通した。
油で熱したフライパンに具材とご飯を混ぜる。
卵は使わない。
すると、あら不思議。
ぱらぱらチャーハンがいとも簡単にできあがった。

夏場は、炊いたご飯は容器に入れて冷蔵してある。
で、水洗い技法で作ってみた。
TVで見たとおりのぱらぱらができた。

米粒の表面のぬめりを取り除くのだろうが、
さすが主婦の知恵。
今までの試行錯誤は何だったの?

ぜひお試しあれ。
あら、とっくにやっている。
しつれ〜しました。

●65年前
本日同様、よく晴れわたり暑かった、そうだ。
夾竹桃の鮮やかさが印象に残っているという人も多い。
東武動物公園・釣堀のネット脇にも赤紫色の花を見ることができる。

私の場合。
父親は出征し母親は私を連れて群馬県の実家に疎開していた。
戦争には関係なさそうな利根川べりののどかな農村だったが、
すぐ近くの大泉(だったか)に、中島飛行機の工場があり
戦闘機を生産していたこともあって、B29が爆撃にきた。

母屋と納屋の間から細長い空が見える。
青空の中を迷彩をほどこさない
ジュラルミンの機体をきらきら光らせながら編隊飛行する一群を
仰ぎ見たことを覚えている。

軍事目標に落としきれなかった爆弾を捨て、機体を軽くするので、
とんでもない場所が被害を受ける。
そのため、母屋と畑の間に掘られた防空壕に非難する。

母親は村役場に保健婦として勤めていた。
食べるものは農村なので心配はなかった。

敗戦後、6年ほど経過すると、
毎年の夏休みに宿題を持って長期滞在した。
母親に連れられ常磐線金町から北千住で東武線に乗り換え館林まで。
そこからバスで田舎に行くのだが、
小学生の身には遥か遠くにやってきたという思いにかられた。

利根川は危険なので泳ぐことはなかったが、
同じ年のいとこたちと灌漑用水で毎日のように小魚をとって遊んでいた。

15日の玉音放送のことはおぼえていない。
65年前は水曜日だった。
母親は職場で聞いたのだろうか。
聞くこともなく他界してしまったけど。

8月14日(土曜日)

●「歸國」
明日の敗戦記念日を前に、帰らざる英霊たちの物語り。
日本が戦勝し世界に冠たる国家になることを信じて散った男たちが
まさかの敗戦、ぼろぼろの戦後から奇跡的に立ち上がり
世界に冠たる経済国家に発展。
しかし、人心は大いに変わってしまった。

こうしたギャップを幾つかのエピソードを交え、
戦後65年を迎える日本に問う。
倉本聡原作、鴨下信一演出作品。

サイパンに限らず、未だ海底、地中に眠る軍人は数多い。
こうした彼らの無念の思いが伝わってくる。
夕刊では、パラオに眠る戦友の墓守りをするために、移住した方の記事が載っていた。

平成22年8月14日から15日に変わる一瞬。
その空白の時間に、サイパンの海底深く眠る軍人の一群が
蒸気機関車で無人の東京駅ホームに到着する。

隊長は長淵剛少佐。
小隊長は学徒出陣で尉官任官した小栗旬ら若き下士官たち。
古参兵の一人は浅草でバナナの叩き売りをやっていたビートたけし。

さまざまな思いを残して行った人たちに会い
明け方4時までにホームに戻らなくてはならない。

小栗旬少尉はチェロ奏者で、ピアニストの堀北真希と帰還後結婚を夢見ていた。
その彼女は80歳を超え目を病んでいた。八千草薫。
音楽教師をしながら独身を通し、二度と帰らぬ人を待っていた。

昔、2人で演奏した部屋で再会するのだが…

年老いた彼女は、歌を歌わない子供が増えたと嘆き
「日本は豊かになったが、人間は貧しくなった」と。

ビートたけしは幼い妹と故郷を捨て浅草に住み着いていた。
兄はテキヤ、妹の小池栄子はレビューのステージに立っていた。
その妹が病院で植物人間となり生かされていた。
苦労して育てた息子(石坂浩二)は、東大を出て大出世。
しかし、親を病院に入れたままほとんど見舞いに来ない。

看護士はそろそろラクにさせてはどうか、と医師に持ちかける悪魔のような女。
医師は拒絶するが、根拠は法律。
しかし、死期の近づいている少女が生命維持装置のスイッチを切る。
兄貴のたけしは少女に礼を述べる。

母親の死を知った息子は「これで肩の荷が下りた」と家族にメールする。
逆上したたけしは、銃剣で甥っ子を刺殺してしまう。



私のいとこの父親は、インパール作戦に従事し戦死。
いとこは父親の顔を知らない。
母親は再婚せず息子を立派に育て上げた。
彼女は健在だ。

昔の女性は一本筋が通っていた。



ドラマの小栗旬が将来を誓った女性も同様だし、
このような女性は大勢いたようだ。

簡単に男とくっつき、わが子を殺す母親が社会問題となっているが、
「英霊」たちは、大和撫子の変わりようは理解できないだろう。



鷲宮の郷土資料館の企画展示の出展物に、
「菖蒲女子青年団沿革史」があった。

明治時代後期、男子の青年会に対し女子は「処女会」という組織を作っていたそうだ。
入会できるのは12歳から25歳の未婚女子。
未婚でも25歳を超えたら退会。

活動は裁縫、家事の学習、町村会の奉仕活動、運動会、バザーなど
多岐にわたっていた。

つまり、社会性のある女性になるための地域組織だった。

資料の菖蒲女子青年団は大正6年に「処女会」として創立、
昭和6年女子青年団と改称された。
会長は菖蒲尋常小学校校長が就任していた。

当時も今も菖蒲は辺鄙な地域だ。
それが「処女会」とネーミングするとは、大胆な。

現代女性には死語のような言葉だが、
戦前は「男女席を同じくせず」の思想が一般的で、
女性の処女性も重要視された。

小栗旬、堀北真希の純愛と、一人の男性を待ち続ける健気な女性は、
原作者、倉本聡氏の理想なのかもしれない。
なんせ、今の女は尻が軽すぎるようでもあるし。

最後のほうで、深夜に参拝しようとする閣僚をとりあげ、靖国問題にも触れていた。



ビートたけしは一本調子の演技だが、
暴力シーンは相変わらずうまい。

郵便物検閲係の男は首吊り自殺をしたため、
成仏できず深夜の現代日本を徘徊している。
この男の首には縄の痕があるのだが、
単に描いているだけなので不自然。
せめて特殊メイクででこぼこを出していただきたかった。

兵士たちはどこかに大きな傷を負っている。
時折、痛むらしく苦悶の表情をする。
その度に、ぱっくりあいた傷口が映し出される。
死者なら痛むはずないのだが。

9時〜11時24分。
長いドラマだったが眠気を催さず見終えた。

●土曜は花火
東武動物公園の花火が8月は毎夕土曜日打ち上げられる。
今回は、コンパクトデジカメに三脚をつけて自宅の庭で撮影。
手ブレのない写真が撮れましたとさ。



※おしまいに近い

●東鷲宮から鷲宮へ

※伊勢崎線開業100年マークをつけた「りょうもう」

JR東鷲宮は以前から気になっていた。
駅至近マンションのチラシは入るし、
当町のように曲がりくねった道ではなく、
碁盤の目のようなすっきりした町並み。
スタバなど都会の店が軒を連ね
街路樹と街区の植栽がみごとに生育し、
若い家族が生活をエンジョイしている。
勢いがある地域。

そんな街を勝手にイメージしていた。

で、確かめに行くことにした。

東武動物公園から下り電車で2駅。
久喜からJRに乗り換え1つ目が東鷲宮だ。
最近、「ひがしわしみや」から「の」を入れて
「ひがしわしのみや」と呼称が変わった。
というより、昔の呼び名に戻ったようだ。

「硫黄島」は米軍呼称が「いおうじま」で、日本もそれにならっていたが、
昔通りの「いおうとう」に変わったのと同じ(かな?)

お目当ての駅に初めて降り立つ。
東口が区画の整然とした地域だが、
はて?出口がない。
階段を上ったら上りのホームに出てしまった。
改札で尋ねると、地下連絡道を通って東側に出るという。

※東側への連絡地下道。自転車を押して上るには相当、力がいる。

ぬわんと、
発展著しい側に出口がない!
いまどきJRに橋上化されていない駅があるとは。
これで減点80。

急勾配の階段を下り、線路下を移動したら
再び急勾配の階段を上る。
年よりは住むな、という街だ。

いよいよ気になっていた町とごたいめ〜〜ん。
あら!
イメージしていた街並みとまるで違う。
駅前広場の向こうにスーパー。
その後ろ側と左側に集合住宅が立ち並ぶのだが、
5階建ての低層住宅。

草加松原団地や千間台団地のような、
たぶん、旧住宅公団の物件だろう。
20年後はスラム化するだろうな。

道は広いが街路樹が全然育っていない。
駅前の街路樹の花壇には雑草が生い茂っており、
敷石の間から雑草がちょろちょろ。
町の顔となるべき駅前が賞味期限をオーバーした弁当のようにパサついている。
減点20。

見学を中止。
せっかくだから、東武線鷲宮駅まで歩いてみることに。

栗橋はJRと東武が接近しているが、
東鷲宮と鷲宮はかなり離れていた。
幸い、日が照っていなかったので助かったが、
ギンギンギラギラだったら熱中症だったろう。

さいたま栗橋線をてくてく。
152号を左折。
今年3月合併し鷲宮町は消滅し久喜市になったため、
鷲宮総合支所を左に曲がり410号へ。

図書館と郷土資料館が一緒の建物があったので、入る。
合併記念事業企画展が行われていた。
「新・久喜市の歴史と文化」
久喜、菖蒲、鷲宮、栗橋の歴史・文化が紹介されていた。
数多くの古文書が展示され興味深かった。

宮代町の図書館、郷土資料館が、いかに優れた施設か再認識。

「ら☆きすた」で、一躍全国区になった
鷲宮神社に足を伸ばす。

神社に至る一本道は、鷲宮町の歴史を感じさせる商店街。
御多分に漏れず細々と営業しているが、
戦前からと思える理髪店とか、
それ以前からの住宅が存在し、東鷲宮よりよっぽど面白い。
あちらは新開地だから、昔は田んぼ。
こちらは鷲宮神社を中心に栄えた江戸以前からの町場。
歴史が違う。
行政の施設もこっちだ。

※古めかしい理髪店


※これも理髪店 ラキスタポスターが貼ってある。


※由緒正しい日本家屋

歴史と漫画文化が薫る鷲宮神社は、人の姿がちらほら。
駐車場には漫画をペイントした熱狂的なファンの車が。
練馬、八王子のナンバーも。


深々とした木立に囲まれ心身ともに落ち着く。


ここから駅まで、あとわずか。

土曜の午後は1時間に4本という電車の数。
なんの変哲もない田舎の駅だが、
橋上化され駅の向こう側に出るにもスムーズ。

東武伊勢崎線なので、そのまま帰ることができると思いきや
隣りの久喜止まり。
そこから中央林間行きに乗り換え。
これも不便。

日光線、伊勢崎戦の分岐点である
東武動物公園駅の便利さを再確認。

約4時間のショート・トリップだったが、面白い。
近場の町探訪はクセになりそう。

8月13日(金曜日)

●就職難
難関職業のひとつである弁護士だが、
司法試験に合格し新人研修を受け、弁護士事務所に就職するのが
一般的なコースなのだそうな。
そこで修行を積み、1本立ちになる人もいれば
そのまま「社員」として終わる人もいる。

一般事務職への就職もままならない昨今、
ピカいちの資格所有者なら売手市場かと思うのは認識不足。
弁護士業界も厳しいらしい。
弁護士事務所といえども、人数でいえば中小、零細企業。
社員を抱えすぎては母艦が沈没してしまう。

なんと、4割が職場が決まらないという。

面白い業界用語があるのを知る。
「いそ弁」は海の香漂う「磯弁当」ではない。
居候弁護士といって、社員ではなく居候として在籍する。

「軒弁」は事務所の場所だけ借りる「軒下」弁護士。

「即弁」、いきなり開業する新人弁護士。顧客開拓は自分で行うのだが、
そんなひよっこに仕事をまかせてくれることは極めてまれ。
事務所家賃、生活費などとても稼げない。

勉強しまくり、第一関門を突破しても思うようにゆかない。
正義の夢破れ「悪徳」にならぬよう…
多いですからね〜こういう手合い。

現代は弁護士も弁当も同じ「弁」で済ませているが、
本来は以下のように厳密に区別されている。
今は、簡便すぎて、難関職業もお手軽食品もごった煮状態ですが。


●国道50号
昨日。
北関東道桜川筑西ICを降りて国道50号を小山方面に曲がる。
懐かしい道を久々に走った。
10年近く前、水に凝っていたとき。
筑波山の麓の雨引観音の水を汲みに行っていた。

初めて4号バイパスから50号に入りひたすら走ったのだが、
群馬県前橋と茨城県水戸を結ぶ北関東の幹線道路などとは露知らず
沿道に飲食店がひしめき、大型DIY店、ガーデニングセンターがあり、
交通量が激しいのにはびっくりした。
結城市は道幅が広いが、筑西市になった下館あたりは片側1車線の狭い道になる。
下館は歴史を感じさせる建物が並ぶ。
道路から少し入ったところにハム工場を見つけ生ハムを買ったり
その隣りに韓国の陶器工房があって、
変わったデザインの器なども購入した。

肝心の水は、その後栃木県塩谷の山奥の尚仁沢のほうが水量は多いし
日本の水100選にも選ばれている名水ということもあって、
雨引観音には行かなくなってなってしまった。
今は、水道の蛇口にフィルターをつけた簡単なものになってしまった。
歳とともに片道200kの距離はしんどくなったこともある。

北関東道は、片方の終点に近い水戸大洗ICから乗った。
「なかみなと」の帰り道だった。
行きは16号の柏から常磐道から、友部JCから北関東道へ。

お盆ということもあり混雑を予想したが、
行きも帰りもスムーズ。
特に初めて走る北関東道はがらがらというありさま。
行きの高速代1800円、帰り1000円。

ふたたび「なかみなと」に行くことがあれば、50号経由のほうが
心理的に近いような気がするし交通費も安い。

なかみなとのお魚市場は、そこそこ人が来ていたが、
到着時の駐車場はたった3台。
岸壁の公営駐車場は混雑していたが。


ここまで来たからには海鮮丼やまぐろ丼を頼むのが常道だが、
刺身をめちゃ食いするほど好きではない。
で、特大えびフライ定食などという、どこでも食べられそうな昼食だった。
が、えびの大きさ、価格の安さは海辺の町ならでは。



帰り、大洗のアウトレットに寄る。
佐野、御殿場に比べればはるかに小規模だが
南国リゾート風の造りで若者やヤング・ファミリーで賑わっていた。
Beamsが出店していた。
銀座のBeamsにはたまに顔を出すが茨城県で出会うとは。
スタッフはよく訓練されており都内と違和感がない。
彼らは地元出身なのだろうか。
「だっぺ」イメージは完全に払拭されていた。

●完全閉店
何年か前、春日部にララ・ガーデンが出店した。
ポート、ガーデン、テラス。
施設面積に応じて呼び方が違うとは知らないから、
横浜ララ・ポートのような商業施設が近くにやってくる、と喜んだ。
ところが、期待に反して小さな「ガーデン」。
吹き抜け構造なので、関東の寒い冬などは震えながら見て歩いたものだ。

そのうち越谷、白岡などに大型商業施設が誕生した。
中途半端な広さと夏暑く、冬寒いという
あんまり面白くない施設のため客足は次第に遠のき
「ガラガラ・ガーデン」と呼ばれる始末。

採算が合わず撤退するテナントが後を絶たない。
今朝は「メガネの愛眼」の「完全閉店」のチラシが入っていた。

春日部はメガネ店の激戦地。
ロビンソン百貨店内はもちろん、周辺の単独店、西口も同様。
パチンコ屋についでチラシの枚数が多い、という印象。
ほとんどが、商品の羅列で価格の安さを謳っている。

ところが「メガネの愛眼」は、
そんじょそこらの安売り店とは違いますよ…というテイスト。
撤退もばたばたと行わず儀式のように執り行いたい。
チラシにその思いが表れている。
フレーム全品70〜30%Off、
顧客データは大宮サティ、南越谷で管理させていただく。

安く買っても、その後の調整は遠方まで足を運ばなくてはならないのでめんどくさい。
だが、この店にはレイバンのいいフレームを扱っていることを知っている。
さて、ど〜しよ〜かな。

●解説委員の死
NHK政治解説委員の男性が職場のトイレでネクタイで首をくくった。
病院に運ばれたがその後死亡した。
机から会社と家族宛の遺書が見つかったという。
56歳。
まだ定年は先。
何が彼を死に駆り立てたのか?

仕事か?
そうでもないらしい。
彼は、出世を望むタイプではなく、現在与えられた政治解説に不満はなかったという。
が、ふさぎがちの姿を目撃している人もいる。

健康か?
NHKは自殺の理由を解明しないといっている。
が、テレビ、週刊誌などは探り始める。
あらゆる手段を駆使してカルテを入手するだろう。

現在の仕事に満足していると、はために見えても
彼なりの悩みがあったのではないか?
56歳といえば、
NHKでは第4コーナーを曲がって
定年に向けて走り始めている。

多くの後輩アナがNHKを飛び出し活躍している。
もうひと花咲かせたい。

フリーになるか。
退職して民放に移籍するか。
政治評論家に転進するか。

政治畑一筋に歩んできたためイメージが固定されている。
このため、NHKを飛び出しても
思ったほど自由に羽ばたけないのではないか。
華々しく活躍している連中は、口八丁手八丁だが
くそまじめに見える性格が、フリーには向かないのではないか。

あれこれ悩んでいるいるうちに、思考停止。
行動がとんでもない方向に向かってしまった。

しかし、2通の遺書を残しているのだから
直前まで冷静だったのだろう。

次の疑問。
自ら命を絶つのに職場を選んだのはなぜか。
一般的には会社に恨みがあり「あてつけ」、と考える。

なにしろ、職場は自己表現の場であり、
生活のための金を与えられるな場でもある。
普通なら感謝すべきであり、
職場を穢すようなことはしない。

行く末を悲観していたなら自宅のトイレでも、
海・山でもいいのではないか。
企業イメージを落とし、
そこで働く大勢の人たちに迷惑を掛けると思わなかったのだろうか。
どこを選ぼうと、救命にあたる人たちに迷惑をかけるのだが。

死者を鞭打つようで申し訳ないが、
自ら命を絶つときは、そのあたりのことをよ〜く考えてみよう。
自己の姿をシミュレーションしているうちに
思いとどまるかもしれない。

8月12日(木曜日)

●台風4号
日本海を北上した台風の影響で天候は安定しなかった。
曇り、ときどき晴れ、ときどき雨。
生暖かい風が強い。

夕方には汚れた空気が一掃され富士山がよく見えた。
裾野までくっきりと浮き上がった姿は初めてだった。
台風が過ぎたあとの西の空は、
凄みのある色彩で燃え上がるようだった。


8月11日(水曜日)

●歩兵11連隊
NHK BS3 12:30〜13:15。
証言記録兵士たちの戦争
〜偽装病院船 捕虜となった精鋭部隊〜広島・歩兵第11連隊

この時期テレビを見るのが忙しい。
すべてNHKというのが特徴だ。

大戦初期、仏印に上陸した日本軍歩兵部隊が破竹の勢いで
マレー半島を南下しシンガポールまで勝ち進んだ。
その主力部隊が歩兵11連隊だった。
日本陸軍には珍しい機械化部隊で、小型戦車、輸送車両を装備。
歩兵は自転車で進軍した。
「銀輪部隊」と呼ばれ、国内のニュース映画でも大いに喧伝された。

歩兵11部隊は軍都・広島に明治8年9月に創設された名門で、
広島に生まれた若者は、ここに入り国に尽くすのが男の誉れだったという。

それなのに、健康な兵士は乗船を許されない病院船「橘丸」で、
ニューギニア近くのカイ島からシンガポールに移動中、
2日目の昭和20年8月3日、米軍駆逐艦に拿捕され、
1500名以上が一度に捕虜になるという
陸軍始まって以来の恥ずべき事件を起こしてしまった。

この不祥事で
師団参謀長 浜島厳郎大佐は8月6日、
師団長 山田清一中将は8月15日それぞれ自決。

ポツダム宣言受諾後、BC級戦犯裁判で、
国際法違反の偽装病院船に関わった9名の将官が裁かれた。
それぞれが責任のなすりあいを行ったという。
昭和23年4月13日 橘丸事件の判決が言い渡された。
4名が重労働、他は無罪。

兵士たちはモロタイ島からマニラへ送られ、
モンテンルパの捕虜収容所に入り、終戦を迎え、
20年12月、変わり果てた広島に帰還した。

アルファベットの「K」似ている、昔セレベス等、今スラウェシ島。
その隣に同じような形のハルマヘラ島がある。
(この島は俳優にしてエッセイスト池部良が尉官で出征していた)
このハルマヘラ島の真上にモロタイ島がある。
実は、私の父親が赤紙で兵隊にとられ、
運ばれたところがハルマヘラだった。

晴れた日には水平線上にモロタイ島が見え、
毎日、定期便のように戦闘機が機銃掃射にやってきたという。
通信兵だった父親は、日本軍の劣勢を知っていて、
毎日がジャングルに逃げ込んでいたという。
(私が小学校の頃よく聞かされていた)

その頃、歩兵11連隊がモロタイ島で捕虜になっていたことなど
知る由がなかったろう。

参謀、司令官といった高級軍人に比べ
兵隊は捨石になる運命。

栄光の精鋭部隊は
陸軍のずさんな作戦によりそれまでの名誉をズタズタにされた。
90歳近い元兵士たちは、
食料の補給もなく放り出され、悲惨な自給生活を余儀なくされ、
挙句の果てに不名誉な捕虜になってしまったことを
淡々と語っていた。

●靖国参拝
間もなく敗戦記念日がやってくる。

靖国神社にはお国のために戦い亡くなった兵士が祀られている。
民主党内閣は、いち早く全閣僚の靖国参拝を行わないことを決めた。

さもありなん。
韓国併合100年で、韓国に対しかなり歩み寄った謝罪談話を発表直後に
侵略国家の軍部指導者も眠る靖国神社に参拝ては
つじつまが合わない。

そこへゆくと、小泉前首相は中・韓が猛反発する中、
個人の資格で参拝している。
右がかったタカ派の男だった。

戦後生まれの首相たちは周囲を気にするあまりなんか不甲斐ない。
何をするにも、去勢された犬猫のようにおとなしい。

靖国神社には、一般兵士に混じり
極東国際軍事裁判(東京裁判)で断罪されたA級戦犯も一緒に祀られている。
侵略された国家は、特に、中国、韓国は
戦争犯罪人を閣僚が参拝することを嫌っている。

今年は戦後65年という、ちゅうっくらいの節目の年だ。
(きりのいい5年ごとなのだから仕方ない)
35年後の敗戦100年記念日にはどうなっているのかね。
あたしゃ死んでるので関係ないけど。

ヒロシマ、ナガサキも式典が執り行われた。
靖国も例外ではないだろう。

参拝を拒否した民主党に遺族会のかたがたは、
どんな思いで受け止めるだろう。
理想論ばかりふりまわし現実を見据えない、
右顧左眄の腰抜け集団…かな?

前原誠司国土交通相は「分祀」に触れている。

断罪されたA級戦犯を別の施設に祀ることなのだが、
絞首刑された7名のうち6名は、陸軍高級軍人だ。
終身禁固16名中7名が陸軍、海軍はわずか1名。
太平洋戦争は陸軍の暴走で引き起こされ
海軍が引きずられたという図式になっている。

頭のいい海軍は、敗戦直後「海軍省」の看板を下ろし
「復員省」と名前を変え、
戦後復興にいち早く備えたような印象を与えている。
これが、海軍残党の作戦だった。

大陸を蹂躙した好戦的な陸軍というイメージが
侵略された東南アジアにはあるのだろう。
特に、主要都市を爆撃され国民は虐殺され、満州という傀儡国家を樹立された中国、
植民地となり民族の誇りを穢された韓国が「怨み骨髄」なのだ。

例えば、将官、高級将校が分祀されれば、
栄光の帝国陸軍、海軍を偲ぶために、
陸・海大学校、士官学校などの旧軍エリート・グループが
そこを「聖地」とするだろう。
閣僚が参拝しなくとも、中・韓は難癖をつけるに決まっているのだ。

どこかで、負の連鎖を断ち切らなくては
日本はこの先何年経過しても謝罪をし続けなくてはならない。

英国と通じた多数の華僑を日本軍に虐殺されたシンガポールだが
中・韓のようにヒステリックではない。
政治・経済・文化が発展した国家のゆとりなのだろう。

中・韓は、国民のガス抜きのために日本を槍玉に挙げるという
政治行動を取っておりますからね。

8月10日(火曜日)
●その後のシンドラー
故障が多い殺人エレベーター会社のことではない。
大戦中1200名のユダヤ人を救ったドイツ人実業家、
映画「シンドラーのリスト」のシンドラーだ。

スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」は
平成6年2月日本公開。
この年の7月現在地に移住した。
よって、横浜で見た最後の映画だった。

朝、ラテ面で22時「シンドラーが救ったユダヤ人」の文字を見つけたとき
迷わず、黄色いサインペンで印をつけた。
シンドラーとユダヤ人たちの戦後の物語だ。

NHKお得意のドキュメンタリー。
この時期になると、ヨーロッパ戦線、太平洋戦争物を積極的に放映する。

ポーランドのクラクフ・ゲットーに収容されていたユダヤ人のうち、
シンドラーの工場で働いていた人々が奇跡的に生き延びることができた。

金儲けをしたいシンドラー、生き延びたいユダヤ人、
ゲットーを撤収されると、前線送りになることを恐れた
収容所所長アーモン・ゲートの思惑が一致して、
奇跡的なドラマが生まれたと、知った。

ドキュメンタリーは、生き残ったユダヤ人の現在の姿を写す。
ほとんどが90歳代になっていた。

収容所所長アーモン・ゲートと
所長室で暮らしていた愛人(オスカー・シンドラーの秘書だった
ルート・イレーネ・カルダー)との間に
女児(モニカ・クリスチアーネ・ゲート)が生まれていた。
1945年生まれだから今年65歳になる。
彼女は生きていた!
母親イレーネもイギリスで生きており、インタビューを受けていた。
その直後に自殺したそうだ。

モニカの娘イヴァッテは息子にダーヴィット・アーモン・ゲートという
ユダヤ風の名前をつけていた。
イヴァッテはアル中のため、モニカが孫を育てている。

映画「シンドラーのリスト」を見て父親の行為を知る。
3日間気分が悪かったという。
そして、イスラエルに渡り生き残った人たちから
父親の行為を実際に聞くという、壮絶なことをやってのけていた。

アーモン・ゲートのサディスティックな行いは映画で克明に描かれている。
ゲットーを見下ろす住居のバルコニーから、
テレスコープ付の銃で恣意的にユダヤ人たちを撃ち殺していた。
その住居は今も残っている。

ドイツ敗戦後ポーランド法廷で死刑宣告を受け、縛り首になった。
(首に縄を巻かれ、足元の板が落とされ絞首刑になった実際のシーンが放映された!
さすが、NHK。よくもまあ、こういうフィルムを探し当てたものだ)

敗戦により工場を失ったシンドラーは
アルゼンチン、ドイツで事業を興すがいずれも失敗。
失意の彼を、イスラエルに安住の地を見つけた人々や
アメリカに暮らす人々が、恩義に報いるためイスラエルに招く。

彼は持病の心臓病で1974年に66歳の生涯を閉じるが
墓はドイツではなくイスラエルにある。

3者の利害が一致したとはいえ、
オスカー・シンドラーの行為は、当時の最高権力ナチスに逆らうものだった。
ユダヤ人救出のため莫大な資金を使った捨て身の行為は
彼自身ナチス党員なのだから、国家への裏切だ。
ナチス御用の実業家が人道に目覚めたのは、
子供の頃からユダヤ人を遊んでいたという環境にあったのかもしれない。

戦後20年以上経過してからドイツから表彰され、
2008年には記念切手が発行される。
さらにイスラエルから顕彰されている。

NHKの執念の克明な取材にはいつも驚かされる。
受信料はちゃんと払いましょうね。
これが取材費にも使われるのだからさ。

●サブウェイ123 激突
昨年9月に公開された、
デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタが対決する地下鉄パニック映画。

ニューヨーク地下鉄運行司令部で電車をコントロールするデンゼル。
地下鉄を乗っ取り身代金を要求する犯人がトラボルタ。

久々に見るデンゼルは55歳。
昔、軍人役で登場した精悍な体つきは姿を消し、ぶくぶく太った中年男。

一方、サタディ・ナイト・フィーバーで颯爽とステップを踏んだ
元青春スタートラボルタだったが、
最近は刑事や悪人役がよく似合ってきた。

トラボルタは残酷だが一風変わった乗っ取り犯。
たまたま交信したデンゼルが交渉役になってしまう。

互いの心理を読んだ駆け引き。
地下鉄の運行指令係が意外な才能を発揮する。

微笑みながらしゃべりまくるトラボルタ。
どの映画も同じような表情をする。

複雑なNYの地下鉄の進行状態が大きなスクリーンに映されている。
日本も同様なのだろうか。

2009年8月20日、公開に先立ちデンゼル・ワシントンが来日。
都営地下鉄一日運輸司令所長に任命され、
都営地下鉄大江戸線国立競技場駅でアナウンスを日本語で披露したそうだ。

●今さら何をかいわんや
1910年8月22日、日本は韓国を併合、植民地とした。
以後、日本が第二次世界大戦に敗北するまでの36年間政治経済文化を支配した。

今月22日は「日韓併合」100周年となるのだが、
1945年9月で、すべて「お返し」しているわけだから、
その後の64年まで織り込んで「100年」などと
ことさら際立て、騒ぎ立てるとはね…

「日韓併合100年」などと書かれては、
日本史を学ばない学生たちは、
日本が韓国を1世紀にわたり実効支配した記念日で
「ちょうちん行列」をするのか、と
早とちりするのではないかいな。

村山元首相が1995年に行った、アジア諸国に対する植民地支配について言及した
「村山談話」というのがある。
今般、8月22日を前に、菅首相は、村山談話を下敷きに、「菅談話」を決定した。
談話は韓国にだけ発せられている。
「日韓併合」により韓国国民に多大な苦痛を与えたことに対し「痛切な反省」と…

さらに「反省すべきことはきちんと反省」というが、何を反省するのか。
日韓併合は日清戦争後、韓国王室の混乱に乗じて
武力介入し、最終的に「乗っ取った」という図式だ。

日本の敗戦後の新憲法が反省のあかしなのだ。
日本は武力は持たないことになっている。
(自衛隊という軍隊ではない武装集団があるけど)
従って、武力侵攻などできるはずがない。
これ以上反省することがあるのだろうか?

「ねじれ国会」で、低姿勢で臨むことに慣れてしまった首相らしく、
極めてへりくだった表現を用いている。

敗戦後の歴代内閣が韓国問題と正面から向き合ってこなかったツケに
利息がついて、いつまでついてまわるのかね。

100年前、ひいひい爺さんたちが国家威信をかけて行った行為に対し、
顔は写真でしか知らない玄孫(やしゃご)がひたすら謝罪しているという滑稽な構図。
であれば、豊臣秀吉が文禄、慶長の役で
韓国に侵攻、蹂躙した罪まで謝罪すべきだろう。

最近、首相が変わるたびに、韓国に謝っているという
世界から見れば珍妙な事態に陥っている。

どさくさに紛れて奪い取った韓国の古文書はさっさと返せばいい。
博物館に展示するのならともかく、
宮内庁が秘匿していたというのだからあきれる。
やはり、後ろめたいものがあったのだろう。

植民地化した韓国に詫びるなら、
同じ植民地の台湾はどうするの?
大陸に気兼ねして台湾とは国交をもたない。
しかし、台湾国民は親日的であるという。

こういう国家をないがしろにして、
騒ぎ立てる国家に対してだけ談話を発表するのは片手落ちだろう。

ともかく最近の日本は自信喪失。
卑屈でさえある。

菅首相は、謝罪すると同時に
実効支配されている「竹島」に触れ、
常駐している軍隊を引き上げさせ、韓国国民の島への訪問を禁止させるよう
言うべきでないの。

とやかく言うのなら、国際司法裁判所で決着をつけましょうか…と。
これをやられては、ブが悪いと、韓国自身が知っていることだ。

談話といえども、相手の喜ぶであろうことばかりでなく
こちらの主張も盛り込むべきなのだ。

これから先、100年を見据えて両国の
強力なパートナーシップを提案しているが、
ここでも、東アジア共同体構想の文言が使われている。

時期尚早だということがわからんのかね民主党は。
こんなことを言えば、衣の下に鎧を見てしまうのだよ。
韓国国民の多くは未だ日本に猜疑心を抱いている。

敗戦により軍国主義から、波乱もなく民主主義に転向してしまう
日本人のように従順な羊ではないのだから、コリアンは。

●素晴らしき庭
最近合併した近郊の町に
とてつもないイングリッシュガーデンがあるという。
個人の庭で非公開ということだ。
しかし、好奇心の風船玉はふくらむばかり。
わずかな情報を手がかりに、途中で聞くこと3〜4度。
やっとたどりついた。
(昨日の出来事ですけど)

屋敷林に囲まれた広大な敷地に独創的な「和」と「洋」の庭があった。
これだけの庭はちょっと見たことがない。
双方とも手入れが行き届き、
例えば土の小径には雑草ひとつない。
「和」の庭は苔むし歴史の長さを感じさせる。





※落ちた実から育てたというヒメシャラが効果的に植えられている。

「洋」のほうは薔薇の季節は終わっているので、
初夏の華やかさはないが、よく刈り込まれた広大な芝生の両サイドに
蔓薔薇がみごとにからんでおり、往時のみごとさを想起させられる。

※「洋」の庭への入口。石積み、敷石もご主人の自作というから驚き。


※5月の入口。(絵葉書をいただいた。)


※元は馬小屋の画廊。おもむきがある。


※広大な敷地でないと、これだけの芝生は実現できない。
 パターの練習もできそう。昔は、馬場だったという。

が、この時期、緑陰とせみ時雨が盛夏の庭に趣きを与えている。
元馬小屋だったという画廊は白く塗られみごとに姿を変えていた。

ご夫妻のご好意でゆっくり拝見させていただいた。

例年5月の6日間。
ご主人の個展に合わせて庭も一般公開される。
近在はもとより都内からも訪問客が絶えないという。

ガーデニング雑誌のトップ見開き4ページで紹介されるほどなので、
愛好家には名の知れた庭なのだろう。

非公開日に突然訪問したというのに、
快く案内していただいたご夫妻に感謝しつつ辞す。

※おみやげにいただいた自家製野菜。初めて見る白ナス。

8月9日(月曜日)

●長崎原爆忌
長崎は本日65回目の原爆忌を迎える。

テニアン島を発進した重爆撃機B29「ボックスカー」により
昭和20年8月9日午前11時2分、長崎市浦上天主堂付近の上空で
プルトニウム239の原子爆弾「ファット・マン」が投下された。

第一目標が福岡県小倉市(現:北九州市)小倉陸軍造兵廠、第二目標が長崎市だった。
しかし、第一目標確定に手間取るうち、日本軍の迎撃も激しくなり第二目標に切り替えた。

原爆投下後テニアンに引き返す予定だったが、
ボックスカーが目標確定に手間取り燃料不足のため、沖縄読谷飛行場へ。
そこで燃料補給しテニアンに向かった。

死者数を長崎市は7万3884名としたが、「原水爆被害白書」では、
約12万2000人としている。

死者 7万3884名
重軽傷者 7万4904名
罹災人員 12万820名

全焼家屋 1万1574戸
全壊家屋 1326戸
半壊家屋 5509戸
罹災戸数 1万8409戸 

長崎市は周りが山で囲まれた特徴ある地形であったため、
熱線や爆風が山によって遮断された結果、広島よりも被害は軽減されたが、
周りが平坦な土地であった場合の被害想定は、広島のそれを超えたとも言われている。

広島の3日後長崎が原爆攻撃を受けるとは軍部も思っていなかったろう。
これで、軍指導部は完全に戦意喪失。

1週間後にポツダム宣言を受け入れ日本は降伏するのだが、
この7日間、御前会議が繰りかえされる。
そしてNHKは敗戦宣言、天皇の玉音レコード録音を行う。

それを知った戦争継続を叫ぶ青年将校たちは、
レコードを血眼になって探す。

このあたりは、映画「日本の一番長い日」に詳しい。

ともかく、日清、日露戦争で明治日本が獲得した
台湾、朝鮮、千島列島などの権益は
飽くなき拡大欲求を実現しようとした
昭和陸海軍の無謀な作戦により、すべて喪失することになった。

「大東亜共栄圏」という言葉がむなしい。

かつて鳩山由紀夫元首相は「東アジア共同体構想」をぶちあげた。

昭和初期のような武力による統一ではなく、経済ベースによるものだろうが、
唐突すぎて違和感を感じた。
まず、東南アジアの国々と信頼関係を築き上げ、
リーダーシップを発揮できるのは日本、と各国に思われてから
次のステップで取り組むべき大問題だろう。

指導力欠如、この国の歴史を知らず、
「抑止力」という言葉も知らないような男の政党を
国民は選んでしまった。

高いところから理想論を語る「鳥の目」を持つ鳩山に代わり、
市民運動出身の菅が首相になったけど、
こちらは、地を這うような「蟻」の目だ。

清濁併せ呑み日本を甦らせるような大政治家不在というのが
一番の不幸ではある。

●夕焼け

昨日、19時に近いころ。
西の空が台風の後のように染め上がった。
凄みのある夕焼け。
あわててカメラをとりに戻る。
わずか1〜2分だったが、色の具合は変化してしまった。

8月8日(日曜日)

●かすかに秋
相変わらず気温は30℃を軽く超える日々が続き
家の前後ではセミが大合唱。
だが、窓を開け放つと風が通り過ぎ
先週よりだいぶしのぎやすくなってきた。
空気は熱風をはらむことなく、なんとなくサラッとしている。

そう、昨日は立秋だった。
ほんのわずかな変化に新しい季節の到来を探している。
単純といわれれば、そうかも知れないけど。



※ブルーベリーも順調。

夏野菜もそろそろ終わろうとしている。
トマトは大玉の苗でも上にゆくに従い小ぶりになってゆく。
ナスは徒長し、葉が虫食い。
肝心の実も硬くなってきた。
残っているのはそんな物ばかり。
ピーマン、シシトウは元気だけれど。



※手持ちで長時間露光。手ブレ防止がきいているのか、まあまあのでき。

昨夜は東武動物公園の花火大会。
8月は毎週土曜に開催される。
自宅の裏からも見えるのだが、高い木のために全容が見渡せない。
久々に開始の7時半にベスト・ポイントに出かけた。
先客が大勢だが、ほどよい間隔があって圧迫感がない。
夜店もなく、暗闇で空を見上げる。

30分にも満たない短い時間で終わる。
知り合いと出会い挨拶を交わし3分ほどで自宅に戻る。

これがローカルの小規模花火イベントのいいところ。

8月7日(土曜日)

●銀座今昔物語
BS−TBSで20:00からたっぷり2時間、銀座の魅力を紹介していた。
散歩する人、関口宏氏。
案内人、1〜3丁目は十字屋の社長、中村千恵子氏。
2人は大学が同期ばかりでなく、関口氏は高校時代の彼女を知るという旧知の間柄。
和気藹々と表通り、裏通りを歩く。
中村社長はマダム・チエコと名乗り、十字屋ビルで文化講演会を主宰している。
講師に関口氏も招かれたりしている。

彼女は旧姓K田さん。
大学のクラブで私の一年後輩だった。
美人が多いといわれる大学だが、彼女はひときわ目立っていた。

娘は元フジTVアナの中村江里子さん。
彼女は母親の後輩だ。

以前、銀座裏で母子連れ立って歩いていたとき
偶然出くわしたことがあった。
「娘です」と、紹介されたが、ブラウン管を通してお目にかかっている。
当時から美人だな、と思っていたが、
実際間近で見る江里子さんは背が高く、顔が小さくスタイル抜群。
首から上の造作は、同じ人間で、神はどうして不公平なのだろうと
思わせるほどの美形中の美形。
「母がお世話になっております」と挨拶されたが、声のトーンが低く言葉遣いも美しい。
ほんの立ち話で別れたが、美人からそれを上回る美人が生まれるという見本でしたね。
今、フランスで幸せに暮らしておりまする。

母親はいつの間にか、髪に白いものが混じっていた。
デジタル・ハイビジョンだから鮮明画像。
体型は少し太り気味。
時の流れの残酷さを映し出していた。

銀座を1丁目から遡上して新橋方向に歩いてゆく。
金春通りの銭湯や、ビルとビルの間の狭い路地などが紹介された。

小生、銀座1丁目の広告代理店を辞めた後、銀座8丁目の代理店に勤めていた。

夜の話だが。
1丁目の頃は。4丁目から向こうにはあまり行かない。
8丁目の頃は、4丁目から京橋方向へは出向かない。
そんなわけで、1〜8丁目の裏通りは丁寧に歩き回り、毎晩飲みまくっていた。
人生で一番元気な頃だ。

裏通りの昔の面影を残す懐かしい映像を見るにつけ、
人生など短いものだ、と改めて思う。

マンセ〜GINZA。

●気がね
昨日8時からの広島記念式典には、
核保有国米英仏代表が初出席、過去最多の74カ国代表が参加した。

初参加17国と参列者の肩書きは次のとおり
アメリカ:大使
アルゼンチン:臨時代理大使
イエメン:臨時代理大使
イギリス:臨時代理大使
ウクライナ:臨時代理大使
エルサルバドル:臨時代理大使
ガーナ:大使
クロアチア:臨時代理大使
コソボ:大使
サモア:大使
タジキスタン:大使
タンザニア:大使
パナマ:商務担当官
フランス:臨時代理大使
マーシャル諸島:大使
マダガスカル:大使
ヨルダン:3等書記官

昭和22年に「広島平和祭」として第一回が催された。
以来今回まで、海外参加国の変化は資料不足で記載することはできない。
昨年の59カ国に比べ今回は74カ国に増えたが、
背景には昨年4月にオバマ米大統領がプラハで訴えた「核兵器なき世界」演説にある。
最大の核保有国からのメッセージは、
どこまで実現できるかではなく、各国がいかに問題意識をもって取り組むかにかかっている。

もともと、英仏は米に追従する姿勢をとっていたので、
米国が参加すれば自動的に参加ということになった。

アメリカに気がねしていた国々、
世界の趨勢に乗り遅れまいとした国々の参加で一気にふくれあがった。
しかし、大使を送り込んだ国、
臨時大使代理などという即席大使参加させた国、
3等書記官という下っ端を指名した国など温度差はさまざま。

アメリカが大使を参加させたのに、
ヨルダンなどは、ちょっと行ってこいヤ、という感じだ。

しかし、人類を滅亡させるであろう危険な兵器の取扱いに
徐々にではあるが世界が心配しはじめてきた。



恒久平和に向けて、日本がどのような役割を演じるかだが、問題が大きすぎる。

鳩山前首相は首相就任当初二酸化炭素削減で25%という理想論的数字をぶち上げたが
案の定、打ち上げ花火同様、しぼんでしまった。
さらに基地問題で日米関係をこじらせ、
菅新政権は国内問題の火の粉払いで精一杯。

国際問題のリーダーシップは、日本には荷が重い、とアメリカは考えている。

本来なら、唯一の核被爆国・日本が
世界に向けて核廃絶の旗を振らなくてはいけないのだが、
それを実行できる政治家不在、というのが実情だ。

鳩山由紀夫氏は復権をもくろんで、凝りもせず蠢いているらしいが、
国際平和を自己満足の道具にしないでいただきたい。
彼の人に国際問題という、非常に難しい課題をゆだねることは危険。
自分の器量がわかっていない、というのが一番やっかいだ。
細川前首相のように、さっさと引退し余生を送るほうがいい。
国家・国民にとっても、本人にとっても。

8月6日(金曜日)

●65回広島原爆の日
65年前の8月6日午前8時15分、
テニアン飛行場から発進した重爆撃機B29「エノラ・ゲイ」
(機長ポール・チベッツ大佐)が投下した原子爆弾は
広島県産業奨励館上空約580mで炸裂。
閃光は直径約100m、表面温度9000度〜10000度の
大火球となり、中心部から半径約2Kmの地域を一瞬にして焼き尽くした。
さらに半径4km内にわたり人間、建物に大きな被害を与えた。

死者11万8661名、生死不明者3677名、重傷者3万524名、
軽傷者4万8606名。
建物全焼4万7969戸、全壊3818戸、半焼253戸、半壊1万8107戸。

当時の広島市人口32万81名。

開発のリーダーで「原爆の父」と呼ばれた米国の物理学者オッペンハイマー博士は、
悪魔の兵器を世に出現させたことを後悔したらしいが、後の祭り。
主要大国は開発競争に血道をあげた結果、地球が危うい状況を招いている。
その後、狂信的な国家や発展途上国家なども所有することになり、
「抑止力」という言葉も、危険な綱渡り状況にある。

本日の広島も投下時同様よく晴れ渡った。
記念式典には政府要人は当然だが、
潘基文・国連事務総長、ルース米国駐日大使が参列。
英国、フランスは「臨時大使代理」という、どうでもよさそうな外交官が
顔をのぞかせた。
核廃絶に取り組む各国の姿勢がわかるような顔ぶれだ。

米国では、エノラ・ゲイ機長の息子が、
大使を参列させたオバマ政権に「行かせるべきでなかった」と文句をつけた。
彼は親父が生前、常々言っていた
「原爆投下で戦争終結が早まり、多くの人々の命が救われた。
われわれは正しいことをした」という言葉をそのまま引用した。

軍人であれば上官の命令に従うことは当然であり、
原爆の威力に畏怖を感じたとしても、
自分の行為を正当化するために、このような発言をせざるを得なかっただろう。

息子が65年経過し、世界情勢が変化しているにも関わらず
全く同じ言葉を引用するとは、時代錯誤もはなはだしい。
あるいは、このままゆけば親父の名誉が傷つけられるとでも思ったのか?

だが、米国老兵の多くはこんな妄言に凝り固まっているのだろう。

東京裁判で、日本は「人道に対する罪」で裁かれたが、
米国だって、あんな非人道的な兵器を使ったのであれば
同じ罪名で裁かれてもよさそうなものだが、
勝者が敗者を裁くという異常事態だったので、逃れることができたのだろう。



NHKスペシャル「封印された原爆報告書」が22時から放映された。
原爆投下4日後、広島に日本の医師団が入り、被害調査が行われた。
その結果は、日本の医学に使われたのではなく、
米軍が本国に持ち帰り、威力の検証に利用された。
そして、米ソ間で戦争が勃発したことを想定し、
モスクワにX発、レニングラードにX発、XXXXXにX発と、
広島の効果をもとに、使用する個数が想定されていた。

日本人の尊い犠牲を戦略資料に使用していたのだ!

日本医師団は米軍の強い意向を受けていたkとも判明。
敗れた国とはいえ、いかにも情けない。

長いものに巻かれ、強者にへつらう。
日本人の悲しい習性か?

●誰がため
1940年4月9日。
ナチスドイツはノルウェーとデンマークに侵攻。
英国、フランスの侵攻から守り中立性を維持するという名目だった。
デンマークは簡単にナチスドイツの占領下に置かれる。

映画「誰(た)がため」は2009年12月公開のデンマーク映画。
実話を基にした作品で、ヨーロッパで数々の受賞をしている。

1944年、占領下のデンマーク。
ゲシュタポ、親衛隊がコペンハーゲンの美しい町並みを闊歩する。
祖国の置かれた状態を憂慮する人々により地下抵抗組織が生まれていた。

23歳のフラメンと家庭のあるシトロンの任務は暗殺。
ターゲットはナチスに通じたデンマーク人やゲシュタポだった。
上層部の指令で次々と任務をこなすが、あるとき疑問を抱く。

それが悲劇の始まり。

タイトルの「誰がため」は「祖国」のためのはずが、
特定人物の利益のためだったとは…

ナチスドイツに抵抗したのはフランスのレジスタンス、
ポーランドのワルシャワ蜂起などが知られるが、
小国デンマークにも存在したというのは初耳だった。
美しい国土を守るため、無血占領を許したのかと思ったが
6時間ばかり抵抗もしている。

ヨーロッパ映画らしく、ストーリーは淡々と展開する。
ときどきまぶたが落ちそうになるほど。

しかし、対照的だった2人の最期は壮絶だった。


8月5日(木曜日)

●世界大学野球
カナダ、キューバ、アメリカ、韓国、中国、台湾、日本、スリランカ。
8カ国の大学生野球チームが覇を競っている。
「世界」というなら、ヨーロッパ、中南米、オーストラリアなど、
メジャーリーグに選手を出している国々がもっと参加してもよさそうなのだが、
少し寂しい構成だ。
だが、今回はスリランカという野球の未知の国が参加。
監督は日本人らしいが、予想通り全敗。

日本は4強に残った。
第1戦の韓国に勝利しさいさきのよいスタートだったが、キューバに負け。
台湾に勝ってなんとか面目をほどこしたが、
準決勝のアメリカ戦で4対2で散る。

期待の斎藤裕樹が満塁ホームランを浴びる。
日本打線は挽回できなかった。
試合後、斎藤はショックが大きく報道の前に姿を現さず。

国内では負け知らずの順風満帆。
プロのスカウトが獲得に向けて熱い視線を送っている。
彼のことだから、慢心ということはないだろうが、
少しは自信過剰になっていなかったか。
今回の敗戦は、彼にはいい薬になるだろう。

高校野球で戦った楽天のマー君だって、
逸材と言われながら、プロの洗礼をいやというほど味わって成長した。
不敵な面構えのマー君に対し、
群馬出身ながら都会的な貴公子然とした「はんかち王子」は、ひ弱そうに見える。
彼がプロになり、スラッガーたちからボコボコ打たれたら、
負けん気で乗り越えられるか。

そのための前哨戦として今回の満塁ホームランは
彼のためにはいいことだった。

決勝戦は米国、キューバ。
日本は韓国と3位戦を行う。

こういう試合はテレビ中継していただきたいものだ。
パナソニックの冠がついているのだから。

8月4日(水曜日)

●カティンの森
第二次世界大戦初頭、多数のポーランド軍将校がロシア領内で虐殺された。
手を下したのはソ連だ、ドイツだと双方が譲らない。

1939年9月、ナチスドイツは突然ポーランドに侵攻。
第二次世界大戦が勃発する。
8月に独ソ不可侵条約を締結していたソ連もポーランド侵攻。
東側の防衛に当たっていたポーランド将官が多数ソ連赤軍の捕虜になり収容所送り。
同時期に、ソ連内務省が虐殺を計画、ベリアがサインしスターリンへ上申。
こうして、4000名とも言われる将官が後ろ手に縛られ
後方からピストルで撃たれ大きく掘られた穴に並べられ土がかけられた。

1941年、ナチスドイツは独ソ不可侵条約を破棄しソ連侵攻。
ソ連領深く入り込み、虐殺があったという噂をもとに1943年、
カティンの森で大量のポーランド将官の死体を発掘。
ナチ宣伝相ゲッペルスは対ソ戦に利用価値有りと、
ニュースフィルムで世界にソ連の非道さを伝える。
ソ連は、侵攻したドイツの仕業、と反論。
(実際はソ連が下手人なのだが)

やがて、ナチスドイツの敗北により
ソ連側の声明が「正」としてまかり通る。
新生ポーランド政府は共産国家となったため、
カティンの森事件はドイツが犯人というソ連側の声明に従わざるを得なくなる。
真犯人はソ連とわかっていても、口に出すことはできなかった。

1989年、ポーランド共産政権崩壊により、
戦後、44年ぶりに真相究明が行われた。

2007年、ロシア・プーチン大統領ポーランド訪問。
スターリン政権の「罪」と発言したが、
手を下したのはソ連とは言及しないまま、一応の和解となる。



大国に挟まれた国家の悲劇。

この事件を真正面から取り上げた映画が、
そのものずばり2007公開「カティンの森」だ。
監督は、「灰とダイヤモンド」で知られる正義派アンジェ・ワイダ。

彼の父親はポーランド軍大尉でカティンの犠牲者という。

ポーランドにも輝かしい春や初夏の季節があるのだろうが、
この陰鬱な事件を描くには重苦しい冬が似つかわしい。

捕虜になった将校の家族を通して虐殺の真実に迫ってゆく。
毅然とした大将夫人。
帰還を信じて娘と待つ大尉夫人。
パイロットの兄を待つ2人の姉妹。

戦後、ソ連の支配下に置かれたポーランドを憎みつつ
短い人生を終わる青年。
偶然、青年と出会い翌日映画を見る約束をした大将の娘。

兄を待つ姉妹のうち、
生きるために体制に組み込まれる姉。
兄の死の真相を墓石に刻み、撤回を拒んだため処刑される妹。
妹は、ワルシャワ蜂起の闘士で5年間ドイツと戦ってきた。
墓碑銘の修正を拒んだため、処刑されるのだが、
「5年間戦い、5分で終わる」という言葉を残してゆく。

危うい外交を行わなければ再び国が消滅する。
こうした中で、それぞれの人生が展開してゆく。

将校たちがカティンの森で虐殺される最後のシーン。
ナチスドイツがユダヤ人に対しホロコーストを行ったが、
ソ連もまた国際法を無視して捕虜を有無を言わさず殺害した。

ヨーロッパが一段落したら、
ポツダム宣言受諾後の日本へ攻め込んだ。
大勢の捕虜をシベリヤ送りにして労働力として過酷な作業に従事させた。
「不毛地帯」はそれを垣間見せてくれる。
浅田次郎の「終わらない夏」は千島列島・占守島(しゅむしゅとう)守備隊と
攻め込んだソ連赤軍の物語。

間もなく、日本の一番長い日がやってくる。

ソ連は油断できない国である。
背後からやられる、寝首をかかれる。
卑怯な手は朝飯前。
スラブ人には狡猾の血が流れている。
現代外交においても、日本の政治家などひねり倒すことは簡単だろな。

●イングロリアスバスターズ

昨年末公開された文句なしの戦争娯楽映画がレンタルされた。
あの面白さをもう一度、というわけで借りる。

タランティーノ監督作品中最高の興行成績をあげ、
アカデミーにノミネートされるが、作品は受賞を逸した。
だが、敵役の親衛隊ランダ大佐を演じたクリストファー・ヴァルツが
アカデミー、ゴールデン・グローブ始め
数々の助演男優賞を総なめにした。

礼儀正しい「やさおとこ」だが、核心場面に顔を出しねちねちと締め上げる。
軍務に忠実ないやらしい将校を好演していた。

ヒトラー、ゲッペルスも登場しベラベラ喋りまくる。
ナチスの指導者、高官もゲス男に成り下がる。

ブラビ演じるレイン中尉はバスターズの隊長。
インデアンの血をひく家系らしく、殺害した独兵の頭の皮を剥ぐという
残酷なやりくちで、独軍を震え上がらせている。
喋り方、表情が「地獄の黙示録」のマーロン・ブランドそっくり。
完全に意識していますね。
実際に剥ぐシーンがあるのだが、妙にリアルに撮影されている。

親を殺され復讐を誓うユダヤ人女性ショシャナを仏の新進メラニー・ロラン。
正統派美人で若き日のカトリーヌ・ドヌーブを思い起こさせる。

ハリウッド映画にしては珍しく、各国人が母国語で話す。
昔のナチ物は全員英語だったのに比べ臨場感が増す。

ショシャナにつきまとう独軍兵士がツォラー。
実は数多くの米兵を狙撃した英雄だった。

復讐の総仕上げの映写室で2人とも死んでしまう。
生きていたとしても、映画館と共に炎上してしまうのだが。

正体を見破られ捕らえられるレイン中尉。
最後にどんでんがえしがあって、めでたく終わる。

こういう面白い作品、最近ちょい珍しい。

●コリン・ファレル
コリン・ファレルという英国出身のハリウッド俳優がいる。
ブラビやディカプリオと同じ線上にいると思えるのだが、
最近、話題作に登場しない。
いい俳優だが、私生活で問題を起しすぎ。
それが原因というわけでもないのだろうが…

その彼が主演している佳作が「タイガー・ランド」。
2000年に公開された。
戦争映画だが戦場は登場しない。
一種の反戦映画だ。

ベトナム戦争が泥沼化した1970年代、
米国本土では新兵教育が行われていた。
一風変わった兵隊、ボズをコリン・ファレルが演ずる。

大勢の若者が戦場へ送られ死んでゆく。
戦争に疑問を感じたボズは、
命令違反、夜間外出などルール無視の行動を行う。
懲罰を食らっても平然と受ける。
しかし、格闘技、銃の扱いはピカいち。

脱落しそうな仲間を軍法の隙間をついて除隊させるという
「技」も持ち合わせている。

新兵教育の仕上げを「タイガー・ランド」という
ベトナムを模した地帯で行う。
過酷な訓練だった。

無事訓練を終え、彼は地獄の戦場へ向かう…
弱者を助け、本人は戦場に赴くという「かっこよさ」。

コリン・ファレルは若き日のブラビに似ているが眉が濃い。
薄茶色の頭髪だから、眉がいっそう目立つ。

ベトナム戦争とイラク戦争では、兵隊の髪型が違っている。
イラク戦争では、頭のてっぺんを少しだけ伸ばし
あとは短く刈り上げるという「ボトル・カット」、ジャー・ヘッドだ。
ベトナム戦時は、全体的に短いスポーツカット。

身長は178cmくらいで、あまり高くない
コリン・ファレルだが、GIカットがよく似合っている。

男気のある役柄が似合いそう。



2004年公開の「リクルート」。
就活映画ではないが、
CIAのリクルート担当アル・パチーノに一本釣りされる
優秀な工科大学生役を演じている。

マーロン・ブランドの「ゴッド・ファーザー」で
三男役でデビューしたアル・パチも歳をとった。

俳優としては小柄な2人が好演している。

「スピード」のキアヌ・リーブスも
若い刑事役で好印象だったが、
老練CIA教官アル・パチに振り回されるコリン・ファレルも
今後の活躍が期待される存在感を発揮していた。

近作がないというのは、
私生活でのトラブル・メーカーが災いしているのだろうか。

惜しい俳優だ。

8月3日(火曜日)

●超長寿の怪
先月29日、足立区で111歳男性のミイラ化した死体が見つかった。
都内で最高齢の男性という。
ところが、その男性は約30年前「即身仏」になると言って自室に閉じこもり
以来、家族は姿を見ていなかった、と言ってる模様。
その間、男性には年金が支給されていたという。

TVで見ると、たぶん荒川にほど近く、大邸宅ではない。
塀で囲ってあるがごく普通の庶民の家だ。
同じ屋根の下で、30年前から開かずの部屋があったという奇異な家。

高齢のじいさんは寺でも僧侶でもないのに
「即身仏」」になると言って断食、餓死という風変わりな死を選んだ。
放置された遺体の異臭を家族は感じなかったのだろうか。

80過ぎの娘と60過ぎの2名の孫が同居してたらしいが、
家族が爺さんの常軌を逸したわがままを受け入れた裏には、
厄介払いの意識もあったのではないか。

しかも、死後、年金が支給され家族は爺さんの口座から引き落としている。
これは、爺さんの死を確信しながら、
家族は働かずに生活をするための「金づる」としていたとしか考えようがない。

足立区の対応も不可思議。
実際に出向いて本人健在の確認もせず、郵便や電話で済ませていた。
遺族に悪意があれば、これほど好都合なことはない。

寄生家族と、杜撰なお役所仕事が生んだ年金詐取の実態だ、ろうね。



この事件を受けて、杉並区が超高齢者の再調査を行ったところ、
都内在住女性最高齢という113歳の女性が所在不明になっていた。
同居人と思われる80過ぎの娘は、
母親がどこでどうしているか皆目わからない、
弟のところかと思うが、つきあいがないのでどこに住んでいるのかわからない。
今のところ年金不正受給はなさそうだ。
はからずも、兄弟間の不仲が露呈された。

杉並区も面接して本人確認を行っていなかった。

この2つのケースにより、
都内各区はもちろん、地方自治体もあわて始めるだろうな。

8月2日(月曜日)

●アメリカの憂鬱
有事の際の核持込に関する秘密文書が佐藤家から見つかった。

思えば、70年ほど前、国力の圧倒的に異なる米国と戦火を交えた。
陸軍は精神論あるいは神頼みで劣勢をカバーするという愚挙に出た。
案の定、負け戦となった。

勝利したアメリカは日本に進駐する。

次に始まるであろう共産主義との戦いを視野に入れ、
ナチスドイツのように複数国家による分割統治を排し
ソ連の横槍を拒絶し単独で日本を占領。
日本を自由主義の橋頭堡にすべく、
本国の指令を受けたマッカーサーは民主主義の種をまくことを開始。

ペリーの開国要請以来、
日本は体制変革の節目にアメリカと深い関わりを持ってきた。

封建的な明治憲法を新憲法に。
武装解除された軍隊を警察予備隊の名で復活。

日本は恒久平和を謳う憲法のため「軍隊」は所有できない。
このため、警察予備隊は自衛隊という専守防衛の武装組織となる。

やがて、日米安全保障条約が締結される。
軍事同盟のようなものだが、
日本には「軍隊」が存在しないので薄まった名称になっている。

日本は核爆弾攻撃を受けた世界で唯一の国だから、
「核」に関しては神経質。
「非核3原則」により完全にシャットアウトしている。

ところが、中国、北朝鮮、ロシアの共産諸国が日本列島をにらんでいる。
日本を自由主義の橋頭堡とするためには、
日米がもっと緊密にならなくてはならない。

そんな思惑もあって、有事の際の核持込という密約条項が生まれたのだろう。
以前から、横須賀に入港する原潜が核搭載しているのではないか、
という疑惑があった。

内部公開しないから、秘密のヴェールに包まれているが、
小型核弾頭があったとしても不思議ではない。
なにしろ、米国は「核」が抑止力となると、信じている国だから。

沖縄基地問題が賑やかで、今のところ核は霞んでいる。

先日、ワシントンポストは
「日本が抱える問題は日本の政治には大きすぎるのでは…」と
日本の政治家の能力不足を憂える社説をのせたようだ。
小泉政権以降の短命内閣、政権交代、ねじれ国会、政治家と官僚の主導権争いなどなど

自信、実力ある国家、国民を再び…という大きな問題をないがしろにし
政党内、政党間で争ってばかりいては、
パートナーシップ以前だもんね、
海の向こうで心配する気持ちがよくわかる。

8月1日(日曜日)

●ペトリカメラ
かつてPETRIというカメラがあった。
前身は栗林写真工業で戦後英語名となる。
蛇腹式カメラ、レンジファインダー35mmカメラ、一眼レフとカメラの構造は進歩し、
日本を代表する工業製品として世界で認められる存在となった。
特に、Nikonは、信頼性の高さから世界の報道カメラマンに愛用されるようになり、
高いブランドイメージを築く。
昭和30年代の頃は、他を圧倒する価格で高嶺の花だった。

日本人のカメラ好きは相変わらずで、
Nikonは欲しいけれど買えない人に、
性能はNikon並みで価格は半分以下というカメラが数多くあった。
PETRIもそんなカメラで、さらに安い価格帯で勝負していた。

しかし、廉価政策が裏目に出てC級ブランドとして定着。
持ち歩くにも気恥ずかしい機種になってしまった。
昭和52年倒産。
組合が企業を存続させたが、昭和60年代末カメラから撤退した。

杉戸町のカインズホーム前に汚れた社屋の小さな会社がある。
PETRIの名を冠しており以前から気になっていた。
戦後の一時期一世を風靡したあのカメラメーカーと関係があるのだろうか?

ウィキで調べたら、
やはりあのPETRIがどっこい生きていた。
カメラから撤退したあと、光学技術を活かし望遠鏡の生産を行っているということだ。
Vixen(ビクセン)は聞くけれど、PETRIは知らないな〜。
やはり安物戦略なのだろうか?

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