田舎三昧の生活と意見7月版
田舎三昧の生活と意見 7月

<--田舎三昧の掲示板
<--GoogleEarthで地球と遊ぶ

2010年7月
S  M  T  W  T  F  S
            01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

       
Web Camera

mimi動画ストリーミングテスト*
ご覧になるには
WindowsMesiaPlayerが必要です


●吉太郎童謡集

■Contents■
01岡田Japan帰国
02雷雨
03カマキリ
04玄蕃ファーム
  花水木の館
05最近のアナ
06読み方
07大変身
08昭和22年
  就活
09蝉
10茄子
11選挙
  のんびり
12朝刊早刷り
  Web対決
13今も昔も
  言葉
14最盛期
15木陰
16銀座
17梅雨明け
18アチ
19アジアジ
20アジアジアジ
21アジアジアジアジ
22アジアジアジアジアジ
  なぜこの時期に
23ドレスアップ
  アジ×6
24インセプション
25受難の埼玉
26土用丑の日
  雷雨
  平均寿命また伸びる
  アナ
27将軍たちの夜
  終わらざる夏
  65年前
28ラジオ深夜便
29死刑執行
  サンヨーブランド消滅
  ヤシカカメラ
30大学野球
  連ドラ
31抜け殻
  夏枯れ知らず

Archive

Link
Yellow House
Chicago Short Stay
Miyashiro Avenue

Category
Area
Area2

Case
Culture
Expression
Ginza
History
Hobby
Movie/Drama
PC
Politics
ご注意
人によっては不快な気分になるかも

サイト内検索 powered by Google
ご意見・感想などお気軽にどうぞ!

Last Modified 2010/0731
First Uploaded 2003/0901


7月31日(土曜日)
●抜け殻
今年初めて庭で見つけた。
ミンミンの抜け殻。
すでに、家の周囲はせみ時雨。
少し出遅れていないか?
でも、その分長生きできる。

8月になればオーシンの登場だ。
これが鳴きはじめると
夏も終わるという気分になる。

●夏枯れ知らず
この2日ばかり、少ししのぎやすかったが、
本日から猛暑がぶり返すとか。

わが家で作っていない野菜を購入に
9時半開店の野菜直売所へ。
ところが、すでに大混雑。
新鮮な地場産が安価で購入できるので、
地元はもちろん近頃は隣町からもやってくる。
この町で、一番元気のいい店、といえるだろう。

町の肝いりで立ち上がった施設だが、
連日ここまで賑わっていれば言うことなし。

しかし、商品展示とレジの動線が考えられていない配置なので、
入口は必要以上にごったがえす。
時間によっては、レジは2人体制でなければ、
さらに流れがとどこおりますね。

いいものを安く提供しているのだから
少しばかりの不便さは我慢せい…というのではお役所感覚。

もう少し、臨機応変にやっていただければ、
買い物客は、もっと気分よくなるのですが…

8月30日(金曜日)

●大学野球
各国選抜選手による大会。
夕刻から日韓戦。
ちょっと楽しみだった。
楽天のマー君と投げ合った4年前から
成長した早稲田・斎藤がマウンドに立っていた。
学生野球の締めくくりを華々しく飾れるか…

コントロールがよく、変化球もよく決まっていた。
相手は、日本戦となると闘志をむき出しにしてくる韓国。
だが、双方ゼロの山を築く。
4回まで見ていたがニュース番組に切り替えてしまった。

結果は4対0で日本の勝利。
手ごわい相手を下し、さいさきのよいスタートを切った。
総当りなので、お楽しみはこれからだ。

●連ドラ
NHKの大河ドラマを除き、全く見ていない。
9〜11時という連ドラ時間帯はテレビから離れておりますので。

が、韓国、中国、米国のサーバーに過去のドラマが
大挙アップロードされている。

「新参者」全10回を一気に見てから、
面白いものがあるということを発見。

篠原涼子主演「ハケンの品格」を全て見てしまった。
昨今、社会問題になっている「派遣」をテーマに、
数々の資格を持つスーパー派遣社員が正社員では片づけられない難問を
鮮やかに解決してゆく、という痛快ドラマ。
丸の内、築地、銀座あたりが舞台なので、
なおさら面白く見ることができた。

かなり、カリカチュアライズされたヒロインだが、
原作は例によってマンガなのだろうか。

今、見ているのは「バンビーノ」。
福岡のイタリアンレストランで大学生ながら
いっぱしの腕を発揮し、天狗状態になっていた若者が、
六本木の人気レストランに夏休みの間、ヘルプで修行する。
プロの世界と福岡ローカルのあまりの差に鼻はへし折られる。

調理場では浮いた存在の彼が、一念発起し一流を目指す、という
スポ根ならぬ料理人根性ドラマ。
毎回、調理場が主たる舞台なので、
週1回見ていたのでは間延びしてしまうだろう。

3回分一気に見たので、調理場の仁義つ〜のがよくわかる。

下働きは、上の者の動きを観察し、常に先に容器や食材を用意する。
無駄な動線を作らないなどなど
先輩からのアドバイスが、自宅で台所に立つ者にもためになる。
プロの調理器具、身のこなしも参考になるしね。

小生もこのドラマを見ながら、
少しはましな家庭料理人を目指そうかと…

7月29日(木曜日)

●死刑執行
死刑廃止論者の千葉法務大臣が執行命令を下し2名が刑場の露と消えた。
鳩山政権下では不執行という姿勢を貫いてきた。
参院選で落選、菅政権でも法相を勤めている人が、
議員で行わなかったことを民間人となってなぜ変節したのか大いに疑問。

しかも、彼女は執行に立ち会った。

つまり、黒い袋を頭にすっぽりかぶり、首にロープが巻きつけられ
足元が開いて落下。
自分の体重で首の骨が折れ、何分か後に絶命する。
この過程をガラス越しに見学したわけだ。
ここまでやった歴代法務大臣はいないという。

執行は午前10時過ぎに終了し、
国会の執務室に戻った千葉法相の顔つきは蒼白だった、らしい。

死刑は残酷な刑罰である。
だから行うべきでない、という声がある。
しかし、なぜ死刑という最も重い刑を受けたのか。
犯した罪を死を以って償うのは
法治国家であれば至極当たり前なことだけど…

森鴎外の「高瀬舟」のようなケースもあるので、
量刑は慎重であるべき。

冤罪ということもある。
だが、実際は罪を犯しながら無実を叫び続け、
世論を味方につけるという
タフな精神の持ち主が存在するかもしれない。

だが、これはあくまで過程であって、
死刑と決まれば、
法務大臣は一定期間のうちに
執行命令を下さなくてはいけないことくらいわかっているだろう。
死刑廃止論者であれば、法相を打診されたとき、断るというのが筋だ。

前政権で手をつけず、(実際は議員時代にサインしていたらしいが)
新政権では民間人として命令を下し、立会いという名の見学までやるとは、
いろいろゴタクを並べているようだが、いい趣味とは言い難い。

●サンヨーブランド消滅
パナソニック軍門に下った三洋電機だったが、Sanyoブランドは残っていた。
が、家電品分野でパナ製品と競合することが多く、
このたび、パナソニックに統一することになり、
Sanyoは、東南アジア向けを除き消滅することになった。

最近は、白物より太陽電池、エネループ電池で健闘していた。
デジカメから撤退したがOEM生産をやったり、
かろうじて、デジタルムービーカメラ「ザクティ」といった個性的な製品があったが
一般家電のブランド力は低下の一途。

サンヨー電機創業者・井植氏は松下電器創業者・松下幸之助とともに、
創世記の松下電器に関わっていたが、独立。三洋電機を起業した。
松下幸之助は義理の兄ということもあって、身内意識があったのではないか。

そこへゆくと、ビデオ開発の尖兵日本ビクターは業績悪化でケンウッドへ売却された。

SONYがβ方式、松下がVHS方式でシェア拡大競争をやっていた頃、
ナショナル傘下のビクターはVHSの開発をやっていた。
前哨戦は子会社にやらせ、勝負が見えてきた頃松下が本格参入。
あっというまにSONYは葬られてしまった。

もともと、β、VHSともにSONYが権利を有していたが
テープを送り出す構造はβ方式が優れており、
SONYはβを採用し、VHSを開放したという経緯がある。

当時、私はSONYビデオの広告制作をやっていて超多忙な日々を送っていた。
家庭用ビデオデッキはテープを上から装着する大きな筐体だったが、
次第に小型化し、前面挿入となり
オーディオシステムと同じラックに収まるまでになった。

好事魔多し。
優秀な方式に酔っていた頃、
松下グループは日本ビクターを使って次々に新製品を投入。
他の家電メーカーもVHSを採用するようになった。

当時、SONY宣伝部は御殿山にあったが、品川駅前に移った頃、
マーケットシェアは取り返しのつかないところまで低下していた。
で、起死回生の広告キャンペーンを展開。
たぶん、博報堂が担当。
私は、東急エージェンシー・インターナショナルの外部スタッフだった。

漫画家サトウ・サンペイの「夕日君」(だったか)をキャラに使った
3〜4回のシリーズ広告だった。

リヤカーにビデオデッキを積んだ「夕日くん」。
キャッチは「ベータはもうなくなっちゃうの?」
こんな危機感をあおる広告が続いたのでは、みんな不安に思ってしまう。
知らなかった人までβのシェア低下を知ることになった。

こうした時期のネガティブ・アプローチは日本人向きではない。

死にかけている人の顔に半紙を乗せるような
広告キャンペーンのおかげで、β凋落の時期が早まった。
こうして松下が深謀遠慮の結果、天下分け目のビデオ戦争に勝利した。
めでたしめでたし。
以来、わが家では松下電器の製品を長い間購入していない。

こうして、私の仕事も激減しコンピュータ業界にシフトすることになる。
OSはMS−DOS以前のn88−Basicだった、
早い時期に親しんだおかげで、長〜〜〜〜い間
パソコンでメシが食えた。
めでたしめでたし。



サンヨー製品といえば電気洗濯機を思い出す。
3種の神器として電化製品が普及しはじめた頃、
サンヨーは女優・小暮美千代を「サンヨー夫人」として広告展開を行った。
1954年(S29)頃のはなしだ。
小暮は戦前に日大芸術学部を卒業したというインテリだが、
ツヤ黒子のある色っぽい女優で、いわゆるヴァンプ役が多かった。

少し顎を突き出し気味に笑う表情は、歌手・ちあきなおみに似ていなくもない。
それが、健康的な主婦のイメージキャラというのだから、当初はびっくりした。
銀幕のスターという高嶺の花が輝いていた頃のできごとね。

他に候補は、高杉早苗、小桜洋子があがっていたという。

1990年6月、72歳という若さで亡くなっていた。
実生活はイメージとは正反対で、
良き妻でありボランティア活動を積極的に行っていたという。

●ヤシカカメラ
最近、廉価版デジカメ、デジタルビデオカメラのヤシカを目にするようになった。
懐かしいブランドである。
昭和40年代後半、銀座8丁目の小さな会社で
ヤシカ・一眼レフの雑誌広告を制作していた。

その会社が入っていた雑居ビルにはJAZZシンガー旗照夫の兄が経営する
モデル・エージェンシーがあった。
兄さん自身もモデルで、米国俳優カーク・ダグラス似のいい男だった。

当時、JR横浜から新橋まで出て徒歩で8丁目の会社に通勤していた。

制作会社は始業時間が遅い。
人けの少なくなったホームの前のほうで湘南電車を待つ。
新橋の出口の関係だ。、
同じ位置に、いつも黒い服装をして、身のこなしがしなしなと
「シスター・ボーイ」(ふ、古っ!)のような男が立っていた。
ファッションが目立っていたので、それとなく観察していたのだが、
服装とゴリラのような顔がバランスを欠いていた。

その男性は早足で、三和銀行の前から銀座通りに出て
(この銀行は、女子行員が付き合っていた男に金を貢ぐため、
オンラインを悪用し他人の金を送金したという事件が発生していた)
昭和通り寄りの二本目の道を曲がり、角から2軒目のビルに入る。
なんと私の勤務する会社と同じだった。
私は1階のオフィスへ、彼はエレベータを使った。
そんなことが何回かあった。

その男性が、いつの頃かテレビに出ていた。
辛口ファッション評論する、双子の兄弟の「オスギとピーこ」。
その、どっちだか分からないが、
初めてブラウン管の向こうに見たときは、たいしたたまげた。

大阪出身の社長がカメラマン出身なので、会社には写真スタジオがあった。
朝日カメラ、カメラ毎日といった専門誌に掲載するシリーズ広告で、
本体と交換レンズを男性モデルがらみで制作する。

デザイナーと相談しながら何点かのサムネイルを作成し、
それをヤシカ本社の宣伝担当と検討し方向性が決まる。
当時、ヤシカは原宿にあった。
場所はどのあたりか忘れてしまったが、
白い2階建ての洋館だった。
前庭がゆとりあり、なんとなく英国大使館のようだった、と記憶する。

その後経営破綻し京セラに吸収され、ヤシカブランドは消滅。
京セラが提携していたCONTAXを発売するようになる。
時代はデジタルカメラになり、京セラも参入するが、開発競争に敗れ事業から撤退。
カメラとは縁のない企業になってしまった。

原宿界隈の地図を見ると、明治通りに京セラ原宿ビルがあるから、
そのあたりだったのかもしれない。
あるいは、キリンビール本社がある場所なのか、???だ。

いま、エクゼ・モードという横浜の企業からYASHICAが発売されている。

ヤシカ破綻後、京セラは香港のヤシカ代理店にブランドを譲渡し、
エクゼ・モードは、その香港の企業から使用権を得ている、ということだ。

Nikon、Canonが高級機の双璧で、
今と異なり、庶民が容易に購入することはできなかった。
ヤシカはペトリの栗林写真工業同様、戦後〜高度経済成長期、
大衆カメラの雄として名を馳せた時期があった。

日本人のカメラ好きはつとに有名で、
昔は、眼鏡をかけカメラをぶらさげていたら日本人と言われた。
当時は愛好家のほとんどが男性だったが、
デジタル時代になって、小型・軽量、携帯電話にも内蔵されるなど選択肢が増えた。
簡単、手ブレ防止、笑顔認識など
イージーオペレーション効果やボディのカラー化もあって女性ファンが急増している。

しかし、デジタルカメラで撮影したほとんどの映像が
デジタル・データのまま死蔵されてしまう。

デジタルアルバム、デジタルフレームはお手軽だが、
仕様が変われば見られなくなってしまう。
大切な家族の記録が危険性をはらんでいることをお忘れなく。

7月28日(水曜日)

●ラジオ深夜便
2〜3日前のこと。
クミコというおばさんシャンソン歌手がゲストで、お勧めを何曲かかけた。

1つは美しい細い声で、少しこぶしきかせながら歌っていた。
曲名は聞き逃したが歌手はヤドランカといった。
名前は聞いたことがあるが、何者か知らなかった。

最近、変わった名前が多いので彼女も「宿らんか」というのかと思っていた。
が、翌日調べたら旧ユーゴーのサラエボ出身で、歌手にして画家という方で
かなりの歳でもあった。
Youtubeで彼女の歌を検索したが、ラジオで聞いた曲はなかった。
いつか探し出してみるつもり。
活動拠点を日本に移し、アニソンなども歌っているとうから、
若い人にはおなじみなのかもしれない。



もうひとつは「最后のダンスステップ」。
70年代のフォーク歌手「あがた森魚」の歌だった。
彼のは「赤色エレジー」しか知らなかった。

はじめに、女性の台詞が入る。

私の名前はアサ子です。
年は18、身長は163センチメートル
自分ではきれいなほうだと思っています。
髪の毛はいま短いけど
じきに長くなると思います
お酒はまだあまり飲めませんが
ブルースとタンゴくらいは踊れます。

変わったイントロだ。
それから、あがた森魚が歌い始める

今宵限りのダンスホール
あなたのリードでステップ踏めば
お別れするのに夜会服が
何とか明日もくうるくると

おいらメトロのつむじ風
ソフトハットをなびかせて
シベリアケーキにお茶でも飲んで
銀座のキネマに行きたいな

踊ろうか
踊りましょ(女声)
せめて今宵かぎりでも(男女声)

あなたなんだかおセンチね
もうすぐ外地へお出征(おでま)しね
私も最後のパアマネント
この髪乱して踊りたい ...
踊ろうか
踊りましょ(女声)
せめて今宵限りでも

…まだまだ続く

アコーデオンと、SPレコードが擦り切れたようなバンド演奏。
北千住か蒲田のダンスホールのような雰囲気だ。

メトロ、キネマ、おセンチ、パアマネント、出征…
言葉の端はしに戦前昭和のにおいがプンプン。



初めて聞く歌だった。
切羽詰った時代のダンスホールの情景が浮かぶ視覚的な歌だ。

昭和46年シングル発売、最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄)という。
「噫無情(レ・ミゼラブル)」というLPにも収録されている。

女声は、当時の人気映画・アングラ舞台女優「緑魔子」だった!
フォーク歌手と女優の異色の組み合わせ。

当時、「小悪魔」と呼ばれていたアングラの女王は
昭和19年3月26日台湾・台北市生まれ・宮崎育ちだから、
なんと、66歳になっていた。

私らの世代、小悪魔といえば「加賀まり子」。
彼女は昭和18年12月21日東京生まれ。
わずかな違いで、加賀のほうが姉さんだが、67歳。
蠱惑的だったがみんなバアさんになってしも〜〜た。
ちなみに、緑魔子の旦那は個性派俳優・石橋蓮司。

で、歌のもとになっているのは、昭和15年10月30日のことだ。
日本が戦時一色となり、
庶民の娯楽がどんどんなくなっていった。
で、ついに、10月31日、東京のダンスホール閉鎖という命令が下る。
その前夜、最後のステップを踏んでいるという情景だ。

アサ子はダンスホールの踊り子さん。
ちょいと粋がっている兄さんが、森魚くん。
赤紙1枚で戦地に送られるというあやうい毎日。

シベリア・ケーキというのは
カステラの間にあんこをはさんだもので、
カフェーでも食べることができた、という。
銀座4丁目には「タイガー」という有名なカフェーがあった。

(父親が遺した同人誌の編集後記にも、タイガーの記述があった。
時代は昭和6〜10年頃だが)

早速Youtubeからダウンロードして、
繰り返し聞きつつ、台詞を起したのだが、
まだ完璧ではない。

時代背景がわかって改めて聞くと、
場末のダンスホールのなんとも切なく物悲しい感じが伝わってくる。

この歌と「赤色エレジー」はNHKドラマ人間模様シリーズ「夢千代日記」の挿入歌だった。
そして、あがた森魚は温泉場のストリップ劇場の照明係、
緑魔子はストリッパーで出演していた。

このドラマは大昔見たことがあるが、
日本髪姿の吉永小百合しか覚えておりません。



昭和45年、林静一の劇画「赤色江レジー」開始
昭和46年、あがた森魚、「赤色エレジー」発表
同じ年、「最后のダンスステップ」発表
昭和48年、「神田川」発売
上村一夫劇画「同棲時代」

同棲ブーム起こる。



ちなみに「赤色エレジー」は劇画と歌が同じタイトルだが、
劇画の世界を音楽化したわけではない。

劇画は昭和40年代、
漫画家のたまごとアニメーションのトレーサーの女の子の同棲話だが、
歌のほうは、昭和初期、身分を超えた悲恋の物語っぽい。
切々とした歌唱法と流しのギター効果が哀愁を誘う。

歌詞

愛は愛とて 何になる
男一郎 誠とて

幸子の幸は どこにある
男一郎 ままよとて

昭和余年は 春もよい
桜吹雪けば 情も舞う

寂しかったは どうしたの
お母さまの 夢を見た

おふとんも一つ 欲しいよね
いえいえこうして いられたら

あなたの口から さようならは
云えないことと 想ってた

はだか電球 舞踏会
踊りし日々は 走馬燈

愛は愛とて 何になる
男一郎 誠とて

幸子の幸は どこにある
男一郎 ままよとて

幸子と一郎の 物語
お泪頂戴 ありがとう



長々ここまで、ありがとう

7月27日(火曜日)

●将軍たちの夜
角川文庫の書籍広告に小さく載っていた。
1962年発行の再刊だそうだ。

この本は読んでいないが映画は見ていた。
主人公のタンツ将軍をピーター・オトゥール。
殺人事件を追う情報部のグラウ少佐をオマー・シャリフ。

欧米の映画スターは一度はナチの制服を着た映画を撮りたがると聞くが、
インド系のオマー・シャリフがナチ軍人というのは違和感があったことを記憶する。

占領地のワルシャワ、パリで売春婦の猟奇殺人事件が発生する。
グラウ少佐はタンツ将軍が怪しいとにらむのだが…
同時期、密かに進行するヒトラー暗殺計画と併せて物語りはスリリングに展開する。

アラビアのロレンスでも存在感ある役を披露していたが、
エレベーターの中で表情が将軍の顔から変質者のそれに変化する
ピーター・オトゥールの演技は圧巻だった。



隣りにこの広告。
フレデリック・フォーサイス「アフガンの男」

イギリスの小説家だが、とっくに物故していたと思っていたが、あにはからんや。
1938年生まれというから、まだ72歳。
ジャッカルの日、オデッサ・ファイル、戦争の犬たち…
むさぼり読んだのは昭和40年代後半。
3作は映画化されている。

以来ご無沙汰しているが「アフガンの男」は2008年作。
創作意欲は旺盛らしい。

オデッサ・ファイルはドイツ敗戦後、ナチ高官を脱出させる秘密組織の話し。
若き日のジョン・ボイドが出演している。
いま、彼の娘、アンジェリーナ・ジョリーが活躍している。
父親も、ときたま秘密組織のボス役で顔を出すことがある。

いや〜〜、ナチス物は面白い。
ときたま、ゾンビー部隊などといった超B級映画に出くわし
面食らうことがあるけど。

「ジャッカル…」は、ドゴール大統領暗殺を狙う変装上手な男の話しで、
先日、TVで再放送していた。
さすがに、作りは古色蒼然としている。

その後、ブルース・ウイリス主演で、同じようなタイトルがあったが、
こちらが使うハイテク殺人マシンのほうが面白い。

●終わらざる夏
浅田二郎氏の最新作。
タイミングよくこの時期に発売されたが、
それを意識しながら執筆していたのだろうか?

話は終戦秘話。
8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し戦闘を停止したことになっているが、
北方の千島列島・占守島(しゅむしゅとう)守備隊とソ連赤軍が激戦を展開していた。
戦闘期間は1945年8月18日〜21日。
日本は対米戦を想定し陸海軍が守備をしていた。
またしても、スターリン・ソ連の卑劣な行為。

ポツダム会談でスターリンは北海道北東部(釧路・留萌線の北側)支配を望んだが、米が反発
代わりに千島列島支配は受け入れられた。
(戦争は領土の分捕り合戦であることがわかる)
日本軍は武器、糧食ともに備蓄していたが、
ヨーロッパ戦線で活躍した猛者軍団には歯が立たず降伏。
捕虜になった将兵はシベリア送りとなり過酷な条件で生きることになった。
民間人は1600名程度残留していたという。

浅田氏の「終わらざる夏」はハードカバー上下巻。
戦闘シーン描写は少なく、この島にやってきた3人の兵隊の生き様を描いているという。

購入してもいいのだが、書棚はもう満杯。
最近はもっぱら文庫本にしている。
しかし、最新刊が文庫本になるのは先の先。
で、図書館にリクエストすることにした。
2セット購入してあるという。
すでに先客8名。2週間借りられるので、上巻を手にするのはいつになるやら。
まして下巻は…

佐々木譲氏の「武揚伝」はハードカバーの分厚い上下巻だったが、
2冊購入し一気に読んでしまった。
やはり買うべき、か。

●65年前
約1ヶ月後の8月15日正午
国民は昭和天皇の「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…」という
玉音放送を聞くことになろうとは夢想だにしていなかった。

「死に体」となっていた日本だが、大本営は誤った情報を流し
新聞は未だ勝っているかのような記事と写真で国民を騙し続けていた。
現在も新聞は偏向報道をするクセが抜けきらない。
できれば複数紙を読み比べるのがいいのだが…



19年
11月 サイパン島陥落。米軍はB29による本土攻撃開始
12月 東京初空襲

20年
3月10日東京大空襲 墨田区江東区壊滅

20年7月はどんなことが起きていたか

6日 甲府空襲、全焼17920戸、死者1127人
14日 函館・室蘭・帯広・釧路・根室空襲
15日 函館・小樽・室蘭・釧路・旭川・帯広・網走空襲
16日 アメリカ、ニューメキシコ州アラモゴードの実験場で史上初の原子爆弾の爆発実験に成功。
    (トリニティ実験)
17日 ポツダム会談開始。
19日 銚子空襲1181名の死傷者
21日 アメリカ大統領トルーマンが原子爆弾使用を承認。
26日 ポツダム宣言発表。連合国は日本に降伏を要求。
28日 日本、ポツダム宣言を黙殺する声明。



アメリカ軍が焼夷弾で日本の家屋を焼き尽くしている間に
本国では最終兵器・原子爆弾の実験を成功させる。

同時期、アメリカ大統領トルーマン、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンが
ドイツのポツダムで会談を開き、ヨーロッパの戦後処理、日本軍への無条件降伏の勧告・戦後処理
について話しあう。ポツダム宣言は、スターリンに代わり南京国民政府主席の蒋介石が加わった。
自由主義と共産主義という戦後冷戦への萌芽でもあった。

強力な武器の完成と話し合いで戦後支配の方式が決まったところで、
米国は8月6日広島、9日長崎へ原爆投下。日本の息の根を止める。
8日、広島が大混乱に陥っているとき、ソ連は日本に宣戦布告。
9日、長崎が大混乱に陥っているスキに150万の兵力で満州、樺太へなだれ込む。
英米が強力なタッグを組んだことで、スターリンは意趣返しというわけでもないだろうが、
ヨーロッパより手薄のアジアに領土拡張の魔手を伸ばした。
9月2日、ミズーリ号上で日本が降伏文書にサインをしているとき、
ソ連は国後島を、3日歯舞群島を占領するという卑怯なことをやっている。

かくして、どさくさに紛れて日本から奪取した島々は、
北方領土問題として、65年経過しても解決していない。
米英ソで管理していたベルリンはドイツに帰属したというのに。
これが解決しない限り、日本の戦後は終わらない。

8月26日(月曜日)

●土用丑の日
鰻に特別な意味を持たせ消費量を拡大させる日。
江戸の天才、平賀源内先生のアイデアと言われている。

本日はスーパーの入口の一番目立つところにずらりと並べられていた。

中国人も蒲焼の味を知ってしまったらしい。

中国産鰻は大ぶりで値段が安い。
もっぱら日本に輸出されていたものが、国内消費に回される。
日本産は養殖、天然物の出荷量が少ないので、
江戸の昔から親しまれていた食材が、
日本人の口に入りにくくなってしまう。
刺身、寿司のように彼らが口にするようになると、
あの人口であるからして需給のバランスが崩れてしまう。

困ったもんだと思いつつ、
日本観光の数のうなぎ上りで金を落としてくれるので
痛し痒しというところか。



土用に限らず、いつ食べても美味な鰻だが彼らは何を食べているのかな?

うなぎの餌は、小魚、昆虫、貝類、エビ、カニなど。
養殖では鮮魚のすり身、ミミズ。 好物はどじょうということだ。

ヨーロッパでも食べられているようだが、
蒲焼のように手の込んだもではないようだ。

日本では天然物を捕るときは、針を使ったり仕掛けを作るが
ドイツはもっと荒っぽい。
「ブリキの太鼓」という映画で、その方法が紹介されている。

川から太いロープを引っ張りあげると、その先に…
なんと切断された馬の首が結び付けられていた。
鰻は肉食性だから馬の肉も餌にしてしまう。
こともあろうに、馬の眼窩からウナギがニョロリと姿を現す。
映画では一緒にいた女性があまりの気味悪さに吐いてしまう。

私もしばらく食べる気がしなかった。

●雷雨
午後3時。
怪しい雲行きだったが、大粒の雨が落ち始めた、と思ったら
ものすごいエネルギーの雷鳴!
頭上でバリバリバリッと大音響。
近所に落雷したようだ。
やばいと思いPCを終わらせる作業をしていたのだが、
電源が落ちる寸前に停電になった。
ぎりぎり滑り込みセーフかそれともアウトかきわどい判定。

停電は3〜4分で復旧したが、相変わらずの雷鳴。
わが家の頭上で大暴れつ〜のも久しぶり。
そのうち、1cmほどの雹が落ち始めた。

短い停電が合計3回。
5時半までの2時間半。
大暴れした雷は去った。

久々の雨で庭の草花、樹木、野菜は元気を取り戻した。
窓を開け放つと涼やかな風が吹き込む。
どこかに隠れていた猫が、のたりと姿を表した。

●平均寿命また伸びる
女性86.44歳で世界一。
男性79.59歳世界5位。

相変わらず女性は強い。

最終ゴールを意識するには少し間があるが、
平均寿命なので、それより短かくて逝く人あり
それより長く生きる人あり。
自分がどの範疇に属するのかは神のみぞ知る。

●アナ
「証人」と伝えるべきところを「商人」と発音。
最近、同音異義語で単純ミスを犯すアナが多い。
気になってしょんないね。

7月25日(日曜日)
●受難の埼玉
夏は暑いとわかっちゃいるけどうんざりする。
埼玉県は連日熱中症で多数の方が亡くなっている。
その数は都道府県中突出している。
屋外だけでなく閉めきった室内で死亡というケースも発生。
これまで65歳以上の高齢者が多かったが若い人もあの世に逝った。

熱中症が多いのは内陸県のため気温が高い、といわれるが、
熊谷市を抜き一躍熱い市となった多治見市は岐阜県。
ここも内陸県。
条件は埼玉県と同じなのに、死亡例はまだ聞いていない。



秩父で沢登りをしていた人が滝つぼに転落。
救助に出動した埼玉防災ヘリ「あらかわ2号」が墜落。
7人のうち救助のため下にいた2人を除く5名が死亡。
転落した婦人もその後亡くなり、双方最悪の事態となってしまった。

できることなら、
悲報以外のニュースで世間に知られて欲しいと思うのだが、無理?

7月24日(土曜日)

●インセプション
昨日封切られた。
ディカプリオとわが国の国際スターになってしまった渡辺謙が共演と前評判が高かった。
SFは趣味でなかったが、話題作ということと暑さを避けるため、
ララガーデン春日部に逃げ込んだ。
ここの構造は屋根が吹き抜けになっているので、
コの字型のパティオは木陰というより、建物の陰ができているのだが涼しくない。
越谷のレイクタウンや白岡のモールは中に入っただけで気持ちいいというのに。

で、インセプションだが、馴染みのない単語だ。
日本でも原題をそのままタイトルに使っている。
辞書には「開始, 発端」とある。
これが、物語の何を表わすのか。
字幕では「インセプション」に「植え付け」というルビが振られていた。
辞書と字幕は意味が大きく違う。
これは何を意味するのか?

初日とあって7割の入り。
今までで一番の「混雑ぶり」。

かいつまんで話すと、
ディカプリオ扮するコブは産業スパイだ。
その手口は企業に忍び込んで機密情報を盗み出すといった古典手法ではない。
相手の潜在意識(夢)に入り込み、トップシークレットを手に入れるつ〜未来型知能犯だ。
マリオン・コティヤール演ずる妻のモル。
ラテン系の美女で、どこかで見たことがあると思ったら
アメリカのギャング、デリンジャーを描いた「パブリック・エネミー」で、
デリンジャーに愛され逃避行をする情婦を演じていた。

コブは潜在意識の深い階層で妻のモルと2人きりのときを過ごしていたが
モルは現実と意識下の世界で暮らすことに混乱し自殺。
コブは妻殺しの罪で海外逃亡を余儀なくされている。

モルの大学時代の恩師をマイケル・ケインが演じる。

ラスト・サムライ以来国際スターになったケン・ワタナベは
日本企業のオーナーを演じている。
モルの腕を見込み、ある事を依頼する。

ケンさん、あまり上手とはいえない英語で
ディカ君と渡り合う。
でも、国際派スターなのだ。

展開されるシーンはダイナミック。
なにしろ夢の中で構築された世界が重層的に広がる荒唐無稽ぶり。
水平だった街並みが垂直になったり、室内が空中遊泳になったり、
海岸線の絶壁が高層ビル群だったり…
山岳地帯の要塞だけは妙にリアルだけど。

夢の世界から、さらにその先の夢に入りこみ、さらにまた先の夢に…
という具合で、どれが現実かわからなくなる。
妻のモルでなくても、そんな世界に迷い込んだら錯乱するだろう。

子供と会った最後は…現実なのか
テーブルの上で回るコマは何を語るのか?

変に考えすぎると混乱する。
ケンさんに依頼された仕事を達成するために、
ディカプリオがチームを組み、作戦遂行する映画なのだ。

7月28日(金曜日)

●ドレスアップ
最近、デジカメを着飾ることが一部マニアに流行っているようだ。
といっても、対象はデジタル一眼ではなく、
レンズ交換式のオリンパス、パナソニックにその傾向が著しい。
レンズ交換のできないリコーGRにも飛び火した。

外観をクラシックカメラに近づける。
マウントを使用し35mmカメラの交換レンズを取り付け、
限りなくレトロな外部ファインダー、レンズフード,つり革を取り付ける。
グリップを加え、ボディに疑似革を貼り付ける。
そうすることによって35mm黎明期のカメラのようなティストに生まれ変わる。

外観は限りなくクラシック、構造は先進デジタルというわけだ。
昔、車の広告にあった「羊の革をかむった狼」というところか。

まだ、こういうカメラをぶらさげた人を見たことはないのだが、
愛犬に無理やり衣服を着せで喜んでいる人のようで、
私の趣味ではありませんが。

●アジ×6
朝から太陽が照りつける。
原因は日本列島の北側に大きく曲がりくねった偏西風が居座り
その蛇行して湾状になった部分に高気圧が入り込み
この暑さともたらしているという。

地球を取り巻く偏西風の影響で冬の南半球は
猛烈な寒波襲来で大雪を降らせている。
テレビではその様子を伝えているが、
暑さにあえいでいる身にはピンとこない。

アメリカ生まれの2匹の猫とミミの相性が悪い。
10ヶ月経過しても顔を合わせれば互いにうなって
いまにも取っ組み合いになりそう。
で、仕方なく2匹の姉妹をサティアンと今でも呼んでいる
プレハブに移動した。
しかし、この暑さなので昼間は住居で過ごさせることにした。
互いに行動エリアを決めて顔を合わせることがないように配慮して。

アメリカ産は老齢なので抜け毛が激しい。
食後もどすことがよくある。
そんなわけで、常に掃除を行っている。
Dyson掃除機はハウスダスト吸引に抜群の実力を発揮する。
動作音がうるさいのが玉に瑕だが。
クソ暑いのに仕事が増えた。

エコ、省エネ、身体と財布の健康を考え
朝からエアコンをつけるわけにはゆかない。
とはいえ、14時頃は昨日の多治見市級まで室温が上昇する。
すべての窓を開けて空気の流通を図っても
外気が熱いのだから効果はない。
止むなく、日が高くなる頃からリビングのエアコンをつける。
テレビをみながらごろごろするわけだが、非生産的で時間の浪費だ。

パソコン持参で図書館にと思うが、
そこには電源がないので1時間程度しかもたない。
しかもパソコンはモバイルに対応させていないのでインターネットにつながらない。
戸外では宝の持ち腐れ。

今日は、映画「インセプション」の初日。
ここへ逃げ込もうか。

本日、24節気の「大暑」。
暦どおりの暑さだ。

7月22日(木曜日)

●アジアジアジアジアジ
5時代の起床は夢うつつ。
今朝も6時をわずかに過ぎてしまった。
連日こんな書き方をしているので
小学校の宿題、夏休み日記を思い出してしまった。
あの頃は毎朝ラジオ体操に出かけたものだが…

すでにトマト畑が強い日差しを浴びている。
裏の蝉は大層賑やかだ。
まだ心頭滅却していないので、大集団合唱が暑さを増幅する。

岐阜県多治見市で39.4℃。熊谷市は37.6℃だった。
全国の熱中症330名。死者5名。

●なぜこの時期に
一昨日、韓国から大韓航空機爆破事件実行犯の
金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚が日本政府の要請で来日。
拉致被害者の増本さん、横田さん夫妻と会談。
何か新事実が語れるかと思いきや、肩透かしを食らった。

小泉元首相が北朝鮮を電撃訪問し拉致問題の扉が少し開いた。
あのときは、純一郎氏のパフォーマンスとも思える行動に日本列島は驚愕。

田中角栄氏の日中国交回復のときほどではなかったが、
一定の成果が得られたことで、一躍脚光を浴びた。

今回の金賢姫来日は、なんで今頃??…と
唐突さばかりが目立つ。
挙句の果てに目新しいニュースはなにもない。
金さんの「必ず生きています」という陳腐な言葉。
この自信に満ちた太鼓判の根拠はなにか?
金さんがめぐみさんと会ったのははるか昔なのに。
そんなこと言うために政府専用機を使い、
ものものしい警護つきという税金の無駄遣いを行った。
犯罪者を国賓級の扱いをしている。

まさか金さん拉致問題にかこつけて
海外旅行とおいしい料理を楽しもうつ〜わけではないだろね。
ヘリで移動中、最短距離でなく富士山周辺を遊覧飛行したようだ。
さらに、最終日は議員等と晩餐会とか…
金元死刑囚の大韓航空機爆破で亡くなった遺族が
日本での行動を注目しているわけだから、
日本側の待遇に彼らが怒るのはうなずける。

宿泊、会談場所が鳩山前首相の別荘。
民主党のパフォーマンスと、
指導力で面目丸つぶれの由紀夫氏の存在感誇示としか映らない。
別荘の提供は国家公安庁トップの要請、と
由紀夫氏は早々にコメントを出したが、
内情暴露で降りかかる火の粉を間髪入れず払う保身術には長けております。
見るからに性格弱そうだもんね、あの人。

コメンテーターの中には、
日韓の緊密さを示し、さらに米韓演習で結束の固さを誇示し
北朝鮮に圧力をかけるため、という人もいる。
であれば、拉致問題が政治の駆け引きに使われているということだ。

失望感を表わすまいと言葉を選んで記者会見を行っていた、
横田めぐみさんのご両親も年老いた。

民主党は下手な猿芝居などせずに、
もっと真摯に拉致問題に取り組み
ご両親が元気なうちに最愛の娘との再会が果たされることを願ってやまない。

8月21日(水曜日)

●アジアジアジアジ
昨夜は熱帯夜。
深夜になっても気温下がらず寝苦しかったが、
いつものようにNHKをイヤホンで聞きつつ
何度か寝返りをうつ。

太平洋戦争末期、20年3月、
鹿児島から特攻機が飛び立っていったが、
その中に、韓国出身の若者が何名かいた。
日本軍は戦意高揚のため、
出身地の韓国で散華した彼らを大いに宣伝した。
8月15日、日本敗戦。
韓国は日本から独立。
英雄視されていた彼らは、その日から
日本に魂を売った売国奴になった。
その中の一人には2人の妹がいて健在だ。
日本のために戦死した彼らは名誉回復したが、
それまでのひ苦難の道を妹が語っていた…

最後まで聞きたかったが眠ってしまった。
NHKテレビは深夜の時間帯に再放送なのだろうが、
いい番組を流している。
来月の敗戦日までこの種の番組は目白押しだろう。

5時15分起床。
室温33度。
熱帯夜を引きずっていた。
庭のテーブルで新聞を読む。
日はまだ林の向こうに隠れているが空気は熱い。

ブルーベリー、ピーマン、ししとう、ナス、いんげん、トマト…朝の収穫。

温野菜ブームらしいが、小生はオリーブオイルで炒め
塩コショウで味付け後、少量の水を加え蓋をして蒸す。
いんげんもやわらかく仕上がる。
プレーンな卵焼きの上に、ピーマンの細輪切りをのせピザのように。
あらかじめミキサーで作りビンに入れてあるトマトジュースを
ミネラルウォーターで希釈して飲みやすく。

採りたての自家野菜を使った朝食は夏だけのぜいたく。

その後も気温はぐんぐん上がる。
早朝家人が草花、野菜に水やりをやっていたが
地面は乾ききってパサパサした感じ。

9時半に野菜直売所が開く。
新鮮野菜が安く手に入ると人気の店。
家で作っていない野菜を購入している。
チャリで2〜3分だから便利そのもの。
だが、目ぼしい野菜は午前中で売り切れる。
今朝も早めに出かけたが、主婦やおじさんたちで盛況中。
この町に、ここと同様、流行る店があと何件かあってもよさそうなものだが、
今のところ見当たらない。

フエーン現象もあって館林は38.9℃という記録的な暑さ。
日本一熱いまち熊谷を超してしまった。
市民は悔しがっているという。

全国で240名が熱中症、熊谷市、真岡市で農作業中に死亡。

猛烈な暑さは明日も続く。

7月20日(火曜日)

●アジアジアジ
大栗線から151号に入り
うまいと評判の加須市騎西のうどん屋へ。
片側1車線の道をひたすら走る。
両サイドはのどかな田園が広がる。
ところどころに、小規模な戸建団地が建設中。
都内にあるようなおしゃれな作り。
田舎の風景が大いに様変わりしている。
味気ない。

昔、サイクリングの途中、騎西城を遠望したことはあったが、
騎西の町へ入るのは初めてだった。
真新しい城を右に見て、
清酒力士の蔵元・釜屋の手前を折れると目指す店だった。
住宅地の中の食堂といった変哲のない店構え。

※騎西城
ところがこの店、インターネットでも有名だった。
うどん通が絶賛している。
加須駅周辺には名店が多く、うどんは加須という評判が高いが、
騎西に隠れた名店あり。その名を「塩崎うどん」という。

土間のような店内に4人掛けのテーブルが7〜8つ。
ちょうど昼飯どきということあり満席。
1人で食事をしている男性のテーブルに割り込む。

初めてのラーメン屋では醤油ラーメンを頼むように
ここでも、シンプルなものを…
冷たいうどんと掻き揚げを注文。

待つこと数分。
汁はかつおだしの素朴な味。
うどんが盛られた器は平凡な陶磁器。
平打ちの麺は絹のようにきめ細かく歯ざわり喉越しがいい。

堪能してとんぼ返り。

近在には名店点在。
これからも噂を聞いたら飛んでゆこう、かな。

7月19日(月曜日)

海の日で休日。
●アジアジ
朝から初体験の作業、コンクリート打ち。
やろうと思ってもなかなか出来るものではない。
道具がないから業者に頼むことになる。

ところが、ご近所にコンクリートミキサーを所有している方がおり、
話がとんとん拍子にまとまり、
小生が助手として参加することになった。
あらかじめ、ジョイフル本田でセメント、砂利、砂を購入。
打つ場所の土を固め、砂利を敷き、木枠で囲んだ。
これで午前中の作業は終了。
強烈な太陽を浴びながら、頻繁に水を補給しつつ行った。

午後2時から作業再開。
いよいよミキサーの登場。
セメントと砂を加減しながら水を加え攪拌。
適度な粘度がでたところで砂利を加える。
これを人力でやったら大変な手間になるし、
この暑さでは熱中症になりかねない。

練りあがったところで、
適当な量をポリバケツに入れて家の裏手に運ぶ。
これが小生の仕事。
枠内に流し込みコテを使うのはミキサーの持ち主。

自宅のコンクリート打ちもご自分で行うという器用人。
コテも4種類くらいを使い分ける。
日が傾きかけた午後4時半過ぎに作業終了。
プロ級の仕上がりに脱帽。

要領がわかったので、
秋には狭い場所を小生単独でチャレンジする、つもり。

7月18日(日曜日)

●アチ
昨日の計画は早くも破られて7時起床。
庭の一隅に造ったシートの横から日が差し込み
朝は日除けの役をなさない。

本日の作業は裏に積んだ古材の整理。
50cmほどの長さにすれば燃やせるゴミとして回収してくれる。
わが家にチェーンソーはないので丸鋸で切り刻む。

マンション暮らしの頃は必要のなかった道具だが
こちらで暮らすようになってから電動工具や農具は必需品になった。
DIY好きなら作業小屋を作り器具を収納しておくのだろうが、
そこまで凝っているわけでもないので、物置に放り込んである。
電動工具だけは室内に置いてあるけど。

古材の量が多いので夏の間に片付けばいいかな、くらいの気持ちでやることにした。
梅雨が明けたとたん、暑さにやられて死亡する人が出始めているのだ。
これで熱中症になったらあほらし。

午後からシートの真上に太陽が移動。
快適な木陰を作りはじめた。
少し動いて木陰で一休み。
水分補給。
涼しい風も吹き抜ける。
心地よい疲労感。

世の中3連休のなかび。
行楽地に向かう高速道路はどこも大混雑。
こちら浮世の喧騒と無関係。
もっともこのクソ暑い中、
混雑する場所に出かける気はさらさらありませんが。

7月17日(土曜日)

●梅雨明け
東北地方を除いて九州から関東まで一気に梅雨が明けた。
北九州、中国地方、中部地方では集中豪雨で
山が崩れ川が氾濫し被害が続出しているというのに。
こちらはたいした長雨もなく、梅雨明けの雷鳴もなくするっと真夏に場面転換。
気温は30度をこえ蝉は一斉に声を張り上げはじめた。

暑さ寒さには強いはずだったが、
この急激な気温の変化は少しこたえる。

※まだ積乱雲のかたちが悪い。もっと入道雲らしくならなきゃ盛夏気分になれない。

6時前に起床。
太陽が雑木林の向こうにいる間に菜園、雑草取り。
7時を過ぎると庭に強い日差しが当たり始める。
室内はまだ涼しい。
食事をすませ、11時頃までPCに向かう。
昼食後、エアコンのきいた部屋でシエスタ。
日が傾き始めたら庭に出る。
こんな夏シフトにすれば、少しは快適になるだろう。
早速、実践すべし、と言い聞かせる、自分に。

7月16日(金曜日)

●銀座
世界の一流ブランドの店が軒を連ねるかと思えば、
チェーン店の飲み屋がケバい看板を掲げるなど
玉石混交の街と化してしまった。
この街に通い始めて50年近くになるが
相変わらず気になる街であることには変わりない。

サラリーマンを経てフリーになっても
夜を過ごした1〜4丁目の裏通りは特に愛着がある。
地上げ、再開発で昔の姿が次々に消えてゆくのは寂しい限りだが。

田舎に引っ込んでからも出かけた際は
通っていた飲み屋のあたりを必ず、歩いてみることにしている。
特に銀座1丁目、幸稲荷脇の路地は
古き良き時代の雰囲気を残す飲み屋街だった。
飲み屋、バーなど数件があったが、どれも古い建物に入っていた。
客は近所の会社の人々で、フリの客はほとんど来ない。
私が通っていた「ともえ」は、席が空いていても、
予約があると断るほどだった。

※幸稲荷 卯波は路地の右側 私の通っていた店は左側で地上げにより消失。ビルになっている。


※卯波の前が私が通った「ともえ」 会社はみずほ銀行の前にあった。
千草、ともえ、倫が並ぶ側は、早々に地上げが入りビルに変わった。
ともえの向かいに、女流俳人・鈴木真砂女氏の小料理屋「卯波」があった。
安房鴨川出身の彼女が詠んだ「ある時は船より高き卯波かな」から屋号にしたという。
50歳のとき故郷の旅館の女将を打ち捨てて銀座に小さな店を開いた。

幸稲荷の裏手になるのだが、魚屋、卯波、すし屋などがあった。
こちらは地上げが入らず営業していたのだが、
一昨年だったか、その一角が更地になり高い塀で囲まれていた。
2008年1月25日が閉店日だった。
鈴木真砂女は、平成15年3月14日、96歳で大往生していた。
90を過ぎても店に出ていたらしいが、
その頃はお孫ざんが卯波を受け継いで切り盛りしていたらしい。

社会人なって、仕事を覚える前に通い始めた
私の銀座が消失してしまった。

真砂女の随筆集「銀座に生きる」には、
私が元気いっぱい飲みまわっていた頃の幸稲荷脇の
路地の情景がたびたび登場する。
実際、髪をひっつめに結った白い割烹着姿の彼女を何度も見ている。
当時はそんな有名な俳人とはつゆ知らず。

手元において時折ページを繰るのだが、
過ぎしあの日が鮮やかによみがえる。

7月15日(木曜日)
●木陰
朝は日が出ていたが草花や木の葉が光っていた。
昨夜か早朝、雨が降ったらしい。
8時、室温25.3度。
高原の朝のように涼しく爽やか。
11時頃には29度まで上昇していた。
夏は早起きして作業を開始すべし。
小学生の夏休みと変わらない。

庭の通路に3本の花水木があり、夏はいい塩梅の木陰をつくる。
2本は移住した年に苗木を植えたので幹が太く背の高い木に成長している。
1本は数年前に植えた若木。
背は先輩に及ばないが、葉が大きくそれなりに役立っている。

木の下には鋳物のテーブルと椅子が2脚。
塗装ははげ錆びた地肌がアンティーク感を際立たせる。

風が吹き抜けるこの場所は広くはないけれど夏の一等地。
ときどきノートPCを持ち出し仕事や読書を行っていた。
モバイルタイプではないのでインターネット接続はできなかったが
無線LANにしたので、事務所からの電波を拾える。
ますますごきげんになった環境に、
今年は飲み物、音楽まで置き避暑地気分を満喫できそう。

気分転換は、もちろん雑草取り。

7月14日(水曜日)

●最盛期
今週中に梅雨が明けそうな気配。
九州、関西は度重なる集中豪雨で大きな被害が出ている。
都内ではゲリラ豪雨で河川が氾濫し床上浸水した地域があったが、
私の住む地域は今のところそのようなことはない。
仮に局地的な大雨になったとしても、
ここは、縄文時代に人が住んでいた台地なので、
よほどのことがない限り浸水の恐れはないだろう。

今年の梅雨は雨が続くということが少なく、
中休みが長かったり、
夜降っても昼は曇り、小雨、夕方には日が射すという具合。
九州の農家は日照不足で発育が悪いそうだが、
わが家庭菜園はすべての野菜が順調だ。

ナスやピーマンは次々に花をつけ結実するので、必要分を採ればいいが
大玉トマトは1株に5〜6段実をつけたら
先端を切って成長をストップさせてしまう。
1段に4〜5個実をつけ、それらが熟すと終わる。
だいたい同じ頃赤くなるので、
1日に10個以上採らなくてはならない。

育てやすいミニトマトは苗が徒長しても花をつけ続ける。
しかし、先端の実は貧弱になるので、
適当なところで成長を止めてしまう。
真田家の六文銭のように実をつけるので、
これも毎日採取することになる。

そんなわけで、この時期冷蔵庫はトマトだらけになる。
冬場はビニールハウスの高いトマトを購入していたことを思うと、なんと贅沢な。
毎日トマトが食卓テーブルを賑わせ、食べきれない分はつぶして冷凍。
ジュースやスパゲテイに使うのだが、秋までにはすべて消費してしまう。

今年は15本のトマトを栽培したが、来年はもう少し増量しようかと思うが
連作を嫌う野菜なので、使えるスペースが限られる。

映画「ゴッドファーザー」で、マーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネは
トマト畑で孫と遊んでいるときに倒れ、この世を去る。
広大な畑かと思ったら、真っ赤な実がよくなった庭の片隅の小さな菜園だった。
私の場合こんな逝き方はできないだろうが、
今も印象に残るシーンだ。

7月13日(火曜日)

●今も昔も
昭和22年の写真。
壁にもたれている人たちを当時は「浮浪者」といった。
さすがに竹籠はなくなったが、着ているものはあまり変化がない。
呼び名は「ホームレス」とおしゃれな英語に変わったが
疲れ果てたように壁を背にして平成22年も居眠りしている。

ここは地下鉄銀座線上野駅からJR上野不忍口へ向かう坂。
傾斜といい排水溝といいJRの高架といい…今も変わらない。
高架の向こうは聚楽だが、今は新しい建物に変化中。
東京は刻々と姿を変えてゆくが、
このあたりは敗戦後を思い出させる貴重な空間でもある。

●言葉
13日の金曜日といえばキリストが殺された日で宗教的に嫌われている。
同じタイトルの映画が昔シリーズ化された。
アイスホッケーのゴールキーパーのマスクをした
殺人鬼ジェイソンがやってくるのだ。
13日と金曜日が重なる日が1年に2〜3回ある。

もう10年以上前になるだろうか。
この縁起の悪い日に大学のクラブの同期会が開催されていた。
六本木材木町の通りに面した金谷観光ビル2階、
ジョン金谷という大人向けの趣味のいいバーが会場だった。
連絡をしなくても、この日の19時頃になると懐かしい顔ぶれが集まった。
時代の流れとともに何人かは他界。バーは閉店。
しばらく空白が続いた。
そして、再開。
13日の火曜日、東京駅八重洲口のイタリアンレストラン。
本日がその日なのだが、なんとなく座りの悪い日。
銀座ならともかく。
さらに、かみさん同伴が推奨されている。
後輩と結婚した連中が何組かいて、彼らは盛り上がるだろうが、
大学とは関係ない女性と一緒になった当方としては
居心地のよくなさそうな集まりに足が遠のいている。

小生としては広告研究会を経て広告やマスコミ業界へ進んだ連中との
StagPartyのほうが好みだ。



若い連中が「さむいぼ」という言葉をつかっている。
当初、意味がわからなかったが、「鳥肌」だった。
寒くなると肌に小さないぼのような突起ができるからなのだろう。
「さむい」と「いぼ」の「い」で短縮されている。
感覚的はわかる。
われわれが使っている「鳥肌」は
羽をむしられ肉屋の店頭につるされた鶏を見れば納得できるが、
最近、そういう陳列などしようものなら残酷と訴えられるだろう。
トレイに盛られた鶏肉しか見たことのない世代にはイメージしにくい。

では、女性が嫌う「サメ肌」はどうか?
サメの表皮はざらついており、
料理屋ではサメ肌のわさびおろし器を使っているほど。
実際に見た人は少ないだろうが、サメの姿と語感から敬遠されるのかも。

天麩羅を揚げたときにできる粒のようなものはズバリ「天かす」。
確かにその通りなのだが、耳に心地よくない。
その「かす」もたぬき蕎麦では主役だ。
昔は「揚げ玉」と言っていた。
いつの間に、こんな下品な言葉がまかり通るようになったのだろう。

明治生まれの祖母がいたので、昔はクラシックな言葉が使われていた。
しかも、当時日本橋馬喰町で酒屋をやっていて、柳橋に品物を入れていた。
よって、そちらの世界の言葉なのだろう。
「おから」は「卯の花」、「塩」は「波の花」。
美しく粋である。

その祖母が床に入るとき
「世の中に寝るほど楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働く。極楽、極楽」と
呪文のように唱えていた。
以前ラジオの女性ゲストが祖母の思い出で、同じようなことを言っていた。

さらに、服を着たまま、例えばボタンをつけるときなど、
「西行が衣の袖に急がれて、着ていて縫うのはこれが初なり」と言いつつ針を動かす。
手にささらないようにするおまじないなのだそうだ。

子供たちに言ってもちんぷんかんぷん。
明治の言葉は私の代で打ち止めだ。

7月12日(月曜日)

●朝刊早刷り
参院選報道で深夜何時が最終原稿締め切かわかりまへんが、
朝刊には渋い顔の民主党代表と破顔一笑の自民党総裁が掲載された。
自民党の勝利とはいえ、喜んでばかりいられない。
勝因をしっかり分析する必要がある。

票取りの大勢が決してから、予定稿があるとはいえ微調整して書き上げる。
写真を選択して紙面レイアウト。
電子化されたとはいえ分刻みの綱渡り。
そして輪転機にかけ遠方から順に配送という大変な作業の連続だ。
一方電子版は最新ニュースが反映される。
Web技術は複雑になりつつあるので、こちらも苦労が多いだろう。

IT社会になってから、すべてがスピードアップされるようになった。
アナログ時代に社会の一線にいた人たちは、
この大変化にとまどいつつ適度に適応、
しかし生活スタイルはゆるやかな頃を崩しかねている。


※毎朝、こんな具合で…

※小さなザルはこんな具合で…

※野菜の葉はこんな具合で… IT社会と関係なくゆったりとしております。

サッカーはスペインが優勝。
やっと睡眠不足から解消される人が多いだろうが
梅雨が明ければ寝苦しい夜がはじまる。

●Web対決
日付が変わる頃、大勢が決していた。
自民党、みんなの党躍進だ。

NHKラジオ、Web朝日、Web読売を同時に見つつ、聞きつつしていた。
朝日サイトは毎回選挙への取り組みに熱心だ。
最新技術をWebに反映させている。
自動的に数字が変わり、党名が表示される。
そして開票中と大勢が決した頃は国会での勢力図に画面が変わった。
Flashを使っていると思うのだが、素早い対応。
見やすく、わかりやすい。

※開票中

※大勢が決した頃

※読売はワンパターン

一方、読売は相変わらず同じ画面。
しかも、更新ボタンを押して推移を知ることになる。
朝日に比べ古くさい。

ラジオでは管総理が記者会見を行っている。
消費税発言を反省していた。
反省する前に、選挙戦に臨む前に熟考する必要があったのでは?

神奈川選挙区は最後までもつれ込んだ。
現職の千葉景子法務大臣が予想外の落選。
批判票と死刑廃止論者という姿勢も影響したか?
自民党の鳩山元法務大臣は精力的に職務をこなしていたもんね。

7月11日(日曜日)

●開票中
Web朝日で刻々と当選が日本地図上に表示されている。
予想通り民主党が苦戦している。

昨年9月衆院選では、堕落・腐敗した自民党に見切りをつけた人、
お灸をすえた人が民主に流れ圧勝。
政権奪取したものの、鳩山首相の指導力不足、魅力の欠如、
首相と幹事長の政治資金問題、
金をばらまけば国民は喜ぶと思ったまずい政策…
沖縄基地問題の迷走…
場当たり的な高速道路政策…
まだまだきりがない。
受けたのは「仕訳」劇場のみ。
しかし、ヒロイン蓮舫氏は「なぜNo1じゃなければいけないんですか」
などと、科学技術立国日本を忘れた初歩的ミスを犯している。

前政権との差別化を図ろうとするあまり
かえって国をおかしくしそうな気配を感じた人も多い。

国を任せるには幼なすぎると思った国民が批判票を投じた。

反面、自民党が大躍進。
威勢よく歯切れのいい「みんなの党」が善戦健闘。
自民党を飛び出したロートル軍団率いる新党はまるで風が吹かない。

かつての小泉チルドレンで衆院で落ちた何人かは参院で復活。
国会議員ならどちらでもとは、不見転(みずてん)芸者のような女二人。

23:45現在
首都圏、
東京 5議席決定、民主2、自民・公明・みんな
神奈川 自民・みんな・?
千 葉 民主・自民・?
埼 玉 自民・公明・?

自民党が改選第一党濃厚。

●半平太切腹
話題沸騰の「龍馬伝」
ついに土佐勤王党首魁・武市半平太が切腹。
先だって、人斬り以蔵こと岡田以蔵が斬首された。
時は1865年(慶応元年)5月11日。
半平太37歳。以蔵27歳。

獄中の半平太、以蔵を自由の身にすべく、
竜馬は後藤象二郎に吉田東洋暗殺の犯人は自分だ、と言い
象二郎は藩主山内容堂に告げる。
が、容堂は竜馬の企みを見抜き自ら牢屋に出向iいて
半平太と話をする。
半平太の藩主に対する畏敬の念は盲目的ですらあった。
「鯨海酔候」と自ら言うように常に酒を離さない。
半平太を前にぐびぐびやりながら、忠臣であるかのような言葉をかける。
半平太、感激し東洋暗殺を指示したのは自分であると自白してしまう。
以蔵は関係ないので寛大な処置をというが、
京大阪での人斬りの咎は許されなかった。
で、2人とも死罪にとなる。

竜馬が罪をかぶったり、藩主が牢屋に出向きじかに下士と話す、
弥太郎が竜馬を牢屋の半平太に引き合わせるなどなど
相当なフィクションだが、
このため、藩主への絶対服従、体を張った男の友情
軽薄な軽輩、弥太郎も友情に応える
などなど
感動的なシーンの連続だ。
半平太の大森さんも熱演。

岡田以蔵役は佐藤健(たける)という。
ジャニーズ系かと思ったら仮面ライダー役をやっていたんだとか。
21歳の青年で身長170cmは当節あまり高くない。
出身は旧岩槻市だって。

半平太の忠誠心を利用して自白させた山内容堂は、幕末の賢人としてつとに名高い。
酒・色と詩をこよなく愛した藩主だった。
べろべろで首脳会議に出席し醜態を晒すことも多々あり。
維新後は東京柳橋近くに住み、愛妾10名以上かかえ、
両国、柳橋の料亭でどんちゃん騒ぎ。
酒の飲みすぎで脳溢血で倒れる。
肝臓をやられなかったのは不思議だ。
明治5年6月21日、46歳で世を去る。
近藤正臣が演じているが、彼は年を取りすぎ。
還暦過ぎの狡猾な殿様のように映る。

墓は土佐藩下屋敷のあった品川区東大井・大井公園にあるという。
若き日の竜馬が、江戸湾防備のため、一時期ここに滞在した。
よって、人気にあやかろうと、この界隈の商店街には
竜馬にちなんだ食品があるようだ。

維新政府は薩長に独占され土佐が割を食った。
晩年の容堂は半平太が存命なら状況も変わっていたろう、
彼の死は間違いだった、ともらしたという。

桂小五郎(木戸孝允)とは馬があっていたという。
ある席上、木戸になぜ半平太に切腹を命じたのか、と問われ
「藩是に従っただけ」と答え、それ以上語らなかった、とも。

●投票日
午前中、少し離れた小学校へ参議院議員の投票へ。
いつものように体育館が投票所。
私の前に人はなし。後ろに1名。
なぜか異常に少ない。
選管の人たちは手持無沙汰。

選挙運動中、ワールドサッカーや大相撲野球賭博問題で
人々の関心はそちらに向きがち。
街中で選挙カーに出会うことも少なく、
中心部から離れた地区まで入り込むこと皆無。

情報はもっぱら新聞頼み。

生活に密着した政策は、もちろん大切だが、
日本がどこへ向かおうとするのかまるでわからない。
危機感がなく政治経済ともに矮小国家に成り下がる。
コップの中の嵐。
井の中の蛙。
政治家が小粒になった印象。
新党乱立。
1票に託したい人物、政党を絞り込むのに苦労する。

●のんびり
投票後、ちょい足ならしで「はらっパーク」へ足をのばす。
テニスコートや野球場などな〜んもない広大な「原っぱ」。
障害物がないため国体のアーチェリー会場になった。

雨も小休止ということもあり、
公園のはじっこで休日を楽しむ人々の姿、散見。

娘にキャッチボールを教える父親あり。
孫にキャッチボールを教える祖父あり。

娘は投球時に右手を挙げると同時に左足を高く上げるのでなんともぎごちない。
孫は男の子だから多少はサマになるが暴投多く、
祖父はたびたび球ひろいに駈け出す始末。
祖父がボールを投げるも孫はよそ見をしていて頭の上を通過する。
そんなことが続くので祖父、初めの情熱を失い次第にイライラしてくる。

平和な風景が原っぱに繰り広げられていた。

郷土資料館裏の竹林。
念入りに手入れされていて美しい。
訪れる人の姿なし。
ことし生まれた若竹もすっかり成長していたが、
白い粉を表面につけているので、まだひよっこ。




7月10日(土曜日)

●茄子
NHK教育の人気番組「野菜作り」。
家庭菜園をやっている人が結構視聴している模様。

茄子、ピーマンなどは伸ばしっぱなしにするのでなく、
枝を剪定して3本仕立てにするべし、と
メタボ系の先生に先日教わった。
翌日、即実行し幾日か経過した。
支柱もしっかり立てたのが、発育著しく次々花と実をつける。
実が大きくなると支柱では間に合わなくなり
地面に接するほど垂れてしまう。

そこで必殺技「吊り茄子」を行うことにした。
やり方は簡単。
上に紐を引く。
伸びた茄子の枝にも紐をかけ結びつける。
これでおしまい。

※ちょっとわかりにくいが、紫色の紐で吊っている。

秋茄子は嫁に食わすなと言われるほど美味だが、
良好に育成するために大胆に枝を切ってしまう。
ところが「吊り茄子」にすれば
切り戻す必要もなくそのままでよい。
背丈は1m70cm以上になった。
昨年、この方法で秋が過ぎるころまで収穫できた。

これは野菜の師匠から伝授された方法だが、
裏の市民農園でやっている人は皆無だ。

ところで、トマト。
連日こんなにとれてどうしましょう…


7月9日(金曜日)

●蝉
夏を待ちきれなくなったニイニイが裏の林でコーラスを始めた。
梅雨が明けたとたん賑やかになるのだが、
数はまだ少なく、目下、トレーニング中といった具合だ。
夕方になると少し淋しげで優雅なヒグラシの音色に変わる。
こちらも本番に備えているように控えめ。
来月になればミンミン、オーシンが加わり一大混声合唱となる。
彼らの生涯はこの季節で終わってしまう。
短い時間をちからいっぱい歌い上げるのだからそのエネルギーといったら…
ミンミンは夜中まで鳴く。
熱帯夜と重なったりすると慣れない人は睡眠不足なるだろう。
えっ、私ですか?
子守唄代わりにしておりますが。

7月8日(木曜日)

●昭和22年
昭和30年代が熱いけれど、
昭和22年の葛飾区金町の航空写真を見つけた。
現代の写真と比べてみた。
赤印が越してくる前の年のわが家。
平成22年、再開発で道路の下になってしまったことがよくわかる。



※GoogleMapは大きなビルが建っているのだが

※まだ古い航空写真を使っている。

●就活
最近の世の中、言葉を縮めていうらしい。
婚活、就活など一発変換で出てくる。
われわれの頃はきちんと就職活動と言っていたけど。

その就活だが、インターネット時代を反映して
(インターネットに時代をつけるつ〜言い方も古臭い感じがする)
IT社会を反映して、企業のHPのエントリーシート経由で意思表示をするらしい。

昔はどうだったかあまり記憶がないが、
大学の就職部に掲示される求人票を見てお目当ての企業を見つかったら
就職部に意思表示したのではないか、と思う。

だれもが人気企業の試験を受けられたわけではない。
そこには成績表の「優」の数が人物の評価基準となる。
就職率は大学の評価にかかわってくるから
アホが難関企業を受けようとしても学内推薦を発行しない。

運よく、学内推薦がとれれば、扉が1つ開いたことになる。
それを持って企業に出かけた、と思う。
それから企業から試験日の通知が自宅に届く。

広告代理店1本に絞っていた私の場合、
たまたま、試験は通っていた大学で行われ、
クラブの全体会議で使っていた階段教室だったので、
らく〜な気分で1次試験は突破してしまった。

面接は銀座本社で3次まで行われたと思う。
初めは大勢いた学生が、次第に少なくなってゆく。
帰り際に交通費が支給された。

当節、広告研究会に所属していた学生は
手垢がついていると、企業から嫌われる傾向にあるようだ。
当時は、そんなに人気業種でもなかったので、
学生の頃から広告に興味があったとは「愛い奴」というような
空気があって、多少有利に働いたような気がする。

2次面接は、2グループに分けられ、
今でいうディベートが行われた。
小生のグループは「広告は是か非か」で、
私は「是」のグループだった。
これも難なく通過。

最終面接は重役面接。
白髪の役員だった。
「入社したらどんな仕事をやりたいの」
「制作でコピーが書きたいと思います」
「おまえな〜組織つ〜もんはそんな自分の思う通りにはならないもんだよ」
と、べらんめ〜口調でその重役は言った。
彼が、その後社長になったS氏だった。

運よく内定通知がきた。
あこがれの銀座の広告代理店だっ!
あとは、入社日の通知を待つだけか、と思ったが
入社への儀式はそれだけでは終わらなかった。

人事部のU氏がわが家へやってきた。
あとで分かったのだが、
当時使い込みをする社員が結構多かったらしく、
それとなく資産状況を調べに来た、というのだ。

つい最近、子会社の40代の男が5000万近く横領し
新聞報道されていたけど…

晴れて、パスして4月の入社となった。
2社受けて先行する希望社に決まったのだから
今、就活する人たちに比べラクに社会人になれたといえる。
そんな会社だったが、わずか3年で辞めて
コピーライター修行の旅に出ることになった。
おかげさまで、早い時代にパソコンと出会い、
バブル崩壊後、パソコンという芸が身を助けることになったけど。

今の学生はやみくもに何十社も受けているようだが、
どこでもいいから引っかかればいいという姿勢では、
企業は採用に二の足を踏むだろう。
1〜2年次から進路を決めて臨めば必ず突破できる。

面接テクニックなどというセミナーで身につけたような
付け焼刃は必ず見破られる。
大人はそんな甘いもんではおまへんで。

では、がんばってくんさい。

7月7日(水曜日)

●大変身
私が育った街、葛飾区金町を久々に訪れた。
南口再開発が終了していた。
国道6号線からJR金町駅まで広い道ができ、
その脇には超高層マンションが建っていた。
道路の入り口に立つブロンズの「母子像」は
同級生の彫刻家の作品だ。


写真を見返すと、場所が特定できないほど変わっており
まるで別の街に来たようだ。

昭和23年から20数年住んだ土地は広い道の下に眠っている。
目印がまるでないので、
たぶんこのあたりに家ありき、という具合なのだが。
地権者の一部は等価交換として高層マンションに住んでいるらしい。

※たぶん、白い車あたりに家があった。ちょっと複雑な気分。

都心の駅付近でよくみかけるPRONTOが京成金町駅脇に
高層マンション下にはタリーズが出店。
スタバは駅脇のマンション1階に入っている。
およそ下町に似つかわしくないが、これも時の流れだが、
ある程度の人口が確保されないと、こうした出店は無理。
従来の南口商店街はアーケードを外し明るくなったが、
近代的なビルの間にへばりついた旧態然とした外観をさらしていた。

地主の息子が小学校の同級生なので、
再開発に何年かかったのか聞いてみたところ、
30年という答えが返ってきた。
オギャアと生まれた赤ん坊が中年の門口に入ろうとする長い年月だ。

今、わが町も西・東口の再開発話が浮かび上がっているが、
小生が生きている間にその姿を見ることはできないだろう。



ルーバン宮代のパン屋が撤退したようだ。
西口駅の「白いたい焼き」は開店当初は列ができていたが、
最近はお茶を引いていた。
と、思ったら本日新しい店になっていた。
今度は「餃子店」。

出店しても長続きしない、という流れを断ち切らなくては
再開発で生まれ変わっても先行きが思いやられる。

7月6日(火曜日)

●読み方
NHKニュースは、「幕内力士」のことを
相変わらず「まくのうちりきし」と「の」を入れて読み上げている。

小生、子供の頃から「まくうちりきし」と言っていた。
天下のNHKが単純とも思える文字を、言い間違いするはずがない。
確固たる理由があって「まくのうち」と読んでいるのかもしれない。
ことによったら、当方の間違いかと、気になった。

手元の人気辞書・三省堂「新明解」第6版で調べる。

【幕内】まくうち
(すもうで)番付の最上段に名前を連ねる力士。前頭以上のもの。幕の内。
【幕の内】
@まくうち A幕の内弁当 俵形の小さな握り飯とおかずを詰め合わせた弁当。

読み方は「まくのうち」でも間違っていないようだが
NHKの相撲実況は「まくうちりきし」と言っている。
「の」を入れると、間延びして、力士の強さも緊迫感も
何割か減ずるように聞こえてしまう。
実況とニュースでは、言葉に対する感度も違うようだ。

7月5日(月曜日)

●最近のアナ
職業柄、漢字の読み、アクセントには神経を使うものと思っているが、
最近はプロにあるまじき読み上げぶりが耳につく。

標準語の総本山NHK。
声の質から新米とは思えないアナがポカをする。
賭博問題で大揺れの相撲協会のときは、
まくうちりきし「幕内力士」と読むべきところを「まくのうちりきし」。
升席ではお茶屋が「幕の内弁当」を用意するが、
これと混同したのとちゃう?

サッカーの結果をニュースで読み上げたときも、
サッカー用語に口ごもり、読み方を直される始末。
深夜便の時間帯のニュースにも同様のケースがたびたび発生。
特に、外国の歌手や曲名は誤読が多い。

リスナーがロートルだから、
こんなもんでいいだろうと、
ロートルアナを起用しているのか?
入れ歯が合わなくて空気の漏れるアナもいる。

「存在」を「ぞんざい」と読み上げた民放女子アナがいた。
「子弟」と読むべきを「指定」というようなアクセント間違いは枚挙のいとまがない。

与えられた原稿の下読みはしないのかね。
難関突破して入局したのがこの程度とは…

7月4日(日曜日)

●玄蕃ファーム
「ガーデニングの聖地」と小生が勝手に名付けた加須市のグリーンショップ
玄蕃ファームへ久々に出かけた。

国道4号線を幸手を抜けさらに進むと渡良瀬川を渡って古河市に行ってしまうが、
橋を渡らず下に行くと、合併により久喜市となった旧栗橋町に入る。
道路が整備されてしまったが高いマンションが目印。
東武線の踏切を渡ってすぐ右折すると県道60号。
ここは、合併により加須市になった旧大利根町。
直線道路をひたすらゆくと県道46号とクロスする砂原に到着。
右折すると大利根道の駅だが、直進し、すこしくねくねするが
ひたすら60号をゆく。
遠くから見ると屋敷林のようだが、ケヤキなどの大木に囲まれたスペースに
おしゃれな館が建っている。
ここが、知る人ぞ知るガーデニングの聖地・玄蕃ファーム。
加須市といっても市街から遥かに離れ利根川が近い。

初めて訪れたのが4年ほど前か。
今日で4度目の訪問。
館の右手と裏がガーデンで、温室、作業室などが配置され、
めずらしい草木、鉢、小物が趣味よく並べられ販売されている。
庭づくりの参考にしながら、わが庭を思い浮かべつつ購入するという具合。
館の中でお茶やランチが楽しめる。

※館の裏手。白壁に棚をつくりオブジェが置いてあった。

※森の中の館。喫茶ルームを望む。

※緑の中にカラフルなレイアウト

駐車場の車を見ると熊谷、群馬、春日部など遠方の客が多い。
庭を見て回るのは中年以上の女性がほとんど。

館の裏手に昔はなかった平屋の家が建っていた。
そちらのほうが気になって、館の左脇から無断で訪問。
その新しさから建築後2年程度かもしれない。
低めのウッドデッキに、木質を痛めないように丸っこくて
カラフルなプラスチックの椅子が4つ置いてあった。
デッキの上に日よけはなかったが、
周囲は高い木なので午後は日影になるのだろうか。
たぶんファーム関係者の住宅だろうと思うのだが
好きな仕事に携わり、地続きに住宅とはうらやましか。

大昔の農村風景といえば寒々しかったが、
最近は田園地帯にあっと驚く趣味のいい家を発見する。

大利根の道の駅で蕎麦でも食べようかと出発…

GoogleMapで調べるなら埼玉県加須市大越865。

●花水木の館
家人が昔、このあたりに十勝甘納豆の甘味処があったはずだというので
来た道を戻る予定が、工業団地を曲がってしまった。
それは欅並木を過ぎた場所にあった。
十勝甘納豆が経営する「花水木の館大利根店」という。
銀座、横浜あたりの甘味処をイメージしていた小生だが、建物の立派さに驚かされた。
前庭をゆったりとり噴水まである。
不便な場所なのだが、駐車場はかなり混雑。
冷房の効いた店内に入ると、和菓子系がびっしり並べられ、年配の男女が大勢訪れている。
奥が飲食コーナー。
天井が高く広々としている。
立派な中庭も見える。
2階はギャラリー。
食事もできた。
こんな贅を凝らした甘味処は見たことない。

※立派な甘味処

※天井の高い甘味処

※ヴォリューム満点!

※観光地でもないのに大勢の客が訪れる

ところてんにしようかと思ったが、にわか甘党になりクリームあんみつにした。
出てきたものを見ると…
すごいボリューム。
抹茶用の茶器のような器に、ソフトクリームのように
ねじったアイスクリームがもっこり。
これまで、半円球の上品なアイスクリームを見慣れていたので圧倒された。
完食したら満腹になってしまった。
クリームあんみつで腹いっぱいというのも珍しい。

道の駅で蕎麦を食べる気にもならなくて、
再び60号線をひたすら栗橋へ。
そこから4号で一気に帰宅。
梅雨の晴れ間のミニドライブだった。

「花水木の館」をインターネットで調べたら、
十勝甘納豆本舗大利根工場の付帯施設だった。
てっきり北海道の会社かと思っていたが、
社長の出身地が北海道で、十勝甘納豆本舗本社は川口市にあった。
販売店はすべて埼玉県。
ぬわんと、地元の銘菓だった。

甘味処から中庭の向こうに見えたのが工場なのだろうが、
「ロ」の字型の建物は一体感があり工場のようには見えない。
経営者のこだわりなのだろう。

クリームあんみつを堪能したかったら、
ぜひ一度行くべし。

それにしても、辺鄙なところに個性的な店があるものだ。

GoogleMapで調べるなら埼玉県加須市新利根1-3-2。

7月3日(土曜日)

●カマキリ
リアウインドウで生まれて間もないカマキリを発見。
顔中目のようないかつい成虫と違って
1cmほどのマイクロ・カマキリはとても愛らしい。
カメラを向けると寄ってくる。
人間を怖がることなく好奇心が旺盛だ。
写りのいいアングルを求めて移動すると
細い足をちょこちょこ動かしてくる。

小鳥たちの餌になってしまうようなか弱い存在の赤ちゃんカマキリだけど
車の上でうろうろしないで
同系色のいんげんやトマトの葉の裏で
無事育ってくれることを祈りましたね。

7月2日(金曜日)

●雷雨
16時ころより雨雲が低くなりいやな風が吹いてきた。
やがて遠雷。
次第に雷鳴が近づき16時30分、始まった。
頭上で稲妻が走り間髪入れずガラガラと腹に響くすさまじい音。
久しぶりの雷ショーだった。
大粒の雨が降り出す。
南西からの風で窓はびしょぬれ。
30分ほどで雷は東北へ去って行った。
18時、何事もなかったように日が射しはじめた。

ICレコーダーで雷の音を録音してみた。
再生したら平板な音でエネルギーがまるで感じられない。
取材用の機種では無理なのだろう。

昔、「生禄」という言葉があった。
テープはカセットだがちょっと高性能な録音機で、
同じく高性能なステレオマイクでHi-Fi録音をする。
虫の音や川の流れといった
今思えばしょーもない自然音を録っていたものだ。
いま、小型高性能なデジタルPCMレコーダーがあるが、
まるで興味がない。



南アフリカでは準々決勝。
ブラジル・オランダ戦が行われている。
ブラジルが先取したがオランダも後半1点入れて同点に追いつく。
おっと、オランダが1点追加して逆転!
あららら、そのままオランダ勝利!
Best4進出!
日本はどえりゃー国と戦ったもんだ。

日本は静かになったが、
ヨーロッパと南アメリカの国民ははまだまだ熱い。

7月1日(木曜日)

●岡田Japan帰国
追われるように出国したのだが、
予想外の働きで評価は一変。
関空に2000人以上がつめかけ16強入りの凱旋帰国。

トルシェ、オシムの外国人監督の頃に比べれば選手たちの動きは違っていた。
混戦の中チャンスとみればミドル、ロングと
果敢にゴールに向けてキックするシーンがあった。
が、全試合4得点のうち2点はフリーキック、
2点はゴール間近の本田のアシストによるもので、
ナイスミドルシュート、ミラクルロングシュートは見られなかった。
オランダ戦は1対0で負けたが、
よく0点でしのいだという声を聞くが、
気がつくと守勢に回って振り回されっぱなし。

フリーキックで神業を見せたものの、
全員攻撃による華麗なゴールができないというのが問題だ。
さらに上の8強を目指すなら、
Jリーグでサッカー先進国の戦い方を研究し
貪欲に取り込むことが必要だろう。

Jリーグも一時期の熱も下降線をたどっているようだ。
横浜Fマリノスは経営が成り立たず連盟預かりという無残な姿。
サッカー復権を目指すためにも熱い試合を見せ続けていただきたい。

と、にわかファンがわかったようなことを言ってしまった。

記者会見での岡田Japanは、悔しさをにじませながらも
統一のとれたチームを感じさせていた。
いつも苦虫を噛み潰しているような岡田監督だが、
最後に選手にマイクをふった。
一人は、親が急病で急きょブラジルに行ったため
記者会見に臨めなかった闘莉王のものまねを
もうひとりは、怪しげな南アフリカの歌を披露した。

パラグアイにはPKで惜しくも負けてしまったが、
延長戦まで0対0で戦ったという気持ちが
あのような陽気な記者会見となったのだろう。
北朝鮮のような7対0のようなボロ負けをしていたら
16強とはいえ沈鬱ムードだったろうけど。

個人技が優れていても集団戦にまだ弱点ありという日本チーム。
これをいかに克服してゆくか。
実践の場であるJリーグが楽しみでもある。

| page top |
inserted by FC2 system