新聞・テレビで群馬県のブラジル化した町のことが報道された。聞けば、西小泉であるという。コイズミの名は聞き覚えがあった。落ち込んだ経済を立て直せない日本の首相と同じ名前だからではない。私の母が隣村で娘時代を過ごしていたのだ。群馬県の中では東京に近いロケーションだが、なぜそんな奥まった所に異国の人が多いのか?
それには理由があった。1990年、入国管理法が改正された折、工業立町を目指す大泉町は労働力確保のため、ブラジルの日系人を積極的に受け入れた。それから10年超。総人口42,761人(平成13年3月末現在)の大泉町に暮らす外国人(登録者)の数は5,999人(同)で、外国人の町民人口に占める割合は14%を超えている。
ここに暮らすブラジル人たちは母国の文化を持ち込む。結果、ポルトガル語の看板をかかげる店が増え、道行く人も日系人あり純粋ブラジル人ありで国際色豊かな町に変貌したのだ。
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電車に乗れば、わが家から1時間で目的地に到着するとわかって驚いた。銀座へ出るより近い。
梅雨の続きのような涼しい日が続く8月19日の昼前、東武伊勢崎線に乗り込んだ。ウイークディということもあり、電車はがらがら。37分で館林、小泉線に乗り換え18分で終点の西小泉に到着。料金630円は銀座へ行くより10円安い。
車窓から見えるのは、悪天候で未熟な稲穂の目立つ畑。その間に民家が点在する典型的な田園風景。駅付近は新築の家が多いようだが、どこも皆同じような造りで家だけ見れば都会的である。農村地帯のほのぼのとした、たたずまいはとうの昔に消滅したのだろう。駅前といっても、店舗があるわけでもなく、赤ちょうちんなど望むべくもない。この辺の人たちはどこで飲んでいるのだろう。
西小泉線の車両には館林から日系人とおぼしき女性たちが乗り込んできた。ポルトガル語なんだろうが、わかるわけない。
終点の西小泉は小さな駅である。狭い広場と、駅にへばりつくように小さな店が2、3軒。客待ちのタクシーが1、2台。夜に降り立ったら困惑するだろう。すぐ横を国道354線が走り、ここは交通量が多い。
ざっと見渡しても、ブラジルの「ブ」の字も感じない、単なる地方都市なのだ。マスコミは何をもって「リトル・ブラジル」と紹介したのだろうといぶかった。できれば、ブラジルレストランで食事をしてみたいと思っていたのに。
国道沿いのOZ(オズ)商店街もシャッターを下ろしている店が多かった。(あとでわかったのだが、お盆休みだったのだ)
それと、「リトル・ブラジル」と言っても、アメリカの「リトル・トーキョー」「チャイナタウン」というように、ブラジルゾーンを形成しているのではなかった。日本の商店に混じってお店が点在しているのだ。しかし、ブラジル人の密度が高いので、わが国に滞在する同国人の間では名が知れていて、遠方からもやってくるという。
前置きが長くなったが、「小・伯剌西爾」見聞記。

がら〜んとした「西小泉駅」

駅の脇を走る国道354号線。左右に商店。歩道橋の左が駅。

駅から国道へ出る角地にありました。ブラジル雑貨と航空券を扱っている。

表通りを入ると…絵からすると食堂?閉まっていました。

電気製品やレコードを売っています。和・葡併記してますね。

椅子には「YASUI ISU」と書かれておりました。

ここが一番大きいブラジル系のお店だそうだ。2階がメインフロアらしいが、あいにく閉まっていた。1階には家電店、スーベニア店、旅行代理店などが入っている。ちょうど、電気製品を買いに来ていた人がいて、販売員とポルトガル語でやっていましたね。店内の空気の匂いが外国のそれだった。ハワイのダウンタウンのお土産店のような。本国から輸入した品々が運んできた香りなのだろうか?

VARIG航空。しっかりブラジルしています。

ブラジル製の人形でしょうか?なぜか早くもサンタクロースが…。

駅の裏手にある集合スナック。すべてあちらの言葉。前にいる人はあちらの人。大泉町は昼間人口が多いという。周囲の工場、下請け会社へ働きに来る人たちなのだ。昼間は道を歩く人の姿は少ないが、ウィークディの夕方や休日には国際色豊かになるのだろうか?
あるいは、ブラジル人が集まるスナックへ夜に行けば一気に盛り上がるのだろうか?そういう場所では日本語が通じないらしいが。
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ある商店主から聞いたのだが、町が観光の目玉にしたいという夏の「サンバ・カーニバル」は、ここ何年か開催されていないという。また、通りを渡ったあるお店の主人にブラジル系のお店の所在を聞いたのだが、「あっちのほうにはあまり行かないので、わからない」という答えが返ってきた。
あらら、町の人たちは以外に醒めている。マスコミが騒ぐほどではないのかな。地元の人々と異国の人たちは、ベター・コミュニケーションが図られているのだろうか?もっといろいろな年代に聞きたかったのだが、叶わなかった。
探せばお店がまだまだあるのだろうが、雨も降りそうな気配。異国の香りが少しする町に2時間ほど滞在して別れを告げた。結局食べたのは日本蕎麦!!
     
工業で町の繁栄を推進する町だから、ほこりっぽくて乾いた感じかな、と思ったら、緑を増やす政策もあった。駅に近い通りには立派なプロムナード。大きな欅が植えられ涼しげな影を作り、町民のオアシスになっているようだ。うらやましいですね。私のすむ町の街路樹は電線があるためか、夏が終わるといつも丸坊主にされている。冬はそれが一層寒々しい。なんとかならんか!
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