歌留多

遠く離れて暮らす人が帰郷する。正

月は久しぶりに賑やかで華やいだ空気

が漂う。ひと昔前なら、家族揃って双

六やトランプに興じたものだが、テレ

ビゲームの普及で団欒がすっかり様変

わりしてしまった。

 科学万能といわれる二十一世紀にな

っても、「歌留多取り」を正月行事に

している家庭もあるとか。そこで使わ

れる歌留多は「小倉百人一首」である。

 鎌倉初期の歌人藤原定家が京都嵯峨

の小倉山別荘で撰したと伝えられる百

人一首が、歌留多として庶民の間で正

月の遊びとなったのは江戸時代以降。

武士階級では婦女子の情操教育の役割

を担っていたという。

 男女が携帯電話で簡単に知り合える

現代と異なり、明治・大正期は正月の

歌留多会が出会いの場であった。

 明治の文豪尾崎紅葉の小説「金色夜

叉」で、ヒロインの鴫沢宮が銀行家の

息子富山唯継に見染められたのが歌留

多会の席。小説が明治三十年一月一日、

読売新聞に連載されると評判を呼び、

以後五年半にわたり続いた。

『日本国語大辞典 第二版』によれば、

歌留多は、織田信長が天下統一を進め

ていた天正年間(一五七三〜九二)に

渡来したポルトガル人が持ち込んだ、

遊びやばくちに使う長方形の札car

taを指す。一セット四十八枚で、現

代のトランプのようなものであった。

特にこれを「天正歌留多」と呼ぶ。

 ばくちでへまをやらかす輩はいつの

時代もいるようだ。徳川二代将軍秀忠

の時、江戸城内で歌留多遊びをしてい

た佐竹藩江戸詰侍八名が、重役に見つ

かり追放になったという記録がある。

 天正歌留多は日本的な美意識を加味

した「うんすん歌留多」「花札」と姿

を変え、ばくちの道具になってゆく。 

 カルテやカードの語源にもなってい

るcartaだが、歌留多の種類は多

く、いろは歌留多、うた歌留多(小倉

百人一首)、西洋歌留多(トランプ)、

花歌留多(花札)などがある。

 情緒のある歌留多会は姿をひそめて

しまったが、競技としてのそれは学校

や地域で盛んに行われている。読み手

の「むすめふさほせ」の一声で素早く

手が動き歌留多が手裏剣のように空を

切る。日本一のタイトルを手中にする

のは男性より女性。百人一首は恋の歌

が多いのだ。 

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