葡萄

民家の軒先の葡萄棚は、日除けも兼

ねているので房の位置は高い。栽培農

家は「商品管理」がしやすいように低

い棚である。観光葡萄園は収穫のとき

を迎えて人が並ぶ。

 昨今の人気は「巨峰」。濃紫色の大

きな粒と濃厚な甘さで存在を際立たせ

ている。巨峰はぶどうの世界的な権威

である大井上康博士の理論に基づいた

品種交配により日本で生まれた。第一

号は昭和一〇年代に誕生した。

 『日本国語大辞典 第二版』による

と、日本では古くから山ぶどう、野ぶ

どうが自生しており、「えび」「えび

かづら」と呼ばれていた。食用よりは

染料として用いられ、今日、「えびぞ

め」という言葉が残るだけである。

 日本でのぶどう栽培は、一一八六年

(平家が壇ノ浦の戦いにやぶれ滅亡し

た翌年)、甲州の雨宮勘解由が山ぶど

うとは別種のぶどうを発見し、移植、

栽培したのが最初とされている。これ

が脈々と現代に受け継がれた日本最古

の品種「甲州」である。

 世界の葡萄の品種は二〇〇〇種を超

えるといわれる。ポピュラーなものと

して、種なし・小粒のデラウェア。ぶ

どうの女王、マスカット・オブ・アレ

キサンドリア。改良品種のネオマスカ

ット。巨峰を改良したピオーネ。ネオ

マスカットとフレーム・トーケーの交

配種「甲斐路」などがある。

 一五〇〇年代中頃は、「南蛮文化」

が栄えた時代で、スペイン、ポルトガ

ルから西洋文化が押し寄せる。宗教儀

式用のパンと葡萄酒もこの時期にやっ

てきた。初めて見る背の高い外国人と

異文化。「南蛮人は人の生き血を飲ん

でいる」と庶民から恐れられていた。

 布教を円滑に行うため戦国大名にさ

まざまな品が献上された。織田信長が

ポルトガル人から赤葡萄酒を手に入れ

たという記録もある。赤を意味するTin

toから「珍陀酒」と呼ばれた。葡萄酒

は珍品中の珍品で、大名といえどもな

かなか入手できなかったという。当時

は嗜好品ではなく薬の色彩が強かった。

 ちょっと間があるが、ボージョレヌ

ーボーの解禁日は十一月の第三木曜日

と、フランスの法律で定められている。

時差の関係で日本が世界で一番早く新

酒を飲める。収穫から出荷まで一ヶ月

という若々しい香り、味を求めてワイ

ンコーナーに人が並ぶ。

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