春まだ浅い日。小糠雨の向こうに梅林がけむるように見える。年輪を重ねた幹に不釣り合いなほど楚々とした白い蕾。一幅の水墨画の世界が広がる。近所にこのような場所があれば雨の日の散歩も悪くない。
 『日本国語大辞典 第二版』によると、バラ科に属す梅の原産地は中国で、大陸から多くの文物が渡来した奈良時代に梅も伝わり各地で栽培されていたといわれる。万葉仮名では「宇米」「有米」「烏梅」などと表記され、平安時代になると「むめ」と記されることが多くなった。
 「万葉集」に収められた梅の和歌は植物では「萩」に次いで2番目に多く、当時は桜より梅のほうが愛でられていた。梅と組み合わせて詠まれるのは「鶯」「雪」「月や雪に見立てる」「香を賞美する」という型があるという。
 東風吹かばにほいおこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春な忘れそ
 菅原道真は「香り」から季節への期待感と心情を詠んでいる。
 「梅に鶯」の構図は和歌とは異なり俳句の世界では季が重なるため、同居はできないことになっている。
 とはいえ小林一茶は詠む。
 梅咲けど 鶯なけど 一人かな
 幼い頃、継母からいじめに似た育てられかたをした一茶は、十五歳のとき江戸に奉公に出される。次第に俳句で頭角をあらわし、諸国を旅して歩く。父の死後、遺産相続で継母との係争は十二年にも及んだ。俳諧宗匠として名を成し故郷の信州に戻り、年行ってから所帯をもった。四人の子供を授かるが、そのすべてを失いさらに妻を亡くしてしまう。その後、後添えを迎えるが折り合い悪く二ヶ月で離縁。一茶六十五歳の六月に大火が起こり家を焼失してしまう。その年の十一月焼け残った土蔵で生涯を終える。三番目の妻は彼の子供を宿していた。
 一茶について回った不幸は尋常ではない。生き物にやさしい視線を投げかけた句が多いが、さみしさが底に流れる。世間では、梅だ鶯だと春の到来を喜んでいるが、一茶の心は空洞だ。
 形を変えて現代は、多くの中高年男性が不幸に見舞われている。かさむ教育費や住宅ローンをかかえてのリストラ…。困難な再就職この「痛み」は春がきても消えそうもない。


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