アイバ戸栗の住む家

前夜の大雪のため「戸栗商店」はCLOSEの札が入り口の ドアにかかっていた。東京ローズことアイバ戸栗ダキノ婦人に会いたいというのが今回の旅の目的のひとつだったので、ぽっかり穴があいてしまった。
彼女の父、戸栗遵氏が1943年に創業した「戸栗商店」は日本の雑貨を扱っている。間口は広いが年代を感じさせる建物だった。中をうかがってみると、古びたショーケースや棚に掛け軸や陶器が無造作に並べられていた。日本のローカル都市の骨董屋という雰囲気であった。
写真の点数が少ないので、アイバ戸栗について少々調べてみました。インターネットで検索しても「東京ローズ」という歌のグループがあるだけで、肝心の情報は得られなかった。ひょんなことからドウス昌代さんが、そのものずばりの「東京ローズ」というノンフィクション を文芸春秋社から出していることが判明。しかし、10年も前の本であり本屋からは入手できない。神保町へ行くたびに探しても見あたらなかった。地元の図書館にもなかった。すると、近隣の図書館ネットワークで在庫を調べてくれるというのだ。3〜4日後に電話が入り見つかったという。便利な仕組みがあるものです。
学生時代にマスコミを専攻していたこともあり、プロパガンダ関係の本を読んでいたときに「東京ローズ」の名を知った。なぜアイバ戸栗が東京ローズか、については誤解がありました。占領部隊に同行した新聞記者たちのスクープ合戦の被害者だったようです。さらに 戦後のアメリカ国内で 旧敵国の血を引く日系人をスケープゴートにする必要があった政府の大芝居の犠牲者でもありました。そこには人種差別問題もあった。裁判が開かれたサンフランシスコは最も排日感情が強い地域であり、そこを舞台に選んだ政府の計算もあった。敗戦国日本がルーツだったために起こるべくして起きた悲劇でした。ナチスドイツの謀略放送に荷担したドイツ系アメリカ人も裁判にかけられましたが、短い期間服役しただけで釈放されています。アイバ戸栗は特赦で自由の身になるまで30年以上かかっています。名誉は回復したもののまだ米国籍を剥奪されたまま。日本国籍もありませんから、80歳を越した今も彼女は無国籍。

アイバの父は戸栗遵 (じゅん)。従って店の名前はJ.TOGURI商店。
日本の雑貨を扱う。ドウス昌代さんはこの店で 買い物をして店番をしていたアイバに会ったことがあるそうだ。その時は執筆前で、あの人物が、この人とは夢にも思っていなかったという。


巣鴨プリズンに収監中のアイバ戸栗。29歳。


サンフランシスコ連邦裁判所にて東京ローズ裁判公判開廷。証言台で宣誓するアイバ。1949年9月。33歳。


1949年11月15日ウェストバージニア州アンダーソン女囚刑務所服役
その直前に父遵氏と。彼は裁判にあたって莫大な借金をして弁護士側の証人を日本から呼び寄せた。
1972年90歳で他界。初代シカゴ日系人会長を務める 。
後に早稲田大学教授になった、若き日の五十嵐信二郎氏(カイゼル髭でテレビに登場していた時期もあった)は、政府側証人として喚問され、アイバに対し不利な証言を行ったそうです。


特赦直後の記者会見。1977年1月19日。アイバ61歳。 あれから23年。彼女は84歳。一人の女性の人生を狂わせた痛ましい事件ではあります。

※上記掲載モノクロ写真4点について不都合がありましたらお知らせください。即削除します。

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