シカゴへの2度目の訪問は98年12月31日。もう3年前になってしまった。成田を出発して、オヘア空港に着いたのが時差の関係で同じ大晦日。時差ボケをものともせず、その夜はネィビー・ピアでカウント・ダウンを楽しんだ。シカゴはWindy Cityと呼ばれ年間を通じて風の強い街だが、冬は、北極圏からの季節風がミシガン湖を渡ってきて極端に寒い。外出時は寒気をじかに吸い込まないようにマフラーで鼻をおおう。99年元旦の夜から雪が降り始め、翌朝は数十センチ積もった。30数年ぶりの大寒波だったそうだ。前の晩に除雪用のシャベルを買い込んでいたおかげで、駐車場への道をラッセルしながらだどりついた。車のフロントガラスが凍り付いている。日本の感覚でポットのお湯をかけたが、それが下に流れる前に凍ってしまう。へらでガリガリそぎ落とすのに手間どった。

1週間の滞在予定であった。今回は博物館、美術館巡りに重点をおいて綿密にスケジュールをたてていたのだが豪雪のおかげですっかり狂ってしまう。以前から密かに実行したいことがあった。それは、Iva Toguri<アイバ・トグリ>の実家を訪れること。Iva Toguriとは、第二次世界大戦中日本の対米軍放送に従事していた「東京ローズ」の本名である。日系二世の彼女は、戦争中に日本に滞在、NHKの嘱託アナウンサーとして、日夜、アメリカ兵を厭戦気分にさせる謀略放送「ゼロアワー」を担当していた。日本の敗戦と共に進駐した米軍は、NHKを接収。太平洋海域で毎夜聞いていた兵隊はあの番組の女性ディスクジョッキーに親しみを込めて「東京ローズ」と名付けていた。番組は複数の女性が担当していたのだが「おまえが東京ローズか」と、たまたまそこにいたIva Toguriを指さした。彼女は、その後大変なことになるとは夢にも思わず「Yes」と答えてしまった。米軍側の「時の人」となった彼女は、当初はちょっと得意気であったらしい。しかし、米国籍のため国家反逆罪により軍事法廷で裁かれ有罪となった。その後、名誉回復した彼女は故郷でひっそりと暮らしていた。

「知ってるつもり」で「東京ローズ」をとりあげた。彼女はシカゴに住んでいた。それは低い家並みが続く田舎町のようであった。今回の計画を実行するにあたり、銀座十字屋の中村さんが「知ってるつもり」の司会者、関口宏氏と知己があることがわかり、彼女から関口事務所にIva Toguriの住所を照会していただくことにした。ほどなくしてわかった。シカゴのビジネスの中心地「ダウンタウン」のすぐそばにあった。テレビカメラがとらえたIva Toguriの実家は、ダウンタウンを背にしていたので、スカイ・スクレーパーと呼ばれる高層ビル群が映っていなかったのだ。

シカゴ生まれ、シカゴ育ちの青年が運転する車のおかげで、その場所はすぐにわかった。彼女の実家はスーベニアショップを経営していた。店に入って目的を告げ、できれば「東京ローズ」に会いたいと思ったが、前日の雪のため店はクローズ。しかたなく外観をカメラに収めた。

この旅で訪れた主な場所は、シカゴ美術館、現代美術館、科学産業博物館、警察博物館、ケビン・コスナー主演「アンタッチャブル」で、ラストシーンのロケに使われたユニオンステーション、アルカポネの隠れ家で今はレストランになっている「SPEAKEASY」。ビジネスの町というイメージが強いシカゴですが、探せば見どころが結構あります。この中からいくつか面白い写真をご紹介しましょう。

2000年1月から始まった「4か5」も半年かけてやっとゴールに到着。不定期の更新でご迷惑をおかけしましたが、とりあえずこれで完結です。長い間のご愛読ありがとうございました。また目先の変わったネタでお目にかかりたいと思います。

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