早起きは三文の得?
これまで未開発のため手づかずの自然が残っていた私の住む地区であったが、2001年9月に武者小路実篤のような「新しい村」が出現した。多少計画には紆余曲折があったものの、町民の憩いのゾーンとして現在に至っている。その中に全長約2Kmの「農の道」という遊歩道がある。片側はほとんど畑。もう片方は農家、民家、雑木林がある。この道の西のはずれに灌漑用水をまたぎ農の道にはみ出した栗の木がある。栗の栽培農家ではないと思うのだが、奥にはかなりの本数がある。
たとえば、塀を超えてわが家の庭にせり出している隣家の柿。あるいは隣家の竹林の竹の子がわが家に生えてきた。これを失敬したら法的にはどうなるのか?同様に公道にはじけた栗が落ちていたら、ありがたく頂戴していいのか?
さくらんぼが収穫直前に盗難にあって以来、桃、西瓜、梅、梨、ぶどう、米など作物がごっそりやられるという、さもしい事件が頻発している。つい最近、埼玉県三郷市の男が栃木県の「栗林」で窃盗し逮捕された。こんな時期だから「李下に冠を正さず」「瓜田に轡を入れず」なのだろう。しかし、わが町の場合はどうか?最近、農の道を散歩する人の姿が増えた。早朝の日課で、この前を通り過ぎようとしたら、おいしそうな大きな栗の実がパックリ開いたイガの中から姿を見せている。落ちているのは公道である。まさに、「早起きの贈り物」ではないか。
昨年は中年男女が堂々と竹ざおで落として取っていくjのを目撃した。これは悪質である。
農の道のほうに3本の栗の木がせり出している。これからが収穫期になる。私が散歩する9時半頃はほどんど栗のイガだけである。
触れなば落ちんとする風情。スーパーで買ってもそう高くはないが、自然の中で栗拾いするという行為が童心に帰させるのだろう。
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