機械化された農作業
歴史をたどればこの町は、日光に始祖を祭り関東経営を精力的に行った徳川幕府の天領のひとつ。つまり幕府の米倉だった。現在は純農家は少なくなったと言うが、町を歩けば畑に当たるほど田畑は多い。しかし、農作業に従事する人たちは老齢化し後継者もままならい家の休耕田も目立つ。
この写真にある建物は、第3セクターの援農施設でもある。機械化された農機具を保有し、田植え、稲刈り、雑草取りなどを支援する。先祖伝来の田畑を守る老農夫に代わり作業をやってくれる。
犬の散歩がてらカメラをぶらさげ水田を時系列で撮影しておいた。田植えが終わり稲が育成し始めた頃の田は、一面緑の絨毯を敷きつめたように美しい。心配された天候不順の夏もこの地域は関係なかったらしい。9月9日あたりからどの田も稲刈りが始まった。
例年なら稲がもっと黄色くなってから行ったのではないかと思うが、今年はまだ緑が残っているうちに刈り入れている。
田圃でいなごを見なくなって久しい。稲刈り前のいなご取りは楽しい行事であったように思う。いなごの佃煮は農家の普通の食べ物だったが、今では飲み屋で珍重される位だ。あのいなごはどこへ行ったのだろう?ことによったら農薬で…
私が子供の頃の稲刈りは人海作業だった。のこぎりのような歯がついた鎌で稲を刈り取り、束ねて穂を下にして乾燥させる。それからドラム状の足こぎ式脱穀機でモミを取っていたような記憶がある。茎はストローやストローハット、鍋敷きなどの材料になった。しかし、機械で稲刈りをすると、刈り込みながらモミを分離し茎は細かく切断して畑に敷き残すという。だから、稲刈りの終わった田圃は黄色い絨毯を敷いたように見える。
今、ストローは石油系素材で出来ているし、ストローハットも昔ほど流行っていない。自然素材は次第に姿を消している。
4月29日
田に水が入り田植えも近い。
5月19日
田植えが終わる。
6月21日
美しい緑の絨毯。この後、天候不順になるとは予想もできない。
9月6日
東北地方の冷夏をよそに、ここの米は順調に実をつけた。Movingかかしも満足げな顔。
9月9日
刈り入れ始まる
9月9日
機械化により効率は格段に向上。だが、個人では設備投資も大変。
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