井戸をオブジェにしていませんか?
津々浦々に水道が普及した今日、井戸は郷愁を誘う設備になってしまった。戦後間もない下町には水道のない地域があった。裏長屋の中央部に共同井戸があり、水汲みを日課にさせられている子供も多かった。私もその一人であった。近くには浄水場があり都内に水を供給しているのに、そのお膝元が井戸とは…。戦争で家を焼かれ個人的な復興もままならなかった経済弱者は不便を囲わなくてはならなかった。小学校入学前後の私は、まさにそれを味わされていた。だから、この歳になっても井戸を見ると、井戸端会議中のおかみさんたちの間に分け入って水を汲み、数メートル先のわが家へ体をしならせながら運んだという思い出が甦る。
わが町の「新しい村」の一角に「市民農園」がある。そこに4基の井戸が掘られた。ご覧のように台座や水受けに自然石を使った立派なもの。ただし飲料にはできない。野菜の水遣り、道具の洗浄に用いられている。当初はすべて勢いよく水が出ていたが、いつの頃か半分が役に立たなくなってしまった。そしてパーツも壊されたり紛失している。
計画段階では読みきれなかったのかも知れないが、井戸の配置にも問題があるように思う。1つ1つの井戸の役割が煮詰められないままに掘ったとしか思えない。このまま放置していては、「ひと掘り」いくらかかったのか定かではないが、税金の無駄遣いと思われても仕方がない。
  
野菜畑の近くにある井戸は、毎日使用されているので動作している。
遊歩道脇に掘られた井戸は水が出ない。この井戸の役割はせいぜい手を洗うだけ。当初は子供たちが面白がって遊んでいたが今は見向きもしない。そして上の2つの井戸の距離が短すぎる。ついでに言えば、左の写真の奥に見える「物見櫓」もほとんど使われていない。「自然との調和」を強調するためのだけに無理に作られたオブジェのように思えてならない。
もし、実用にしたいなら雑草を頻繁に刈る熱意を井戸の管理にも注いでいただきたい。飲料水には使えないとはいうものの、災害時の応急設備として役にたつときもあるかも知れないのだ。

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