田園生活で読む本
何を読もうが個人の好きずきであるが。
ちょっと時間の空いたとき。雨の降る日。夜の長い季節にはお気に入りの本が傍らにあると気分がほぐれる。

田園と名のつく小説は佐藤春夫の「田園の憂鬱」があるが、「ユーウツ」では自分の生活を否定するようで似つかわしくない。この小説は、若き日の作者が横浜郊外に住んだときに構想が練られ、実際に執筆したのは故郷の和歌山県新宮市であるという。
「憂鬱」な生活を送った横浜郊外とは緑区であった(今は青葉区)。田園都市線では「市ヶ尾」。246号を渡り緑警察の前を鶴見川の上流をたどると「鉄(くろがね)」という地区に出る。彼が1年間生活した場所である。
私は現在地に移住する前、鶴見川に面した場所に住んでいた。サイクリングが趣味であった。家の前のサイクリングロードをドロップハンドル車で上流へ走ると約45分で終点の「鉄」に到着した。同じ横浜でも港に近い場所と異なり、雑木林、田圃、果樹園などが点在する完全な「田舎」であった。
こどもの国の近くに「鴨志田」という場所がある。TBSの緑山スタジオも近いこともあってか、冬枯れの雑木林で時代劇の撮影なんかも行われる。ここも港町横浜の一隅なのである。
「鉄」であるが、台地の上に立派な校舎が建っている。私学の雄にして読売巨人軍の「高橋」の母校である「桐蔭高校」である。佐藤春夫が住んだ頃はもちろんこのような建物はなく、田園都市線も開通していなかった。港に出掛けようにも、JR横浜線の中山か長津田まで出なくてはいけない陸の孤島であった。
後にモダンとは対極にある「秋刀魚の歌」で一世風靡する彼も、慶応中退のシティボーイで田舎生活はなじめなかったのかも知れない。

いい小説があった。伊藤左千夫の「野菊の墓」である。政夫と2歳年上の民子のはかなく切ない恋物語だが、畑仕事や江戸川の自然の描写が織り込まれ、今の生活に似つかわしい。大映で「野菊の如き君なりき」の題で昭和30年に映画化され、中学1年の私は学校の授業の一環として見に行った。その後、山口百恵や松田聖子が演じた民子役は有沢紀子といった。映画では舞台は信州だが、原作は千葉県市川市と松戸市の中間に位置する「矢切」である。
その頃、葛飾区に住んでいた私は、小学生の頃は江戸川が遊び場だった。東京側の「矢切の渡」の近くに河川敷のゴルフ場があった。ワルガキどもはロストボール拾いに行くのである。家に近いところが小説の舞台になっていることもあって、小説を読んだ。当時、政夫のような恋愛の対象はいなかったが、胸がキュンとするような思いで一気に読んだ。短編だから疲れないし、どこから読み返してもいい。だから今でも時折読み返す。

手軽に目を通すことができるのは詩集だ。お気に入りの詩人は何人かいるが、筆頭は「田中冬二」。彼の感性で切り取られた自然描写がいい。彼の詩と初めて会ったのは高校時代だったが、今も好きであることには変わりない。
彼の詩集を持っていたのだが、こちらに移住した際、雨ざらしにしておしゃかにしてしまった。神保町に探しにゆくが見当たらない。Web通販で申し込んだが「在庫切れ」だった。ところが、町の図書館に貴重な1冊があった。今のところこの詩集を借り出しているのは私だけのようだ。とき折顔を出すのだが、いついっても書架で私を待っている。

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