松尾芭蕉が歩いた日光街道
隣町の古利根川沿いに浅間神社がある。初めてこの句碑を見たときは驚いた。あの松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中にこの町を通過していた。芭蕉の句はこの浅間神社の自然石に彫ってあるそうで、昭和33年の河川改修の折、発見されたという。通常なら郷土史の対照となったり、古老から語り継がれてきても不思議ではないのだが。
松尾芭蕉が東海道を旅しないで、北を目指したからこそ21世紀の当地で珍しいものを見ることができた。
私の住む町にも浅間神社がいくつかあるが、これは「浅間山」にゆかりのある神社ではない。平安時代に噴火活動が活発だった富士山の山霊を鎮めようとして、現在の富士宮市に富士山本宮浅間神社が建立された。これが富士信仰のはじまりとなる。室町時代には富士山は修行の場となる。江戸時代には民間信仰から民衆宗教が生まれ、なかでも富士講は急激な発展を遂げた。信仰の富士登山が行われたが、足腰の弱い老人たちはおいそれと登れるものではない。そこで、ミニチュアの富士山を作り浅間神社を祭ることになった。そこに遥拝すれば登山したのと同じ御利益が生まれる。こうした風潮は関東・東北、関西まで広がったという。しかし、この富士講は江戸末期の嘉永3年幕府から大弾圧を受け衰退する。同時に富士信仰も影を潜めたという。

表紙に戻る
inserted by FC2 system