郷土の文化人
平成6年5月。現在地に家を建て始めた。当時は横浜に住んでいたので、進行中の家屋を頻繁に見に行くことはできかった。片道100Kmの道のりはさすがに長く、うんざりしたものだ。高速なら岩槻インターで降り16号を梅田までひた走り左折して「うどん市」を右折、つき当たりのT字路が「東」。そこを左折し、あとはしどろもどろ。この町の道は細く曲がりくねっていて、何度来ても迷っていた。「東」から「金原」に向かう道の右側に黒塀の立派な屋敷があった。門の傍らには歴史を刻んだ大きなケヤキがあった。ここにはどんな人が住んでいるのだろう、と常々思っていた。●この町で私が好きな場所のひとつに「郷土資料館」がある。木立に囲まれいつ訪れてもほっとした気分にさせられる。ここでは常設展示に加え、企画展示が開催される。現在、「島村盛助展」が開催されている。小生、浅学にして氏を知らなかったが、この町出身の英文学者にして文人、教育家だそうだ。帝大出身で夏目漱石の弟子。岩波英和辞典の編纂にも携わっていた。●資料館のガラスケースの中には、氏が翻訳した書籍、編纂に携わった辞書、作品を発表した「ホトトギス」「赤い鳥」、親交のあった北原白秋、木下杢太郎などの書簡が展示されていた。どれも非常に興味深く拝見した。●氏の翻訳は的確で美しいという定評があったという。こんなエピソードが紹介されている。旧制山形高校で教鞭をとっているとき、「トリック」の訳語に「ケレン」という言葉を当てたそうだ。生徒たちは、てっきりドイツ語だと思い辞書を引くが見つからない。島村先生に尋ねると「外連」の意だという。歌舞伎の演技などに使われる「けれん味」の「けれん」である。日本語辞書を引くと、演劇では「早替り」の意味があるが、もうひとつ「ごまかし」という意味もあった。●氏の家は代々庄屋であった。展示には当時の屋敷の絵があったが、壮大なものである。祖父は松尾芭蕉系の俳人で江戸でも活躍したとある。資料館の展示では、氏の子孫が今この町のどこに住んでいるかはわからない。興味があったので、ある人に聞いた。その答えが、冒頭の家だった。●文化面で大きな足跡を残した人がこの町にいたということは、この町の人々はもっと知ってもいいのではないだろうか。●白秋、漱石など文人との交流があった方なのだ。小学校高学年や中学校低学年の授業で取り上げることもできるだろう。最近の若者は活字離れが著しいという。高校になれば携帯電話の電話代に追われ本を買うどころではないとも聞く。義務教育で文学の面白さを教えるのは大切なことだ。教師の意識と情熱にもよるが。

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