トプカピ宮殿
その昔(1964年)、壮麗な宮殿の秘宝を盗むという「トプカピ」という映画がありました。トルコのイスタンブール。トプカピ宮殿は、ボスポラス海峡に突き出た旧市街の突端の高台にある広大な敷地に建てられています。15世紀から19世紀にかけて君臨していたオスマン帝国のスルタンの居城。メフメト二世によって1465年頃に着工され1478年頃に完成しました。博物館には往時を偲ばせる豪華な金銀宝石。日本の焼き物も展示されています。敷地内にはハレム跡も。日本の徳川時代の「大奥」とはちょっと違う、宦官が支配する中国に似た制度だったようです。

右がボスポラス海峡。左に食い込んでいるのが「金角湾」。その入口にトプカピ宮殿。

 

 

 
トプカピ宮殿の一角にはハーレム跡が今も残っています。400以上の部屋がつくられ、最盛期の住人は2000人を超えたと言われています。ハーレムとは「禁じられた」という意味のアラビア語。オスマン帝国はバルカン半島を制し、破竹の勢いでウィーンに迫ります。そのころスルタンの後宮として「大ハーレム」が営まれるようになりました。
オダリスク:征服した世界各地の奴隷市場から集められた美女たちは「オダリスク」と呼ばれました。オスマン帝国の力が目に見えて衰えた18世紀から19世紀にかけて、西欧では奇妙な「トルコ趣味」、「東洋趣味」が広がりました。きっかけは『千夜一夜物語』の翻訳。モーツァルトらは「トルコ行進曲」を作曲し、アングルなどの画家たちはオダリスクやトルコ風呂を想像力豊かに描きました。 色の浅黒い男たちは肌の白い女性が理想的だとでも思っていたのでしょうか。



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