ワールドカップへの長い道のり
ワールドカップは1928年、ときのFIFA会長ジュール・リメらの提唱で、30年に第1回大会が南米ウルグアイで開催されたが、参加したのはわずか13か国。
1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで日本代表がW杯フランス大会のアジア第3代表をかけイラン代表と戦い、劇的な勝利によりW杯初出場を決めた、ジョホールバルの歓喜。実に69年の長い道のりだった。
■ドーハの悲劇
1993年10月28日にカタールのドーハで行われた1994年FIFAワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選の日本代表の最終戦であった対イラク戦。
夢は、ロスタイムの中に散った。日本サッカー界の悲願であるW杯出場の道が、最後の最後に断たれた。カズ(三浦和良=26、川崎)中山雅史(26=磐田)のゴールで2−1とイラクをリードして迎えたロスタイム。まさかの同点ゴールを喫して引き分けた。日本は、勝ち点を7に伸ばしたサウジアラビア、同6点の韓国には得失点差で抜かれ、94年米国W杯出場を逃した。日本サッカー界が待ち望んだ新しい歴史の扉を開くことは出来なかった。
「ドーハの悲劇」とは当時の「週刊サッカーマガジン」がこの試合の特集をしたときの見出しからきた。
この試合が行われたのはカタールの首都ドーハにあるアルアリスタジアム(Al Ahli Stadium)。
カタールの位置を確認した。
GoogleEarthの該当地区データは低解像度。上空から見るとサッカー場らしき楕円形が幾つかあった。どの競技場か特定できない。そこで、DOHAの地図をインターネットで探しに行く。ホテルの地図は幾つかあったが、肝心の競技場がない。が、やっと探し当てた。

(1)がAl-ahriで(2)がAL−Arabi競技場だとわかった。
そして、GoogleEarthで見たDOHAの町に、2つの競技場が確認できた。
12年前ここで、日本チームはまさかの…無念の涙を飲んだのだった。

 

GoogleMapではこのように見える。
アルアリ競技場
 
■マイアミの奇跡
1996年7月22日(現地時間)、アトランタオリンピック男子サッカー第1次リーグで日本代表が世界最強と言われるブラジル代表を1対0で下した試合の日本における通称。競技場はマイアミ・オレンジボウルスタジアムこれは簡単に探し当てられた。



 
■ジョホールバルの歓喜
1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで日本代表がW杯フランス大会のアジア第3代表をかけイラン代表と戦い、劇的な勝利によりW杯初出場を決めたサッカーの試合の日本における呼称。ジョーホールバル上空には雲がかかっていたが、幸い競技場は視界良好。これも簡単に探せた。
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