田舎三昧の生活と意見11月版

<--田舎三昧の掲示板

2011年11月
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●吉太郎童謡集

■Contents

01年賀状発売
02混迷のギリシャ
  Gmailの顔つきが変わった
03スパコン快挙
  秋の叙勲

04ドラクマ
05ジョブズの肖像
06日本マイクロソフトの社章
07会釈
08RAMディスクを試す
09オリンパスの落日?
10変わる変わる
11RIP
12ワイヤレスキーボード
13ゲージツ?
14前後
15沢村賞
16最近話題のクラウド
17皇太子妃の憂鬱
18判断力以前
19Mein Fu"hrer
20冬のアルコール
21ヒトラーの側近たち
22SQUEAK
23スティーブ・ジョブズの自宅
24いにしえのJobs本
25ジョン・スカリー
26ビル・ゲイツ
27大阪秋の陣
28冷血の独裁者
29独裁者の最期
30再生への道のり


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Last Modified 2011/1130
First Uploaded 2003/0901


11月30日(水曜日)
●再生への道のり
独裁者に導かれた結果負け戦となった国々だったが
荒廃した国土から不死鳥のようによみがえった。

ドイツは長いこと国土を二分され東と西の復興に明暗が生まれたが、
統一後のドイツはヨーロッパで存在感を示すようになった。
ヒトラーアレルギーはいまも存在するが、
国を守る軍隊はちゃんと存在するし、
NATOの一員として世界の紛争解消のために銃をとる。

戦後のイタリアはドイツほどのニュースは伝わってこないが、
勢いがあるとはいえない状況で、ユーロ圏のお荷物になりつつある。

日本は、北海道を分割せよというソ連の要求を米国が蹴って、
ドイツのように国家分断の悲劇はなくなった。
米国の徹底した民主化政策で、
国家は生まれ変わったが、
アメリカの庇護の元、共産・社会主義国家の防波堤となっている。
歴代内閣はアメリカとの秘密協定により、
アメリカの傘の下で安穏とする代償として莫大な金を支払っている。

戦後、軍隊は消滅したが米国の要請で警察予備隊が生まれ、
旧軍人が多く参加した。
その後自衛隊と名を変え専守防衛を行っている。
防衛庁が防衛省に格上げされたが、
米国からの要請で海外派遣をするものの、
ドンパチの最前線ではなく
他の外国軍に守られ後方任務につくという変則的な活動を行っている。

経済大国になったものの、
バブル破たん後しめっぽい状況が続き、
リーマンショックがさらに追い打ちをかけた。

そして、東日本大震災発生で東北地方太平洋岸が大被害を受けたうえ、
津波で福島の原発がやられて放射能をまき散らすという二次大災害が発生。
東電の情報隠蔽体質で、国民はつんぼ桟敷に置かれ
不安な日々が続いている。
さらに、タイの洪水により日本が進出している工業団地が
軒並み水没し、自動車、精密機器製品が大きな被害を受けた。

期待を担って自民党から民主党政権に移ったが、
これが想像外の噴飯ものの「お子ちゃま」連中ばかりで頼りない。
3人目の首相が、「どじょう」らしく
ぬるぬる、のらりくらりと正体がつかめない。

閉鎖的な国家体質から脱皮しようとTPPへ目を向ければ、
アメリカの言いなりになるなとか、
農業が壊滅するなどなど反旗を翻すやからが騒がしい。
戦後の農業政策の悪さが一気に噴き出した塩梅だ。

少子高齢化が進む中、市町村合併により体質強化を図ろうとする
平成の大合併も終わり、次は道州制かと思ったら、
地震、津波、原発事故でそれどころでなはい。

と、思ったら再編の狼煙が西からあがった。
既存政党および政権は対岸の火事を決め込んでいたが、
大阪市と堺市をひとつにして大阪都にするという大風呂敷が受け入れられた。
そのとたん、地域政党ににじりよろうとする大政党。
その、転び芸者のような動きが見苦しい。

というわけで、日本を概観すれば
自ら事を起こし前進しようとする気概がまるでない。
国をまかせた連中の保身だけが目に付くという
ひどい国に成り果てていたことに気付く。

11月29日(火曜日)
●独裁者の最期
第二次世界大戦の敗戦国、日独伊枢軸国の指導者たちはすべて悲惨である。

ナチスドイツのヒトラーは敗戦直前、総統官邸の地下壕でピストル自殺。
愛人エヴァ・ブラウン、愛犬ブロンディとともに。
何も知らず毒を盛られ死んでいったシェパードがあわれ。

忠実な宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは、
同じく地下壕で子供たちに青酸カリを与え、夫妻も自殺。
このあたりは、映画「ヒトラー 最期の12日間」に詳しく描写されている。

側近ヘルマン・ゲーリングはニュルンベルク裁判で有罪となり、
絞首刑執行前に、隠し持った青酸カリで自殺。

イタリアの、ベニト・ムッソリーニは愛人クララ・ペタッチとともに、
レジスタンスに捕らわれ絞首刑。
広場に吊るされた。

ヨーロッパの連中は愛人を道連れにしておりますね。

日本の東条英機は、「生きて虜囚の辱めを受けず」と兵士たちを鼓舞したが、
生きたまま捕らえられ、ピストル自殺を図るが失敗。
東京裁判で有罪となり絞首刑。
なんとも情けない末路。

国民に塗炭の苦しみを与え
権勢を思うままにしたのだが…

11月28日(月曜日)
●冷血の独裁者
ナチスドイツが拡大・肥大化してゆくうちに、
主導権争い、正規軍と私兵である突撃隊とのぎくしゃくなど
ヒトラーの意に沿わない人物やグループが登場してくる。
それらを一掃するために、「血の粛清」を実行した。
いわゆる「長いナイフの夜」という大量虐殺事件。
プランを練ったのは、ヒトラー腹心、親衛隊隊長のハインリヒ・ヒムラー。

ヒトラーを警護する私兵集団「突撃隊」をまとめるのは、
エルンスト・レームというヒトラーの古くからの同志。
ナチスが政権をとると、正規の軍隊「国防軍」と摩擦を起こすようになった。
あげくのはて、レームは国防軍と突撃隊を一緒にし
そのトップに就くという野望をもっていた。

寄せ集めの「突撃隊」は軍人としての練度が月とすっぽん。
レームからの厳しい要求をつきつけられている。
ヒトラーは、金食い虫の狼藉集団「突撃隊」を、
レームともども消滅させることを思いつく。
さらに、党内の政敵も同時に一掃してしまおう、と。

そこで、大量殺戮が実行された。
このあたりの事情は
ルキノ・ビスコンティの映画「地獄に堕ちた勇者ども」に詳しく描かれている。

とにかくあの映画はすさまじい。
突撃隊の同性愛者がからんでいるととろを
容赦なく機銃が火を噴くのだから。

独裁者は自分が絶対権力を手に入れるまで、
極悪非道なことを繰り返さなくてはならいのだ。

いまでも、アフリカ、東ヨーロッパ、アラブ、アジアの
独裁者は似たことをやっている。

「独裁者」は合法的に権力を手に入れるまで、
絶対忠誠を誓う側近、同志をつくり、
自分たちに都合のいい法改正を行い続けなければならない。
そして、自分は手を汚さずに
非合法な手段に訴えることもいとわない。

大阪ローカルの独裁者は
もちろん、そこまでは暴走できない。

11月27日(日曜日)
●大阪秋の陣
夜の8時に選挙が終わった、と思ったら
Internetの速報で、橋下氏の当確情報が流れた。
あらら、あまりにも速すぎる。
しかも、府知事、市長とも「維新の会」。

前市長・平松氏には民主党、自民党、共産党という、
摩訶不思議、なりふりかまわずの応援を受けての出馬だったが、
変な支援構図に投票者が首を横に振った。

これだけ束になってかかっても、
橋下氏の「維新の会」にはかなわなかった。

紳士然とした平松氏には、
石原慎太郎東京都知事のような個性は感じられない。

慎太郎氏は橋下氏の応援にかけつけた。
名古屋のそ〜きゃ〜ものおじさんも同様。
クセのある人間がこぞってやってきた。

平松氏は、民主、自民、共産の支援を受けたが、
中央からの支援はなし。
きわめて冷静にコメントを出したが、
いいように踊らされた悔しさがにじんでいた。

大阪都構想を打ち出した橋下氏だが、
誰もがいうようにその実現への道は険しい。

しかし、風穴をあけてくれそうな人物を
大阪の人々は選んだ。

維新の会が圧勝したとたん、
民主、自民は色目を使い始めるという、無節操ぶりが嘆かわしい。

独裁者、ハシズムなどと言われているが、
実際の独裁者はこんなものではない。
強烈な個性をもった男が大阪という地方に出現しただけだ。

現代史における独裁者の代名詞、アドルフ・ヒトラーの
独裁への手法を見れば、橋本氏の独裁ぶりなど可愛いものだ。

11月26日(土曜日)
●ビル・ゲイツ
Appleのスティーブ・ジョブスを語るとき、
常に比較されるのが奇しくも同じ歳のビル・ゲイツ。
二人ともパソコン登場以前からのフリークで、
若い頃からお互いを知っていた。



スティーブが口八丁手八丁の若者なら、
ビルはどこかおっとりとした両家のお坊ちゃんふう。

その差は育ちが違うところか…
スティーブの実の父親はアメリカに留学していたシリア人で
大学を出すという条件で養子に出された。
ビルは父親が弁護士、母親が富裕層出身という恵まれた家庭で育った。

アメリカではトランジスターや集積回路が発明され、
それらを使って世の中をあっと言わせる商品づくりに夢中になる
若者や大人たちが大勢いた。

パソコン本体づくり、パソコンを動作させるOS、
パソコンで動くアプリケーションソフト…
彼らは夢を追って、得意する分野で試行錯誤していた。

日本では、破壊尽くされた国土から町工場が生まれ
やがて華々しく成功した企業があった。
SONYが代表格で、
トランジスターを使った小型ラジオがアメリカでも大ヒット。
ビルもジョブズもSONYのサクセスストーリーを知っていた。

ジョブスはApple社を興しAppleT、Uで大金持ちになった。
ビルはマイクロ・ソフトを興しOS分野の要となった。

ワープロ、表計算ソフト、図形ソフトで成功した人々もいたが、
先行2社ほど大きくなった企業はなかった。

ビルとジョブズはハードウェア、ソフトウェアの雄となった。

ビルのマイクロソフト社は、OSをBasicからWindowsに進化させ、
世界のPCの95%以上を支配していた。
ジョブスのAppleはハードとソフトを一体化して提供していたので、
マーケットは小さかったが、
クリエィターたちに圧倒的なファンを持っていた。
一時期OSのライセンス提供を行ったが、
それも中止し、孤高のPCメーカーとなった。

Appleからマッキントッシュが発売されるとき、
ハードが優秀でも、ソフトがなくては「ただの箱」ということを知っていたジョブズは
ビルのマイクロソフトに、画期的なアプリケーション開発を依頼していた。

当時、ビジカルク、Lotus123、Multiplanといった
表計算ソフトがビジネスマンに人気があった。
なかでも、表計算、データベース、グラフが作れるLotus123に
人気が集まっていた。

マッキントッシュ用に開発された新しい表計算ソフトが
いまも健在のExcelだった。

わかりやすいGUIのExcelを使いたいために
マッキントッシュを使う人々が大勢いた。
アメリカでは、申告を個人で行うため、
ビジネスマン以外にも、Excelに魅力を感じた人が多かった。



マックがゼロックスのパロアルト研究所で開発していた
オブジェクト指向のOSに感化されたOSは、
当初Lisaに、次にMacに搭載された。

そのころ、マイクロ・ソフトはMS−DOSの時代で、
Macの先進性は明らかだった。

マイクロ・ソフトもWindowsに舵を切るが、
Windows1はひどいものだったが、3.0から
やっと使えるようになったが、
まだ進化途中で「しっぽ」がついたような使いにくさだった。

以後、98、2000、me、XP、Vista、7と進化は続く。
Macは、さらにまたその上をゆく。



創業者のビル・ゲイツは巨万の富を得て、経営から身を引き
多くの成功者がそうであるように
今は、自らが設立した慈善団体で活動している。

大企業を率いてゆく苦労はあっただろうが、
ジョブズのようなジェット・コースター的人生ではなかったように思う。
その安全運転ぶりが、ジョブスに「センスのない会社」と言わしめた。

11月25日(金曜日)
●ジョン・スカリー
スティーブ・ジョブズがペプシコからヘッドハントした男。
Apple2で急成長したApple社だったが、
技術的裏付けのない芸術家肌のジョブズは組織運営は苦手。
そこで、1年半かけて口説き落とした。

スカリーはそれまで清涼飲料界のトップだった
コカコーラを抜きペプシコをNo1にした経営のプロ。

スカリーは1983年Appleの社長に就任。
当初、ジョブスとの二人三脚は「ダイナミック・デュオ」と呼ばれ全米から注目された。

しかし、次代をになう製品として投入された
マッキントッシュは生産計画の失敗から過剰在庫となり
Appleの業績は急速に悪化する。

しかし、ジョブスは生みの親として、
マッキントッシュへの傾注ぶりは相変わらずだった。
組織崩壊の危機を感じたスカリーは
ジョブスの実権を次々に剥奪していった。

スカリーがヨーロッパ出張中、
ジョブスはスカリー追い出しのクーデターを画策したが、
首脳陣のジャン・ルイ・ガセーの密告により失敗。
1984年、ジョブスは創業した会社を去る。

以後1993年CEO退任までの10年間
AppleのTOPとして采配をふるう。
1990年、彼にお家の一大事を密告したガセー、アップル退社。

スカリーは技術者ではなかった。
しかし、子供の頃新しいブラウン管を発明した、と吹聴する。
それは特許出願のおり同じような技術が先に出願され、
それがSONYのトリニトロンだった、と自慢げに言う。
さらに、「ナレジ・ナビゲーター」という、
アラン・ケイの思想「ダイナブック」延長線上にあるようなツールの
イメージを創りだす。
これは、CMにも登場したが、
夢想の産物のようでしかなった。

それは、ジョブスによりiPadとして開花するが、
ナレジ・ナビゲーターのような醜悪なデザインではない。

彼は、スティーブ・ジョブスのような伝説を作りたかったのかもしれないが、
生き様が東部エスタブリッシュメントそのもので、
ヒッピーのような生活をしつつ
パソコンに情熱を燃やし続けたジョブスのようにはゆかなかった。

事実、彼が指揮をとった10年間、
さまざまな形のマッキントッシュが生まれては消えて行ったが、
どれも、OSは優れていても。
パソコンのデザインはチープなもので、
そのころ勃興しつつあったWindowsと同じような形をしていた。

彼が、ジョブスの亡霊を吹っ切るべき製品化に熱をいれたのが、「ニュートン」だった。
これは、パーソナル・デジタル・アシスタンスと呼ばれるジャンルに属す。
電話機能のない、電子手帳のようなものだ。
日本でも登場したが濃いグレーのつまらない機器だった。

いつまでたっても業績向上できず、
CEO退任までの1993年頃、
彼はAppleの身売りを画策する。
さらに、彼にはIBMやアメリカンエキスプレスから
トップ就任のオファーがきていた。
雇われ社長だから、Appleへの未練もなかったのだろう。

Appleを去った彼は、
最終的には身内と起業したらしいが、
古巣に戻ったジョブスのように
再び輝くことはなかった。

スカリーのあと、
ドイツ人のマイケル・スピンドラー、ギル・アメリオが
Appleのトップとなる。

アメリオのとき、次期OSがジョブスが興した
NEXT社のOSに決定し1997年NEXT社買収。
1983年に追放ジョブスが14年ぶりに帰ってきた。

翌年、iMacを発表し、
斬新なスタイルでセンセーションを巻き起こす。
以後「i」をつけた革新的な製品を矢継ぎ早にデビューさせて、
Appleは新しい輝きを取り戻した。

それを見届けて、彼はこの世を去った。



スカリー本「スカリー」世界を動かす経営哲学。
1989年、絶頂期にあった彼が自ら著した本だ。

上げ潮のときは、何を言っても書いても世間は注目する。

あの、「超優良会社」といわれた「DEC」でさえ、今は消滅している。

エンジニアではなかったジョブスだが、
天性の勘と感性と
本人が一番の愛用者となり得る商品を生み出すパワー。
彼の生涯は、その最期を迎えるまでの
数年間で一段と輝きを増した。
彼に煮え湯を飲まされた人たちの怨嗟の声ももちろん聞こえてくるのだが。

スカリーがこの世を去っても、
ジョブスの足許にも及ばないだろう。

「スカリー」上下巻を抜き読みしても、
創業者に追いつけなかった男の歯ぎしりが聞こえるようだ。
そういえば、ペプシコでも義父の会長を超えることはできなかった。
しょせん、雇われの渡り鳥だったのだ。

11月24日(木曜日)
●いにしえのJobs本
ガレージからスタートした若者の会社が
約7年でアメリカン・ドリームを実現。
その後のパーソナル・コンピュータに
多大な影響を与え続けたApple社。
Apple2からMachintoshにメイン機種が変わってから
日本でもブームが起きた。

10月に創業者のスティーブ・ジョブズが亡くなってから
ジョブズ本が多数出版され、
爆発的な売れ行きを示している。

ほぼ20年前も同じようにJobs本が多数出版されたことがあった。
栄光と挫折。
奇跡の復活。
ジェット・コースターのようなJobsの人生は
話題に事欠かない。

一貫しているのは
自分が生み出す物への妥協を許さない姿勢だ。

当時、Macに入れ込んでいた小生としては、
そのドラマチックな生き様が興味深くて、
何冊か購入していた。

11月23日(水曜日)

勤労感謝の日
●スティーブ・ジョブスの自宅
GoogleMapで見たスティーブ・ジョブズの自宅。
432 Santa Rita Ave, Palo Alto, Santa Clara, California 94301, United States




クパチーノのアップル本社


11月22日(火曜日)

●SQUEAK
SQUEAK(スクイーク)というソフトをご存知だろうか?
私は、7年前新聞の教育欄に載った記事で名前を知った。


このソフトを使って何かを創り上げる、
いわゆるオーサリングソフトで、
開発したのは、あのアラン・ケイ。

パソコンが登場するだいぶ前、
ノートPCやiPadのような情報端末の概念を
初めて打ち出した人、として知られる。
そして、このマシンを「ダイナ・ブック」と名付けた。
その後、東芝がネーミング権を取得し、
自社のノートPCにDynaBookのネーミングを冠しているが、
アラン・ケイのイメージしたものとはだいぶ違う。

「スクイーク」は小学校〜高等学校などの学生の使用を想定し、
「創造力」「想像力」の啓発を目的している。

絵を描き、動かし、サウンド、音楽を添える。

自由な発想を視覚化できるツールなのだ。

Macのハイパーカードも柔軟なソフトだった。、
しかしモノクロ。
スクイークは色が使える。

新聞では京都の小学校の事例が紹介されていた。

最近、このソフトの名前をさっぱり聞かないが、
京都では今もこれを使って創造的な取り組みが行われているのだろうか?

当時も指導者の数が足りない、と書かれていた。

いまも、このソフトは無料でダウンロードできるはずだが。

1月21日(月曜日)
●ヒトラーの側近たち
スティーブ・ジョブズが亡くなって以来
ちょっと熱に浮かされていたけれど、
「ちくま新書」11月刊に面白いタイトルがあった。

「ヒトラーの側近たち」。
今では世界から忌み嫌われている人物に
つき従った人々を紹介している。

政党や戦争の表舞台に登場する人物は枚挙にいとまがないが、
弱体政党だった国家社会主義労働党に関わりをもった頃の
若き日のヒトラーと彼の思想に共感した人が大勢いた。

彼らはヒトラーの演説を聞き、著作を読み
第一次世界大戦に敗北して膨大な賠償金にあえぐ
ドイツ国家の再興を彼に託した。

貴族が集まる上流社会、財界にコネのなかったヒトラーを
パーティに招待し知己を得る手助けをした人もいる。

その頃のヒトラーは礼儀正しい青年で、
上流階級の夫人たちの心を捕らえ、
彼女らは資金提供者となっていった。

ワグナーの長男ジークフリート夫人、
ヴィニフレットもその一人だった。

ミュンヘン一揆に失敗し投獄されていたヒトラーに
頻繁に差し入れをしている。

28歳も年上の夫はナチスに批判的だったが
その後、ワグナー夫人と長男の夫が相次いで亡くなり、
33歳の若さで彼女はワグナー家の当主になる。

8歳年上のヒトラーと結婚するのではないかと噂がたつほどだった。
が、彼にはおおやけにはできない、20歳になったばかりの
エヴァ・ブラウンが存在した。

ヒトラーはワグナー家がとりしきる世界的な音楽祭を陰で応援した。
若い当主にとって、それはなににもまさる力となった。

だからといって、ヒトラーの過激に傾斜してゆく政策には批判的で、
ユダヤ人迫害が始まってから、彼らをかくまい、救出していた。

敗戦後、彼女は生き延びていた。
ヒトラーにかかわりのあった人たちは
手のひらを返したように糾弾したが、彼女はそれをしなかった。

1975年、77歳になった彼女は、語った。
「もし今あの方が戸を開けて入ってこられたら、
私はいつもと変わらず喜んであの方をお迎えするするつもりです」

ナチ物映画の題材になるようなはなしだ。

11月20日(日曜日)
●冬のアルコール
最近はアルコール類を体内に入れることは少なくなった。
その代りというわけでもないが、
ブラックコーヒーを日に4〜5杯ほど飲むようになってしまった。
寝る前に飲んでも眠れないということは全くない。

とは言うものの、
冷え込む夜はコーヒー以外の液体が欲しい。

焼酎は冷たいのをそのまま飲むのはいいが、
お湯で割ると原料の香りというより、においがきつくて好みではない。
日本酒は、一人で飲むには燗をするのがめんどくさい。
やはり冬の夜はウイスキー。

昔流行ったハイボールが若い連中に人気らしいが、
ソーダー割りのチリチリしたのではなく、
ホットウィスキーだろう。
Jazzを低い音量で聞きながら、
千葉産の落花生かビターなチョコレートをつまみにね。

サイドボードに
ホットウィスキー用グラスがあったのを思い出した。
洗剤でほこりや手垢をとり入念に水洗いし
ふせて自然に乾燥させた。

結構おもしろい景品で
ウィスキーとお湯の分量の印がついている。
ウィスキーはダブルより多そうだから
やや濃いめのホットウィスキーができそうだ。

ところが、
肝心のウィスキーとつまみが手元にない。

そんなわけで、
グラスは空しくふせられたままなのだ。

11月19日(土曜日

●Mein Fu"hrer
マイン・フーュラーとは「私の総統」。
日本では2008年9月「わが教え子、ヒトラー」で封切られた。
主演は、亡くなってしまった名優ウルリッヒ・ミューエ。
私の好きな作品「善き人のためのソナタ」、
篠田監督に引退作品「スパイ ゾルゲ」などに出演している。

かつて、ヒトラーに演説方法を教えた俳優にして大学教授
アドルフ・グルンバウムを演じている。

ユダヤ人の彼は強制収容所に送られていた。
敗戦色の濃い1944年12月25日。
強制労働に従事していた彼に党本部へ出頭するよう命令が来る。

宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルスのとんでもないアイデアを実現するために、
昔、ヒトラーに演説法を教えた教授が呼び出されたのだ。

相次ぐ負け戦で気分が落ち込みウツ状態になっているヒトラーを
政権をとったときのように
生気みなぎるヒトラーに変貌させ、
45年1月1日の新年の演説で国民を鼓舞しようというのだ。

総統は愛犬ブロンディと総統官邸の執務室でふさぎ込んでいる。
狡猾な取り巻き連中は
敗戦をうすうす感じながらも
忠誠を尽くすポーズをしている。

映画「ヒトラー最期の21日間」では
総統官邸地下壕に籠ったヒトラーと主要閣僚と護衛兵の姿が描かれていた。
陥落目前という絶望的な状態で、
兵士たちは酒に溺れ、風紀は乱れていた。

「Mein Fu"hrer」では、
ボスと秘書のみだらな関係を暗示させるシーンがいくつかある。
平時もそうだが、劣勢の極限でも男と女はああなるものなのか?
結局、「のべつまくなし」なのだ。

ウルリッヒ・ミューエは真面目に演技しているのだが、
監督のダニー・レヴィはユダヤ人。
ヒトラーを幼児体験が悪かった弱い精神の男として描き、
ナチスをおちょくり倒す喜劇として作品を作っている。

これは、映画ポスターにも表れている。
ヨーロッパのポスターはPOPだが、
日本のそれは、シリアスな仕上り。
「善き人のためのソナタ」の
ウルリッヒ・ミューエのイメージに頼り切っており、
作品の内容を正確に表していない。

※日本のポスター


※オリジナルポスター

ゲッペルス宣伝大臣の野望は総統暗殺だったのだが、
国民の前で演説をしようというとき、
スタイリストの不手際で、
ヒトラーのちょび髭の片方を剃り落すというアクシデント発生。
ショックで、ヒトラーは声が出なくなる。
教授がプロンプターとなって
ヒトラーは「口パク」で演説する羽目になる。

そこで、教授は、とんでもない演説を始めてしまい射殺される。
かくしてゲッペルスの野望は潰えてしまう。

連合軍の連日の猛攻で廃墟と化したベルリンを
演説当日、映画のセットよろしく、
張りぼてで官邸街を創造し、
撮影はヒトラーお気に入りの
レニ・リーフェンシュタールが行うという
実名入りのおちゃらけ。

留飲を下げた監督の顔が浮かぶようだ。

ナチスの兵隊を震え上がらせた米軍特殊部隊を描いた
ブラビの「イングロリアス・バスターズ」と同じような
荒唐無稽なハチャメチャぶりが面白かった。

11月18日(金曜日)
●判断力以前
こんな連中に国をまかせて大丈夫なのか、と思える事態が次々に発生している。
自分の立場がまるでわかっていない
無神経な振る舞いにいらいらさせられる。
彼らの人間性の劣化がなげかわしい。

防衛大臣といえば、国の守りのかなめ。
冷静で的確な判断が要求されるポジションだが、
一川大臣は、その顔つきにふさわしい鈍感ぶり。

新婚旅行で来日中のブータン国王夫妻の宮中晩餐会が開かれた。
ヒマラヤの麓の小国ブータンは
大の親日国家として知られる。
昭和天皇崩御の際はブータン国が喪に服したという。
また、東日本大震災には100万ドルという、
小国にしては大きすぎる義捐金を提供してくれた。
さらに、数ある国の中から
新婚旅行先に日本を選んでくれた。
しかも、大震災の被災地を訪れるという。

こういう国賓を迎える晩餐会に閣僚が欠席したのだ。
理由は、
民主党参議院議員の政治資金パーティへの出席というから
空いた口がふさがらない。
しかも、その席上
「他の大臣は皆そちら(晩餐会)に行きましたが
私はこちらのほうが大事だと思って参りました」と、
挨拶したという。
ますますあきれかえる。

彼の欠席理由を聞く者はいなかったのかね?
聞ける立場の人間は野田総理だけなのかな。
だが、こういう抜け作を一喝できるできる大御所が
民主党には必要だ。

一川防衛大臣は陳謝したというが、
謝れば許されるという問題ではない。



環境省に福島の男性から宅配便で汚染土壌が送られてきた。
職員だけでは知恵が回りかねたらしい。
処分について顧問弁護士を含め、
受け取り拒否できるかどうかも協議したという。

放射線量が低いので、
課長は自宅に持ち帰り千葉県柏市の自宅の庭に埋めようか、と提案。
結局、部下が、課長に恩を売るためか
埼玉県の自宅付近の空き地に埋めた、という。

うちうちで、臭いものに蓋をしたわけだ。
弁護士もこれを了承したのだろうか?

特に関東以北の国民が一番神経質になっていることを
闇に葬ってしまう、環境庁とはいったいどんな省庁なのか?

後日、また汚染土壌が送られて、
そういえば、前に来た「土」はどうした、ということから
悪事が発覚してしまった。

テレビでは埋めた場所が「埼玉県」と報道するだけで、
地名は明らかにされていなかったことが気になっていた。

読売朝刊で、
吉川市内の常磐自動車道側道と判明。
ここから比較的近い場所に埋められていた。

情報開示と言われながら、
役人たちは相変わらずいい加減なことをやっている。
環境庁の不祥事など氷山の一角で、
「あいつらアホだから」と
上手に隠している省庁の連中は笑っているだろう。

11月17日(木曜日)
●皇太子妃の憂鬱
皇太子妃雅子さんが、
週刊誌、ワイドニュースのターゲットになってから久しい。

皇室ネタだから女性週刊誌の得意技かと思ったら、
新潮、文春なども大きく取り上げている。

週刊新潮
「天皇陛下 お見舞いを止めた 雅子妃 お振舞いの 非常事態!」
「愛子さまご入院に 4泊5日のプチ家出!?

週刊文春
「雅子さま天皇のお見舞いまでドタキャンの風当たり」
夕方からの突然のご発熱。その夜「皇太子」は一人で東大病院に…

相手が皇室だから敬語を使っているが、
高齢の舅への見舞いを行わなかった妃殿下への非難には違いない。



思えば皇太子からの猛烈なアタックにほだされて結婚したことが、
彼女の人生を大きく変えてしまった。
外務省キャリア官僚だった頃は
短い髪で笑顔の素敵な女性だったが、
皇室に入ってから彼女の輝きは次第に失せていった。

伝統的なルールにがんじがらめにされ、
自身も民間から嫁いだ姑との意思の疎通も欠いたようだ。
さらに男児に恵まれなかったことも
皇位継承問題で騒ぎが起こった。

皇太子は家族と両親の間で板挟み。
弟のほうは、始終にっこり、優等生の妃と
女児2名、男児1名という盤石の子作りに成功。
みなすくすくと育ち、
周囲からの覚えもめでたい。

皇太子一家といえば、
学習院に入学した息女がいじめに遭って以来登校拒否。
母親同伴で登校という事態が長いこと続く。
PTAから批判の声があがる。

それ以前から、妻は体調を崩し公務に出席できない。

「一生あなたを(外圧から)守る」と言って口説き落とした手前
皇太子は家族を守るのに精いっぱい。

雅子さんは東大病院に入院中の義理の父親の見舞いをせず、
来日中のブータン国王夫妻の国事にも姿を見せない。

国民の多くは雅子妃が「心の病」ということを知っている。
愛子さんも、笑顔で手を振ることもできない。
運動会と大相撲は大好きという、シブイ趣味のある
一風変わった子供に育っている。

雅子さんは、あの似合った短髪から
今は長い髪を重たそうにまとめている。
娘も同じようだ。

もう少し自分の個性を発揮できる
ファッションやメイク、髪型にして
イメージチェンジをはかれば
少しは気分も明るくなるのではないかね。

それよりも、病気治療のため母子ともども
スイスやリヒテンシュタインなどヨーロッパの小国に移住し、
心身ともに健康になるまで過ごせばいいのに…

バッシングを受け、鬱々としている姿が伝えられるたびに
残念に思う次第ではあります。
もともと頭脳明晰な方なのだから、もったいない。

11月16日(水曜日)
●最近話題のクラウド
家でも外でも常にインターネットにつながる時代になった。
ビジネスマンには便利なのだろうけど、
PCをかかえて都内で打ち合わせをすることなど
無縁になってしまった身には、
ネットの先に置いた「ストレージ(データ倉庫)」を
活用する必要などないのだろうか?

だが、無料で使えるサービスがあちらこちらで始まっているので、
なんとか利用したい。
そこで、2年ほど前になるだろうか。
DropBoxとEverNoteにエントリしておいた。
さらに、GoogleDoc。
googleChromeのアプリ「Box」。
これは5Gまで無料。
それから、キングソフトのKdrive。

これらに少しずつデータを置いて使い心地を試している。

一番使用頻度が高いのがDropBox。
無料スペースは2Gだが、
ここにはWebSiteのデータを置いてある。
ほとんど毎日更新するのだが、
LanでつながったどのPCからも編集できるのがいい。

さらにPCで作成したデータはHDDのようにDrag&Dropで
DropBoxに送れるという直観的なところも
気に入っている。

さらに、ダウンロードしたアプリケーションを
他のPCにインストールするときなど、
インストーラをDropBoxにコピーしておく。
無線でつながったノートPCなら
別の部屋でもインストール可能という具合だ。

そんなわけで、複数のPCを使うなら、
データ置き場はLAN対応のHDDもいいけれど、
流動的なデータの場合、
クラウドのストレージはかなり便利に使える。

11月15日(火曜日)
●沢村賞
プロ野球ピッチャーの最高の栄誉である沢村賞を
楽天の田中マー君が受賞した。
候補にあがった日ハムのダルビッシュと競り合っての受賞だった。

駒大苫小牧高校時代に
甲子園で早実の斎藤祐樹と決勝戦で投げ合い、
最後の打席で斎藤の球に沈んだマー君だった。

以来、田中、斎藤は何かにつけて比較されてきた。

斎藤は早稲田に進学。
「ハンカチ王子」は六大学野球では早稲田を優勝に導き、
主将としてチームをまとめた。
学生野球の超エリートコースを順調に登りつめた。

今年大学を卒業し、ドラフトで日ハムに「就職」。
春のトレーニングでは相変わらずの人気の「人寄せパンダ」状態。
ペナントレースが始まり、
彼にも登板機会が何回か回ってきた。
勝利した試合がいくつかあったが、
彼自身の技術ではなく、
打線が爆発したため救われたというケースが多かった。
シーズン中、体調を崩して二軍で調整。

日ハムにはダルビッシュという
スパー・ピッチャーがいるので、
さすがの斎藤も話題の中心だった学生時代とは様子が違う。

いっぽう、マー君といえば、
高校卒業後、野村楽天に入団。
プロの厳しい洗礼を受けながら順調に成長していった。
あの嫌味、皮肉屋の監督に「マー君神の子不思議な子」と言わしめるほど
よい成績を残すこともあったし、
「マー君人の子ふつーの子」と落とされる試合もあった。
が、彼はそんなこと意に介さずのポーカーフェースで、
一球入魂を続けた。
そして今回の金星。

斎藤はマー君とこれからもライバルでいられるのだろうか?
田中の沢村賞受賞で一気に差がついたわけだしね〜。

一足早くプロの世界に飛び込み、
猛者ぞろいのパリーグ球団でもまれたマー君は職業野球人の顔になっている。
一方、斎藤は学生時代から端正な顔つきでキャーキャー言われたが
(群馬県出身なのだが)都会的なひ弱さが感じられる。

同期には中大から巨人に入った沢村もいる。
沢村は先発で投げ好投したにもかかわらず
貧打線で勝利を逃がした試合が数知れず。
しかし2ケタ勝利を達成している。
負けん気の強そうな顔つきもいい。

エリート斎藤はうかうかしていられない。

ダルビッシュがメジャーに行ったら
彼の登板機会も少しは増えるのかもしれないが、
なんとなく故障しやすいような気もするし…

来シーズンは同年代のこの3人の
戦いっぷりが見ものだ。

私としては、
田中と沢村に注目しているのだが。

11月14日(月曜日)
●前後
2枚の写真は2004年12月に撮影された。
ジョブズがパロアルトの自室でMacに向かう図だが、
A誌には前からの、B誌は後ろからの写真だ。
撮影者は彼の写真を撮り続けていた
ダイアナ・ウォーカーという女流カメラマン。
前からの写真はシャープだが、
後ろからのは大伸ばしのためか粒子が荒れている。
しかも、光の具合で痩せて見えるが、
実際は、まだふっくらしている。


※A誌


※B誌

AppleサイトのTOPに載った彼の遺影を
はじめ、おびただしいMac本の表紙は、
この当時、つまり2004年頃に撮影されたものが多い。

彼は、パロアルトの自宅で息を引き取ったのだが、
書斎が公開されたのは非常に珍しい。

自社の大型ディスプレイを前にした写真は、
決めポーズで面白味はあまりない。

粒子の荒れた写真は、画面の左側に
乱雑に並べられた本棚や、
高機能ビデオカメラ、
高級デジカメが収められていると思われる
ジュラルミン製ケースが見える。
それらは床の上に無造作に置かれていて、
AppleのCEOというより、
大学生の部屋のように雑然としている。

マウスを手に真剣にディスプレを覗き込む姿のほうが、
彼らしい。

11月13日(日曜日)
●ゲージツ?
マイクロソフトは自社製マウスの販促を兼ねて
新しい描画ページを立ち上げた。
絵筆や効果を適当に切り替えて
マウスでラインを引くと抽象画ができてしまう。
他社製マウスでもOK。


ミロっぽいのが、なんとなくいい。

11月12日(土曜日)
●ワイヤレスキーボード
最近、マウスもキーボードもワイヤレスばやり。

小生の場合、ノートPCはマウス、
デスクトップPCはキーボードが
すべてLogicool製でワイヤレス化。
「ひも」の制約から解放されコントロールは快適だ。

※上が愛用のLogicool製ワイヤレスフルキーボード
 下が新しいワイヤレス小型キーボード

タブレット型端末を導入した場合に備えて、
というわけでもないけれど、
小型ワイヤレスキーボードを購入した。
ヘアライン入りのブラックタイプは
値段以上に見える。

キーが独立したアイソレーション型で、
もちろんテンキーもなし。
トラックボールがついているので
マウスなしで主要操作が可能という優れもの。
だが、ボールのサイズが正露丸の丸薬ほどなので
スムーズに使うにはちょっと慣れが必要。

※右上の球体がトラックボール、左上に左右スイッチがある。

小さなボディいっぱいに配列された打ちやすいキー。
「ひらがな」の刻印もないシンプルな顔つき。
メカフェチにはたまらん。

11月11日(金曜日)
●RIP
2011年11月11日。
11が3つ並ぶ珍しい巡りあわせ。
しかも本日で東日本大震災発生から8か月経過した。

関東地方は朝から寒い一日だったが、
地震、津波、放射能という3重苦に見舞われている
東北地域はさらに厳しい気温だった。

復興には年月がかかるが
被災した皆さんが、
せめて寒さをしのげる環境で
冬を乗り越えられるのだろうか?

報道で知る限り、
国の対応は「お寒い限り」のようだ。

首相は復興は閣僚にまかせてTPPで忙しい。

17000人を超える死者と
今も海中、地中に眠る行方不明者。

全ての方々の魂の安寧を祈るのみ。



Appleのスティーブ・ジョブズが
この世を去ってから、
おびただしいジョブス本と、雑誌の追悼号が書店に並ぶ。

発売と同時にバカ売れし、入手困難だった
講談社の公式伝記「スティーブ・ジョブズ」だったが、
増刷完了で、T、Uが目立つ場所に平積みされていた。

初版にこだわらなければ単行本はいつでも入手できるが、
雑誌はそうはゆかない。
一定期間を逃すと書店から姿を消し、
時間がたっても古書店で探すのも難しくなる。

そんなわけで4冊購入した。
MacFan臨時増刊号「追悼 スティーブ・ジョブズ」
週刊ダイヤモンド特大号「スティーブ・ジョブズ 超人伝説」
AERA「スティーブ・ジョブズ100人の証言」
WIRED「スティーブ・ジョブズが遺した14のレッスン」

AERAには初めて見るプライベートシーンの写真が
豊富に掲載されていて見ごたえがあった。



資料的には「MacFan」。

MacFanの表紙は、
人生最後の基調講演を終わり
妻と額を触れ合っている写真だ。

痩せこけた痛々しい姿だったが、
全てをやり終えた安堵の姿のようにも見える。
そして彼を支えたローリーンに
感謝と全幅の愛を伝えているようにも見える。

実際、この後まもなく彼はこの世を去るのだ。

表紙には
「RIP ありがとう。スティーブ」



「RIP」の意味だが、
ラテン語で requiescat in pace
英語では rest in peace

つまり「安らかに眠れ」という意味なのだそうだ。

日本語では
「ご冥福をお祈りいたします」に相当する言葉という。




※結婚7年目の頃

ジョブズと9歳年下のローリーン・パウエルは1991年に結婚。
彼女は大学院に学ぶ学生だったが、
長い金髪と女優のような風貌に
ジョブズの一目惚れだった。
長男と2人の娘に恵まれ
彼は仕事と家庭を大切にする人となった。
そして、20年の結婚生活に終止符が打たれた。

11月10日(木曜日)
●変わる変わる
変わる変わる〜〜世界は変わる。

北アフリカでは政治体制が変わった「アラブの春」。
その後の国づくりは順調とはいえないけど。

ヨーロッパではEU圏内でギリシアの財政破綻目前に首相が交代。
同じく、財政悪化しているイタリアも首相が間もなく辞任の意向。
イタリアの次に、スペイン、ポルトガルに飛び火するのだろうか?
経済体制で「EUの冬」を迎えた。



国内を見れば。
大阪がてんやわんや。

気を吐く橋下前大阪府知事は
その強引な運び方で「ハシズム」などと揶揄されている。
ヒトラーの名前も亡霊のように現れた。

本家ファシズムのアドルフ・ヒトラーだが、
第一次世界大戦でドイツが敗北し「3等国家」に転落。
経済、人心も不幸のどん底に落ち込んだ。
そんなとき、ドイツ民族を鼓舞したのが、
国家社会主義労働党だった。
党首はヒトラー。

多くの国民、経済界は彼の出現を歓迎した。
当初、公共投資に力を注ぎ就業の機会を作った。
ドイツの国土を縦横に走る高速道路、アウトバーンは代表的なもの。
また工業政策にも力を入れ、今もその名を残す
「国民車」(フォルクスワーゲン)の開発を命じたのも彼だった。

と、ここまではいいのだが、次第に彼の野望は暴走し始めた。

「ハシズム」の橋下氏は、独裁者と呼ばれても、
こんな暴走はできっこないのでありますよ。

大阪府と大阪市の関係を見直すキッカケを作ったことは
評価に値するとは思いますが、
そんな簡単に理想郷を築けるものではない。

だが、大阪の人たちは
おもしろがるのが好きらしいから
橋下氏の大風呂敷を
松下幸之助氏のように、「やってみなはれ」と
選んでしまうのか、な?



泥沼でもがく「どぜう」首相は、
いよいよTPPに対する態度表明を行わなくてはならなくなった。
「Yes」というのだろうが、
農業関係者の「NO」が、あまりにも手ごわいので
発言のタイミングを計っているようだ。

既得権益にあぐらをかいてきた農業関係者は、
ぬくぬくとした「どてら」をはじめ、身ぐるみ剥がれるのでないか、と
戦々恐々としている。

TPPに参加したからといって、関税撤廃となるわけではない。
例外項目にすることもできる。

この機を逃さず、
強い体質の近代農業に脱皮すれば
いいのではないか、と愚考する次第なのだけど。

11月9日(水曜日)

●オリンパスの落日?
ここ数日間マスコミを賑わしていた
精密機器メーカー「オリンパス」の金にまつわるスキャンダル。

オリンパスの社長を突然解任されたイギリス人が
外国の薬品会社を買収した際、
法外な謝礼が仲介会社に支払われた、と。
その真相究明を要求したことが事の発端。

日本より海外メディアの反応の方が早かった。
FBIも重大な関心を示した。

経営陣は買収は適切だった、と繰り返す。
が、一転、前経営陣に不適切な処理方法があった、と。

買収による金の迂回経路に「ケイマン諸島」という
単語が出てきたときから、
キナ臭いと思っていた。

ここは「タックスヘイブン」と呼ばれ、
マネーロンダリングの拠点に利用されている場所だから。



オリンパスは、バブル時代に投資に失敗。
それを隠すために企業買収を繰り返し
高額な資金を動かし、これを隠れ蓑にしていた。

目くらましの術を証券会社の人間が指導し
監査法人も加担。
当時のTOP3くらいしか事実を知らなかったという。

現社長は青天の霹靂。
とんだ時期にTOPにされてしもた、と悔やんでも後の祭り。
長い顎がふるえておりまする。



このテの事件を解説する新聞に使われる定番用語。

@損失隠しのスキーム --->枠組み
A社内のコンプライアンス --->法令順守
B企業のディスクロージャ --->情報開示
C日本企業全体のガバナンス --->統治能力

企業の大犯罪はこの4つの言葉で語られることが多い。



医療用光学機器では世界一。
マイクロフォーサーズ規格デジカメで気を吐くオリンパスだが、
今回の件で上場廃止にでもなれば、
企業の存続にもかかわってくる。

最悪の事態になっても、
これだけの技術を所有する企業なら
中国の会社が買ってくれるだろうね。

11月8日(火曜日)
●RAMディスクを試す
メモリの一部をディスクドライブのように使用するので、
アクセスが非常に高速になる。
HDDはメカニカルにデータの読み書きをするけど、
メモリに割り当てた仮想ドライブは電気的に動作するため
実行速度が目に見えて高速化する、というのがRAMディスクの特長。

Windowsの前のOS、MS−DOSの頃、
例えば、ワープロソフトの「一太郎」を使うときは
2枚の5.25インチフロッピーディスクが必要だった。
1枚はワープロソフト、もう一枚は日本語辞書が書き込まれていた。

「ひらがな」入力し、変換キーを押すと辞書フロッピーに読みに行く。
鈍足ぶりに、そのたびに思考が中断するという劣悪な環境。

その後、RAMを増設しユーティリティソフトでRAMディスク化を行い
そこに辞書をコピーする。
電気的に処理するので無音・高速変換が可能な快適な環境に変化した。

RAMディスクは電源を切るとデータは消滅してしまう。
自分でバッチファイルを作成し終了前に書き戻さないと
変換効率を高める学習結果は反映されない。

そんな不便な環境だったが、
変換スピードが優れているので
競ってRAMディスクをとり入れたものだ。

PCにHDDが内蔵され
日本語変換辞書がそこに置かれるようになってから
RAMディスクは次第に下火になってきた。

だが、最近ふたたび見直されてきているようだ。
例えば、Windowsに添付されているブラウザ、
InternetExplorerは遅いので有名だが、
Youtubeなどにアクセスすると、
読み込みにさらに時間がかかる。

これを解消する手段の1つとしてRAMディスクが使われる。
そこにプログラム本体を置けばいいのだが、
電源を切るたびに記憶を無くしてしまうRAMの性質上
毎回書き込んでいては本末転倒。
キャッシュファイルの置き場所をRAMディスクに指定すれば、
反応が改善される、というもの。

さらにグラフィックツールの一時ファイルを
RAMディスクにすれば、
書き換えが高速に行われ作業効率が大幅に改善される。



しかし、搭載されているRAMが2Gくらいでは
RAMディスクを作るのは無理。
4GのRAMで32BitのWin7という環境が適している。
32Bit環境では1GのRamは使われず眠っているのだ。
これを仮想ドライブにすれば搭載メモリが有効に使える。

早速、NotePCで試してみた。
仮想ドライブ化するユーティリティは
「Gavitte Ramdisk」というフリーソフト。
英語版だが、インストールと実行はそんなに難しくない。

Win7の「コンピュータ」で確認すると、
1Gの仮想ドライブができていた。


※右上が1Gの仮想RAMドライブ。ハードディスクとして認識されている。

システム、IE、画像ソフトの一時ファイル置場を
Ramディスクに変更する。

再起動して、速度の変化を試す。

初めはまっさらのドライブに一時ファイルが書き込まれるわけだから
体感スピードはあまり変化は感じられない。
が、同じ操作を何度か繰り返すうちに効果が現れる。

Youtubeの起動、書き換えが確実にスピードアップ。

最新CPUなので
それほどストレスを感じることはなかったが、
RAMディスク化によりさらに速度の向上が見られた。

実は、遊んでいたメモリが
無駄なく使えるようになったことのほうが嬉しいのだけど。

10月7日(月曜日)
●会釈
それが見知らぬ人でも、相手を思いやり
それとなく気遣いをする。

一時期「江戸仕草」という言葉が流行りかけたが
当時の人々は世間を丸く生きるための術を心得ていた。

さて、昨今であるが
特に若い連中だけでなく、
いい年をした大人までも
こうした心遣いが欠如しているようだ。

ちょくちょく経験するのが
自転車のすれ違い。

ば〜ちゃん、じ〜ちゃんたちは
相変わらず自分の思うままに道をゆく。
左側通行など眼中にない。
で、こちらがよける始末。

さらに、細い道でのすれ違い。
対向車が来るので
こちらがやや広い場所で止まって待つ。
すると、対向の自転車乗りは
100%当然のように行き過ぎる。
軽く会釈をすれば、
互いに気持よく通過できると思うのだが。

最近はスーパーの片隅に有料の水コーナーが設置されている。
ここでも、同じようなことがいえる。

相手待たせているのだから、
汲み終わった人は
立ち去る前に軽く会釈をすれば、
「うむ、奥ゆかしい」と思うのだが、
後ろに並ぶのは当然だよ、
わたいのほうが先に来たのだから、と
振り返えることもせずに去ってゆく。

せちがらく、ぎすぎすした感じだ。

こういう若い母親に育てられた子どもは、
電車の座席を奪い合い
靴を履いたまま窓の外を見るようになるのだろう。

注意しようものなら
「前を向きなさい、おじちゃんに怒られたから」などと
躾がなっていないことを棚に上げ、他人のせいにする。

寒い風が首筋を撫でる。

10月6日(日曜日)
●日本マイクロソフトの社章
企業の社名やロゴマークを小さなバッジにして
スーツの胸につける。
大企業の連中は誇らしげだった。

かなり前、第一勧業銀行つ〜のがあった。
バッジは丸い縁取りに「DKB」の文字。

かなり昔。
23時台の京浜東北線南行。
酒を飲んで新橋から横浜に帰るときだった。
スーツ姿の中年男性が酔っぱらって座席シートに横になっていた。
3人分の席を独占している。

男の胸元を見ると「DKB」の社章。
そこで、小生「おじさん、胸のバッジが泣くよ」。

言った瞬間、男は飛び起きた。



社章は所属集団を明確にして
自身のモチベーションを高め
周囲から羨望のまなざしで見られる効果はあるだろうが、
行動をかなり規制される。

アフター5はバッジを外して「個」に戻ればいいのだが、
つい忘れて醜態をさらけ出すこともある。



このたび、日本マイクロソフトが設立25年目にして社員バッジを作成。
10月25日より、
日本マイクロソフト、マイクロソフトディベロップメントの社員
2600人に配布した。
社章を制定したのは全世界のマイクロソフトで日本法人だけだという。

社長は「自覚と誇りをもって着用してほしい」と。



先ほど亡くなったAppleのステーィブ・ジョブスは
墓の下で笑っているだろう。
「だからマイクロソフトはセンスがない」と。



社章をつけるのはだいたいスーツ。
自由な発想を重視する開発部隊は
昔から服装は自由でラフなスタイルと相場が決まっている。
彼らが、例えば厚手のセーターやダウンの胸に
金属製の社章をつけたら「ダサ」。

上昇中のGoogleやFaceBookの連中の
スーツ姿など見たことがない。



日本マイクロソフトは、ついに大企業病に陥った。
スーツ姿のビジネスマン集団、IBMと同じようになってきた。

WindowsOSはビジネス社会ではまだ主流だが、
スマートフォンから逆流するOS、Androidは
まず、コンシューマーのPCに乗り移り
やがてビジネス向けコンピュータに波及するだろう。

そんな流れに掉さすような日本マイクロソフトの意識改革願望。
社章で達成できるわけがない。
これは明らかな動脈硬化だ。

11月5日(土曜日)
●ジョブズの肖像
スティーブ・ジョブスが亡くなって1か月経った。
タイミングよく出版された公式評伝「スティーブ・ジョブズ」は
売れに売れ、日本ではT、U併せて100万部突破という。

若い頃は長髪だった彼は
髪が薄くなり前が後退してきたためか
次第に短く刈って髭をたくわえるようになった。

Apple復帰後、
MacWorldなどの新製品発表時、
彼が登壇するたびに人々は興奮したものだ。
それほど斬新な製品が彼の口から語られた。
プレゼンテーションのうまさにも定評があった。

着る物にもこだわりを持ち続け、
壇上の彼は常にGパンにイッセーミヤケの黒の丸首シャツ
ジョンレノンがかけていたような
縁なしの丸いレンズのメガネだった。

癌と闘いながら未来的な香りのする
「i」のつく製品を出し続ける彼は
確実に痩せっていった。



その姿は
鶴が自分の羽根を1本づつ抜きながら
美しい布を織っているようで痛々しかった。

そして「iPhone 4S」を
プレゼンテーションした直後、この世を去った。

波乱万丈な生き方をしてきたSteveにとって
ことによったら、ふさわしい最期かもしれないが、
それにしても惜しい人物を神は召されたものだ。

10月4日(金曜日)

●ドラクマ
古代ギリシャで使われていた「誇り高い」通貨単位だそうだ。
アレキサンダー大王時代は貨幣価値があったようだが、
その後、西欧列強の台頭とともに弱い通貨となってしまった。

19世紀初頭にこの単位が復活したそうだが、
第二次世界大戦後、ギリシャ経済は疲弊し
再びよれよれの通貨に陥った。

2001年1月1日、ギリシアはEU(欧州連合)の経済連盟に加入し、
移行期間を経てドラクマからユーロへの切り替えが行われた。
この時の換算は1ユーロが340.75ドラクマというものだった。

これで一息つけたと思ったら、
またぞろ、国家経済破綻寸前。
歴史からなにも学んでいない。

ギリシャは先人の遺産を観光で食いつぶしているだけで
さしたる産業がない。

かつてはアリストテレス・オナシスという
海運王が存在した国だが
ビジョンを描くのが不得手な国民性なのか、
その日暮らしが性に合っているのか、
栄光の時代は紀元前で終わってしまったような…



パパンドレウ首相は、国民投票でEUからの
支援のための要求を受けるかどうか、
国民投票で決めると、唐突に言い出す始末。

破綻が瀬戸際のギリシャがそんなこといってる場合か、と
支援に積極的だったフランス、ドイツは態度を硬化させた。

ギリシャ国会はまた紛糾。
国民はうんざり。

国民投票は撤回される見通しになったが、
ギリシャ国内ではユーロ圏からの脱退、ドラクマ貨幣復活と、
わけのわからないことを言い出す一派も出現したりして…

カンヌで開催されているG20に出席している
わが国の「どじょう」は、ど〜してるかつ〜と、
話しがギリシャ問題に集中し
全く影が薄く、空気のようになっている。



ちなみに
1ドラクマは31銭55厘
100ドラクマ31円55銭
1000ドラクマ315円47銭
10000ドラクマ3154円73銭

豪華な観光旅行ができそうだが、
国民と警官隊が衝突しているからね〜〜。



「ドラ息子」の「ドラ」は怠惰、放蕩、道楽。
放蕩、道楽におぼれる人。
「ドラ熊」は、遊びほうけている熊五郎。
奇しくもギリシャの元の通貨単位と符合する。

11月3日(木曜日)
19時34分、茨城県南部震源の地震発生!
埼玉県南部は震度3。


●スパコン快挙
理化学研究所と富士通の共同開発による
スーパーコンピュータ「京」が、
「スパコンの計算速度ランキング トップ500」で、
本年6月、世界一にランクされた。
このランキングは年2回発表されるが、
いまのところ「京」を脅かす機種はないらしい。
するて〜と、2期連続の世界一。

情け容赦のない仕訳人「蓮舫」女史が
かつて、スパコン業界への認識欠如の発言で顰蹙をかったが、
この快挙をどう受け止めるのか。

彼女にとってはど〜でもいい
昔のことかもね。

理化学研究所は、戦前は頭脳集団として著名。
1941年、陸軍の要請を受け、仁科芳雄が中心となって
原子爆弾開発の極秘研究(ニ号研究)を開始したことでも知られる。

●秋の叙勲
今年は4079人が対象になった。
その中に漫画家の東海林さだお氏がいた。

週刊誌に連載中の「サラリーマン専科」をはじめ
彼の漫画は何十年もヘタウマのタッチが変わらない。

漫画家だけでなく、エッセイストとしても著名で
文春文庫にはシリーズ作品が並ぶ。
どうでもいいような事象を
風変わりな視点で執拗に追いかけ
抱腹絶倒に仕上げる術は天下一品。

まだ彼が駆け出しの20代の終わりの頃。
こちらも駆け出しの広告マンだった。
漫画家を登場させるシリーズ企画が通り、
彼の家に交渉に出かけることになった。
どこに住んでいたかも思い出せないけど。

東海林氏は現在74歳。
久々に見る風貌は髪が薄く、皮膚にたるみが感じられた。
40数年前の彼も雰囲気は変わらない。
言葉数は少なく
あの頃から老成していたように思える。

帰り際に著書をいただいたように思う。
「漫画日本文学全集」(だったか?)
これが滅法面白かった。
例えば「斜陽」という太宰治の名作のタイトルを用いて
とんでもない世界を描き出していた。

その後、文庫本サイズで続編が出るのだが、
その度に買っていた。
今も、倉庫の本箱に眠っているはず。
たまに虫干しをしてみようかな。

11月2日(水曜日)

●混迷のギリシャ
昔々の大昔。
古代ギリシアといえば賢人を輩出したのに、
21世紀になったら3流国家に成り下がっていましたね。

財政悪化しているのになんら手をうてなかったことが原因だが、
なにしろこの国、役人の数が多すぎる。
金を稼いだことのない連中が
高給とってラクしていい生活をしよ〜ってんだから、
いずれ国家の財布はパンクするのは目に見えていた。

今ではユーロ圏のお荷物国家となっているのだが、
イタリア、スペイン、ポルトガルだって
ギリシアほどでないにしても、良好な経済状況とはいえない。

ギリシアの財政再建に関してフランス、ドイツが
先頭に立ってなんとかしようとしているのだが、
肝心のギリシアは、救いの手を受け入れるかどうか
国民投票で決めようなんて悠長なことをいっている。

国家のルールを決める役人にしても、
受け入れたら、給料は激減し
彼らの生活が締め付けられることが分かっているので
のらりくらりしているのだろう。

受け入れなかったら
「お荷物国家」としてユーロ圏から脱落せざるを得ない。
こうなれば、自力で国家再建しなければならないという
さらに過酷な運命が待ち受ける。

放漫経営がアダとなり
財政再建団体になった夕張市の場合も
大きな代償を払う結果となった。

先の読めない経営陣のために
迷惑するのはいつも国民、市民。

日本だって消費税を上げるまえに、
議員、官僚の数を減らし、給与を見直さなければ
国民は納得しないもんね。

●Gmailの顔つきが変わった
Gmailは7.6Gという大容量スペースを提供している
Googleの数あるサービスのひとつ。
従来から使っているメールの一元管理ができる。
その便利さが気に入り早い段階から利用している。

小さな改善は以前から行われていたが、
今回見た目が変わった。
アイコンを多用している。



高速ブラウザChromeでGmail。
検索、地図もChromeから。
次第にGoogleに囲い込まれてゆく。

11月1日(火曜日)
●年賀状発売
歳を重ねるたびに1年の経過が早まっていくようだが、
来年用お年玉付き年賀はがきが本日発売された。
日本郵便は昨年並みの38億2千万枚の発行を予定しているという。
コミュニケーションスタイルは
デジタル化しているが、年の初めは
従来通りのアナログ方式を好む人が大勢いるということだろう。

この時期になると書店には
CD−ROM付年賀状作成本が各社から発売されるし、
2012年版年賀状作成ソフトも出揃い、年末需要期となる。

日本郵便は「はがきデザインキット」を用意し
EPSON、Canonなどプリンターメーカーも
年賀状素材やソフトを提供し、
インターネット経由でダウンロード可能だ。

ちょっとした心得があればワープロソフトで
年賀状を作成することもできる。

選択肢が多い分、初心者は戸惑ってしまうだろう。

おすすめは日本郵便「はがきデザインキット2012年版」

無料で使えるし
Airソフトなので画面がきれい。
楽しく年賀状が作れそう。
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