田舎三昧の生活と意見10月版

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2011年10月
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●吉太郎童謡集

■Contents

01アイデアプロセッサ
02早朝のフォーク
03人はこうして繋がって
04タブレット型端末
05やや進化
06嗚呼ジョブズ逝く
0720年前のMac本
0827年前のApple本
0921年前のMac本
10Jobsを偲んで
11MacLife創刊号
12MACワールド創刊号
13POPEYEがMacを特集
1420年前、すでにMacは伝説
15ハイパーカード
16All That Macintosh
17ウォズ
18MacとDTP
19DTP黎明期
20カダフィ大佐死す
21マッキントッシュ伝説
22意外な話
23これ、なに?
24大阪都
25Mac VIRGIN
26HyperLib
27サイマル放送
28Google Chrome
29Jobs本バカ売れ
30深沢七郎文学記念館閉館
31世界の人口70億人突破


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Last Modified 2011/1031
First Uploaded 2003/0901


10月31日(月曜日)
●世界の人口70億人突破
本日午前中で記録的な数字が生まれた。
世界中で午前中に生まれた子供たちを70億人目として
カウントするのだそうだ。

先進国は少子高齢化傾向で人口増は先細りだが、
発展途上国で出産増が続いているのだそうだ。

昔なら医療設備や食糧事情が悪いので
亡くなる赤ちゃんが多かったが、
それらが改善されたことと、
50歳くらいまでしか生きられなかった
途上国の人たちもそこそこ長寿になったのが、
人口増に拍車をかけたらしい。

生命の誕生は喜ばしいことだが、
地球という星は食料供給量と人口の適正割合は
どの程度なのだろう?

アフリカの森林地帯、砂漠
中近東の砂漠、インドの山岳地帯…
などなどの耕作地化を進展させなきゃあかんね。
だが、暑い国の人々は日本人のように勤勉ではないからね。

先進国にくらべ娯楽が少ない発展途上国で
レジャー代わりに子作りに励まれたんじゃ〜困るわな。

10月30日(日曜日)
●深沢七郎文学館閉鎖
合併で久喜市なった旧菖蒲町。
昭和40年7月、小説家・深沢七郎は
そこに家を建て「ラブミー農場」を作り
自給自足の生活を送り昭和62年に亡くなった。

当時の菖蒲町は深沢の文学的価値も知らず、
彼が住んだ住居は荒れるままだった。

深沢が筆禍で右翼からの刺殺を恐れ
全国を転々とした後、
菖蒲町に定住したのだが、
当時、近くに中学1年の少年が住んでいた。

少年は物珍しさも手伝って有名な小説家の家を訪問する。
深沢は快く向かいいれ、ギターを教えた。
深沢は戦前、ギターリサイタルを開くほどのプロなのだ。

少年との交流は続き、
深沢が都内に出かけるときなど
留守番を頼まれるほどになった。
交流は深沢が死ぬまで続いたという。

深沢の死後17年経って
次第に忘れ去られてゆく深沢と作品、人柄を
後世に伝えたいと、
自宅を改造して「深沢七郎文学記念館」を開館。
2004年のことだった。

記念館は個人経営。
勤め人のため経営者が休みの日に開館、しかも予約制。
これでは来館が極めて限られてしまう。
より多くの人に見ていただくため
深沢の遺品、約400冊の図書を久喜市に寄贈することに。
そして今年末に閉館する。

久喜市は菖蒲図書館での展示、保管を検討中という。



小生、チャリで3度、ラブミー農場を訪れている。
文学記念館の存在は看板があったので知っていた。
用水脇だったと思うが、
普通の家でいつも閉まっていた。

そんな事情があるとは知らなかった。

旧菖蒲町行政は宝の持ち腐れ。
感度の悪さに驚くばかり。
久喜市の対応もいまいち鈍い。

異端の作家の文学館は
深沢の出身地山梨県にはあるが、
流れ着いた菖蒲町にあってもいいじゃないの。

わが町なら、
郷土資料館に常設展示コーナーを作っちゃうよ。

10月29日(日曜日)
●Jobs本バカ売れ
今月初め彼が亡くなってから
書店にはいくつものJobs本が並ぶようになった。
彼の発想やリーダーシップなどビジネス向けだった。

しかし、それらは露払いでしかなかった。

本命が講談社から登場。
タイトルはずばり「スティーブ。ジョブズ」。
逝去後AppleWebサイトに貼られた
左手を顎に当てたモノクロ写真が表紙に使われている



「公式評伝」というように
著者のアイザックソン氏は3年の月日をかけ
ジョブズにインタービューしたらしい。

たぶん、彼の生き様を礼賛するだけでなく、
悪ガキ、ヒッピーの頃から
Apple社設立、追放の10年、
カムバックからiPadに至る
数々のヒット商品誕生と
個性が強すぎるため陰で泣いた人々…などなど
さまざまな角度から彼を描いているのだろう。

発売と同時に書店から姿を消した。
マスコミがこれをあおるものだから、
ますますヒートアップという

地元の書店も当然売り切れ。
1冊1995円。
T、U巻でUは11月2日発売という。
講談社は久々にホクホク。

10月28日(金曜日)

●GoogleChrome
WindowsOSにバンドリングされているので
Internet Explorerを使っている人は多い。
だが、このアプリ、めちゃおそ!
Win7でバージョン9になって速度は改善されたが
素っ気ない画面に戸惑う年配者は多いだろう。
しかも、まだ利用者の多いXP環境では使えない。

Webサイトに重い画像、動画増えてきた昨今、
鈍足Explorerに業を煮やし
乗り換える人たちが増えてきた。

ちょっと古いデータだが、ブラウザの
マーケットシェアは以下の通り。

2010年1月
1 Internet Explorer 62.18 -0.51
2 Firefox 24.41 -0.2
3 Google Chrome 5.20 0.57
4 Safari 4.51 0.05
5 Opera 2.38 -0.02

マイクロソフトの純正ブラウザ、Explorerは
まだトップを維持しているが、
じわじわと後退している。
昔「ネスケ」と呼ばれたブラウザの子孫、
Firefoxが2位につけているが
今後の飛躍は??だ。

なにかにつけて話題を提供している
GoogleのChrome、
Macの純正Safari、
Operaがそれに続くがまだ一桁台の普及率。

iPhone、iPadに親しんだ連中が
Safariに移行することも考えられる。
MacだけでなくWin版もあるしね。

4位までのブラウザをインストールして速度を試したところ、
Chromの速さは群を抜いている。
これも、最近の定番Tabブラウザ。
しかも、他のブラウザ同様メニューが素っ気ないので慣れが必要だ。

頻繁にUpdateしているFirefoxは
XPとWin7では顔つきが違う。
Win7の初期画面はシンプルだ。
これも当初は戸惑う。



それぞれ一長一短あるのだが
小生、標準ブラウザはExplorerのエンジン部分を使った
SlimBrowserというのを使い、
サブにChromeのお世話になっている。



故スティーブ ジョブスが
マイクロソフト製品のセンスの悪さを酷評していたが、
Explorerも真面目に作られているのだろうが
遊び心に欠ける。

※iGoogkeの画面

Chromeは仕掛けが楽しい。
Top画面をiGoogleにすると、
GoogleカレンダーやGmailと同期させたり、
時計、予定表、ニュース、地震情報などを自由に配置できる。

さらに秀逸は、新規タブをクリックすると、
Chrome Web Storeが表示される。
Web Storeというからには通販サイトに飛ばされるか、と
躊躇するかもしれないけど、
クリックしてみれば、今流行のクラウドアプリの花園だ。
しかもほとんどが無料。
日本語版もあるけど英語版が多い。

自分のPCのHDDに落すのでなく、ブラウザ経由で使う。

ちなみに「MonstarChannel」は音楽を終日流している。
業務用は金がかかるけど
個人使用なら無料だ。

これを知ったらChromeから離れられなくなるだろう。

10月27日(木曜日)
●サイマル放送
主要民放AM、FMラジオがパソコンで聞けるサイマル放送、
Radikoは都内から遥か離れた地域の聴取者に歓迎された。
アンテナを立てなくてもJ−Wave、FM横浜などが
クリアに受信できるのだから。
9月からNHKも「らじる☆らじる」でサイマル放送を実施。

Radikoは専用アプリケーションで聴けるが
「らじる☆らじる」はブラウザ経由。
両方聴けるアプリケーションがあれば便利、と思っていたら
ありましたネ。

「Radikaβ」。

見栄えはRadikoのように洗練されていないけど、
北関東、東北地方の局も聴けてしまうという優れもの。
さらに、あちらにはない「録音機能」つき。
最小化すればタスクバーに収まり
マウスの右クリックでコントロール可能。
スタートアップに登録しておけばさらにいい。

※番組一覧表も表示できる。

というわけで、
テレビよりラジオファンの私としては
Airアプリでよりクールな同様のアプリ登場を待ちながら
Radikaを使うことにした。

10月26日(水曜日)

●HyperLib
1989年2月。
ASCIIから「HyperLib」なる
不定期刊の雑誌が創刊された。

サブタイトル
「ハイパーカードの使い方を考える情報誌」



「ハイパーカード」はMacで走るソフトウェアで、
マイクロソフトのOSで動くパソコンでは
到底真似のできないオーサリングソフトだった。

本格的に作り込もうとすれば
「売れる」ソフトが作れるし
難しいプログラミング言語を知らない素人でも
それなりに自分用のアプリが
作れてしまうという「おりこうさん」。

私がMacを買う気になったのは
このソフトを使いたいためだった。

作者は
ビル・アトキンソンという天才プログラマ。
MacPaintの作者でもある。
そして販売するのでなく
Macにバンドルすることを彼は強く望んだ。

ビルはそれを了承した。

IBMという企業向け大型コンピュータの時代に
個人が所有できるパーソナルコンピュータの
誕生と普及を夢見て、ビジネスコンピュータには存在しない、
個人のためのソフトはこうして誕生した。

当時、ASCIIの社長だった西和彦氏は、
マイクロソフトと密接な関係にあったが、
アップル社製のハードとソフトの将来性を見越して、
ハイパーカード専門誌を発刊してしまった。

人気ソフトの解説本はあっても、
不定期とはいえ、1本のソフトのための雑誌というのは
ほとんど例がない。

月刊Excelとか月刊イラストレータなど聞いたことがない。

それほど、画期的なソフトだった。

自分が創設した会社を追われ、
10年後にスティーブはアップルに復帰する。
だが、どういうわけか
ハイパーカードへの情熱は年ごとに薄れていた。
そして、ついに開発中止。

以前なら、Macを買うとハイパーカードが使えたが、
復帰後のスティーブの作品「iMac」には
ハイパーカードがバンドルされていない。

だが、ハイパーカードの役割はまだ終わっていないし、
こういうコンセプトのソフトウェアは
パソコン好きには「たまらない」のではなかろうか。

素人でも自分のアイデアを具現化でき、
創造的な思考をめぐらすことができる
ゲームのようなオーサリングソフトが。

10月25日(火曜日)

●MacVIRGIN
1994年11月。
ASAHIパソコン増刊号。
MacVIRGIN

ASAHIパソコンは初心者用の雑誌。
薄いけどPC全般を扱っていて
中庸をゆく情報誌として面白かった。

それが、なんと
ファッション誌のようなデザインで
「マック処女」なる増刊号ですよ。

Macを使ったことのない男性の場合も
このような呼び方をするけれど、
増刊号のターゲットは女性だ。

当時も会社で経理業務などでパソコンを使う女性はいたけど
趣味で使う人は少数派。

Macの画面はDOSマシンに比べ
親しみやすくとっつきやすかった。
しかも、アーティスト、クリエイターに愛用者が多く、
そのあたりも女性たちの支持を受けやすい、と
編集部は考えたのか。

だが、Macのデザインは最悪だった。
初代Macのような個性はなく、
その他大勢のPCとなんら変わりがなかった。

ジョブズ不在のAppleコンピュータだから、
デザインポリシーはメルトダウン。

美より効率が優先されると、
こうなるという見本。

しかし、OSがマイクロソフトより
格段に進んでいたことと、
洗練されたアプリケーションが多ったので、
おしゃれな人種に受けた。



この雑誌の表紙を飾った大塚寧々。
当然まだ若かった。

当時の女性タレントの中では知的な雰囲気があった。
しかし、女性に好まれるキャラであったかどうかわからない。

うるんだ瞳と濡れた唇で見つめられ
思わず手を伸ばすのは女性でなく男性ではないの?

17年前の私も、そんなわけで買ってしまった口かな。

10月24日(月曜日)

●大阪都
「おおさかと」
まだ耳が慣れていないので違和感がある。

大阪市と一緒になるとされる堺市は「大阪と?」。

「大阪都」は橋下大阪知事がぶちあげた
大阪府と大阪市の二重行政解消を目指す大構想。
大阪府立大、大阪市立大が好例だが、
公共機関などを整理統合してスリム化できる。

橋下氏は弁護士出身だから、はなしがうまい。
地域政党「大阪維新の会」が大構想実現グループ。

知事職を辞して市長に立候補を表明。
維新の会から府知事候補を擁立。
さらに勢いがついて大阪市議会に維新の会メンバーが増えれば
政策がやりやすくなるという目算。

大阪市長が大阪府知事をあやつりそうな雰囲気で、
プーチン首相とメドベージェフ大統領の関係と同じ構図か。

大阪が騒いでも堺市からの声が聞こえない。

平松現大阪市長は警戒するものの
橋下知事のボルテージの高さの前に
始終受け身になっている。

仮に大阪都が実現したら
橋下氏が初代「大阪都知事」
彼の構想実現のために働いた連中に
論功行賞はあるのかな?
「一将成りて万骨枯る」ではなかろうね。

野心家、夢想家、改革家が入り混じった男の行く末やいかに。

来月23日、府知事、市長の同時選挙。
「大阪秋の陣」
久々に面白い選挙だ

10月23日(日曜日)

●これ、なに?
デジタルフレームならぬ、デジタルキューブ。
デスク上で画像を表示させるには無骨だ。
新型プロジェクターかな。



と、思ったらデジタルカメラだった。

日本が世界の市場をリードするデジタルカメラは
コンパクトカメラ、一眼レフも形状はそのまま、
フィルムがデジタル化された。
さらに、最近はフィルム時代のボディデザインが
「レトロ」ティストとしてもてはやされている。

ジョブズがそうだったように
ときにアメリカから画期的な商品が生まれる。

このカメラの画期的なところは形状ではない。
写真の焦点距離を撮影後、自由にコントロールできるところ。

パンフォーカスのポートレートを
バックボケにすることなど朝飯前なのだ。

画像データをソフトで前ピン、後ピンにするらしいのだが、
今のところMac用アプリしかないそうだ。
Win用も追っけ発売されるという。

このデザインでこの機能。
どの程度売れるかわからないが、
「こういうのがあったら面白いな」という
ひらめきを商品化してしまうのが、
彼の国のチャレンジマインド。

今の日本のデジタルカメラは
すべて過去のレール上に沿って生まれる。
安全運転。
つまり、「どじょう」の首相と同じ発想。
だから、つまらない。

10月22日(土曜日)

●意外な話
かなり昔のことになる。

北海道札幌たぬき小路。
赤、ピンク、緑の鮮やかな看板が
積もった雪の白さに映えていた。

仕事に出かけたおり、
知人に連れられ料理がうまいという1軒の店を訪れた。
冬の北海道は食材の宝庫。
外は冷え込んでいても暖かい店内には
うまい肴と酒が待っている。
期待感が右肩上がりのカーブを描く。

そこはカウンターだけの小さな店で、
7〜8人も入れば満員だ。
愛想のいいマスターがいた。
連れはあまり飲めないのに常連らしかった。

そこで何を飲み食べたのかもう忘れた。

だが、真っ白い路地裏の
行燈看板の鮮やかな色彩を今も記憶している。

何年か経過した。

新聞の社会面に小さな記事が載った。
「札幌狸小路で飲食店経営者殺害される」

ぬわんと、あのとき連れられて行った
飲み屋のマスターだった。

店の名は「でぶ」
経営者はゲイ。

最近、でぶのゲイがテレビを賑わせているが
彼はあんな巨漢ではなかったような気がした。



昔在籍した広告代理店のOB会が開催された。
札幌支社にいた人がいたので、
「でぶ」の話をした。

昔私を連れて行ってくれた人は支社長で、
当時彼の下にいた人だった。
あまり飲めない支社長を「でぶ」に紹介したという。

その人は「でぶ」の常連で
容疑者リストにあがっていたという。

そのときの話をしてくれた。

取調室で2人の刑事が対応する。
1人が尋問し他が調書を作成する。
時間をおいて、同じ質問をされる。

例えば、店を出た時間が
前と1分でも違うと、そこをしつこく突いてくる。
「テレビドラマとまったく同じ」と言っていた。
やがて、その人の嫌疑は晴れる。

数か月後に犯人が検挙された。
なんと、ゲイ趣味の刑事だったという、
ドラマの上をゆく結末。

銀座の本社勤務の頃は
部門が違ってもよく話をしていた人だった。
私を連れて行ってくれた前支店長は
今年物故したという。

胸の名札を確認しつつ話は始まったが、
「でぶ」を介して
「ひさしぶり」の距離が縮まった。

酒は飲んでおくもの。

10月21日(金曜日)

●マッキントッシュ伝説
1994年3月、Macworld誌は
徹底検証「マッキントッシュ伝説」という特集を組んだ。

3年前「スタジオボイス」誌が
同じタイトルの特集号を出していたが
内容はまるで違う。

※Macを自転車のように身近で軽快な知的乗り物に

スティーブ・ジョブズはAppleの設立メンバーで
AppleT、U、初代Macの開発にからんでいたが、
根っからのエンジニアでないため、
設計は別人が行っていた。
その後、Apple社を追われ、11年後に復帰したときは
設立時のメンバーはほとんどいない。
従って創立者としてカリスマ的存在となり、
それから彼が出す、
iMac、iPod、iPhone、iPadは
全てヒット商品となり
企業を大きく成長させた。

しかし、70年代の設立当時は、
ジョブスもかすんでしまいそうな数々の大物がいた。

※アラン・ケイ パーソナルコンピュータ概念、ダイナブックの名前を考えた
 そして、Mac、やがてiPadが花開く


※スティーブ・ウォズニアック AppleUの開発者。天才


※ビル・アトキンソン ハイパーカード、Macペイントの生みの親

特集はこのような人たちにスポットをあてている。
もちろん、カムバック後のジョブズの働きは
賞賛に値するが、
そのまたはるか昔、Appleを支えた人たちは
一様に使いやすい個人向けコンピュータの実現に
情熱を燃やしていた。

それは、SONYが東京通信機工業と言っていた時代の
エンジニアたちの精神につながるといえる。

10月20日(木曜日)

●カダフィ大佐死す
リビアの独裁者がついに最期を迎えた。
NATO軍の攻撃を受け
排水溝に逃げ込んだところを
反体制派の兵士に捕えられた。

すでに、重傷を負っていたらしいが、
兵士に射殺された、といわれているが真相は藪の中。


反体制派の蜂起が始まってから
早期に政権崩壊を迎えるかと思ったら
大佐一の抵抗は長期に及んだ。

イラクのフセイン大統領は
支持者の庭に堀った穴倉に潜んでいたところを発見されたが、
カダフィ大佐は逃走中、逃げ込んだ排水溝でつかまり絶命。

早い段階で降伏しても裁判にかけられ
死刑になるのだから、
最後まで抵抗して射殺されたほうが、
独裁者の末路にはふさわしい。

彼が死んだからリビアは民主化が待っているのかと思えば
そうではない。

暫定評議会ができてはいるが、
確固たるリーダー不在では、
部族間の綱引きが始まるから
またまた国民がワリを食う。

北アフリカ諸国の民主化はまだ絵に描いた餅。
独裁者は「飴と鞭」を巧みに使うから
「飴」に慣れた人々は、急に「自由」と言われても
戸惑うばかりなのだ。

10月19日(水曜日)

●DTP黎明期
21年前、
MACLIFEが変型判の別冊を出した。

「DTP導入実践ガイド」
河出書房新社 平成2年12月発行
価格2500円

先進的な使い方をしている企業、個人事務所を
多数紹介している。

企業はそれなりの資金力があるから
金をかけた環境を構築できるかもしれないが、
個人の制作事務所の事例を見て
後頭部をガ〜ンとやられた気分になった。

高価なMac群に加え
さらに高価な出力装置を前に
髭を生やした男性が座っているでないの。

当時のグラフィックデザイナーとしては
贅を極めた制作環境だ。

小生のばやい、今でこそ、Win環境だけど
マルチディスプレイ+α+LANのPCに囲まれているが
当時としては、
こんな機材を所有する、しかもMacで…
これは狂気の沙汰以外の何物でもない。

か〜るく2〜300万もする初期資本投下…
カタチから入るのを常としている小生も
こんな芸当ができるはずがない。

相手はデザイナーだから
多少、必然性があるけど、
コピーライターには無用の空間だ。
なにしろPC+ワープロソフト+プリンタで
仕事は完結しちゃうのだから。

今も彼は進化したMacに囲まれているのだろうか?
デザイナーをやっているのだろうか、
それより、生きているのだろうか。

10月18日(火曜日)

●MacとDTP
この頃はすっかり一般化したのかDTPという言葉を聞かなくなったし
雑誌の特集でも見ることもなくなった。

1992年MACLIFE7月号では
「MacintoshDTP’92」特集。

創刊号は河出書房新社、季刊だったが、
このころは月刊になり、出版社はBNNになっていた。

DTPはDesk Top Publishingの略で
「卓上出版」とか「机上出版」と呼ばれていた。

雑誌や書籍のレイアウトから版下まで
すべてMacでやってしまうという画期的な環境。
DOSマシンでは到底無理な相談だった。

PageMakerとQuarkXPressが2大ソフト。
後発のQuarkが勢いを伸ばし、
いつしか、プロはQuark、アマはPageMakerという
棲み分けができてしまった。

雑誌は522ページと分厚いが、半分は広告。
プリンタ、スキャナ、ハードディスク、大型ディスプレイなど
超高価なプロ用機材が
これでもか、と掲載されている。
普通のユーザーは目の保養のみ。
Macのエリートくささが鼻につく。

経費節減の現在は、
カタログ、パンフレットなどはpdfで提供されるし、
昔は印刷屋さんに出していたものも社内制作してしまう。

Windows環境にもDTPソフトはあるし、
MS−OfficeProfessionalには
「Publisher」という
レイアウトソフトも用意されている。

かくして、DTPもプロだけでなく、
一般の人々も容易に作ることができるようになり、
周辺機器も20年前に比べれば
「格安」と呼べるほど揃えやすくなった。

また、インターネットで版下を送れば
早い、安い印刷屋さんも全国に多数存在する。

ここまで変わるとはね〜。
当時は予測できまへんでした。

10月17日(月曜日)

●ウォズ
1986年に創刊された「MACワールド」も
1998年になると「Macworld」とタイトルも変わり、
ページデザインも安定し内容も充実してきた。
表紙を飾るのは髭づらのウォズ。


「MACWORLD Expo/Tokyo1998」で
講演するため来日した。



Apple、Macといえば、
スティーブ・ジョブズばかりが脚光を浴びるが、
もう一人のスティーブも偉大な立役者。

スティーブ・ウォズニアックは、
ジョブズの自宅のガレージからスタートした
Apple社の共同設立者の一人だ。

ヒューレット・パッカードのエンジニアだったウォズは
文字通りのコンピュータ・エンジニア。

ジョブズがイメージを描き、
ウォズが製品化し、
ジョブズがセールスをするという関係だ。

Apple社に莫大な利益をもたらしたAppleUは、
ウォズがほぼ独力で作り上げたマシンとして知られる。

その後ウォズはApple社を去るが、
Apple製品は社員割引で購入していたという。

ジョブズが亡くなる頃、
どんな付き合いをしていたかはわからないが、
セグウェイに乗って
iPhone4Sを購入するウォズの姿が
Webに載っていた。
今は還暦過ぎの太ったおぢさんだ。


10月16日(日曜日)

●All That Macintosh
昭和64年(1989)。
今から22年前、
技術評論社(通称:技評)から
「All That Macintosh」フルコースで捧げる Macintosh賞味法
が出版された。価格:1500円。


アート、ミュージックなど軟派系人種に愛されるMacを、
硬派系出版社が特集を組むということは、
Macの潮流を見過ごせなくなったからにほかならない。

周辺機器の広告が賑やかだ。
本体も高価だがこちらの値段の高さに今更ながら驚かされる。

カラースキャナ:22万8千円
縦型モノクロモニター:22万円
19インチカラーモニター:44万円
120Mハードディスク:29万9千8百円

普及前夜とはいえ、個人の趣味には到底無理。
広告制作プロダクションなどが
仕事に使うシステムを150万円くらいで揃えていた。

ジョブズはAppleを開発するにあたり、
個人が所有できるコンピュータを念頭においたが、
日本では、アート関係、医者、弁護士など高額所得者しか
まともに使えるMacは購入できなかった。

今なら、
本体にメモリ増設しスキャナ・プリンタ複合機、
1Tのハードディスクでシステムを組んでも
30万もあればおつりがくる。

いい時代になった。
長生きはするもんだ。

10月15日(土曜日)

●ハイパーカード
19年前の1992年4月発行。
「マッキントッシュ ハイパーカード 活用マニュアル」
最先端ソフトを活用した知的生産術
成美堂出版、1600円。




当時のパソコンシェアは、
MacのApple5%、その他95%。

その他とは、日本では圧倒的な強さを発揮していた
NECのPC−9801(通称、キューハチ)、
富士通、東芝、日立、シャープなどなど、
現在PC生産から撤退した家電各社が生産していた
マイクロソフト製OS、MSーDOSで動作するパソコングループ。

Macは少数派にもかかわらず、熱狂的なファンが存在し、
解説本も豊富に出版されていた。



当時実用的なキューハチを使って仕事をしていたが、
Macを購入する決め手になったのが
「ハイパーカード」だった。
このような斬新なソフトはMS−DOSグループには存在しなかった。

ハイパーカードはオーサリングソフトのジャンルに属する。

オーサリングソフトとは、文字、画像、音声、グラフィックスなどの
素材を組み合わせ、まとまったアプリケーションを
開発するためのソフトウェアのこと。
マルチメディア作品や教育用ソフトの作成に利用する。

ハイパーカードは1987年、Apple社員の
ビル・アトキンソンが
専門家しか作れなかったアプリケーションソフトを
おばあちゃんにもできることを念頭に開発した。

それまで、企業のものと思われていたコンピュータを
だれもが使えるツールとして定着させようとした
Appleらしい発想だ。
ビルは当時の名作ソフトApplePaintの
開発者としても知られている。



iMacの時代になって
ハイパーカードは姿を消した。
これはジョブズの意向が強く働いていたといわれる。



ハイパーカードで作成されたアプリケーションを
「スタック」という。
このスタック作成で培った階層構造の考えは
その後、ホームページ作成に役立った。



携帯電話からスマートフォンに移行しつつあるが、
スマホでは豊富な「アプリ」が利用できる。

ハイパーカードがよみがえれば、
PC用にこのテのアプリを
比較的簡単に作成することができると思う。

オーサリングソフトは
もっと見直されてもいいと思うのだが。



教育用に「スクイーク」という
オーサリングソフトがある。
開発したのは「アラン・ケイ」。
これも面白いソフトだが、
教育現場で大いに利用されているという話は聞かない。



話題の情報端末「iPad」だが、アイデアは
ジョブズのオリジナルではない。
その昔、アラン・ケイが提唱した「ダイナブック」がルーツ。
(東芝にはダイナブックのネーミングを冠した
ノートPCがあるが、アラン・ケイの思想からかけ離れた
単なるパソコンだ)



アラン・ケイはゼロックスのパロアルト研究所で、
先進的なコンピュータ「Alto」開発の中心的な人物だった。
スティーブ・ジョブズが見学にゆき、できばえの良さに感動。
AltoのOSの考えを取り込んだMacが誕生した。

Macもジョブスのオリジナルではなかった。

ジョブズはソフトウェア技術者ではなかったが、「目利き」ではあった。

iPhoneも「電話の再発明」といっている。

つまり、飽和状態になった技術、
今は埋もれていても次代を牽引しそうな技術を
斬新な手法で製品化し、文化とすることの天才なのだ。

iPodは、
先行するSONYの思想を、
「カセットテープ」から「音源データ」に替え小型化してしまった。



東京通信工業という町工場からスタートした「SONY」は
企業が巨大化し、
昔のような独創的な製品が生まれにくくなった。

ガレージからスタートした「Apple」も
マンモス企業になってしまった。
カリスマ的な創業者スティーブ・ジョブズはこの世にいない。
やがて、SONYのようになる可能性がある。

Google、FaceBookの若い経営者たちが、
かつてのジョブスのように個性的で
オリジナリティを重視すれば、
彼らが、新しい文化を創造するのだろう。

10月14日(金曜日

●20年前、すでにMac伝説
1991年といえば平成3年。
今から20年前。
STUDIO VOICEという
グラフィックデザイナー好みの雑誌が
「マッキントッシュの伝説」という特集を組んだ。


この頃、Apple社にJobsなく、
Macの在庫はふくれあがっていた。
大量のレイオフを行い業績を立て直すのに必死だった。

確かにMacOSは優れていたが、
名前はMacでも1980年代のMacに比べ
デザインに個性がなく、
他のメーカーと似たりよったりのものだった。

しかし、日本のクリエーター、ミュージシャン、
出版人などにも熱狂的に支持され、
IBMはじめNEC、富士通など
ビジネス用コンピューターとは一線を画していた。


STUDIO VOICEは、
Art系の雑誌で
エディトリアルデザインが優れ
Macの世界を紹介するにはふさわしい。

iPodなどと連携して使うこともなく、
グラフィックデザイナーの仕事の道具だった。
性能は今思えば貧弱で
まともに使おうとすると
ハードとソフトを合わせて
かなりの投資が必要だったにもかかわらず
作品を生み出すときめきと
Macを操作する楽しさを味わっていた。

今の制作の現場では
ほとんどMacが使われていると思われる。
紙やペンや筆の時代を知らない若者たちの
デザインツールとして
初めからそこにあるので
彼らは違和感なく接しているのだろう。

Macを使うことによって昔のような
気持の高揚など生まれないのだろう。

仕事を効率よくこなす道具。
時代が違うからそれでもいいのだが、
ちょっぴり寂しい気分。

STUDIO VOICEの向こうから
熱い風が吹いてきていたのだが。

10月13日(木曜日)

●POPEYEがMacを特集
1993年11月。
マガジンハウスの若者向け情報誌「ポパイ」が、
マッキントッシュを特集した。
18年前のことだ。

MacBoy
コンピュータはボクたちの必修科目だ。

Macはボクたちの必修科目だ、ではなく
コンピュータ、というのが
ちょっと引けている。

しかし、流行に敏感な雑誌が取り上げた、ということは
Macの未来は明るい。

しかし、スティーブ・ジョブスが、
自分の会社を去る直前に係わった
Macintosh群が
Mac第一世代とすると、
彼なき後のApple社から発売された
Macは、機種は増えたが
ジョブズの美意識を全く感じさせない
平凡なデザインになっていた。

中には、へっ!これがMacという
醜悪なものまで無神経に流通していたのだ。

それでも、若者たちはMacのOSの
先進性に関心を抱いた、のかも知れない。

日本とUSAヘビーユーザーを登場させ、
クパチーノのApple本社まで出かけて
マガジンハウスは総力取材をしていた。

※USAユーザーも多数登場


※あのエリカ様の亭主もMacフリーク


※自由な雰囲気のApple本社

※Mac誕生物語。

誰がどんな使い方をしているのか。
ふつうのユーザーは誰もが見たいと思っているので、
これは面白かった。

さらに、システムの組み方も
懇切丁寧に解説。

とにかく、膨大な情報量の特集だった。



ClassicU、カラーClassicU、
LC475、LC520、パワーMac。
約25年で5台のMacを乗りかえ、併用したが、
結局、パソコン教室の関係で
Windowsに路線変更した。

10月12日(水曜日

●MACワールド創刊号
25年前の、1986年7月。
米国のThe Macintosh Magazineの日本版雑誌
「MACワールド」が創刊された。

出版社:コンピューター ワールド ジャパン
価格:1,800円

※表4 なんとなくそそられる広告

※ホワイトスペースたっぷりの、Macっぽい広告。
 「漢字Talk」をアピールしているが、これか結構オバカだった。

1年後に発刊される「Mac Life」に比べ
エディトリアルデザインは美しくない。

翻訳版なので、
デザインより内容を優先させたのかも知れない。

しかし、Macの母国からやってきた記事、というので
隅々まで読んだ。

Macの独壇場だったDTPや、画像処理は興味深いが、
貧弱なマシンと発展途上のソフトで
重いデータを扱っていたものだと、
先人の涙ぐましい努力に感心する。

※DTP記事のイメージは、「革命的」にすばらしい、が、内容は…

※PageMakerを使ったレイアウト。英文はいいけど、日本語になったら美しくなかった。


※売り物の画像処理も、「白黒2値」というお寒い状態。

※なぜか、日本画のデジタイズサンプルもあった。
 後に、画材屋で「原画」を見つけ、即購入した。


こうした土台があって、
現在は、ワークステーションなみのスピードで
どんなデータも扱える。
いい時代になった。

その頃、私は
NEC PC-9801のDOS環境で
「即戦力」というワープロソフトで
ひたすら文字を入力し、
ワイヤードットプリンタで
ジーコン、ジーコンと
仕事の文書を打ち出していた。

MacClassicを購入するのは、まだ先。
しかし、MacのGUIにあこがれ知識だけは入れていた。

10月11日(火曜日)

●MACLIFE創刊号
24年前美しい雑誌が誕生した。

※おしゃれなMac


※表4 小さなMac

発行日:1987年8月
出版社:河出書房新社

Macが日本に上陸し、
熱狂的なファンに支持されるようになると、
解説書、情報誌などMac本が続々出版されるようになる。

おしゃれなエディトリアルデザインは、
スティーブ・ジョブズの美的センスを反映したものだろう。

DOS本に比べ価格が高いのもMac本の特長だ。
MACLIFEはその後月刊になるが創刊号当時は季刊。
変型判で1,800円。

Macファミリー、MacPlus、MacSE、MacUの紹介が行われている。

MacU HDモデル:948,000円
MacSE FDモデル:598,000円
    HDモデル:748,000円
MacPlus    :398,000円

小さいのに高価なパソコンだった。

※エントリー機種MacPlus。 MacPaintで文字を描いている


※拡張性の高いビジネスタイプMacSE。

※アメリカのエグゼクティブもこんな小さなSEで仕事をしていた。


※システムで揃えると軽く150万!組織や金持ちでなきゃ使えないMacU。


※グッズが多いのも特徴。この程度なら買える。

だが国産パソコンにはない
個性的なスタイルとGUIに魅せられる人があっちにも、こっちにも。

だが、このパソコンは
外人が覚えたての日本語を喋るのと同じで
日本語に弱いのが欠点だった。

販売代理店のCANONが「漢字Talk」というOSを搭載したものの、
国産のDOSマシンの比ではなかった。
国産ワープロソフト「一太郎」の開発元、ジャストシステムの、
ATOKという日本語エンジンの
変換効率のよさに比べ、
よちよち歩きのひよっこだった。

日本語は馬鹿でも、
グラフィックや音楽の創作には実力を発揮した。

10月10日(月曜日)

●Jobsを偲んで
DELLのノートPCに
レインボーカラーのAppleシールとNeXTシールを
貼り付けてみた。
WindowsマシンなのになぜかApple。

1990年、ジャネット・ジャクソンが来日公演したおり、
AppleJapanがスポンサーになっていた。
マイケルだったらよかったのに…

NeXTは、自分が創った会社を
自分がスカウトしてきたペプシコ出身のスカリーに追い出されてから
興したワークステーションの会社。
販売代理店はCANON。
売り込みのためにJobsが来日。

お披露目のデモンストレーションイベントがNSホールであった。

タキシード姿のJobsが
黒い精悍なNextワークステーションを操作した。
キーボードをピアニストのように
弾く姿はかっこよかった。

撮影禁止をおかして数枚の写真を撮った。
平成元年7月10日。
嬉しそうで得意げな表情に、まだあどけなさが残っている。

22年後にこの世を去るなんて
本人も誰も思っちゃいない。
以前から貴重な写真だったが、ついにお宝になってしまった。

10月9日(日曜日)

●21年前のMac本
AppleUからMachintoshに進化した
ジョブズのコンピュータは
世界中の熱狂的なファンに支えられていた。

ビル・ゲイツのマイクロソフトのOSを搭載した
パーソナルコンピュータは
日本ではNEC、富士通をはじめ
主要家電メーカーから発売され、
実用書は数多く出版されていたが、
「Mac」に魅入られたユーザーが登場する本は
ほとんどなかった。




「マッキントッシュがヴィークルになる日」
1990年7月20日発行
出版:BNN 価格2000円

「Portraits of 50 Macintosh People」
1990年11月20日発行
出版:HBJ出版局 価格2500円

Mac本はエディトリアルデザインが凝っていて
価格が高いというのが共通した特徴だ。



2冊の本は、Mac気違い(使用禁止用語)の連中が登場する。
Macフリークともいうけど。
Macへの思いを積極的に情報発信する連中を「エバンジェリスト」ともいった。

職場で、書斎で。
金をつぎ込んだMacを前に記念撮影し、
どんな使い方をしているか、を語る。
「熱き思い」が伝わってくる。

だが、彼らの環境と
私が当時使っていたMacとでは
月とすっぽん。
リムジンと軽。

彼らの収入はいかばかりか、と
いぶかるしかなかった。

10月8日(土曜日)

●27年前のApple本
たばこのヤニで背中が黄色くなった本がある。

「はじめてのあっぷる」コンピュータ・ガイドブック。
1984年11月10日
発行:小学館(写楽BOOKS)¥1,500
変型判176ページ。

27年前でも価格は今と変わらない。


名前の通りアップルコンピューターのガイドブックだ。

もともとAppleUCのマニュアルとして作成されたものだが、
AppleUCの解説は少なく、
流行りはじめたパソコンの一般知識が書かれているので、
単行本化した、と書いてある。

パソコンを使えばあれができる、これができる。
おすすめソフト。
キーボードはこうして使おう。
BACISの知識。

AppleUCの写真もない、

84年1月にMacintoshが発売されているので、
自社製品同士で食い合いする恐れがあった。


※おすすめソフトの7割はゲーム!

実際、先進GUIとマウスを使うMacにウエイトが置かれるようになり、
黒い画面にグリーン文字のAppleUCは静かに退場する。

だが、「はじめてのあっぷる」では、
AppleUCの有用性を高らかに歌い上げている。

価格表を見ると
本体、カラーディスプレイ、FDD、プリンタを揃えると80万近くになってしまう。



ライターが複数いるのか
です、ます調と、だ、である調、会話調が混在する。

おめ〜ら知らないだろ〜よ、だからおせ〜てあげる

という雰囲気プンプンの
今読めば、嫌味な本なのだ。

あるいは翻訳がナマだったのか?

だが、パーソナルコンピュータ黎明期の
貴重な1冊であることには間違いない。

10月7日(金曜日)

●20年前のMac本
変色した本が棚の奥に眠っている。
本文はザラ紙という体裁なので黄ばみは本格的だ。

段ボールに詰め込んでしまうと
再び見ることもないと思うので
2列に並べた奥がその本たちの定位置となっている。

出版社はどれも翔泳社。編集はSE。
今も、趣味のいいパソコン関連図書を発行している。

林檎百科 1989年8月発行
Macintoshグラフィック工房 1991年5月発行
Mac派DTP倶楽部 1992年5月発行

※イラストレータのバージョンが1.9!!

Appleの誕生から成功の軌跡をあらためて読み返すと、
必ずしも平坦な道ではなかったことがわかる。

未完成のAppleT、企業基盤をつくったAppleU、
失敗作AppleV、金食いLisa…
こうした土台と、
iPhoneを「電話の再発明」と称したように、
ゼロックスのワークステーションからヒントを得て
Macが誕生した。

スティーブは既存製品に高付加価値をつける天才でもあったし、
iPodのように、
SONY ウォークマンで形成された市場をひっくり返すこともした。
テープではなくメモリに音源を保存するという新機軸を生み出し、
インターネットから好きな曲だけをダウンロードするという
新しいビジネスモデルを創造するという先見性もあった。

柔軟な思考と、デザイン、操作性に妥協をしない姿勢が、
Apple特有のシンプルな操作と美しいデザインに凝縮されている。



20年ほど前の3冊のMac本は、
Macが得意とするグラフィックとDTPに関して解説している。
今思えばハードもソフトも頼りないが、
プロのデザイナーたちが大真面目に仕事をやっていた。

広告代理店のクリエィティブ室に置かれた
Macシステムは輝いていた。
Window以前のDOS環境のPCで
広告コピーを書く身にとっては
後ろから物珍し気に覗くしかなかった。

後に、グラフィック作業は無理でも文書作成には差し替えない
Classicという機種を購入した。

NEC PC-98と併用していたが、
GUIの優秀さはDOSの比ではなかった。

簡単なプログラミングで
アプリケーションができる「ハイパーカード」が
Macの売りのひとつだったが、
こんな楽しいオーサリングソフトを他には知らない。

今ではすっかりAppleから遠のいている。
「毎日が日曜日」状態になったら
再び戻ってみたい。
そのとき、昔のわくわく感を取り戻せるだろうか?

10月6日(木曜日)

●嗚呼ジョブス逝く
ワイドニュースを中断して、最悪の情報が飛び込んできた。
先月、AppleのSEOを引退したスティーブ・ジョブズが昨日死去したという。

耳を疑った。
えっ!?
あのスティーブが、本当の本当に???

癌を発病して以来、
彼は膵臓と肝臓の移植手術を行っていた。
一時期、長期休養をとり、復帰し、
8月に経営最高責任者の座をティム・クックに譲ったばかり。
会長職にはとどまったが、
少しは激務から離れ治療に専念するのか、と思っていた
矢先だった。

マイクロソフトのビル・ゲイツと同い年の56歳。
ビルはとうに引退し自ら設立した慈善団体を運営している。

スティーブは新製品発表の際
その魅力をプレゼンテーションする。

薄くなった髪、
一見無精ひげのような短く刈り込んだひげ。
よれたGパンに黒の綿シャツというのが
お決まりの姿だった。

癌を患ってから、登壇するたびにやせ細っていった。
実を削って命の炎を燃やしていたのだ。

自分の羽根を抜いて
布を織っていた鶴の姿とイメージがダブる。

しかし、彼が世に送り出した数々の革新的な製品は
全世界に受け入れられた。

オバマ大統領は言った
「彼が作った製品で彼の死を知った」

若い頃から自分の信じた道を邁進してきた
彼にふさわしいメッセージだ。

彼が最後に送り出したiPhone 4Sの記事が載った翌日、
彼の死が掲載されたというのも、
あまりにもドラマチック。

Jobsは名前の通りの「仕事人」
あちらの世界ではどん道を歩むのか。




若い頃は、バーブラ・ストレイザンド似の鼻の持ち主だった
スティーブ・ジョブズに、
心から哀悼の意を表したい。

10月5日(水曜日)

●やや進化
米アップルは昨日、新機種iPhoneを発表。
14日から日米など7か国で発売する、と発表。
おおかたの予想を裏切って
iPhone5でなく、
4の改良型iPhone4Sだったので失望した人も多い。

CPUの強化とカメラの画素数を増やしたことが
大きなポイントという。

体調不良でCEOを退き会長になった
スティーブ・ジョブズに替わる
新SEOティム・クックのプレゼンテーションはどうだったのか?
YouTubeで探してみたが見つからなかった。

聴衆は前職と比較してしまう。
あの名プレゼンターの後釜ではやりにくいだろう。

「5」で、後続のAndroidグループを
引き離したいところだったのだろうが、
「4s」はどこまで健闘できるのか。



ティム・クックは、ジョブスより6歳下の50歳。
IBM、コンパックを経て
1998年にアップルコンピュータに入社。
2011年8月24日、スティーブ・ジョブズの引退に伴い
最高経営責任者(CEO)就任。
ナイキの取締役も務める。

10月4日(火曜日)

●タブレット型端末
1枚の薄い板の中に高性能な回路が詰まっている。
AppleのiPadデビュー以来、主要各社が参入。
今のところ市場はスマートフォンに比べれば小さいが、
成長は明らかだろう。

※iPad。タブレット型端末Warはこの機種から始まった


※昔は、独創的な製品づくりが得意だったSonyも、今はその面影がない。
 iPad人気でAndroid搭載の機種を投入。9.4インチ、二つ折りできる5.5インチの2機種。
 もちょっとマシなデザインにならなかったんかね〜

「端末」という位置づけだから、
ノートパソコンのように
WordやExcelでガシガシ文書作成するには向かない。

しかし、「アプリ」をインストールすれば、
Office文書の閲覧や、「アカ」を入れることはできる。

この、アプリだが、有料、無料を合わせ
豊富に用意されているので
お好みをインターネットからダウンロードできる。

PCのアプリケーションに比べ
グラフィカルなものが多く使う楽しさを感じる。

起動の速さとバッテリーのもちが10時間というのも魅力的。

10インチのモバイルCPにもバッテリー駆動時間の長い機種はあるが、
15インチ版は、AC電源使用を前提にしているのか、
2〜3時間とかなり短い。

ここが改善され、
美しいアプリが登場すれば
ノートPCも実用だけでなく使う楽しさが加わると
思うのだが。

タブレット型端末はスマートフォンと同じく、
OSはMacとAndroidの2つ。

MacOS搭載のiPadはAppleだけが供給するが、
Androidはその他のメーカーが採用している。

Android軍は後発ながら
iPad市場をジリジリと攻めている。

こうしたタブレット型端末市場の勢いを見ながら
ノートPCも黙ってはいない。
台湾のメーカAsusuやNECから
ディスプレイを取り外せばタブレット型端末になるという
機種も登場している。

インターネット接続と
電子ブックリーダー用に割り切れば
10インチより7インチのほうが
携帯性に優れていると思うのだが。

でも、読書は従来からの活字本だよな〜〜。

10月3日(月曜日)

●人はこうして繋がって
NHK第2で文芸の放送をやっていた。
志賀直哉の短編「山鳩」が題材だった。
昭和28年、志賀自身が朗読した音声が紹介された。

彼が熱海に住んでいた頃のことだ。

彼のところに狩猟の上手な男がやってくる。

その一節
 “私”は、住んでいる熱海の山荘で、よく二羽一緒に飛んでいる山鳩を見かけていた。
ある日、鳥撃ちの名人である友人(福田君)が遊びにやって来て、
ひとりで近所に撃ちに出かけ、
まだ体温の残っている山鳩とヒヨドリとホオジロを持って戻ってきた。

それを、志賀は食べてしまう。

後日、家の付近で山鳩の群れを目撃する。
つがいで飛ぶなかに1羽で飛ぶ山鳩を目撃し、
自分が食べてしまったために…と慙愧の念にかられる。

そして、そのことを鳥打名人に話し、
ことしは鳥打をやめるようにいうと、
その男は、残された1羽も撃ってきましょうか、という。
それほど恐ろしい男である、と。

友人の福田君、とは
尺八奏者の「福田蘭堂」のこと。

彼は志賀の取り巻きの一人だった。

福田蘭堂と言えば、流麗な音色の名手で、
NHKの人気番組「笛吹童子」のテーマ音楽を演奏していた。
あの、「ひゃり〜こ、ひゃれろ」である。
団塊の世代より少し上のひとたちには懐かしいはずだ。

福田蘭堂は器用人で、本業の尺八、狩猟、料理などに才能を発揮していた。



そして、福田蘭堂は、天才と呼ばれ28歳の若さで亡くなった洋画家
「海の幸」で有名な青木繁の息子だった!

※福田たねは青木の恋人で、一緒に千葉県布良でひと夏を過ごす。
 このとき、「海の幸」の制作をおこなった。
 茨城県は福田たねの実家だ。
 生まれた子供に「幸彦」と名付けたのはこのことによる。

九州出身の青木が東京に出て大成したあと放浪に出る。
茨城県真壁郡伊讃村(いさむら)川島(現在の筑西市)に滞在していたとき、
福田たねと関係をもち、生まれたのが福田蘭堂(本名、石渡幸彦(さちひこ))。
結婚はしなかったので、たねの末弟として提出された。
青木は九州の実家の親が危篤というので一人で国へ帰り、
その地で自分も病没する。

長じて、福田は尺八奏者となりNHKで活躍。
作曲も行い映画音楽も手掛ける。
1935年、映画撮影の為にロケ地の大島へ向かう途中、
船上で出演女優の川崎弘子と関係を持った。
彼女は哀愁のある美人として松竹蒲田の看板スターだった。

松竹蒲田撮影所の当時の所長、城戸四郎に責任をとるように迫られ、
妻と離婚して川崎弘子と結婚。

川崎弘子は、離婚歴があり、麻雀賭博や結婚詐欺の疑いで
何度も警察の厄介になっている福田蘭童と結婚したため人気は急速に低下した。
しかし1936年に佐分利信を相手に主演した『人妻椿』は空前の大ヒットとなった。
1939年1月に大幹部となる。
弘子はこの結婚をいささかも悔いなかった。
弘子が死んだ2か月余り後、夫の蘭童は後を追うように亡くなった。



クレージーキャッツのピアニスト、石橋エータローは、料理も得意な器用人。
父親は福田蘭堂。
母親は、川崎弘子と結婚するために離婚された元妻。
祖父は青木繁。



志賀直哉の「山鳩」から、話しは意外な方向に向かってしまった。

10月2日(日曜日)

●早朝のフォーク
5時頃目が覚めてしまった。
もうふた寝入りしなくてはならない。
いつものクセで1時間ほどタイマーセット、イヤホンを耳にさす。
すると、不思議な男声の不思議な歌が聞こえてきた。
曲調に懐かしさを憶えた。
聞いたことのない曲だった。

眠りにつかなくてはいけないのだが
思わず聞き入った。

アナウンサーが鈴木一平の「水鏡」と紹介した。

あいにく枕元にメモ帳はなかった。
次に目覚めたら覚えている自信はない。

急に冷え込んできたので
布団にもぐりこんでいるミミ(猫だよ)を気遣いながら起き
隣りの部屋へゆく。

で、YouTubeで見つけたのがこれ。



「ノラ」を歌っている門倉有希もカバーしていた。



本家の方が情感があると思うけど、如何?

10月1日(土曜日)

●アイデアプロセッサ
文章を書くときに用いるソフトがワープロ。
正式にはワードプロセッサと英語呼称をナマで使っている。
日本語にあてはめれば「単語処理装置」なのだろう。
たしかに、ひらがなで入力した言葉を漢字に変換してくれるが、
これは、IMEと呼ばれる日本語入力ソフトが働いているので
ワープロソフトの機能ではない。

文章を作成するツールなら「センテンスプロセッサ」だが、
単語を「てにおは」でつないで文章にするのもIMEの仕事。

では、ワープロは何をやっているのか?

入力した文章の文字の大きさを変化させたり
ルビをふったり、色をつけたり、行間を調節したり…
文書に変化をつける機能を持ったソフトということになる。

主に数字を扱うのは「表計算ソフト」で
日本ではワープロのような英語名の呼び方はない。
米国では「スプレッドシート」が一般的。
Excelは画面に見えるのはほんの一部で
実は、そんなに必要かと思えるほど巨大な「広げられた紙」だ。



いつものように枕が長くなってしまったが、
アプリケーションジャンルに「アイデアプロセッサ」つ〜のがある。

「アイデア処理装置」

これを使えば、何にかいい考えが浮かんでくるのかな?

企画や制作に携わる人には気になるソフトだ。

その昔、Macに「インスピレーション」という
アイデアプロセッサがあった。

思いついた言葉や考えをランダムに記入してゆく。
それらを関連付けて、飛躍させたり、さらに展開させてゆく、という
視覚的な仕掛けがよくできていた。

当時、国産機はMS−DOSで
黒い画面に白抜き文字を表示させていた。
Macは白い画面に黒い文字。
紙に文字を書くという雰囲気。

開発中だったゼロックスのワークステーションを見た
スティーブ・ジョブズが、
いち早く実用化したGUIがマッキントッシュに生かされていた。
(言ってみれば模倣だったが)



小生、広告業界にいたので
「インスピレーション」を使ってみたが
当時のMacはおもちゃのような小さい画面で
使いにくかった。



あれから20数年。
マイクロソフトのMS−DOSはWindowsに進化し、
(Macの影響を受けたといわれながらも)
GUIはMac並みになった。



Adobeのアプリ制作環境Airの登場で、
さらにグラフィカルなアプリが続々生まれている。

その中のひとつに「アトリエいろは」の「iroha Note」がある。

※付箋紙を色ごとに整理して並べてみたToDo。

「Note」という名だが、使い道は広い。

付箋紙を貼り付けたToDoと呼ばれる予定表、
昔流行ったKJ法のようなアイデア開発用、
関連、体系づけの必要な事項のまとめ、などなど

使い方は簡単。
フリーソフトというのがいい。
画像、印刷、データ保存先変更対応の機能強化版が1,980円というのも良心的。

強化版を購入しても損はない。

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