田舎三昧の生活と意見10月

<--田舎三昧の掲示板

2010年10月
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●吉太郎童謡集

■Contents

01たばこ値上げ
02体験
03龍馬伝
  深夜便
04銀木犀
05歴史探偵
06まだ元気
  新米
07古河へ
08古河へ(続き)
09落果
  稲刈り
10山栗
  きのこ
11芝浦へ
12武井武雄
13池部良
  米国核実験
  地底からの生還
14快挙
  薔薇が咲いた
15再生の苦悩
  生還
16秋の菜園
17防災訓練
18連続テレビドラマ
19ご機嫌斜め
20消えるブランド

21編集手帳
22古典的
23銀座
24また消えるブランド
25その後のシンドラー
26干物
  悪女(わる)
27干物食す
28pdf
29都会と田舎、老後はどっち?
30コレド室町
31小笠原諸島



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Last Modified 2010/1031
First Uploaded 2003/0901


10月31日(日曜日)
●小笠原諸島
東京から約1000kmの太平洋上に約30の島々からなる。
民間人が住むのは父島と母島のみ。
あまりにも小さくてGoogleEarthで探すのも苦労する。
太平洋戦争の激戦地、硫黄島も東京都小笠原村に属するが、
自衛隊、気象庁、米軍などが常駐するものの民間人はいない。

飛行場はなく、竹芝桟橋から25時間かけてゆくという、
万事スピードアップの現代に、非常に珍しいロケーション。
旧島民は飛行場建設を希望しているが、
最近移り住んだ新島民は便利になると環境が破壊されるので否定的とか。
旧島民は観光資源の活用というより、急病、災害への対応なのだが、
この温度差は埋まらないようだ。

小笠原という名前の由来は、
16世紀中ごろ信濃国深志城城主の小笠原貞頼が発見したという説があるが
現在では否定されている。

豊臣時代に山奥の領主が大海に探検に行くなど、
常識的に考えてもまゆつばだが。
だが、ウソとわかっても小笠原の名前は生きている。

17世紀中ごろ、江戸幕府が漂流民の報告を元に調査船富国寿丸を派遣し
島々の調査を行い「此島大日本之内也」という碑を設置する。
豊臣政権は朝鮮半島に渡ったが、
徳川幕府は和船で太平洋の孤島に漕ぎ出す技術を持っていた。
鎖国時代とはいえ遠流は八丈島だったから、遠洋は可能だったのだろう。
もっとも、徳川幕府以前から、朱印船貿易で東南アジアへ出かけているので、
外洋航海はお手の物か…

18世紀初頭、貞頼の子孫と称する浪人者の小笠原貞任が貞頼の探検事実の確認と
島の領有権を求めて幕府に訴え出る。
小笠原島と呼ばれるのはこれ以降のことである。
最終的に貞任の訴えは却下され探検の事実どころか先祖である貞頼の実在も否定された。
このため、貞任は1735年に詐欺の罪に問われ、財産没収の上、重追放の処分を受けた。

太平洋に浮かぶ孤島にはスペイン、米国の船も訪れている。
ハワイからの移民も行われた。
徳川幕府は八丈島からの移民を行い、
明治政府は小笠原島の日本統治を各国に通告し日本の領有が確定した。
明治24年、火山列島を小笠原島庁の所管にいれ、硫黄島を正式に日本領とした。
新興国日本が脱亜入欧をかかげ、欧米列強に対し強気な行動に出た。
日清戦争前というのに、たいしたたまげた。
敗戦後一時期アメリカ統治になったが、これも回復した。
近くにグアム、サイパン、テニアンを統治しているので、
戦略基地としてこれ以上必要なし、ということかな。
おかげで、日本の経済的排他水域は太平洋奥深くまで広がった。

現代は、中国が尖閣諸島に強気な態度だが、
拡大する軍備、うけに入る経済をバックにしている。
一方、韓国は竹島を実効支配しているが、国際的に判断しても明らかに日本領。
韓国の強気な態度は、日本の戦後補償があいまいなところに起因しているのかね。
彼らは、なにかというと慰安婦問題を持ち出す。

中国、韓国に対し日本は優柔不断な態度。
どさくさにまぎれて北方4島を占領したロシアにはまるで歯が立たない。
戦前、中・韓を蹂躙したという後ろめたさがあるのかもしれんが、
それを引きずっていたら、今後の外交は成立しない。
民間外交に頼らず、国家として毅然とした姿勢を示さなければならないだろう。

民主党は前原外相が気を吐いているが、社会党出身の閣僚、議員は及び腰。
こうした連中が実権を握っている限り、前途は暗いね。

10月30日(土曜日)

●コレド室町
同じ道筋なのだが、銀座通りと室町通りの賑わいには差がある。
銀座は有名ブランド店が軒を並べ休日にはホコテンに人があふれる。
日本橋から室町にかけては百貨店はあるものの人の姿はそれほどでもない。
従ってホコテンもなく、休日で交通量も少ないので道幅の広さばかりが目立っている。

何年か前、銀座、有楽町地区に対抗して、
日本橋地区の賑わいを取り戻そうと、COREDOプランがスタート。
旧白木屋、後の東急百貨店日本橋店を作り直してCOREDO日本橋が誕生。
オープン当時は多少客が入ったものの最近は閑散としていた。
テナントが中途半端だったので無理もない。

COREDO(コレド)とは、
CORE(コア・核)とEDO(江戸)を組み合わせた造語で、
明治維新までは商業の中心地だった日本橋が
賑わいの核となることを願っている。
高島屋、COREDO日本橋、三越という大型施設を中心に、
東京駅に通じる地域に人を呼ぼうとするものだった。
だが、ビジネス街のイメージが強く、
想定したほど人々は集まらなかった。

日本橋は三井の本拠地。
COREDO日本橋を建設した三井不動産が、
三井本館の前に大型商業施設COREDO室町を28日にオープンさせた。




羽田空港が新国際空港としてスタートしたが、
飛行機を利用する人だけでなく物見遊山で来る人たちを当て込んでいる。
江戸時代の商店街を模した売店もある。
浅草の伝法院通りもそんな雰囲気だ。

COREDO室町もそんな仕掛けや桜並木をつくって集客するようだ。

東京ミッドタウン、汐留シティセンターを手掛けた三井不動産だから、
日本橋地区再生にも力が入る。

六本木は国際色豊かな繁華街に変貌し
材木町、六本木、竜土町トライアングルが賑わっている。
新橋操車場界隈は築地、浜離宮に近く
電通、日テレ本社が移転したものの、立地はよいとは言えないので
想定したほどに人は集まらないだろう。

日本橋はどうか?
正装したような表通りだけでなく、普段着の裏通りの再生も同時に行わなければ
銀座並みの集客は無理ではないかな。

汐留、銀座、京橋、日本橋、室町、神田、秋葉原、上野は1本で結ばれている。
広域でとらえれば面白い考えが浮かぶだろう。

10月29日(金曜日)

●都会と田舎、老後はどっち?
騒音と排気ガスの多さ、緑の少なさ、災害時の危険性を我慢すれば
交通網、商業・医療施設が整った都会は住みやすい。
というわけで、郊外に家を建てた団塊世代が、子育ても終わり
老夫婦の終の棲家として都心のマンションに回帰する傾向がある。
逆に、若い時代を都会で過ごし老後を田舎で暮らす人々もいるけど。



旭化成「へーベルハウス」は「地活」というコンセプトで広告展開を始めた。
都心に土地はあるけれど、上物は築後30〜40年。
立て直そうにも年金生活ではどうにもならんという生活者に
「敷地活用」したいい建替えプランがありますよ、というのだ。

「例えば、自己資金ゼロからの
建替えをお考えなら、まずは旭化成へ」と言ってるから
たぶんアパート経営だと思うのだが、それには触れていない。

広告は生活のごく小さな一面を切り取ったショート・ショート。

昨朝、今朝と続けて全5段という控えめなスペースで展開されている。
きのうは青インク、けさは赤インクで刷られている。

きのうの広告は、子供たちが巣立ち老夫婦が暮らす広い家。
2階への上り下りがおっくう、部屋の段差があぶない。
老妻は築35年だから、建て替えを、と思っている。
それを連れ合いに言うと
「どこにそんな金があるんだ」とつれない返事。

今朝は、マンション住まいの息子が都心の実家に顔を出す。
母親は夫に先立たれた。
玄関に置かれた杖を見て、お前が母の杖になれ、と言われているようで…
会社や息子の学校にも近いし、リフォームしたら…と、いったら
すかさず母は「マンションのローンが残っているんでしょ」と。
こどもの心を見透かしたような返事。

この広告はシリーズで展開するのだろう。
毎回ドラマがあるので読んでしまう。
共感を覚える老親、中年になった子供は多いはず。

受け手の心理を巧みについてくる広告も久しぶり。
昔は結構ありましたが。
イメージだらけの中にあってキラリとひかっております。

10月28日(木曜日)

●pdf
pdfはAdobeが提唱するファイル形式で、
OS、機種を問わず閲覧できる。

無料配布されるReaderはPCに標準搭載されているが、
pdf作成softは有料、無料含めて数多くある。

pdfファイルの作成は純正はAdobeAcrobatだが、
サードパーティ、フリーソフトが豊富にある。

小生、海外製Primo-Pdfを使っているが
日本語化されてわかりやすくなった。

最近、「CubePdf」という国産ソフトが登場。
インストールしてみた。
国産だからすべて日本語。
スピーディにpdf化する。

これまでインターネットや新聞、雑誌からの情報を
必要以上にプリントアウトしていたが紙の山を築くだけ。
で、最近はとりあえずpdf化しておく。
本当に必要なものだけ印刷する。
経費節減、省資源の観点からこれが正解だろう。

雑誌を4ページスキャンしてpdf化。
Cubeの結合機能を使ってみたが思い通りの順に並ばない。
つまり、使いにくい。
急きょ結合専用ソフトをダウンロード。
Cubeで作成したデータを読み込んだが、ファイル破損で結合不可。
相性が悪いのかもしれない。
仕方なくprimoでpdfを作り直し。
今度は文句なし、簡単に結合完了。

若いソフトなのでまだ不都合があるのかな。
とりあえず、アンインストールすることにした。

※Cubeのpdf生成は最新形式を採用しているのに対し、
結合ソフトは、2003年以降バージョンアップが行われておらず
最新形式に対応していないところから発生する不都合と判明した。

10月27日(水曜日)

●干物食す
めごち、にしん、さんま、いわし、ほっけ。
昼の数時間、直射日光にあてた干物を夜、食す。

まるまる太った大きめのイワシは、
本来、そのまま焼くのだが、開いて干物にすると身が縮むし
火を通すとさらに小さくなる。
だが、薄塩仕立ての味はよくクセになりそう。

10月26日(火曜日)

●干物
最近は肉より魚のお年頃。
どちらかつ〜〜と、焼き魚より干し魚が好き。
買ってくる干物は塩味がきつい。
最近は塩味控えめのお年頃。

というわけで、昔やっていた自家製干物を作ることに。
先日、薄塩、一夜干しの秋刀魚とムロアジを作って
その美味加減にひっくりかえった。

あの味をもう一度。

で、5種類の魚を開いていただき薄く塩をすり込む。
干物作成ネットへ入れる。

晴天ならば申し分ないが、あいにく時折小雨の曇天模様。
だが、日除けのアームに引っかければ濡れずにすむ。

明日の夕飯が楽しみね。

●悪女(わる)
1992年4〜6月、日テレ系で放映された11話のドラマ。
今はあまり見かけない、石田ひかり、石野陽子、鶴田真由などが出演している。

タイトルはインパクトがあるが、話の内容、展開とあまり関係ない。
「天然」の石田ひかりが、一流商社にコネ入社したために引き起こす悲喜劇。
実力以外のファクターで責任ある立場についてしまう。
今も、ドラマのカテゴリーに健在な「仕事と恋」の物語。

一流商社だからパソコンで事務処理。
だが、モニターはテレビのようなCRT。
「これ、ワープロじゃなくてパソコンよ」などと言ってるから、
7年前は2種類が混在していたことがうかがえる。
オフィスは竹芝にあるらしい。
築地、勝鬨橋、その先の佃島の高層ビル群が頻繁に出てくる。
が、OLのファッションは生地をたっぷり使ったカラフルなワンピース。

ドラマが放映された7年前に比べ、
オフィス機器は格段に進歩し、派遣社員制度も導入された。
着るものもタイトなデザインが多い。
だが、恋愛沙汰は昔となんら変わっていない。

10月25日(月曜日)

●その後のシンドラー
オスカー・シンドラーは映画「シンドラーのリスト」により、
世界で名を知られるようになった。
映画が封切られたのは、18〜9年前になるだろうか。
横浜で見た最後の映画だった。

まさかこんな時期に彼のドキュメンタリーが放映されるとは思っていなかった。
あらためてラジ版をながめると、
10:00〜11:30NHK教育ETV特集「シンドラーとユダヤ人」。
録画の用意もなくTVのスイッチを入れたのが定刻を10分過ぎていた。

シンドラーのリストで生き延びたユダヤ人が証言を行っていた。
この2〜3年、生存者証言はNHKで放映されていたので見覚えがあった。

強制収容所所長「アーモン・ゲート」。
彼の住居は収容所を見下ろす場所にあった。
バルコニーから下で働くユダヤ人に銃を向け射殺するという狂気の男。
愛人と生活していたが、ドイツ敗北でアーモン・ゲートは絞首刑。
愛人との間に女の子が生まれ、その子はドイツに在住していた。
彼女にも子供がいた。
父親のことは隠していたが、イギリスの番組でインタビューに登場。
父親のやったことは私には関係ないというような悪びれない態度で対応していたが、
テレビ放映後自殺している。

ユダヤ人救出に情熱を傾けた結果、1200名が彼のリストで救われた。
敗戦後のシンドラーは、「元ナチ党員」で「ユダヤ人の味方」という微妙な立場。
ドイツ国内で実業家として再起を図るが失敗。
救出したユダヤ人たちがアルゼンチンへの渡航費用、事業資金を提供。
しかし、ヌートリアの毛皮で衣類を作る事業も失敗。

再びドイツに戻るが彼の晩年は尾は打ち枯らしていた。
しかし、つねに「ユダヤの友」が彼を手厚く支援していた。

これまで知られていなかったこと。
シンドラーは女性関係も華やかだった。
戦前、ユダヤ人を使ってアルマイト工場を経営していたとき、
愛人が何人かいた。
すでに本妻とは別居状態。
一番愛情を注いだ愛人と間に2人の子供がいた。
その一人がインタビューに登場。
老齢のドイツ女性だ。

当時のシンドラーはユダヤ人救助のため
製品の売り込みでナチス高官の接待、アーモン・ゲートの懐柔工作など超多忙。
疲れ果て愛人宅でグチをこぼしていた、そうだ。

愛人の子供はいう
「彼は多くの女性を養わなければならなかった」…と。

その道の達人は、ユダヤ人に対するのと同じように「律儀な性格」だった。

戦後は数々の事業に失敗、多くの愛人とも疎遠となり、
イスラエルや米国で生活する「リストの生存者」と会うことが唯一の慰めだった。
その都度、助けられた彼らが資金を提供していた。

孤独なシンドラーは、エルサレムでドイツから観光で来ていた夫人と知り合う。
彼女には夫がいたが、彼は若い女にうつつを抜かしていた。
傷心の二人は親密な関係になった。

やがて、シンドラーは癌を患い一人で生活できなくなる。
すると、その夫人はドイツの自宅の一室で彼を介護するようになる。

夫と息子それとシンドラーという奇妙な生活が始まるが、
彼はそこで66歳の生涯を終える。
遺言により墓はイスラエルに。

いまも、彼の墓にはあのときの恩義を忘れない多くのユダヤ人が訪れる。
しかし、彼らも鬼籍に入る。
シンドラーにとって孫とも思える世代にも話は受け継げられている。
今後も墓には訪れた証しの小石が積み続けられるだろう。

米国で不動産会社を興して成功した3人のユダヤ人とその子孫がいる。
一族は60人を越した。

シンドラーの功績を永遠に語り継ぐため、
町に「シンドラー通り」を作り、胸像を作りヘブライ大学に寄贈。
その大学に多額の寄付をし顕彰の部屋を作った。



シンドラーのリストによりからくも生き延びたユダヤ人だったが、
故国のポーランドに戻ると、
自分たちの家にはポーランド人が住んでいた。

彼らの間にユダヤ人たちが自分の財産を取り戻しに来るという噂が広まり、
その前に殺してしまえ、ということで、
戦争で生き延び、自由になって殺された人も多数いる、そうだ。

シンドラーは国家の戦後補償で、
喪失した工場、人件費、ナチスに対する接待費など
総計数億の損害賠償を申請したが、
彼自身ナチス党員だったため却下されていた。



1時間半の長い番組だったが、
録画できなかったことが悔やまれる〜〜〜。

10月24日(日曜日)

●また消えるブランド
なじみの深い名前、商品がまた消えてゆく。

その1:テープ使用ウォークマンの国内販売終了。

昭和54年7月にSONYから誕生した画期的な音楽再生装置だった。
ウォークマンは再生専用でスピーカーなし、イヤホンで聴く。
つまり音楽に特化したカセットテープ再生機だった。
気軽に音楽を持ち出せる新しい機器に若者はとびついた。
街中、電車内でヘッドホンをしる姿が見られた。
そのうち、シャカシャカという雑音が社会問題となった。

小生、四六時中音楽とともに、という世代でもなかったので、
初代は購入しなかったが2代目を手に入れた。
レコードは頻繁に買うわけにもゆかず、
FM放送をエアチェックして聴いたものだ。

一時代を築いた機器も
インターネットの普及で、気に入った音源だけをダウンロードできるという
新しい音楽配信システムを引っさげて
携帯音楽プレーヤー市場に参入した
Appleが破竹の勢いでSONYを抜き去った。
対抗するSONYだったが、提供する音源規格でミソをつけ差は開くばかり。

最近、音質はSONYのほうがいいという評価が高まり
SONY愛用者も増加中という。

一時期SONYの仕事で食っていたという恩義もあり
2年前にデジタル・ウォークマンを購入。
上位機種に搭載されたノイズ・キャンセラーの抜群の効果を楽しんでいたが、
イヤホンコードが寒さで劣化、銅線がむき出しになった。
専用イヤホンは高いので、オーディオ・テクニカ製品に変更。
結果、外部の騒音をカットする機能が使えなくなった。
せめて5000円前後で販売していただきたい。

ウォークマンはテープ再生の時代が終わり、静かに日本市場から姿を消して行くが
海外市場では継続するという。
若者たちが満足にインターネットを使えない国々がある限り
ウォークマンに栄光あれ!

その2:シャープ製ノートPC「メビウス」

ついにシャープからパソコンが姿を消す。
MS−DOS以前、シャープには「MZシリーズ」があった。
「クリーン・コンピュータ」と名付けられていたが、
それがどういう意味か、まるっきりわからなかった。

昭和58年の広告にはデスクトップとハンドヘルドの姿が見える。
27年前はNEC、東芝、日立に伍してシャープもパソコンを販売していた。

当時フリーのコピーライターだった小生、
AV(…といってもオーディオ・ビジュアル)の仕事がほとんど。
SONY、パイオニア、サンスイなどかけもちで多忙だったが、
ステレオ、ビデオ市場にかげりが見え始めていた。

沈みゆく船と運命をともにするわけにはゆかない。
そろそろ次の市場を開拓しておかねば…と思案中だった。

昔から通っていた銀座の飲み屋で、
昔在籍していた会社の営業マンと制作マンと顔を合わせ、
今後の有望市場の話題になった。
結論は「やっぱ、コンピュータだべ」。

その営業マンは京橋にあったコンピュータメーカー「SORD」を
クライアントにもっていた。
新興会社だったSORDは業界の風雲児と雑誌で頻繁に取り上げられていた。

「やっぱコンピュータだべ」と言われてもさっぱりわからない。
当時は「電子計算機」と呼ばれることが多く、
国鉄の「緑の窓口」や天気予報のデータ分析に使われている程度の知識しかない。

計算機の親玉みたいなもので、個人には必要のない代物と思っていた。
これを小生の仕事にどう結びつけるのか…答えは霧の中。

解説本を購入したり、当時はデパートでもコンピュータを扱っていて
銀座松屋は5階(だったか)に実機を見に行った。
そこで、初めてシャープの「クリーン・コンピュータ」と対面。
黒い画面に青い線画の球体がくるくる回っているだけで、
「だから何なの?」という塩梅だった。

当時のOSはBASICだった。
雑誌には、クソ長いBASICのプログラムが掲載され、
それを自分のパソコンに打ち込んで動作させる。
つまり、パソコンをやる、ということは
BASICのプログラムを覚えることだった。

パソコンをこれからの仕事のネタにするには、
買って覚えるっきゃない、のだろうか。
しかし、本体、ディスプレイ、プリンタを揃えると、
40〜50万もしたのだ。
挫折したらとんでもない買い物になる。

英国製シンクレアつ〜機械が29800円で本屋の店頭で販売されていたが、
まじめなビジネスマン御用達のような感じがして、
SORDから発売されていた一番安い
クリエイティブコンピュータ「m5」つ〜のを
本体49800円で恐る恐る買うことにした。
今のゲーム機みたいなコントローラーが2つついている。
ディスプレイはテレビで代用。
解像度が低く目にはよくない。

「m5」はROMカセットで動作する。
BASICカセットを入れればプログラミングでき、
ゲームカセットを入れればゲームができる。

付属の本、購入した解説本を見ながらBASICのお勉強。
自宅の一室を独占して仕事をやっていたので、
空いた時間は解説本を横に置き簡単なプログラムを打ち込む。
そのうち、プログラムの構造がなんとなくわかってきた。
数値を変えたり、構文に挟まれた部分を自分なりに変えると目先の変わったものになった。

小生、文科系だが短いBASICのとりこになってしまった。
暇があればおもちゃのようなコンピュータの前で過ごしていた。
子供が小学校低学年だったので、
足し算、引き算問題を自動生成させ、
正解すると次に進み間違えるとブ〜ッと音が出るプログラムで
遊びと学習をやってみた。

すでにオフィスはコンピュータで数字の計算、文書作成を行っている。
日本語が打ち出せるコンピュータは、当然値段が高い。
まだ個人が簡単に買えるつ〜状態ではなかった。

SONYのステレオ、ビデオ機器の広告をやっているとき、
ときどき、パソコンのディスプレイの雑誌広告を作ることもあった。
他のコピーライターより少しばかりコンピュータに明るいつ〜ので、
やがてコンスタントに携わることになった。

1年ほど「m5」で遊んだあと、
ワープロ専用機を2台買い換え
次に当時一番売れ筋だったNEC PC−9800F2を
清水の舞台から飛び降りるつもりで購入。
本体、ディスプレイ、プリンタ、ワープロソフト「即戦力」一式40数万!
Excelの前身Multiplanなど10万もするので、
個人では買い切れなかった。

小生が本格的なパソコンを購入した頃、
NEC、富士通が熾烈なシェア競争を行っていた。
シャープはデスクトップで息も絶え絶え。
その後、液晶テレビメーカーとして実力をつけ、
その技術をノートPCのディスプレイに使い
「メビウス」ブランドで参入したものの、時代は大きく変わっていた。
DELL、hpという海外メーカーの台頭、
NEC、富士通は昔の栄光はかげっているけど善戦健闘。
もう、メビウスが生き残る道はない。

そんなところへ「ガラパゴス」ブランドで、ネットワーク機器を誕生させた。
かつて「ザウルス」つ〜PDAで、一世を風靡したことがあるシャープ。
さよならメビウス。
ガラパゴスで夢よもう一度。

n88BasicからMS−DOSへ。さらにWindowsへ。
OSは進歩し、ネットワークにつながった。
PC黎明期からパソコンに興味を抱き、その熱、いまだ冷めやらず。

というわけで、20数年前の飲み屋話から
仕事をパソコンにシフトしてきたおかげで、
家族を飢えさせることなく今日に至ることができもうした。

昨日、昔在籍した会社のOB会開催。
飲み屋会談した2人も顔を出し、
そんな話で盛り上がりましたとさ。

10月23日(土曜日)

●銀座
人が集まるから変化する。
変化するから人が集まる。

このダイナミックなサイクルが感じられる銀座。
1丁目の通りに面した広い部分が長いこと目隠しされていた。
その後、美しくペイントされた。
そして、ミニ・クーパーのショールームが建設されていた。
が、どうみても仮の姿。
この後どんな建物ができるのか、
出かけるたびにウオッチングが楽しみ。






10月22日(金曜日)

●古典的
最近の新聞広告はインフォメーションのようで面白みに欠けている。
昔は広告の名門と呼ばれた企業も
安易にモデルをつかったり、商品をゴロンと置いたりするだけ。

朝刊に15段カラー広告。
キャッチ「もう、かえさない」
ビジュアルは、目のうるんだ女性が男性のスーツに手を当てている。

いわくありげな恋愛のワンシーンと思わせるが、
安価DVDの広告。

レンタルDVDなら「返す」ところ、
買っちゃえばその必要がないよ、といってる。

「帰す」と「返す」の地口。
なんとまあ、古典的で素朴。
広告制作初心者が出しそうなアプローチをそのまま採用しちゃったのね。

10月21日(木曜日)

●編集手帳
読売朝刊1面コラム「編集手帳」。
限られた文字数で社会の出来事をみごとにあぶりだす。
取材記事と違ってうずもれた事象を引き合いに出したり、
聞いたことのない警句を持ち出し寸鉄人を刺す。
新聞を開くと直行し、いつも感心しながら拝読。

本日、102歳で大往生した女優、演出家の長岡輝子さんのこと。
名前は知らなくても、NHK「おしん」の奉公先のおお女将といえば
その風貌を思い出すかもしれない。

コラム子は、79年前、月刊誌「文芸春秋」に
菊池寛が、当時23歳の長岡さんに対し
批判的な文章を書いたことを紹介している。

朝刊の原稿締め切りは前日の3時ころだろうか?
出社前から翌日のネタを考え
ほとんど知られていないエピソードを探し、文章に組み立てる。
俎上に乗せられるのは政治、経済、文化と広範だ。
それが毎日続く。
一人で担当しているなら、かなりしんどい作業だろう。

夕刊「よみうり寸評」も同様のコラム。

人生経験豊かな元記者が担当しているのだろうが、
情報の大海から、その日にあった魚を釣り上げ調理する
究極の職人技を拝聴してみたいものだ。

10月20日(水曜日)

●消えるブランド
アナログオーディオ全盛時代、白物を作っていた弱電メーカーは
「音」という感性に訴える製品と冷蔵庫・洗濯機といった家電と
同じブランドではマーケティング戦略上まずい、ということで
異なるネーミングで市場に投入していた。

昔は本物に近い音質を得るために、レコード針からプレーヤー、
アンプ、スピーカーに至るまでピンからキリまで商品が揃っており、
オーディオファンは涙ぐましい努力をしていた。

だが、再生メディアが、レコード盤からテープ、CDと変わり
インターネットからデジタル音源をダウンロードできるようになって、
音楽の聴取スタイルが大きく変化してしまった。

本日、旧松下電器の「テクニクス」が姿を消すという新聞情報。

テクニクスのターンテーブルは、専門メーカーのDENONと並び人気商品だった。
デジタルオーディオ全盛時代に、
まだアナログ・テクニクス・ブランドが健闘していたとは…
(DENONはデンオンの呼称をデノンに変えてしまった。)

すでに姿を消した弱電メーカーのオーディオブランドは、
日立:Lo−D(ロー・ディー=ロー・ディストーション=低歪)
東芝:Aurex(オーレックス)
三洋:OTTO(オットー)
三菱:ダイヤトーン
シャープ:オプトニカ

SONYはSONYブランドだったが、
とっくにアナログオーディオ製品はない。

これら家電メーカーに対抗するのが電門メーカー。
山水電気(会社自体が消滅)、パイオニア(経営悪化で苦戦中)、
Trio、aiwa、日本Victor。
その後TorioはKenwoodに、
SanwaはSONY傘下に。
日本VictorはKenwoodと統合。

こうしてみると、日本のオーディオ業界は
大型台風にズタズタにされた様相を呈している。

現在全盛の携帯デジタルオーディオは
Apple、SONYの2大ブランドが対決している。

オーディオコンポは市場を大幅縮小。
デジタルオーディオ機器とつないで再生する装置になってしまった。
ほとんどが小型で価格も5〜6万が売れ筋。

超弩級オーディオ装置は、
太平洋戦争時の戦艦「大和」「武蔵」のように
無用の長物になってしまったか、というと、そうでもないらしい。
JBLの大型スピーカーや高価な海外製アンプも健在だ。
真空管アンプも一部の人に人気があるという。

デジタル時代になっても、
アナログオーディオのウォームトーンを好む人種とは、
防音装置のオーディオルームで優雅なひとときを過ごせる一握りのリッチマン。
オーディオシステム総額は高級外車並みかそれ以上。



昭和50年代、山水電気が輸入総代理店だった
JBLスピーカーの
広告を作っていた者としては
「昭和」は遠くなりにけり、が身に沁みる。

10月19日(火曜日)

●ご機嫌斜め
8歳になるミミは人間でいえば女盛り。
アメリカ生まれのキュービッド、コメット姉妹とは
顔を合わせて1年になるというのにウマが合わない。
あちらは12〜3歳だからもう年寄りだ。
小柄なミミが唸り声で威嚇しても身体も大きく動じないのだが。



リビングでくつろいでいるミミをカメラで追い回した。
顔の間近で何度もフラッシュを浴びせられ気分を害したのかも…
ヒゲのあたりをふくらませ目つきが悪い。
いつもの美人が台無しじゃん。

10月18日(月曜日)

●連続テレビ・ドラマ
現在、週一の連続テレビドラマは「龍馬伝」以外見ていない。

が、インターネットの動画共有サイトで
「新参者」の全10話(だったか)を、2日くらいで見終わってから、
ときどき、過去にオンエアされた作品を2〜3日で
一気に見るようになってしまった。
2〜3か月かけて見るより手っ取り早い。

「ハケンの品格」「バンビーノ」「絶対彼氏-完全無欠の恋人ロボット」など
2〜3年前の作品。

「月の恋人」は今年の5〜6月。8話という中途半端な回数で終わるのは
キムタクの高ギャラと低視聴率のため?と言われた、らしい。

若い連中に人気のあるタレントやファッション、人気スポット、彼らの好む小物がわかる。
ストーリーはともかく、流行の風俗や人間像を理解するのに最適。
「月の恋人」には中国の人気女優リン・チーリンが出演。
北川景子のような21世紀型美形にくらべ、古風な容貌の美人つ〜のがいい。

主人公のキムタクは常にAppleの薄型ノートPCを離さず、
役員会議は全員PC持参でプロジェクターに議題が投影され、立ったまま行う。
蓋の開閉が乱暴なのが気になったけど…。

会社は新興インテリアメーカーという設定だが、
IT企業や経営スタッフが若い会社は、
こんなふうに会議をするのだろうか…と、
人間模様より新しいスタイルのほうに興味が向いてしまった。

NHKの「10年先も君に恋して」は、今年の8〜10月という新しいドラマ。
軽妙なSF恋愛物。
民放は10〜11話なのだが、こちらは6話という短さ。
内野聖陽は藤沢修平「蝉しぐれは存在感があってよかったが、
現代物のラブロマンスはまったく似合わない。
しかも、相手は子供っぽさが残る上戸彩。
ミスキャスだったが、
スムーズなストリーミングだったので見終わってしまった。
視聴率は4〜7%という低さ。
民放なら途中で打ち切るような作品。

「anego」は5年前の作品だが、林真理子原作だけに、
30過ぎのOL事情を面白く扱っている。
正社員、契約社員、派遣社員が混在するというある商社の経営戦略室。
あっちもこっちも社内恋愛・不倫だらけという異常な状況。
仕事より男と女の話題で始終する。
仕事が終われば、女同士が駅近くの立ち飲み屋で生ビールを飲みまくるというすさまじさ。
篠原涼子主演、全11話+SP。
平均視聴率15.7%、最高視聴率は最終回の17.5%。
NHKとはだいぶ違う。
篠原はこれでテレビドラマアカデミーの最優秀主演女優賞を受賞した。

OL物に篠原はよく出演している。
演技はうまいし気の利いた台詞もいい。
が、OLらしい独特の台詞回しは3本に共通する。

10月17日(日曜日)

●防災訓練
災害は忘れた頃にやってくる、備えよ常に、というわけで
町の防災訓練が開催された。
会場は近くの小学校。
9時開催だが、地区ごとに参加するので集会所に8時集合。
区長が各班の参加者を確認した後会場に向かう。

この種の行事は若い人たちの関心は薄い。
かくいう小生、若くはないけど、出席率はよいほうではなかった。
が、全町各地区に自主防災組織ができ、
ある役をおおせつかったので、まじめに取り組むことに。

地区のプラカードのもとに参加者は縦列。
わが地区は多い方だったので少しは面目を保つ。

震度6強の地震発生、火災も発生という想定。

役員テントには町長、町議会議長、県議などのお歴々。
校庭には消防車、消防団員が勢ぞろい。

※消火ホースの接続体験


※バケツリレーを見る町長と副町長


※体育館で人工呼吸法を学ぶ


※炊き出し(参加者全員に配られた)

消火栓にホースの接続、放水体験、バケツリレー、
毛布と竹で応急担架作成、消火器体験、
土嚢の積み方、ロープの結び方、救助犬のデモ
体育館内では、避難生活体験、人工呼吸法。
無線チーム。婦人の炊き出しチームも活躍。
メニューは豊富。

運動会とは違うから体力は消費しなかったが、
7時起床、11時半までの団体行動は近頃まれなので
気分的には多少疲れましたが…
参加者約900名ということだった。

来月は、本日の経験をもとに地区の防災訓練が開催される。

私の住む地域は住宅密集地でもなく、周囲は雑木林。
大昔は縄文人が住んでいたくらいだから地盤は安定(たぶん)。
昭和21年のカスリン台風で利根川が決壊したときも
水が入らなかったという町一番の台地。そのうえ平屋。

万が一の大地震、水害でもじたばたすることもない、と
たかをくくっているわけでもないが、
都会にくらべ被害は確実に少ない、とは思っている。

しかし、多少の食料と水の備蓄、ラジオ、乾電池、ローソク、マッチ
防寒衣類の用意はやっておかねば。

一番大切なのは頭上に重量物を置かないこと。
テレビや本棚の下で寝るのはもってのほか。
しかし、小生はエアコンの下に頭がある。
これだけが気ががりだが、
いつも安らかに夢路をたどってしまうのがコ・ワ・イ。

10月16日(土曜日)
●秋の菜園
夏物はそろそろ終わりだが、まだ実をつけるので抜きがたい。
シシトウは緑から赤になり唐辛子と区別がつかなくなるが、
シシトウは下向きだが唐辛子は上向き。

昨日、ピーマンとシシトウを一緒に炒めたが
痩せたピーマンだったのでシシトウと区別がつかない。
フライパンの蓋をとった瞬間、刺激的な香りが広がり思わずむせた。
ここで辛さを判断すればよかったのだが皿に盛りつけた。
口に入れた瞬間、超激辛が口の中に充満。
動悸が早くなった。
細かく刻んでカレールーに混ぜればいいのだろうが炒め物は失敗だった。

野菜が高い。
レタスは一玉300円以上。
気軽にサラダというわけにゆかない。
テレビではそろそろ元に戻ると言ってはいたが。

菜園はまだ野菜を供給してくれる。
価格にすれば200円ちょいだろうが、朝取り野菜は貴重。
生産者が自分つ〜のだからこの上ない安心食品。

みかんが色づいてきた。
試し取りも間もなく。


10月15日(金曜日)

●再生の苦悩
ラオックスといえば、春日部東口のマンション1階に「ザ・コン」という
パソコン専門店が出店していた。
西口には家電店があった。
いつの間にか2店とも撤退。
家電量販の大手コジマ、ヤマダが16号線に出店して顧客が流れたのも原因だが、
秋葉原の本店も業績悪化で、中国家電資本傘下に入り再生を期していた。
生き残るために、中国人に身を売ったのね。
日本が大陸を蹂躙していたときは、この反対だったのだから、歴史は皮肉。

家電量販でもPCを扱っているが、
ラオックス「ザ・コン」はPCと関連商品の専門店だったので
よく利用していたのに、と一抹の寂しさを覚えていた。

そのラオックスが11月20日、銀座松坂屋6階に進出するという。

尖閣諸島問題で一時期日本への観光客が減少したが、
なんとなく収束して、また中国語が繁華街であふれているようだ。
中国資本の家電店だから札束を手にした連中が
松坂屋に集まるだろう。
他のフロアもラオックスのおこぼれが期待できるつ〜もんだ。

三越が晴海側に増床し話題を集めている。
松屋、プランタン銀座、マリオン跡にルミネ、丸井イトシア…
銀座・有楽町界隈の百貨店戦争は相変わらず熾烈を極めている。

落とす金が頭抜けている中国人を無視しては商売が成り立たないと、
大型小売店が「ニーハオ、熱烈歓迎」一色になってしまったら、
わが物顔に歩き回る中国人に、日本人は道をあけなくてはならなくなるね。

夜の六本木は外人ばかり。
マッチョな黒人4人が横に並んで歩いてきたときは
さすがに恐ろしくなって道を譲りましたが。

●生還
チリの鉱山で地中奥深くに閉じ込められた33名の作業員全員が生還した。
世界中がこのニュースに注目。
ロシア、中国でも落盤事故が多く他人ごととは思えない。
が、国家が全力で救出活動を行うか、といえばそうでもないらしい。
途中で捜索中止することもあるようだ。
ロシアの原潜事故では海底に没した生存者110名を見殺しにしている。
莫大な国家予算を投入した今回のチリ政府の取り組みは、
生命への対応を社会主義国の国民に知らしめた。
ロシア、中国の鉱山労働者、兵隊とその家族は生まれた国が悪かった、

マスコミは救出された作業員ひとりひとりのプロフィルを紹介。
唯一のボリビア人には自国の大統領が家と仕事を与える、と約束したそうだ。

日記をつけていた人がいたそうで、彼は出版の計画があるという。
映画化の話もきているとか…
彼らの生活はがらっと変わる。
波に乗る人もいれば飲み込まれる人も出てくるだろう。

ところで、米国の貿易センタービルがテロで崩壊した
あの、いまわしい9.11事件。
救助活動に従事した消防士を扱ったニコラス・ケイジ主演の映画があった。
彼と部下が活動中二次災害に遭遇する。
鉄骨にはさまれ身動きがとれなくなる。

映画はほこりが充満する狭い暗い空間のシーンが多く、
観客はパニックを疑似体験したのだが、
いかんせん単調で眠くなったことを覚えております。

10月14日(木曜日)

●快挙

チリの落盤事故で地中に閉じ込められた33人全員が
約600m下の闇から生還した。
一人乗りの救出カプセル「フェニックス」は
全員を地上に運ぶのに48時間はかかる、と思われていたが
救出回数を重ねるうちに時間を短縮した。

近頃まれに見るいいニュース。
港区のチリ大使館では大使以下テレビに釘付け。
日本からの物資支援、大使館に寄せられた千羽鶴、義捐金に感謝を述べていた。

生還後一躍時の人になった33人に
これから何が待ち受けるだろう。

クリントイーストウッド監督作品「父親たちの星条旗」では、
硫黄島の擂鉢山にアメリカ国旗を立てた「英雄」たちの
それからを描いている。
彼らは戦時国債を集めるため全米を旅役者のように巡回する。
行く先々で、山頂に星条旗を掲げるシーンを演じる。

たまたま擂鉢山頂上にいただけで
政府の演出で「英雄」に祭り上げられる。
多くの仲間が戦死したというのに…

酒びたりになる兵隊、自殺する兵隊、
何も語らず人生を終える兵隊。
さまざまな人生模様があった。

●薔薇が咲いた
初夏と秋。2度咲きの薔薇。
追肥と剪定。
家人が丹精込めた結果ではあるけど。

花水木の赤い実と
薄いピンクの薔薇が同時に楽しめるとは…

いつの間にか紫式部が紫の実をつけていた。

庭は晩秋に向けて刻々と姿を変えている。

10月13日(水曜日)

●池部良
8日に映画俳優・池部良氏が死去。
大正7年生まれの92歳だった。
戦後間もなくから映画出演し、昭和24年の「青い山脈」で一躍脚光をあびた
都会的な風貌の二枚目俳優として、つとに名高い。
映画が娯楽の王者だった頃だから、
その人気ぶりはキムタクをはるかにしのぐほどではなかったか。

老境に入り映画、テレビドラマに出演しつつエッセイストとしても成功。
レンズの大きなメガネをかけていたけど、
あまり似合うとは思わなかった。

東映任侠映画に出演。
どちらかといえば線の細い俳優なので、やくざ映画に耐えられるかと思ったが
結構評判を呼んだらしい。


※25年前の雑誌。銀幕のスターオンパレード


※前の方のページでほほえむ池部良

彼の作品を映画館で見たことはないが
インターネットで「雪国」を見る機会があった。

島村:池部良、駒子:岸恵子、葉子:八千草薫
昭和32年東宝作品。
島村の存在感より、駒子の美しさが際立っていた。
昔の映画にて、駒子のせりふはぎごちなく、少しかんだかい。
かん高いのは岸恵子の声の特徴だからしかたない。
年とっても美しさを保っている彼女だが、若いころは絶品。
その大和撫子はフランスの映画監督イブ・シアンピにさらわれた。

「雪国」は昭和40年、松竹から木村功、岩下志麻、加賀まりこで
映画化されているが、池部作品のほうがはるかにいいに決まっている。
島村役は、池部とおなじひ弱さを感じさせる木村功だが、
木村は都会的なかおりが少しもしない、じゃがいもだ。

原作は川端康成大先生。
妻子ある文筆業の島村が温泉宿の芸者・駒子といい仲になっちまう、という短編小説。
煽情的な描写はないが、
ちょっとした言葉に意味を持たせております。

池部良は陸軍中尉として、インドネシアのハルマヘラ島で終戦を迎えるが、
この島は、奇しくも私の父親も通信兵として戦っていた。

●米国核実験
米国が9月に臨界前核実験を行っていた。
恒久平和のため核廃絶をぶったオバマ大統領に世界中から非難ごうごう。

社民党福島党首が、大統領のノーベル平和賞返還を求めたそうだが、
当たり前のことを彼女が言ったところで、どうなるもんでもあるま〜〜に。
このところ影の薄い政党の打ち上げ花火としか映らない。

米国もつらい立場だ。
きれいごとを言っても、社会主義国が核保有しているのだから、
抑止力のためには持たざるを得ない。

被爆国日本がイニシャティブをとって
国際世論を形成しなくてはならんのだが、
いつまでたっても国内と近海のことで手一杯。
管内閣はそこまで気が回らない。

●地底からの生還
チリ鉱山の落盤事故で地底約700mに
閉じ込められていた作業員がついに救出された。
8月5日の事故発生以来69日ぶりの快挙。
全33人の救出には24時間から48時間かかるという。
人がこれだけ長期間地下に閉じ込められ、生還した例は
世界の鉱山事故史上でも例がない、ということだ。

救出用カプセルはオーストリア企業が設計しチリの会社が製作。
日本は宇宙で使用する下着、食料を支援、
米国は閉鎖空間で長期間過ごすためのノウハウをNASAの専門家を派遣。
国際協力で全員生還を期していた。
世界中で資源を漁っている中国はどんな貢献をしたのだろう?

宇宙からの生還同様ドラマチックなできごとに、
世界中のメディアが注目し150社、2000人以上の
報道スタッフが現地入りしているという。

日本時間17時現在、4人目、
最年少、19歳の青年が救出された。

各国の鉱山は貴重なケースとして見守っているのだろうね。

10月12日(火曜日)

●武井武雄
大正末期から戦後まで活躍した画家、
というより、いまならイラストレータにして
版画家、装丁家というマルチアーティストが
長野県出身の武井武雄氏だ。

先日、古河文学館を訪ねたとき
図録「武井武雄 刊本作品の世界」を入手。
平成16年10月、企画展が開催されていた。

古河市と武井武雄氏を結ぶものは「コドモノクニ」だった。

古河出身の鷹見久太郎氏により出版されたコドモノクニ創刊号の
表紙・タイトル文字を武井武雄氏が描き、その後絵画部門の責任者となった。
東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科卒業後、3年目の
若い芸術家を起用するという先見の明を感じさせる。

武井武雄の画風は大正モダニズムを感じさせるもので
独創性にあふれている。
当時、挿絵は本文の添え物的な扱いだったが、
武井氏はやがて「童画」と名付け社会的認知を行った。

昭和10年から「刊本」の制作を始める。
当初、「豆本」と呼ばれ小型の趣味性の高い武井ワールド本だ。
賛同者を300名集め、彼らに対してのみ配布する。
賛同者を「親戚」と呼び、
もし、それを古書店に売るようなことを行ったら除名するというルールだった。
全国の武井ファン、愛書家が名を連ねたという。

古河出身の歴史小説家・永井路子氏は女子大を卒業し小学館に入社する。
武井武雄氏の担当となり、足しげく訪れる。
「刊本」の存在を知り、武井氏のファンだった永井氏は
たまたま賛同者の席があいていたので会員(親戚)となれた。

年1冊〜3冊送られてくる「刊本」を、古河文学館に寄贈していた。

武井武雄氏とは二重の縁があって、企画展が開催された、ということか。







武井氏の「豆本」のことは知っていたが、
それが「刊本」という名で戦時中も発行され、
氏が亡くなる昭和58年139号をもって終刊ということは知らなかった。

木版、エッチングはもちろんさ
まざまな技法を駆使して作られていることに驚嘆するが、
用紙もあるときはパピルスを抄くという凝りに凝っている。

300人の会員の中には手放した人もいるかもしれない。
神保町のショーケースにおさめられた超高価な姿をおがめるかも。

武井氏の作品を展示する
「イルフ童画館」が岡谷市にある。
ここには行かなければなるまい。

10月11日(月曜日)
●芝浦へ
本来10月10日だった「体育の日」だが、
ハッピー・マンデー制度で10月第二月曜となってしまった。
無粋な制度のおかげで、成人の日もそうだが、
その日の由来などまったく関係なく、
祝日がきちっと定まらずふらついている。
ったく、嘆かわしい。

このところスポーツらしきものと縁遠かったが
天気晴朗なので都内をチャリ乗り。
前回の六本木、渋谷は坂が多く、なまった身体に鞭打った。
今回は、行けそうでなかなか機会がなかった芝浦方面。
開発著しいベイサイドを走る。
埋立地なので坂がないのも作戦のうち。

出発はいつものように茅場町。
湊から八丁堀、明石町から築地はずれ波除神社経由で浜離宮という
なるべく人のいないコース。
そこから1本道の竹芝ふ頭、日の出桟橋へ。
気温28〜9度でじりじり暑い。
ウォーキングする人、チャリ乗り人など結構多い。

※浜離宮脇は緑が濃い

昔、八丈島へ行って以来の竹芝ふ頭はすっかり様変わり。
インターコンチネンタル東京ベイなどという立派なホテルと遊歩道。
そこからの東京港の眺めは、いつも佃島から見るのと逆の景色。
大川端リバーシティ21が水に浮かぶ高層ビル群のように見える。

※竹芝から大島に向かう船、最近はこんなに小さい。
 お台場のフジテレビが見える。

※竹芝から佃島方面を望む。左はじにスカイツリーが見える。

やがてレィンボーブリッジの真下に到着。
当初、この橋を渡ってお台場へ抜けようかと思っていたがチャリは通行禁止。
ヨーロッパと違い日本の交通行政の貧弱さを知ることになった。

※レインボーブリッジを真下から見る

やむなく、芝浦から港南に入る。
ドトールやスタバを探したが、そんな気の利いたサテンはない。
もともとは倉庫街だった地域でばかでかい建物とトラック、コンテナばかり。
そんなところに、超高層マンション群ができていた。
報知新聞社の隣りだ。
この新聞社は昔、国立劇場近くの隼町にあったはずだが、
思えば不便な場所にきたもんだ。

※GoogleMap ストリートビューで見た高層マンション群


※椅子に仰向けに寝て撮影した42階建マンション。お〜〜こわっ。

遅い食事もままならず、マンション1階のマルエツで飲み物食料を調達。
隣りの、同じく超高層マンションの中庭の
子供用ポチャポチャ池の脇でムシャムシャと…

コの字のように配置されたマンションの中庭は
西日も入らず、海風が心地よい。

※Google Mapで見たワールドシティタワーズ。
楕円形の植込みの一番上の前がポチャポチャ池。

住人たちがそぞろ歩く時間帯なのか、
子供連れの父親、買い物帰りの主婦が食事中の私の前を通り過ぎる。
白い眼では見られなかったが、
明らかにこの街区の住人ではない異質の人間と思われたようだ。
2人の少女が、ポチャポチャ池で遊び始めた。
私のすぐ後ろだ。
珍しいものを見るようにちらちら視線を向ける。

帰宅後調べたのだが。
このマンション群は2007年完成の「ワールド・シティ・タワーズ」。
42階超高層マンションで、住友不動産の物件だ。
3棟、2090戸、約6000人を収容するという。
単一事業主が販売した国内最大級の集合住宅で賃貸物件なし。
面積92.94u〜150.08u。2LDK〜4LDK。
価格8280万円〜3億9800万円!!!!

なんと、バブル以降も億ションは健在だった。

それにしても、若い家族が多いのには驚いた。
私の前を通り過ぎる連中は
男35〜40、女30〜35歳くらいなのだ。
子供は幼稚園〜小学校低学年。
時折老夫婦も。

若い彼らに超高額物件の購買力があるとはね〜〜〜。
まともに働いていたのでは買えっこないぜ。

リビングからの眺めは抜群だろう。
東京港をゆく船、対岸はお台場。
夏の花火を独り占め…
昔流行ったトレンディドラマのようだわ〜〜。

住めないからって悔し紛れに言うのではないけど、
交通の便が悪い。
モノレールとりんかい線の天王洲アイル。
JR品川まで徒歩10数分。
前は京浜運河だぜ。
夜はさみしいだろな〜〜。

一時期話題になった天王洲アイルへ足をのばす。
いくつかのビルが寄り添いビジネス街区を形成しているが通勤が不便そう。
狭いモノレールだけかと思ったら、
「りんかい線」つ〜のは江東区木場から品川区大崎までなんだって。
大崎から埼京線で川越まで行けると知って、びっくり。
おおよそ関係ない電車だもん、仕方ない。

※品川駅前のビル群

天王洲運河、高浜運河沿いの旧海岸通りを新橋方面に向け帰途につく。
品川駅前の銀色に輝く高層ビル群を運河側から見るのは初めてだった。
昭和40年代、運河側に出るには跨線橋はなく、
トンネルを歩いたものだったが…
その先は、灰色の倉庫ばかりだった。
隔世の感あり。

築地場外市場でテレビ東京「もやもやサマーズ」の録画が行われていた。
デジカメを向けるとスタッフに制止された。
ケチ!
著作権の関係なのかね。

聖路加病院脇で、赤穂浪士の主君、浅野内匠頭邸跡の石碑発見。

JRでいうなら東京駅から大崎まで。
4時間半、約16km。
のんびりコースでした。

10月10日(日曜日)

●山栗
裏に大きな栗の木がある。
山栗なので実は小さく、これまで落ちるにまかせていた。
先日、雨の中、カッパを着た見知らぬ男性がほとんど拾ってしまった。
私有地なので、文句も言えたのだが、
いままで放置していたので、いまさら…

その後も栗は落ち続けていたので、
丸々とした奴だけざる半分ほど拾ってみた。
野趣味あふれた栗拾いね。


フライパンに半分ほど水を入れ煮ること30分。
小さすぎて包丁で皮むきなどできない。
真っ二つに切って、紅茶用スプーンでほじくり出した。

※うまそうな色!

お味のほどは…
これがまあ、想像以上にうまいっ!
瞬く間に20個以上たいらげた。

これほどの味ならば、
来年はまじめに栗拾いしよ〜〜〜っと。

●きのこ
レモンの木の下に2本。
姿はいいが、食べる勇気はなかった。


10月9日(土曜日)
●落果
少し離れた家の塀際に黄色い実がなっていたが、
その大きさから夏みかんとばかり思っていた。
いま思えば表面がでこぼこしており、それが獅子柚子だったのだ。

数年前、知人から獅子柚子を2個いただいた。
房はすかすかで食用に耐えず、冬至の柚子湯に使用した。
翌年、今度は苗をいただき、
日当たりのよい風の当たらない場所に植えて、と言われた。

季節風の当たらない東側に植えたら昨年初めて2個実をつけた。
今年は、なんと15個以上!

まだ若木なので、枝もしなやか。
そのためか自身の重さに耐えかねて落ちてしまった。
当初は緑色だったが、次第に黄色くなってきた。
バナナみたい。

2〜3日後に包丁を入れてみようか…と。

●稲刈り
都会の幼稚園児たちが体験稲作を行っている。
最近は機械で刈入れ、機械で脱穀までやってしまうので、
こういう天日干しは珍しい。


10月8日(金曜日)

●古河へ(続き)
片町通りは古河市街(西口)から三国橋に抜ける道路。
狭い道だが、車の往来が激しい。
江戸時代は城に近いこのあたりに商家が並び賑やかだったのだろう。



※壁の色は薄い緑。江戸時代と同じに塗り替えたという。

※ときがゆっくり流れている

東京生まれの永井路子が、3歳のときに移り住み、結婚するまでの約20年を過した
「永井路子旧宅」が当時の面影を残しながら建っている。
むかしはお茶問屋を営んでいたという。
後に永井家から古河市長が出ているという名門商家だ。
無料で開放されボランティアの方が常駐している。
靴を脱ぎ、庭を望む部屋に入ると、外の喧騒から遮断される。
出されたお茶をいただきながらしばしくつろぐ。

※はるか遠くに、駅前の高層マンションが見える

三国橋のたもとに「ハイビスカス」というホテル。
昼夜を問わずムラムラっとなった男女が利用するたぐいだ。
派手なディスプレイなうえ、
見通しのいい交通量の激しい場所で商売になるのかね…

この場所はラブホの前は名門旅館「芳流」があったという。
中村真一郎著「感情旅行」の舞台となったところであり、
草野心平、城山三郎など多くの文人」が滞在しました。
屋号は「南総里見八犬伝」に由来している、と市のHPにあった。

三国橋を渡り東武線新古河から東武動物公園へ。
JR古河と大違い、ひなびた駅に驚かされる。
ウィークデイの昼下がりということもあって、
ホームに立つのは小生一人だった。

10月7日(木曜日)

●古河へ
灼熱の8月に訪れた古河文学館は
空調設備工事で休館だった。
で、再チャレンジ。

東武動物公園駅12時きっかりの電車で久喜へ。
古河到着12時40分。
JR久喜で10分待ちだったから、
つながりがスムーズなら30分ちょいで歴史の町に到着する。

いつの間にか散策にいい季節になっていた。



文学館への道はいくつかあるが、
古河第一小学校の正門を見ながらたどるのがいい。
広い道を入ると石畳の美しい小道になる。
小学校の柵や敷石には雪の結晶のデザイン。
藩主が雪の結晶の研究者だったことによる。
ゆるやかな坂を下ると木々の間に文学館の屋根が見える。
コミュニセンターを右に曲がると目指す建物。

木を多用した豪奢な民家風の建物が
平成10年10月に開館した茨城県唯一の文学館だ。
1階は展示室と閲覧室、2階はイタリアンレストラン「唐草」。

「永井路子の描く鎌倉時代」、
「鷹見久太郎とコドモノクニ」、古河文学散歩の展示が行われていた。



※館内は撮影禁止です。よいこは真似をしないでね。

来館者は、本を読む夫人と私の二人。係員が1人。
迷わず、コドモノクニ展示コーナーへ。
大正時代〜昭和初期に出版された「ぜいたくな」雑誌とガラス越しの対面。
郷土の作家永井氏のコーナーで、
NHK大河ドラマ「草燃える」の台本、関東地方の勢力図などを見る。
静かで贅沢な時間だった。

2階のレストランへ。
天井の高いゆったりとした空間が広がる。
古河で一番雰囲気のいいレストラン(かもしれない)。
穴場。
ランチタイムということもあって4〜5組の客。
係員の女性はてきぱきとして気分がいい。

食事はせず、生ビールを飲みながら、
購入した6年前の企画展の本に目を通す。
知っていれば来たものを…。

目と鼻の先の古河藩家老の旧宅「鷹見泉石記念館」へ。
鷹見泉石は幕末の蘭学者で、渡辺崋山が西洋の技法で彼を描いている。
歴史、美術の教科書でおなじみの国宝の肖像画だ。



コドモノクニは、泉石の末裔、鷹見久太郎により東京社から創刊された。
どえりゃ〜人が先祖だったのだ。

歴史博物館は鷹見泉石記念館の斜め前。

このあたり一帯は緑が濃く、古河市街で一番好きな場所。

もともと古河城諏訪郭跡、という。
古河城の本丸は明治維新で破壊され、その後渡良瀬川の改修で水底に沈んだ。
古河城の出城がかろうじて当時のよすがを伝えている。

※明日に続く…

10月6日(水曜日)

●まだ元気

9月中に大根の種まきしなければならなかったが、
連日の暑さと秋分の日以降の天候の悪さでタイミングを逃した。
周囲の畑では間引きした大根が育ち始めている。
今年の大根はあきらめざるを得ない。
が、ホウレンソウはまだ間に合う。



※ピーマンは小粒になってしまった。

ナスは相変わらず実をつけている。
秋ナス用に思い切って枝を切りそろえたのがいいのかも。

●新米

隣町の生産者からじかに買うこともできるし、
近くの直売所で入手することも可能だ。
近ごろスーパーでも作り手の顔が見える
農産物を販売するコーナーがあるが、
地元産を食せるつ〜のは、かなりのぜいたく。
田園地帯の特権だもんね。


※ギンモクセイが満開に…

10月5日(火曜日)

●歴史探偵
作家、半藤一利氏は文芸春秋社在籍時、
坂口安吾と出会い、歴史開眼。
さらに、戦前から新聞社の海軍記者として活躍した
伊藤正徳氏仕事を通じて知遇を得、弟子入り。
戦後生き残っていた陸海軍人への取材を通じて昭和史の追跡を行うにいたる。

昨年春、新潮社「幕末史」を購入。
すでに3刷。

幕末は、東北から九州までの各藩を巻き込んだ大混乱時代。
おびただしい人物と組織が登場し、つながりも複雑ときたもんだ。
だから面白いともいえるのだが…断片的に読むと混乱する。

持ち歩くには分厚すぎる「幕末史」だから、家で寸暇を惜しみつつ読む。
解りやすい読み物だった。
元となったのは社会人相手の慶応大学エクステンション講座で用いたテキストだから
当たり前といえばあたりまえ。
人物相関図でも作れば、さらに楽しくなるだろう。

半藤著作に興味をもち、次に購入したのが「昭和史」。
岩波ライブラリから出版されたが、戦前・戦後の2冊の分厚い大作。
軍部・政治・経済・世相など平易に語られている。
これも少人数の昭和史講座がもとになっている。

昨年秋、文芸春秋増刊「くりま」9月号「半藤一利が見た昭和」購入。
半藤氏が向島出身で旧制中学時代に20年3月20日の東京大空襲を体験。
氏の通っていたのが旧制府立七中(現都立墨田川高校)で、私の大先輩と判明。
親しみを覚えるようになった。

空襲が激しくなり、父親の里、新潟県長岡に疎開。
長岡中学に通う。
戦後東京に戻り旧制浦和高等学校へ入学。
そして東大入学、ボート部で過ごし卒業後文芸春秋社入社、となる。

空襲の悲惨さ、軍部の勝ち目のない戦争への傾斜、
昭和期の軍人・政治家の人物短評など読み物満載。
保存版ですね。

10月4日(月曜日)
●銀木犀
町を歩くと馥郁としたかおりに包まれる。
秋を濃厚に感じさせる正体は木犀。
その多くはオレンジの花をつけた金木犀だが
わが家のは銀木犀で白い花をつける。
名前は違うけどかおりに差はない。

以前、季節風よけに2本の金木犀を植えてあったが、
育ちすぎて日当たりが悪くなり切り倒してしまった。
今思うとちょっと残念な気がする。
その後、通りに沿って銀木犀を植えた。
こまめに剪定を行っているので、圧迫感はない。
花数が少ないのでかおりの所在に気づかず通り過ぎる人も多い。

10月3日(日曜日)

●龍馬伝
大政奉還に向けて竜馬が走り始めた。
土佐藩の首相ともいうべき立場にいた後藤象二郎に、大政奉還を説く。
実際は「船中八策」。
その後、象二郎は薩摩と接近、薩土盟約を結ぶが解消。
象二郎は藩主・山内容堂と大政奉還建白書を幕府に提出。
徳川慶喜はこれを受け、大政奉還が実現し徳川幕府は瓦解する。
という筋道となる。
竜馬は、この大事業の1か月後暗殺される。
10月14日大政奉還。
11月15日竜馬暗殺。



VEOHという動画共有サイトがある。
そこに、幕末青春グラフィティ坂本竜馬 (1982TV)という
1時間35分の動画がある。
これがまっこと面白い。
BGMは全編ビートルズ。
登場人物がかなりエキサイティング。

暗殺者の一人と言われる十津川郷士を沢田研二・ジュリー。
竜馬:武田鉄矢
お龍:夏目雅子
山内容堂:ビートたけし
武市半平太:柴俊夫
高杉晋作:吉田拓郎
勝海舟:石坂浩二
沢村:島田紳助
このほか、ちょい役にも当時の人気者オンパレ。

みんな若い!
最大画面にすると画質は落ちるけど、
一見の価値あり、と思う。



VEOHサイトURL

http://www.veoh.com/browse/videos/category/drama/watch/v19801285ef9eQe93

PR文

坂本竜馬の大ファンとして有名なあの武田鉄矢が、
1986年に自ら脚本・監督・主演をつとめた映画作品が、
「幕末青春グラフィティーRONIN」でした。
ところが「幕末青春グラフィティーRONIN」が映画化される4年前(1982年)に、
ほぼ同じタイトルで、幻のテレビドラマが放送されてたのです。
それが、こちらっ!
ビデオやDVD等の商品化は一切されてません。(理由は不明??)

今後も商品化される予定はないとのこと。
まさに門外不出・完全お蔵入りのドラマとなってます。
もちろんTVでの再放送の予定も、おそらくこの先ずっとないでしょう。
役者さん達が豪華です。

●深夜便
深夜1時から、先月28日、肺腺癌のため76歳で死去した
女優・池内淳子さんのインタビュー「女優が語る戦後」を急きょ再放送した。

映画最盛期の昭和30年代、新東宝で活躍した美人女優だが、
彼女の映画は見たことがない。
人気絶頂期にジャズシンガー柳沢真一と結婚し、
短期間で別れたという程度の浅い俊樹しかなかった。
テレビドラマに出演するようになってから、
老境に入った姿をときおり見る程度だった。

ラジオから彼女の低いトーンの声が流れた。
20年3月10日の東京大空襲の話をしていた。

実家は日本橋で海産物問屋をやっていた。
母方の実家が川向こうの両国(当時は本所)で、
そこは跡形もなく焼けてしまったが幸い家族は全員無事だったという。
祖父母から、当時の中学を卒業したら花嫁修業をして嫁に行くことを
強く希望されていた。
それに反抗するように、新制十文字高校を卒業後、
日本橋三越を受験し合格。呉服売り場に配属された。
そこには、後に新東宝で一緒になる前田通子がいた。

売り場に美人がいると評判になったらしいが、
本人は、美人はネクタイ売場に配属されるらしい、という。

1年で三越を退社し花嫁修業を行うが、
雑誌のカバーガール募集に応募し当選してしまう。
それが映画関係者の目に留まり「銀幕」デビュー。

淳子さんは女3人姉妹の長女だった。
映画出るようになって、妹さんたちは喜ぶかと思ったら、
はずかしくてしょうがない、と言われたそうだ。

日本橋の老舗商店には「芸能人は河原乞食」という意識が
残っていたのかもしれない。

…このあたり以後、眠りに入ったらしい。
第2回もあるらしいので、
いずれ聞くこともあるかもしれない。

昭和36年10月 ミセス創刊号表紙を飾る28歳の淳子さん。
最近の国籍不明のような俳優、タレントとは違う
おでこの広い理知的な日本美人。ほっとしますね〜。

10月2日(土曜日)

●体験
近くの田んぼから賑やかな声が聞こえてきた。
稲刈り体験の幼稚園児たちだった。

町は観光農園の一環として体験稲作を行っている。
多くの稲田は刈り取りから、脱穀まで機械で行われているが、
地元や都内の子供たちが稲作を行っている田は
昔ながらの方法で刈り取り、天日干しを行っている。

保護者と新しい村のスタッフに囲まれ
恐る恐る田んぼに入って作業をする
黄色い帽子と空色のスモックの園児たちは
カルガモの雛のようだった。

10月1日(金曜日)

●たばこ値上げ
だいぶ前からアナウンスされていたが、ついに来てしまった。
税収の悪化を取りやすいところから取る、という
いつものテだが、これまでにない大幅値上げだ。

たばこが健康を害するという忠告は、
たばこのパッケージに大きく書かれている。
マスコミもコンスタントに取り上げる。
そのうえ、禁煙世論が高まり
歩きたばこ禁止はもちろん、飲食店でも肩身が狭くなっている。

家庭はもちろん社会からも追いたてられる喫煙者に、
最後のとどめは大幅値上げときたもんだ。

しかし、愛煙家はしぶとく生き残る。
昨夜は遅くまで駆け込み大量購入者が続出。
2〜3カートンなら可愛いが、
数万円もする段ボール入りを買う人も現れた。
たばこの賞味期限は10カ月というから、
せっせと鼻から煙を出して
肺がんへの道をひた走ることにならなければいいけど。



18のとき、大学入学と同時にHOPEで始まった喫煙習慣。
その後、ハイライト、セブンスターと喫い継いできた。
何十年とつきあってきたセブンスターは
300円が440円に跳ね上がる。

これを機に禁煙するという人も大勢いる。
実は小生もそのひとり。
こわだかに宣言するのではなく、
静かに退場、というかたちをとりたい。

昨日朝購入したセブンスターが5本残っていた。
いつもなら、
コーヒーを飲みながら新聞を読みながらラジオを聞きながら
朝の一服、となるのだが、それをやめてみた。
別に、ど〜ってことなかった。

※まもなくサヨナラの7starと最近珍しいBICのライター。

PCに向かいつつ習慣でたばこに手が伸びるのだが、それも中止。
別に、なんてことなかった。
昼飯後の一服、午後3時の一服をやめる。
別に苦痛でもなかった。

夜。御成街道に面した鹿室の蕎麦屋へ。
ここの、せいろは細くて色白。ボリュームがあって美味。
帰宅後、本日初めての1本に火をつける。

ふだんから、深く吸い込まない。
口中を漂わせて口から吐き出す。
鼻からはめったに煙は出さない。

軽いめまい。
まずい!

ゆるやかに減煙し、最終的に止煙する。
完全禁煙でなく、こういうスタイルのほうが
私には向いている。

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