田舎三昧の生活と意見

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●吉太郎童謡集

■Contents■
01遠方より来たる
02初詣
03龍馬伝
  初チャリ
04まちおこし
   災難
05社会の敵
06GPS
07CyberShot
08海の狂犬
09二本の木
10二十三夜塔
11成人式
12珍妃(チェンフェイ)の井戸
13傲慢
14不毛地帯11回
   譲さん直木賞受賞
15冬日
16日続々逮捕
      元秘書逮捕
      浅田次郎
      地下鉄に乗って
17権力闘争
18竜馬伝
19急転直下
20無粋
21不毛地帯
   緊急支援
22足利事件
23一郎君の言い訳
  ハイチ支援
  友チョコ
24団体行動
25決断
  ブーム再来
26追加支援
27深夜放送
28噂のiPad
  韓国製
  有楽町西武
29不毛地帯13回
  ジョブス
30Conspiracy
31ホロコースト


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Last Modified 2010/0131
First Uploaded 2003/0901


1月31日(日曜日)
●ホロコースト
ヴァンゼー会議後、迅速にユダヤ人絶滅政策が実行されたのだが、
それ以前のポーランド侵攻からユダヤ人をゲットーに隔離し
過酷な人種政策は実施されていた。

(「戦場のピアニスト」はゲットーから強制収容所までの映画だった。)
(「シンドラーのリスト」は強制収容所のユダヤ人を救出する映画だった)

強制収容所と絶滅収容所は異なり、後者は生きて帰ることはできなかったが、
収容中にナチスドイツの敗戦により、九死に一生を得た人々もいる。

(映画「若き獅子たち」は(ドイツの軍服が似合うマーロン・ブランドと
繊細な米兵モンゴメリー・クリフトが出演していた)解放後の収容所の悲惨な状況が
映されていた)


その昔、サンケイ出版(だったか)から
「第二次世界大戦BOOKS」が出版されており、
ナチスの極悪非道ぶりを知ったのだが、
ガス室で「処理」した死体を大きな穴に投げ込んでいる写真に唖然としたものだ。

インターネット時代になり、NAZIが撮影していた
膨大な記録フィルムを見ることができる。
写真と異なり、ブルトーザーで処理される膨大な死体には息を呑む。

ユダヤ人は今もキリスト教社会では受け入れられない部分がある。
先祖の行いが2000年経過してもまだ影響しているつ〜のも酷な話し。
宗教が生活を支配している限り、
この障害を取り除けないのは本末転倒のような感じがする。

1月30日(土曜日)

●Conspiracy
NHKドキュメンタリーは、たびたび海外作品を放映する。

作品紹介:The nazis final solution
タイトル:Conspiracy
制作:BBC2001


「紹介」はわかるが、「タイトル」の意味は不明。
受験勉強をしている学生ならわかるはずだけど。

別荘と思える立派な家の室内から物語りは始まる。
テーブルにかかったほこり除けの大きな布をめくる女性、
銀の食器を磨く人、
台所は料理の準備をする何人もの男性、
カードに参加者の名前を書く人、
小型の電話交換機を設置する兵隊

一様に緊張している

これから大勢の人が集まるらしい
(何のために)

やがてセスナのような軽飛行機が
雪をいただいた邸宅の上空に飛来する。
翼にはハーケンクロイツ!
地上は、
軍用車でかけつける軍人。
軍帽には髑髏のマーク、SSだ。
ベンツからは黄土色の制服に身をかためた党の高官
さらに背広姿の男たちが参集する。
その数10数名。

ナチスドイツの偉いさんたちなのだが、
英国制作のため、全員英語で会話する。

NHKで放映したのなら、
吹き替えか、下に日本語スーパーが流れるのだが、
これはなんにもない。

面白そうなのだが、彼等が何を話しているのかわからない。

しかし、時間の経過とともに
これは「ヴァンゼー会議」ではないかと。

ヒトラーとナチスに興味のある方なら知っている悪名高い会議だ。

ヒトラーの命を受けたラインハルト・ハイドリヒが議長を務めた
「final solution」最終解決。
作品のタイトルは「共謀」「謀議」。
つまり、ユダヤ人のホロコースト(種の絶滅)の方法を決めたカンファレンスで
没収財産の配分、輸送、殺害などについて、
15名の男たちが約80数分で決めたという。
帝国保安本部のユダヤ人局の責任者、
アドルフ=アイヒマン中佐により、会議の議定書の草稿を用意されていた。
それに沿って、意見交換を行い微調整が行われた。

会議は1942年1月20日、ベルリンの高級住宅地グローセン・ヴァンゼー街にある
親衛隊の所有する邸宅で開催された。

アイヒマンが作成されたとされる議事録が、1947年外務省でアメリカ軍が発見した。
文書の真贋論争はあるが、
主宰した親衛隊大将ハイドリヒは1942年6月4日、チェコ人部隊により暗殺された。

1時間35分50秒の作品は議論と休憩で展開する。
終盤で、シャワーとかガスという言葉が交わされるので
殺害の方法を決めているのだ、ということがわかる。
表情や身振りで判断しようにも、発言者が推進派なのか懐疑派なのかわからない。

会議が終わり、高官たちが帰ったあと、
別室で3人の男が酒を酌み交わす。
重要な会議を終えた安堵感があった。

後日、アイヒマンが南米で捕らえられ
イスラエルの法定で裁かれ死刑になるのだが、
裁判でヴァンゼー会議での様子を、
「会議の後、部屋の隅にあるストーブにあたりながらハイドリヒは煙草をくゆらせ、
ブランデーをすすっていた。
われわれは友達のように一緒に座っていた
──仕事の話をするためではなく、長い会議のあとでくつろぎの時間を過ごすために」

と、述べている。
映画の最後のシーンはこの情景だった。




ナチスドイツの餌食なったユダヤ人だったが、
第2次世界大戦後、イスラエルが建国された。
英国の政治家バルフォアによるバルフォア宣言に基づくものだが、
建国も政治的駆け引きの結果だった。
祖国といってもイスラム圏にユダヤが戻ってきたわけだから、
もともとそこに住んでいたパレスチナ人と激しい闘争が起こり今も続く。
イスラエルは積年の恨みを晴らすように、弱い人種に牙をむいている。

1月29日(金曜日)

●不毛地帯13回
放映は昨夜22時だった。
壱岐のモデルとされる瀬島元参謀は、
昭和33年伊藤忠商事に入社。
36年経営戦略本部ともいうべき業務本部長に。
37年取締役、38年常務、43年専務、47年副社長、52年副会長を経て、53年会長となる。

実際には社長にはならないのだが、
劇中では、次期社長の椅子を狙う岸部一徳副社長が、壱岐に追い抜かれるのではないかと
恐れおののき、心臓病をおしてまで日米自動車会社の合弁企業立ち上げに奔走する。
しかし、甘い読みでライバルの東京商事に合併話をさらわれてしまう。
度重なる失策で心臓発作を頻発し、見るも無惨な姿になる。
しかし、「男の嫉妬」演技はさすがに上手い。
深刻になればなるほど、失笑しながら見ておりましたよ。

実際の瀬島氏は、専務時代の昭和46年にいすゞ自動車と米GMとの提携を指揮している。

昨夜は、ニューヨークから本社に転勤し、
上官の娘との恋愛に発展するかと思いきや、
息子の邪魔が入り、小雪との逢瀬がパ〜になる、という
下手な恋愛物で終わった。
仕事には切れ者の壱岐だが、そっちのほうは山あり谷あり…やれやれ。

●ジョブズ
Appleの場合、新製品の紹介はCEOのスティーブ・ジョブズが行う。
若者の代表のようなラフなスタイルで自ら操作しながら先進性をデモるのだ。
自分がスカウトしたペプシコのスカリーに追い出されてしまった間は、
あの得意満面の姿を見ることはできなかった。

その代わり、NEXT社を興し日本に売り込みに来たことがあった。
販売代理店はCANONだった。
発表会に出かけたのだが、
ステージには黒いBOXスタイルのNEXTが鎮座していた。
ジョブズはタキシードで登場した。
大勢の熱狂的なAppleファンを前に、
彼はピアニストのようにキーボードを操作したことを
鮮やかに憶えている。

iPadの発表は、
健康を回復したジョブズ、髪がかなり薄くなったジョブズ自身が行った。
朝刊にその姿が掲載された。
相変わらずラフなスタイルで、iPadを手にしている。
9.7インチの液晶はさすがに大きいことがわかる。
キーボードのない小型パソコンだ。

電子ブックとしての活用が期待されているが、
ゲームソフトも多いのでゲーム機として購入する連中も多いだろう。

Apple創業当時のパートナー、アラン・ケイが
その概念を「DynaBook」という名で発表した。
が、東芝はノートPCに大胆にもその名前を付けてしまったが、
アラン・ケイがイメージしたものとは大違い。
iPadで、やっと製品化された、といえるだろう。
実現までに4半世紀以上かかっている。

ところで、iPadつ〜ネーミングが、
7年前、富士通が米国で発売した在庫管理などに使う端末につけていたようだ。
商標登録はしたもののまだ受理されないままらしいが、
先に使ったのは当社だと悶着を起こすのか、譲渡するのか?

1月28日(木曜日)

●噂のiPad
Appleから、iPod、iPhoneに次ぐ新製品iPadが遂に姿を現した。
9.7型液晶画面で、Appleお得意のタッチ操作で行うタブレット端末。
カメラ機能はないが音楽、動画、電子ブックリーダー、無線LAN+G3機能で
インターネット接続、GPS機能を搭載する。
ワープロ、表計算、プレゼンテーションソフトをソフト・キーボードで操作できるほか
外付けキーボードで入力も可能だ。
値段は499$〜829$。

 
Appleフリークには選ぶべきか見送るべきか難しい選択だろう。
iPhoe所有者はせめて電話機能をと思うが液晶が大きいのでちょっと無理。
iPod所有者は液晶の大きさは魅力だが携帯性が悪くなる。

Appleらしい未来的なマルチメディアマシンだが、
どんな連中が購入するのか?

無線LANモデルは世界各国で3月下旬から発売開始、
日本も同時期の発売を予定しているという。
無線LAN+3Gモデルは米国で4月に発売され、
その後順次発売国を増やしていく予定で、
日本では6月下旬以降の発売を予定している。
●韓国製
韓国は液晶テレビ、パソコンなどIT分野で日本を追撃、追い抜きをかけている。
CASIOが先鞭をつけたデジタルカメラだったが、
今ではカメラメーカー、家電メーカー製品で乱戦模様。
さらなる市場を目指して一眼レフのデジタル化が著しい。
往年の名門ドイツのライカ、米国のコダックも、
それなりの存在感はあるが、あくまで好事家対象と化した。

世界を牽引・席巻してきた日本の精密光学機器だが、
ここにきてお隣り、韓国からレンズ交換式デジタルカメラが登場した。
メーカーはパソコンでもおなじみ「SAMSUNG」ブランド。

日本ではNEC、富士通など巨大PCメーカーは光学機器に手を出さないが、
韓国にはCANON、Nikonといった光学機器メーカーは存在しないので、
(あるのかも知れんがBigブランドではない)
ITの巨人が電子回路の応用製品として発売したのだろう。

35mm一眼レフの頃はミラーはねあげ装置、シャッター幕などに特許があったが、
後発メーカーは、日本製品を分解して研究したのだろうが
デジタル機構になって、回路、構造などの特許はどうなっているのだろうか?

「NX10」という韓国初のデジタル一眼だが、外観は日本製と変わらない。
交換レンズは、パンケーキスタイルの「SAMSUNG LENS 30mm F2」、
標準ズームレンズ「SAMSUNG ZOOM LENS 18-55mm F3.5-5.6 OIS」、
望遠ズームレンズ「SAMSUNG ZOOM LENS 50-200mm F4-5.6 ED OIS」の3本。
これも、パナソニックがデジタル一眼に参入したときと変わらない。

欧米、韓国で3月発売というアナウンスだったが、韓国で先行販売。
初の国産デジタル一眼ということで人気があり、予約状態ということだ。
日本での発売は未定というが、
国内で興味を示すのは在日くらいでは…

価格は18-55mm F3.5-5.6 OIS付きのセットが89万9,000ウォン、
30mm F2付きのセットが99万9,000ウォン。円換算すると?

ボディの下のほうに14.6MEGA Pixcelと印刷してある。
日本ではコンパクトタイプでは見かけるが、
デジタル一眼ではこのような表示はしない。
これが韓国感覚なのだろうか?

●有楽町西武
年内閉店が決定したという。
百貨店業界はどこも厳しい経営を強いられている。
西武の撤退はそんなに驚くべきことではないだろう。

映画館、百貨店が入ったマリオンが忽然と姿を見せたときは
日劇・朝日新聞の姿を知っているだけにびっくりしたものだ。
この2つのビルは戦前から有楽町の名物で、
昭和40年当時、うす汚れた数寄屋橋界隈でも高い建物で周囲を睥睨していた。

ウエスタン・カーニバルで知られた日劇には、
大人の殿堂・日劇ミュージック・ホールがあり
こちらは有楽町駅側に出入口があった。
ヌード劇場なので昼間からその門をくぐるのは勇気が要ったろう。
だが、日劇側からそちらに行くこともできた。

小説家深沢七郎はギタリストでもあり
舞台の裏で書いた小説が中央公論新人賞を受賞した。
日劇MHは有名な劇作家・丸尾長顕が仕切っていたので、
洗練された雰囲気があり文化人にも愛された。

サントリーは寿屋で宣伝部には山口瞳、開高 健などの文人が籍を置き、
開高 健が編集長だったPR誌「洋酒天国」は「ヨ〜テン」と呼ばれ左党に人気があった。
酒といえば女…
だから見開きカラーページに日劇MHのおねえさんたちが
職業的な姿で、つまりヌードで登場した。
当時、裸体に対する当局の検閲は厳しく
PR誌のヌードページに人気があったも当然だ。
記憶があるのは小浜奈々子。かたちのよい乳房だった。
存在感ある女優となった春川ますみ、東北弁で売ったあき竹城もダンサーだった。

灰色のくすんだ建物の朝日新聞社。
コピーライター駆け出しの頃、
友人のデザイナーと朝日広告賞に応募した。
締め切りぎりぎりに作品を搬入したあと、周辺で飲むのが楽しみだった。
初めての応募がラッキーにも入賞し、
フリーへの気持ちを一歩進めることになった。



そんなこんなの思い出がある有楽町界隈だが、
西武撤退後、何が進出するのか?
あれだけのフロアをうめられるのは家電量販か?
有楽町そごうにビックカメラ進出。
コジマかヤマダが狙いをつけているかもしれない。

池袋など都内の繁華街で群馬と栃木の戦いが繰り広げられているけど、
有楽町、銀座で同じようなことが行われたら、
あまり面白くない街になってしまう。

1月27日(水曜日)

●深夜放送
早起きしなければならない。
で、早めに床に入った。
イヤホンで放送を聴きながら眠りにつくのが習慣になっている。
小型ラジオは全テレビ局が聴ける。

NHKラジオ藤沢周平原作・松平定友語り「橋物語」の次が
あまり興味なかったので1chに変えた。
「プロフェッショナル」の再放送をやっていた。
売り上げを申告せず税務署から指摘を受けたら
開き直っていた茂木なにがしという脳科学者が司会をしていた。

お客様はアメリカの病院で難病の外科手術で絶大な信用を得ている日本人医師だった。
テレビ番組は見ていなかった。

アメリカの病院に就職したのはいいが言葉の壁にぶつかり解雇寸前だったという。
生き残るには「人のいやがる仕事をしろ」という恩師の言葉を思い出し、チャレンジする。
コミュニケーションには難があったが、
その仕事ぶりに看護婦さんたちが味方になってくれた、という。

次第にアメリカ人医師が見放した困難な手術を担当することになる。
その腕の確かさに、難病をかかえた患者が遠方からやってくる。
そして、病院にはなくてはならない医師となった。

女性患者は、すい臓、肝臓などに悪性疾患があり、細くて弱い血管が臓器に入り込み
オペは高度な技術を要する、のだそうだ。

ときたま器具のぶつかる音がする。
番組は術中の映像を映しているのだろう。
そういうシーンは直視できないので音声だけでよかった。

手術は、ぬわんと31時間にも及んだ。
医師にとっても最長記録だった。
途中20分程度食事のため2回患者から離れただけだった。
助手は交代するがオペは彼1人で執刀したのだそうだ。
患者は合併症を起こさず回復に向かっているという。

手術が始まる前、レントゲン写真を見ながら手順を考え、
万が一の場合は、どう回避するかなどなど
さまざまな場面を想定しイメージ・トレーニングを行うのだそうだ。

と言っても31時間の神経集中はタフでなければできない。
気力、体力、技術が伴わなければメスを握れない。

改めて外科医師の凄さを思う。

おかげで眠るタイミングを逃し、今朝は睡眠不足。

1月26日(火曜日)

●追加支援
先に支援金532万ドル(4億8000万円)と医療チーム派遣を決めた日本だったが、
復興支援と併せて、総額7000万ドル(約63億円)を拠出することになったそうだ。
そして、イラク復興に活躍したように
自衛隊がインフラ整備でハイチに出動することになった。

列島が地震国だけでなく豊富な海外支援経験がある日本にしては、
ハイチへの取り組みが後手に回っている。
支援する内容はわかりきっているはずである。
インドネシアの場合、レンガ積みの家屋、
四川大地震では鉄筋と言えど鉄骨が細かったり数が足りなかった、
ハイチはブロック積みの家屋が多いようだった。
調査チームなど派遣しなくても現地からの大使館情報で把握できただろう。

海外派遣のレスキューチームを常に配備し、第一報と同時に飛び出さなくては
国際貢献に遅れをとることなど自明のはずだが、
そんな簡単なことさえできない。
お役所仕事だから初動が他国に遅れをとった。

支援金額が上積みされても、
他国との兼ね合いを見て決まったようなものだ。
日本はどうしてこんな鈍感な国家に成り下がってしまったのかね。

1月25日(月曜日)

●決断
中華にするか和食にするかという個人の瑣末な決断から
沖縄の米軍飛行基地をどこにするか、
という日米間の信頼にも関わる重要な決断まで
ま〜〜日常的に決断しなくてはいけないことが多い。

中華を食べたいという意見が大勢を占める中
和食を決断して、周囲から総スカンを食らっても
中華素材の不当表示が報ぜられ、
食べなくてよかった、などということもある。
(その逆もあるのだが、結局、それが決断だ)

ポッポちゃんの家系はおじいちゃんの時代から「友愛」に
凝り固まっているから、どっちにもいい顔しなければならない。

だからポッポ家では、各人好きなものを食っているのかも知れない。
金持ちならそれでもいいが、安い食材を求めてスーパーを駆け巡る
フツ〜〜の家庭ではそんなわけにはゆかない。
主婦の絶対的な決断で物事は進んでいる。

沖縄・名護市長選で、基地移転反対派の稲嶺氏が
受入派の現職島袋氏を破って当選した。
ポッポちゃんは困ったことになった。
5月までには決着をつけるとしていたのだが、
移転先が消えてしまったからだ。

沖縄住民の意見を聞き、オバマ大統領には「トラスト・ミー」とささやき、
閣内の連中の意見を聞き…など複雑な行為を行っているうちに
完全に方向を見失ってしまった。

「友愛」などというものは「画餅」で、理想論に過ぎない。
政治家は現実を見据え判断を行わなくてはなりませぬ。
もっとも、おかあたまのお金でここまで上り詰めた人だけに、
手を汚すことなど考えられないのかもしれない。
金に執着する幹事長と好対照だが、どっちもどっちつ〜印象だ。

ときに「決断」という行為は悪者にならなくてはいかんときもある。
それがいやなら、「御前会議」を開催し聖断を仰ぐ。
それでは恐れ多いということであれば、
「最高責任者会議」を組織し総意で決める。
さすれば、責任をポッポちゃんだけに押し付けられることもない。
であれば、彼を首相の座に置いておく必要もない。

●ブーム再来
NHK大河ドラマの影響だろうが、「竜馬」が熱い。
書店を覗くと、単行本、文庫本を集めて目立つところに平積みしてある。
過去、司馬遼太郎「竜馬が行く」で経営人はじめ多くの人の心を捕らえた
維新のヒーローの再来だ。

ところが、佐幕側からすると体制崩壊をたくらむ超危険人物になる。
一時期、幕府と蜜月状態だった薩摩藩を長州藩に結びつけたにっくき奴というわけだ。
竜馬が暗殺される前、あやうく命を落しそうになったことがある。

竜馬の愛人、お竜は寺田屋の養女となっていた。
薩摩と長州の仲介の労をとった竜馬は
寺田屋で長州藩士・三吉(みよし)慎蔵と酒を飲んでいた。
いわゆる寺田屋事件。

京都奉行所は竜馬京都潜入の報を受け以前から動静を探っていた。
寺田屋に潜伏中、との情報で
伏見奉行の指揮で100人近い捕り手が包囲する。
たまたま、風呂に入っていたお竜が包囲網に気づき竜馬に知らせる。
このとき、全裸で飛び出した、という話もあるようだが、
実際は着物を羽織って2階に駆け上がった。

竜馬のピストルが火を吹き、捕り手が即死。
緒戦で捕り手たちは臆してしまった。
防戦しつつ脱出するが、竜馬は左手に傷を負う。
その後、薩摩藩差し回しの舟で薩摩藩邸にかくまわれる。

歴史にifは禁物だが、
京都見廻組、新選組だったら竜馬は殺害されていたろう。

その後、傷を癒すため竜馬とお竜は鹿児島・霧島温泉に旅立つが、
これが、日本における新婚旅行の初め、とされているけど。

幕末の志士たちは、体を張って徳川体制派と闘っているので、
瞬時のやすらぎを、酒と女に求めた。
当然、便乗して遊びまわっていた者も多い。

長州藩は裏で藩が資金提供しているので金回りがいい。
天下国家成就のためには羽目を外しても
大目に見られるというという風潮もあり
桂小五郎、高杉晋作等は仕事もしたが莫大な金で廓遊びをしていた。
政治工作資金を放蕩三昧に流用したようなものだ。
現代の政治家はうらやましいだろうね。

竜馬とお竜カップルの美談とは裏腹に、
竜馬も男だから、女性遍歴もお盛ん。
同志平井収二郎の妹かほ、鴻池善右衛門の妾お徳、長崎の料亭の芸妓お元…

NHK「竜馬伝」では、竜馬が江戸に遊学した際、
千葉定吉の道場に通うが、道場主の娘、千葉さな子と婚約、結婚したとも言われている。
さな子は竜馬暗殺後、彼を思い続け終生独身を通している。
※このあたりのことは、2〜3年前のNHK大河ドラマ「新選組っ!」にもあった。

ウィキによると…
維新後は学習院女子部に舎監として奉職した後、
千住にて家伝の針灸を生業としてすごした。
死後、身寄りがなく無縁仏になるところ、
山梨県の民権運動家として知られる小田切謙明が哀れみ、
小田切家の墓地のある山梨県甲府市朝日5丁目の
日蓮宗妙清山清運寺に納骨されたという。
墓石には『坂本龍馬室』と彫られている。

龍馬の妻となったお竜は千葉佐那に悪意に満ちた気持ちを抱いていた。
龍馬と佐那との深い関係に嫉妬したものと思われる。
お竜は、竜馬死後、一時期土佐の竜馬の実家に入るが、
そこを飛び出し、横浜の茶屋の仲居、さらに横須賀に流れ再婚し生涯を閉じる。

時代の風雲児も彼を慕った女性には罪なことをしたもんだ。

1月24日(日曜日)

●団体行動
証拠押収のため検察の一団が2列でビルに入ってゆく。
また別のグループは押収書類を入れるため、
折りたたんだ段ボールを運び込む。
テレビのニュースなどでおなじみの場面だ。

ラジオで検察トリビアをやっていた。
彼等が2列縦隊をとるのはテレビカメラを意識しての行動だというのだ。

マスコミにちょろちょろ動かれ、
相手側に証拠隠滅されては困るので
検察は捜査に入る日時を事前にマスコミに伝え、
それまで報道しないよう動きを封じるという。
この「紳士協定」の見返りに、
カメラに収まりやすいよう整然と踏み込む、という。

彼等は検察事務官で検察官ではない。
ちなみに引越し用より小型の段ボールは1つ200円程度という。

昨年だったが、この検察事務官の一団の中に目立つ男性が1人いた。
少し面長だが四角張った顔で、髪型は油で光ったリーゼント風。
着ているコートはらくだ色の厚手のロングコート。
つまり、日活映画華やかなりし頃のファッションだった。
国家公務員にもおしゃれな奴がいるもんだ、と。

「検察」が戦後の組織つ〜のも意外だった。
発端は、戦前の軍需物資を横流して不正蓄財をした連中がかなり存在した。
その中には政治家もおり、彼等を取り締まるために発足したという。
警察は国民の生命、財産を守り、
検察は企業、政治家の巨悪に目を光らせるつ〜棲み分けだが、
検察は警察に対し捜査を命じることができる、
裁判所への書類作成は検察が行うなど、
警察より権限、職分は上位にある。

検察事務官と異なり検察官は司法試験合格者という狭き門で、
法律を駆使して巨大犯罪に立ち向かうエリートなんだってさ。

弁護士は、同じ司法試験に合格していても
反社会組織の顧問弁護士におさまる輩もおり、
人間的資質は玉石混交だ。
そういう連中は、金の誘惑に弱いのだろう

1月23日(土曜日)

●一郎君の言い訳
検察の4時間半という事情聴取を終えた一郎君が記者会見を行った。
手回しよく取材陣に「言い訳内容書」が配布されていた。
金の出どころ説明だが、
文書後半の帳簿への記載等は、
秘書がやったことなので「私は知りません」の文言が並ぶ。
不正はありませんよ、という自己弁護に始終する内容。

面白かったのは、リーマンブラザース破綻後、銀行預金を引き下ろし
4億と言う大金を「たんす預金」にしていたこと。
一郎君宅には膨大な札束が眠っていたのだ。
為政者が銀行を信用できないという庶民と同じ感覚だった。
国の経済をなんとかしなくてはいけない立場の男にしてはセコい限り。

小泉前首相は、どこぞの集会で、
「政治資金を自分の土地購入に当てた政治家は前代未聞!」と久々に吼えた。

一郎君に渡ったとされる建設会社の1億円はどこに消えたのか?
これで検察が「はいそうですか」と引き下がるわけがないよね。

●ハイチ支援
大地震発生後10日経過して奇跡的に助けられた人たちがいる。
1人はイスラエルの救助チームによる。

赤坂国連事務次官が
(日本は)「震災国として少なすぎる。もっと増額を」と訴えた。

沈み行く経済大国日本は支援金532万ドル(4億8000万円)と
医療チーム派遣を決めた。

国際社会からの援助額は約5億ドル(約450億円)。
各国の占める割合は(先進国諸国の低いほうでは)
フランス6.1%、イタリア1.7%。
日本はさらに低い1.1%ということだ。

ハイチと日本は人的交流、貿易ともにつながりは薄い。
2007年度ハイチからの輸入は45億円、日本からの輸出は1億円。
政情は不安定、失業率は高い。貧しい国だ。
しかもカリブ海の小国家。
日本経済にとってあまり魅力的がない。
というわけでもないだろうが、
インドネシア地震に対する姿勢に比べ余りにもけち臭い。
しかも、調査団を派遣した後、医療チームを派遣するという
人命救助より「形式」を優先させた。

こんなことをやっているから
国際社会から白い目で見られるようになる。

鳩山首相の答弁はぶれているが、
国際対応はずれている。

●友チョコ
2月14日はバレンタインデー。
日曜日と重なるため、企業内で配られる「義理チョコ」需要は落ち込むという。
それに代わり「友チョコ」つ〜のが新しい潮流だとか。
親しい女性同士がチョコを贈るというのだ。
以前は、女性から愛の告白だったが、
今、女性の友情の確認、というわけか。

もともと、バレンタイン・デーは製菓会社の販売促進策として生まれた。
チョコレートが珍しかった頃は
それで需要喚起できたのかも知れないが、
もう当たり前の商品だ。
それに、女から男へ愛の告白なんつ〜のはいまどき流行らない。
肉食系女子が男をかっさらっていく時代なのだ。

女同士が顔つき合わせ、もつ鍋をつっつき
あるいは、ガード下の一杯飲み屋で
ビールをプファ〜〜ッと飲りながら、
通り過ぎる男を品定めする。

ひと昔のサラリーマンの所作だね。
可憐で恥じらいのあった頃が懐かしい。

1月22日(金曜日)

●足利事件
冤罪で17年半刑務所につながれていた菅家利和さんだが、
その後の科学鑑識の進歩で無罪となった。
で、今、当時の検察が取調べをしているテープが
再審第5回公判で提出され、生々しい状況が法定内で再生された。

テレビでは菅谷さんが検察官の手を変え品を変え執拗な質問に
「落ちる」瞬間を、再現フィルムで伝える。
新聞はテープの内容を文章化して伝える。

テレビは、殺害された女児の衣服に付着した「体液」が菅谷さんのものと一致…
以前、書いたことがあるが「体液」と言っても幅が広い。
ところが、新聞でははっきり「精液」と書いていた。
テレビ番組は茶の間に直接飛び込むものだから、
未成年を考慮してか昔から婉曲な表現を使っている。
だから、殺害した女児に「唾」をかけたとも考えられる。
だが、「精液」となると、犯人が女児を強姦し殺害したとも想像できる。
卑劣でおぞましい事件である。

事件現場の詳細状況は報道されていないので、
大衆は隔靴掻痒気味に事件を推理するだけだ。

当時のDNA鑑定技術は現在のそれと比べると発展途上で、
必ずしも「絶対」とは言えない代物だった。

それを元に警察はホシを絞り込み、
当時、送迎バスの運転手だった菅谷さんにたどり着いた。

菅谷さん自身、「自分は気が弱い」と言っているが、
そういう性格だったため、検察の執拗な尋問に「落ちてしまった」と反省している。

彼を支援するグループはあるが、
当時の彼を知る職場の同僚、あるいは子供時代を知る同級生などの証言はない。
彼は、本当に気の弱い性格だったのか?
大人の女より子供に興味を示していたのか?

DNAが菅谷さん以外の人物のものとしたら、
真犯人はどこに潜んでいるのか?
それが明確にならない限り、
菅谷さんは、無罪といえども座り心地の悪い椅子に座っているようなものだ。

法廷に姿を現した、当時の検事に対し、
菅谷さんは謝罪を要求したが、彼は菅谷さんの期待通りにはならなかった。
それはそ〜だろう。
無実の人を犯人に仕立てるために尋問をしていたわけではないのだから。
最新技術を駆使たDNAという証拠を信じて追い詰めたわけだから。

だが、DNA鑑定を作り上げた科学者は、
その不完全性を認識していたとしたら、話は別だ。
警察はもっと広い範囲から容疑者を捜さなくてはならなかった。

事件を真面目にウォッチングしているわけではないので、
なんとも言えないが、
今回の尋問テープは、今までどこに眠っていたのだろう?
なぜ、今頃になって白昼に晒されたのか?

事件毎にテープはとられているのだろうか?
テープをさらに進めたのがビデオで尋問の様子を残す「可視化」だ。

小沢幹事長の政治資金問題で逮捕された秘書に対し、
「可視化」問題が急速浮上。
以前、逮捕され検察に痛い目にあっている鈴木宗雄議員などは「可視化」の急先鋒で、
民主党の勉強会に経験者として講師役などをやっている。
逮捕された理由などそっちのけで、被害者意識をあおる。
政治家は厚顔無恥でなきゃやってられないね。

戦前の特高のように拷問にかけるわけではない。
尋問の手の内を白日に晒したくはないだろう。
容疑者の性格を見極め、脅し、すかし、持ち上げ、情に訴え…
心理戦で尋問に臨むのだろうから。
このテクニックは、あまり知られたくない。
閲覧できるのは弁護士なのろう。
敵に塩を送るようなものではないか?
もっとも、検事から弁護士に転身する輩もいる業界だから、
つ〜か〜なのかも知れないけど。

とはいえ、「手口」いや尋問の「技術」を晒すのは
政党機密費をすべて記帳しろ、ということにも通じる。

1月21日(木曜日)

●不毛地帯12回
岸部一徳副社長の「男の嫉妬」演技を先週に続き堪能。
さらに、病に倒れても尚、出社するという
昭和45年頃の猛烈ショーシャ・マンの姿をリアルに再現。
実際の彼は、その頃グループ・サウンズ「タイガース」でベースを担当していた。

ニューヨーク暮らしをする壱岐のメイドが吉行和子。
亡くなった妻を思い、やもめでいるのを好ましく思いかいがいしくお世話している。
あるとき、女性の痕跡を見つけ、普通の男だったのか、と態度が変わる。
会話に皮肉を込めた言葉が出てくるが壱岐はそれに気が付かない。
仕事に打ち込む壱岐だが、ロマンスの花が咲きつつある。
相手は大戦時の上官の娘、小雪。

壱岐が京都に電話したとき男が出た。
そのことを密会したホテルで小雪になじる。
壱岐の小さな嫉妬に
「夫婦でもないのに」と小雪は反論する。
待たされ続ける女は
自分の口から発せられた思いもよらない言葉にはっとするが、
無言で互いに謝り、結局抱かれてしまうのだ。

車ビジネスで近畿商事と東京商事が相変わらず熾烈な競争を繰り広げるが
石油ビジネスのときと同じように、
大物政治家が登場する。
目白あたりで鯉を飼っていたお方だが、
ドラマでは孔雀を放し飼いしていた。

●緊急支援
ハイチの大地震に迅速に対応したのが米国と中国だった。

アメリカは地震に限らず大災害、暴動など世界の異変に対し熱心に出動、派兵する。
そこには「正義感」を感じるのだが、
中国の場合「そろばん勘定」が見え隠れする。

日本はどうか。
まったくかったるい、のひとことだ。
調査チームを派遣し、そのあとチーム派遣という2段階だった。
地理的に離れた国に対しそんな悠長なことをやっている場合ではないだろう。

で、日本が派遣したのは医療チームだった。
自衛隊が中東紛争で行ったのと同じ「後方支援」だ。

日本は地震国だし、国内の大地震、インドネシア、中国の大地震にも
救助チームが活躍した。
優秀な人材と、救助犬、救助ロボットなど技術的にも米国にひけをとらないだろう。

「備えよ常に」は軍備だけではない。
国際大災害に即応できるチームを常備し、「救援」に出動。
間髪を入れず医療隊が駆けつけるつ〜のが「仁義」だろう。

だのに、「調査チーム」派遣などと悠長なことをやった。
国際感覚の欠如した連中にはあきれかえるばかり。
とにかく、おっとりがたな、で出動しろ!

アメリカは病院船も派遣した。
地理的に近いこともあるが、その熱意はハイチ国民に届くだろう。

日本は航空自衛隊が「参戦」じゃなかった、出動したというが、
今頃何をしに行くかのね。
一報入電後、迅速に救援・医療チームを輸送するのなら理解できるが。

景気回復を第一に考えなくてはいかんのに、
ご機嫌とりの金をばらまいたり、
沖縄基地問題に目鼻をつけなくてはいけないのに、
いたずらに時間稼ぎをしたり
驕った首脳陣の放漫経営の結果のJALに税金を投入したり

焦点のボケたことばっかりやっている連中だから、
このような結果になるのも、むべなるかな。

いまも、国会ではむなしいやりとりが続いている。
鳩山も谷垣も「お坊ちゃん」イメージだもんな〜。
バカ殿には優秀な家臣がいるものだが。

1月20日(水曜日)

●無粋
「珍妃の井戸」「地下鉄に乗って」を読み終わり、
浅田次郎ワールドに傾きかかったのだが、
JAL機内マガジンに、とんでもエッセイを書いていた模様。

函館朝市のカニを電話通販で取り寄せたのだが、
期待したのとはおお外れの貧弱な商品が送られてきた、のだそうだよ。
それにムクれた氏は、
「個人情報の流出による宅配詐欺にひっかかった」
といったような一文をものした。

通販に限らず、商売は信用が第一。
あわてた業者は情報漏洩の有無を調べたところ、
その事実はなかったことが判明。

相手は影響力ある小説家でもあることだし、
「真っ赤な嘘」のエッセイを告発することもしなかったが、
その情報が新聞社に「漏れた」。
で、夕刊紙面を飾ってしまった。

浅田氏は「脚色を加えた」と釈明し、
店側は「今後ともご贔屓のほどを」ということになった。

(たぶん)タラバがにの太い脚を食べたかったんだろうな。
それが脚の短い花咲ガニが送られたので気分を害してしまった(のかも)。

粋な着流しが似合いそうなお方なのに、
食い意地が張ったセコくて無粋なおっさんに成り下がってしまった。
印税しこたま、のはずなのに〜。

1月19日(火曜日)

●急転直下
一時期、芸能人薬物報道で忙しかったテレビだったが、
同じような賑やかさで、小沢政治資金の追求を行っている。
幹事長の移動を数台のバイクが追ったが、
これは酒井法子のときと全く同じ。
芸能も政治も同じニュースバリューなのだ。

その小沢氏だが、検察と全面対決を表明したその舌の根も乾かないうちに
「応じる」と豹変した。
目先しか見えない、あわて者の民主党議員たちは
「対決」と聞いて、支援グループを結成したが、
まったく、将軍の茶坊主のようで見苦しい。

金の出所を巡って、ゼネコンの下請け2社が急速浮上した。
小沢氏は、強気、平静を装っているが
このままではまずい、と判断したのかどうか…



風雲告げる幕末。
攘夷をかかげる長州を最大勢力とするテロ集団が跋扈した京都で、
治安を担当したのが会津藩だった。
藩主・松平容保自ら乗り込み京都守護職となった。

写真が残されているが白面の貴公子。
高貴な顔立ちの殿様だった。
しかし、見るからに線が細そう。
事実、相次ぐ激務で身体を壊すのだが。
武力闘争を好まず「話せばわかる」という信念の持ち主だった。
外交能力ある家臣団と武闘派・新選組のお陰で京都の治安は保たれていた。

しかし、徳川慶喜を始め在京の幕閣は
難問が発生するとさっさと雲隠れしてしまう。
権力はあるが腰の座らない連中を相手に心労、苦労を重ねる。



「京都守護職」会津藩の光と陰---
という本を読んでいる。
半藤一利氏の「幕末史」同様、敗者側から見た顛末記だ。
著者は星亮一氏。
「偽りの明治維新」会津戊辰戦争の真実--という著書もある。
仙台市に生まれ東北大を卒業、福島民報、福島中央テレビ勤務後文筆の世界に。
だから、当然明治維新を、薩長側からでなく、幕府と幕府に殉じた側から描く。

明治革命を成功させたのは、薩摩、長州勢力だから
歴史は彼等の視点で作成され、
昭和、平成に至るまで勝者の歴史を学んでいる。
勝海舟は先を見る目があったから幕臣でありながら、維新後も生きながらえた。
徳川宗家・15代慶喜はさっさと大政奉還し、大正時代まで生き延びた。
親藩の会津の武士たちは、徳川幕府に殉じた。
一途に生きた武士の「義」を感じる。
維新後、特に長州出身の為政者の会津に対する報復は厳しく、
青森の寒冷荒地に追いやられ、
食い詰めてハワイ移民団に加わった人たちも多い。



読み進めるうちに、鳩山首相はなんとなく会津の殿様に似ているな、と。
毛並みはいいが線が細く
理想を求めるが小沢一郎のような曲者が多く
彼等の外圧激しく挫折感を何度も味わう。
幸いしたのは彼に絶対忠誠を尽くす、頭の切れる若手が大勢いたことだ。
最後は慶喜に裏切られ会津で官軍と戦い降伏。
死は免れ日光東照宮の宮司となる。
徳川家の忠誠心はここに結晶。
明治26年(1893年)12月5日に東京・目黒の自宅にて肺炎のため死亡する。享年59。
鳩山氏には、そういう人材の不在が不幸。
ママの資金援助で今の地位を得た人だけのことはある。



薩摩、土佐は武士といえども上下階級が厳しく、
明治革命の推進力となったのは下級武士たちだった。
彼等の身分差別への不平不満のエネルギーが、
新しい日本創造の原動力となった。

NHK大河ドラマ「竜馬伝」でも、
竜馬を含めた若い下士から慕われている武市半平太も、
やがて「土佐勤王党」を結成し、攘夷テロを指揮する。
竜馬はテロ集団に加わることなく幕臣勝海舟の薫陶を受ける。
人斬り岡田以三はテロに走るが、一時期、勝海舟のボディガードを勤める。

ちなみに、勝海舟の「海舟」の名付け親は佐久間象山。

1月18日(月曜日)

●ものは言いよう
鳩山由紀夫氏の「宇宙人的」発言が面白い。
だが、首相の発言となると国民をいらつかせる。

小沢幹事長の土地取得を巡る資金問題で、
小沢氏は検察と徹底的に闘う、と。
この発言に対し、「どうぞ闘って下さい」と…
脛に同じようなキズを持つ身として
エールを送ったのか、突き放したのか。
首相としては物議をかもす反応をした。

内閣支持率が急落したことについて
普通なら「この数字を真摯に受け止め…」などと言うのだが
「大変厳しいが、国民のみなさんがしっかりやれという、激励の数字だ」と
都合のいい反応をした。
では、さらに叱咤するために、もっと下落させなくては、と国民は思うよ。

杜撰な政策、金でトップの2人がみそをつけた民主党に
国民がだめ出しをしたことがわかっていない。
日頃、国民の目線に立って、と言っているが
口先だけということが、この2つの反応でよくわかる。

人間と感覚が違う宇宙人が日本の舵取りをしているのだから、
行く先は、銀河系の彼方。

●竜馬伝
今年のNHK大河ドラマ。
昨日が3回目だったが、今のところ全部見ている。
ハンサム・福山竜馬ということもあってか、視聴率は良好のようだ。

維新の志士たちが多く語られるなか、
新政府の政商としてのしあがる実業人としての岩崎弥太郎は
竜馬と同郷ながら幕末の青春群像に登場することが少ない。
その、岩崎弥太郎の目を通して竜馬伝は展開される。

美形・福山竜馬に対し、香川照之演じる弥太郎は
刀をさしてはいるがボロをまとい歯も汚れの極貧。
頭の良さを自負し目だけがぎょろついている。
己の出自を呪い裕福な竜馬へ憎しみのまなざしを送る…
この対比からして福山・竜馬株は、
値が付かない日航株を尻目に上昇中だ。

香川照之はNHK「坂の上の雲」で正岡子規を演じているが、
病床の自分には叶わない親友・秋山真之の海外雄飛を自分のことのように喜び
また変わらぬ友情に感謝する。
正岡の秋山に対する信頼のまなざし…

香川の目の演技は確かだ。

「竜馬が行く」で一躍国民的ヒーローになった坂本竜馬だが、
「坂の上…」ともに司馬遼太郎の小説だ。
司馬の頭脳により幕末〜明治の多くの人物が、
新たな生命を吹き込まれ現代に蘇っている。

いわゆる「司馬史観」がほんとにほんとに正しいのか?
主人公を美化しすぎていないか、と思うのが齢のなせる業。

竜馬の小さな失敗談はエピソードとして面白いが、
活躍した幕府崩壊前夜、竜馬の果たした役割は、実際、巷間伝わる通りなのか?
で、調べてみた



15代将軍徳川慶喜が大政奉還するきっかけとなった「船中八策」だが、
構想を練り起草したのが竜馬、ということになっている。
これを、長崎から京都に向かう船中で後藤象二郎に見せ、後藤が
前土佐藩主・山内豊信に示し、山内が手を加えて上奏した、という。

が、この構想は、もともと横井小楠の「国是七條」と、大久保一翁の原案をもとに
竜馬が作ったもので、彼の独創ではない、という。

竜馬最大の功績とされる「薩長連合」の成立にしても、
最初に言ったのは福岡藩・月形洗蔵で、竜馬は途中から引き継いだだけ、という。

竜馬が暗殺されたとき、会談中の中岡慎太郎も殺害されたが、
志士としての評価は中岡のほうが上である。

近江屋で殺害されたのは天の配材で、
竜馬が維新政府の傑物になれたかどうか…
また、亀山社中を以って海運業に転身しても、
政商・岩崎弥太郎に先を越されてしまい成功が危ぶまれたかも。

つまり、勝海舟等、要人の後ろ盾でアンダーグラウンドなフィクサーとして活躍。
将来を惜しまれながら死んだところに、
竜馬伝説が生まれる余地があった、ともいえる。

多くの経営者は尊敬する人物に坂本竜馬を挙げる。
その根拠は「先見性」。
まったく司馬遼太郎のおかげをもって、の快挙だが、
竜馬に虚実あり。

1月17日(日曜日)

●権力闘争
小沢幹事長の検察に対する態度は、まるで「我が闘争」だ。
大昔、社会科で習った三権分立の、
行政と司法が互いの面子を賭けているようにみえる。

政治家たちは利権を求めて彼等に流れる「金」を巡り、
「政治資金規正法」を制定したが、自縄自縛に陥っている。
きれいごとを言っても、はるか昔から為政者と「賄賂」はつきものだ。
「清廉潔白」は多くの政治家の辞書から欠落している。
仮に「志」をもって政治家になった若手も、長いうちに毒されてゆく。

明日から通常国会。
そこまで逃げ込めば検察は小沢氏には手出しができなくなる。
ベストを尽くしたが逃げられた、と検察は釈明できるだろう。
だが、国会は政治家の金にまつわる暗部は徹底的に解明してゆくべきだろう。
だが、こんなことに始終しては国家運営がおろそかになるのだが。

首相の鳩山氏は「闘ってほしい」と小沢幹事長にエールを送る。
自身もママから贈られた膨大なお金でミソをつけた直後だし、
彼の場合は、特定企業の便宜を図るという性質の金ではなかったが、
民主党運営で自分の地位を買うという、自己利益誘導に使われた。

存在感の薄い首相だが、
お互いのキズを舐めあうようで薄気味悪い。



小沢氏の秘書に関する記事が新聞に載る。
小沢絶対君主に仕える身の厳しさを伝えていた。
親分が「白」と言えば、善悪如何に問わず「白」となる。
そして、信頼を得た(小沢の言いなりになる)秘書が、金の扱いをまかされる。

従って、帳簿への記載漏れなど秘書の自己判断で行うことなどできないだろう。
いくら、親分をかばっても、切られるときは容赦ない。
だから、自己保身のために真相を喋らざるを得ない。

小沢自身もかつて恩義ある田中角栄から金丸信に鞍替えしたのだから、
「仁義なき戦い」は、その筋だけでなく政治家にも当てはまる。

1月16日(土曜日)

●続々逮捕
小沢幹事長の元秘書に続き公設秘書、私設秘書が芋づる式に逮捕された。
この大事件にも親分はだんまりを決め込み、
謝罪のようなコメントを出すが、肝心なことには一切触れない。
民主党の多くの幹部たちも腫れ物に触るように
さしさわりのない発言に始終している。
全く奇妙な光景だ。

新聞見出しには、「こんなことでやめられぬ」と幹事長職に固執している。
秘書の大量逮捕が、「こんなこと」なのだから恐れ入る。
田中、金丸の薫陶を受けただけに、金には汚く、手ごわそう。
弁護士の息子なのだが、どんな背中を見て育ったのかね。

選挙区が米どころなのに
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が抜け落ちている。
権力が集中した結果、自分は「King」と錯覚しているのかも知れん。

民主党の大量議席獲得が小沢氏の手腕の結果ということもあり、
ご意見番皆無つ〜もの彼を増長させている。
長老の渡辺氏もマイクに向かって軽く批判する程度で、
本人に直接苦言を呈すというところまでは行っていない。

●元秘書逮捕
民主党小沢幹事長の元秘書にして帳簿を取り仕切っていた
石川議員が逮捕された。
検察の調べに、不透明な金について違法性を認識していた、と喋った。

やっぱりね。
公設秘書といっても親分と精神的につながっていたわけではない。
小沢氏は彼の出世の階段に過ぎなかった。
親分は、ぺらぺら喋る元秘書をにがにがしく思っているだろう。
なんせ、飼い犬に手をかまれた、のだから。
若い頃とまるで状況が違っていることを、
小沢氏自身が認識していなかった。
今回の事件で、秘書任せでなく金庫番は家族に限る、と思った議員も大勢いるだろう。

●浅田次郎
「新選組」には前から興味があっていろいろな本を読んでいるけど、
「吉村貫一郎」という隊士の存在は、
映画「壬生義士伝」を見るまで知らなかった。
虚構の人物かと思ったら実在したという。
原作者は浅田次郎で、映画は中井貴一が演じていた。

剣の腕は抜群なのだが、他の隊士とはちょっと違っていた。
多くの隊士は、とりあえず「佐幕」を標榜していたが
彼は、生活のために新選組に入隊していた。

国に残した家族への愛、男の友情などがひしひしと伝わってきた。
結局、小説は読まなかったが、浅田次郎という小説家の名前は鮮明に残った。

その後、「昭和侠盗伝」というピカレスク小説を読んだ。
職人気質の盗賊の話しで痛快、しみじみとさせられた。
それから「珍妃の井戸」つ〜清朝末期の物語、
「地下鉄に乗って」と続くわけだが、
多彩な浅田ワールドに魅せられている。

「地下鉄に乗って」では、月島と築地が乗合船で結ばれていた
昭和初年の頃の描写があったが、
これは、出久根達郎の「佃島ふたり書房」の世界と合致する。
「地下鉄に乗って」の主人公の父親が子どもの頃住んでいたのが月島で
渡船の描写がでてくる。
たぶん同時代だろう。

「地下鉄に乗って」はタイムスリップものだが、
半村良の「お米・平吉 時穴の道行」が現代と江戸を結ぶタイムスリップものだった。
異次元に向かう場所が銀座2丁目「クインビー」の地下というのが
これまた面白かった。
「クインビー」は昭和40年当時健在だったキャバレーで、
今は「メルサ」になっている。
その隣のビルが、私が社会人のスタートを切った広告代理店だったので、
なおさら興味深く読んだことを憶えている。

半村良は浅田次郎と同じく多彩な題材を扱った小説家だった。
さしずめ浅田次郎は平成の半村良といえるかもしれない。

最近、江戸下町が舞台の人情物が流行っているようだが、
幕末から明治、明治から大正、敗戦直後など
国の価値観が変化する時代を舞台にした小説に惹かれている。

●地下鉄に乗って
昨日は御徒町まで出かけた。
北千住からステンレスの日比谷線に乗って…

「珍妃の井戸」を読み終わりつつあるとき、
上野駅地下の明正堂で「地下鉄に乗って」を購入した。
以前、映画化された作品だった。

そのときの惹句が「地下鉄、タイムスリップ」という言葉が使われていた。
ゾルゲ事件を扱ったTVドラマで、戦前の銀座シーンがCGで再現されたことがあった。
銀座4丁目から2丁目にかけての町並み、
今はマリオンになっている場所には
日劇ミュージックホールや朝日新聞社があったのだが、それらが再現されていた。
昭和40年当時、それらは健在だった。

映画「地下鉄に乗って」もそのような体験ができるのではないかと思っていたのだが、
結局、見ることはなかった。

ノスタルジックな思いもあって読み始めた。

赤い地下鉄・丸の内線の中野方面が描写されたときは、
あっちのほうはまるで未知の地域で、
これから、どうなっちまうのか、と危ぶまれたが
読み進めるうちに「銀座」4丁目界隈が、主たる場面になった。

敗戦直後の銀座は、当然知らないが
多くの映像、文章で頭に入っている。
有楽町界隈にはパンパンと呼ばれる私娼が立っていたのは有名だ。
だが、この小説で
銀座4丁目服部時計店から3丁目方向に行った教文館の隣の脇から
今の電通通りにかけて「たちんぼう」が居た、ということを知った。
服部時計店は当時進駐軍兵士たちだけが利用できるPXであり、
そこを訪れた兵士たちを待ち構えていたのだろう。

物語は、いわゆる「タイムスリップ」ものだが、
SF作家のものとは様子が異なる。
地下鉄銀座線を中心に、銀座、新橋、赤坂見附などから
簡単にスリップしてしまう。

現在の地下鉄銀座線には、
浅草、神田などには戦前の昭和を髣髴とさせる場所が残っているが、
それらが「伏線」として使われている。

小松左京のようなSF作家ではない小説家の描くタイムスリップものとは
こんなものかと思って読み進めたが、
最後にどんでん返しがあった。
それも、胸キュンの。

浅田次郎の守備範囲の広さに脱帽しつつ、3日で読み終わった。
溜池近辺で生まれた小説家らしく、
昭和初年の銀座から戦前、敗戦直後の銀座を巧みに描いている。

「らくちょうお時」は敗戦直後の仇花だが、
小説ではきりっとした美人として描かれている。

明日から、銀座線には、心して乗りませう。

12月15日(金曜日)

●冬日
本来なら今日が成人の日だったけんどね〜。

都内は気温0度以下で初の冬日となった。
であれば、当地域はもっと低温のはずで、
外の北側の水道の蛇口から「つらら」が下がり水は出なかった。
この冬初めてだ。



TBS放送、毒舌・蝮が隣町・杉戸町清地の
ドラッグストア「セキ薬品」から中継をやっていた。
集まった90過ぎの老婦人を相変わらず口ぎたない言葉でからかっていた。
これが毒蝮の「芸」なのだ。

彼は福祉にも関心があって、お年寄りに対する温かい気持があるから、
辛らつな発言も受け入れられている、ということになっている。
しかし、聴視者には聞き苦しいだけだ。
敬老精神など微塵も感じられない。

ゲストの「渡辺えり」も、スタジオから蝮の発言をたしなめていたが、
聞く耳を持たず暴走するのが、彼の特徴でもある。

彼は自分を出しすぎる。
下町生まれを自慢する。
子役として芸能歴の長さと交友の広さも自慢する。
自分をありったけ披露したついでに、お年寄りにマイクを向ける。
古稀を過ぎたであろう彼からは
ガラの悪さばかりが目立ち、「粋」など微塵も感じられない。

1月14日(木曜日)

●不毛地帯11回
先週から始まるかと思っていたが…
暗い、重い…ということで視聴率がかせげない、と昨年の新聞記事。
打ち切りかと思ったら、やっと再開。
元グループサウンズの岸部一徳が近畿商事の副社長役なのだが、
相変わらず上手い演技だ。

戦後の中途入社ながら異例の出世をした壱岐に対抗心、敵愾心を抱いている。
自分のポストを奪われるのではないかと妄想。

先日のTVドラマ「Wの悲劇」では、老優・津川雅彦が
刺殺された死体の演技をしたが、これが絶品。
目をカッと開いたまま微動だにしない。
立ったまま死後硬直が始まったらしく、直立したままベッドに倒れこむ。
さすが、役者上手と思ったが、
本日の狭心症の発作に苦しむ岸部一徳の迫真の演技にも拍手!!
さらに、まだ静養が必要なのだが、無理して帰国。
出社して社長に報告。
社長は激務を気遣い、仕事の負担を減らそうと壱岐の名前を言ったとたん
顔色が変わり壱岐を罵倒し始める。
ふだん、せりふ回しは決してうまいとは思わないが
男の「嫉妬」ぶり。
長台詞を迫真の演技でこなした。
好意的に言った社長の反応も面白く、
「掛け合い漫才」のようで、
大笑いしながら見てしまいましたとさ。

●譲さん直木賞受賞!
これまで何度か候補に上がったが、ついにやた〜!!
最近、譲さんは主に刑事ものを書いているけど、
受賞作もそちらの作品のようだ。

残念ながら「武揚伝」上・下、「くろふね」以降彼の小説は読んでいない。
「ベルリン飛行指令」以降、
「エトロフ発緊急電」「ワシントン封印工作」「ストックホルムの密使」。
「鷲と虎」「昭南島に蘭ありや」
すべて第二次世界大戦が舞台で、いわゆる「血沸き肉踊る」つ〜
男の好きな「冒険活劇」小説群だった。

それから、彼が永年温めていた警察物に軸足を移す。

今頃、雪積もる北海道の地で受賞を喜んでいるのだろう。
札幌のBarなのか自宅でなのか…

30年以上も前、赤坂溜池の小さな広告代理店で、
同じコピーライターとして短期間だが机を並べた者として、
埼玉の片田舎で受賞を喜んでおります。

1月13日(水曜日)

●傲慢
「剛腕」と形容される民主党の幹事長だが、
最近のマスコミへの態度は「傲慢」としか映らない。

彼は赤坂周辺に複数のマンションを所有しているが、
数億とも言われる資金の出所に検察は大きな関心を寄せている。

「闇将軍」を支えるのは「陸山会」だが、
おや、これは故田中角栄の「越山会」の名前のそっくりさん。

選挙区は山形だが、もともと東京下町生まれ。
子ども時代は山形で過ごすが、高校は都立小石川高校。
学区時代の名門校だ。
父親と同じ弁護士を目指し東大を受験するも2度失敗。
慶応義塾に入学。
出身校に似合わない風貌をしているが…
父親の急逝にともない政界に進出。

昭和44年、岩手から初出馬したときの選挙を指揮したのが田中角栄だった。
27歳で当選を果たし、共に雪国の政治家であり、小沢一郎は角栄の下で薫陶を受く。

今は民主党の顔だが、
自民党駆け出しの頃、角栄の錬金術をじっくり学んだことだろう。
その後、親分に反旗を翻し、竹下、金丸にくっつく。
金丸も金のにおいがぷんぷんする政治家だった。
そして金丸等と北朝鮮を訪問。
つい最近は大勢の新人議員を引き連れ中国へ渡り大歓迎を受ける。

選挙資金集めが上手い(故に剛腕)、政局を読むのに長けている(故に闇将軍)。
新党を作っては壊し、また旗揚げをする。
国家の大計を図るというより
ポリティカル・パワー・ゲームを楽しんでいるかのような動きである。

そして、今、政治資金でじわりじわりと堀を埋められている。
昔なら親分が苦境に陥ったら、金庫番は死を以って
事件を闇に葬るのだろうが、
今の若いのはそんな気持ちなど持ち合わせていない。
追い詰められたらペラペラ喋っちまうだろう。
だから、泰然自若と見えるが、実は戦々恐々としているのだ。

1月12日(火曜日)

●珍妃(チェンフェイ)の井戸
浅田次郎著。
講談社文庫第1刷2005年4月。第12刷2008年11月27日。
初出「小説現代」199612月号〜1997年8月号。
…というから、少し昔の小説だ。
実は、昨年暮、朝鮮李王朝の「閔妃(みんび)暗殺」を読み進めているとき、
「珍妃の井戸」を、「閔妃」と読み間違えて購入した。
こちらは清王朝の物語だった。
ページを繰ると、難しそうな中国人名がやたら出てくるし、
中国読みのルビがふってある。
かったるそうなので、しばらく放置しておいた。

「閔妃(みんび)暗殺」を読了し、
改めて「珍妃」を読み始めると、これが滅法面白い。
活字も大きめで読みやすいし、登場人物一覧の栞に導かれながら読了した。

欧米列強と大陸進出を目論む日本の侵略を受けた清王朝末期、
11代皇帝光緒帝の側室「珍妃」が殺された。
それも、義和団事件の最中に、である。



義和団事件を扱った映画「北京の55日」。
チャールトン・ヘストン、若き日の伊丹十三が出演した。
それに、妖艶なエヴァー・ガードナー。
日本公開は1963年10月19日だった。

※義和団事件に出兵した各国の兵隊(右端が日本兵)
 ちなみに、彼等は義和団の連中を斬首している。
野蛮な処刑だが、胴と首の離れた写真はインターネットにごろごろ。



「珍妃」は光緒帝の伯母「西太后」により殺された、というのが定説だが、
小説は、定説を一旦棚上げし、
欧米列強と日本が北京に駐留する義和団事件2年後、
英国、仏蘭西、独逸、露西亜、日本の貴族たちが
真犯人を突き止めようとする歴史ミステリー。

※11代皇帝 光緒帝(西太后に実権を握られていた)

日清戦争で日本にも知られる、李鴻章、袁世凱なども登場する。
光緒帝は正室と2人の側室がいた。
正室は、顔の長い駱駝のような風貌、2人の側室はなんと姉妹だった。
姉は太っちょで月餅のような顔をしていた。
妹が「珍妃」で、姉とは大違いの美人だった。
光緒帝はブスの正室と姉には目もくれず、妹だけを寵愛した。
一説には2人のブスは皇帝に一度も抱かれなかったという。

※光緒帝の寵愛を受けた珍妃。左右とも同一人物(だいぶ違うが)

後宮には大勢の宦官が、高貴な女性の世話をしていた。
彼等は彼女等と間違いを起こせないように
男性の象徴は無惨にも切り取られていたのだ。
手術は激痛が伴ったという。
そら〜そうだろう。
想像しただけでも縮み上がる。

※宦官(男のシンボルが、な、ない)


※西太后(彼女は纏足)

絶世の美女とされた「楊貴妃」の「貴妃」という位(くらい)は、
皇帝に寵愛される女性の中でも、そんなに高い地位でもないことも
解説されていた。

中国の属国と見做されていた朝鮮王宮とは違った、
複雑怪奇な制度と皇帝の親族の関係。
だが、浅田次郎の巧みな筋書きで飽きさせない。

では、誰が彼女を井戸に投げ込んだのか…
それは読んでからのお楽しみ。

1月11日(月曜日)

●成人式
昨年は12日、来年は10日。
祝日法とやらのおかげで
目的が定まらない若者のようにふらふらしている。
本来の「元服」の日、15日が昭和生まれにはしっくりくる。

※Googleもお祝い

例年サントリーがこの日、「飲酒OK祝成人」の広告を掲載する。
昨年同様、伊集院静氏の文章、イラストは長友氏か?
従来ターゲットは男性だったが、今回は父と娘、父と息子。
成人としての生き方、酒の飲み方を語る、という趣向。

毎回言うのだが、山口瞳と柳原良平コンビの広告を見慣れた者としては
もうひとつ食い足りまへん。

さらに今年はJTの喫煙解禁広告がのった。
いまさら法にのっとり、はたちからたばこをすい始めるなんつ〜のは
男にも女にもいないだろうが、完全な「ダメ押し」広告だ。

「大人たばこ養成講座」と題したマナー広告なのだが、
コピーを読んだが、意味不明も個所も多い。
たばこより酒の弊害のほうが多かった。

最後に「水割りセット」プレゼントキャンペーン。
ぬわんと、JTとサントリーが手を組んでいた。

たばこも酒もはたちから、という形骸化した法律に基づいた
まっこと、涙ぐましい広告だったのだ。

1月10日(日曜日)

●二十三夜塔
私の住む町の各地区に集会所がある。
地区により大きさは違うが、平屋、切妻屋根の家が多い。

地区には班があり、地区や班の会合に使用される。
山崎地区の集会所は10畳以上の畳の間が2つあり、
調理場、トイレ、エアコン完備である。

各班は持ち回りで集会所の清掃を行う。
本日がその日だった。
周囲に吹きだまった枯葉を男性陣が掃き、室内は女性陣が行う。
9時集合だが、定刻に行くとほとんど終わっているので
だいたい15分前には顔を出さなければならない。
暗黙の了解事項だ。
清掃が終了すると室内で軽いお茶の時間となる。
近所に住んでいても、頻繁に顔を合わせることのない方々と雑談が始まる。
地域では貴重な時間なのだ。



敷地内に重殿社という祠がある。
その後ろに古い石塔があるのだが、これまで気にせず掃除をしていた。

正面に刻まれた文字は「二十三夜塔」
下には「百間村中」
右側面「文政12年…」

「文化・文政」といえば、江戸町民文化が花開いた時代ではないか。
気になった幾つかの事柄を調べてみた。
二十三夜塔

「二十三夜塔」
18世紀の後半から昭和の初期にかけて、日本の各地で「講」を組織した人々が集まり、
月を信仰の対象として精進・勤行し、飲食を共にしながら月の出を待つ、
「月待ち」という行事があった。

崇拝の対象として十三夜は虚空蔵菩薩、十五夜は大日如来、
十七夜から二十二夜までは、観音様を本尊とし、二十三夜は勢至菩薩を本尊として祀った。
供養のしるしとして建てた石碑(月待塔)のひとつが、二十三夜塔。

勢至菩薩は、智慧の光をもっており、あらゆるものを照し、すべての苦しみを離れ、
衆生に限りない力を得させる菩薩といわれている。
月は勢至菩薩の化身であると信じられていたことから、
二十三夜講が最も一般的で全国に広まった。
特に関東地方や長野県に多く見られる。
二十三夜塔
「二十三夜」
陰暦8月23日の夜の月。
夜更けて上る下弦の月。
真夜中頃に東の空から昇ってくる半月に、
江戸時代の人々は神秘的なものを感じたのかもしれない。

「講」
中世中頃以降、民衆の間で作られた仏事、神事を行うための結社。
寺院、神社などを維持したり集団参詣を行った。
近世になると富士講、伊勢講など行楽を主目的に名山、霊場などへ
集団参詣するものも生まれた。


「文政12年」
11代将軍・徳川家斉の時代。
西暦1829年。(いまから181年前)
この年、葛飾北斎「富岳三十六景」成る。柳亭種彦「偐紫田舎源氏」刊行。
国内は賄賂政治が横行し、開国を迫り列強が日本に接近する。
両国の花火に江戸っ子は喝采し、北関東では博徒・國定忠治が暴れ回り、
17年後にペリーが浦賀にやってくる。

このような時代に百間村の衆は、世の中をどう見ていたのだろうか。

1月9日(土曜日)

●二本の木
NHK21:00〜22:15。
感動的なドキュメンタリーだった。

仲のよい夫婦は別々に死ぬことを望まず
寄り添う二本の木になる物語。

緩和ケアを受ける妻は自分でそのときを決断する。
息子たちには、彼等は知らないだろうが、見舞いに来たときにお別れを済ませていた。
医師は「24時間睡眠」を許可した。
夫が最後の言葉をかける。
「明るいほうへ行くんだよ…」
そして、妻は感謝しながら目覚めることのない眠りについてゆく。

夫妻の残した日記を朗読をする片岡仁左衛門の頬に涙が伝わり
不覚にもそれが私に伝染してしまった。



「緩和ケア」…昔はホスピスと言った。
自宅近くの病院で癌を宣告されると、紹介された病院ではなく、
即、築地の聖路加病院へ入院する。
化学療法で埒が明かないとわかると、四国の民間療法を受けにゆき、そこを退院。
東京の自宅で一時期を過ごし、最後は聖路加病院の「緩和ケア」を受けることを決断。
最大の努力はするが手術はしなかった。

これも人生最後の「選択」である。



肺がんが全身に転移した妻。
看護する夫も胃がんで全摘。
妻が逝った3ヵ月後に夫も彼女の後を追うように逝った。

そして、2人の息子たちに散骨するように伝えてあった。
妻の友人は林檎の木の下に散骨。
妻は「りんごになるのもいいわね」と言っていたという。

彼等は「二本の木」になれるだろう。



妻の癌が見つかったとき、
元NHKのディレクターだった夫と共に日記を付け始めた。
大量のCAMPUSノートが残された。
妻は絵がうまい。
夫と息子はムービーとカメラで映像を残した。
夫は夫婦の記録を自家出版したのち事切れた。



安易な延命より爽やかな死を。

「林檎の木の下で あした また 会いましょう〜」

「信頼」「尊敬」「思いやり」がないと無理かもね。

1月8日(金曜日)

●海の狂犬
日本の捕鯨調査船に妨害を加える「シー・シェパード」のこと。
哺乳動物である鯨を「調査」とはいえ殺すことが彼等のお気に召さぬ。
伊豆半島の伝統の「いるか漁」も潜入した彼等のカメラに収められ配信された。
牛や豚、七面鳥を食らう奴等にとって海の中の哺乳類は特別な存在なのだろうか。
(中国、韓国は犬も食べるぜ。)

執拗かつ危険な妨害に対し、日本は放水で応戦する程度。
あくまで紳士的である。
今回、新しい高速船、抗議船アディ・ギル号で攻撃をしかけてきたが、
日本の調査船と衝突、船首を大破したが、その後沈没した。
ステルスみたいな不気味な形状だった。

彼等の船はニュージーランド船籍で、母港はオーストラリアという。
オーストラリア政府などは陰で彼等を支援しているらしい。
沈没した高速艇は億単位もするらしいが、
資金は企業からの献金、国民からの募金というから
国家総出で日本を妨害していることになる。

わが国は合法的に調査しており、捕獲数も制限内だから
元は英国の流刑地の連中にとやかく言われる筋合いはない。
しかし、鯨やイルカは欧米で人気がある生物で
それを殺(あや)める日本人は、野蛮人ということになってしまう。

捕鯨を伝統漁としている国は日本だけではない。
その昔、アメリカが日本に開国を迫った理由の1つに
捕鯨船の補給地を欲したことにある。
また、北欧ノルウエーも世界に冠たる捕鯨国。
何故に日本ばかりが狙われる?

調べてみたら、いろいろな問題がからみあっております。
興味のある方はウィキペディア「捕鯨問題」を。

沈没したアディ・ギル号から流れ出したと思われる
ボウ・ガンの矢が見つかった。
かの、ロビンフッドも使った殺傷力のある武器だ。
奴等がこういうものを用意していたとは…
今後は海上保安庁の舟艇に守られながら仕事をせにゃならん、ことになるかも。

応戦する放水だが、
水圧をもっと高圧にできぬものか。
機関砲のような形態で、死角のないよう船首、船尾はもちろん、側面にも設置する。
日本の技術力を以ってすれば、簡単にできそうなものだ。
これで、奴等を蹴散らせ!

1月7日(木曜日)

●CyberShot
SONYのコンパクトデジカメは
相変わらず平凡なデザインの路線しかない、と思っていたら、
米国でDSC-HX5Vを今月発売するという。
画素数競争から脱却し、流行のGPS機能、強化された動画機能を内蔵する。

ブラックタイプのみで、顔つきが精悍になった。
機能ダイヤルを有し、これまでのバカチョンと一線を画している。

ハイエンドコンパクトデジカメはリコーGRが気を吐いている。
広角単焦点レンズを搭載した高画質カメラで、
仕上げのよさやアクセサリー類が大人の心をくすぐる。
CANON G11、Nikon CoolPics6000も
往年の35mmカメラを髣髴とさせるデザインで善戦健闘しているが、
両機とも分厚く携帯性を損ないそうで
散歩や旅行に連れてゆきたくない。

新しいCyberShotは、ちょっとのっぺりしていて
CANON S90に少し似ているがホールド用のグリップがある。
たぶん価格は4〜5万程度になるのではなかろうか。

ヨーロッパで先行販売、ついで米国。
そのあと日本、か。
対面が楽しみではある。

1月6日(水曜日)

●GPS
カーナビで一般化しているGPS。
衛星からの電波を受信し現在地を特定する。
この機能を内蔵しているコンパクトデジカメもある。
撮影ポイントの座標を記録し、帰宅後、
地図に移動コースと撮影した写真を表示できる。

今まで大して気にもとめていなかった。
が、今年は自転車に「真面目に」乗ろうと思っている。
都内と異なり田園地帯の風景は単調だ。
少しは楽しく乗れればペダルを漕ぐ励みになろうというもの。

で、自転車用GPSについて調べてみた。
楽しんでいる人たちが結構いる。
機器も多数販売されている。
地図を表示でけいるタイプは軽く10万を超える。
だが、自転車は地図を見ながら走ることなどしない。
危なくてしょうがない。
コースの概略を頭にたたきこみ、迷いそうになったら
小型の地図で確認するというスタイルだろう。

サイクルコンピュータにGPS機能を搭載したものもある。
が、現行のサイコンが無駄になる。

さらに調べたらSONYからCS3Kという、GPS機器が発売されていた。
これは、サイクル用ではないが、
走行コース表示とデジカメでの撮影ポイントの表示が可能だ。
さらに、データ変換ソフトで走行距離まで計測することができる。
希望小売価格は1万8千円程度だが、オンラインでもっと安く買える。

走行記録としてもよさそうだ。

さらに、ネットワーク用の小型PCを背負って、
出先で撮りたての写真をWebサイトにアップロードつ〜のも
臨場感にあふれ面白い。
そのためには、屋外でインターネットにつながる環境が必要だ。
たまにしか都内や横浜に出ない者にとって、
出先でネットにつなぐ必要のない者にとって
まるで必要がないと思っていたが、
趣味を拡大させる重要なツールになりそうだ。

今はクロスバイクでそこそこの距離を走っているが、
やはり折りたたみ自転車を輪行バックに入れて
気ままな旅をしたいつ〜のが今後の課題。

実現のために、周囲から道具を少しづつ揃えてゆくのが、
年金世代の正しいやりかたなのね。
若けりゃ一気にやっちゃうものを…くそっ!

12月4日(火曜日)
●社会の敵
昨夜やっと「パブリック・エネミーズ」。
12月12日ロードショーなのでだいぶ時間が経過。
5人の客だけだった。

1930年代初頭、大恐慌後のアメリカは禁酒法を背景に
数多くのアウトローが出現。
その中の一人、実在のシカゴギャング「ジョン・デリンジャー」の物語。
旬の俳優、ジョニー・デップが主役だ。

ワルはガキの頃からワル。
刑務所時代に知り合った連中と銀行強盗団を結成し
シカゴを根城に中西部の銀行を襲撃しまくった。
彼らの「栄光と壊滅」のドラマ。
州を越えれば追手は手を出せないという警察機構の逆手をとっていた。
追うのは創生期のFBI。
若きフーバーも登場する。

小型機関銃でドンパチを繰り広げる。
「ゴッドファーザー」や「俺たちに明日はない」でも登場する
「トンプソン・サブマシンガン」。
第一次世界大戦の塹壕戦の膠着状態を打開するために
トンプソン将軍がアイデアを出し実用化された小型火器だが、
大戦中には間に合わなかった。
そのかわり、頻発する郵便強盗の警備チームが最初に使い始めた。
さらに性能のよさに目をつけたギャングたちにも愛用された。
このため「シカゴ・タイプライター」とも呼ばれている。

当時のアメリカ陸軍は制式採用していなかった。
その後、第二次世界大戦勃発とともに仏・英軍が大量購入。
米国参戦にともない採用になった。
往年のテレビドラマ「コンバット」で、
ビック・モロー演ずるサンダース軍曹愛用の「トミーガン」でもある。
1919年生まれで現在も生産されているという息の長い武器だ。

ギャングに情婦はつきものだが、
この映画にもビリーというエキゾチックな女が登場する。
ホテルのクローク係だった彼女にデリンジャーが一目惚れ。
強引に自分の女にしてしまう。
目の大きいラテン系の女性かと思ったが
父親がフランス人、母親がアメリカインデアンの混血という設定だ。
演じるのはマリオン・コティヤールというフランスの女優。

アウトローだから刹那的な愛なのかと思いきや
強奪した金でゆくゆくは南米コロンビア(だったか)に高跳びし
静かに暮らしたいという、ギャングにしては堅実な、夢を語る。
自分に対する一途な気持。
そして今の環境から脱出したいと、彼の危険な愛を受け入れる。

彼女は実在かフィクションなのかは定かではない。
エンドロールでは、デリンジャー死後、
刑務所の務めを終えて人生を全うした、とあった。
ウィキでは、彼女の存在には触れていない。

混乱した社会でマスコミはデリンジャーの事件を過剰に取り上げる。
芸能人の事件を追いかける今のTVに似ている。

銀行を襲撃しても、客の金には手をつけないという「義賊」的な手口に、
当初は大衆も喝采を送るが、警官、民間人も殺害するに及び
彼らの立場も危うくなる。
業を煮やしたFBIは「社会の敵」と名付け
マスコミを使って宣伝を開始する。

さらに、州をまたいだ犯罪を取り締まる法整備も進んだ。
これまで、デリンジャー一味に隠れ家などを提供していたシンジゲートも
自分たちの「ノミ行為」ビジネスの障害になるので、協力を拒むようになった。

※ジョニー・デップ(左)と、デリンジャー本人。
 容貌はもちろんネクタイの結び方が似ている。

こうして追い詰められ、
1934年7月22日、映画館を出た路上でFBIに射殺される。33歳の短い一生。
いまわの言葉「バイバイ ブラックバード」

デリンジャー殺害の2ヶ月前、
カップル、兄弟ギャング、ボニー&クライドは
1934年5月23日、車で買い物帰り、80発以上のマシンガンを
打ち込まれ死亡している。
ちなみに、FBIが撲滅キャンペーンで
彼らにつけた名前は「アメリカの狂犬たち」。

1968年に封切られた「俺たちに明日はない」
映画館で見たが、ウォーレン・ビーティとフェイ・ダナウェイの最後はは衝撃的だった。
フェイ・ダナウェイのアンニュイな魅力にもシビれた。
その後、映画「アレンジメント」では、主演のカーク・ダグラスの
影が薄くなるほど蠱惑的な女を演じていた。

悪名高い禁酒法は1920〜33年まで続いたが、
施行時代はマフィア、ギャングが禁制品の密造、販売を一手に行い巨万の富を築いた。
シカゴのアル・カポネが有名だ。
彼らは行政、警察に賄賂を贈り組織的に行っていた。
デリンジャー、ボニー&クライドは密造酒には手を出さず、
銀行強盗に主眼を置いた小グループで、
アメリカン・アンチヒーローだ。

「ゴッド・ファーザー」第1部もこの時代で、
禁酒法が廃法となり密造酒はビジネスにならない。
では、次の売り物は…他のマフィアは麻薬に手を出したがるが
ドン・コルレオーネは、合法的なビジネスを目指す。
で、目をつけたのが興行、映画だった。
それは3男がドンになった3部で描かれる。

禁酒法時代にシンジゲートから酒を密輸し、
今の財力の元を築いた、と言われているのがJ.Fケネディの父親だ。

というわけで、
歴史のお勉強ができるのも映画のいいところ。

1月4日(月曜日)

●まちおこし
人気漫画「らき☆すた」の主人公一家が住む幸手市では、彼らに「特別住民票」を発行した。
主人公「泉こなた」の友人「柊つかさ」。
柊姉妹の父が宮司を務める神社で、柊家はこの境内に居住する。
この神社が、初詣参拝客激増の鷲宮神社。
4コマ漫画でスタートし、アニメ、ゲーム化され全国的にブレイク。
この人気にあやかり幸手市、鷲宮町(今年4月から合併で久喜市)は
観光の起爆剤にしている。

お隣、春日部市は「クレヨンしんちゃん」の町として全国的に名を知られる。
作者亡き後も、春日部市は一家をPRしてゆく。

このような有名市町村に囲まれた宮代町は、「ラッキー・スター」不在のため、
知名度は極端に低い。
だから、はるか遠方に旅行した際など、
「どちらから」の問いに「春日部市」からと答えるようにしている。

都内や横浜の友人で、存在はもちろん読み方もわからない連中が多い。
「みやだいまち」と言われてずっこけた。
「東武動物公園のある町」と言えば、CMや日比谷線の方向表示のおかげで
ほとんど理解してくれるが、2段階だ。

せめて首都圏内で「宮代町」の知名度を上げる。
今後の宮代町に不可欠の条件だ。

●災難
銀座天賞堂がRolexなど高級腕時計を大量にやられた。
被害額は億単位。
隣のビルとのわずかな隙間の壁に穴を開け侵入したという。
深夜、警備会社が見回った際は異状がなかったので、
明け方の短時間の犯行のようだ。

貴金属店への犯行も変わったものだ。
2〜3人がグルで店員の気を引き
その間隙にかすめ取るというのが古典的な手法だったが、
ビルを壊してごっそり持ち去るという、
かつてのフランス映画か、近々のハリウッド映画を地で行くような…
手引きは日本人で実行は外国人かもね。

私が小学生高学年の頃、同じクラスの友だちと
初めて銀座に出かけたことがあった。
行き先は天賞堂だった。
昔も今も同じ場所にある。
貴金属の買い物ではない。
鉄道模型HOゲージを展示してあり、
それを見に行ったのだ。
精巧なつくりと色彩のよさに驚き、
ウインドウに額をつけるように見入ったものだった。

交通博物館は今は大宮にあるが、
昔は神田万世橋の神田川沿いにあった。
ここに初めて連れてきてもらったのも同じ友だちだったので、
ことによったら、同じ日のコースだったのかも知れない。
その彼はもうこの世にいない。


1月3日(日曜日)
●初チャリ
思い立って11時出発。
行先は関宿城。
ちょい走りのスポットがここだけというのも寂しい限りだが。
杉戸郵便局前の道をひたすら直進。

両耳では周囲の音が聞こえなくなるので片耳にイヤホンを差し込んで
箱根駅伝の復路実況を聞きながら走る。

下吉羽交差点のローソンは最後のコンビニ。
サンドイッチ、コーヒーなどを仕入れるのが常。
ついでにたばこ一服。
ここまで来れば、あとひとっぱしり。
関宿城まで20分もかからない。

関宿城は利根川と江戸川が分岐する場所にある。
茨城県、千葉県、埼玉県の県境で千葉県の最北端。
房総の海のイメージの強い千葉県だが、それは安房のことで、
上総、下総は内陸だ。

※美しい城が近場にあるのは、いいことだ

川を見下ろすように屹立する白亜の城だけあって自転車乗りに人気がある。
利根川の境大橋を渡り茨城側から来る、
埼玉、千葉の人は江戸川の関宿橋から入る。
ところが、杉戸から行くと関宿橋を渡らず
土手から江戸川閘門を渡って関宿城に入るほうが、
狭い曲がりくねった道を通らずにすみ安全だ。

※城の入り口には、私と同じような白のクロスバイク集団

※江戸川が始まる閘門でカヌーの練習をやっていた。

ロードレーサに抜かれながらマイペースで走る。
12時ちょい前に城の入り口に到着。

初走りを楽しむ人々が20名程度。
皇居前に比べれば地味なものだが、周囲の風景は雄大だ。

江戸時代は関宿藩の武士たちが往き交い、
明治の頃は利根川・江戸川の水運で賑わった。
いまは当時の面影はまるでない。

利根川の境側からなら江戸川の分岐点が見えるが、
関宿の江戸川閘門からは見通しが悪い。
最突端まで行こうと思ったが護岸工事用の道はあっても
その先までは無理だった。

※山王公園で自分撮り

堤防上に茨城県の飛び地、五霞町の山王公園がある。
そこで軽い昼食。
今日も元気だビールがうまい。
今は自転車もアルコール禁止だが
川風を受けて走るうちにさめてしまうだろう。

前輪の空気圧が低いのを気にしながら
一気に杉戸町まで戻る。
東口のドトールで熱いコービーを飲もうかと思ったが
自転車を止めるスペースがない。
両国、青山、銀座…都内のドトールはOKなのに。
土地の安いこっちがNGという皮肉な現象。

14時帰宅。
走行距離29.66km。
昨年、古利根沿いに松伏まで走ったが27km。
今回のほうが楽に感じたのは全コース舗装だったためか。

●龍馬伝
NHK大河ドラマ「龍馬伝」第1回。
甘いマスクの福山雅治主演。
龍馬の写真が残っているだけに福山の甘いマスクと実像のギャップが大きい。

ドラマは三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の回想シーンから始まる。
岩崎役は香川照之。
この人、「坂の上の雲」では正岡子規役。
岩崎弥太郎も実際の写真が残っている。
もっと顔が大きく色黒でアクの強い顔だが、香川君は顔が小さくきゃしゃ。

だが、明治期のドラマには欠かせない役者になった。
「浜木綿子」さんは息子の成長に目を細めているのかな?

昨年は1回目を見て、若手の学芸会のようで止めてしまったが、
今年はどうなるだろう。
とりあえず来週も見るけど。

1月2日(土曜日)
●初詣
何年か前はNHKの「ゆく年くる年」が始まると
凍てつく中、自転車で姫宮神社に出かけたものだが、
もうそんな気力はありまへん。
で、本日ゆるゆると初詣。
昨日で大波の過ぎた神社はひっそりとしていた。
本殿脇のテントで破魔矢を売っていたが、
アルバイトの巫女さんも暇をもてあましている様子。

ここのいいところは境内にいくつもの有名神社の「支店」があって、
ひとまわりすれば願掛けが済む。
さらに、ふくらんだ小銭入れの整理もできる。

姫宮神社もそうだが、東武動物公園民間駐車場近くの稲荷神社も
この時期、入口に大きな幟旗が立つ。
なんともノスタルジックな光景だ。
で、稲荷神社の本殿と周囲の石碑をじっくり拝見。
結構、千社札が貼られていた。


さらに手水は「大山講中」と読める。
江戸時代にここの人たちが神奈川は丹沢近くの大山にお参りという名の
物見遊山(息抜き)に行ったのだ。
日光街道から東海道へ、平塚あたりから大山道に向かったのだろうか。
全行程徒歩だから費やした時間とお金は大変だっただろう。

1月1日(金曜日)
●遠方より来たる
娘のシカゴ時代の友人が年末から新年にかけ日本に来ている。
自転車で都心を走るのがお気に召したらしい。
1日8時間も乗っていた、と連絡が入ったが、
主な見どころはほとんど走破したのではないか。
で、本日は午後から我が家を表敬訪問する、という。
当初16時といっていたが2時間も早まった。

あわてて受け入れ態勢に入る。
てんてこ舞いであった。
男性2人、女性1人の訪問だったが、男性1人は以前来たことがある。
カップルは日本は初めてだった。
娘から、大層世話になったと聞いているので、
親としてはそれに応えなければならない。

中途半端なおもてなしでは日米間にさしさわる。
鳩山内閣が優柔不断で沖縄基地問題で
米国は日本に猜疑心を抱いているのだ。
(ちょい、オーバーか)

正月の定番「おせち料理」は、彼らの口に合うかどうかわからん。
で、Sushi、Tempura、Sukiyakiという
外国人が好みそうな三大和食を提供することにした。
時間をかけてじっくり堪能していただこうというプランだ。

困ったのは彼らがほとんど日本語を解さないことだ。
「アリガト〜ドザイマ〜ス」
「オイシイデ〜ス」
程度の反応だ。

こっちも観光英語のさわりくらいの語学力なので、
食材の説明などほとんどできない。
一人の男性が「Otaku」で、
秋葉原とメイド喫茶を楽しみにしているという。
彼はパソコン、デジカメ好き。
嬉しいことに、パソコン用語はほとんど英語だ。
そっちの話題は単語を並べるだけで、
なんとかコミュニケーションできた。
「私はXPだけど、もうWindow7使ってるの?」とか
「Macのレパドはどう?」とかね。

アップルのスティーブ・ジョブスの話で盛り上がりましたね。
まだ彼は若いので、AppleUが出たときは子供だった。
ウォズの話しや、ジョブスがNextの売り込みで来日し
デモンストレーションイベントを見に行ったときの写真を見せたら
びっくりしておりましたよ。
「Otaku」の心が通じ合ったと言いましょうか…

デジタル一眼は米国でも人気があるらしい。
しかし、Canon、Nikonを
米国のメーカーと勘違いしていたのには驚いた。
それだけ、ブランドが浸透しているのだろう。

日本のスーベニアに彼らの名前を漢字に置き換え
千社札を作ってあげることにした。
あちらには神社仏閣はないから、
本や持ち物にシールとして使っていただきたい…と娘に通訳を頼む。


イラレで勘亭流のフォントで作成したのだが、
勘亭流にはロックがかかっていて保存できない、と初めて知る。
で、pdf変換。
彼らが帰国してもあちらのプリンタで出力できる。
娘宛のメールにアタッチして一件落着。

21時まで料理と会話を楽しんで都内に帰っていった。

今年の元旦は、わが家のさらなる国際化を予感させるものだった。
(本当かな?)


謹賀新年

昨年は当駄文サイトにお越しいただきありがとうございました。
本年もまた同じ調子で書き連ねてゆく所存でおります。
(成長してない、などと言わんでください。もう止まる年頃なので)
タイトルはがらりと趣向を変えまして「田舎三昧の生活と意見」とは全く関係ない
昭和初期の美人、モボ・モガ像でゆきます。
1月は子供の頃の私を大層可愛がってくれた叔母へのオマージュ。
大正時代、日本橋生まれ。おしゃれな商家の娘でしたが、
神戸に嫁ぎ、子はなく、急性白血病でこの世を去りました。
こちらに居れば老後の面倒は見たのに、とかえすがえすも残念。
今となっては、当の小生が老境を迎える羽目になっております。
…などなど、はなから独白。
先が思いやられる。

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