田舎三昧の生活と意見

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●吉太郎童謡集

■Contents■
01畝
02読売新聞
03手帳
    叙勲
04日本ビクター
05不毛地帯
    NYワールドチャンピオン
06パイオニア
07UNIQLO
08LAL落日
09たばこ値上げ?
10脳科学者の脳
   事件
11不手際?
12必殺仕分人
13東京大衆歌謡楽団
   不毛地帯
   13金
14珍品
15友愛
    オバマ東京演説
16冬支度
17反町
18挿絵
19美咲、ゆく
   不毛地帯
    新傾向
20獅子柚子
21リバーシティ21
22橋、今昔
23関宿城へ
24江戸と東京の罪人
  イルミネーション
25露悪
26マイクロフォーサーズ
   濃霧
27不毛地帯
  事業仕分け
    甘いSONY
28イルミネーション
    新機軸
29坂の上の雲
30イングロリアス・バスターズ
   新町政


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11月30日(月曜日)
●イングロリアス・バスターズ
急に思い立って春日部ララガーデンのユナイテッドシネマへ。
12時半から始まるのだが、席についたのが12時45分。
コマーシャルや予告編のおかげで、丁度、第1章が始まったところだった。
「バスターズ」と名の付く映画は「ゴーストバスターズ」
タランティーノ監督といえば「キル・ビル」
どちらも気をそがれるジャンルだったが、
「イングロリアス・バスターズ」はナチ物なので、
出来のよしあしは別にして、どんな出来具合なのか見ておきたかった。

※ポスターの色使いはB級映画そのもの。登場人物のポーズもおんなじ。
  だが、滅法面白い。右から2番目が美人のメラニー・ロラン。

ところが、
始まって数分、息詰まる展開に思わず引き込まれてしまった。
ブラビ扮する大尉の喋り方や身のこなしが
「地獄の黙示録」のマーロン・ブランドそっくり。

映画らしくなく「章立て」で展開する。
ストーリーは、いっちゃおしまいよ。
とにかく、めっぽう面白い。
これまで見たナチス映画は、中だるみがあって眠気を誘われるものだが、
イングロリアスBは、まったくそんなことはなかった。

ストーリーは荒唐無稽で、リアルな残虐シーンも多い。
でも、ぐいぐい引き込まれる。

この前、タランティーノ監督とブラビがSMAPの番組に出ていた。
ちょっと顎のしゃくれたタランティーノ氏はお茶目なキャラ。
映画の意外な展開は、彼のそんな性格からもきているのだろう。

ヒトラー、ゲッペルス、ゲーリングのそっくりさんも登場。
デブのゲーリングに台詞はなかったが、
ヒトラーは吼え、ゲッベルスの総統に対する卑屈さと、
取り巻きに対する中小企業の社長のような猥雑さが伝わってくる。

からくもユダヤ狩りを逃れたショシャニー・ドレフュスという女性を演じるのが
メラニー・ロランというフランス人女優。
昔のフラン映画の正統派女優の雰囲気。
カトリーヌ・ドヌーヴをスリムにしたような美人だ。

役名のドレフュスは、19世紀末フランスの「ドレフュス事件」を思い起こさせる。
フランス参謀本部勤務の大尉アルフレッド・ドレフュスがドイツのスパイ嫌疑で
逮捕された事件で、以後10年以上にわたって裁判が行われる。
彼もまたユダヤ人だった。

昔のハリウッド製戦争映画は、ドイツ将校も英語で喋ったが、
イングロリアスBは、英国側は英語、ドイツ側はドイツ語で喋る。
当たり前といえば当たり前なのだが、このリアルさも捨てがたい。

しっかりと時代考証をした戦争アクションはなかなかだ。
ナチの軍服に身をかためたお歴々が映画館に一堂に会す。
その軍服を揃えるだけでも金がかかっている。
映画館が爆破されるという、スペクタクルシーンも圧巻だ。
こじんまりとして内面に迫る金をかけない日本映画もいいが、
洋画のド派手さは映画の醍醐味といえるだろう。

ちなみに、イングロリアスとは、恥ずべき、不名誉な、無名のという意味。
映画はどれが当てはまるのだろうか。
バスターズは「野郎共」


メラニーロラン

ユダヤ人の家系であり、祖父はナチスの迫害を受けた。
1983年生まれというから26歳。
みればみるほど美人だわ。
ジャン・ギャバンのような超年上を慕うパリのギャング映画に出ていただきたいな。

●新町政
町は世代交代、国は政権交代というパラダイムシフトが行われた。
政権与党は自民党が行ってきた国家経営との違いを出すために
マニフェストに沿った改革を行っている。
車でいえば、低速から徐々にスピードをあげるというのではなく、
スタート直後から3速にシフトチェンジした、と思えるような感がある。

八ツ場ダム、日航、事業仕分けでは強権発動しているが、
郵政、沖縄基地移転問題では不協和音が聞こえている。
要は鳩山印の旗の下、一致団結し難局に挑む姿勢が欠如している。
党内は影の実力者の影響力が取りざたされているし、
さらに政治資金では国民等しく首相の金銭感覚の「ゆるさ」を疑問視している。
ブルジョア鳩山家のお坊ちゃんが金で地位を買ったのではないか、と。

あれだけドラマチックに登場したオバマ氏でさえ支持率は下降気味という。
求心力が低下しているところへきて金でつまづいては、政治家として致命傷。
丹田に力の入っていない演説、政治資金では自身に火の粉が降りかかっているのに、
まるで他人事のような反応。
これでは「棟梁」の資質に欠けると思われても仕方がない。

と、井の中の蛙が大きな世界を見渡し、今度は足元を眺める。

広報「みやしろ」11月号で
・改革を超えた変革・健康安心・教育・魅力充実・賑わい創出の
5項目に関し庄司博光新町長が抱負を述べている。
今回の町長選は前職の引退にともない4人が立候補するという激戦だった。
3万3600人という小さな町である。
抱える問題は基本的な部分でどの候補もよく認識し、
従ってローカル・マニフェストという名の「公約」は似た内容だった。
それ以外が興味のあるところで、それぞれの個性を発揮できる。
ま、いろいろ掲げていたが、最終的に庄司氏以外の候補者は
1人が還暦、他の2人が在任中に古稀という高齢者。
有権者は庄司氏の49歳という若さを選択した。
若い世代の代表が停滞した町に新風を吹き込んでくれるかもしれない。
新町長は、こうした期待に応えなくてはいけない。

政治経験も少なく行政経験はないという若い町長を
職員は「組みやすき人」として捕らえるのでなく、
ともに町を盛り上げてゆこうという気概が要求される。

さて、1日早く広報「みやしろ」が届いてしまった。
新町長の名前も写真も記事もない。
日々の慣れない業務に忙殺されているのだろうか。
折り込まれた「インフルエンザワクチン接種」のチラシに
申込み用紙サンプルに「宮代町長 庄司博光」とあるだけだ。

広報の編集会議がどのように行われているか知らんが、
新町長デビューキャンペーンとして
彼のマニフェストへの取り組みやいま関係している諸案件などを伝えることがあっても
いいのではないか。
彼を奥の院に閉じ込めておくのではなく、
行動力と存在感のある新町長としてアピールすることも大切だ。
スタートが肝心なのだ。

社長が前面に出るのを嫌う企業もあるが、
ユニクロ・ファースト・リテーリングの社長は
リーダーとしてその経営哲学を機会あるごとに語っている。

新町長は、元気な町の元気な町長として
意見を積極的に発信していただきたいものだ。

11月29日(日曜日)

●坂の上の雲
NHKが来年からの大河ドラマとともに
力を入れてPRしていた「坂の上の雲」。
20時から第1回が始まった。
不定期に2〜3年かけて放映するらしい。
この時間TBSでは、因縁のボクシング・タイトルマッチが行われている。
ラジオのボリュームを下げてTVを見る羽目となった。

幕末、維新、文明開化という激動の時代の青春群像。
司馬史観という歴史解釈を確立した国民的作家の
代表小説のひとつだから、多くの人が読んでいるだろう。
もちろん、私は読んでいない。

日露戦争という歴史的事実の社会情勢や、
ヨーロッパという後方から、
どえりゃ〜働きをした「明石大佐」の「血沸き肉踊る」冒険的活躍のほうが
よほど面白く、興味はそっちのほうに始終していた。

例えば、新選組の土方歳三を描いた司馬の「燃えよ剣」も読んでいない。
組織の一員として土方が属していた歴史的事実、
集団としての新選組の発生と滅亡という視点のほうが面白い。
江戸末期、敗走する新選組が綾瀬付近に陣を張り建て直しの機会を伺い
さらに千葉の流山に移動し、そこで近藤勇の正体がばれ
板橋に護送され首を刎ねられる。
土方は、近藤逮捕後、助命に走るが効果なく、
近藤と決別し会津に向かい、さらに石巻に流れ、
そこから榎本武揚の「脱走艦隊」と合流、北海道へ向かう。
五稜郭付近で壮絶な戦死を遂げたのは、明治維新後の2年だった。
彼の目まぐるしい動きは歴史的事実として知られているし、
フィクションによらずとも充分想像力を刺激する。
足立区、流山、板橋など時間を見つけて訪れたい場所だ。

小説は子母沢寛の「新選組始末記」を最初に読む始末。
子母沢は新選組の生き残りから聞き書きしているし、
かなり史実を反映していると思う。
司馬の「新選組血風録」を読んだのはだいぶ後だ。

というわけで、司馬陵太郎のファンではなかったが、
映像化された作品は、当時の景色が見られるので興味があった。
最近はCG技術が進歩しているし、
NHKだからかなりリアルに再現されているのではないか、という期待もあった。

陸軍大学校に通う兄の秋山好古を頼って、秋山真之が上京するのだが、
大学試験を受ける前に英語学校に通う。
松山中学以来、別れ別れになっていた親友の正岡子規と再開しともに学ぶ。
教授の高橋是清と2人は横浜の外人居留地に出かける。
開港後近代化に邁進する横浜港が映される。
丁度、日本が英国から購入した軍艦が入港していた。
軍楽隊がステージで金管楽器を奏でる。
明治15〜6年の頃なら「象の鼻」があった。
映像は、石垣を積んだ波止場を映す。

※弧を描く「象の鼻」

その石垣の一部が、象の鼻改修工事の際発見された。
今、大桟橋の手前の左側に「象の鼻パーク」が完成したが、
少し湾曲しながら大きく海に突き出た「象の鼻」の石垣の一部に
明治初期の石が使われている。

仕事で「象の鼻」界隈の写真をよく使うのだが、
CGとはいえ当時の横浜港、さらには港の石垣を見ることができたのは収穫だった。

11月28日(土曜日)

●イルミネーション
17時過ぎに東武動物公園東ゲート前を通過。
入口正面のクリスマスツリーが美しい。
釣堀に映ったタワー型のイルミネーションや
新ジェットコースター「かわせみ」のグリーンの照明が幻想的。
初めての華やかな演出に、時の流れを感じる。



●新機軸
消耗戦を展開するデジタルカメラ市場で、
マニア好みのGRを引っさげ健闘するリコーが
変わったデジカメを発表、12月18日発売となった。
GXRは、コンパクトデジカメだが、やや横長、細身のGRに比べ
高さがあるように見える。
画期的なのは、レンズユニット交換式。
コンパクトタイプの唯一の欠点(?)はレンズ交換ができないこと。
このため単焦点かズームレンズ、
ハイエンドになるとコンバージョンレンズで広角、望遠機能をもたせている。

GXRはレンズと電子回路を一体化したユニットごと交換する。
今のところ50mm、ショートズームの2本が用意されているのみ。
他社の技術者もこういう発想があったのかも知れないが、
逡巡しているうちにリコーが一足先に製品化。
昔、写真スタジオのジャバラ式・乾板カメラには
こんなスタイルがあったような記憶があるが、
先進カメラでよみがえるとは…
ボディは高級一眼レフに使われるマグネシウム合金採用で気合が入っている。

店頭予想価格は GXR本体が5万円前後、
単焦点レンズ付きユニット「GR LENS A12 50mm F2.5 Macro」が7万円前後、
ズームレンズ付きユニット「RICOH LENS S10 24-72mm F2.5-4.4 VC」が4万円前後の見込み。

実機を先日手にしたが、ズーム付は鈍重な感じがした。

マニアが選ぶであろう単焦点システムは12万。
2万5千円程度の電子ビューファインダーをつければ、14万5千円。
20mm代の単焦点つきのGRは7万ちょい。
メカの安定度、評判もGRのほうが上ではないか。

システムカメラならマイクロフォーサーズのほうが魅力的だ。

11月27日(金曜日)

●不毛地帯
先日、午後の文化放送で、大竹まことが
「不毛地帯と聞くとエッチなことを想像してしまう」などと不謹慎な発言をしていた。
受け狙いなのだろうが、品性下劣である。

さて、昨夜は7回目だ。

中東戦争ビジネスで大成功した近畿商事は
自動車ビジネスで宿敵・東京商事と対決することになる。
トヨタ、日産、マツダと思われる企業が登場する。
さらに、貿易自由化をにらんでフォードがからんで水面下の激しい戦いが始まる。

壱岐の近畿商事は鮫島の東京商事に一歩先を越される。
そこに、防衛庁ビジネスで、とかげのしっぽ切りで、
近畿商事をクビになった男がからむ。
嗅覚するどい新聞記者も加わり、
近畿商事が有利に立つのか、ずるずると土俵を割るのか、次回で明らかになるだろう。

壱岐を巡る3人の女性が久々に目立つ。
家庭第一の古風で貞淑な妻、奔放なクラブのママ、元上官の娘。
仕事とプライベートが微妙に入り混じり、
結果として家庭をおそそかにしてしまう壱岐の苦悩ぶり。
実際の瀬島龍三氏はどうだったのだろう。

●事業仕分け
官僚と仕分け人の丁々発止のやりとりが繰り広げられている。
それに関して、脳科学者の茂木健一郎氏が夕刊に一文を寄せていた。
金の使い方につての仕分けだが、
彼はついこの前、自分が稼いだ金の使い方が不明朗どころか、
国民の義務である確定申告を怠っていた人物である。
随想のタイトルは「批判の洗礼が質高める」

自分のことを棚にあげてこのような文章を掲載するのは時期が早すぎる。
今回の行いを恥じて、謹慎するくらいのことをしなくてはね。
だが、そういう「脳」は持ち合わせていないようだ。

●甘いSONY
SONYは昔からAVとPCに強いメーカーだが、
最近、とみにマーチャンダイジングのまずさが目立つ。
コンパクト・デジタルカメラは「サイバーショット」ブランドだが、
狭い価格帯に似たようなタイプが並んでいる。
これは、Panasonic、CASIO、オリンパス、Pentaxも似たような傾向がある。
CANONはバカチョンのIXY、マニュアル機能のついたPowershotの2ライン。
NikonはCoolpcs1ライン。
シンプルでユーザーも選びやすい。

SONYはミノルタの技術資産を受け継いで念願のデジタル一眼市場に参入した。
フラグシップはα900、ボディ単体で32万8千円程度。
700、350、300、200と続く。
6月に380、330、230の後継機が出た。
ボディの実勢価格はα380が6万7,600円前後、
α330が5万2,500円前後、α230が4万4,200円前後。
価格帯はエントリー機種だ。
それぞれ1万円の違いで上級機種となる。
α380
α330
α230
※どれも安っぽいボディ。同じような顔つき。
ミノルタ時代の精悍さがまるで感じられない草食系カメラだ。
コンパクトカメラならともかく、デジタル一眼SONYを街で見たことは一度もない。

製品ラインに5機種も必要か?
フラグシップ、ミドル、エントリーの3機種に絞ったほうが選びやすい。
エントリー価格帯に3機種も用意するのはユーザーにとって、
迷惑以外のなにものでもない。

CANON、Nikonのデジタル一眼は豊富なラインを誇るが、
デジタル一眼市場におけるSONYの地位は高くない、むしろ低い。
それが、専業メーカーの向こうを張るようなことをしてどうするの。
CANON、Nikonはデジタル一眼の魅力である交換レンズも豊富に用意されている。
SONYにもミノルタ時代に培ったロッコールレンズがあるのだろうが、
本体の魅力あっての交換レンズだろう。

低価格2眼レフで一時代を築いたリコーは、
熾烈なデジタルカメラ市場で、GRというマニア指向のカメラに比重を置いた
マーチャンダイジングで健闘している。
SONYにも1つの機種を大切に育ててコアなマーケットを開拓するという
やりかたがあってもいいのではないか。

SONYがSNOYらしくあった35〜40年前は、
独創的な製品に胸躍らせたものだ。
自社技術ではないαシリーズは、それに合った売り方があるだろう。
このままでは先細りになることが目に見えている。

11月26日(木曜日)
●マイクロフォーサーズ
オリンパスが提唱しパナソニックが採用する
レンズ交換式デジタルカメラの評判がいいようだ。
オリンパスは7月第1号機EP1を発売したが、
12月にEP−2でラインを充実させる。
何が違うかというと、EP−1発売と同時にユーザーから声が上がっていた
電子ビューファインダーが装着できるようになった。
先行するリコーGRはマイクロフォーサーズではないが、
EVファインダーを装備しマニア好みの作りで上級カメラファンに人気がある。
パナソニックのGF−1はオリンパスに追従したが、
はじめからEVファインダーを装備している。

※どちらのデザインがかっこいいか?

マイクロフォーサーズ規格は、
形状はコンパクトタイプながらレンズ交換ができる。
価格はボディ単体9万円前後、交換レンズ付で12〜3万。
ハイエンドコンパクトとデジタル一眼の間に位置する。
コンパクトタイプ市場が飽和状態なので、
デジタルカメラメーカーは起爆剤となる製品ラインが欲しいところだが、
今のところ2社しか生産していない。

昨日、大手家電量販店でデジタルカメラをひととおり見て回ったのだが、
コンパクトタイプの多くはイージーオペレーションをアピールし
どのメーカーもまるっこい変わり映えしないデザイン。
まるで物欲を刺激しない。
唯一CANON・EXYIがあったが、バカチョンで面白みがない。

元・天下のSONYもその他大勢の中に埋没している。
ミノルタの資産を引き継いだデジタル一眼もぱっとしないし
この辺でマイクロフォーサーズグループに入って
SNOYらしい製品を作っていただきたいものだ。

CANON、Nikon、PENTAXは
専業メーカーとしてのプライドから
オリンパス陣営には入らないだろうから。

オリンパスのEP−2のブラックタイプは、
ガンメタリックでかなり男っぽい雰囲気。
往年の名機Penを意識しているので、顔つきは「昭和」だ。
軍艦部が平坦なのは、モードダイヤルとズームレバーが沈み込んでおり
ディスプレイ側で操作するようになっているから。
形状が未消化のような気がする。
パナソニックはLumixの雰囲気を保持しているので突起している。
デザイン的にはパナソニックのほうが好みだ。

EP−1は17mmの単焦点パンケーキレンズと14−42mmのズームを用意する。
GF−1は20mm単焦点、14−45mmのズーム。
両機とも単焦点を装着すると抜群にかっこいい。
ズームをつけたとたんデザインバランスが崩れてしまう。
そのうち、単焦点の50mm、80mmなどが発売されるだろうが、
このカメラにズームは似合わないようだ。

EP−1が発売された当初はあまり魅力を感じなかったが、
コンパクトタイプが全滅状態なので、
携帯性、システム性を考えるとマイクロフォーサーズの存在がにわかに上昇した。
EP−1は重量感があるのだがデザインがいまひとつピンとこない。
GF−1はいいのだが、パナソニックだしね〜。
やはりSONYに出していただきたい。
それも大人のティストにマッチする製品を。

●濃霧
8時前、新聞を取りに行って驚いた。
霧がかかっている。
しかもかなり濃い。
裏のレジーナもまったく溶け込んでいる。
数時間後、この時期にしては珍しい
風もない暖かい日になっていた。

11月に入って播種したダイコン、ホウレン草が芽吹いた。

11月25日(水曜日)

●露悪
月刊「宝島」の広告に
「長門裕之が衝撃の告白 不倫現場に洋子がきた日」

先日亡くなった、女優「南田洋子」の連れ合いで、
認知症の妻を介護し送った美談の主に祭り上げられた男だ。

「太陽の季節」で知り合い結婚したわけだが、
当時のニュースフィルムを見ると、
人前でベタベタし、仲のよさをことさら強調するような「癖」があった。

青春スターとして日活が売り出したわけだが、
この映画は「石原裕次郎」もデビューし、
スターの座は簡単に裕次郎に奪われてしまった。
その後、弟・津川雅彦にも追い抜かれ、
名門の長男としてのプライドは痛く傷つけられたまま
長い年月を送ることになる。

一時期、夫婦でテレビの音楽番組の司会をつとめていたが、
南田は映画からテレビに移り着実に地位を築いてゆく。
中年になって長門は貴重なバイプレーヤーとして映画、テレビに登場するようになる。

長い雌伏の期間に、日活のもてもて時代の女性遍歴を実名入りで出版するという、
破廉恥行為をやってのけた。
今は静に暮らす女性こそいい迷惑。
相手の気持ちを思いやることなどない。
自分だけさっさと果てるような勝手な男なのだろう。

父は沢村国太郎、母はマキノ智子、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、
祖父には「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、
姪に女優の真由子をもつという芸能一家。
業界の名門ともいうべき血筋ながら、若い頃から「粋」ではない。

落ち目の役者がやるような「暴露本」に妻の洋子は傷つくが寛大な心で長門を許す。
南田は女をあげ、長門は男を落す。
鬱屈しながらも、長門は小悪党、詐欺師などがお似合いのバイプレーヤーになる。

それぞれに円熟した演技を披露しようかという歳まわりになったころ、
南田洋子が認知症という「頭の中の消しゴム」状態になってしまう。
祖父を追い越そうと思ったかはわからんが、独立プロを興し借財をかかえていた。

そんな折、ふたたび長門は「暴露本」を出す。
今度は妻の介護記録という美談仕立てだ。
さらに、同じような状況にある方たちの参考になればと、
自宅にカメラを入れ様子を放映した。

元日活青春スター時代を知る者には残酷な映像が流れた。
彼女は決して美人ではないが健康的で快活な女優だった。
「十代の性典シリーズ」で共演した若尾文子は建築家黒川記章の未亡人として
ときおりテレビ、ラジオに出演し充実した老後を過ごしているのに、
南田の変わり果てた姿に、ファンではなかったが愕然とした。

「介護」という時代のキーワードを用いて自分をさらけ出し金儲けをたくらむ。
「お為ごかし」という言葉があるが、長門の処世術はまさにこれだ。
嘆かわしいが「役柄が人をつくった」。
妻・洋子をもっと静かにさせてあげられなかったものか。

常々苦々しく思っていたところ、
月刊「宝島」の見出しである。
「長門裕之が衝撃の告白 不倫現場に洋子がきた日」
自慢たらしく一体何が言いたいのか。
亡くなった南田に失礼きわまる。
こんな露悪趣味は読みたくないが、好きな連中も多いのだから困ったもんだ。

芸能一家に育った世間知らずの「野暮天」とはまさに彼のこと。
世阿弥の「秘すれば花」をご存じない。
あ〜〜〜〜嘆かわし。

11月24日(火曜日)

●江戸、東京の罪人
東京拘置所と伝馬町牢屋敷

東京拘置所と言われてもはじめはピンとこなかった。
年配者には「小菅刑務所」のほうが通りがいい。

この建物は子どもの頃から常磐線車窓からの見慣れた風景だった。
大学へ行くにも、その後社会人となり銀座の会社に通うにも
綾瀬を過ぎ、灰色の高い塀を見ながらだった。
当時、そこは足立区だとばかり思っていたのだが、
葛飾区だとわかったのは、だいぶ後のことだ。
今、東武線で都内に出ているが荒川鉄橋を渡る前に
東京拘置所と名を変え、マンションかと思える立派な建物を見ている。
縁があるんですね〜、とは言え中には入りたくありませんが。

この施設がなぜここに存在するのか疑問に思った。
そんなとき、即ウィキで調べるのが近年の習慣。

江戸初期、この界隈は関東郡代伊那忠治の18,000坪の下屋敷があった。
元文元年(1736)徳川吉宗命により御殿を設け、
葛西方面の鷹狩りの為の休息所として利用された。
徳川家重も度々訪れたが1742年に焼失以後、
御膳所に格下げされ1794年に取り払われた。

大政奉還後の1869年(明治2年)1月、関東郡代伊奈氏の屋敷跡に県庁を置き
小菅県が誕生した。これは現在の東京都足立区、葛飾区、江戸川区などや
埼玉県千葉県の各一部などを含む広大な土地であったが、
当時はまだ全国に藩も混在していた時期で、
1871年(明治4年)11月には、廃藩置県に伴って小菅県は廃止され、
周辺は東京府南葛飾郡に属することとなった。

県庁跡地は約10年間煉瓦工場となった後、明治22年小菅監獄となった。

昭和46年、巣鴨拘置所が小菅(旧小菅刑務所)に移転され、
旧東京拘置所(豊島区東池袋)は解体
平成9年 改築工事着工
平成15年 中央管理棟・南収容棟完成
平成18年 北収容棟完成

収容定員3000名
刑事被告人を収容する施設では、日本最大の規模を持つ。
全国に8箇所(東京・立川・名古屋・京都・大阪・神戸・広島・福岡)ある拘置所のひとつである。

なるほど。
大昔は由緒ある場所だった。



南千住駅至近に、小塚原処刑所
江戸時代から明治初期にかけ東京都荒川区南千住2丁目に存在した刑場。
江戸時代には、それぞれ江戸の入り口に存在した
板橋刑場、鈴ヶ森刑場とともに三大刑場といわれた。

1771年(明和8年)にターヘル・アナトミアを手に入れた
蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢・桂川甫周らが、
解剖図の正確性を確かめるために小塚原刑場において
刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合い、図の正確さに感嘆した。

1822年(文政5年)、南部藩の臣・相馬大作(下斗米秀之進)がここで処刑されて以後、
国事犯の刑死者の死体をここに埋めることになり、
橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎等安政の大獄で処刑された志士たちもここに埋葬された。

明治初期に西欧と対等の人権基準を設ける必要に迫られた新政府によって廃止されたが、
創設から廃止までの間に合計で20万人以上の罪人がここで刑を執行されたという


伝馬町牢屋敷

伝馬町牢は慶長年間。常磐橋際から移って明治8年約270年間存続し、
この間に全国から江戸伝馬町獄送りとして入牢した者は
数十万人を数えたと言われている。
村雲別院、十恩小学校(廃校)、十恩公園を含む一帯の地が伝馬町牢屋敷跡。
当時は敷地総面積2、618坪 で土塀を廻し堀をめぐらし
南西部に表門、北東部に不浄門があった。
牢舎は揚座敷、揚屋、大牢百姓牢、女牢の別があって 揚屋は士分僧侶、
大牢は平民、百姓牢は百姓、女牢は婦人のみであった。

十恩公園内には「石町(こくちょう)時の鐘」がある。
「石町は江戸を寝せたり起こしたり」と江戸市中に時刻を知らせていた。
一方では処刑もこの鐘を合図に執行されたとも言われており、
それぞれ色々な立場でこの鐘の音を聞いている。

十恩(じっし)公園内の一角に吉田松陰終焉の地の碑がある。
安政6年10月27日は処刑の日であった。
幕府の評定所は死罪を告げた。獄舎の廊下で裃紋付のまま縄にかけられ、
獄内の刑場にひきだされた。
首切り浅右衛門こと山田浅右衛門が三尺の野太刀によって執行した。
松陰 行年30歳であった。



日本橋小伝馬町に十恩公園という小さな公園がある。
安政の大獄に連座した吉田松陰終焉の地で、
ここで首を刎ねられたあと、南千住の小塚原処刑場に埋葬された、ということになる。



吉田松陰

1859年(安政6年)、幕府は安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令する。
松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、
同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(満29歳没)。
獄中にて遺書として門弟達に向けて『留魂録』を書き残す。
その冒頭に記された辞世は“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”。
また、家族宛には『永訣書』を残しており、
こちらに記された“親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん”も辞世として知られている。

小菅刑務所への疑問から始まった、
東京周辺「罪人を巡る小さな旅」インターネット版を終わります。

●イルミネーション
この時期になると六本木ヒルズや表参道のイルミネーションが
風物詩のように扱われるが、この町も黙ってはおりませんよ。
11月28日から来年の1月11日まで
東武動物公園内で「ウインターイルミネーション4Seasons」が開催される。
この期間は夕刻5時から8時30分まで
500円の入園料でイルミネーションを身近で見ることができる。

試験点灯なのか、7時過ぎまで東口ゲートあたりが輝いている。
早くもスカイツリーに電飾か、と思えるタワーも出現。

都内と違って周囲は田圃。
真っ暗なので、美しさが浮かび上がるところがいい。
わが家の裏手にあたるので、見ようと思えばいつでもOK。

11月23日(月曜日)

●関宿城へ

※今回のルートマップ。左下がわが家。右上の犬の目玉のような部分が関宿城

感謝されるほど働いていないが、本日は勤労感謝の日ゆえ休日。
天気晴朗にして風もなし。
最近、都内をチャリで徘徊しているので、「走り心」が目を覚ます。
で、昼頃、久々に関宿まで出かけた。
杉戸郵便局先の橋の工事も終わり、
国道4号バイパスまで走りやすい道に変わっていた。
バイパス手前の中川に沿ったところに
公孫樹の黄色がきれいな場所が遠望できたので立ち寄る。
宇和田公園という。
辺鄙な場所にあるので訪れる人も少ないようだ。

凸版幸手工場を左に見て、一気に江戸川堤防に出る。
初冬の日ざしの中を快適にペダルをこぐ。
季節風もなく絶好のチャリ日和。
ドロップハンドル、ギンギンスタイルの
にいさん、おじさんに抜かれるが、マイペースで写真を撮りながら
利根川の水を江戸川に取り入れるポイントまでポタリング。
自宅から12.54km。

※利根川と江戸川の分起点。
江戸川は下のほうに流れ込み、そこに堰(せき)がある。


※堰。丸印が古い鉄橋の一部
 この公園は春は美しい

江戸川のず〜〜〜〜っと下流、金町で幼少期を過ごした者としては、
ここに来ると深い感慨にとらわれる。
なにしろ、ここが江戸川の始まりなのだ。
金町小学校の同級生で、ここを見たのは私くらいではないの…
分岐点ぎりぎりまでは立ち入り禁止なので行けないのが残念だ。

取水ポイントを渡って公園に入る。
古い鉄橋の一部が展示されている。
今まで由来を読んだことはなかったが、
明治時代に市川と小岩を結ぶ総武線の鉄橋として使われていたものと知る。
大正15年に撤去され昭和3年横浜の大岡川で使用され、
平成6年に大岡川から撤去され、
平成11年現在の場所に設置されたという。
大岡川といえば、桜の名所で季節には
京浜フェリーボートの観光船が運航される。
江戸川の起点で余生を送る橋に親しみを憶える。
今度来たときは、お神酒でもかけてあげようかな。

公園側から見る関宿城はなかなか美人である。
茨城県境を背にして見る姿もなかなかだ。
要は、どこから見ても天守閣は美しい。
近在の美形の城に忍城があるが行田まで行くには遠すぎる。
復元された城で、本来ここにはなかったものだが、
関宿藩の象徴として現代によみがえり、
わが家から1時間でこんな立派な城郭を見ることができるのを感謝。

関宿町は野田市になり、千葉県の北端である。
松戸の対岸で幼少を過ごした者としては、
「思えば遠くに来たもんだ」だが、
人生流転…それはそれでいい。
あの、中央で活躍した鈴木貫太郎翁も晩年は
出身地の関宿で過ごし昭和23年4月17日人生を終えた。
私は昭和22年まで百間村に疎開していたが
その頃、偉大な鈴木貫太郎前首相が
目と鼻の先の(というには少し距離があるが)関宿で暮らしていたとは…
赤ん坊を卒業したての子どもだったから、
そんなこととはツユ知らず。

関宿城の裏手で利根川の対岸の境町を見ながら食事をし、
狭い道を通り、鈴木貫太郎記念館へ。
ここは3度目の訪問。
受付の男性に写真撮影は不可?と尋ねたら、
特別に「可」との許しを受け、展示物の数々に堂々とカメラを向ける。
館内は車で来たと思われる中年の夫婦が2組。
これまで、見学するときは常に私だけ、という状況だったから、
本日は大入りだ。

ポツダム宣言を受け入れるか否かの午前会議の絵画を見る。
若い昭和天皇とそれを囲む閣僚。
重苦しい雰囲気が伝わってくる。
映画「日本の一番長い日」では、天皇の玉音盤を奪取しようとする
戦争継続派の若い将校が描かれるが、
その「玉音盤」も展示されている。
さらに、2.26事件で反乱軍の将校に拳銃を突きつけられている
寝巻き姿の鈴木貫太郎も生々しい。
この事件で撃たれた鈴木貫太郎は九死に一生を得た。

終戦内閣の首相だった鈴木貫太郎の業績が、
このような鄙びた場所で見られるというのも不思議な感覚にとらわれる。

記念館裏手から少し走り、チャリをかついで江戸川土手にのぼる。
関宿橋の上から江戸川の上流、下流を撮影し、一気に自宅まで。
走行トータル28.65km。
所要時間約3時間。

拭きあげられたチャリは部屋に戻り、また眠りについた。
今度目覚めるのはいつ?

11月22日(日曜日)

●橋、今昔
江戸の昔より隅田川は庶民の生活と深く関わっていた。
軍事目的から橋をかけず渡し船で人や物資の移動を行ってきたが、
大火、地震などで逃げ場を失った人たちの多くが川で亡くなったこともあり、
要所に橋がかけられた。
また、徳川家康の頃から運河が掘削され、地方の物資が江戸に運び込まれた。
従って、隅田川とそこに入る運河には大小数多くの橋がある。
歌麿、広重、北斎の浮世絵には「大川」もおびただしい。
まだ、走りはじめて2回だが、往時を偲び比較してみたい。
まだ、ネタは少ないけど。

柳橋
台東区と中央区の境界となる神田川が隅田川に注ぐ出口に「柳橋」がある。
柳橋は台東区側だ。
蔵前、浅草橋、横山町の問屋街はビル化したが、
浅草橋を隅田川方面に入ると、昔の花柳界の名残が少し感じられる柳橋。
2〜3階建ての家並みが密集し、午後はビルの影になりひっそりとしている。
柳橋側から神田川にかかる「柳橋」を渡れば、中央区東日本橋の入口。
靖国通りに出て左へ行けば両国橋。
明るく交通量の多い、普段の問屋街の姿に戻る。

※柳橋側から東日本橋方面を望む

※広重描く柳橋。もう少し右から写真を撮れば、浮世絵と同じアングルになった。

緑のペンキで塗られた「柳橋」は、
小さくてもアーチがあって堂々として明治・大正のにおいがする。
そのまた昔の木橋の頃はは、両国橋の向こうから力士が遊びにきたり、
大店の旦那衆が席にあがったのだろう。
広重の浮世絵から、そんな賑わいが伝わってくる。
店の名前は絵からはわからないが、
平成の御世、「亀清楼」の文字が読み取れる。
浮世絵の子孫が経営しているのだろうか?

萬年橋

※この橋を右に隅田川に出ると、清洲橋のベストビューポイントに出る。


※北斎描く萬年橋

江東区の小名木川の入口にかかる萬年橋。
徳川家康の命で小名木氏が小名木川を作り、1680年頃には
この橋の記録があるという。
萬年橋がかかっていたという記録があるらしい。
隅田川に面した場所に芭蕉庵史跡庭園という小さな施設がある。
遊覧船から見えるのはここだ。
萬年橋の先にあるので、由緒ある橋とは知らずに渡った。
北斎描く萬年橋は川の上から見ているので、
このアングルで撮影することはできない。
シーズンイベントで、小名木川を船で行く企画があるそうだ。
凝るなら、この船に乗らなくてはいけない。


11月21日(土曜日)

●リバーシティ21
21日だからというわけではないが、
佃島のリバーシティ21を見学した。
正式には「大川端リバーシティ21」という。
石川島羽島重工業造船所跡地の再開発で誕生したマンション群だ。
永代橋側から見ると水の上に浮かぶ都市のような感がある。

※中央大橋

ここも中央区なのだが、普段は銀座界隈を右往左往している者には別世界のように映る。
その昔、築地明石町から佃大橋を通って月島の大きな撮影スタジオに行ったことがあったが、
銀座からすぐの場所に、こんなひなびたところがあったのか、と驚愕したものだが、
平成21年末、高層ビルが立ち並ぶ未来的なゾーンに変身していた。

以前、出久根達郎氏の「佃島ふたり書房」を読んだとき、
その地域の鎮守、住吉神社の存在を知った。
地図で確認するとリバーシティ21に隣接していた。
今回は、ぜひこの神社を見たいと、茅場町側からペダルをこぎ始めた。

※勝鬨橋で

隅田川が晴海運河と分岐する股の部分に佃がある。
永代橋の手前を右に折れるとサイクリングロードに出る。
(上流へ行けば浅草まで出られるが、それは次回のお楽しみ)
地図では距離があるように見えるが、2〜3分で佃に入る中央大橋に出る。
平成5年に完成した新しい橋で、フランスの会社にデザインを依頼した。
(隅田川とパリのセーヌ川が友好提携している縁で、という)
橋の中央に飾られている彫像は彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」。

橋を行き交うのはジョギングする男女、ポタリングの人々、買い物にゆくお年寄り、
ビジネスマン…外人の姿も多い。
すべてが都会的でおしゃれで、さまになっている。

佃1丁目、2丁目の間を広い道が通り、両サイドには何棟もの高層マンションがそびえている。
街路樹もほどよく生育した美しい町並みだ。
隅田川に沿って佃公園を過ぎ佃島小裏を通り佃小橋を渡ると風景が一変する。
潮溜まりのある下町が出現する。
だが墨田・江東の下町風情とは少し違う。
昔ながらの店構えの佃煮屋もあるが、家並みを連ねる箱庭のような区画は
建て替えられ2階建てのしゃれた作りが多い。
道は石畳になっており、
ヨーロッパの裏通りもかくや、と思わせる(行ったことはないが)。
見上げれば、高層マンション。
その対比の妙を求めて観光客の姿も多い。

住吉神社は緑濃い小さなスペースに鎮座していた。
一人の青年が社殿に向かって深々と頭を垂れていた。
周囲を撮影しながら、若い人にしては信心深いな、と観察していた。
長いこと社殿の前を去ろうとしなかった。
たぶん、築地で働いている氏子なのだろうと思った。
築地市場の勤め人は、昼下がりには仕事を終えている人も多い。
彼が去ったあと、今度は犬を連れた男性が参拝に来た。
その人も深々と、丁寧に頭を垂れた。
この神社は年齢を超越して地域の人々の深い信心を集めているようだ。
小説「佃島ふたり書房」にも、神社と生活の深いかかわりが描かれていた。

佃をあとにして晴海通りに出て、朝潮運河にかかる黎明橋を渡り
「トリトンスクエア」に出る。
ツインタワーの高層ビジネスビルがそびえていた。
少し戻り、晴海と月島を結ぶ「晴月橋」という単純明快な橋を渡り、
清澄通りに戻り、相生橋を渡り江東区越中島に入る。
元商船大学、今・東京海洋大の校舎が迎えてくれる。
柵があって入れないので、陸に上がった「明治丸」を船尾側から眺める。

第2の目的に向かってペダルをこぐ。
隅田川べりを上流に向け永代、佐賀、清澄を通り
小名木川にかかる「萬年橋」を渡る。
渡ったすぐの左側が「芭蕉庵史跡庭園」。少し直進すれば「芭蕉記念館」。

昨年正月、浜離宮から浅草まで船に乗ったとき、
ここの人だかりが気になっていた。
その後、地図で調べたら「芭蕉庵史跡庭園」と判明。
以来、訪れる時期を待っていた。
半蔵門線を使えば東武動物公園から清澄白河駅まで1本で行けるが、
そのあとが徒歩では行動範囲に限度がある。
できればチャリで周辺一帯を見て回りたいと思っていたが、
ひょんなことから実現したのだ。

芭蕉庵に到達する前、平賀源内が「エレキテル」の実験を行った地、
という碑に遭遇するなど、チャリ巡りは心躍る出会いがある。

俳句の心に触れたあと、両国に出た。
第3の目的地は本所松坂町。
そう、吉良上野介の住居跡だ。
赤穂義士が元禄15年に討ち入りした歴史的ポイントが、本所松坂町。
以前から、どのあたりにあるのかと思っていたが、
なんと両国3丁目と判明。
急に見たくなったのだ。
回向院前の大通りを少し清澄通りに行き右に入れば目的地。
今は、小さな「本所松坂町公園」になっているが、
海鼠塀の立派な造り。
とても公園とは思えない。
くぐり戸をくぐれば、説明書きが3方の壁にずらり。
片隅に「首洗いの井戸」がある。
その昔は2550坪という広大な敷地だったが、
今は井戸の部分を残す29.5坪の小さなスペースが往時をしのばせるだけ。

上野介の首を槍にくくりつけ義士は両国橋を渡るのだが、
吉良邸から橋まではほんのわずかな距離。
そこから品川の泉岳寺までの行進のほうが遥かに長い。
いろいろ調べていると、義士たちは、小名木川の萬年橋を渡った、という記述もある。
本所松坂町から泉岳寺までのコースを調べる必要があるね。

吉良邸の近くに、勝海舟生家、芥川龍之介住居跡があるようだが、
それは次回のお楽しみ。

両国橋を渡り、一気に出発点…と思ったが
横山町、馬喰町、本町、日本橋、京橋を抜け銀座に出た。
夕闇迫る銀座通りはホコテン。
1丁目・幸稲荷横の飲み屋横丁に到着した。
ここは、サラリーマン時代毎晩のように飲んでいた場所だ。
「ともえ」「倫」のあった側は、バブル時代に地上げが入り
ビルに変わってしまったが、向かいは昔のままだった。

だが、目の前は
女流俳人「鈴木真砂女」が経営していた「卯波」のあった
平屋が取り壊され高い塀で囲まれていた。
なんと、ここもビルに変わる。
時代とともに銀座が変わるのは仕方ないが、
20代に通い詰めた一角が消滅するのは寂しい限り。
今さら新しい店を開拓する気にもなれない。
私の銀座が消えてゆく。
次第に他人の町になってゆく。

銀座通り、昭和通り、新大橋通りを抜け
一気に出発点に戻った。



白髭から勝鬨まで隅田川にかかる橋を渡るだけなら
チャリなら2時間くらいで終わるだろう。
これでは面白くないので、
史跡を巡りながら右岸左岸を行けば、
結構面白い展開になると思い、本日は2回目となった。
今後の顛末は、別Siteで行うことになるかも知れない。



これまで、自宅のチャリで関宿や古河、清水公園へ出かけたが
到着までの風景は、どこも代わり映えしない。
いきおい、タイムトライアルになってしまう。
冬場の江戸川、利根川の土手を走るのは季節風の関係でしんどい。

千代田、中央、港、墨田、江東あたりならなんとなくわかる。
しかも、変わりゆく風景に出会うのは楽しい。
江戸と現代を比較しながら走るのはもっと面白い。
当分、こちらにウェイトを置くことになるだろう。

11月20日(金曜日)

●獅子柚子

4〜5年目にして獅子柚子が1個、実をつけたことを先日、確認した。
ところが、その奥にもう1つ実っていた!
柚子の苗木が実をつけるまで10年はかかると聞いていたから、
これは奇跡としか言いようがない。
味はその形状に似て大味。
だから、冬至の(今年は12月22日)湯に浮かべるしかないのだが、
2個もあるのだから、1つは鍋の薬味にしてみようか。



1時近く、裏の用水で久々に「かわせみ」に遭遇!
ジョンと散歩に出ていた頃は、かなりの頻度で出会っていたのだが…
(彼が逝ってから、早いもので来月で1年になる)

完全に木陰になった農の道。
用水の水面すれすれに飛んでいたのが
急上昇して枝に止まった。
チャリで近づくと、いつもなら動物公園方向に飛び去るのだが、
今回は、わが家の裏の雑木林方向へ向かった。
どんな場所に巣を作るのか不明だが、
近場に住んでいるのなら、
また会えるかもしれない。

11月19日(木曜日)

●美咲、ゆく
栃木出身の美貌のタレント伊藤美咲がパチンコ屋の御曹司と結婚した。
パチンコ屋といっても遊技場ではなく台のTOPメーカーで、
40代前半だがとてつもない年収らしい。
パチンコが庶民のレジャーの王様であり続ける限り、
彼女は贅沢三昧の生活が約束されたようなもんだ。
めでたしめでたし。

狼の多い芸能界で、男の噂が立たない珍しい存在だった。
美人だけに近寄りがたいのか。
そういう子にはお笑い系が素早く手を出すのが常道だが、それもなかった。

彼女の存在を知ったのは、確かゲート・ウェイというアメリカのパソコンの広告だった。
スタイル抜群、鼻の形がよく、彼女は売れると直感した。
パソコンメーカーは撤退してしまったが、
間もなく彼女は「チョーヤの梅酒」のCMに登場した。
最近はクジのCMにも出ている。
結婚後も仕事は続けるのだろうな。
美人を閉じ込めておくのは罪だもんね。

●不毛地帯
6回目。昭和42年の東京、大阪。
中東戦争勃発間近。
船舶ビジネスでは東京商事の鮫島に負けるが、
戦略物資ビジネスでは近畿商事が大勝利を収める。

第3次中東戦争がエジプト軍有利で長期化すると予測した東京商事に対し、
イスラエル軍優勢で短期終結すると読んだ近畿商事。
結果は、イスラエル軍降下部隊がゴラン高原を急襲、
浮き足立ったエジプト軍は敗走。
戦闘は6日間で終結した。

副社長で東京支社長の里井(岸部一徳)は
常務になった壱岐の業務本部の部局を超えたビジネスの進め方を快く思わない。
船舶ビジネスは彼の妨害で商機を失った。

中東戦争ビジネスが終わり、壱岐は社長に里井を超える身分を要求する。

ライバルの鮫島の息子と壱岐の娘・直子が交際している。
重役の息子らしくスポーツカーで送り届けたついでに家に上がりこむ。
息子は親に似て馴れ馴れしく、ず〜ず〜しい。
母親にも上手に取り入っている。
俺が親なら、即刻たたき出す。

昭和42年といえば、私は銀座1丁目の広告代理店の2年生。
駆け出しのコピーライターで、
当然、夜は飲み歩いていた。
その頃、伊藤忠商事は徹夜で中東の情報分析を行っていたのね。

●新傾向
コンパクトデジカメの機能競争も行き着くところまできた。
市場も成熟し売り上げは頭打ち。
そんな状況を打開すべく開発されたカメラがいくつかある。

※左からNikon、フジ、カシオ

1.Nikonクールピクス:プロジェクター機能
最近の液晶モニターは3インチ。カメラサイズの3分の2以上の面積を占めている。
確認するならこれで充分だと思うが、Nikonは、40cm位の拡大映像を
投影できるプロジェクターを内蔵した。
テレビに接続すればかなり大きな画像を再生するが、
ケーブル接続がわずらわしい。
パーティなどみんなで盛り上がりたいとき、これなら壁に投影できる。

2.フジファインピクス:画像を立体的に見せる3D機能
昔からレンズを2つ搭載したステレオカメラがあった。
だが、これは2枚の写真で立体的にしていた。
ファインピクスも2枚レンズで同じような顔つきをしているが、
モニターで立体に見えるようにしている。
先進技術なのだろうが、何が面白いの?

3.カシオエクシリム:ハイスピード
高級デジタル一眼でも連写は4〜5枚というのに、
コンパクトタイプながら40枚/秒という超連写を可能にした。
スポーツ写真などではありがたい機能なのだろうが、それがどうしたの?

コアニーズを掘り起こせそうな機能だが、
オーソドックスなカメラ好きには、キワモノでしかないだろうね。

私が望ましいと思うコンパクト・デジタルカメラの条件は、
金属ボディ、明るいレンズ、拡張性、ファームウェア提供だ。
要は10年くらい愛着をもって使い続けられること。
メカニカルカメラ時代はそういうタイプが結構あった。
それが、デジタルになって機能開発競争が始まり、
体力のないカメラメーカーが脱落していった。

コストダウンと軽量化のため、プラスチックボディは当たり前。
見るからに安っぽい姿になった。
この隙間を狙ったのがリコーGRとSIGMAだ。
特にリコーはワイド単焦点レンズ、金属ボディ、電子ファインダーなど
カメラ好きの心を揺さぶっている。

NikonやCANONはリコーに先行されたジャンルに
後発参入するのは沽券にかかわるのか、
ハイエンドコンパクトデジカメというジャンルでとどまっている。
デザインは最悪だし、持ち歩く気にもならない。
CANONは7〜8万円で入門用デジタル一眼を発売しているので
現行のハイエンドコンパクトタイプの最上位機種を発売すると
競合するとでも思っているのだろうか。
重いデジタル一眼のサブ機として、
上質なコンパクトタイプを使いたいと思っている人は多い。

商品生命の長いタイプのラインナップ化は、
メーカーにも有効だと思うのだが。
うかうかしていると、
マイクロフォーサーズグループに侵食されるだろう。

11月18日(水曜日)

●挿絵
昼間は暖かかったが、夕方から季節風が吹き急激に肌寒くなった。
11月も中盤なので当然なのだが、
まだ、衣服も気分も秋口だもんね。

いま、読売朝刊の新聞小説は稀代のストーリーテラー・宮部みゆき女史の
三島屋変調百物語事続が快調に進んでいる。
とはいっても、新聞小説は細切れなので読むことはない。
毎朝注目するのは「イラスト・ライター」、怪人・南伸坊氏の挿絵だ。
シンプルな線で人物を描写している。
風景描写はなく人間に寄っているのが特長だ。
美人、醜女、番頭、丁稚、町人、学者などなど
写真ならバスト・ショットのポートレートといった具合。

今朝は妙齢の女性と悪餓鬼。
当時の美人の条件は、歌麿の版画でもわかるように瓜実顔で切れ長の目。
歌手の坂本冬美が当時なら江戸中の評判というところか。
南画伯もそのあたりはきっちり抑えている。

新聞小説の挿絵は刺身のツマではない。
読まずとも内容がほのかに伝わる。
モノクロであっても小説に色を感じさせる。
互いに響きあう。
そんな関係にあるのではないか。



昭和12年。
永井荷風の「墨東奇談」の連載が朝日新聞ではじまった。
挿絵は洋画家の木村荘八。
小説家と玉の井の私娼の物語だが、今となっては古典だ。
いま、玉の井という地名はない。

小説の構想を練り、永井荷風が玉ノ井に通い始めたのが、昭和11年早春。
脱稿は10月。
翌年、新聞連載が決まり挿絵を木村荘八が担当することになった。
木村は、そのときから玉ノ井通いが始まったという。
町の雰囲気を観察するだけで終わったのか、娼婦を買った定かではないが、
風流人の木村なら、当然遊んだのだろう。
これも、仕事、といいながら。

新聞の挿絵はたいそう評判だったようだ。
ペン画デッサンのような線なのだが、雰囲気がよく伝わる。
さすが中央画壇で活躍した方である。

木村荘八は明治26年生まれ、昭和33年に65歳で没している。
牛鍋チェーン店いろは創立経営した木村荘平の妾腹の八男として、
東京市日本橋区(現・中央区)吉川町両国広小路(現在の東京都中央区東日本橋)の
いろは第8支店に生まれる。
父の死後、浅草のいろは第10支店と京橋のいろは第3支店に移り、
帳場を担当しながら美術家を志す。
著書『東京の風俗』所収の自伝的文章「私のこと」によると、
旧制京華中学校4年生の頃から学校へはほとんど行かず、芝居見物と放蕩に熱中したという。
(以上ウィキ)

生まれた場所が、私の2代前が店を開いていた近所というのも親近感がわく。

墨東奇談は当時の現代小説。
玉乃井界隈の私娼窟の風俗が濃密に描かれている。
木村荘八は随筆の名手でもあり数多くの著作がある。



南伸坊氏はかつて「ガロ」の編集長だった。
著作も多い。
「トマソン」のメンバーとしてもつとに有名。
今なおサブカルチャーの旗手なのだ。
おむすび顔の団塊の世代。
坊主刈りのごま塩が目立つ頃合になった。

平成の挿絵の名手の多方面での活躍には目が離せない。


11月17日(火曜日)

●反町駅
東横線が中華街まで延伸することになり一部が地下鉄になった。
東白楽駅を出てすぐの神奈川工業高校脇から地下にもぐり始める。
そこから反町まで、今まで高架だったところが
すっかり取り払われ細長い公園になっている。

宮代に越してくる前はこの付近の山の中腹に住んでいたこともあり
地形はわかっていたのだが、
高架跡地を見たときは、一瞬どこの町に紛れ込んだのかと思ったものだ。

昔の反町駅は階段を上ったところにあり、
すぐそばにトンネルの口が開いていた。
短い暗闇を抜けると横浜だ。

地下にもぐった反町駅から横浜に出た。
この駅を使うのは17〜8年ぶりだろうか。
長いエレベータを2回乗り継いでホームに出るのだから
かなり深い場所を走っていることになる。
横浜から高島町の間、一部海の下を走っているのかも知れない。
だから、こんな深部になるのだろうか、と思った。

地上の商店街はたいして変わった様子はないのだが、
ここから「みなとみらい21」へ10分たらずだから、
思えば便利になったものだ。

雨の中、近くのお嬢さん学校の生徒たちが帰る姿が懐かしかった。

11月16日(月曜日)

●冬支度
昨年晩秋に播種したダイコン、小松菜、カブのできのよさに気をよくして
今冬も同じ野菜を作ることにした。
さらに、ホウレン草に初チャレンジ。
冬の野菜は寒さ対策が肝心というわけで昨年同様トンネルを作る。
きちんとやるには糸を張るのだが、そのへんのところはアバウト。
菜園の脇にあった支柱で平行を出すのだが、
いつも少し曲がってしまうのはご愛嬌だ。
というわけで、昨日の午後のひとときで2つのトンネルが完成した。

※奥のほうが、たるみがなくて、できがよい

※ダイコンとカブは、1週間で発芽した。

※ブラックベリーが芸術的に紅葉した。

11月15日(日曜日)
●友愛
鳩山首相がシンガポールで、お得意の「友愛」演説を行った。
東南アジアの海を「友愛の海」とし、
災害支援には自衛艦を「友愛ボート」として派遣するという。
(ピースボートつ〜のがあるが、自衛艦をボートと呼ぶのはなんかおかしい)

国連での鳩山イニシチティアブに端を発した演説。
日本の新首相として存在感を示そうとするのはわかるが、
彼が定義するところの「友愛」精神は
欧米、アジアで正確に訳され、理解されているのか心配になってきた。

彼は自身「友愛」の理念を
「友愛とは、すべての人が互いに人の役に立ち、必要とされることで、
社会につながっているきずな。居場所を見つけられる世の中だ」と説明し
HPでは
「民主党の目指す社会は、私流に言えば友愛社会です。
すなわち、個人の自立・尊厳を前提に互いに支えあう社会です。」
「私流」つ〜のがくせもので、なんとなく、青年の主張みたいだな。

キリスト教の「友愛」とは異質らしいし、
米国マスコミで「鳩山友愛」は酷評されている。

汎ヨーロッパ主義を唱えたクーデンホーフ・カレルギーの受け売りと
正直に言ってしまえばいいものを。
そうすれば、東アジア共同体構想をぶちあげても理解できる。
ヨーロッパにEUが誕生したように、彼はAU(ASIAN UNION)を
実現させたいのだ。
ところが、中国、北鮮、ベトナムは社会主義国家だから、
ヨーロッパのように簡単にはゆかない。
さらに、アジアの多くの自由主義国家はヨーロッパと異なり発展途上国が多く
同じスタートラインに乗せることは不可能だ。
さらに、赤道近くの国々の人々は日本人のように勤勉ではない。
こういう民族が「アジア連合」を形成できるわけがない。
それでは、日本を盟主とする「大東亜共栄圏樹立」などと言おうものなら
袋叩きに遭うしね。


というわけで、鳩山氏の「友愛」は理想論で終わりそうな気がする。

理数系出身の首相なら、こんな文学的な言葉を使わず、
数学的な発想をしていただきたい。

●オバマ東京演説
オバマ氏が大統領就任後初訪日。
13日夜、大統領専用機AirForce1が到着。
14日午前、サントリーホールで演説。
昼、皇居で天皇皇后と昼食
午後、APEC出席のためシンガポールに向かう
当初、夕方離日の予定だったが14時40分頃機上の人に。
日本滞在、約23時間という強行軍だった。

演説で、大統領は米国を「アジア・太平洋国家」と位置づけ、
「米国初の太平洋大統領」と自ら名乗った。
約28分間の演説の最後に、この発言を行った。
このサプライズ演説に、約1500名の聴衆は総立ちになり
少なくとも50秒以上、割れるような拍手があった、と新聞は報じる。

ワルシャワでの核廃絶発言に続き、国内はもとより国際社会での
オバマ大統領の演説のうまさはつとに有名だが、
米国が、ここまで太平洋重視の発言を行ったことはなかった。
若いスピーチライターが影でどれだけ寄与しているかわからんが、
これはリップサービスではないだろう。
というのも、アングロサクソン系の移民国家である米国は
これまで大西洋に向き「欧・米社会」の一員という考えを重視してきた。
だが、移民の子孫の母国であるヨーロッパは、
EU連合という新しい経済圏を形成してしまった。
そこでは、米国排除とまでは言わないが、古い歴史をもつ国々が
未来に向け地球の再編成を行いつつある。
北米ではアジア系移民も多く、社会的地位も向上してきた。

そこで、必然的に中国、インドなど発展の勢いを増す太平洋に目を向けることになる。
オバマ氏はアフリカ系で幼少時にハワイで過ごし、母親とインドネシアに移住、この間
日本に観光旅行、再びアメリカに戻りシカゴを拠点に頭角をあらわしてきた
この出自と経歴を見れば明らかなように、
落日の大西洋ではなく、日の出の勢いの太平洋に目を向けるのは当然、自然だ。

最近の米国政策がジャパン・パッシングと呼ばれ、
日本の頭上を越して中国寄りといわれるが、
これはあくまで経済政策であって、
国家体制が米国・中国とではまるで違う。
アジア政策の重要なパートナーは日本だ。
江戸末期、米国のペリーにより開国の第一歩が始まったという長い関係がある。
太平洋戦争で不幸な時期があったが、
戦後は、またまた米国のマッカーサー元帥により軍国主義が排除され
民主国家に生まれ変わった。
日本の1世紀半に及ぶ近代化の歴史を見れば、
米国がどれだけ関与しているか明白だ。
この歴史的事実をしっかり捉え、ユキオちゃんは発言しなくてはならない。
いつまでも、優等生的な抽象的な国際論、国家論に始終していては、
国民はもとより世界から軽く見られてしまう。
「バラク&ユキオ」などと親友のような呼び合いで満足することなく、
激烈な心理戦にも負けない「演説」をたのんまっせ。

11月14日(土曜日)

●珍品
仕事部屋があまりにも乱雑になってしまったので、
このところポチポチ整理している。
とにかく紙の資料が多い。
そのまま捨てればいいものを
袋に入ったスクラップ記事を引っ張り出して読み始めるもんだから
はた目からすると、本気でやっていない、と映るのだろう。
大昔の資料が出てくると、当時の仕事が思い出される。
だが、本人は結構真面目に取り組んでいるのだ。

納戸の段ボールの底からSONY製の小さなスピーカーが出てきた。
ウーファーの上に2つのツィーターがついている。
カニの目玉のようだ。
こちらに引っ越す前に購入しているから、かれこれ20年物だろう。
ウォークマンがまだカセットテープで再生していた頃、
ヘッドホンに代わり、出力端子に差し込んで音を出す。
AC、乾電池の2Way駆動だ。

デジタル携帯プレーヤーが隆盛の昨今、
このテのスピーカーは各社から発売されている。
iPodにはユニークな物が多いが、こういうデザインは皆無である。

昔のSONYには遊び心があった。
デジタル携帯プレーヤーは一時期、Appleに席巻されていたが、
最近、SONYが巻き返しているという。
周辺機器のコーナーを見ても、未だ楽しい製品に出会っていない。

しばらく、このカニ型スピーカーを現役復帰させてみよう。

というわけで、久々にSONY同士がドッキング。
LauraFygiの、ごきげんなヴォーカル。
音は、このサイズ、形状にしては上出来。
ホット・ウィスキーが欲しくなるが、
近頃身辺に酒っ気なし。
コーヒーでがまん、がまん。

11月13日(金曜日)
●東京大衆歌謡楽団
先日、チャリで上野に出かけた際、不忍池に回ってみた。
日曜日だったので賑わっていた。
蓮の葉は枯れ、伸びきった茎の間を小さな水鳥が動き回っていた。
下町風俗資料館あたりでアコーデオンが聞きえていた。
その音に誘われてペダルをこぐ。
青年が歌っていた。
なつかしい昭和20〜30年代の歌謡曲だ。
ウッドベースとアコーデオンとボーカル。
歌が流行った頃の雰囲気を濃厚に感じさせていた。
人だかりがして、投げ銭をするお年寄りもいる。

※お年寄りのハーモニカとタンバリンが飛び入り、コラボ

そのグループが、TBS大沢悠里のゆうゆうワイドにゲスト出演していた。
名は「東京大衆歌謡楽団」
高島兄弟+1。
20代後半というが、上野で見た若者は、昭和30年代から抜け出してきたようだった。
上野だけでなく、浅草でも演奏しているということだ。
泣くな小鳩よ、東京ラプソディなどが入ったCDも発売されるという。
あの頃の歌は詞がいい。
特にNHKのラジオ歌謡は詩人が書いたものもあり言葉のひとつひとつに味がある。
メディアがラジオという時代だったから、
必然的に耳から歌が入ってくる。
繰り返し聞くうちに、小学生の子どもでも大人の歌を覚え歌えてしまう。
その最右翼が美空ひばりだった。

人と人の顔を合わせたコミュニケーションがごく普通に行われ、
貧しかったが、万事にのんびりとした、今思えばいい時代だった。


●不毛地帯
5回目
昨夜は、壱岐のめざましい出世ぶりが描かれた。
昭和42年、壱岐は近畿商事の常務取締役、業務部長となる。

このドラマが始まる寸前に「事実と酷似している部分があっても、フィクションである」と
断り書きが流れる。
従来、このテの「断り書き」はドラマの最後に流れるものだが、
壱岐のモデルが瀬島氏であると広く喧伝されてしまっているので、
今回のような措置になったのだろう。

実際の瀬島龍三氏は、
昭和36年10月1日、伊藤忠商事業務部長、
昭和37年5月、取締役業務本部長
昭和38年11月、常務取締役
昭和43年5月、専務取締役
昭和47年5月、取締役副社長

昭和33年1月伊藤忠商事入社から14年で副社長という
異例の大出世を遂げている。

この間、日本の対インドネシア賠償
国防庁の第一次FX(次期主力戦闘機)
国防庁、バッジ・システム
第二次FX等、国策ビジネスに携わってきたとみられる。

昨夜のドラマは、第二次中東戦争勃発前夜を扱っていた。

1956年10月29日、イスラエルのシナイ半島侵攻により開始された。
おおかたの予想を裏切りイスラエルの空挺部隊により
シナイ半島の大半を占領、エジプト軍は総崩れになった。
結局国連の調停案を受け入れ、11月6日に停戦した。

近畿商事の壱岐は、社内に業務本部を設立することを社長に提案。
各部から優秀な社員を引き抜き、縦割り業務だったが
それを超越した社長直属の部門を創設した。
社長いわく、参謀本部を社内に創るのか。

当時の商社の情報収集能力は他の企業をはるかに凌駕していた。
ビジネス領域はワールドワイドなので、
世界中の支社、駐在員事務所から刻々と入手し、ビジネスに活かしていた。

ドラマでは、入手困難なイスラエル情報に対し壱岐がどう対処したか、が描かれる。
都合のいいことに、以前から使っていた銀座のクラブのママが、
華僑の第2夫人になっていた。
亭主がビジネスでイスラエルへ出かけており、情報が入手できた。
彼からさらに、新しいルートが広がり、
胡散臭い小さな貿易会社の社長と知り合う。
イスラエルが大量のスズやゴムを必要としていることを知り、
戦争間近、ということを確信する。
その商品を壱岐が調達することにして、新たなビジネスが始まる。
ここに横槍を入れるのが、東京商事の鮫島だった。

ドラマでは、壱岐の娘と鮫島の息子が偶然図書館で知り合い交際している。
しっかり小説しているのだ。

似たようなことを思い出した。
大学の親友の1人はテレビ朝日、もう一人は電通に勤務していた。
テレ朝のほうの息子は博報堂に入りTBSを担当していた。
電通のほうの娘はTBSに入社していた。
ひょんなことから息子と娘は出会い付き合いが始まってしまった。

3人で飲むことはなかなか実現できなかったが、
別々に飲むことはあった。
そんな折、テレ朝のほうからその事実を聞かされた。
事実は小説より奇なり、とはまさにこのこと。
大学の親友の子どもが、万が一結婚でもすれは、それはめでたい。
電通と飲んだとき、その話が出て、やはり事実だったが、
彼は困惑顔をしていた。
結局、ゴールインまで到達しなかった。
テレ朝は10年以上前この世を去った。
来週は祥月命日。

●13金
一年に何度かある、13日の金曜日。
キリスト教では不吉な日なのだろうが、
昔は、大学の広告研究同期が六本木は材木町のジョン・金谷に参集する日だった。
告知をしなくても、時間の許す奴らが集まっていた。
日光や鬼怒川でホテル経営をする金谷観光の自社ビルの2階にあり、
静かな大人のBarだったが、今はもうない。

今、13日の火曜日に東京駅八重洲口のなんとか言う店に集まっているが、
そちらに変わってから一度も顔を出したことがない。
親友は来ないしね。

11月12日(木曜日)

●必殺仕分人
来年度予算要求の無駄を洗い出す行政刷新会議の「事業仕分け」が行われている。
傍聴人あり〜の、テレビカメラあり〜の、Web中継あり〜のと、
今まで予算策定は国民のあずかり知らぬところで行われていたが、
民主党政権になって一気にオープンスタイルになった。

予算をいただこうとする事業の代表と政権から派遣されたメンバーの
丁々発止のやりとりがなまなましい。
例えば、的確な数字を求める蓮舫議員に対し、
なぜそういう数字になるかを説明しようとする白髪の女性理事長。
きりっとした顔つきで相手の発言をさえぎり、質問の答えだけを求める。
ついに、白髪が業を煮やし蓮舫議員に噛み付く場面もあった。

どのような素性の白髪女史か知らんが、
TVカメラが入ることがわかっているのだから
それなりに身なりを整える配慮があってもよかったんじゃないの。
テレビ映りで、白髪は因業ばあさんのようで損している。

昨日は自民党政権時代の箱物の存続が問われたが、
1案件1時間以内で片付けるというのはどういうものか。
時間をかければいいというものではないが、短いのとちゃう?

今回の仕分けで、いくらがんばっても
民主党の大判振舞いの前には焼け石に水。
その先に、たばこ値上げが待っていると思うと気が重い。

大鉈仕分けを省庁幹部はどう思っているか。
「パフォーマンス優先の大衆討議」
「何の資格があって民間人が予算削減に関与するのか」
などと、当然懐疑的だ。

というのも、予算編成はこれまで彼らの「聖域」だった。
彼らの「さじ加減」ひとつで、当該事業は一喜一憂する。
無駄を省くだけでなくその過程を白日の下にさらすのだから、
彼らのエリート意識が許さない。
だから、上のようなコメントになるのだ。

税金が適切に配分されているかどうか、
不要な事業は廃止し、
必要な事業にまわす。
納税者として関心をもつのは当然のことだ。
これを機会に学者だけでなく企業経営者もどんどん参加していただきたい。

11月11日(水曜日)

●不手際?
今朝のワイドショーは、各局、昨日逮捕された市橋容疑者一色。
30歳という成人した息子の犯罪に陳謝するため両親が会見を行っている。
昨夜は、母親の出身地、岐阜からだったが、今朝は場所を移している。
驚いたことに、各局とも顔にぼかしを入れ判別できない。

昨夜はしっかり顔を出していたのに、これは一体どうしたことだ。
テレビ朝日の勇み足だったのかも。

そういえば、詐欺女事件が首都圏と島根県で発生しているが、
2人の女の姿はぼかしがかかっている。
奇しくも2人とも30歳を少し越していて、デブでブスということは
ぼかしがゆるやかなので、なんとなくわかる。
週刊誌は目の部分を黒べたで細くかくしているので、
さらにデブスということが、かなりはっきりわかる仕組みになっている。

犯罪報道で容疑者や親族の顔写真についてコードはどうなっているのだろう。
協会加盟社で策定しているのか、
各社独自で持っているのか。

11月10日(火曜日)

●脳科学者の脳
テレビで活躍中の脳科学者・茂木健一郎氏が脱税を行っていた。
2006年から3年間の所得4億円を申告していなかったという。
さらに銀行には数億円の預金があったとさ。

印税、講演料、テレビ出演料など、この高所得が氏の売れっ子ぶりを証明している。
小生もNHKの番組で何度もお目にかかっておりますよ。
脳科学という門外漢にはチンプンカンプンの分野の権威でも、
社会人としての脳はかなりゆるんでおりますね。

学問づけの脳は一般社会人の脳とはだいぶ違う。
裁判官や弁護士、官僚など専門知識の世界に埋没している奴等も
同じような傾向があるのではないか。
常識では首をかしげざるを得ない判決や弁護を行う
連中が選良として社会を牛耳るのだからこわい。

茂木氏は2〜3年前から税務署から申告を求められていたらしいが無視し続けた。
これだけ稼ぎがあれば、税理士に依頼するものだが
この脳軟化科学者は、それも行わなかった。
どケチなんかね。

新聞社の「日本の税制は申告納税制度で成り立っているが」との質問に
茂木・脳軟科学者は
「節税には興味がないので(国税庁が)税額を計算してくれたら楽なんですけど」と、
まるでトンチンカンか答えをしておるわ。

しょぼい年金収入でさえ申告しなければならない人も大勢いるつ〜のに、
こいつは、税制を愚弄している。
テレビのインタービューでも、まるで反省のない態度。
基本的な部分が欠落した脳で、
偉そうなことを言わんでいただきたい。

●事件
2年7ヶ月逃亡者となっていた市橋達也(30)が
大阪の沖縄行きフェリー乗り場で逮捕された。
フェリー会社職員の通報で警官が駆けつけあっさり御用となったわけだが、
千葉県市川の自分のマンションから警官を振り切り裸足で逃走して以来、
ぷっつりと足取りがわからなくなった。

大阪の建築現場の寮で住み込みで働き100万円を溜め込んでいた。
福岡、名古屋で顔を整形したのが運の尽きだったが、
寮にたどりつくまで、どこで何をしていたか、これから明らかになる。
大阪住吉署から新幹線で千葉県行徳署へ移送されたが、
報道陣のカメラ群は怒号が飛び交い殺気立っていた。
夜中の2時に行徳署の記者会見があるそうだが、実況を見るまで起きてはいられん。

逮捕報道で、市橋の両親が岐阜市でテレビカメラの前に立った。
医者という父親、大きなメガネをかけやつれきった母親が
雨の降りしきる中ライトに照らされていた。
つらい会見だろうが、父親は冷静に答えていた。
ふつう、男の子は母親に似るものだが、市橋達也は父親似だった。

市橋達也は千葉大を卒業しているが、
最近千葉大園芸学部の女性が自宅マンションで殺害されたうえ
自室を放火されるという事件が発生している。

また、島根大1年の女性はアルバイト先から帰宅途中行方不明。
広島県山中で切断された頭部が発見され、翌日、胴体や足も見つかった。
乳房が切り取られるという凄惨な事件となってしまった。
変質者の犯行とみて警察は犯人確保に全力をあげている。

う〜〜〜ん。
最近の日本は狂っておりますな。
人の命が軽すぎる。
諸悪の根源は教育にあり、と見たが。

●事件
森繁久弥氏が10日午前8時16分、
老衰のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。
昭和の名優またひとり逝く。
と言っても彼の映画見たことない。

11月9日(月曜日)

●たばこ値上げ?
民主党の大盤振る舞いマニフェストのお陰で、
罪もない愛煙家に被害が及ぼうとしている。
現行300円が一気に600円になるというのだ。
国の台所事情が火の車だから
取りやすいところから巻き上げようというのだろうが、
ひ弱なお坊ちゃん内閣の直情径行的なやりかただ。

コロンブスが新大陸を発見した折、祖国に持ち帰った中にタバコがあり、
以来、世界の人々のつかの間のひとときを楽しませてきた。
この、由緒ある嗜好品が、国民の受け狙いの被害に遭うのだからたまらんぜ。
喫煙者はでかでかと「がん」への脅し文句が刷り込まれたパッケージに
臆することなく購入する勇者たちだ。
しかも、喫煙率が低下するなか、それでも止められない人々は
国家に多大な貢献をしている。
それなのに、もっと税金を支払えと鳩山内閣はいう。

じわじわと締め上げるなら
いっそのとタバコの販売をやめてしまえばいいんでないの。
敗戦直後のように、英語辞書を破いて、
葉タバコを自分で巻いて吸う、というスタイルが出るだろう。
事実、タバコの高い米国では
こういう楽しみ方をしている連中も多い。

そして、次の課税対象となる嗜好品は酒類だ。
酒類も「飲みすぎは肝臓に悪い」などと刷り込んだラベルになり、
やがて、販売廃止商品となる。

で、日本が健康的な国家になるかといえば、そうはいかない。
1920年代、米国の悪法・禁酒法時代と同じで
密造酒に手を出す連中がはびこる。
そして、日本のエリオット・ネスと
資金源とする闇の団体と壮絶な闘いが展開され、
最悪の法治国家となってゆくのだよ。

11月8日(日曜日)

●JAL落日
今、JALマーク。
昔、羽ばたく鶴に日の丸マーク。
1ドル360円時代で庶民には海外旅行など夢のまた夢だった。
当時の日本航空は文字通り「日本の翼」。
子どもの頃、羽田空港には行ったことはないし、
少年雑誌で見るダグラスDC旅客機は輝いていた。

当然、勤務する社員はエリート意識が強く、
スチュワーデスと呼んでいた女性乗務員は女の子の憧れの職業だった。
当然、給料は一般企業より高給。
当時の金町の1丁目には日航のパイロットといわれる方が住んでおり、
4丁目の商店街のガキ(俺のことだぜ)には、別世界の住人のように思えた。

今、その日航があえいでいる。
事務職だけでなく整備要員以下すべての勤務者まで
エリート意識の大集団になっていた。
組合がいくつもあって、ベア闘争に明け暮れる。
退職者への福祉も厚く高額な企業年金が支払われてきた。

そんな我が世の春を永年謳歌してきたツケがやっと回ってきた。
格下、全日空が堅実に成長し海外航空会社は安い運賃を導入する。
ここへきて、航空燃料の高騰というアクシデント。
こうなることはわかっていても、抜本的な対策を打てないでいた。

メタボどころか長肥満体質に変身した日航は、
自分の足で立つことができなくなってしまった。
しかし、美食の習慣はおいそれと改善できるわけがなく、
超デブになっても、旺盛な食欲は変わらない。
で、動脈硬化を引き起こし、このままでは企業死まできてしまった。

国がカンフル剤を注入することになったが、
条件として体質改善計画を出させたが、甘い。
まだ、春爛漫の気分が抜けない。
民主党政権の前原国交相が厳しく詰め寄り再度改善案の提出を求める。

高給取りが多い企業は人件費が経営を圧迫する。
で、大量人員整理、今冬のボーナスカット、不良路線の閉鎖、
不採算日航ホテルの売却…などなど、しぶしぶ行うことにした。
さらに12月は全役員は無給。
企業年金にもメスを入れる。
ここまで堕ちた企業にした歴代役員にも責任をとってもらう、などなどの
再建案が実施されることになった。

かつての国策企業の落日だが、
影響が大きく潰すことができないので、こういう措置になったが、
バブル期以前に退職したOBたちは、寂しさを感じながらも
いい時代を思い起こしているだろう。
類は及ばないしね。

11月7日(土曜日)

●UNIQLO
百貨店、スーパーなど衣料小売業の売り上げ低迷をよそに
リーズナブルなUNIQLOがひとり気を吐いている。
昨年あたりから投入したヒートテックが好評で、
今冬も爆発的な売り上げが見込まれる。

UNIQLOは広告も積極的に行っている。
チラシは毎週のように新聞に折り込まれ、TVCM、新聞広告も露出頻度が高い。
広告に登場する人物も一流モデルやタレントを使い従来の安い商品の概念を破っている。
しかも、デザインもいい。
フリースという流行商品も開発する。
同じアイテムでも豊富な色数、サイズを揃える。
店舗デザインもおしゃれである。
最近はブランディングというのだそうだが、
昔はCIといった、コーポレート・アイデンティテイも神経を使っている。

廉価な衣類を総合的に演出し
新しいブランド価値をつけたところに勝利の秘密があるのだろう。

11月6日(金曜日)

●パイオニア
業績不振に陥っていた、かつてのオーディオの雄「パイオニア」が
目黒本社を売却し、機能を川崎事業所に移行する。

社会人になって初めてのボーナスで買ったのが
念願のパイオニアのオーディオシステムだった、と
言いたいところだが、それは間違いで
同期入社の連中と銀座、新橋でどんちゃん騒ぎで使ってしまった。
ほろ苦いというか、忘れることのできない思い出だ。

しかし、2度目か3度目のボーナスで欲しかったパイオニアを買ったのは事実。
銀座5丁目小松ストアの裏にあったオーディオショップに日参し、
ヘアライン入りのシャンペンゴールドプリメインアンプを飽きることなく眺めていた。
だが、それは高価で、結局オールインワンのシステムオーディオを購入。
大振りの木製キャビネットにプレーヤーとアンプが収納され、
大きな3Wayのスピーカーが誇らしかった。
小さなプラスチックのプレーヤーをラジオにつないで音を出していた貧弱なものとは
格段の差があった。
で、レコードは大学時代から聞いていた
カントリー&ウエスタン、特にハンク・ウイリアムスのものを購入していたと思う。

それから10年はパイオニアとの縁が切れていたが、
フリーのコピーライターになってオーディオの仕事が飛び込んできた。
始めはサンスイだった。
当時JBLの代理店でもあり新宿のショールームには大型のスタジオモニターが陳列
されていた。永福町の本社にはブラックフェイスのアンプ類がディスプレイされていた。
当時のサンスイは野武士らしいデザインで、マニアに人気があった。
しばらくして、パイオニアの仕事がやってきた。
JR目黒駅前の本社に通うようになった。

当時はオーディオ全盛期で、中でもパイオニアはしゃれたデザインで
都会派の若者に人気があった。
Privateブランドはカタログのデザインも秀逸で音のあるライフスタイルを
アピールしていた。

夜になれば本社脇の権之助坂の飲み屋はパイオニア社員でいっぱいになる。
隣りの大崎はソニー商事もあり、
パイオニアとソニーの社員が一緒に飲んでいることもあった。
パイオニアの仕事は7年以上続き、
その頃は、初代オーディオシステムから、アンプとプレーヤーは
パイオニアになり、チューナーはソニー、スピーカーはクライスラーという
いっぱしのコンポーネントシステムを組み上げていた。
仕事でオーディオをやっているのだから、当然といえば当然だが。

やがて、ソニーのオーディオが仕事になり、ビデオ機器、テレビが加わり
ソニー一色となりパイオニアとは縁が切れたが、
当時の担当氏とは今でも年賀状をやりとりし、
お互いの無事を確認している。

パイオニアは駆け出しのフリーコピーライターにとって
生活を安定させてくれた貴重なスポンサーだった。
そのパイオニアは、デジタル時代を迎えてから常に苦戦していたように思える。
パソコン、デジカメに参入せず、落ち目のオーディオから、
カーオディオに活路を見出そうとしたが、車業界自体が不振と
安いカーナビや携帯電話カーナビの登場で、こちらも不振。
さらにプラズマディスプレイ低迷、撤退という
経営を圧迫することの連続で、赤字の連続。
そして本社売却という最悪の事態を迎えてしまった。
パイオニア全盛時代に仕事をしていた小生としては、
限りない寂しさを思わざるを得ない。

11月5日(木曜日)

●不毛地帯
4回。
自衛隊内部文書流出により近畿商事の壱岐が取調べを受ける。
捜査官役が、若い頃はキザで売った藤木孝。
一方、近畿商事上層部は政治家を通じ事件の揉み消しを図る。
自民党幹事長役は神山繁。
いつの間にか太り禿げ上がり、はまり役。
壱岐は書類の存在を否定するが、上層部と政治家の密約で当局に提出することになっていた。
壱岐の面目はまるつぶれ。

参謀本部で壱岐と同期の川又は自衛隊に就職し空自幕僚となっていた。
彼の書類が、彼のあずかり知らぬうちに流出しており、
詰め腹を切らされることになった。

壱岐の考えで行った機密書類入手だったが、
結果的に旧友を窮地に陥れることになってしまう。

左遷人事が決まった夜、川又は都立大の壱岐の自宅を訪れ酒を酌み交わす。

ドラマではCGで東急都立大駅と東横線の車両を作成したが、
戦後10年経過した程度では、
路線界隈は田舎っぽい風景が広がるばかりだった。
まさに、隔世の感有り。

そして轢死体となった川又が発見される。
事故か自殺か疑問の残るところだが、
川又は壱岐と別れの杯をくみかわしたのだ。
川又のせりふのはしはしにそれを感じることができた。

川又は警察の取調べを潔しとせずに死を選んだのだろうが、
実際の事件でも自衛官が自殺している。

●NYワールドチャンピオン!


第6戦をテレビで見ていたが、神がかりとも思える松井の大活躍。
ヤンキースが7対3でフィリーズを破ったが、
7得点のうち6点は松井がからんでいた。
打つたびに鳥肌が立つような思いだった。
これまで苦手だった相手のピッチャー、マルチネスを完全に打ち崩した。
平静を装っていたマルちゃんだが、

どこへ投げても打たれると思わせる松井の打撃だった。

中盤から客席からMVPコールがどよめいた。
結局、その通りとなって日本人初のMVPを獲得した。
これまで、イチローの大記録ばかりが目立ち、
故障した松井にスポットが当たらなくなっていたが、最後の最後、一気に輝いた。
だが、今年は契約が切れる。
松井がNYに残れるかどうかは未定だ。

11月4日(木曜日)

●日本ビクター
京浜子安の駅を降り海側を進行方向に行くと日本ビクターの工場がある。
一時期、ここのビデオの仕事をやっていたので何度か訪れたことがある。
ビクターは音響の名門で、ラッパ型の蓄音機の前で耳を傾ける犬のマークが有名だ。
戦前から日本市場に乗り込んで、
His masier's Voiceは、オーディオシステムが電蓄と呼ばれていた頃から
日本人には高級音響機器として親しまれていた。

戦後、SONY、パイオニアなど新興勢力の台頭でシェアを落とし
オーディオからビデオ時代になり
SONYのβとナショナルのVHSが覇権争いをする前、
日本ビクターは、VHSの尖兵としてビデオ機器を開発していた。
ビデオはその後、ナショナルのVHSが市場制覇。
ビクターのビデオ機器はナショの陰にかくれてしまった。

デジタル時代を迎え、液晶テレビ、ビデオカメラ、携帯音楽プレーヤーで善戦健闘するものの、
液晶はシャープ、SONY、東芝、日立など家電メーカにおされ
携帯音楽プレーヤーはApple、SONYにおされている。
ビデオカメラはSONY、CANON、Panaなどがしのぎを削っている。
ここでは、ビクターは健闘してしているが、市場は飽和状態という。

ビクターが得意とする音響、映像分野でぱっとしない年月が経過した。

本日の朝刊、夕刊はトップ面でビクターの文字が躍っていた。
朝は「ビクター音楽部門売却」 交渉先コナミが有力。
夕は「ペンタックスデジカメ ビクターが買収へ」

朝、売って、夕に買うという綱渡りだ。

ネットワークで必要な曲だけを購入できるので音楽CDが売れない。
不採算部門をゲーム機器とソフト開発のコナミ売り渡した。
すでに、ビクターはケンウッドと持ち株会社を設立し体制強化を図っていたが時すでに遅しだった。
ビクターにはサザンやSMAPなど人気グループがが所属しているのだが、
時代の流れには逆らえなかった。

カメラ専業メーカー旭光学は、
35mmカメラ時代に名機と呼ばれる一眼レフを発売していたが、デジタル時代に乗り遅れた。
アサヒペンタックスと社名を変えコンパクトタイプに力をいれていたが
デジタル一眼レフはそれほど魅力はなかった。
デジタル一眼はCANON、Nikonの2強に
オリンパス、そしてPana、SONYが参入した。
最近K−7を発売し、なかなかいいカメラだとは思うのだが、細かい部分が未消化だ。
アサペンはHOYAに買収され、イメージング事業部として生産していたが、
HOYAからJVC・ケンウッドに移るPentaxだが、
HOYAはレンズイメージ、JVCになればデジタル映像機器イメージ。
アサペンにとってプラスに働くのではないか。

本日、JVCにとってなが〜〜い一日だったろう。

11月3日(火曜日)

●手帳
文具店に来年の手帳が並ぶ季節になった。
長いこと銀座伊東屋で小型の能率手帳を使っていた。
表紙は型押しの厚いビニールでこばに金属のついた堅牢タイプ。
薄いクリーム色の用紙は書きやすかった。
が、2年前、無印良品の手帳に出会ってから乗り換えた。
サイズが文庫本と同じA6タイプ。
再生紙を使用し地下鉄路線図など情報ページなどついていない。
左が週間スケジュール、右が方眼紙。
そっけないのだが、これで必要にして充分だ。
塩ビのカバーがついているが、
文庫本用皮製のブックカバーをつけて
一見、システム手帳のような雰囲気をもたせた。

30年以上前、システム手帳が流行り、さっそく飛びついた。
オリジナルリフィルを作成し、自分流にアレンジした。
銀座通りは、システム手帳を持ち歩くビジネスマンの姿も結構見られた。
私は、いつもバッグに入れていたが分厚い手帳なので重い、かさばる。
薄手のシステム手帳に買い換え、しばらく使い続けていたが、
結局、昔ながらのシンプルなものに落ち着いた。

だいたい、びっしり書き込む予定などないのである。
仕事が進行し始めると、打ち合わせの日時を書く程度。
複数の仕事を同時進行するほどキャパシティがないので、
簡単な手帳で十分事足りてしまうのである。

その後、電子手帳も使ってみたが
書き込むたびに電源を入れなくてはならないという構造的な欠陥を持っている。
とっさのときはまるで役立たない。

つまり、私の仕事は薄い手帳と取材用小型ノートで完結すということがやっとわかった。
長い道のりだったが、
流行の物を所有するということで自己満足していたに過ぎなかったのだ。

無印のA6サイズ手帳は10月から記入できる。
今年の手帳と重複させながら、
来年の本格デビューに備えている。

●叙勲
今年も大勢の方々が勲章を授与された。
一番若い方は外国人で、59歳。2名。
日本人は60代は一人もいない。
70、80歳代ばかりである。
名誉のあとは墓場か。


11月2日(月曜日)
●読売新聞
1874年(明治7)11月2日、読売新聞創刊という。本年で135年。
当初、「ふりがな新聞」「やはらぎ新聞」「東西南北」などの案が出たそうだが、
江戸時代の瓦版の販売方式を「読売」(読みながら売る)と言ったそうで、
これにちなみ「読売新聞」と命名したとか。

わが家と読売の付き合いは長い。
祖父が日露戦争当時、日本橋馬喰町で酒屋をやっていたが、その頃からというから
もう1世紀を越している。
山の手に強い朝日に対し、下町の読売だから自然な流れなのだろう。

昨今、朝刊は40ページにもなる。
この膨大なスペースを充実させるため連日大勢の人たちが汗を流している。
マスコミを専攻していたこともあり
あこがれた時期もあったが、毎日が締め切りという世界は想像を絶する。

記事は社会面、政治面が華というが、
読売の経済、文化、文芸、家庭、医療、スポーツも充実している。

毎朝、30分目を通すが、全て読みきれるものではない。
一週間分、積んでおき、まとめて読むのだが、うず高くなってしまうこともある。
が、シリーズ原稿はシームレスに読めるので便利ではあります。

11月1日(日曜日)
●畝
このところいい天気が続いている。
しかし今夕から関東地方も崩れるらしい。
昨日はダイコンを植えたので、本日はカブを、と思い菜園に出る。
あっ!
昨日植えた畝の一部が崩れている。
夜中に犬が入り込んだのかの思い仔細に点検したが犬の足跡はない。
私がはいたスポーツシューズと長靴の足跡に混じって
見慣れない小さな足跡が畝に深々と刻まれていた。
誰が何のためにこんなことをするのか?
いやがらせか?

目撃したわけでもないので抗議もできず、崩れた部分を修復。
隣りの小さなスペースに2つの畝をつくりコカブを植えた。
種類は、私が所帯を持つまで過ごした地名のついた「金町コカブ」
次に行うのはホウレン草の種まき。
その後にビニールトンネル作りが待っている。
天気が崩れる前に済ませなくてはならない。

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