田舎三昧の生活と意見

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●吉太郎童謡集

■Contents■
01ミミ脱走
02そっくりさん
03東京落選
04親子2代
05シュウメイギク
06ポインセチア
07ミミ
08台風18号
09ニアミス
10ノーベル平和賞
11ハイエンドコンデジ
12獅子柚子
    飛行船
13巨大プリンタ
14猫
15不毛地帯
16S90
17お店
18楽天
19金妍児
20類似
21スカイツリー
22不毛地帯
23隅田川
24半藤氏
25タイフェスティバル横浜
26下町小僧
27譲さん
28栗林中将
29不毛地帯
30一太郎
31播種


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10月31日(土曜日)
●播種
家庭菜園も秋の収穫を終えたあと苗を抜き放置したままになっていた。
雑事のなんと多いことか…
いよいよ後がない。
昨日作っておいた畝にダイコンの種を植えた。
小さな穴を開けそこに3粒埋め込む。
土をかけ戻す。
1つの畝に8〜9本。
うまくいけば来春まで36本収穫できる。

すぐにビニールのトンネルを作ればいいのか、
発芽してからでいいのか迷っております。

10月30日(金曜日)

●一太郎
純国産をあらわすネーミング「一太郎」は、MS−DOS時代から
パソコンに触れている者にとって懐かしい名前だ。
私が購入した本格的なパソコンはPC−9801Fで、OSはN88−Basicだった。
個人がパソコンを操作するということは、
コンピュータ言語を学びプログラムを書き、それを使うことだった。
Basicのプログラムを掲載した雑誌や図書が発売され、
それを飽きることなく打ち込んだものだ。
1文字間違っても、空白が入ってもパソコン(マイコンといっていた)は動作しない。
ロータス、マルチプランといったまともなアプリケーションは、
1本9万8千円もするので企業ならともかく個人で簡単に購入することはできない。

OSはBasicからMS−DOSに変わる。
そんなとき、四国のジャスト・システムから登場したのが
ワープロソフト「一太郎」だった。
5万8千円という、当時としては価格破壊的なものだった。
パソコンの普及とあいまって売れに売れた。

OSはMS−DOSからWindowsに進化した。
供給元のマイクロソフトはビジネスアプリケーションも開発しており、
表計算Excel、ワープロWordはビジネスの2大ソフトとして市場を席巻した。
Wordは当初は使いにくかったが、次第に改良された。
マイクロソフトオフィスが企業の標準ソフトとして定着するようになり、
純国産の「一太郎」は劣勢にたたされた。

ジャストシステムはワープロ以外にも表計算、データベースを揃え、
マイクロソフトオフィスに対抗したが、
OSを核に世界を相手にするビル・ゲイツの企業には太刀打ちできなかった。

で、昨日、創業者の浮川会長(60)と妻(58)の副会長が辞任、
パソコンベンチャーの灯ひとつ消えた。

今後ジャスト・システムはどこに活路を見出すのか?

10月29日(木曜日)

●不毛地帯
第3回目。
防衛庁次期戦闘機(第1次FX)の売込競争は近畿商事、東京商事間で熾烈をきわめた。
防衛庁の壱岐への情報提供者がヘマをやり近畿商事は苦境に陥る。

実際の事件は、田中角栄がロッキード事件で失脚した1976年よりはるか以前のことだ。
1958年1月、瀬島は伊藤忠に入社する。
4月、防衛庁は第一次防衛力整備計画を進め、伊藤忠が推すグラマンF11Fを
第一次FX(主力戦闘機)に内定した。が、8月に自民党の河野一郎が、機種の再検討を要求。
彼はロッキード側に寝返った。裏で右翼の児玉誉士夫が絡んでいた。
59年6月国防会議はグラマン内定を白紙に戻し、11月丸紅が代理店契約を結ぶロッキードF104に逆転決定した。
入社間もない瀬島氏はこのビジネスに直接タッチしていなかったという。

その後、地対空ミサイル・ボマークの防衛庁データ流出事件、
二次防のバッジ・システム、第二次FXと防衛庁への航空機ビジネスは
商社、政界利権、防衛庁の三つ巴の商戦が繰り広げられる。
第二次FXは伊藤忠が推すヒューズ社のF5と日商の推すF4ファントムが競ったが
伊藤忠は敗北する。以後、伊藤忠はFX商戦から撤退する。

第二次FX選定には、丸紅の副社長海部八郎と岸信介ラインが働いたといわれる。

ドラマでは、競合の東京商事の鮫島という凄腕の男が登場する。
これは、丸紅の海部八郎氏がモデルといわれている。
この海部氏も府立七中出身。
いろんな先輩がおります。

「不毛地帯」より面白いのは、瀬島氏か関わったインドネシア賠償ビジネスだ。
元大本営参謀らしく、直接手を汚すことはなかったが部下を使って、
スカルノ大統領に接近し、赤坂の高級ナイトクラブコパカバーナの
地味なホステス・根本七保子を紹介し、デヴィ・スカルノ夫人に仕立て上げた。
そのとき彼女には現金500万円、等々力の土地100坪が与えられたという。
1959年のときだった。

10月28日(水曜日)

●栗林中将
硫黄島守備隊総指揮官。戦死後大将に昇格。

※映画で全島を歩いて調査する将軍役の渡辺謙
3年前の10月。
クリント・イーストウッド監督の戦争2部作の第一陣「父親たちの星条旗」が封切られた。
2ヶ月後の12月「硫黄島からの手紙」が公開された。
2作とも大きな期待をもって見た。
勇者となって人生を変えられてゆく若者たちを描いた1作。
補給なき孤島の守備を命じられた将官を描く2作目。
2作ともドンパチだけの戦争映画ではなく、根底に戦争の虚しさが胸を打つ作品だった。

とくに、「硫黄島からの手紙」は栗林将軍の守備隊が物量人員ともに優勢な米軍相手に
孤軍奮闘し最後は散ってゆくという胸熱くする映画だった。
渡辺謙の栗田閣下は迫真の演技だ。

昨年8月梯久美子氏の「散るぞ悲しき」が発売された。
本年10月、2刷の文庫本を読んだ。
綿密な取材によるドキュメンタリーで、作者は本作で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

※硫黄島で指揮をとる将軍

映画でも孤島と本土を結ぶ郵便機が登場するが、
栗林中将は兵隊に手紙を出すことを奨励した。
本人もまめに家族に書いている。

※硫黄島から長男に宛てた絵手紙 絵がうまい。

若い頃アメリカに留学した経験をもつ将軍は、
ゆけゆけどんどん型の将軍とは違っていた。
とにかくアメリカで身につけた合理的な指向で硫黄島を死守した。
当初、アメリカ海兵隊は3日で陥落させると思っていたのだが、
思いも寄らない抵抗で苦戦する。
結局日本軍は36日間抵抗し、
太平洋戦争中米軍が一番死者を出した戦闘になってしまった。
栗林将軍は米国で最も勇敢な日本人指揮官として知られる、という。

将軍は硫黄島指揮官に任ぜられる際、
東条英機に「ガダルカナルのようにやってくれ」といわれたという。
硫黄島が敵陣に落ちると、B29の補給基地となり、
そこから本土攻撃が可能になる。
このため、玉砕覚悟で死守していただきたい、というのだ。
帰ることのない死地に赴任するのだが、兵たちはそれを知らない。

陸軍・海軍混成による守備隊は米軍をどう迎え撃つかで意見がわかれる。
島の隅々まで足で調査した将軍は、これまでの常道である水際作戦を却下する。
彼の着任前、すでに水際の準備が進められていた。
意見調整のため、その陣地は最小限で押さえさせた。
将軍は全島くまなく地下壕を掘り、敵をおびき寄せてから狙い撃ちする作戦をたてた。
守備隊員全員が洞窟掘りに従事するが、制空権・制海権ともに
米軍に奪われ物資補給はままならない。
劣悪な機材でともかく全島要塞化を行う。

過酷な条件下でもわずかな時間を見つけて家族に手紙を出している。
子どもたちには、とても戦時下とは思えないような慈愛に満ちた父親のまなざしを向ける。
兵隊には「万歳突撃」などという無駄死にをいさめる。

だが、玉砕のときは刻々と近づいてきた。
大本営に打電した伝聞の最後に
「散るぞ悲しき」とあったのだが、戦意にかかわるということで
「散るぞくちおし」と文面を変えて発表した。

将軍は兵の先頭に立ち進軍したが銃弾に斃れた。
階級章を外し一兵卒と同じいでたちだったので、
米軍は将軍の死体を見つけることはできなかった。

現在、硫黄島は自衛隊管理となり一般人は上陸できない。
将軍は今もこの島のどこかに眠っている。

本書の最後は電車の中で読んだのだが、
胸が熱くなり思わず、あくびをしてごまかした。

10月27日(火曜日)

●譲さん
小説家佐々木譲氏が快進撃。
「笑う警官」が角川事務所で映画化された。
広告で彼のご尊顔を拝することも多くなった。
30代の終わり頃だったか赤坂溜池の小さな広告代理店で短期間机を並べていた。
その頃から髪は濃くなかったが、
広告で見ると氏の頭部の皮膚はさらに露出してしまった。
温和な顔つきは昔のままで、彼の人柄がにじみ出ている。

彼は、2次世界大戦物や明治維新物を書いていた頃は、その著作の殆んどを読んでいた。
現在は北海道警の警察官物に移行している。
広告によると、
笑う警官、警察庁から来た男、警官の紋章。最新刊が巡査の休日、ということだ。

私の読書傾向は歴史物なので、今の譲さんの世界にはまだ踏み込めないでいる。
警察シリーズが一段落したら、また維新物、戦争物を著していただきたいと
願っている一人である。
ゾルゲ物なんかいいですね。

10月26日(月曜日)

●下町小僧
ちくま文庫「下町小僧」
初版は1994年だが、購入したのは96年で2刷だった。
著者は「なぎら健壱」氏。
ユニークなキャラのフォーク歌手だが、歌っている時代のことはほとんど知らない。
注目したのはテレビドラマだったか。
ちんぴら役なのだが、眉を剃ってかなり凄みが出ていた。
存在感が圧倒的で貴重なバイプレーヤーの予感がしていた。
ときたまテレビでゲストと出演するようになった。
カメラと自転車は、かなり凝り様だった。
趣味が似ているので親近感をもった。

その後、文庫本と出会ったのだが、彼は銀座木挽町で生まれ、
小学校の頃葛飾新宿に引っ越した。
金町とは隣りの地域で、中学校の頃まで私の遊びのテリトリーでもあった。
本で彼が末広小学校を卒業したことを知った。
私は金町小だったが、通学地域の変更で末広小に移って行った奴もいた。

この界隈が下町と呼ばれるようになったのは戦後のことで、
それまでは元祖下町から見れば場末だった。
銀座から葛飾になって、あまりの景色の違いに戸惑いつつ
環境になじんでゆく、なぎら少年がいた。

下町小僧では、数多くの昔の遊びが紹介されている。
今のような電子遊具があるわけもないので、
子どもたちは学校から帰るとみんなが集まる地域の遊び場に出かけた。
そこで、メンコ、ビー玉、ベーゴマという遊びに興じていた。

彼は「東京にオリンピックがやってきた。僕が小学校6年のときである」と言っている。
オリンピックは昭和39年。
そのとき私は大学4年だから彼はかなり若い。
それにしては、下町の遊び、それはとりもなおさず、私がやっていた遊びなのだが、
その数々の遊びを彼は克明に記憶している。
この本で思い出したこともある。
「下町」といっても、東銀座という由緒ある地域と金町では
「下町」の格が違うが、似た遊びをやっていたもんだ、と改めて思った。

彼がやらないで私がやった遊びがある。
5寸釘を使った陣取りゲームだ。
その釘を扁平にするため、うずたかい常磐線の敷地内に入り込みレールの上に釘を置く。
レールに耳を当てると電車が近づく音がする。
がき大将が退避するのと時を同じくして線路下にひれふす。
通り過ぎたあとのレール脇にはぺちゃんこになった釘がころがっている。
これをグラインダーにかけ先端をさらに鋭利にする。
すると、細かい陣地作りに最強のツールができあがる、というわけだ。

新葛飾橋などなかった時代だから江戸川の鉄橋を渡って松戸に行ったり、
また、中川の鉄橋を渡り亀有方面に遠征したり、
今から思えば危険な遊びをやっていたものだ。
小学校4〜6年の頃だった。

10月25日(日曜日)

●タイフェスティバル横浜
赤レンガ倉庫前広場で開催されるお祭りは今年で3回目を迎えた。
昨日からだったが、所用で本日撮影となった。
1回目は出店要請、会場設営などなど初めてなので苦労したが
3回目ともなると、儲かることが知れ渡り出店社では苦労しなくなった。
お客さまも500円ワンコインで南国料理が楽しめるとあって、
タイマニアだけでなく通りすがりの観光客も立ち寄る。
5月、在日タイ大使館が主催する代々木公園にタイフェスティバルに比べれば
スペースも規模も劣るが
秋のPortYOKOHAMAの名物イベントに成長してきた。
あちらは初夏の緑が美しいがものすごい混雑で、
料理を買うにもどこも行列で口に入るまでが大変。
しかも、食事コーナーがないので立ち食いか、
ブルーシートを道路に広げるしかない。
横浜のエキゾチックな雰囲気は東京に勝る。
店によっては行列もできるが5分も待たない。
今年は大型テント2はりの食事コーナーも設置した。

台風接近中だったので天候には恵まれなかったし寒かったが、
会場は大勢の来店で賑わっていたが風は冷たい。
さすがに、シンハービールは飲む気にならなかった。

今年はステージの出し物がよかった。
「メコン川音楽祭」に出演した、タイの人気シンガー
アイス・サランユーと日本にもファンクラブのある姉妹デュオ「ネコ・ジャンプ」と
ミャンマーからダ・ジイン、ナンスー・ヤーティソーがライブ出演。
これは、タイマニアに最高のプレゼント。
さらに、ミスタイランドが3人応援にかけつけた。
タイ大使館後援の賜物だろう。

横浜から赤レンガ倉庫への行き方だが、
今年は桜木町から汽車道、門のようなホテル・ナビオス横浜をくぐり、行く。
15分くらいかかるが、MM21の景色を見ながら行くので気分はいい。

地下鉄なら馬車道で下車、万国橋を渡れば会場まで5分。
万国橋からみなとみらいのビル群が見渡せる。
ここは、夕暮れがいい。
多くの写真家もこのアングルの写真を撮影している。

10月24日(土曜日)

●半藤氏
「昭和時代の語り部」半藤一利氏。
氏の著作「幕末史」を読んだのは本年2月だった。
これまでの歴史観は勝者、つまり薩長側からの視点で描かれていたが
氏は江戸幕府、会津藩など敗者の視点で幕末をみる。
新選組ファンとして格好の読み物だった。
局面に応じて尊皇攘夷、勤皇佐幕などの言葉が踊るが錯綜し混乱する。
半藤氏は平易な言葉で解りやすく解きほぐしていた。

夏頃、氏の「昭和史」1926-1945と出会う。
平凡社の文庫本サイズで持ち運びに不便な分厚い代物だった。
文化講演会で語った内容らしく、日本が太平洋戦争に傾斜してゆく様子が
話し言葉で書かれていた。
膨大な人数の軍人、政治家が登場し彼等がどんな役割を果たしたかわかる。
このテの本は過去何冊も読んでいたが
学術的色彩が濃く、読み物としては肩が凝るものだった。
文春の役員を経て文筆業に入られた氏は、学問ではなく巷談のかたちで昭和を見る。

読み終わり、「昭和史戦後編」の存在を知り書店に注文。
さらに分厚い本だったが、マッカーサー統治から朝鮮戦争特需を経て
経済復興する日本が語られている。
これも面白い。

8月、文春増刊「くりま」は「半藤一利が見た昭和」だった。
昭和5年5月21日東京下町向島で生まれた氏は、
当時の子どもの大半がそうだった軍国少年として育ち、府立七中に入学。
昭和20年に東京大空襲を経験、家を焼かれ父親のふるさと新潟県長岡に疎開。
長岡中学に編入。
敗戦後東京に戻り新制浦和高校から東大に進学。
ボート部に所属しオールをにぎる青春を過ごし、卒業後文芸春秋社に入社。
以後編集部勤務、役員を経て退社文筆業へ。

私が旧制七中(新制都立墨田川高校)に
入学したのは昭和33年4月だから15年先輩だ。
当時の教師の中には七中卒業者が何人かおり、ナンバースクールに
たいへん誇りを持っていたと記憶する。
校舎の壁はこげ茶色板張りで古臭いものだった。
「くりま」の増刊号には旧制中学の頃、軍事教練をする写真があった。
当然初めて見るもので、提供は墨田区役所とある。
このあたりも東京大空襲で塵埃に帰したはずだから貴重な1枚だろう。
3階建ての立派な校舎で、その前で3小隊の学生が整列している。
私がこの時代に、しかも氏の3〜4年先に生まれていたら、
当然熱烈な軍国少年になり軍人の世界に行く可能性がある。
結果、満州か南海で死んでいたかもね。
敗戦後13年経ての入学で、ほんまにようござんした。

氏の著作との出会いによって、
さらにその世界を知りたくなったのだが、古い本は書店では見つからない。
必然的に古本屋めぐりをすることになる。
神保町もいいが、ふらっと立ち寄った町で探す楽しみも増えるというももの。
すでに、横浜の古書店で氏の単行本を探し出した。

10月23日(金曜日)
●隅田川
私が出た高校はこの川と同じ名前なのだが「隅」の字が違う。
墨東奇談の「墨」である。
向島にあって、隣は百花園、通りの向こうは赤線で有名な「玉の井」
隣りの通りは木の実ナナが育った青線「鳩の街」という
大人には格好の遊興地だった。
今考えると教育の場としては異色だろう。
高校入学前に売防止法が施行された。
1年のとき3年生の中には玉の井で遊んだという剛の者がいたほどだ。

高校時代に隅田川の橋を渡って向こうに行ったことはほとんどない。
寺島まで都電があったので、神田須田町まで行き
神保町へ出かけるくらいだった。
浅草へ行ったこともないし行きたいと思ったこともない。
都電が通った橋は吾妻橋だったか。
小学校のころ父親が勤めていた蔵前へゆき両国の川開きと呼んでいた
花火大会を見たことがあるが、蔵前橋は渡ったことがない。

両国へ行くには浅草橋から総武線に乗るので両国橋を渡ったこともない。

かつてオーディオが盛んなころ、
毎年秋、晴海でオーディオフェアが開催されていた。
行きは銀座からバスで繰り出すのだが、
帰りはものすごい混雑なのでカタログを持って銀座まで歩く。
そのとき渡るのが勝鬨橋。

従って、隅田川にかかる橋で一番多く渡ったのが勝鬨橋ということになる。
もんじゃで有名になった月島をすぎ橋を渡り築地に入ると銀座のネオンが見える。
明石町の入口に「呉竹」がある。
そこで、重いカタログを下ろし「ふぐ」で一杯やるというのが、
この季節の楽しみだった。

オーディオ機器は昔の元気がない。
晴海のフェアはもう中止になっているのだろう。
私の興味も重厚なオーディオ機器から携帯音楽プレーヤーに移行した。
昔に比べると安価にシステムが組めるようになっている。
現在の空間はこれでちょうどいい。

※永代橋きわから佃島を臨む。
 今や佃島は未来都市だ。


※父親の母校の発祥の地に出会った。

NHK深夜放送で藤沢周平の「橋物語」をやっている。
ナレーターは、あの松平氏。
徳川無声氏に続く円熟の話芸だ。
それを聞くうちに、隅田川にかかる橋を白髭橋から勝鬨橋まで
ひとつ残らず渡ってみたいと思っている私がいた。

10月22日(木曜日)

●不毛地帯
2回目である。
壱岐の商社マンとしての生活が始まる。
ストーリーはともかく、
敗戦後のどん底の日本が朝鮮戦争の特需で息を吹き返し、
10年後には経済復興にまい進する。

商社の事務所の作りは私が社会に出た頃と同じようであった。
スチールではなく木の机。黒電話。
複写機はあったが、青焼きという湿式のもので、
現在のコピー機とは大違い。

ドラマに、市ケ谷の自衛官が内部情報を外部に渡すため、
資料をコピー機にかけるシーンがあった。
昭和30年代、すでに乾式だった。
先端マシンが商社(の隠し部屋)にはあったのだ。
町の風景も懐かしい。
これもCGのなせるワザ。

昭和64年間のど真ん中、昭和30年代が
最近の雑誌で取り上げられている。
私の、中学から大学卒業までの10年間に符合する。
今から思えば楽しい時期だった。

10月21日(水曜日)

●スカイツリー
墨田区の東武本社跡地に建設中の「スカイツリー」が姿を表わし始めた。
周囲に高層ビルのない下町だから目立つのだが、
モスクワやクアラルンプールのタワーのようにスレンダータイプ。
これで数百メートルの構造物になるとはちょっと信じがたい感じさえする。

確か私が中学生の頃、芝に東京タワーの建設が始まった。
当時は都内の中心部にも高層ビルがなく、上野あたりからも
エッフェル塔に似たタワーが大空に延びてゆくのが見えたのではないかと記憶する。
芝信用金庫が新聞の小さな広告スペースで、工事の進捗状況を伝えていた。
足腰がどっしりとして、見るからに頑丈そうで頼もしかった。
落成間もない東京タワーに出かけたのは高校生の頃。
以来何十年も行ったことがない。

東京タワーは増上寺、芝公園など広大な「引き」のある場所に建設されたが、
スカイツリーは、あの巨大さにしては周囲の下町建造物が迫りすぎている。
圧迫感がある。
さらに先進技術の賜物が屹立する場所としては違和感がありすぎる。
周囲に緑がない。
畑に突然ニョッキリ飛び出した竹の子のようである。

スカイツリーは2〜3年後に完成するのだろうが、
鉛筆のような構造物には恐ろしくて行く気にはならないだろう。

10月20日(火曜日)

●類似?
一時期、金融、建設会社でシンボルマークの制定がはやった。
赤、グリーン、空色などで幾何学的でなくやわらかいものが主流だった。
最近、教育関係にもその傾向が現れた。
たまたま新聞で見かけた立教と国学院のマークが似ている。
RとKをデザイン化してあるのだが、ちょっとみはまぎらわしい。
立教はRの文字を「人」にだぶらせ、ひとひねりしている。

どちらが先にデビューさせたのだろう。



10月19日(月曜日)

●金妍児
なんと読むのかわからなかった。
フィギュアスケートの浅田真央ちゃんの永遠のライバル、キムヨナだった。
フランス杯では、キムさん自己最高点で真央ちゃんは2位で終わった。
韓国人は名前もハングル表記だと思っていたが、彼女は漢字である。
何かわけがあるのだろうか。

10月18日(日曜日)

●楽天

野村楽天が快進撃。
あれよあれよという間に第2ステージに進出することになった。
監督は今期で解任が決まっているので、
ぼやきのトーンも高い。
ここまで育てあげたのに、と恨み節にも聞こえる。
セパの監督で最長老。
強烈な個性には好き嫌いもあるが、その手腕は評価される。
試合後の短い会見の彼のコメントが評判だ。
連勝すれば「マーくん、神の子、不思議な子」
成績が出せないときは「マーくん、親の子、ふつ〜の子」ときたもんだ。
このような迷言は、会見に臨むわずか数分のうちに考えるそうだ。

記者たちも何が飛び出すか楽しみなようだ。
書きやすいフレーズつきなのだから、言うことなし。

10月17日(土曜日)
●お店

都内の某地点を通りかかったとき水辺の店が目に入った。
周囲は近代的なビル群。
そこに、ぽつんと日本家屋。
柳が運河にせり出している。
橋の上から見たのだが、思わず店の前に行ってしまった。
私好みの居酒屋だった。
ここは、いずれ顔を出さねばなるまい。

都内に入る楽しみがまた増えた。

10月16日(金曜日)

●S90
CANONの新しい高級コンデジS90の発売日。
隣町の家電量販でご対面、と思ったが秋葉原まで出向く。
コンパクトデジカメコーナーは相変わらず人が集まっている。
CANON、Panaあたりが人気のようだ。
S90はIXYの隣りに陳列されていたが、
IXYを手に取る複数の人がいてS90には近寄れない。
仕方なく、近くのRICHO-GR、
SIGMAのハイエンドコンデジを見て回る。
コンデジのデザインは未来志向と旧来回帰の流れがある。
カラフルで丸いのは初心者向けが多く
35mmコンパクトカメラ型はマニュアル機能を搭載した高級機となる。
その中間は、シルバーやブラックボディで、
SONY、CASIOのデザインとなる。
非個性的というか、昔のSONYを知る者にとっては寂しい限り。
オリンパスはフォーサーズ、マイクロフォーサーズに
ウエイトを置いたわけでもないのだろうが、
コンパクトタイプでは以前の元気さがないようだ。
35mm時代は個性的なデザインでファンを魅了したのだから、
昔の人気機種をデジタル化すれば面白いと思うのだが。
NikonのCoolPixは没個性的で面白くもなんともない。

で、やっとS90を手にとってみた。
カタログで見たのとは大違い。
のっぺりしたIXYのようなデザインなのだが、
筐体がプラスチックでいかにも安っぽい。
ボディに比してレンズ部分がやけに大きくバランスが悪い。
ファンクションダイヤルはアルミ削り出しというが、
全体的に高級感を出してほしかった。

フラグシップ機G11が隣りに置いてあったが、
こちらはさらに小型化した結果、ごてごてした鈍重な姿になってしまった。、

パッと見で、S90は持ち歩きたくない、と思う。
値段は5万円前後なのだから、マニュアル機能が充実していて当然。
であれば、カメラ好きの大人の嗜好にもっとフィットしていただかなくては…
その点、RICHO-GRの商品造りは上手である。
だが、2眼レフ時代のRICHOを知る者としては、
どんなに優れていても持つには躊躇するブランドだ。

今使っているPowerShotのほうがまだまし、ということになってしまった。
残念!

ついでに、Panaの最近マイクロフォーサーズ機、LUMIX-GF1を見る。
オリンパスと同じ規格だが、こちらのほうがデザイン的には気に入っている。
ブラックボディに14−45mmのズームレンズと大きなフードがついていた。
オプションのライブビューファインダーもついて、なかなかの顔つきだ。
だが、標準側にズームすると、細いレンズが繰り出し見た目のバランスが崩れる。
20mmのパンケーキという広角レンズをつけたほうが全体の安定感はあるようだ。

※女性層狙いのカラーバリエーション

※ライブビューファインダーは優れもの

マイクロフォーサーズは、
サイズはコンパクトタイプでレンズ交換ができるというのが最大の特徴だが、
オリンパスが発売したときは否定的だった。
勝負撮影には一眼を使い日常的にはコンパクト。
コンパクトタイプにはズームがついており、
交換レンズを用意してまで使う必要があるのか。

だが、レトロ感覚のX−GF1には少しそそられた。
理由はライブビューファインダーなのだが、
こういうメカニカル・ティストに滅法弱い。
リコーGRで初めて見たとき、
昔のSONYならこういうギミックを使ったろうに、と思ったものだ。
それが、よりによってPanaから発売されたもんだからびっくり。
さすが「マネシタ」さん。

昔、SONYのVideoの仕事をやっていた。
β方式の機構のほうが優れていたにも関わらず、
結果的には弁当箱のように大きなテープのVHSが定着しβは姿を消した。
傘下の日本ビクターにVHS市場の下慣らしを行わせ
機が熟した頃に松下電器は本格参入。
ベンチャーとして独創性を重んじたSONYとは企業姿勢が違う。

一時期はナショナル製品は家電品も購入しない時期があった。
今はだいぶ緩和されたが、相変わらずPanaブランドは少ない。
パソコンもLetsNoteは購入対象にはならない。
LUMIXは売れ筋のデジカメだが、触れては見るが買う気にはならない。
GF1は面白いカメラだが、ホールド部のシルバーラインがダサ。
機能ダイヤルが飛び出しすぎ、しかも文字サイズが大きい。
このカメラに10万円を出すなら、
デジタル一眼の交換レンズを買い足したほうがいいのかも知れない。

10月15日(木曜日)

●不毛地帯
フジテレビ開局50周年記念ドラマ。
山崎豊子原作「不毛地帯」
1回目は拡大枠で21時から23時間15分まで。

先日たまたま電車の中吊りの番宣広告を見ていた。
単色のような汚れた色の中に男と女の大きな顔。
唐沢君と小雪さん。
それが「不毛地帯」の広告とは思っていなかった。
モデル出身の小雪さんは最近なにかと話題の女優となった。
以前、トム・クルーズ、渡辺謙の映画ラスト・サムライで
スクリーン内の彼女を初めて見たが印象は薄かった。
ま、好みではない、ということだ。
不毛地帯ではどのような役なのだろう。

この小説の主人公のモデルが、元陸軍参謀瀬島龍三氏であることはつとに有名だ。
原作者・山崎豊子氏は、人間像は彼をモデルにしているが、内容はフィクションと断っている。
しかし、瀬島氏が参謀時代、シベリア抑留中にやってきたことの
ノンフィクションを読むと小説とは大いに違う。
小説、ドラマは彼のヒューマニズムが美しく描かれすぎ「ほんまかいな」と思いつつ、
「おっと、これはフィクションなのだ」と考えを軌道修正しなくてはならない。



で、テレビドラマ「不毛地帯」の時刻がやってきた。
おっと、その前に20時からNHKBSハイビジョンで、
「天才写真家アラーキー」のドキュメンタリーをやっていた。
そっちも見なくてはならない…という、久々の忙しさだった。

電通出身の写真家荒木氏の存在を知ったのは、
彼の作品が平凡社の雑誌「太陽」の太陽賞を受賞した。
「さっちん」という下町の子供の日常を撮影したものだった。
荒木氏は近所の子供に彼の子供時代をオーバーラップさせたらしい。
まもなく電通を辞め、フリーのカメラマンとなった。
その頃はまだ作風定まらず、エキセントリックものを発表していた。
昭和40年代初頭、銀座2丁目裏「愛情ラーメン」の壁には
荒木氏の写真がベタベタと貼られていた。
そのほとんどがNUDE。
当時のNUDE写真は下腹部の漆黒部分など週刊誌のグラビアにも掲載できなかったのが、
ラーメン屋のそれは堂々と見せていた。
噂を聞きつけたサラリーマンで昼時はごったがえしていた。
勤めていた会社から1分という便利さもあって、
鑑賞しながら「にんにくラーメン」をすすったものだ。

その後、彼は電通文書課の「陽子」さんと結婚。

彼は5学区上野高校から千葉大に進み電通に入社。
奥方は白鴎高校から電通入社。
台東区三ノ輪に住んでいた彼と、足立区北千住の彼女は川ひとつ隔ててあっちとこっち。
急速に親密になりゴールイン、ということをテレビで知った。
当時の都立高校は学区制華やかな頃で、小生は6学区だった。

天才アラーキーは、新婚旅行の記録を写真集「センチメンタル・ジャーニー」として発表。
奥方のNUDE写真まで掲載した。
その後、発禁ぎりぎりの新宿界隈の風俗写真などを撮り続けていた。

齢70を越し作風は変わった。
「日本人ノ顔」と題し九州から北海道まで撮影行脚をしているようだ。
佐賀県の撮影模様が紹介されたが、老若男女さまざまな人の大首あり、
ファミリーの姿あり…
老天才写真家は、笑みのある家族の姿に魂の安寧を見たのか。

デジタルカメラ全盛にあって、
レンジファインダーの35mmライカを手に
公園に出かけスナップを撮る。

有名写真家だからいいが、
赤いマフラーの禿げたおっさんが、軽口たたきながら
子どもに近づいたら、警察に通報されるだろう。

面白い番組だったが「不毛地帯」の時刻になってしまった。



映画では間もなく山崎豊子の「沈まぬ太陽」がロードショーだ。
以前、映画化されテレビドラマ化された「不毛地帯」。
フジテレビ開局50周年記念ドラマというが、
今、なぜ山崎豊子のこの作品なのか?

全く偶然なのだが、
今年に入って、「沈黙のファイル--瀬島龍三とは何だったのか」
「瀬島龍三--参謀の昭和史」、「昭和史--戦前編、戦後編」という
瀬島氏と日本を戦争に導いた「参謀」についての本を読んでいた。



年譜によると、瀬島龍三氏は
昭和13年12月陸軍大学校を首席で卒業。
昭和14年11月、29歳で参謀本部に配属。
昭和16年頃より頭角をあらわし主要な作戦のほとんどに関わる。
しかし、昭和17年6月ミッドウェー海戦で日本は大敗し、以後日本軍の敗走が続く。
天才参謀の名をほしいままにしていたが、
戦争終結の意識を敗戦主義者としてとらえられ参謀本部内でうとんじられるようになる。
20年7月、満州の関東軍総司令部へ転出。
8月15日敗戦。
一旦は満州から日本に戻るが、戦争続行を画策する関東軍にソ連に降伏するよう
参謀本部からの命令を受け渡満。
9月2日降伏文書に調印。
6日、瀬島氏満州からシベリヤに連行される。
昭和21年10月18日、ソ連側証人として東京裁判に出廷。
昭和24年5月、ソ連内務省に戦犯として逮捕さる、
7月18日、ハバロフスク軍事法廷で重労働25年の判決。
昭和31年8月19日ソ連から帰還。
昭和33年1月伊藤忠商事入社。
昭和44年まで、自衛隊に戦闘機、ミサイル売り込みに精力的に動く。
昭和47年伊藤忠取締役副社長
昭和53年伊藤忠取締役会長

戦前は優秀な陸軍作戦参謀。
シベリア抑留後
戦後は伊藤忠で軍用機ビジネスで辣腕をふるい伊藤忠のTOPに上り詰める。
伊藤忠引退後、政財界で暗躍する。



「不毛地帯」とは、抑留されたツンドラのシベリヤを
シンボライズしたタイトルかと思ったが、
政界、防衛庁、商社、米国航空機メーカーを巻き込んだ
軍事ビジネスのことも指しているのだ。



ドラマは、瀬島氏がモデルとされている
元陸軍参謀、壹岐正が主人公。
シベリアから帰還後後、伊藤忠商事ならぬ、関西の近畿商事に入社する。
入社にあたり、軍歴を利用するビジネスには携わらない、と条件をつける。
誕生したての自衛隊の前身、警察予備隊には多くの元参謀が就職していた。
そのコネを利用して軍用機の売り込みはやらない、という一札をとり、
繊維部に配属される。
関西商社の繊維部という畑違いの世界で
元参謀の壹岐は、なんとか慣れようと努力するものの歯車がかみ合わない。
先輩社員からは白い目で見られ、居心地の悪い職場だった。

紆余曲折があったが、ついに戦闘機ビジネスに携わることを決意する。
防衛庁への熾烈な売り込み合戦に政治家がからみ
競合商社との情報戦あり、彼を巡る奥さん以外の2人の女性
上官の娘(小雪)と銀座のクラブのママ(天海裕希)あり…
来年3月までドラマは続く。

10月14日(水曜日)

●猫
生まれも育ちも米国の猫の姉妹がやってきて2週間以上経過した。
異国の環境にすっかり慣れたようで、
昼間はリビングをわがもの顔で独占している。
それまでは、家中自分のテリトリーだった、生まれも育ちも宮代です、の
ミミだが、すっかり様子が違ってしまい、まだ事情が飲み込めない。



当初は警戒しっぱなしだったが、最近、少しは気がゆるむこともある。
いつものようにリビングに来ると先客あり。
入口でしばらく様子をうかがっていたが、
相手が2匹なのですごすご引き返した。
1匹だと接近して、うなり声をあげるときもある。

接近はまだ無理で、相手が攻撃してきたらすぐ逃げられるような距離をとっている。
相手は人間でいえば、おばあちゃんなので、まったり過ごしているが
ミミのほうが侵略されたと思っているので、なかなか和平は訪れない。

10月13日(火曜日)

●巨大プリンタ
小ロットのポスター作成に欠かせない大型プリンタ。
最大A0版が印刷できる。
自宅ではA4サイズのプリンタを使っているので、
それと比べると軽自動車とダンプカーくらいの差がある。

イラストレータでデザインしたものをその機械でプリントアウトするのだが、
担当が病気になったので、当方が見よう見真似でやることになった。

データの渡し方が結構面倒くさい。
Reason Why?
大型プリンタはMacにつながっている。
小生、Windows用イラストレータでデザインを行っている。
このため、フォントのアウトラインをとったあと、
Mac用イラストレータのバージョンに合わせて保存し、CDに焼いてから
Macで印刷書式を設定しなければならない。

そんな手間のかかることをなぜやるか?
Mac上でデザインすればいいものを、と通常は思うが
自宅で作業をやり勤務先で印刷作業を行うので仕方ない。
それにMacはOS9.xxなので、イラストレータはバージョン8。
これが実に使いにくい。
オブジェクトの回転はWinならドラッグでできるが、
あちらは角度を入力する必要がある。
やはり、使い慣れた環境のほうが短時間でデザインが完了する。

Macとプリンタは年代物なので、ときどきストライキを起こす。
だが、データが無事プリンタに送られ印刷が始まるとちょっと感激。
ヘッドが左右1m以上ゆっくりと動き、印画紙にプリントされ少しずつ姿を現す。
年代ものでも発色に定評あるEPSON製だ。
A0は使う色数にもよるが簡単なものなら1枚10数分で仕上がる。
自動的にカッティングされ、そのままポスターとなる。

最初から最後までのオペレーションは、この歳にして初体験。
やってみると楽しい作業だ。

10月12日(月曜日)

●獅子柚子
巨大な柚子を初めて見たのは数年前だったか。
それを持ってきた騎西の方から苗木をプレゼントされた。

風が当たらず日当りのよい場所がいい、と教えられたので
家の裏側の物置の脇に植えた。
物置にさえぎられ冬の季節風も関係ない、
南東向きなので朝から日が当たる。
レモン、柚子は生長が遅いといわれるが、獅子柚子はすくすく育った。
あれから5年。
いつの間にか緑の実をつけていた。
たった1個だが、表に植えた柚子の数倍もある。

黄色くなったら、しばし観賞。
その後、冬至の柚子湯となる。

●飛行船

久々のお出まし。
今や広告宣伝用の飛行体だが、
100年前は旅客、軍事用に使われていた。
開発者ツェッペリン伯爵にちなみ、
飛行船といえばツェッペリン号として戦前は名高い。
その後、飛行機の登場で
活躍の場はほとんどなくなったかと思えたが
のんびりとした姿が宣伝媒体となって復活。
日立の「キドカラー・ポンパ号」は印象に残っている。

10月11日(日曜日)

●ハイエンドコンデジ
コンパクトデジタルカメラが賑やかすぎる。
CANON、Nikon、SONY御三家に加え
人気急上昇中のPanasonic、
元祖デジカメのCASIO、オリンパス、アサペンが
カメラ売り場で華やかさを競い合っている。
シャッターを押すだけで簡単にブレのない美しい画像が得られる
というのが、どのメーカーも基本中の基本。

これらと一線を画すのが、ハイエンドコンパクトデジカメだ。
マニュアル機能が充実し、フィルム時代からのカメラファンを魅了する。
作画意図に沿ってシャッター、絞りを変えて撮影するのは
デジタル一眼のほうが優れているが、
ごつい、重い(最近は改善されてきたが)ので、
サブカメラとしてコンパクトタイプを使う愛好家は多い。
そんな彼等の触手を動かす機種がリコーとシグマから発売されている。
ズームレンズではなく広角単焦点レンズを搭載し、
ボディはプラスチックではなく金属製。
35mmカメラ時代の高級コンパクトカメラを髣髴とさせるデザインだ。
カメラ好きの芸能人、文化人の愛機として雑誌で紹介されたりする。
とくに、リコーのG3は外観はほとんどそのままで
内部を進化させるというマーチャンダイジング計画で、
通常2年もすればカタログから姿を消すデジタルカメラ業界にあって、
いつになっても古さを感じさせないということも人気の一因となっている。

老舗のCANON、Nikonもハイエンド・コンデジは発売している。
CANONはPowerShotシリーズのフラグシップ機Gシリーズ。
だが、外観も含めひんぱんにマイナーチェンジを行い今はG11。
G10と比べ違うところを見つけるのに苦労するが、
一番気になっていた部分が改善された。
Nikonはクールピクスという
つまらないネーミングのシリーズの最上位機種P6000。
CANONもNikonとも
よき時代のメカニカルカメラのようで、ちょっと見はよく似ているが
バリバリのデジタル多機能機。
バリアングル液晶モニターがついたG11のほうが、
撮影領域を広げることができるだろう。

各社のフラグシップ・コンデジは5〜8万という価格帯。
この上は、最近マイクロフォーサーズ規格の
レンズ交換ができるタイプとなる。
オリンパスが先行し最近パナソニックが追従した。
一見コンパクトタイプだが、デジタル一眼レフ並みの機能を搭載する。
6〜10万は、初心者向けデジタル一眼の低価格ゾーンと競合する。

デジタル一眼の重さが気になるカメラ好きは高機能サブカメラを物色する。
ハイエンドコンパクトタイプか、マイクロフォーサーズか悩むところだが、
気軽に高画質ということであれば、
一眼レフの延長線上のようなレンズ交換式でなく、
適度なズーム機能搭載のコンパクトに目が行くのではないか。



最近の傾向をウォッチングしていたら、
Canonから新製品のニュース。
PowerShot S90という。
CANONにはIXYシリーズがあるが、
こちらはイージーオペレーション。
PowerShotは作画を楽しむ機能が搭載されている。

S90はGシリーズの下位機という位置づけのようだ。
デザインは突起部がなくIXYのようだ。
画素数も1メガピクセルに抑えられている。
3型の液晶モニターでファインダーはない。
だが、沈胴レンズの根元のリングや、
背面の十字キーのコントロールホイールできめ細かな設定ができる。
ストロボはポップアップ式。
いかついG11に手をこまねいていた方には
新しい選択肢になることうけあい。
発売は16日。
早く実機を見てみたい。

10月10日(土曜日)

●ノーベル平和賞
オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞。
サプライズ!
大統領就任後、短期間で世界平和に何の貢献をしたのだろう?
誰もが、そう思ったに違いない。
ワルシャワで行った核廃絶へのメッセージが受賞理由なのだそうだ。
そして、先に賞を与えて、確実に履行するように…という
プレッシャー(期待値)をかけたというのだ。
彼も、早々といただいてしまった手前、無視できまいということらしい。

核廃絶は、米ソが手本を見せるべきだろう。
自分たちは保有しながら、他国にNOといっても説得力がない。
果たして米ソが率先して核廃棄ができるのか。
できないだろうね。
地球を滅亡させる兵器を彼等が所有することにより、
抑止力が働き地球の均衡が維持できるという、大国の論理があるがきり。

さらにCO2では、米国は世界一の排出国だったが、中国に抜かれて二番目になった。
それにしても、削減に力を入れれば産業に悪影響を及ぼすということで、
これまで乗り気でなかったが、オバマ氏も世界の流れに合流する意向を示した。

こういうとき中国は、
自分たちは発展途上国だから、この枠組みには入らない、
地球を汚した先進国が手本を見せろ、と息巻く。
ご都合主義の国なのだ。



韓国の金大中大統領は、2000年に北朝鮮との和平に対する働きにより
ノーベル平和賞を受賞しているが、
9年後の今日、平和が訪れたかといえば、そうではない。
相変わらず緊張状態が続いており糸口さえ見えない。
あの受賞はなんだったのか?
彼はすでに地中に眠る。

オバマ大統領受賞の10年後、核弾頭や原子力潜水艦の削減がどの程度進んでいるか。
もっと効率のよい核兵器が生まれているかも知れないつ〜のに。
今般、アメリカは月面にロケットを激突させ、
舞い上がったほこりを採取、その成分を調べるという。
あまり語られない理由に、核物質の研究というのもあるそうだ。
月に存在すれば、そこから地球に運び込む計画さえある、という。
衣の下から鎧がチラチラ、という感もある。

10月9日(金曜日)
●ニアミス
ミミは新しいテリトリーで過ごすことが多くなった。
味方となる人がいるので安心できるからかも知れない。
米国産姉妹は一番離れた部屋を与えられているのだが、
ドアが開いていると、ミミの領分にちょこちょこ顔を出す。
特に、太目の金さんは、ミミがいてもおかまいなしに、
事務所をうろつき、ミミのトイレ、餌場のにおいを嗅ぎ、
こともあろうに、ふだんは口にしないキャットフードを食べてしまう。
ミミは事の成り行きを、椅子の上からじっとうかがうだけ。
目が合うと、ミミはうなるのだが、金さんはおかまいなし。
ミミの椅子の下でごろりと横になってしまう。
金さんは老齢のため無頓着なのか、体がミミの倍以上あるので、
小娘など相手にしないのか…
しばらく、うろついたあと、自分のテリトリーに戻ってゆく。
ミミは緊張しきったのか、椅子の上でぐったりした様子。

※金さんの様子を椅子の上からうかがうミミ。

※さらに近づいた金さんの次の動きを警戒するミミ

しかし、以前より威嚇することは少なくなっている。
やがて、雪解けの時期を迎えることができるのかは、未定だが。

10月8日(木曜日)

●台風18号
大東島から沖縄へ、
そこから右折して日本列島縦断するかたちとなった。
暴風雨の勢力は弱まらず、九州・四国・関西・東海に被害をもたらしながら
関東地方にお出ましだ。
昼の12時を過ぎた頃は東北地方を通過中。
さすがにわが家も警戒し、前の晩に日除けシートを外した。
いつまでも夏の名残が存在するので、
気になっていたが、台風のお陰ですきっりした。

幸いというか、当地は豪雨となることもなく、
風も思ったほどではなかった。
青空が戻ったが風は残っている。
気温は27度を超えた。
羽織ったシャツを脱いだ。

10月7日(水曜日)

●ミミ
異文化猫の姉妹がやってきて1週間になる。
コメット、キューピットというのだが、
どれがどっちかわからないので、
金さん、銀さんと勝手に名付けた。
呼ばれた猫は、きょとんとしている。

リビングを日米交流広場にしているのだが、
相手が2匹で出現するとミミは自分のテリトリーに逃げ帰る。
太めの金さんは、性格がおおらかで
ミミを気にすることなく広場でゴロンとしている。
ミミは広場の入口で正座してそれをながめている。
やせた銀さんは好奇心が強く、
ミミのテリトリーとなった事務所まで足を伸ばし、
ミミの餌をパクパク食べてしまう。
ミミはきがきではなく、かといって向かっていけないので、
椅子の上からウ〜〜〜〜と威嚇するのみ。
目が合うと、13歳の銀さんは6歳のミミを一瞥して部屋から出てゆく。

※すねた感じのミミだけど

若いミミが神経質になっているのに
倍以上の年齢の姉妹は常にマイペース。

この状況なら、もう少し時間が経過すれば、
日米友好条約が締結できるかもしれない。

10月6日(火曜日)

●ポインセチア
花屋さんに真っ赤なポインセチアが並べられた。
間もなくクリスマスというという気分になってしまう。
少し早すぎるんでないの?

昨年暮れに「新しい村」でポインセチアを2鉢購入した。
黄色は季節が終わると枯れたが、赤が生き残った。
赤い葉が終わり緑の葉が出てきた。
半日影に置いて観葉植物として春夏を過ごした。
葉が豊かにつき、これがやがて赤くなるのかと思うと
かなり楽しみだ。

10月5日(月曜日)

●シュウメイギク
菊らしくない菊科の「シュウメイギク」が盛りだ。
早生ミカンもすっかり色づいて、見た目はおいしそうだ。
実は、少しすっぱい。
肥料が足りないのだそうだ。
来年は甘い蜜柑をめざそう。


10月4日(日曜日)

●親子2代
中川昭一元財務相が自宅で死亡しているのが発見された。
56歳だった。
氏のアルコール依存体質が国辱的失態を演じ大臣を罷免され、先の参院選では落選。
国民はもちろん北海道の支持者からも見放された果てのできごとだった。
昭一氏は自ら播いた種とはいえ、親子2代にわたる非業の死だった。
遺書めいたものは見つかっていないという。

父親の「北海のひぐま」こと一郎氏は札幌のホテルで自殺。
子息は自宅で謎の死。
親子とも志半ばでこの世に別れを告げた。
見えない黒い糸で結ばれていたのか…

10月3日(土曜日)

●東京落選
2016年オリンピック開催地はブラジルのリオデジャネイロに決定した。
1回目の投票でシカゴが落選。
オバマ大統領が演説したが神通力は不発。
2回目の投票で東京が落選。
鳩山首相の友愛効果もむなしかった。
3回目はリオとマドリードの決選投票。
結果、リオで南米初の開催となった。
ルラ大統領の涙。
あの髭ずらには不似合いだったが妙に感動した。

石原慎太郎都知事は、
招致に使った大金を都民にどのように説明するか。

10月2日(金曜日)

●そっくりさん
全国展開するドラッグストアの雄「マツモトキヨシ」。
関東ローカルで展開しているとばかり思っていたので
有楽町駅前に進出したときは驚いた。
黄色地にカタカナ「マツモトキヨシ」が目立つ。

初代経営者は県議を経て、元松戸市長。
「すぐやる課」でおなじみ松本清氏。

本社はJR新松戸。
以前、所用で下車したことがあるが、駅を少し入ると流通経済大、
瀟洒なサンライトパストラルのマンション群、大型スーパーがある。
緑も豊かでなかなかの住環境だ。

朝刊に奇妙な広告が掲載された。
「セイユウヤスシ」
ん?

広告主はスーパー「SEIYU」。
5つの商品をピックアップして安さをアピールしている。

黄色地に黒文字は「マツモトキヨシ」と同じ配色。
レタリングも似せている。

「キヨシ」に対し「ヤスシ」とは、
流通安売りで漫才の「ヤスキヨ」が復活か?

ふたつの面白さがあるのだが、
あわて者は西友を素通りして、マツキヨに出かけるかもしれない。

10月1日(木曜日)

●ミミ脱走
午前中、ほんの不注意からミミが逃げた。
これまで、2〜3度同じようなことがあったが、短い時間で帰ってきた。

仔猫のときから家の中で育てている。
窓辺からじっと外の景色を眺めるだけだった。
外界へのあこがれがふくらんだのかもしれないが、今回は事情が違っている。
異文化猫にテリトリーを奪われ失意のどん底なのだ。
制約を嫌って家出をしたのではないか?
新しい天地探しの旅に出てしまったのではないか、と心配になる。

抜け出た窓をミミが通れるくらいに開け、マタタビをまいておいた。
このにおいに負けて彼女はショート・トリップで済ませるのが常だった。
しかし、今回はいつになっても姿を見せない。
必ず戻るという確信があったが、傷心のミミだからな〜

今日は外泊か、と思っていたところ、
ミャ〜という小さな声が廊下から。
リビングのドアを開けたらそこにミミがいた。
窓を閉め、濡れた手ぬぐいで全身を拭く。
別に、悲しそうな顔はしていない。

あれこれ思い煩うのは人間のほうで、
猫はそこまで深刻でないのかも知れない。
猿山のボスの座を争って敗れた猿は
「老猿は死なず、ただ消え行くのみ」と去ってゆく。
わが家の猫はそこまで深刻でなはい。
江戸末期にペリーが浦賀にやってきたのは
侵略ではなく友好のためだ。
今回もそのような展開になってゆくことだろう。

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